ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

「同情」と言う言葉

2008年06月30日 | 今日この頃


   

   
          なんとも不思議な姿の花 ニゲラ  
           上:満開  中:蕾  下:種


晴れたり曇ったりのお天気です。梅雨ですね~。今日で6月も終わり、早、半年が飛ぶように過ぎてゆきました。この半年何をしてきたのでしょうか?唯、自分の為に一生懸命生きてきただけです。人様のお世話もしない代わりに、ご迷惑も掛けなかった。それで良かったんですよね。

健康面につきましては現状維持、主人が眼の療法の為にちっちゃな入院をしましたが、後はやはり現状維持。

行きたい、見たいに付いては8分通り希望が叶った。見たい行きたい事を冷蔵庫の扉に止めてあるのですが、実行出来ない事が増えてきました。だんだん「億劫病」に罹かりつつあるようです。でも足腰に故障が無い内にもっと行動をおこしておきましょうと、後半を迎えるにあたって思っています。

曽野綾子さんが『「同情」と言う日本語をあまり好かない。体験的に習慣的に、その言葉は自分が上に立ちながら、相手を見下すと言う立場・姿勢をにおわすからだ。本当の「同情」はきわめて高度な人間の精神の証である。つまり自分以外の他者の置かれた立場を理解して心を動かされる事だから、電車の中で平気で化粧する鈍感な女性たちのように、他者の存在の希薄な利己主義者はとうてい持ちえない心情だと思う。…』

私も人一倍同情されるのが嫌な方だと思う。でもその心の一角が少しずつ崩れてきつつある。其れは自分の老いを感じる気持ちが強まってきたからだと思う。どんなに頑張っても50代と同じではありえない70代が今の自分だと、少しずつ認めつつある自分が居るからだろう。

「人に迷惑を掛けない」ように頑張る気持ちは「同情して欲しくない」と言う気持ちと似ているようで、似ていないと思っている。「心得」と「強情」の違いだろうか。

もう何も考えないで一種の「同情」を受け入れるのが、席を譲られた時である。近頃バスでも電車でも「この善意」を示される事が多くなった。私が乗り込んできたばかりに、その方は立たなければならなかったと思いつつも、喜んで座らせていただく。

これは体力の増強の為には、短時間なら立っていた方が良い事は解っているが、特にバスは急停止した時や大きくカーブした時に、特に荷物を持っている時は荷物に引っ張られて「おっ、とっと」と言う感じになるからです。きっと踏ん張る力が衰えて来ているのでしょう。

自分の体の声をよく聞いて現状を認識し、「席を譲られる」と言う好意(同情?)を素直に頂きながら、まだまだ当分は出歩きたいな~と思っています。







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インド家庭料理(9回目)

2008年06月29日 | 今日この頃

左から 朴秘書 尼崎白井市長 オーナーの庄司さん 料理のショリー先生

 
       初めての体験「チャパティ」作りを楽しむ白井市長

   
    今日のランチ 後は食後のティーとインドのお菓子がでました


白井市長が参加されると言うので、生徒は全員出席、ショリー先生が妹さんを同伴(日曜日は何時も来られるそうですが、私達は平日組ですからお会いするのは今日が初めて)されて総勢15人と言う大所帯でした。

リーダーが市長が「お料理大好き」と言う事でお誘いしたのです。

何しろ公人ですから、今日の日を迎えるまでに3ヶ月位掛かったでしょうか。私設秘書の方を通して何度も連絡を取られたようです。来られそうだと解ったのが、1ヶ月位前でしたでしょうか。確実らしいと連絡が入ったのが一週間前です。突発的な公務が入るとおじゃんになりますから、どうか入りませんようにと祈るような気持ちの一週間でした。

