ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

書き留めた良い言葉

2006年07月31日 | 気にかかる
             ポトス
         テレビの上でもう何年・・・
   短くなったり長くなったりしながら生きています
 
「小さなことにくよくよするな、所詮全ては小さなこと」
  (リチャード・カールソン)
  
  「あんなに悩んで馬鹿見た!」と思うこと良くありますよね。
  気が付くと小さなことだったりして。「この世で起こった事は
  この世で解決出来る」「山よりでっかい猪は出ん」


「手紙の目的はとてもシンプル。愛情と感謝を表すだけだ。
 上手く書けない等と悩む事は無い。これは頭の競争ではなく心の贈り物だから」

  文章が下手だから手紙は書かないと言いますね。
  相手に軽蔑されたくないと言う見栄ですね。
  「愛情と感謝と言う心の贈り物」だと思えば気が楽ですね。
  メールも手っ取り早いコミュニケーションですよね。
  コメント待ってま~す。

「物を知ると言うことは自分が変わる事それを知らなかった自分と知った自分」(養老猛)

  私は解らない事はどんどん聞く事にしているんです。
  「聞くは一時の恥、聞かざるは一生の恥」でもこの頃は
 パソコンに聞く事も増えました。

「全ては心から始まる」(井深大)  

  行動を起こそうか、やめとこうか、あの人好きでない、
 全て心で決める事ですよね。

「一度本音を吐いてしまえば、人間案外に腹が据わる」(山本周五郎)

  心を開放する事に通じます。誤解されている事もあるし、
 でも余り調子に乗ると誤解を生む場合もある?
  あ~難しい。

「人間は努力する限り、迷うものである」(ゲーテ)

  そうなんだ何も考えない行わないと悩みも無いわけだ。
 迷って何ぼの人生の方が愉しいね。

「輝きとはその光によって他を照らすと言う意味がある。
家の中でお母さんは輝いている存在で、
子供はその光に包まれて育っていくのが良い。
女性がその心に愛を持つ時自ずから輝きを増す。
愛しい者のために暖かく光りたいと思う。
その光で包み込みたいと思う」(中山あい子)

  子を虐待する母親に聞かせたい。女性は太陽である。

「私達は見守る事しか出来ない。でも見て守る事だって出来る。
 皆で見つめていれば、人間、悪い事は出来ない。
 見守ると言う言葉は強い武器にもなるのです」(イーデス・ハンソン)

  ハンソンさんの大阪弁が聞こえる様です。
アムネスティ・インターナショナルの役職を退任し、
念願の「田舎暮らし」を和歌山県中辺路に居を構えている。
 NPO法人エファジャパンからベトナム・ラオス・カンボジアの
 3ヶ国で「アジア子供の家」を展開し子供達への教育活動を実行。

「恋は自分本位、愛は相手本位」(三輪明宏)

 似て非なるものですね。去年「黒蜥蜴」を見に行きましたが。
噂の通り若者が多かった。
 著作本「紫の履歴書」は若者のバイブルだとか。

どうして同じ人間なのに、このように人の心にひびく言葉が出てくるのでしょうね。  

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自転車

2006年07月30日 | 思い出話
          我家のシンゴジューウム
   去年の秋、ハイドロカルチャー用として育てたので
     春になっても大きくなれず土に植えかえた
       秋にはもっと大きくなると思う

昨日まさこさんは一日中自転車であちこちお出かけだったとか。まさこさんは私と一回り下の「猪」。私も12年前なら自転車で飛び回っていた。バスの様に時間に縛られる事が無いから愛用していた。ジムにも自転車で通っていた。今は歩くかバスであまり自転車に乗らない。

私達の年頃の町の子は自転車に乗れない人が案外いる。通学もバス、市電だし地方の子の様に自転車通学の子はまれだったと思う。今の子供たちの様に小さい時から自転車を買ってもらえる世の中ではなかった。

私が自転車の稽古始めたのは中学生時代だ。その頃「貸し自転車屋」があって流行っていた。放課後の時間を予約して近くの公園で稽古するのだ。自転車の乗り始めは一人では無理なので、どうして練習したのかと思い出してみた。まず抑えてもらわなければ跨る事さえ出来ない。次に後ろから押してもらう。そして私が知らない内に手を離してもらう人が必要なのだ。

同級生の男の子がしてくれたと記憶しているが、彼は野球部だったので、放課後私に付き合ってくれる時間があったかしら?と今思うが、初めて手を離してもらって乗れるようになった瞬間ははっきりと覚えているので、やっぱり彼だと思う。彼は当時の私の仲良しさんのボーイフレンドだった。

