ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

「さくら」で帰宅 (9)

2014年05月30日 | ちっちゃな旅
    


      ↑ 車庫?にはいった新幹線     ↓  右側の黄色のラインが九州新幹線のレールの終点


バスでぐる~っと廻っても、まだ1時間時間が余りました。「観覧車に乗ろう!」
という主人、「ま~いいか」と私、1周15分ぐらいだというので、乗り込みました。
上の新幹線の写真は其のゴンドラから写したものです。あっという間に終わり
ました。息子から「着いた」のテルが入り、「中央駅の改札の前」で待ち合わせ
ました。

大きなリュックを背負った息子と合流、ロッカーに荷物を預けて、まず「ランチ」
にと、先日行った「そばや」に直行。大勢の人が並んでいました。



主人は「てんぷら板そば」、息子は「豚肉板そば」私は、先日、お隣の席の女の
方の食べていた「冷やしごまだれうどん」を注文しました。おいしかった! 
「関西のうどん」というよりは「名古屋のきしめん」という感じの麺でした。喉越し
もするすると本当においしかったです。

もう一度、この「冷やしごまだれうどん」を食べるだけに、はるばる「鹿児島タ
ウン」に行きたいくらい、気に入りました。

次に行ったのが駅前の「明石屋」「カルカン」の老舗です。買いものをすると、
セルフサービスで飲み物がいただけるので、男たちは「コーヒ」私は「お茶」
を頂きました。

ゆっくりしたために、バスに乗ることは出来ましたが、何処にも下車すること
が出来ずに、車中からの見学ということになりました。







「駅弁」を買って、いよいよ憧れの「さくら」に乗り込みました。最後尾に走って
いって写真を撮りました。

走り始めた「さくら」に早速失望。山又山をくりぬいた新幹線です、あっという間
に「トンネル」又「トンネル」です。幹線の7割は「トンネル」という感じです。
山陽新幹線も「トンネル」が多いと思いましたが、九州新幹線よりず~っとまし
ですよ。

「最後、最後」と事あるごとに呟いた「屋久島行き」から、無事帰宅しました。
私は4回目だったのですが、「4」は切が悪いから、「5」もある?

とうとう「縄文杉」も「白谷白雲峡」も実際に見ることは出来ませんでした。
息子の「アルバム」からですが、ご一緒に、どうぞ…。                   

                  お・ま・け   

    2014年5月16日(金)11時56分頃の「縄文杉」









   2014年5月17日13時20分頃 「白谷雲水峡」





  





「珍しい花があれば撮ってきて」とたのみました。「登るのに手一杯で、撮れな
かった」と、ただ1枚撮ってきてくれたのが、この「まむし草」又「蛇だ!」ご縁が
あるね~!



   

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鹿児島タウン (8)

2014年05月29日 | ちっちゃな旅


 





朝食の後ホテルを後にして、鹿児島中央から市電に乗り「天文館=鹿児島きっ
ての繁華街」に行きました。過ってなんどか訪れた「天文館」とは思えない、寂
れた本通りになっていました。路地に入れば、賑わいがあるのでしょうが、昼で
すし、前の訪問の私だって、昼の「天文館」しか知らないわけですから、「さびれ
たな~」という感じしか受けませんでした。

もっとも変わったと思ったのは「パチンコや」等の遊技場が増えたことでしょうか。
色んな本では、今も「繁華街」として紹介されていますが…。鹿児島に新幹線が
来て、鹿児島中央駅に隣接するビルに色んなお店が集まっていますから、客足
を取られたということだろうとお思います。

中央駅のお隣に、新しいビルが建設中でした。それは「東急ハンズ」が入ると聞
きましたから、商業ビルということになります。栄枯衰退は世の習いとは言うもの
の、これから鹿児島も「鹿児島タウン」の名にふさわしい町になっていくのでしょ
うか。

    



ホテルの部屋の窓から、大久保さんの像が見えていました。この像の隣の川で
も、主人はよく泳いだそうです。北の方向に、やはり、親戚の家がありました。
私も一度泊めていただいたことがあります。


息子が「トッピー」で鹿児島に着くのは昼過ぎです。それまで、どうしようかと
中央駅に帰ってきましたら、上の写真の可愛いバスが目に付きました。「あれに
乗って、市内一巡しよう」ということになり、乗りました。