2.3日前から天気予報は日曜日は雨、所によっては大雨と言っています。幾らご近所とはいえ雨は嫌だな~と思っておりました。

予報どおり、昨夜から雨は降り続いております。朝になっても止みません。「市長さんはもしかして雨女?」と人の所為にしながら諦めておりました。

所がお約束の10時前には雨はしとしとに変わりました。10時「こんにちは!」の声と共に市長さんのお出ましです。お部屋の中がパッと明るくなりました。

説明の後、お料理が始まったのですが、市長さんも始めてのお仲間入りですし、私達も如何したら良いのかと言う戸惑いがありました。

ショリー先生が「チャパティ」の作り方をお教えになりました。「チャパティ」は「ナン」と同じですが、「ナン」は焼き釜が要るので、家庭では「チャパティ」用のフライパン又は直火で焼くそうです。私達は何度か経験があります。粉をこねて50グラムぐらいの真ん丸いお団子にします。これをギョウザの皮のように(麺棒の使い方は日本蕎麦のよう)丸く伸ばすわけです。

これが中々丸くなりません。所が市長さんは見事に丸~く延ばされました。(これはビギナーズ・ラック=勝負事でなくてもこの言葉使いますか?だったらしく、2枚目は少し小判型でした)これを焼いて出来上がりです。

☆ 赤インゲン豆のカレー
 赤インゲン豆は水につけると金時豆のようになります。柔らかく煮た豆を何時も の様に色んな野菜香辛料で炒めて、煮て出来上がりです。(写真:お皿の右)

☆ トマトと玉葱のカチュンバル
 冷たいサラダです。塩とレモンの絞り汁の味付け。(写真:小鉢)

☆ クミンシードライス
 クミンが入ったバターライスでしょうか。日本のお米の何分の一でしょうか、太 い木綿針くらいの細長いインドのお米です。(写真:お皿の左、下はチャパテ  ィ)

☆ ポークビンダルー
 豚のスペアリブ。インド風香辛料のペーストに肉を一晩漬け込んでおいて、熱し たフライパンに入れ、弱火で蒸し焼きにする(写真:皿の右上)

☆ マンゴーラッシー
 これはこの頃日本でも良く聞く飲み物ですね。マンゴーのピュレー缶とヨーグル ト、牛乳をミキサーに掛ける。(写真:左のグラス)

市長さんもインドの家庭料理を堪能なさったようです。日本料理も同じですが、家庭料理と料理屋さんでは違います。インドの家庭料理もレストランの様なスマートさはありません。外で食べられないからこそ、月一回のレッスンを楽しんでおります。

市長さんもお気にいられたようですが、お忙しい身では今度は何時になるか解りませんね。又ご一緒できる日を楽しみにお待ちしております。   (第760回)

 

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北朝鮮に対しての「?」

2008年06月28日 | 気にかかる


           
                      ギボシ
            枇杷の樹の根元に 減りもせず増えもせず


何故アメリカは「北朝鮮のテロ指定解除」を急ぐのですか?ライス国務長官やヒル副国務長官補は以前から「行け行け」と勇み足の傾向にありましたが、ブッシュ大統領は「まあまあ」と言う感じだと思っていました。此処に来てかくも急ぐのは「もちろん核放棄が前提だが、大統領は北朝鮮と国交正常化をするつもりだ。なぜならば歴史に残る大統領になりたいから」とアメリカの政府高官が今後の交渉について予言しているとか…。

ブッシュ大統領もライス国務長官も「日本の拉致問題を忘れては居ない、応援する」といっているが、信じられますか? 「テロ支援国家」の指定を解除された北朝鮮は、アメリカの後押しを受けたと解釈して、日本に対してますます横柄な態度を増長させるのではないですか?

よその国の態度を批判するよりも、自国の「制裁一部解除」を批判すべきかも知れませんね。初めは小さな穴でも、後には大きな穴になり、厚顔無恥な北朝鮮にのさばられるのではないかと心配しています。 

対北朝鮮に対しては「?」が多いのです。如何して小さな国北朝鮮が大きな国アメリカと堂々と対することが出来るのですか? 中国の後ろ盾があるからですか? 日本は加害者北朝鮮に対して、卑屈としか見えないような態度しか取れないのは何故ですか?

此処に来て何故アメリカは「北朝鮮のテロ指定解除」を急いだ理由は何ですか? 拉致被害者家族会もブッシュ大統領に期待していました。でも結局はその期待は見事に裏切られ、家族会の皆さんは途方にくれているでしょう。「拉致の問題は忘れない、これからも支援していく」と取ってつけたように言われても、口先だけで行動が伴わない限り信じられますか?