彼についての強い思い出は高校3年生の時お父さんを亡くされた事である。あの当時「大学検定」正式名は忘れたが、それを受けないと大学受験出来ないという時代、その試験の日とお父さんのお葬式が重なったのである。私達同級生は前日(通夜の夜だったと思う)彼の家に集まった時皆が心配したのは「検定」を受けるかどうかだった。葬式には出ないで「検定」を受ける事になったが、今思えば彼は辛かったろう。彼の希望通り、大学を出てお父さんと同じ新聞記者になった。

乗るのに抑えてもらうのは1週間も掛からなかったと思うが、それより後は一人でこけては起こしの繰り返しですいすいと行くようになり、少しはなれた場所に長~い坂道が私御気に入りだった。ある日その坂で見事に捨てんころりと転がった、足や顔に怪我をした。たいした傷ではなかったが母が「女の子が顔に怪我をするような事をするな」と貸し自転車代をくれなくなって、私の楽しみは中断された。だから自転車には乗れるが、かっこ良く片足で漕ぎながら跨る事は出来ない。静止して跨ってからしかこぎ出せない。今でもすいすいひょいと跨っていく人を見ると羨ましい。

息子達の自転車は勿論2歳の誕生祝いの三輪車に始まる。それがコマ付き二輪車になり今度は私が後ろを持って練習した。次はコマを外して乗ることである。これは自分自身で稽古していたが、次男の方が先に乗れるようになった。長男は・・・
早朝道端でなんだかバタンバタン何かが倒れる音がする。二階から覗いてみると長男が一人自転車の練習をしているのである。扱けては起き上がり扱けては起き上がり練習している。私は見てみぬ振りをしていた。弟に先を越されてよっぽど悔しかったのだろう。

二人が乗れるのを見ると私は「のりたい!」と思った。と言っても中学の時から二十年以上経っている、庭で練習して少し感覚を取り戻した。そうすると外で乗ってみたくなった。でも一人では心細くて乗れない。息子達に頼んで前と後ろについてサンドイッチにしてもらって練習した。「何でこんな細い道を通るのよ!」って文句を言いながらも何日か練習の後独り立ちできる日が来た。今も時々その細い道を通る時その頃を思い出す。細いと思ったその道は案外幅があるのにも気づいた。

この練習のお陰で姑が入院していた4ヶ月の病院通いは自転車で毎日す~いすいと通う事ができた。何でも習っておくものである。










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眩しい友達

2006年07月29日 | 今日この頃
        木立性ベコニア(ボブ・オリンク)
     このベコニアの蕾の頃の色がなんとも言えず好き
           今年はよく咲いた

今夕は「マリンバの音色と朗読の夕べ」にやすこさんとご一緒した。このコンサートは今年で19回目だそうです。私も聞きに行くのは4回目かしら。今回はきみこさんのマリンバとたかこさんの朗読のジョイント。やまびこコーラスのみなさんが花を添えられた。

やまびこコーラスの中から「XXさ~ん」と私を呼ぶ声、顔は覚えているが何処でご一緒だったのか?とんと忘れている。色々話す内「ジムでご一緒だったわね?」あちらは名前は覚えているが何処での知り合いだったかを考えていたらしい。そ~だジムで一緒だった。「このコーラスにはいらない?」早速誘われる。私も西宮で入っている事を話す。私達の後輩に友人がいるらしく11月発表会の事も知っていて聞きににきてくれるらしい。私も張り切って暗譜しなくっちゃ~。

まん前ではたかこさん語り難いかね~とか言いながら、中央まん前にやすこさんと二人で~んと腰掛けた。写真が撮りやすいと言う理由で・・・

きみこさんもたかこさんも一緒にお勉強していた時とは違う。なんといったら言いのかしら、それぞれの得意分野で私には眩しい存在だった。人に会う事は良いな~、何かしら刺激を受ける。今日はゆっくりお話しする間は無かったが、お互い元気で会えて嬉しかった。

お勉強仲間だったまさこさんと3人バス停まで来たが(まさこさんは自転車)バスは20分以上待たなければならないので歩いて帰って来た。今晩は友人達の活躍を見て愉しかった。

            X X X X X

やすこさんに聞いてみたのだが、読み終えた本に書いてあった事。

        秋の森の奇跡  林真理子

まだらボケの実母が「実の娘の前では気が張っているので、その時はしっかりしているが、お嫁さんの前では一気に崩れてしまう」本の中では娘の前ではしない粗相を嫁の前ではする。それを娘に話しても娘は嫁の悪意ある言葉としてしか受け取れない、自分の前ではしっかりしている母ゆえに。私は反対だと思っていた。娘の前では心が緩み、嫁の前では緊張するのだと思っていた。やすこさんは言った。「叱られるからでしょう」