運転手が色々と説明してくださいます。聞いていますと「西郷隆盛」の偉業がわ
かるような仕組みになっています。この度は車窓からの見学ですが、以前に訪
れたことがある場所ばかりですから、思い出しながら、懐かしく眺めていました。



ザビエル(初めて鹿児島に上陸した人)公園。

    

「西郷隆盛の像」

    

薩摩義士碑。



仙厳園(以前は磯庭園)という優しい名前だったのですが、何故こんな厳しい
名に変えたのか不思議です。のお隣にあった洋館。紡績にかんけいあったか
な? 仙厳園は私は鹿児島に来るたびに行っていましたが、息子は小学生の
頃だけなので、覚えていないだろうと、行くつもりでいましたが、結局時間がな
くて、行きませんでした。



ここは「城山」に登った時に行きましたが、戦いに敗れた「西郷さん」が切腹する
前、5日間潜んでおられたという場所です。以前はこんな大きな柵はなく、洞窟
の入り口に牢屋のような柵があったと思いましたし、前の道路がこんなに広く、
以前は1間あるかなし木々にかこまれていましたが、バスからも眺められること
はなかったので、ほんとに、じめじめした場所と記憶していましたが、違ってい
ました。



時間があるようなので、水族館前で、一度降りることにしました。

    


     ↑「タマカイ」獰猛で時には人も襲う          ↑  「かすみちょうちょううお」  
     ↓  「たつのおとしご」               ↓     「ヒゲハギ」






水族館の2階から見た「桜島」



「桜島」への連絡線。 時間により、便数に多少はありますが、24時間運行し
ています。





「イルカショー」を見るには、時間的に無理なので、諦めて、帰りかけますと、川
のほとりに人だかり、行って見ますと「イルカのお食事タイム」と言う事で、少し
だけジャンプするイルカを見ることが出来ました。 ラッキー!



石橋記念公園前。しないに3本の石橋があったそうですが、現存する石橋です。

ぐる~っとタウンを1周して中央駅に帰ってきたことになります。


                                 (2350回)










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霧島から隼人へ (7)

2014年05月28日 | ちっちゃな旅

              「きりしま躑躅」     霧島神宮     (14-5-17)


霧島で「きりしま躑躅」をみたいな~という希望はありましたが、時期が遅いか
な~という気もしていました。目に付く「つつじ」も普通ですし…、神社の木々の
清掃をしている女の人に聞いてみました。「『きりしま躑躅』はもう終わりました
か?」庭園を見渡した彼女が、「あそこに咲いているのが『きりしま躑躅』です」
と教えてくれました。なんとナンと、1本だけ私を待っていてくれたのです。最盛
期とはいえませんが、私は満足満足でした。







林田温泉の一番奥にあるホテルに泊まりました。部屋から、温泉までの距離が
遠かったのですが、「硫黄温泉」でとても気持ちの良い温泉でした。広い浴場
でしたが、野天風呂のほうが人気があって、皆さんそちらのほうに行かれて、
内風呂はパラパラの人影で、熱い湯のほうは、いつも貸しきり状態でした。







所々に温泉の源泉が湧き出していて、この滝は「温泉の滝」だそうです。
あ~もったいな~!











霧島神宮は長い階段の上にありました。前回、マイカーできたときは、自動車
道をとおって登ったからでしょうか、こんなに長~い階段の上にあるとは知り
ませんでした。



絵馬が2種類ありました。

    

御神木のようでした。



この地は、竜馬とおりょうの新婚の地だそうで、是が今の新婚旅行の始まりだ
そうです。





「君が代」の歌詞に読み込まれた「さざれ石」だそうです。



霧島神宮に寄進された人の名の中に「西郷さん」の名前を見つけました。


霧島神宮は、もう少しお参りする場所があると思って、時間を取っていたので
すが、時間が余ってしまって、仕方がないので、予定より、早めの電車に乗る
ことにして、山を下りました。



右側の入れ物なんだと思います? ゴミ箱なんですよ。 電車の中にゴミ箱が
あるのは、初めて見ましたよ。



2つ先の駅「隼人」で降りて、従兄弟の家に向かいました。この従兄弟夫婦と
長男と一緒に「屋久島」に行く予定でしたが、ご夫婦ともに直前に体調を崩し、
入院しドクターストップが掛かり行けなくなったのです。

