ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

カエルの楽園

2016年03月30日 | 読みました

          今年初めての桜の写真 尼崎・温泉そばの川の岸     (16―3―30)



昨日、奈良に行ってきました。1万2千歩も歩きました。歩いている時は大丈夫
だったのですが、行き近鉄を使ったので1時間半でしたが、帰りは、乗り換えの
少ないJRにしたものですから2時間かかりました。それどど~っと疲れが出た
ようです。やっぱり奈良は遠い!

其の疲れを取るために、今日は温泉に行きました。側の川の両岸に植えられ
た「桜」も見たいと思ったのです。5分咲きというところでしょうか、今度私が来
る頃には、散っているかな~? 川面に散った桜の花びらも乙なものです。
見てみたいですね。





発売2日目ぐらいに買って読みました。以下の挿絵のカエルも百田さんが描か
れたそうです。








凄い反響のツイターを読んでいると、2時間で読んだとか3時間で読んだとか
書いているけど、ものすごいスピードね。読んで、内容も理解したってこと? 
考えられない。私は何時ものように、一日数ページづつゆっくり読みましたよ。
でもね、何時もより先の話が気になったことは確かですね。

読み終えて、したことが「挿絵」の取り込み、そして幅サイズを揃えていくこと。
こうすることで、内容に興味を持って、読んでもらえたらな~? 主人が読み
終えたら図書館に寄付つもりだのですが、何となく、図書館が公開してくれな
いのではないかという気が一寸して様子見します。なぜかというと、こんなに
読まれているのに、尼崎の図書館の「よく読まれる本」に入っていないのです。
新着図書にも入っていないしね。

未だに「火花」が借りたい人、1位なのも解せないし。この本も読んだけれど、
何処がよくて、「芥川賞」かも理解できない。もともと「芥川賞」は私に合わな
いのですが、作者がお笑い芸人という、畑違いの人という興味だけで読みま
したが、まったく理解できず。

「カエルの楽園」もこんなに色んな意味でヒートアップするとは思わず。「百田
さんの新しい本」というだけで、早々に買って読みましたが、「今の日本の現状
への警告かな?」というところまではわかるのですが、やっぱり全て理解できた
とはいいがたいし、最後が、このままいくと、こんな結果になるというのなれば、
皆さんの言われるように「おそろしい」と思いますが、百田さん「永遠の0」や
「海賊と呼ばれた男」の方が私は好きです。

ご本人も「生涯での一番の自信作」と言っておられるようですが、私と若い方
(かかれた百田さんも還暦だそうですから、20歳の差があります。昔なら親子
ですね。)との感覚のズレでしょうかね~。今更どうしようもないな~。
読書を楽しむためには、自分の感性にそって、わが道を行くよりないな~。


ツイッターで百田さんがぼやいています。

・カエルの楽園が書店で1位になっても、新聞、週刊誌はこの本を取り上げた
ことはない。予想はしていたけれど、ここまで露骨とは思わなかった。
・百田の本はメディアには黙殺される運命らしい。

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アーモンドの花の下に

2016年03月28日 | 一寸そこまで


     






        ↑   「アーモンドの花」       ↓「アンズ」     (16―3―21)





            「スモモ」     一番沢山咲いていました     (16―3―21)









3月21日(月) 神戸・深江の「東洋ナッツ」に花見に行きました。何年か前に
ご近所の皆さんと始めて行ったときに、署名をしたので、毎年、葉書が送られ
てくるのです。今年も20日に皆でとお声がかかったのですが、私は「お寺の
施餓鬼の日」でしたので、21日に一人で行きました。

2年ほど行っていなかったのですが、其の人の多さに驚きました。人の口が人
を呼んでいるのだな~と感じました。

ただ、我が家からは、バスで阪神電車まで行き、そこから、電車が普通しか止
らないので1時間はかかります。深江からはリムジンバスで、また並んで、や
っと会場へ、優に1時間半かかります。着いた時は疲れています。

花を愛でて写真をとり、どの店先も長蛇の列、それを横目に観ながら、空いて
いる店を捜します。「おにぎり屋」さんが空いていたので5っ買って、2つを昼食
として食べました。それから「炒り立てアーモンド」を少し並んで買いました。

以前なら、無料の「お餅」を並ぶのですが、其の元気はありません。

いそいそと帰りのバスの列の後に着きました。「ここにくるのも今年が最後か
な~」と思いました。てなこと言ってお声がかかれば、また忘れて行くくせに
ね~! 綺麗な花と、食べ物に目のない私です。

 



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インド家庭料理 (70回)

