ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

吉原手引草

2008年03月31日 | 読みました
              スノーフレーク(鈴蘭水仙)
             この可愛い緑のポッチリが好き
                球根で良く増えます

一日中寒かった。桜は如何しているのかな? 寒さに身を縮めているのかな~。 大急ぎで買い物をして、大急ぎで帰ってきました。寒さにあわせて今晩は「鍋焼きうどん」にしました。もう秋まで食べられないと思っていましたのに、思いがけない寒さでもう一度チャンスが・・・。


           ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

         吉原手引草          松井今朝子

作者は元々は松竹で歌舞伎の企画、製作に関わっていた人。独立後は歌舞伎の脚色、演出、評論を手がけていた。平成9年に「東洲しゃらくさし」で小説家になる。その年「仲蔵狂乱」で時代小説大賞を受賞。平成19年に「吉原手引草」が直木賞を受賞した。

この本も随分待った。今も読みたい人が後を絶たない人気ぶり。まず女性作家で、時代物小説と言うのも珍しいと思います。

仕事が歌舞伎関係と言うことが関係していると思います。歌舞伎には良く花魁がでてきますし、その営みに興味をもたれたのも無理からぬ事です。

時代物の映画にも花魁は良く出てきました。花魁を主演にした映画「紺屋高尾」と言うのは良く覚えています。主演女優が誰だったかという事はすっかり忘れておりますが、紺屋職人の久蔵の吉原太夫への純愛物語なんですが、その映画主題歌も良く歌っていましたが、今日思い出して歌おうとしましたが、所々しか覚えていません。なんだか浪曲調の歌でした。

《嘘と真が渦巻く吉原で、全盛を誇る花魁葛城。栄華を極めた夜、葛城は忽然と姿を消した。一体、何がおこったのか?》と帯に書かれている。花魁葛城のミステリアスな結末を、花魁の身辺の十数人の語る言葉によって、謎解き語り明かしていく物語。

花魁の「・・・くんなまし」「・・・ありんす」とか言う廓言葉は出身地のなまりを解らないようにするためのものだったとは、この本で初めて知りましたし、禿(かむろ:通常ははげ、この字をどうしてこう読ませるのでしょうね)を初め花魁の世話をする人たちの掛かりは全て花魁持ちとは知りませんでした。花魁は相当の稼ぎ無いと置き屋さんに借金が嵩むわけが解りました。

この本には出ていませんでしたが、花魁が髪に飾っている鼈甲の笄(こうがい)江戸の吉原と上方の島原の花魁では笄の数、挿し方も違うそうですね。笄は高価で花魁の首から上は家一件分といわれていたそうです。

喜多川歌麿の花魁図は吉原の花魁だそうですから、鼈甲の櫛は8本だそうです。そうすると私の覚えでは上方の花魁のほうが多くの櫛を挿している事になります。

作家は書くに当って江戸時代の洒落本と称する文献をかなり読まれたそうです。それらは吉原に代表される遊里の風俗ルポやハウツー本と言った内容を備えていますが、書き手には十返舎一九など有名文化人も名を連ねているそうです。

間もなく(前期:4月5日~29日 後期:5月1日~25日)奈良の県立美術館でミネアポリス美術館秘蔵「浮世絵展」があります。海外に流出してしまっている浮世絵のお里帰りです。喜多川歌麿の花魁の絵も(但し後期らしい)含まれているようです。とても楽しみにしています。

その上に、その頃は奈良公園の桜も見頃かと、そしてまだその上に美味しい釜めしも食べられるかと三重の楽しみにワクワクしています。
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優しく今を教える「川柳」は良い

2008年03月30日 | 新聞から
              紫ダイコン (ジムの前庭)
              何ともいえないこの紫が好き

一日中音もなく降り続く雨。私も音もなく眠りをむさぼる。毎日の眠りのマイナスを埋めるが如く・・・。昼寝は短時間が良いと言うが、その通りらしく、寝ても寝ても寝たらなく眠い、そのうえにすっきりしない。眠り病に罹っている。