従兄弟とは、小さいときから、一緒に、屋久島の祖父母の家に、共に行って、
遊んだ仲ですが、奥さんは鹿児島人なのに、屋久島に行ったことがなく、一
度行ってみたいといって楽しみにしておられたのに、従兄弟は、退院して、
元気でしたが、奥さんのほうは、まだ家には居られず、お会いすることは出
来ませんでした。隣に住む従姉妹は、会いにきてくれましたので、お話に花
が咲きました。

もう年ですから、何時病が襲ってくるかもしれない事を実感しました。是で、
主人の、「生きているうちに、もう一度従兄弟たちに会いたい」という希望
は叶えられました。

5時ごろに、息子さんに駅まで送っていただき、今夜の宿、鹿児島に向かい
ました。

 
 



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屋久島から鹿児島へ (6)

2014年05月27日 | ちっちゃな旅






5月15日(金)ホテルの屋上からの日の出です。雨の予報が当たらずで、お天
気になってよかったです。海の上に日の出を見て、振り返ると、山の上には
満月です。なんだか、不思議な気持ちでした。





今朝は息子は「縄文杉」に登るために4時にお迎えが来てホテルをたちました。
私たちは一足早く鹿児島に向かいます。車がないと、足の便が悪く、何処にも
行けないからです。



朝食を済ませて、「トッピー」の乗船までに時間があったので、町のほうに下り
てみました。



元屋敷のあった辺りまで行ってみました。家のすぐ前が砂浜で、よく泳いだそう
ですが、今は高い防波堤が築かれていました。今はガソリンスタンドと住まいに
なっています。







ホテルから15分もかからない船着場に行きますと、親戚の者が見送りに来てく
れていました。見送られるということは、何となく寂しいものですね。

「トッピー」は快調に進みます。1時間もすると、湾に入り、「桜島」が見えてきま
した。はじめは静かだったのが、突然、噴煙を上げ始めました。「桜島」は活火
山で、未だに活動を続けています。










下の2枚は息子が、18日に鹿児島への「トッピー」からの写真なのですが、桜
島の噴火の位置が、16日の私たちの時と違っているようです。下のは「潜水艦」
です。私たちも「潜水艦」は見たのですが、見とれているうちに写すのを忘れて
しまったので、写真をもらいました。鹿児島湾に「潜水艦」が居るなんて思いが
けないことでした。





鹿児島について、初めてしたことは、タクシーで郵便局まで直行して、荷物を送
ることでした。一番大きな箱を買って、部屋の隅を借りて、詰め込めるだけ詰め
込んで、送りました。



中央駅の隣のビルの地下に下りて、「おそばやさん」に入りました。店の外に行
列ができていたので、おいしいだろうと入ったのですが、ざる蕎麦(鹿児島では
「板そば」って云うらしい)「正解!」美味しかったです。ただ、量が多かったです。

お隣に座っている人に聞いてみました「ここは有名なお店ですか?」「そうだと
思いますよ」「美味しいのですが、量が多いですね」「どの品も量の少ないのも
ありますよ『小板』と言いますよ」なるほどメニューを見ると、値段に『小板』
と書かれているのがある。「食べておられるのは何でしょうか?」聞いてみた。
「冷やしゴマだれうどんです」とても美味しそうに見えたのです。

駅に戻り時刻表を見ると、10分後に特急があったのでそれに乗ることにしまし
た。






特急「きりしま」で「霧島神宮駅」に着きました。

 








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世界遺産・屋久島 (5)

2014年05月24日 | ちっちゃな旅

              ↑   「屋久鹿」        ↓   「屋久猿」


「ヤクスギランド」を後にしての帰り道、主人が「島を一周したい」と言い出しまし
た。一周するには、小さい島といえども、2時間から3時間かかると聞いていま
したから、明日「縄文杉」に登る息子が疲れるのではないかと心配したのですが、
結局主人に押し切られて、1周しました。

島の西側の道は山中が多かったように思います。写真の「屋久鹿」も「屋久猿」
も西の「永田の山中」で出会いました。「屋久猿」はなんども出会っていますが、
いつも、写真のように地べたに座り込んでいる「猿」しか見たことがありません
でしたが、このたび初めて逃げて、すばやく木に登る「猿」を見て嬉しかったで
す。
    







島の1番の集落「宮之浦」2番目の「安房」は東にありますし、後は7.800人ぐ
らいの集落だそうです。

人家が少なくて、お店がありません。やっと1軒小さな「おうどんやさん」を見つ
けて、入りました。向えに「植物園」があったので、入りましたが、時期が悪かっ
たのでしょう、大きな庭園に花は少なかったです。それでも始めてみる花もあり
楽しかったです。