夫には実母の相談はし難い、言っても冷たい答えが返るだけ。一人背負うその重荷から逃れたいと言う心の空きに「不倫」が忍び寄る。その相手の男性は自身も経験しているので相談に乗ってくれる人。その人の台詞「何だかだといっても40代って言うのは、まだ親に甘えて頼りにしている時代じゃないですか、それなのにある日突然魔法を掛けられたみたいにその親が別人になる。此方が頼られる、こんな辛い事無いですよ。そこに居るのは見たことも無い老人です。自分の生きている基盤がガラガラ崩れるような感じです」

一番困るのは糞尿の始末らしい。何十年前だったか有吉佐和子の「恍惚の人」でその事を知った時は心底驚いたのを思い出した。糞尿を畳や壁に擦り付ける等人間がする行為とは信じられなかった。何故人間でなくなるのか?どうしてそうなるのか?自分を生み育ててくれた人のその姿を見るのはつらいだろう。どんなにそうはなりたくないと思っても、用心が効く病ではないだけに如何仕様も無い。

人間死ぬまでの過程は何故そんなに辛いのだろう。ある程度以上長生きすると(90才以上か)眠るが如く逝く人が多いらしい。頑張ってそうなろうか?今夜はどうしてこんな暗い話になるのだろう。なるようになるさ。考えるの止~めた。










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昭和天皇のお言葉メモ

2006年07月28日 | 新聞から
             ナデシコ
     花の割には細い茎から可愛い花が付きます
      私、幼稚園年少組「ナデシコ」でした
          遠い昔の思い出です

ジムに行く道の「浜木綿」が一昨日まで蕾だったのが開いていた。「わ~咲いてる」よく見ようと傍に行くと女の人が出てきた。「綺麗に咲きましたね。蕾が膨らんできたので楽しみにしていました」と声を掛けた。それからが大変、花談義に話が弾んで、あの花このはなと話が尽きない。

小ぶりのシクラメンが一杯葉をつけている「シクラメンは葉の数だけ花が咲くそうですから楽しみですね」「冬しかさかないから・・・」と葉元を掻き分けた彼女が「アラ!蕾がある」手元を見ると無数に蕾が上がっている「もう少し日陰に移されたほうが良いのでは?葉が巻いていますね」「本当そうですね、夏でも咲くんだわ」と鉢の移動。此処でも良い花を家の前に出しておくと盗られるらしい。今度はこのシクラメンが咲くのを楽しみに歩いていこうと思った。

新聞の投書欄にこの件に関してのものが目に付くが、今日の投書は我が意を得たりであった。「天皇の責任を忘れ去れない」と和歌山の92歳の男性。

前略・・・そもそも靖国神社とはそれほど社会的意味を持つのか。国の為死んだというが、全国の空襲で死んだ市民も旧満州の野に果てた乳児も皆、国の為に死んだ。軍服を着た者だけが国のために戦ったわけではない。近代の戦争は総力戦だと国が言ったではないか・・・中略・・・私も軍服を着せられ、友を失った。しかし戦友は靖国に居ないと思っている。戦争に借り出されて殺された者が、殺したやつらと同じ屋根の下にいられるはずが無い。彼らは皆、故郷の自分の家の墓に戻っている。会いたければそこに詣でればよい。私は3人の戦友の墓に詣でる。天皇がA級戦犯を如何思おうと問題ではない。天皇自身の戦争責任を忘れ去るのはまだ早い。人間の道義に時効は無い。

全国の空襲で死んだ市民も・・・の件は何時も私の心の内にあったものだ。敵と直接戦ったわけではないが、受身では在るがその死は兵隊と同じであると考えている。いつか主人に問うた事がある「何故軍人だけが靖国神社に祭られるのか、空襲で死んだ人は何も無いのか」「軍人の死と一般人の死は違う」と言う。軍国主義バリバリの少年だった主人に問うたが間違いと、それ以後その件は口にはしなかった。この記事を読んだ時、「そうだそうだ」と思った。この記事の人は徴兵の赤紙で軍服を着た人に違いないと思った。職業軍人は自ずからの意志で戦地に赴くのであるから、靖国問題も又違った意見を持つに違いないと思う。

故郷の墓とあったが、田舎の方に行くと「忠臣XX少尉(死亡時の役職が入る)の墓」とか「忠臣慰霊塔」とかを眼にする事があった。「戦死」はその家、その村の名誉であるからこんなに馬鹿でかい塔が建てられたのだろうと思っていた。そうなれば魂は故郷に祭られている気もする。遺族の方も普段はわが墓で故人を偲ばれていて、分骨された場所の様な気持ちで靖国神社に参拝されるのではないだろうか。
遺族の人の投書がないのでお気持ちが解らないが、聞いてみたいものである。