何時もなら他の方のブログを堪能してから「書きたい!よし、書こう!」と書き始めるのに、今日は何だかまだ眠い。如何した事かしら。寝すぎかな?・・・。


テーマ川柳ですが。月末ですので自由題

     (天) 親孝行 してほしい時 子が居ない

長寿になったのはいいが、子供も順次繰り下げと言うわけには行かない、逆縁の悲しみがあるかもしれない。私は言う「貴方に親孝行をしてもらった覚えは無いが、今ひとつそのチャンスは残されている。私はもう少し長生きしたいから、貴方も体に気をつけて、私を見送る事。其れが一番の親孝行」叶えて欲しい。

     (地) 救急車が たらいまわしで 霊柩車

本当に医者不足、心細い限りです。一口に医者といっても、救急医療センターのお医者さんの働きには頭が下がります。専門分野だけではなく、全てに浅からず知識を持たなくてはならないお医者さん。責任の重大さから考えれば、成り手が無いのではないかと心配です。大病院に搬送された時、一度でも見てもらったことのある人は、診療カードを持っているので入りやすいと聞いたのですが、主人は市内のあちこちの大病院に入院したり、検査に廻されたりでカードを持っています。しかし、私はカードを持っていませんから、一寸心配。

     (人) 指定席 なのにホームを 走る癖

何時もは指定席無しに乗車しているのに、盆、正月とかは指定を取ったのに、大勢の人が走る姿を見て思わず自分も走ってしまったのかな。習性と言うか、積み重ねの、考える前に動く身体の愛おしさ。

     大食いが 流行る日本の 平和ボケ

この頃食べ物を粗末にするテレビが多いですね。私は見ないつもりだが、チャンネル変更時に目にする事もある。大食い競争もその一つ、勝つ為にのみ、早く、沢山の食べ物を口に運ぶ。視聴率が良いとすれば、見るほうにも責任はある。
 
     血税を しっかり握って 天下り

日銀の福井さんどの位貰われました? いらぬお節介か? でも税金からではなかったっけ? 高給取りなのにインサイダーモドキでもっと儲けようとして、物議をかもしたこともあったっけ・・・。 今度は天下りは無いでしょうね。

     チルドレン 里親探しに 奔走す

本当にね。やってこられた地区の候補者は迷惑なこったね。何人の人が再就職できるのかしらね。

     シワの中 昔を探る 同窓会

何しろ同い年が集まるんですからね。見かけの違いはそのままずばりなんですよ。
「あの人随分シワ多いな~。手入れしてないな~」「年を考えて物言いいや~・・・」とか、にこやかに挨拶しながら心の中で思われているのかしら?

私? 余り考えない。考えていたら皆に会えない。見場より、人生の一時期を共有している人たちとの会話を楽しみたい。と言うより私の場合は聞いていたいかな。だから同期会又はクラス会には出きるだけ出て行く。
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国歌斉唱をせぬ卒業式

2008年03月29日 | 今日この頃
              さんしゅゆ (大井戸公園)
              小さい花でとても撮り難い
                やっと撮れました

「花冷え」?とに角冷たい風の吹く一日でした。ほんの少しだけ、鉢花の植え替えをしました。新しい土に植えてやると、なんだか葉っぱが生き生きとしてきたような気がします。大きい鉢から小さい鉢までまだまだ沢山植え替えなければなりません。頑張らなくっちゃ・・・。

夕飯は例の芦屋の焼き鳥を食べに行きました。釜めしは季節のもの「竹の子御飯」にしました。おいしかったけれど、今晩は又喉が乾くよ。

今日は他にお客様がなく、ご主人との「政治談義」に花が咲き、2時間ばかりを過ごしました。

その内の一つに「国歌斉唱」の話が出ました。門真(かどま)第三中学では卒業生170人の内、1人の男子生徒を除く全員が国歌斉唱時に起立せず、その多くが斉唱もしなかった。式に出席していた3年の担任、副担任11人の内9人も起立せず、斉唱もしなかった、と言うのです。

芦屋市でも5年ほど前までは酷かったそうです。「国歌斉唱」といってもピアノも弾かないそうで、子供さんたちも、教科書に「国歌」は載っているが習わなかったそうです。でも今は教育委員会と話し合って、随分ましになってきたそうです。ご主人は芦屋市会議員でもあるので、式典に立ち会われるようです。さて我尼崎はどうなっているのでしょうか?気になります。