この植物園は大きくて、「カート」を借りて移動しました。歩いていたら、随分時
間がかかったと思います。お客様の姿は見当たりませんでしたから、我家貸切
状態だったとお見ます。




               「メラレウカ アルテンル フチリア」


「この花が綺麗に咲いていますよ」と受付で言われました。遠めには白いツリー
というかんじで、そばに行って、初めて「不思議な花」と思いました。初めて見
た花でした。


                 「フェイジョア」


是も始めてみた花で、一番あちこちに咲いていました。花びらの白い部分は食
べられると教えられて、食べてみました。優しい甘さと感じました。


                 「アダン」


別名「タコノキ」とも云われ、食べられるようですが、パイナップルのような甘み
はないそうです。


                   「ロドキトン」


是もまた不思議な花だな~と思いました。中の花?が垂れ下がっているところ
は、「浮きつり木」に似ていないこともないのですが、花形はぜんぜん違います
から、初めて見た花です。


                   「ファッションフルーツ」
  



職員さんが、筆を盛んに動かしておられましたので、お聞きしますと、「人工的
に花粉をつけてやらないと、実はならない」そうで、ひとつひとつに受粉してお
られました。花は「時計草」にそっくりでした。

この「パッションフルーツ」は鹿児島の親戚から、一度送られてきたことがあるの
ですが、お味は好みに合いませんでした。実の中は小さな種が一杯という感じだ
ったと思います。

    

    

チケットの写真の滝が、公園の端に「滝見台」があるというので、登りました。


ここを出てからは、ただひたすら、走り続けて、宮之浦に戻り、昨日行く予定
でしたが、大雨で延ばしていた、親戚の家のご仏前に御参りに行きました。そ
してお墓にもお参りしました。いつも思うのですが、集団墓地だからかも知れ
ませんが、どのお墓も花立にはカラフルなお花が供えられています。いつも感
心します。そんなに皆さん信心深いのでしょうか? お寺も綺麗に建て直しさ
れていました。













夕食ですが、面白かったのは「飛魚のヒレの天ぷら」でした。軟らかくて、軽くて
パリパリと食べました。

夕食後、伯母の家にもお詣りに行きました。息子が一人住んでいるので、働い
ている、昼間に行けなかったからです。 伯母の死の知らせを受けても、遠い
ので参列できませんでした。それが心に引っかかっていましたが、これでやっ
と肩の荷が下りた気がしました。



上の「オオタニワタリ」は伯母の家からもって来ました。重い! ネットで調べる
と、この植物は「絶滅危惧IB類」だそうです。大切に育てようと思います。











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世界遺産・屋久島(3)

2014年05月22日 | ちっちゃな旅

     「シーサイドホテル・屋久島」            (14-5-14~14-5-16)


ここは2回目屋久島に来たときには「国民宿舎・屋久島」と言ったと思います、
宮之浦港からもっとも近いし、高台にあり、部屋の窓から真正面に海上に上る
「日の出」が見えました。「とても綺麗!」という印象で、3回目も、この宿を取ろ
うとしたのですが、満室でとれなくて、この度は早くに申し込みました。建て増し
をしたらしく、L字型に建物がなっていたために、残念ながら、部屋の窓からは
「海に上る朝日」が見えないので、宿を少し下った所にある小さな丘に登り、日
の出を待ちました。

其の丘には「屋久杉・ウイルソン杉」の模型が立っていました。随分大きいのに
驚きました。







今日も予報では「雨」と言うことでしたから、「日の出」は諦めていましたが、朝
起きてみると良いお天気で、大喜びでした。

すでに5.6人の人たちが登っておられました。皆さん、携帯であったり、タブレッ
トであったり、私のように小型カメラであったりと、異なった機種ですが、皆さん
黙々と撮っておられました。



















バイキングの朝食を済ませて、山に登るのですから、シッカリ食べておかなけ
れば、と思ったのですが、喜びと不安であまり食欲がありませんでした。「ヤク
スギランド」に向かいました。上り口まで車で1時間弱かかりましたかしら。登り
道は初めは上下一車線在ったのですが、末は一本道路になり、所々に、行きか
う為の少し広い所があるのですが、対向車が来るたびに少しヒヤヒヤしました。