2016年03月25日 | 今日この頃


            ↑ 満開の「啓翁桜」         ↓  まだ蕾の桜


「啓翁桜=けいおうざくら」っていうのですって。私は花が小さいし時期的に、
「彼岸さくら」かと思ったのです。オーナーにお訊ねしましたが、名前だけはわ
かったのですが、種類まではということで、調べてみました。

啓翁桜=昭和5年に久留米で、中国系の「ミザクラ」を台木に「ヒガンザクラ」
の枝代わりとして生まれたもの。今は山形県で、促成栽培されていて、早春を
活ける花として正月から使われます。お花を教えておられるオーナーも「生け
花に使われるのは、この種類ですよ」と言っておられました。

私はこの花を知らなかったので、見ていたとしても「彼岸桜」だと思うでしょう。
何しろ、お花を習っていたのは60年以上前で、一応最下位の教師免許もらう
まで、結婚後も神戸に通っていました。
 
上が当時の写真で、私が活けたのが「桜」です。11月ですから当然、自然咲き
ではありませんね。もしかして「啓翁桜」でしょうか。






今日の料理は「インド・カルナカ州バンガロール地方のお料理」で王族の住む
町だったそうです。だから、今日のお料理は「王族料理」という訳です。


マイソル チリ カレー




これには「チキン」が入っていますから、ショリー先生はお母さまの喪中の為、
このお料理は口にされませんでした。ちなみにインドでは喪中は41日間だそ
うです。

チキンは色んな香辛料を砕いてマリネしておきます。その他の材料を炒め最後
にチキンを加えて火が通るまで煮る。


アキ ロティ
アキ=米   ロティ=パン







丸めた後は延ばして、油で揚げます。初めてのお味でおいしかったです。


サグ
サグ=野菜




これも、調味料はペーストとして作っておきます。玉ねぎを透明になるまでしっ
かり炒めて、ペーストを加える。あと用意された野菜を入れて煮る。

マイスル ボンダ (スナック)






小麦粉、米粉、その他の材料を加えて、よくかき混ぜたヨーグルトに混ぜ込み置
く。油に手で少しずつ落とし込み上げる。外はパリッと中はふんわりとしていま
す。

今日は全員出席でした。


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藪医 ふらここ堂

2016年03月23日 | 読みました

            「白蓮」     尼崎・立花のお屋敷     (16―3―17)


今日は「インド家庭料理」の日でした。先月は先生のご都合でお休みでしたか
ら、2ヶ月ぶりということになります。


稀勢の里今回は落ち着いて相撲取っていますか? いつも自信なさげに目が
キョロキョロしないね。じ~っと目が動かないよ。私は彼のファンですから、い
つもイライラさせられて、諦めさせられているの。でも、今期は違う気がする、
平然? としている。希望もっていいかな~?と思っていたら、今日、白鵬にあ
っさり負けてしまったね。やっぱり優勝は無理なんかな~?




 


「朝井まかて」さんの本が面白かったという話をしたら「私持ってるよ」と貸してく
ださいました。最後の「サイン」は娘さんが、お母さんの名で、もらってきてくださ
ったそうです。字からすると、作者は男性的?な方でしょうか?

私が一番印象に残ったのは「江戸の若者と娘は、まずは肌を合わせてから、付
き合いを始める。相応の甲斐性を持つまでは、色んな相手と寝て、遊んで、や
がて落ち着くのが尋常なのだ」という言葉です。確か2度は繰り返し出て来まし
たね。女主人公の「おゆん」はそれができない晩生だということです。

「夜這い」という男性の行為については、知っていましたが、江戸の女性は堂々
と「男遊び」をしたとなれば、女性が受身として知られている「夜這い」は何時の
時代のことなんでしょうか?        



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お彼岸中日

2016年03月22日 | 一寸そこまで

      尼崎・近松公園    尼崎にもこんな静かな空間があります     (16―3―20)

        ↓    桜ではありません 「紅葉 スモモ」です



 盛りを過ぎていましたが 私の好きな花木です いつも誰かが 昼食を食べている場所でもあります


今日は暖かかったのですが、明後日アタリから、また「寒の戻り」だそうですね。


3月20日(日) お寺の「施餓鬼法要」に行きました。バスが20分遅れで、着い
た時は、もう焼香が始まっていました。だいこくさん(お寺の奥さん)に「先に焼香
をしてから、お参りしたほうが…」といわれ、お焼香を済ませ、お昼の「巻き寿司」
を庫裡で、熱いお茶と共に頂いてから、お墓参りを済ませました。