日教組が「君が代が国歌であるとの記述がない」と「国歌」として歌う事を拒否しているのであるが、其れを一番初めに言い出した人は誰なんだろう?日教組に入っている教師にしても全部が全部「君が代を国歌ではない」とは思っていないだろう、心の中では同意していなくても「仕方が無いか・・・」と言う人も居るに違いないという話になった。

新聞記事に依れば「国歌斉唱」とアナウンスされたとたん、其れまで起立していた生徒は次々と座り始め、結果的には男子生徒1人だけが起立して斉唱したそうだ。

式の後、一部の保護者から事態を問題視する声がよせられ、学校側は市教委に報告し、公になった。私はこの記事を読んだ時も、何故それまで「君が代」を目の敵のようにするのか理解できなかった。唯1人起立して斉唱した男子は、いいとか悪いとかは別にして、素晴らしく意志の強い人だな~と思い、その様に育てたお母さんのお話が聞いてみたいよな気がした。

一部では「君が代の歌詞」に問題ありと言う事も聞いたような気がするが、私は素直に「歌詞も曲も」気に入っている。子供の頃は歌詞の意味も解らず歌っていた。
曲も覚え易いし、この歌自身に「国歌としての重々しさ」「品格」があり、「国歌」として最高であると思っている。

代替の歌を作ればと言う声もあると聞くが、「日の丸」と「君が代」はとてもいい組み合わせだと思っているから、今風の軽い物に変えて欲しくないと思っている。

歌詞も古今和歌集の
     
     わが君は ちよにやちよに さざれ石の  
              巌となりて 苔のむすまで

から採ったもので「いついつまでもの繁栄を祈る」と言う意味だと私は解釈している。間違っているだろうか? 故に「国歌」に相応しい歌詞だと思っている。

親子4人で「タイ旅行」に行かれたそうで、十数年前に行った私達の時代と「タイ」も随分変わったようで、この話でも盛り上がった楽しい晩御飯でした。

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「渡嘉敷島の集団自決」の思わぬ結論

2008年03月28日 | 一寸そこまで
               我家の水仙
           今年は良く咲きましたので
           お墓に持って行きましたが
         今は仏壇でも良い香を放っております

「沖縄集団自決 大阪地裁判決」の日。外出していた事でもあり、「原告勝訴」を信じていた私は夕刊を見て「えっ!」と驚いたというより、我目を疑いました。「原告側の請求を棄却した?」「(命令の)事実については合理的資料や根拠がある」?私は読み違えているに違いないと一字一字丁寧に読みました。読み間違いであって欲しいと言う思いは無残に消されました。

朝日新聞の夕刊一面は笑顔の大江健三郎さんで飾られていたそうですね。2年前に、もう朝日は読みたくないと、他紙に変えてよかったと、つくづく思いました。
自分達に不利な事は一切書かないという「沖縄タイムス」「琉球新報」の明日の朝刊はわが意を得たりと大きな字が躍っていることでしょう。

テレビで大江氏が「裁判官は《沖縄ノート》をしっかりよんでくれた」とか「個人ではなく軍隊・・・」とか早口で捲し立てていた。ノーベル賞作家であれば、事実を、既製記事を引用しただけで、自分の足で調べる事無く書いた記事が認められて、真実を知ってもらいたいと裁判を起こした人の言葉は一顧だにされないのか。

原告・梅沢さんの発言は《原告らの主張に沿う、照屋昇雄の発言は、その経歴等に照らし、採用出来ず》という。

照屋氏は「戦傷病者戦没者遺族等援護法に適用する為、軍による命令という事にして自分達で証言した」と言っている。聞き取り調査をする事を委託する照屋氏に対する琉球政府の委託証も存在する。けれど其れは信じられないという。

私は思った。この証言を得て、遺族年金を貰い続けている人は、まだ居ると思うのですが、この裁判を如何思っているのだろうか?私は知りたい。

しかし人間はウソをつき続けていると、其れがウソであるという事を忘れて、ウソを真実と思ってしまう事がある。戦後60年もウソを付き続けて、遺族年金を貰い続けていると、いまや「軍命令」という事が真実であったかのように思いこんでいるのだろうか。

又、深見敏正裁判長とはどんな経歴の持ち主なのだろうと考えてしまう。少し調べただけだが、数例でも、その裁判例は「原告の請求破棄」とある。この人はこんな癖のある人かもしれない。原告の言い分を論破して、請求破棄・・・と言う。