戦争で親を亡くした子は浮浪児と呼ばれて、生きていく為に世間から爪弾きされることもしていた。終戦後3年経った昭和23年9月7日「浮浪児根絶緊急対策」が国会で決定された。浮浪児の定義:一定の住所が無く諸所を浮浪する児童は勿論の事就学義務があるのに学校に登校しないで諸所を浮浪する児童も含める」とある。
この子達はほっておかれた。3年も経って手に負えなくなって初めて目を向けられたのである。

戦災孤児(戦争で両親を亡くした子供)とは区別されている様だが、どの様な定義の基で分別なされたのか知らない。私達はその世代に属するわけで同期生にも寮で共同生活している人達が居た。もう何十年も経たない内に老いも若きも「戦争を知らない子供達」だけの時代になるだろう。日本は戦争放棄しているのだから「浮浪児」「戦災孤児」の言葉も死語になるだろう。いや、先の事でなく、この言葉の意味を知る人は今、既に希少価値かもしれない。




















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あの人は今

2006年07月27日 | 気にかかる
           ゼラニューム(八重)
      強い品種、でも一重のようには増えない

ジムのサウナで外を見ていた私の目に「???」妊婦さんのヌードが飛び込んできた。「随分大きいな~でもまだ下がっていないからこの夏を越して9月頃うまれるのかな~紀子様と同じくらいかな~」「私もあんなに大きなお腹を抱えて夏を乗り切った年があったんだな~。夏生まれは親不孝とは言うけどな~」色んな事を思い出しながら汗をかいていた。

風呂から上がって更衣室に入って「???」なんとその妊婦さんがドテ~ンと横たわっているではないか「まあまあこんな所に寝て・・・」「? 待てよ。横向いているとは言え、真っ裸で横たわるか?」私の頭も動き始めた。人間の頭って余りにも考え付かない事を見せられるとそのまま肯定しようとするものらしい。「気分が悪いのですか?」声を掛けた。「メヌエルです。」「メヌエルって、天井がぐるぐる廻るアレ?」「そう」意識は確りしている様だ。私の声に鏡の前に居た人が集まってきた。彼女はしっかり目を閉じて開けようとしない。目が廻って怖くてあけられないのだろう。

「受付に言いましょうか?」「そうして下さい」「それにしてもこのままではね・・・」「貴方のタオルは何処?」「ブルーの袋です」「タオルを出して掛けてあげて」何しろ他の人は身支度が出来ているが、私はバスタオルを巻いたままなので、口だけだ。「扇風機を掛ける?」「直接宛てるのは良くないし、解らない事は止めましょう」「それより水が欲しくないですか?」「飲みたい」「何方かコップを貰ってきてください」「頭の下にタオル敷く?」「いえ動かさないでくだい」「吐き気は?」「在ります」蚊の鳴くように小さい声ながらはっきりと答える。

受付の女の子が来る。「メヌエルである、水が飲みたい、吐き気がある」と伝える。「バスタオルも持ってきて」何しろ一寸太めの上に妊娠後期の身体、彼女のバスタオルだけでは覆えない。3枚のバスタオルでやっと包み込む事が出来た。やはり救急車を呼んだ方が良いと言う事になった。

私はまず自分が身支度しなければならない。受付から3人の女子職員が来たので、私達はお任せする事にした。私が服を着て、髪を乾かしていると救急車が着いたと連絡が来た。そうしている内にレッスンが終わった人やプールが終わった人が入って来た。女子職員が「救急隊員が入ってくるので、もう少し入るのを待って欲しい」と止めている。身支度を終えた私が帰る途中、男性職員と救急隊員の人たちが担架を持ってくるのとすれ違った。もう安心だ。

彼女はプールで歩いていたらしい。何故こんな大きなお腹でジムに?と思ったが、一寸太めなのでお医者様から少し運動するように言われたのだろうと想像した。

私が救急隊を呼ぶ場面に居合わせたのは3度目だ。一度は娘時代の料理教室で通路を挟んだ隣の席の子が試食中に椅子から落ちた。椅子から崩れ落ちようとする彼女を見た私は落としたスプーンを拾う為に身体が傾いたのかと思っていたら、床に落ちてから、口から泡をブクブクだした、癲癇(さまざまの原因で起こる慢性の脳疾患で、大脳神経細胞の過剰な放電から繰り返す発作。脳の中には微小な電気『脳波』が流れており、誰しもてんかん発作を起こす素質を持ち合わせている)だった。

二度目は「脳血栓の発作」の友人。そして今日である。私に取ってショックだったのはやはり「脳血栓の発作」だ。同じ「高血圧」の身としては人事に思えなかった。自分の体質を知ったからには、したいことも我慢する事も大切だし、必ずそれに変わる楽しみは見出せると思う。無理をせず、それなりの生活をしなければならないと強く感じた。自身の為でもあるし人様に迷惑を掛けない為でもある。