アメリカに守ってもらう為「思いやり予算」とやらを沢山支払って、今度はまた膨大な基地移転費を請求されて、唯一のたっての願い「指定解除をしないで」も破棄されて、それでも日本はアメリカの同盟国なんでしょうか?

拉致被害者家族会の皆様のお気持ちを思うと、居ても立ってもおれないような気がしています。我総理の不甲斐なさ、冷たさは何なんでしょうと…。

北朝鮮への「テロ支援国家指定解除」を「日本の一部制裁解除」を交渉の進歩と喜ぶ方々は何を根拠に進展と言うのしょうか。

被害者である日本が、加害者である北朝鮮に何ゆえにへいこらするのですか?立場が逆の様な気がするのですが。日本はそんな弱腰外交を何故するのですか? 何か密約でも? 私にとっては何もかもが「?」の対北朝鮮対策です。

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「この人にトキメキっ!」杉良太郎さん

2008年06月27日 | テレビから


          
                紐サボテン
      こんなに大きく可愛い花が咲くとは思いませんでした
        お花の茎までこんなに毛むくじゃらだとは…

今日は「あじさい」の花を切り戻しました。庭がさっぱりと涼しげになりました。午後からは読書で一日が暮れました。今読んで居る本が、小さな字で部厚いので期限までに読みきれるかしらと心配しながら読んでいます。図書館の本は期限があるからね~。読む速力がめっきり遅くなりました。読解力の後退でしょうか。

「この人に トキメキっ!」を久し振りにリアルタイムで見ました。

杉良太郎さんだったんです。この人の歌が好きでカラオケ狂時代は良く歌ったものでした。今は息子さんの山田純大さんも良いな~と思っています。三国連太郎さんと佐藤浩市さん親子も良いですね。余り美男子と言う人ではないですね、私の好みは…。

親子で俳優と言う人が増えましたね。良いお仕事ですものね。普通は人生一度っきりなのに、色んな人生を生きるんですものね。そんな親を見ていると、ついなりたくなるのでしょうか。

杉さんですが20年間もベトナムの孤児の里親をやっているんですって。これからもず~っとやっていくそうです。常時25人の里親なんですって。大学を出て就職するまで面倒を見て、その減った数だけ又新しい子どもを受け入れるんだそうです。

始は、子どもの喜びそうなものをいっぱい買って持っていったそうです。どんなに喜んでくれるかと、笑顔を期待して行ったのに、子ども達は少しも喜ばなくて、「何故?欲しくないの?嬉しくないの?」と聞くと、子ども達は「親が欲しい」と言ったそうです。其れを聞いて里親になる事にしたそうです。

お母さんが、人の世話を良くする人だったそうです。その親の背中を見て育ったので自然にそうなったんだろうといっておられました。私の母も、そんな感じの人でしたが、その背中を見て育ったはずの私ですが、余りボランティア精神は無いようです。お節介なところはあるようですが。

里親だけでは無く、学校も寄付(校舎の建設資金)していると言う話を聞いたように思います。日本では舞台に立ったときの沢山のプレゼントは、トラックに積んで色んな施設に配られるそうです。人様の喜ぶ事を沢山しておられるのに感心してしまいます。

ハノイ、ホーチミンで現地の人気歌手と共に「チャリチー音楽祭」をなさってきたばかりだそうで、奥様の五代さんとデュエットもされたようです。巣立った子供たちも含めて70人ばかり音楽祭に来てくれたそうですよ。

里子になるのは小さい時ですから、杉さんのことも日本の有名な俳優であるとは解らないでしょうけど、やっぱり嬉しいでしょうね。その上にお母さんも美人だし…、五代さんはあちらでは「おかあさん」と呼ばれているそうです。

個人的には娘夫婦に男の孫が生まれて、「娘夫婦が、この子はパパにそっくりだと言ってくれるのが嬉しい」そうです。杉さんもやっぱり普通のおじいちゃんですね。誰でも孫は自分に似て欲しいものですよ。
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大阪府の文化

2008年06月26日 | 新聞から
 

   
            こんな花も咲いています
         上左:キキョウ  上右:萩(紅絞り)
         下左:アスチルベ(ダイアモンド) 下右:? 