裁判と言うのはどのように裁判員の手に渡るのか知らないが、何らかの方法で順番なのでしょうね。原告、被告が裁判官を選べるわけではないでしょうから。そうすると嫌な癖のある人に当ったのが不運である。

原告側は控訴手続きをとったそうですが、今度こそ、「沖縄ノート」だけではなく曽野綾子さんの著書「沖縄戦・渡嘉敷島《集団自決》の真実 日本軍の住民自決命令は無かった」もお読みいただき、他人の著書から書き写したものが正しいのか、自分の足で証言を集めて書いたものが正しいのか(素人でもわかる事を)を正しく判断していただきたい。曽野さんが証言してくださるような事は無いだろうか?


この裁判でも数年掛かっている。梅沢さんの赤松さんもご高齢であるのが心配です。どうかお二人に喜びの判決が下される日が来る事を切に切に願っています。
                          (670回)
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たこ焼き色々

2008年03月27日 | 新聞から
               連 翹
          例年なら、春一番に咲くのに
       今年は他の花に先を越され今頃咲きました

足を延ばして、何時も電車に中から見る、沿線の桜並木に沿って歩いてみた。チラホラ咲きの樹はあったが、大方はまだ蕾のままだった。しかし桜並木は薄いピンクに色づいていた。

「“神戸たこ焼き”って知っとお?明石焼きとは違うねん」と言う記事を見つけて驚いた。「神戸たこ焼き」と言うのはおわんに入って出てきて、店の人が「ダシにしますか?ソースにしますか」って聞いて「ダシにします」と言えば、上からだしを掛けるんですって。

私は知りませんでしたよ。今の今まで。調べている内に「神戸・須磨やき」ってのも出てきました。明石焼き(明石のタコしか使わない)を少しグレードアップして、現代感覚にしたものだそうですが、そんなん見て、食べて解るんかいな。

私は「明石焼き」と「たこ焼き」しか知らない。「明石焼き」は朱塗りの足つき(少し手前が低くなっている)にのって、三つ葉を散らしたつけ汁と共に出てくる。お店で食べる。「たこ焼き」へぎに載せられてソースをぬり、その上に青海苔やカツオを掛けて、爪楊枝を刺して、渡される。持ち帰りが主。屋台で売られることも多い。

両方とも大好物だけれど、そういえば何年も食べていない。「たこ焼き」の方は今でも近くにお店があって買おうと思えばいつでも買える。でも一度買って好みの味と違ったので買わない。

もう数十年前、夕方から夜に掛けて、駅前で屋台で小母さんが「たこ焼き」を売っていた。その小母さんの「たこ焼き」の味が忘れられない。私が直接買うことは無かったが、主人が時々買って帰って来たのである。ヘギに載せた「たこ焼き」を水分を寄せ付けない薄い紙で覆い、その上は新聞紙で包んであったと思い。開けると「たこ焼き」の匂いが部屋中に広がる、そんな「たこ焼き」が好きだった。

大阪の心斎橋に有名なたこ焼きの屋台がある。時々前を通るので、一度は食べてみたいのだが、何時も若い人が並んでいるので、一寸気後れがして、まだ食べた事が無い。今度は勇気を出して買ってみようかな~。

「明石焼き」は神戸のお店で食べる。出し汁につけて食べるのだが、此方の方が、生地の卵が多くて、ふっくらと仕上がっている、高級品。でもあんまりぐずぐずしていると萎んでしまったような記憶が在るが、あまりに長い年月食べていないので忘れてしまった。今度、神戸に行った時食べて見よう。

この間処分したけれど、「たこ焼き器」は我家にも在った。子供が小学生の頃、土曜日には、良く「たこ焼き」をした。材料さえ揃えておけば、子供が喜んで、自分達で焼くので私は楽だった。勿論、生地の卵は「明石焼き」並みである。しかし、メリケン粉にタコが入っているだけと言うような、材料は家とは比べ物にならない「たこ焼き」でも、屋台の「たこやき」はなんだか美味しいのだな~。

「お好み焼き」も関東には無かったそうですが、「たこ焼き」も無いのだろうか?材料がシンプルだから誰の口にも合うと思うけれど、最初の一口が、好き嫌いを決めるかも知れない。初めに「美味しいたこ焼き」を食べてもらって、好きになってもらいたいわ。でも関西の食べ物と言っても、主に食べているのは、兵庫、大阪かしらね~。

「お好み焼き」をおかずに、ご飯を食べるけど(関東の人は驚くらしいが)、「たこ焼き」をおかずにご飯はたべないね。

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ボランティアって?