それにしても、彼女もお腹の赤ちゃんも大丈夫だったろうか?パパになる人も、ご家族もさぞ驚かれたろうな~



















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療養型病床群

2006年07月26日 | 新聞から
            シンゴジューム
           神戸空港で・・・
         目が覚めるような鮮やかさ

「療養型病床群」と言う入院システムがある。私には始めて見る言葉です。福岡の開業医の方の投書の中の言葉です。慢性の病気を持つ虚弱な老人、一人暮らしで買い物や食事の準備が出来ない、在宅では生活が困難な人を対象にする病床。

「医療制度改革関連法」の成立により実質これらの入院が廃止となり、大量の「介護難民」の発生が起こる。病院を出された人の受け皿の準備も無く社会的弱者を病院から追い出すのが「改革」かとお怒りです。

平成元年4月1日に竹下内閣が消費税3%を導入、平成9年橋本内閣が原稿5%に値上げをし現在に至る。その時の消費税使用目的は「福祉」の為だったと思うのですが、それがいつの間にか「赤字解消」の為に使われている。これが福祉の為に使われていたら、もっとすみやすい世の中になっていたのではないだろうか。

「療養型病床群」とは「病室や廊下を広くするなど、長期入院患者の居住性に配慮し、介護を中心とした病院。通常の病院よりも医師や看護師の数葉少ないが、介護職員はおおい。平成5年の医療法の改正により設置。

尼崎に「療養型病床群」型の病院は何処かと調べると、兵庫県下では神戸市は特別として、姫路市18病院に次ぐ13病院もあるのである。続いて西宮11、宝塚3、伊丹1、芦屋1。気にかかるのは「あの病院に入院すれば死ぬようなものだ」と巷の噂の病院が数件入っている事だ。普通病院としては駄目でも「療養型病床群」となればいいのかな。立花病院は全国ホスピス病院(10床)151番目の認可を受けている。こんなに近くにホスピスがあるとは夢にも思わなかった。


尼崎厚生会立花病院に会社の先輩が入院していた。彼女の息子と私が同世代であるから母親の世代だ。尼崎に住んでいたが息子が関東に勤務の為、一人暮らし出来なくなり入院した。年賀のやり取りだけで特別親しくもなかった。

電話で「病院では持ち込む物の制限があり、季節はずれの物は置く場所がないので預かって貰えないか」と言うのである。主人に話すと「そこまでする義理は無い」と言う。そうかも知れないが、頼まれると引き受けてしまう私は預かった。季節の変わり目に入るもの入らない物の差し替えに病院に行った。何年続けた事か。

食事前の時間に行った事がある、その時に異常とも言える光景は私の心に暗い影を落としている。食事を運び込む為か扉は一斉に開かれている。何気なく見た私の目に一部屋8人ぐらいの人が、ベッドを起こされて話すでもなく皆一様に虚ろな目で前方を見ている。私は見るに耐えなく小走りに知人の部屋に走りこんだ。幸いな事に彼女は自分の足で歩ける人だった。

立花病院が建て直しする為彼女は退院を迫られ、息子の住む関東に行く事になった。彼女の富松の家は息子が売って、関東に家を買った為帰る家が無かった。彼女は関東に行く時も行ってからも一度の頼りも無い。「去る時ぐらいはお礼を言ってもバチは当たるまい」と同じ職場だった友に愚痴を言った事もある。私の空しいボランティアの思い出です。

独り身ではなく家族がいても入っている人が居るだろう。今は子が親を看るという事の少なくなった時代。親も子供一家に気兼ねして看てもらうよりいっそ病院に入りたいと思っている時代。私達の世代が一番損な役回りだと言われている。親は看るが子には見てもらえない。親を看た人は優先的に(病院を希望した場合)入れると言うようなシステムが出来ないかしら、そうすれば親を看る人も多少は増えるのではないだろうか。












  




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ショッピング

2006年07月25日 | 今日この頃
             ミソハギ
        みわこさんから送られてきました
       この花の名を知ったのは、馬籠でした
     可愛いので、そこに居たおばさんに聞きました
      ここではお盆にお供えすると教えられた

今日は「第2回エステの日」で行ってきました。今日は「綺麗にお化粧がのっていますね」と褒められました。今日の美容師さんはこれ以上ゆっくり出来ないと言う位、丁寧に優しくなさいます。熱い位のスポンジで汚れを拭い、これまた熱い位の蒸しタオル、後今度は冷たい液体、お顔がモチモチしています「2.3日持ちますね」と私「お手入れさえしてくだされば、モット持ちますよ」粉の量、つけ方を教えてもらいました。今日はマスカラではなくアイシャドウでした。人それぞれに私の顔に対しての化粧法が違うんです。私は今日の方が気に入りました。自然だからです。