連休には1000人の人出だったそうで、車も渋滞して登れなかったそうです。
それが予想できたので、私は連休を避けて来ました。





この休憩所から先は「トイレ」がありません。1人100円支払って、使いました。
ここの要り口で一人300円の入山料をはらい、いよいよ、「屋久杉の森」に足を
踏み入れます。





コースは4種類あります。30分(0.8K)、50分(1.2K)、80分(2K)、150分(3
K)です。はじめは50分コースに行きつもりでした。30分コースは道路が舗装
されているので、ちょっとものたりないかな~?と思ったのです。少しは自然の
登山道もあるきたいかな?と思ったのです。歩き始めると、息子が「80分ぐら
い歩いたら?」と言ったので、「そうね~」と変更しました。

2Kと言えば、いつも図書館に歩く道です。花のない時期なら20分ぐらいで図
書館です。でも平地と山道の違いでしょう、80分かかると書かれています。
実際は3時間かかりました。1回の20分ぐらいの休憩と、再々の森を眺める
ために足を止める時間がかかったからです。「つつじ河原コース」だったのです
が、残念ながらつつじの時期は終わっていて、花を見ることは出来ませんでした。

何時までも眺めていたい場所になんども出会いました。今では80分コースを
選んでよかったな~と言う思いと、またちょっぴり「150分コースを頑張れ
ばよかったな~」と言う後悔も頭を過ぎることもあります。

主人曰く「年も考えずに、よ~がんばったな~」と、主人の足は笑ったそうです。
90歳目前だものな~…。私は80歳寸前だから大丈夫でしたよ。






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世界遺産・屋久島 (2)

2014年05月21日 | ちっちゃな旅

     「オダクミツツジ」     屋久島環境文化村センター         (14-5-14)






    

お昼ごはんは、其のお店としか頭になかったので困ってしまいました。本を見
ても、夜のお店ばかりです。仕方がないですよね~、訪問者は、昼は何処かの
山に登っているのですから。そのために来てるのですから。ポツンポツンとお
店はあっても、閉まっているようでした。とうとう、泊まっているホテルのお隣の
「屋久島環境文化村センター」まできてしまいました。私たちが町に出る時、お
客様がおられたのを目にしていましたから、ここに決めました。





メニューに「飛魚丼」と言うのがありましたので、3人とも、それを食べることにし
ました。「マグロ丼」と同じで、醤油付けした飛魚がご飯の上にのっていました。
美味しいとはいえないのですが、何しろお腹が減っています、どうにか食べきり
ました。

窓からは「フェリー」が入港するのが見えました。大きなリュックを背負った人も、
パラパラと降りてきました。1時間もすれば、また人を乗せて、鹿児島に折り返し
ていくようです。私が始めて屋久島に来たときは「トッピー」はまだなくて、やはり
4時間かけてフェリーで来ましたが、船自体が、大きくなっていると感じました。船
賃は「トッピー」の半額程度ですから、学生さんは、是に乗るのだろうと思います。





このお店を選んでラッキーだったことがありました。主人が「屋久島の焼酎」に
ついてマスターに聞きますと、試飲させていただいた上に、売っているお店も教
えていただきました。

ここの酒屋さんというのは、それぞれ自社の銘柄だけを扱っているようでした。
「スーパーに色々の銘柄が在るが、値段は見比べなさいよ、500円程度の差
はありますよ」と教えていただき、安いスパーも教えていただきました。

そこで「屋久島でしか買えない焼酎」を6本カートンに入れて、自宅と次男に送
りました。次男は何時のころか「芋焼酎」が好きになったようです。是も、一種
のDNAでしょうか?

其の教えられたスパーは、綺麗なマンションの前にありました。マンションと思
ったのは間違いで、かの有名な「徳洲会病院」でした。もう十年程になるそうで
すが、ビックリしますよ、マンションかホテルと言っても間違いない外見でしたよ。





私も「お土産にするものはないか?」と聞きました。「バイトのつもりで、作って
売っていたクッキーがおいしくて、よく売れるので、あちこちで売らしてくれと言
う事で、今では小さな工場まで持ったクッキーがあります。屋久島ではアチコチ
で売っていますが、島内でしか買えません」其のお店は、ほんとに小さなお店で
した。其のお店は其のクッキーだけしか売っていません。教えてもらわなければ、
絶対わからないと思います。箱のデザインが可愛くて、気に入りました。

