12時に式は始まった。式は今頃仕様か、地方での違いか、個人の選
びの為か、関西とは色々と違っていた。
喪主ご夫妻が色んな場面で主に動かれる。他は焼香のみで、それも
喪主と私たちの焼香の場所も違った。
関西ではお坊さんがお経の中で亡き人の経歴をかたられると思います
が、こちらでは「スライド写真」で喪主の長男が語るように、スピーカー
から流れる。
最後のお見送りもお棺のふたは開いたままで、蓋を閉めるときは出席
者の家族一同で閉めた。
焼き場は40分車で走った先にあった。新しくて、明るくて、葬祭場とは
思えない広々とした建物でした。
その待ち時間の間に「お寿司」「果物」「クッキー」等々食べる時間だっ
た。
高温の熱処理のために1時間ほどで、灰になるが、何しろ全てが熱い
ためにさめるまでの時間待たされることになる。呼び込まれた時もま
だまだ台からは熱さが伝わってきた。
骨拾いは係りの女性が、一人ずつに「何処の骨」かを説明しながら
「骨壷」に入れていきます。主人は「肋骨」私は「左手のひらの骨」でし
た。最後にシャリコウベを潰して、骨壷をいっぱいにしました。シャリコ
ウベを潰す「グシャ」と言う音を始めて聞きました。
霊柩車は「リムジン」ですが、いままで見たことのない大きさ(長さ)で、
都会ではとても方向転換が不可能だと思いました。
霊柩車と私たちの車は続けて一緒に走りますよね。こちらでは霊柩
車は先に行ってしまい。後から私たちが行き、焼き場ではすでに霊
柩車から降ろされたお棺が待っていると言う感じでした。
皆さまとは此処でお別れしました。
皆年をとりました。今度元気に会えるだろうか? その日がある事を
信じてお別れしました。
帰りの私たちの「のぞみ」です。
往復ともに16号車、行きは最終車両、帰りは先頭でした。