今日は息子から「ボーナスのおすそ分け」を貰って、先日「上着とパンツ」を買いましたので「インナーとファンデーション」を買うつもりです。8階のバーゲン会場で「ローズ系のTシャツ」を買い、いよいよ本命の「ファンデーション」売り場へ。

今日は自分のサイズを確かめる為なので、バーゲン商品には目もくれず「ワコール売り場」へまっしぐら・・・。正当な売り場に来たのは何十年ぶり、売り場は水着売り場かと見まがうようにファンデーションが上下セットで並んでいる。私は上だけでいいのでキョロキョロしていると店員さんが近づいてきた。

私は持参した品を取り出した「何時もお買い上げ有難うございます」そうなんですが、これを買ったのは10年ぐらい前で、よそ行きの時だけ大事に使っていたのです。「買った時は丁度良かったのですが、だんだん下に横にと伸びて、その上にカップから溢れてしまうんです」「一度お計りしましょうか?」「お願いします」
「お客様アンダーバストは75(実測は77㎝)で宜しいがカップはEだと思います」「エッ?Eカップ?」私は唖然とした。「一度持って参りますので、試着なさいますか?お色デザインはどの様なのがお好みですか?」「色はベージュか白、デザインはシンプルでなものを・・・」持ってきて実物を見てあまりの大きさに吃驚した、今までの倍ぐらいある「これじゃ中で泳ぎません?」「大丈夫です。これぐらいは必要です」

白、ピンク、ベージュ、パープル、デザインはそれぞれ違えてもって来られた。いよいよ試着室へ。生まれて初めての経験、「暫くしましたら又参りますので」私はあれこれ試してみる。白の形が胸にぴったりフィットする気がした。しかし背中の肉が布の上下でソーセイジ状態に盛り上がっている。その旨伝えると「少しお太りになりましか?」「少しではなく太りました」「そうですかお太りになるとお胸の方も共に大きくなります、実寸はアンダー77㎝ですので75㎝でも大丈夫なんですが、宜しければアンダー80㎝をおもちしますか?」持ってきていただいた。

これなら胸も背中もフィットするのでそれを買った。さすが本職、見事にサイズを言い当てた。本当は2枚買うつもりで来たのですが、10,000円に少々切れるだけのお値段に「サイズさえわかれば、今度ワコールのバーゲンで買えばいいわ」と1枚だけにした。これで「御すそ分け」も使い果たした。久し振りの散財である。

年を重ねて生きるという事はなんとお金の掛かる事よ。若い頃は考えもしなかった。「化けねばならず」「補正も必要」でもやっぱり「美への追求」は愉しいね。
無駄な努力かも知れないけど・・・












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税金

2006年07月24日 | 気にかかる
             孔雀サボテン
       今年は少なくて咲いたのはこれだけです
     諦めていたのに、今朝見つけて大喜び撮りました

住民税ね、ド~ンと上がりましたね。通知書を見たとき吃驚しましたよ。5倍なんです。5割り増しなんて可愛いものではないのです。去年までの総額より1回に支払う額が多いのです。それを5回払うわけですから、5倍なんですね。

丁度その通知書を受け取った日に「県会議員」の方の報告会があったのです。そこには白井尼崎市長もこられていました。男性の一人が、この住民税の件に触れて「これだけの増税を受けて尼崎市の財政はどの位豊かになるのか?」との質問でした。その人もやはり5倍になって驚いたといっていましたね。白井市長の御答えは「国が全てを仕切ってくるので、市にそのままの金額が入ってくる訳ではないので・・・」と言うお答えでした。どのような仕組みで県や市に分配されるのでしょうね。恥ずかしいけれど、本当に税金に対して無知なんです。先に税金を引かれたサラリーマンの妻だったからでしょうか?

サラリーマンの定率減税の廃止は年間400万以上の人が対象だそうですが、今のサラリーマンの年収平均が430万だそうですから、大方の人が対象になるそうです。

定率減税が全廃になって、法人税は低いまま据え置きだそうですね。自民党の言い分は「法人税は、国際社会との兼ね合いもあり、余り高くすると企業が外地に本社を移してしまって、税金が入らなくなる」って言うのですね。

私達はゼロ金利で、その結果銀行は好景気、これってどういう事なんでしょうね。

わが身はわが身で護るしかないのでしょうね。

消費税も上がるんですってね。私が始めてそれらしい物に出会ったのはハワイでしたね。州税とやらで値段に上乗せされて驚きましたね。しかし外国では生活必需品の消費税は安いやすいんですってね。ぜいたく品は高額の税率だそうです。日本もその様に考えていただけないでしょうか。