大箱の方は、永田浜という海亀の産卵地の写真です。8年前、孫を連れて「海
亀の孵化」を見に来ました。其の時小学生だった孫も、早、高校生です。

ついた日に「おみやげ」を買ってしまいました。

    

    

    

ここからが大変でした。ワイパーが利かないくらいのものすごい雨でした。でも
折角来たのだからと「屋久島自然館」と「屋久島世界遺産館」に行くことにした
のです。雨は降ったり止んだりしていました。







世界遺産館の中には「縄文杉の折れた枝」も展示されていました。「縄文杉は」
幹から、両手を広げたように太い枝が伸びていたようですが、其の片方が折れ
て、それが残されていました。









ほかにも「紀元杉」の折れ枝や、倒れた杉の木や、その木を切り出したのこぎり
などの展示や、屋久島を形成している岩石の見本やらがありました。









お隣の「世界遺産館」では屋久島が「世界遺産」に任命された「証」が正面に
掲げてありました。



一時止んでいた雨が、また降り出したので、ホテルに帰ることにしました。




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世界遺産・屋久島 (1)

2014年05月20日 | ちっちゃな旅

               「屋久島シャクナゲ」     (14-5-14)




5月14日(水)6時過ぎに家を出て、伊丹飛行場に向かいました。空港で朝食を食べました。




主人の「もう一度屋久島に行きたい」という希望でした。主人は祖父母が屋久島
に住んでいましたので、小さい頃、夏休みには、屋久島に行っていたようです。
だから思い出が一杯なんでしょう。私は屋久島は4回目、8年振りです。

今は伊丹空港から、屋久島空港まで2時間ほどで着きます。鹿児島港から、フェ
リーで4時間、「トッピー」水中翼船?に乗りますと、2時間ほどで着きますが、昔
は屋久島の海岸が遠浅で、船が横着けに出来なかったために、沖からは伝馬船
で島に向かったそうです。小さい船は凄く揺れて胸が悪くなって困ったそうです。
それを我慢すれば、従兄弟たちとの楽しい夏休みが待っていたので、我慢できた
のでしょうね。小さい子供は、船から砂浜に待つ人に、「ポ~イ」と投げ渡されたそ
うですよ。

私が始めて屋久島に行ったのは45年ほど前ですから、島に信号機がありません
でした。暫くして、伯母から「島に信号機が二つ付いたよ」とテルをもらいましたっけ。
都会生まれで都会育ちの私には、恐ろしいほどの満点の星空に、身が竦む思いで
した。「天の川」もくっきり見えるのですが、街灯がありませんから、自分の足元は
真っ暗です。一歩一歩摺り足で歩いた覚えがあります。

着いた「屋久島空港」は雨でした。屋久島は雨で有名ですが、私は3回とも、雨にあ
ったことがありませんでした。この度は雨でした。翌日も雨の予定でしたが、幸いな
ことに、着いた日だけ雨で、翌日からは大丈夫でした。

空港からホテルに直行して、荷物を預けて「レンタカー」を借りて、息子が「縄文杉」
に登るために「ガイド」をネット予約していたので、其の事務所に、確約を取りに行
きました。

事務所には、「屋久島の立体地図」や「登山のための必要食=チョコレート、羊羹な
ど甘いものが色々入っていた」などがありました。息子も一つ買ったようでした。







次に、楽しみにしていた昼食です。お店はすぐわかったのですが、11時半開店
と書いてあったのに、「暖簾」は出ていないし、「準備中」の札がかかっているの
ですが、人の気配がまったくありません。裏に廻ってみたのですが、声をかけて
も反応がありません。「準備中」とは夜のことなのでしょうか、折角楽しみにして
いたのに、出鼻をくじかれてしまいました。仕方がないので、店探しです。と言っ
ても、都会のようなわけには行きません。「宮之浦では食事に不自由はありませ
ん」と書いてあったのにな~。

 
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お伊勢まいり

2014年04月24日 | ちっちゃな旅

     「どうだんつつじ」   「内宮の庭」には沢山咲いていました   (14-4-23)

昨日は主人のリクエストで「お伊勢まいり」に日帰りで行ってきました。お天気も
暑からず寒からず、いいお天気でした。朝6時過ぎに家を出ました。鶴橋まで行
って、そこから近鉄特急に乗るつもりでした。特急に乗ると約2倍の料金になり
ますが、1時間以上早く着きますので、往復、特急を利用しました。


 
 