お墓参りの前に、昼食なんて、始めての経験です。何となく、気がせかされ、落
ちつかない気分でした。「ご先祖様ごめんなさいね」。次からはもう少し早めに家
を出ますね。

お隣の「近松公園」によりました。 木の多い大きな公園ですが、いつも人影疎ら
です。

この公園も、60年ほど前は、捨てられたごみの山でした。それをこうして、綺麗
な公園に整地されました。私はお寺にお参りした、帰りには立ち寄ることにして
います。

桜の木もたくさんあるのですが、其の時期に来たことはありません。いつも蕾が
膨らんでいるのを眺めるのみです。

私は都会育ちの為、土をいじった経験がありません。いやいや雑草を採ってい
るうちに自分が土いじりが好きであるのに気づきました。雑草を抜いて綺麗にな
った庭を眺めるのが、嬉しいのです。でも今は、やりたくとも、短時間で止めない
と「腰に痛み」がきます。ですから、雑草の生えるスピードに、私が追いつけなく
なったのです。今我家の庭は雑草が我が物顔に生えています。もう少し暖かくな
ったら、少しずつ始めようと思っていますが、何処まで綺麗にできるやら、去年ま
でとはまったく違う「わが身」の状態を窺いつつの仕事です。


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第29回室内楽演奏会

2016年03月21日 | 一寸そこまで

    もう一度我家の 「水仙」   あちこちで咲いています 如何して増えたのか?   (16―3―11)






3月18日(金) 伊丹の「アイフォニックホール」に「陸上自衛隊中部方面音楽
隊 第29回 室内楽演奏会」 という長~い題名のコンサートに行ってきました。

このホールは初めてでしたが、ネットで調べていたので、すぐわかりました。こじ
んまりした、一寸風変わりな建物でした。主人が、其の建物を遠めに見たときに、
「あれちゃうか?」といいました。私も「そうだろう」と感じました。



        
             ↑     パンフレット          ↓   チケット
        


丁度会場の15:30でしたので、急ぎました。本当なら、外に並ぶのでしょうが、
午後から雨という予報でしたので、館内に列ができていました。其の最後尾に
並ぶために列に沿って移動したのです。狭い通路、くねくね曲がっています。
其の先にも列の長さは続きます。いくど「ヒヤ~まだ?」と叫んだでしょうか。






室内は定員500名というこじんまりしたホールでした。天井が変わっていて、
好きですね。照明の一部も、音響効果のためでしょうか、穴が開いていました。

肝心の演奏ですが、知っているのが、「カルメンの一部」だけという、私の知ら
ない曲目でした。「みんなに出演を薦めていたら、こんな長時間になった」とい
う説明どおり、4時間でした。なんて言うか、お稽古の発表会?って感じでした。
3時間が終わった時点で、席を立ちました。

「飲食禁止」の放送がありました。でもね、4時から8時までの長丁場、きっとお
腹が空くだろうとクッキーを持っていました。「禁止」といわれたのですが、2部
が終わった6時ごろ(何時もの夕食の時間)「「マスクしているから、少しずつ食
べたらわからへんで」ということで、マスクの下側から、クッキーをほり込んで
、二人してムシャムシャ食べました。

これも、年寄りの色んな経験からはじき出された、悪知恵ですね!


        


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年寄りの冷や水か?

2016年03月17日 | 気にかかる

            「木蓮」     尼崎・立花     (16―3―17)







          ↓   日が差すと こんなに白っぽくなるので 私は好まないのです


今日は本当に陽射しが春でしたね。昨日の失敗を取り戻すべく、朝の「テレビ
体操」が終わると6時半過ぎ、家を出ました。いつもなら、ご飯の時間ですが、
昨日より日の昇りが早い気がしたので、花に直射日光が当たらないようにと、
朝食はあと廻しにして、駆けつけました。

思ったとおり、日は未だ差していませんが、くっきりと見えました。そこで「リベ
ンジ」撮って来ました。昨日の写真には、モット気に入ったのがあったような気
がしますが…。戻らないものへの感情でしょうか。

帰りに「白蓮」も撮りに行き、一応は撮りましたが、花びらに斑点があり、遅か
ったようです。昨日の「白蓮」は武庫之荘の公園で撮ったのが、真っ白で、真
っ盛りで、とても綺麗だったのですが、そこまで歩く気力がありませんでした。


今朝の朝刊の広告に「ラジオ体操は65歳以上には向かない」という本の広
告が出ていました。私も20年は続けていますし、体が年齢にしては柔らか
いのは、毎朝の体操のお陰と思っています。

本を買う気が在りませんから、紙上の記事しかわかりませんが…。

・ 「ラジオ体操さえすれば健康でいられる」は間違い

    