それだけではなくサラリーマンは残業代カット、「ホワイトカラーエグゼンプション」と言うハイカラな名前で、残業手当がなくなるんだそうです。その言い分が「手早く仕事のできる人は早く時間内に出来るのに、のそりのそりと仕事をして、時間内に仕事を終えず、残要して手当てを貰うという不公平をなくす」仕事が出来る人が手に取る給料が少なく、仕事の余り出来ない人が多い給料を取るという事らしいのですが、なんだかこじ付け見たい。

ガラス張りのサラリーマンから、取り易い所から取るような気がしますが。消費税は年間1,000万?以上無い店では取らないという事でしたが、どんなに小さな店でも必ず取りますよね。お店の方曰く「仕入れに消費税が掛かっているから」でもね、本当にちゃんと税金払ってくれています?私はどうもその辺が怪しいと思うのね。だから上げられるの嫌なんです。サラリーマンのように明朗会計なら払うのですが・・・。消費税が上がった時商売人は反対しませんでしたよね。どうもその辺があやしいな~。消費税値上げは商人の賃金値上げに匹敵する事の無い仕組み、徴収方法をきっちりしてから値上げしてくださいね。

商売人の人はお昼を食べても、お茶を飲んでも領収証を集めて必要経費で落としますね。接待費になるのですかね。世の中何事も公平には行かないと解って居るのですが、あまりに度が過ぎるとね~。この不満何処にぶつければ良いの。













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化粧のにおい

2006年07月23日 | 新聞から
             ささユリ
      葉が笹のはに似ている所から名づけられた
        なかたさんから送られてきました

二三日まえから我家でもセミが鳴きはじめました。まだ先発隊なので心細そうです。夕立の後、気温はかなり下がっているのでしょう窓からの風が冷たいです。
この冷気はセミに影響は無いのでしょうか。

先日「藤田嗣治展」に行った時、期日が迫っていた事もあって、かなりの入場者でした。「絵」を見るスピードも違いますので一緒に行っても中では夫婦別行動なんです。主人が人ごみから抜け出すように来て「化粧のにおいがすごくて気分が悪かった」言うのです。人ごみでは香水でなく化粧だけでも普通の状態と違い体温で温まったむっ~とするにおいは同姓でも嫌な時があります。

食事会の時の香水も困ります。隣に座ると何を食べてもまず香水のにおいに邪魔をされます。その方がアルコールでも召し上がると一層体温の上昇と共に香水がにおいます。処置なしです。気を付けていただきたいものです。

30代40代には私も香水をつけていました。シャネル№5の香水かオーデコロン(マリリンモンローの影響かな?)後にはマダム・ロシャスの香水かコロンです。
今はコットンに染み込ませて箪笥に入れる位です。現代はどんな香水が売れ筋なんでしょうか。興味のあるときは免税店で制限一杯買ったものですが、今は新製品の口紅か頬紅を2.3本買うぐらいです。

その頃は外出時にも小瓶を持ち歩いていました。映画を見に行った時のことです。化粧室で付けようとして、うっかり落としてしまい服に付いたのです。化粧室も盛大ににおいましたし、映画を見ている間も香水のにおいが広がって隣近所に迷惑ではないかと気兼ねしながらも、映画は終わりまでしっかり見て帰りました。必要以上の香水は傍迷惑だと言う事、大失敗の巻きです。

消費者団体の調査で「電車やバス車内の空気で乗客が不快と感じるのは人いきれやたばこのにおいより、消臭剤や化粧品、クリーニング剤などのにおいが多いと言う結果が出たようです。清潔ブームの昨今、綺麗好きなつもりが『汚染源』になっているようだ」と書いてありました。

私には強烈な経験があります。沿線に女子校・女子大のある通学電車に乗った時です。混んでいる粗方が、その女子大の制服を着ていました。私はなんだ「???」と感じてきたのです。初めは何のにおいか解りませんでしたが,はたと気づきました。月一度のお客様のにおいだったのです。何十人と乗っているのですから単純に計算しても4人に1人ぐらいはお接待中なんです。においも団体になるとすごいものだと感じました。

この頃の女性専用車でも色んな化粧品のミックスのにおいにタジタジになったことがあります。次の駅で車両を替わったぐらいです。それ以後なるべく女性専用者には乗らないようにしています。制汗消臭剤も無臭のものが出てから余りにおわなくなりましたが、昔は「制汗剤つけてます」って宣伝していると感じる事がありましたが、今はその様な事もなくなりました。

衣装のクリーニング剤・防虫剤のにおいも余り感じませんね、全てに「無臭」が出てきているからでしょうか。防虫剤は確かあのナフタリン(楠)のにおいが虫を寄せ付けないと言われていましたが、においを取ってしまっても虫は寄せ付けないのでしょうか?虫の好みも変わったのでしょうか?