今日は昼から雨と言うので、小さな苗を大きな鉢に植え替えるつもりで居ましたのに、眠り病に罹ったが如く、本を開いては、何時の間にか眠りを繰り返して、一日過ごしてしまいました。何でしょうね、この眠たさは? 

近頃、橋下大阪府知事のニュースがテレビに、新聞に載らない事はありませんね。
選挙に出馬される時は「何すんのよ!」と言う感じでした。よその知事ですから、よそ事としてみていましたが、でも良くやっておられますね。

他のことはわかりませんが『文化』面について言えば、『国際児童文学館』の移転については正解だと思います。先日、大きな病院に行く途中にバスで通過したのですが、その時も「やっぱり、此処に子どもだけで来るのはむりやな~」と改めて思いました。

もう一つ『文化』面で『ワッハ上方』の移転問題ですが、移転が如何のと言う前に、新聞記事によりますと、上方演芸の為にと年間2億8千万円もの賃料を吉本興業に支払っていたという事実です。難波の吉本興業の演芸場の斜向かいにあるのです。私はまだ入った事がありませんから、広さも何も解らないのですが、それにしても家賃年間2億8千万の補助は多すぎませんか?

健康の為にも『笑い』は必要です。功績の記録を残しておく為の資料館も必要だと思います。「時代を担う才能を育てる為にワッハホールは必要」といっていますが、その「次代を担う才能…」のはもう一つお笑い「松竹芸能」の若い人達も入っているのでしょうか?それなら公平に両者に関係のない場所に移転したほうが良いです。唯、橋下知事は「演芸ホール」は廃止、資料館のみ移転という事ですが…。

吉本興業は大幅な家賃値下げを申し入れたが、即座に断られたそうです。如何してこんなべらぼうな高い家賃を吉本興業に出したのか、知事は誰か?と調べました。やはり横山ノック知事が就任一年後に開館しておりました。

お笑いの好きな人ばかりではありません。音楽を好む方もいます。府の補助(一千万前後だったと思う)を受けていたオーケストラも大幅な補助の減額のようです。
府民の為と言うなら、広く薄く公平に『文化』を分かち合っては如何でしょうか。
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[ためしてがってん」眼の病気

2008年06月25日 | テレビから

  
  
                  南天の花
         これだけの花が咲きながら 実が少ない 何故?


ジムまで歩く道中に「神戸地方裁判所 尼崎支部」がある。その建物の西側に「被疑者?」を乗せた車が出入りする通用口がある。そこに「タチアオイ」が咲いていた。撮らしてもらおうと入っていった。入ったといっても2~3歩である。警備の人が出てきたので「すみませんこの花を撮らせてください」とカメラを見せた。撮っていると、警備の人が又出てきて「すみません、今、仕事の車が入ってきますので…」「もう撮り終えましたので…」と出ようと振り向くと、そこに中型のワゴン車が停車して待っていた。

敷地内に一般人が居ると車は入れないのかな~とか考えながら見送った。以前にも花を撮らせてもらったことはあるが、時間帯が違ったのか、警備の人に声を掛けられたのは初めてだ。そういえば、私は移送車には何度も出会っている。内部は外から見えないように真っ暗だし、時には網格子の様なものがはまっている事もあった。「何か悪い事をして、裁判を受けるのだな~」と思いながら見送った事も何度かある。

裁判所の花を撮るときは時間帯を考えないと、仕事の邪魔になるんだな~という事が解りました。唯「車が入ります」といわずに「仕事の車…」と言うところが面白いな~と思いました。


今夜「ためしてがってんで眼のことするな~」と主人。シメシメ見るらしいので、今日は8時にはパソコンが使えるぞ!と思いました。パソコンに向かっていますと「お~い、見ておいたほうが良いで…」私もテレビの前に陣取りました。

「言うてくれると良いのにね」「何を?」「黄班前膜の人はタバコを止めなさいって」帰ってからやはりタバコを吸っています。自分の部屋にしか灰皿が無いので、そこでしか吸えないのですが…。吸ってるのを見つけると「盲目街道をまっしぐらですか?」と皮肉りますと、相手もさる者「家に帰って、タバコを吸うと、すっきりして、眼が良く見える気がする」ですって「世間に通用しない言葉をよう言うね!」と私。