2008年03月26日 | ネットニュースから
               寒緋桜
         桜? こんなに下を向いている桜ある?
           調べました やはり桜でした
       早咲きの沖縄の桜といえば この花を指すそうです

桜を求めて歩く道を変えて見ました。ご近所の桜は5部咲き、でも他の場所の桜はまだ1分か2分でした。思いがけぬ所に花々が・・・。明日も又道を変えて歩いてみます。花々を求めて。

今日で「フラダンス」を習って一年になります。早いものですね。でも私は半分ぐらいしか出席していません。しかしだんだん難しくなってきます。でも楽しい。

今日気付きました、先生の髪の毛、一年前には腰までの長さでした。今日見ますとお尻のあたりまで延びていました。一年の歳月を示していました。

来週からは新しい番組が入ってきます。私達の時間帯にも2っばかり・・・。勿論二つとも挑戦してみますよ。やってみて、続けるかどうかは考えます。

今年初めて、野天風呂に入りました。目を瞑っていますと、石の間から流れ出てくる水の音に安らぎます。もう少しすれば、隣の公園に来る鳥の声が聞かれます。私は別に「お風呂大好き」では無かったのですが、「お風呂は極楽極楽」と言っている人の気持ちがだんだん解るような気がします。

ボランティアと言う言葉が満ち溢れている。ボランティアと言う言葉を引いてみると:自発的にある事業に参加する人。特に、社会事業活動に無報酬で参加する人。

昔は無報酬=ボランティアと言う感覚でしたが、今は安い報酬で物事を行う事のほうが多くなっているような気がします。私自身公民館等で「あみもの」のアドバイザー(先生とは、恥かしくていえない)をしていました時、ボランティアと言う言葉がついていました。交通費程度ですが謝礼を頂きました。役所と言うところは、どんなに小額でも銀行振り込みになるので、口座の無い私はわざわざ開きました。その頃から、ボランティアの大半は安いお金で働く奇特な人。と言う感じに変わってきました。

登山家の野口健さんが毎年エベレストで清掃活動をしておられます。あれこそボランティア活動と思っていたのですが。生活は講演とか本とかの収入で、清掃自体はボランティアだと思っているのですが。富士山の清掃活動も始めているようです。ゴミが多くて「世界遺産」に登録してもらえないそうですものね。

富士山に登った時頂上にはゴミが少しあったように記憶していますが、登山道にそんなゴミを見なかったと思うのです。何処にそんなにゴミが?その場所を見つけました。

この4月19日(土)にエベレスト・富士山同時清掃を行うそうなんです。エベレストの隊長は勿論野口健さん。富士山の隊長は女優の若村麻由美さん。清掃参加者は「野鳥の森公園(西湖)で昼食後2時間ほど清掃するというのです。去年「富士山を見る旅」をした時にこの公園に行きました。「青木ヶ原の樹海」の清掃だそうです。うっそうとした樹海を車で走りました。うっすらと凍っていましたので怖くて急いで通り抜けました。あそこにそんなにゴミがあったのでしょうか。一回の清掃に5トンのゴミが回収されるそうです。

エベレストでは6トンだそうです。ゴミを持ち帰る国はドイツ、デンマーク、ノルウエー、スイスなどの欧州の国々。一方ゴミを置いて帰るのは日本、中国、韓国、インド。ロシアだそうです。恥かしいね~。

コメント (3)
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川柳の発表の場

2008年03月25日 | 今日この頃
                アーモンドの花(白系)
                 小振りゆえ花数は多い

良いお天気で、洗濯物が気持ちよく乾く季節になりました。その代わり、これからは花の水遣りも欠かせません。

施餓鬼会の帰りに寄った、お隣にある近松公園はまだ花が少なかったです。水仙、さんしゅゆ、紅葉スモモ、明日アップする「寒緋桜」が満開でした。桜はまだまだ蕾の存在がやっとわかる程度でした。池の端の東屋では沢山の人が囲碁や将棋を楽しんでいました。春ですね~。