30年振りですが、「外宮」は初めてだと思います。近年、まず「外宮」からお参り
するべきという風潮が出てきて、参道のお店は、新しいお店ばかりでした。「伊勢
市」という駅名も珍しいのですが、「外宮」までは歩いて5分という所に在りました。

 

「外宮」までの参道の古い旅館。 車道に在った「マンホール」の蓋。

 

広~いアプローチを過ぎた、入り口に「警備の館」がありました。

 
 

「外宮」の手前に「「せんぐう館」(入場料300円)がありましたので入りました。
去年の式年遷宮(第62回)を記念して、遷宮に関する色々を見ることが出来ます。

昭和天皇は、20代で天皇に成られ、ご長寿だったので、「式年遷宮」に3度関わ
っておられます。


 

「外宮」に付いたのが、時間的に早かったので、初めは人影疎らでした「少ない
のも、さみしいものだね~」と言っておりましたが、時間がたつに連れて、大勢
の参拝者になり、今度は「平日やというのに、大勢やな~!」と口をつく言葉が
変わっていきました。

「外宮」から「内宮」まではバス(420円)を利用しました。そして、早朝に朝食を
食べ、歩き歩いたので、お腹も空いています、まず「おかげ横丁」で、腹ごしらえ
をしてから「内宮」へお参りすることにしました。

 
 

お昼は、伊勢名物「てこね寿司」を楽しみにしていました。本で調べた店に直行し
ました。元は旅館だったという其のお店は、お客様で一杯でした。

同席したご夫婦は岐阜から来られたそうで、今夜は鳥羽のホテルに泊まれるそ
うです。「尼崎」をご存じなくて、「甲子園の隣です」というとやっと「あ~ぁ」とわか
ってもらえました。

「てこね寿司」のお味は? 「名物に上手いもの無し」でしょうか? でもね、歩
き回って、お腹ペコペコでしたから、残さず食べましたけど…。



 

いよいよ「内宮」です。広々とした、お庭を通り抜けますと、杉木立に入ります。前
は土の道だったように思うのですが、今は少し道幅もひろげたかな?と思うほど、
道幅も広く、人の多さもあり、「そう厳さ」にかける感じもしました。

五十鈴川の御手洗場(みたらし)も区切ってしまっていて、昔のように砂利を歩い
て、手を洗うという風情はなくなり、階段が出来ていました。そのせいでしょうか、
川の流れが以上に速く感じ、漣が立っていました。自然に手を加えているので、
昔の「素朴」さを知って、「もう一度見たい、感じたい」と思っていた私には一寸、
残念な気がしました。

ただ嬉しいこともありましたよ。五十鈴川にかかる橋から見上げた木々の間に、
「日の丸」を見つけました。思いがけなかったので、とても嬉しかったです。


 
 

道中の所々には、歴史を物語る、大木が点在します。道端の大木は、人が触れ
る部分はツルツルになっていました。私もなんどか触りましたが、とても心が和
んで、喜びが湧き上がって来ました。





    

    

    

    

いよいよ「内宮」です。お社の前に行きますと、布が姿を隠していますが、風の
イタズラで、布が舞い上がった時に、ご門を見ることが出来ました。

横のほうから見ますと去年までの20年間のお社も垣間見ることが出来ました。
もうクレーン車も見えました。古いものと新しいもの、両方見れるのは今だけだ
そうで、瞬く間に壊されるそうです。

「式年遷宮」の翌年(今年)のお参りは「よりご利益」があるといわれますね。
本当は神社やお寺で、私事をお願いしてはいけないといわれていますね。でも、
やっぱり「全て、良いほうにとお導きください」とお祈りしてしまいましたよ。



「内宮」のお参りを済ませて、もう一度「おはらい横丁」に戻りました。「あかふく」
で「赤福」を食べて、一寸休憩して、とことお土産を買って、バスで「伊勢市」まで
戻りました。




また、特急で1時間40分。12時間の小さな旅は終わりました。

 

                                   (2330回)



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犬島から小豆島へ (2)

2011年12月02日 | ちっちゃな旅




     
   ↑  登ってきた「ケーブルカー」に乗ります   ↓  私の「ケーブルカー」の影が写っています 


8時半集合で、待っていたバスに乗り、9時には寒霞渓に到着です。頂上では
約1時間の自由時間がありました。「今年の紅葉は、あまり綺麗でない」と言
う運転手さんとガイドさんの話を聞いていましたから、残念ながら期待はして
いませんでした。