先日主人が受けた処置をテレビが写していました。「あれとおんなじ事したん?」「そうや」数日日光に当たってはいけないという説明はありませんでした。

患者はやはり喫煙者に多いそうです。「やっぱりタバコはあかんのやん」私にテレビを勧めたことを後悔しているのか、主人は無言。

患者数は40数万人とか、予備軍はその10倍以上いるそうです。費用ですが、当初言われた金額の1/3位だったので「これ間違っていませんか?」と聞いたくらいでした。今日テレビの先生が言われるのは「4月から保険が利くようになった」との話で納得しました。それだけ一般的な病気になったという事なんでしょう。

私はタバコも吸いませんし、映像もゆがんで見えることはありませんが、生身の人間です。年に一度の眼の検診(白内障)は続けようと思いました。もうそろそろ検診の時期かな~。
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海難事故

2008年06月24日 | ネットニュースから
 

 
        白い紫蘭と紫蘭 (5月にはこんな花も咲いていました)
        白色は珍しいそうですが わが家では群生しています

久し振りにジムに行きました。通う道の小学校のプールから元気な子どもの声がしていました。もうプールを使える時期になったんですね。6月も下旬ですものね。

そのお隣では老人会?の方でしょうか花の苗を前に何か打ち合わせをしていました。学校の塀際は何時も奇麗なお花が植わっています。楽しみ乍通っています。
どんな花を植えてくださるのでしょうね。

向えの公園で良い香です。何だろうと近づくと、高い木の高い場所で大きな白い花が咲いていました。あまりに高すぎて写せませんでした。なんという樹でしょうね。毎年咲いていたのでしょうが気が付きませんでした。

バラ園に近づきますと、2週間ほど前までは花が終わって、刈り込まれた枝に新しい葉が芽吹いて居ただけだと思っていましたのに、一斉に花を咲かせていました。アジサイ、ノウゼンカツラ、クチナシも香っていました。

ジムのアプローチでも新しい花に変わろうとしています。花の無い冬の為のストックが増えていきます。当分はわが家の花がメインでいけそうです。わが家のユリは後2種類を残すのみとなりました。


ネットで『沈没海域は「危険」地帯?過去にも大型船沈没』と言う記事を見つけた主人が「社史」を見ています。「やっぱりそうや、読んでみ」

『この度千葉県犬吠埼沖東方約350キロ沖でまき網漁船第58寿和丸が沈没した海域で、過去にも大型船が大波を受けて沈没した「危険」な海域である事が解った。海難審判庁によると、昭和44年に貨物船「ぼりばあ丸(3万3768トン)ガ強風の中を航行中に船体が折れて沈没・・・後略・・・』の記事です。

主人が調べていたのはその「ぼりばあ丸」についてです。前にも私はこのことについてブログに書きましたが、確か年末(年明けの記憶違い)だったと思います、主人は会社からの呼び出しに飛び出していった事がありました。約38年前の事ですが、船体は勿論、乗組員も見つからなかったのです。 乗組員二人(2等機関士、司厨員)のみ漁船に助けられ生還しましたが、 船長を初め30数名は「ぼりばあ丸」と運命を共にしました。

大きな船の船体が真っ二つに割れるなんて私には信じられない事でした。今までも海難事故と聞くと「ぼりばあ丸」(実は船名は忘れておりました)の事を思い出しておりました。思いがけず、「ぼりばあ丸」の名前を見て、思い出された元社員の方も大勢おられると思います。

  
第58寿和丸の乗組員の皆さんが見つかる事を祈っております。
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終わりました 病院通い

2008年06月23日 | 今日この頃
                 ゴテチャ
             他の色が咲き終わった頃 
             こんな色が咲き始めました

8時過ぎに家を出ました。9時には会計の窓口も開くだろうと思ったからです。その前に、退院後のお話などあると思ったのです。其れも同席して聞いておこうと思ったからです。