以前にも一度載せたのですが、近松公園の樹の幹に「川柳」がくくりつけてあります。今回も其れを写して来ました。どんな人たちの句なのかと思っていましたが、この度説明が付いていました。それに寄れば公民館活動の一環で「川柳友の会」の方々の作品でした。尼崎には公民館が沢山あり夫々が活動しています。此処で習えばお月謝も安いです。又大学もあるので老人大学の講座もあり、その気になれば何でも安くで習えます。

私は大学の方には行ったことがありますが、公民館の方は単発しか行ったことがありません。尼崎市報に依れば色んな講座があります。私は西宮迄通っていますが、唱歌だってコーラスだってあるのです。尼崎は公民館活動の盛んな市です。高齢者だけの集会所?もあります。そこでは年に一回全ての館が一堂に介して展示会や、発表会を行っています。展示は多いために、前期と後期に分かれて展示するほどです。

この「川柳の会」は公民館のようです。15句ありましたが、ここも2部に分かれて2週間毎の展示と書かれていました。月に一度このような形で発表の場があるという事は励みになるでしょうね。

     福は外 鬼は内なる 亭主かな

腹の立つときは思いますよね。年を取ると如何しても自分本位になりますから。
あちらだって「・・・鬼は内なる 女房かな」ってね。

     何時までも 若くていいね サザエさん

サザエさんだって、お母さんのフネさんだって、何時までも病気もせずに、元気でいるの、ほんに羨ましい!

     恋心 甘さ苦さも 知った過去

「恋心」知らない人ってありませんよね。淡いか濃いか、一度か、数度か。現在の私たちに、そんなことは感じられないかもしれない。でも在ったんですよね。「愛する喜びや苦しみに」身を置いた経験が・・・。

     年金者 値上げ続きで 冬ごもり

ほんとほんと。じ~っとしていても、生きているだけで値上げの波は押し寄せてくるんですね。春です。桜です。歩ける範囲でいいから「花見」で憂さを晴らしましょう!

     冷凍庫 開けて確かめ 原産地

我家の冷凍庫は兎も角として、スーパーの冷凍食品売り場に足は遠のいています。

     まだ元気 ときめきドラマ 見る余裕

そうですか。そんなところにも若さを計るものがありましたか。私は余りテレビでドラマを見ないので(NHKの朝ドラは別)考えても見ませんでしたが・・・。もしかしてこの句、お嫁さんが姑さんの長生きを皮肉ってる?
   
     見るたびに 美しくなる 隣の娘

隣の娘(こ)、この間まで子供だと思っていたのに、娘らしくなり、娘らしくなったな~と思っていたら、会うたびにハッとするほど美しくなる。姉妹を持つ友人に尋ねた事があります「女の子が娘になったな~と感じる瞬間ってあった?」「在ったわよ。体型が変わると同時に内面もかわるわ」と言う返事でした。息子だけの私には経験できなかった部分でした。


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アーモンドの花

2008年03月24日 | 一寸そこまで
              アーモンドの花(ピンク系)
            こんなに優しい顔をしているのに
             少々の風では散らないそうです

無料バスの切り替えが今日からだったので行きました。足を延ばして塚口のカレーやさんに立ち寄りました。此処にも値上げの波は押し寄せていましたし、今までサービス(無制限)だった「煮抜き卵」も出なくなっていました。家でもカレーに卵(生)を割り込む主人は「ものたらんな~、卵がほしいな~」といっていました。家ではカレーに卵は入れない私ですが、ここに来れば、カレーの中間に食べる卵は美味しいと思っていましたから、無料でなくてもいいから卵の煮抜き欲しいな~と思いました。でもカレーそのものは美味しく、肉が増えていたような気がします。

何時だったか、神戸の東洋ナッツ食品の「アーモンドフェスティバル」があることを知った。22日と23日がその日でした。花を見るだけなら24日から27日まで開放されています。「花」が目的だから、27日までの行ける日に行きたいと考えていました。問題が一つ、タクシーか歩くかどちらか方法が無い事でした。フェスティバルの日ですと、無料送迎バスがあるといいます。