    



上の図の矢印ように、若者に近づこうとして、体を酷使すると、ひざ腰を痛め
るというご忠告と受け取りましたが、ご心配には及びません。図のように体が
動くことは金輪際ありません。私は70ぐらいまでは、前屈はできましたが、今
はできませんし、他の動作はほんの気持ちマネルだけです。

体操はからだを壊すから、「歩け」とのご忠告だと思うのですが、歩くことは勿論
大切ですが、それは足腰を鍛えるだけで、日々かたくなる関節に効き目はあり
ません。だから自分のできる範囲で、無理せず、体全体を動かした方がいいと
思います。「あさのテレビ体操」は10分間ですが、体調によって、5分で止める
こともあります。ただ毎日続けることが大切だと思っています。

書かれた先生は55歳でお若い(息子世代)、学問の理論上で言っておられる
のですが、先生自身お年を召されれば、お考えが変わると思います。

                                (2750回)

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大大大失敗!!

2016年03月16日 | 今日この頃

          「サイネリア」     サンチカタウン     (16―3―11)




今朝早く、一寸離れたお家の「木蓮」を撮りに行きました。満開とまではいきま
せんが、遠くからも沢山咲いているのが見えました。

気に入った写真が取れました。今日のブログに載せようと思いました。

他の友人が、公園の東側の家の塀から『桃』の花が綺麗よ」と教えてくれたの
で、帰りに、もう終わっているだろうと思いましたが、立ち寄ってみました。

そこには『桃』の姿はありませんでしたが、おもいがけない「白蓮」が満開でし
た。塀を遥かに超えた大きな木でした。思いがけない収穫に、シャッターをきり
続けました。

主人が起きて、食事を食べ終わってから、図書館に行きました。久しぶりに歩
いていきました。道々「さくら草」「雪柳」「パンジー」「さんしゅゆ」「椿」等々春
の花が咲き始めていました。其の花も撮りながら図書館まで40分歩きました。

180枚ほどの写真です。ピンボケのも、気に入らないものは消しました。そし
て130枚、「すべて選択」にして日付けを入れました。次の瞬間です。指が滑
って「消去」をおしてしまいました。あわてて「ごみばこ」を覗きましたが、あり
ません。

とても気に入った写真があったのに、一瞬にしてパーです。悔しいというより、
唖然としています。

「カメラに残っているでしょう」とお思いでしょうが、「ノー」です。カメラからパソ
コンに移動させた時、いつも私は、カメラの映像を消すという操作をしている
からです。

明日、近所の「木蓮」だけは撮りなおしにいきます。でも気に入った写真が撮
れるだろうか。



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川柳だよ~ん

2016年03月15日 | ネットニュースから

            「サイネリア」     サンチカ       (16―3―16)




今日は暖かいので、運動がてら、近所のお花でも見に行こうかと思ったのです
が、結局は家にいて、本を読んでいました。運動といえば、早朝の体操ぐらい
ですね。これは欠かさず続けています。

   余命表 延びて天国 過疎となり

どんどん老人人口が増えて、自分も、其の仲間入りなんですが、周りを見回し
ても老人ばかりが目に付くのが気になる今日この頃です。

先日バス待ちのとき、話しかけてきた知らない人が、話の中で、東京五輪を見
たいと言った私に言いました。「人は年金もらうようになれば、早く死んだ方が
良いのよ、年金って、若い人のお金を食っているのよ。老人は知っているのか
ね! 私も年金をもらいだしたから、もう早よ、死にたいと思っているよ」この方
は寂しいのか? 厭世感の強い方なのか!私は返す言葉がありませんでした。

   子に孫に 継がれる命 ありがたし

時々考えることがあります。私は何のために生まれてきたのだろう。生まれる
意義があったのだろうか? そして、最終的には、私がいなければ、私の子も
孫も、この世に生まれることはできなかったのだ。これだけでも、生まれた甲
斐があったのではない? また、平凡な人間がいるから、非凡な人が引き立
っているのではないか? と平凡な人生を意義つけて生きています。

   年金に 合わせるような 売り出し日

時々私も感じることがあります。「如何して、今日が売り出しなん、あ~そう
か、年金受取日やからやね~」って。でもね、安売りは、薄利多売で量が多い
でしょうだから、老人所帯にはむかないと思うんですよ。少々、高くなっても、
その日使うものだけを少量買ったほうが、新鮮でいいと思っています。

当日は、銀行も、郵便局も人の列が続いていますから、近年は、2.3日遅ら
て受け取りに行くようにしています。

近頃は旅行もしなくなりましたし、おいしいものを食べに行く回数もぐ~んと減
りましたし行きつけのお店が店主の老齢化で、店を畳まれるせいもあります。
今さら、新しい店を開拓する気力もありませんし。「美術館めぐり」するぐらい
が遠出ですから、そんなにお金も使わなくなりましたから、急いでお金を受け
取る必要もないわけです。

健康に恵まれた老いの生活は想像したようにはお金が要らないな~と思ってい
ます。 

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住めば都よ!