病室に着きますと、荷物は二つのカバンに入れられて、直ぐ帰れるようになっていました。何時もは何にも片付け物はしないのにと、カバンの中を覗きますと全て突っ込んでありました。その気持ちを思って笑い出しそうになりました。一刻も早く帰りたいのでしょうね。いらちですから…。

間もなく本人が帰ってきました。勿論寝巻きは着替えていますし、帽子、サングラスも身につけています。「支払い済まして、はよ帰えろ!」「もう退院後のお話聞いたん?」「そんなんないで…」「そんなこと無いよ。請求書は?」「無い」「詰め所で聞いてくるよ」詰め所に行きましたら「今からお話に行きますから、もう少しお待ちください…」

看護師さんがこられたので一緒に話を聞こうとすると「先に会計でお支払いを…」と言われたので支払いに一階に下りていきました。支払いを済ませて帰ってきますと、待ちかねていたように、カバンを持って、追いかけられているように病室を出ました。

若い看護師さんに「もうきやへんで」と憎まれ口。でも詰め所では「お世話になりました」と挨拶をしたのは良いのですが、居合わせた看護師さんがいり口まで出てきてくださるのも待たないで、さっさとエレベーターへ。

時間が早いのですが、もう今日入院する人たちが、呼ばれるのを待っています。大きな荷物を持ってタクシーで乗り付ける人もいます。皆何気ない顔をしては居ますが、心配を抱えているんです。4日前の自分達を思い出していました。

幸いな事に曇り空です。「これやったら、電車とバスで帰るわ」と主人が言いますのでその様にしました。家に帰りつくまで日は差しませんでした。タクシー代が助かりました。

食事制限はありませんから、後は本人が自重して生活すれば良いのです。先生の検診は7月始です。主人も疲れたと言い、私も洗濯の後は、眠くて眠くて、昼ごはんまでぐっすりと眠ってしまいました。

9時に遅れてはいけないと思ったのには理由があったのです。入院しました日、隣のベッドの方がポツンと言う感じで座っていました。寝巻きではありませんし、同じく今日入院された方かな~と思いましたが、荷物が無いし、テーブルにコップだけがあるのでおかしいな~と思っていました。看護師さんが「まだ来られませんか?」と何度も来られます。男性も何度も入り口まで出たり、携帯を掛けたりしています。看護師さんが、何度目かに「おむかえは来られるのでしょう?電話をかけてもらえますか?」「掛けてるけど出ないんや」

やっと娘さんが孫と一緒に現れました。看護師さんが説明に来られました。話の内容では、まだ痛みが残っているので様子を見ていて欲しいと言うことのようです。そして大きな袋に荷物を詰め始めました。孫が「其れパパのかばん?」「そう」と言ったきり、父と娘、祖父と孫は一言も言葉を交わしません。きっと日常もそんな関係なんでしょう。なんとも辛いものを見てしまったと言う感じです。

看護師さんはきっと引継ぎがあるので、引き継がなければ帰れないのでしょう。だから看護師さんに迷惑を掛けないように早めに行こうと思っていたのです。

 
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アンケート

2008年06月22日 | 気にかかる


   
                つゆ草
          何処からか飛んできて咲いた時は
           嬉しくて大事にしたのですが
     今は増えすぎて 今年思い切って1か所だけにしました

とうとう本格的に梅雨に入ったのでしょうか、朝になっても降りやまず憂鬱です。足元はべとつきますし、洗濯物もすっきり乾きません。雀やカラス達は何処で雨宿りをしているのでしょうか声がしません。

ありがたいことに、病院に行く時間になると青空が顔を覗かせました。今日も病院は静かでした。病院に活気があって欲しいと言うのも変な話なんですが、静か過ぎるのも寂しいですね。なんだか自分達だけ取り残されたようなきになるんです。帰宅した途端に雨がポツリポツリと降り始めました。何とラッキーなんでしょう、雨にはあいませんでした。

この調子で、明日も帰宅時間まで曇っていてくれるとありがたいのですが…。何しろ「お日様怖い!!」人の退院なんです。タクシーを使う予定ではいますけれど。

帰りにバス停で待っていますと、「お時間があればアンケートをお願いできますか?」と声を掛けられました。バスが出た後で15分待ちでしたのでアンケートを受けることにしました。両手に荷物を持っていますから、読んで頂いて、3~4択の中、私の答えにに丸を記入してもらいました。