もう一つ、お祭り好きの私とすれば、にぎやかな方がいいかな~、でも花をじっくり見るのはフェスティバル以外がいいかな~と迷っておりました。もし施餓鬼会が早く終わったら行こうかなと思っていました。「バラ寿司」を頂いて、寺を後にして、隣の近松公園を散策してバス停に来たのが1時前、これならいけると思ったので「深江のナッツ工場でアーモンドの花が咲いているらしい。見に行きたいんだけど、いく?」「いかへん」「私行ってくるわ」バスは一緒に乗って、主人はJR尼崎まで、私は阪神杭瀬まで乗って、阪神電車で「深江」まで行き、送迎バスで現場に到着。

沢山の人出でした。先着3000人様に配られる育ててみたかった「アーモンドの種」もありませんでした。苗木も完売。色んなものが完売でした。幾らでもある「ナッツ類」だけは豊富にありました。

餅つきをしているので行きました。ネットで「ピスタチオ(緑)とアーモンド(茶)のお餅を食べさせてくれるという事を知っていましたので並びました。一日3回搗いて一回に300名さま限定でした。私の後に3人並んだところで終了となりました。私は297番目という事です。「ピスタチオの御餅」が美味しかった。周りで食べている人もそのように言っていました。本当に美味しかったです。

無料のちっちゃなお餅を食べさせてもらって、ナッツ類の買い物を2000円ほど買いました。バス代無料、御餅ただ、でも買い物はした。「タダほどこわいものはない」を実感しました。

肝心の「アーモンドの花」ですが、真っ盛りで奇麗でしたよ。桜より少し大きい花でした。ピンク系のほうが白系より大きいのです。夢中でパシャパシャ撮りましたが、帰ってみましたら、気に入ったのは数枚でした。

勿論私は写真を撮ってから売店の方に行きましたよ。ほのかに匂うアーモンドの花の香より、炒りたての香ばしいアーモンドの方が強くて、其れが一寸残念でした。

お餅に並んだ後は、匂いに釣られてアーモンドを炒っているテントに行きました。一袋100円、皆さん食べながら歩いていたのはこれだなと、「冷めても美味しい」と言うので私も5袋も買いました。塩味が良く、炒りたては本当に美味しかったです。言われた通り冷めても美味しいですけど・・・。
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施餓鬼会

2008年03月23日 | 今日この頃
                 ベニバスモモ(近松公園)
            紅葉スモモと書けば直ぐ解りますね
            葉っぱが赤いからという事は一目瞭然           
今日はお寺さんの施餓鬼会に行ってきました。お店の墓花は緑、赤、黄、紫で白が入っていませんでしたので、今やっと咲き始めた白い水仙を組み合わせてみました。我家の水仙は例年は2月ごろ咲いていましたが、今年のようにお彼岸頃に咲いてくれると、お墓にお供えできて、ありがたいな~と思いました。  

施餓鬼会。お墓に塔婆をお供えするのですが、何となく「施餓鬼」と言う字が気になっていました。一寸調べてみました。

《 施餓鬼会(せがきえ):施餓鬼会の起こりは、お釈迦様の十阿難尊者(あなばそんじゃ)の体験に由来すると伝えられています。尊者がある夜瞑想していると、恐ろしい餓鬼(飢えて鬼のようになってしまった精霊)が現れ「お前の命は後3日だ。3日後には餓鬼の仲間に引き入れる」と告げました。尊者は早速お釈迦様に施しをする作法を授かり、食べ物を供え、ご真言を唱えて回向したところ、たいそう長生きしたというのです。このことから、施餓鬼会は春秋の彼岸やお盆と共に、大切な行事になりました。

私たちは、知らず知らずのうちに殺生をして毎日を過ごしています。それは、生き物の命をいただいて食事をすることで、私たちはつつがなく生きていくことができるということです。私たちはこのことに感謝し、供養をつくすこと、によって三界萬霊(さんがいばんれい:この世のあらゆる精霊)無縁仏への回向とし、また、この供養が巡って先祖に届くのです。》

なるほど、それで「施餓鬼」と言う不気味な言葉の意味がつかめました。今更何をと言う気もしますが、解ったつもりで解っていない事は沢山あるようです。 お寺さんで下記の言葉の書かれたチラシを頂きました。