ここには「総工費1億円のトイレがあります」と言うので、入ってみましたが、
何処にそんな大金が掛かっているのか分かりませんでした。「広くて、明るい
普通のトイレ」でした。

1億円のトイレと言えば、確か姫路城にもあったように思います。あそこは、
横目で見ただけで、素通りしました。

やっとくることの出来た「寒霞渓」でしたが、あまり良い顔を見せてもらえな
かったようです。頂上までバスで来て、バスは一足先にケーブル下で待って
います。私達は下るケーブルに乗り込みました。

途中から、島育ちガイドの「ふるさと里山ツアー」と言って、日ごろ観光客の
行かないところを案内してくれるそうです。私は「寒霞渓」と言う字に目が貼
り付けで、その他のことは気にしていませんでしたが、1日「ふるさと里山コ
ース」のようでした。

島育ちガイドさんは元観光局勤務だったと言うだけあって、説明が的確でした。
このガイドさんが乗車してからは、すべての采配は任されます。




まずは「ヤマロク醤油」に行きました。小さなお店でしたが、昔ながらの杉樽
でつくって、1~2年寝かせてから出荷すると言います。その杉樽を見せてい
ただきました。たるにはカビ状のものが一杯付いていて、不潔なように思いま
したが、この菌こそが、味を作ると聞きました。今の大手の店は杉ダルではな
く、プラスチックの容器で菌を植え付けるので3ヶ月もすれば醤油が出来上が
るそうです。




時間に余裕があると言うので「「オリーブ公園」に立ち寄りました。私にすれ
ば、ご近所に、大きなオリーブの木がありますので、あまりうれしくありませ
んでしたが、ここから見る風景は素晴らしかったと思います。

すぐ近くで「茹でそうめんと弁当」で昼食でした。食べる前に、そうめんの延
ばし方の実演がありましたが、これも私にすれば、兵庫の地場産業「播磨のそ
うめん」で見たばかりですから…。







次が、思いがけない場所でした。島ガイドさんが言うには「小豆島霊場第72
番の奥の院です。100段以上の階段を登り、鎖場を登ります。その上に霊場
はあります。足腰の痛む方はお残りください」

参加希望者は14人ほどいたのですが、階段の下についたときに「登れない!」
と踵を返し、結局、登ったのはガイドさん2人を入れて9人でした。

苔むした、石を積み上げただけの階段は不安定でした。次の鎖場に行くまでの
道端に灯篭とお地蔵様がずら~っと並んでいました。鎖場は2箇所ありました。



鎖場の前方には洞窟があり、入り口がぽっかりあいていて、頭の上に鉦がぶら
下がっていました。一人ずつ、鉦を突き「不動明王さま」に着いた事を知らせ
て、穴に入ります。中は真っ暗でした。目が慣れてから、摺り足、岩を手探り
でしばらく進むと、本堂にでました。

お坊さんと共に「般若心経」を唱えた後、「数珠」について色々と教えていた
だきました。

登りにくい階段を登り、鎖場を登っていますと、私の心の中に「あれっ!もし
かしたら、私は又お遍路できるかも?」と言う何となくの自信がもくもくと沸
いてきたのには苦笑しました。しんどかったけれど、入ってよかったと思いま
した。帰りは鎖場は通りましたが、階段は私たちが下りるには危険すぎると感
じました。回り道のの自動車道を通りました。

    

本堂が繰りぬかれている山肌には沢山の仏様が彫られていたそうですが、風雪
にさらされて、消えてしまったものも多いそうです。今残っている仏様もアウ
トラインだけで、目鼻は消え、どうにか姿をとどめていると言うものが多かっ
たです。こんな険しい山肌に、どのように身を置いて掘られたのかと感心しま
した。



最終目的地は「農村歌舞伎の舞台」と「中山の千枚田」でした。中山の千枚田
には天皇皇后も来られたそうです。その時は、両陛下がお歩きやすいように、
階段をつけられたそうです。しかし今は穂も刈られていますから、あまり見ご
たえのあるものではありませんでした。



島育ちガイドさんとはここでお別れでした。フェリーに乗るために「土庄港」
に向かいました。駅前には「二十四の瞳」の像が建っていて、人だかりが出来
ていました。

    

バスに乗ったままフェリーに乗船し四国・高松港へ…。そこから「快速マリン
ライナー」に乗って岡山に、新幹線に乗って、新大阪に、我家に無事到着です。


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