「この頃多い自殺について」のものでした。答えている内に、何となく「???」を感じました。何故なら「宗教臭」を感じたからです。その様に感じてからは「解らない」と言う答えを選びました。最後に「有難うございました。住所とお名前をお書きいただくと本(何の本だか忘れました)をお送りする事になっています」その人の手には部厚い本があった。

私は首を横に振った。この人は本当は良い人なのかも知れない。しかし今の世の中、素直に人を信じられないし、まして住所を教えるわけにはいかない。住所、氏名を書けば「何かもらえる」という事に引っかかってしまう人がいるかも知れない。その書き込みが、何かの事故を生むかもしれないと言う気持ちが、私の拒否をした理由です。

何の怪しいそぶりも無いのです、むしろ好青年と言う感じでした。でも私の心は「疑って掛かれ!」と命じます。こうして人を信じられない、信じるのは怖いと感じてしまう自分の心が寂しく、悲しいです。でも自分を守れるのは自分だけと、後味の悪さを我慢しました。こんな世の中っておかしいですよね。

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今日は夏至

2008年06月21日 | 今日この頃


          
                 ダリア
         切り戻しておけば 秋にもう一度咲きます
          今年は事の外 美しい「牡丹色」です

昨夜は一晩中雨が降っておりました。今朝は雨も上がり曇り空。日中は夏!と言う感じの暑さです。今は又しとしとと雨が降り始めました。何だかむしむしと感じます。一日の内のこの変化は身体にはつらいものがあります。

今日は「夏至」でした。一年で一番昼の長い日、夕方には曇っていましたが、それでも何となく「長い日」と言う感じは受けました。

夏至の日の今日、三重県の二見町の夫婦岩の真ん中から昇る日の出を見ようと、観光客やカメラマンが大勢詰め掛けたようですが、残念ながら朝日は顔を見せず、皆を失望させたようです。何時も梅雨の間ですから、日の出を拝めた人は幸運な人なんでしょう。

主人のジムのお仲間のりもとさんからメールをいただきました。
「ご主人をウッディで見かけないので、きにしていましたら眼の治療で入院されたそうで、お見舞い申し上げます。実は私も5年前に黄班円孔で手術しました。ガラスタイ手術でガスを入れ術後元に戻るまで「うつ伏せ安静」の為に10日ほど顔が上に上げられず辛い思いをしました。副産物としてお陰さまで禁煙する事が出来ました。禁煙の絶好のチャンスですと主人にお伝えください。」

主人の前回の術後も「うつ伏せ安静」でした。寝ている時は勿論そうですが、トイレに行くときも、上を向けないものですから、うなだれてゆっくりと歩みます。同室うち3人迄が同じ状態ですから、部屋の中はうなだれ人が行き交っているのです。笑ってはいけないのですが、笑いを我慢するのに困った覚えがあります。

今回は唯日光を浴びてはいけないという制約があるだけです。カーテンを引き回したベッドでラジオを聴いたり、本を読んだりしているだけです。「何か治療があれば、気もまぎれるが、何にもないし…」と退屈なようです。

頂いた予定表も今日から退院の月曜日まで空欄です。帰宅後も、5日間位は日に当たらない方(眼だけではなく、全身)が良いと書かれていましたので、今日は天気が良かったので、大急ぎで厚地のカーテンを洗濯し、主人の部屋の日光を遮断する段取りをしました。来週いっぱいは此処で籠城生活をするわけです。

退院時は「長袖、長ズボン、つばのある帽子、手袋、サングラス」を着用するように言われています。持参したサングラスは色が薄すぎる、もっと濃い色のものをと言われましたので、息子のを借りて今日もって行きました。

変な療法もあるものですね。そういえば思い出しましたが、「徹子の部屋」で女優さんがやはりカーテンを引いた部屋で一週間過ごしたと話しておられましたっけ。
身体に良いといわれる日光に当たると、効き目が無くなるなんてね~。

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