     伏せた茶碗にゃ ご飯はつげぬ

     閉じた心じゃ 話にならぬ

     耳を塞がず 素直に聞けよ

     言われるうちが 花なんだ

     言われた言葉を かみしめて
     
     器の大きな 人になれ



 
          正しいことも 行わず

          幸せだけを ねがうなら

          其れは身勝手 得手勝手

          人には人の 道がある

          それが守れぬ ようならば

          天の助けも ありはせぬ

                       <地湧(じゆ)の声より>


如何でしょうか。とても解り易い言葉で、なるほど!と思う言葉ですね。凡人は解っているけれど、実行が難しいときもある。時々思い出しながら、これからは生きてゆこう。誰の為でもない。自分の為に・・・。
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Qちゃん如何するの?

2008年03月22日 | 新聞から
                   八重の花ボケ
             何時もなんと可哀想な名前だと思います
                 何故このような名に?

良いお天気でした。花壇の草引きをしました。あちこちの土から球根の芽が覗いていました。チュリップの球根も駄目かもしれないけど、土をかぶせてやりました。
花壇は割り箸の林になりました。

開会式に30分あるからと始めましたら、夢中になって、野球の事はすっかり忘れてしまいました。800人の合唱も宣誓も聞かずじまいです。我ながら物忘れにホトホト呆れております。

先日「若年性アルツハイマー」のテレビを見ておりました。旧友のみちこさんと重ね合わせてみてしまいました。みちこさんはどうしているのでしょうか。もうかれこれ10年ぐらい経つと思いますから、65歳前の発症を「若年性」と言うらしいので彼女もそのように呼ばれるのだと思います。

所謂「まだらボケ」の間は、クラス会にも出てきていました。駅までご主人が送って来られて、親友がそこまで迎えに行っていました。ご主人が「もう出られる状態ではありません」といわれてから、クラス会のあるたびに「どうしているかな~」と思いつつも、現状をお訊ねするのもはばかられています。

「私アルツハイマーやねん」と彼女から直接聞いた時は、特に如何と言うことも感じませんでした。今のようにテレビで報道される事もありませんでしたから、私としては「私高血圧やねん」と聞くのと同じ感覚だったと思います。確か息子ばかりだったと思うので、ご主人が全て面倒を見ておられるのだと思います。私の中には元気な頃のみちこさんだけがいます。人一倍元気で、行動的だった彼女が・・・。


スポーツジャーナリストの方が「Qちゃんの復活の為に」と言う事を書いておられました。私も同じ考えでした。

『・・・肉体は年齢と共に老いる。パフォーマンスを維持する為には、加齢を踏まえてのトレーニングが必要となる。だが一流選手になればなるほどこれまでの経験が邪魔をする。先の名古屋国際女子マラソンで失速した高橋尚子選手もそうではなかったのか。

レース後、昨年8月に左ひざ半月版を切除した事を告白した。「敗因?それだけではない」と喝破(誤った説を退け、正しい説を確信を持って言う事)したのが、かっての師匠・小出義雄氏である。「本当にヒザが完治していなかったら、練習で70キロも走れるわけが無いよ」・・・(中略)・・・小出氏は言った「選手と言うのは楽な方へ楽な方に、行こうとする、それに<待った>をかけ、心を鬼にして指導するのがプロのコーチなんだ」彼女も35歳。限界説も囁かれるが、もう一勝負するなら外国人でも日本人でも良い、プロのコーチを雇うべきだ。仲よしクラブでは勝てない』と言う。

彼女が「チームQ」を立ち上げた時、走る事については私は何も知らないが、そのチームにコーチが居なく、Qちゃん自身がその立場に立つのを「それでいいの?」と思った。自分の事は自分が一番知っているとは言え、客観的に見る目が無い事に不安を感じた。

この度の結果の後、言い訳に手術の事を言った。私は言うべきではないと思った。もう一度チャンスが欲しいと言うなら弁解すべきでもないと思った。

私も選手とコーチと言う一人二役には無理があると思う。マラソンのコーチと言うのは中々無いのかもしれないが、育ての親の小出監督の言われるように、失敗した同じ道を辿るより「勝つ為」には方向転換も必要じゃないかな~。



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