2016年03月14日 | 今日この頃

        「ヒマラヤユキノシタ」     今年は小さな3本だけ     (16―3―10)




今日は一日中小雨が降っていましたよ。

3月12日(土) パーマ屋さんに行ってきました。一度カットに行きましたが、掛
けるのは半年振りかしら。このごろは毛の伸びも遅くなって、以前なら2ヶ月に
一度はカットに行っていましたが、今は3ヶ月に一度で済むでいます。何事もス
ロースローのお年です。


自分に関係ある「地名」って考えたことあります? 私の場合、まず「尼崎」そし
て「屋久島」生まれ育った「神戸」は3番目。

何時頃からこんな順番になったのか? 50歳過ぎからでしょうか? 結婚して
初めて「尼崎」に来たときは、どうにかして「神戸」に帰りたかった。姑と同居だ
ったから遠慮がありました。「本を開いて、読んでいるふり」をしながら、頭の中
は「神戸に行きたい、帰りたい」の気持ちを抑える日々でした。別に「尼崎がきら
い!」というのではないのですよ。ただただ、「神戸」が恋しいのです。

それが何時のころからか「立花」と言うのは「尼崎」という駅名を嫌っているので
はなく「JR立花駅」近くに住んでいるから、こう呼ぶのです。50歳過ぎた頃「神
戸での生活と立花での生活が同じぐらいになったな~」と思うようになり、次々と
「立花が長なったな~?」と思い、子供を通じてお友達もでき、「住みやすいな~」
と思い、「神戸」から帰る時の後ろ髪を惹かれるような気持ちともおさらばで来ま
した。

今では人生の1/3を神戸、2/3が立花で生きてきたことになります。結婚して
から、主人が、単身赴任で東京に8年ほど行ったときも、私はここに住んでいまし
た。他で暮らしたことがないのですが、尼崎=立花は住みやすい、良い町ですよ。
世間様の噂のように柄が悪い! 住みたくない!とは感じとことはありませんよ。

神戸=元町で生まれ、戦争で家を焼かれるまで住んでいました。集団疎開から
帰ったときは「平野=神戸の北」に帰り、母が亡くなってから、また遠縁を頼って、
元町に戻りました。だからそれまでの人生では「元町」が一番長いのです。結婚
して立花に来ました。

立花にきて、自分が主婦という立場になって、どういう生活をしていたのか、覚え
ていないのです。料理は料理学校で習っただけですから今思えば下手でした。
でも姑は文句も言わずに食べてくれました、感謝しています。だんだん腕も上が
って、親戚では『料理上手』といわれるようになりました。と言っても、平凡な『家
庭料理』ですよ。で「料理するのが好き」と思うようになったのは、つい最近なん
ですよね。「一寸遅いな~!」

「屋久島」は4回行ったきりです。でも本籍は屋久島なんです。叔母(姑の妹)が
屋久島に住んでいましたから、屋久島の産物が、送られて来ましたから、何とな
く、身近に感じていました。

初めて『屋久島のサツマイモ』を切ったときはビックリでした。黄色のはずが、紫
色なんですもの、今でこそ「鹿児島の紫芋」って、知られるようになりましたが、
60年前の私にすれば、驚き以外の何物でもありません。「腐ってる!」と思い
ましたよ。

「ふくれがし」「くさもち」「あくまき」等々見たこともないお菓子でした。私はみな好
きでした。と言うのが、屋久島の叔母の手作りのそれらの品は絶品でしたね。初
めにおいしい味を食べたから好きになったのだと思います。どれもこれも、癖の
ある味ですね。特に「あくまき」は匂いが嫌かも。鹿児島物産展で見かけて買っ
てみたのですが、叔母の本物と違うような気がして、買わなくなりました。

食べ物の魅力は私をとりこにしました。テレビ欄で「鹿児島」「屋久島」という字
を見ると、すかさず、ビデオに取りますね。住んだことはないけれど「鹿児島県
熊毛郡屋久島町」は私の故郷になっています。

こうして書いていますと、もう一度屋久島に行きたい気持ちになりました。
元気なうちに! もう一度!

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