「香水・整髪料・制汗剤・化粧品」が一位「衣料のクリーニング剤・防虫剤」が第二位で人によっては頭痛・疲労感・焦燥感・目の痛み・吐き気などの症状を引き起こす事もあるそうです。調査に当たった人は「清潔さや安全性を求めながら、自分が空気を汚す行動を取っている人が多い。化粧品や消臭剤が汚染源になると言う自覚が無い為ではないか」と指摘している。化けるのが目的の化粧品だから、無臭にしてくれても良いと思うのだけれど・・・



















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習いごと

2006年07月22日 | 新聞から
           フイリッピンのラン
     神戸空港のロビーに大きく活けられていました
       アップで見ると余り感じないのですが
   柳のように垂れていて花弁の黄緑がとても涼しげ
             夏にぴったり

今の若い人はどんな習い事をしているのだろうと思っていました。「ケイコとマナブ」が20歳から34歳までの働く女性を対象にしたもの(複数回答)が出ていた。この1年継続したもので①英語 ②スポーツクラブ ③「ヨガ・ピラティス」 ④家庭料理 ⑤ワード・エクセル ⑥お菓子 ⑦パン ⑧ピアノ ⑨書道 ⑩着付けの順に多いそうだ。男性は「楽器」で①ピアノ ②サックス ③ドラムがベスト3で、サックスの人気急上昇とか。年代は女性より遅く40代50代が中心だそうだ。

特に「着付け」が人気が出てきたと言う。花火大会に浴衣を着たお嬢さんを見かけるが、良い格好に着ている人は滅多にいない。悲しいな~と思っていた。私の場合母が毎日着ていたし、脱いだものはちゃんと畳んでいたので、習わなくても着れるし畳める。見て覚えた。今は着ないから親に教えてもらえない、どんどん習う人が増えて、せめて浴衣ぐらいかっこ良く来て欲しいな~。

私達の年代の習い事と言えば花嫁修業と言われるもので「お茶」「お花」「料理」「和裁」「洋裁」楽器と言えば「琴」「三味線」ぐらいでした。「英語」もあることはありましたがYMCAやYWCAですから「英会話」と言うより「学校の延長」でした。

私は「お花・お料理・和裁・洋裁」を習っていました。「お花」は結婚後も習っていましたが、好きと言うより週1回神戸の風に当たりたかったのだと思います。免許も貰いましたが今はもう活けられません。和裁も縫えませんし・・・。洋裁は4,5年前まで縫っていましたが、ミシンの針に糸を通すのに時間が掛かりだしてから、一寸した小物しか縫わなくなりました。

結婚後は「太極拳」「スポーツクラブ」「コーラス」「書道」「英語」位でしょうか。「英語」は本当に好きだったのかしら?と今では疑問です。好きと言うより「私英語習ってるのよ・・・」と言う優越感的な少々疚しい所があったような気もします。

この統計にも「英会話」を習う事に関して「海外でくらすならともかく、ちょこっと外国にいって、ホテルやレストランで挨拶程度の会話が通じても仕方が無いと思うけど」とAさんが言えばBさんが「そう硬い事を言わないで、英会話を学ぶ事自体がおしゃれなんだから」と答えている。この「おしゃれ」の意味する事と私の過っての気持ちと合い通じる所があるような気がする。

習い事は愉しい事が一番だと私は思う。それを自分のものにするのは教えられるだけでは駄目で自己努力しかない。先生は道を示してくださるだけで後は自分でコツコツの努力あるのみ。こうなればもう「習い事」とは言わない「お勉強」である。

いまだに「英語」に対する未練もある。時々英語関係のテレビを見る。一番良く見るのが「英語でしゃべらナイト」と言う番組です。ほとんど理解できないが、偶に解った時の嬉しさに惹かれている。今週の番組にはゲストとして世界の音楽をボサノバで演奏して世界を廻っていると言う小野リサさんと女優の清水美砂さんだった。

リサさんは世界の音楽をボサノバに直す時、美砂さんが英会話をものにしたのは「耳コピー」だと言うのです。私はこの言葉は始めて聞いたのですが、リサさん世界中の言葉が読めるわけではないので、耳から聞いて、聞いたままを字に書いて覚える。美砂さんは一日中英語を流しておいて、耳からの理解でしゃべれるようになったと言うのです。

私はこれからも英語関係のテレビを見続けるだろう。英語が好きだからか?英語をしゃべれる人への憧れか?如何でも良いけど、やっぱり離れられないわ・・・

好きだと言えないのは主人が英字新聞をを飽きもせず読んでいる。継続して読んでいる。こういう人が英語が好きな人と言うのだろうと思うので、私は「英語がすきだ」とは恥ずかしくて言えない。

























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