アノマテカ
先週の27日(木)神戸に行きました。今年の秋、中学の同期会があり、わがク
ラスが当番に当たっているからです。集まったのは7名で、クラスは当時は56
名で6組でした。しかし、連絡の着く人は半数も無く、その上に亡くなる人も出
てきて、前回の同期会も40名足らずでした。
八重のベコニア
今日、お幸さんの事をクラスの皆さんに話そうと思っていました。ほかにも知ら
せなければと思う方は居るのですが、2年前彼女が最後に帰国した時に集ま
ったのが、クラス会だったからです。なんだか口にしたくなかったのです。言わ
なければ、いえ私が認めなければ、又会えるような気がしていたからです。
皆さんもショックだったようです。世間的に言えば、74歳と言えば若死にと言
うわけではない。死してさほど驚く年齢でもないのですが、何しろ、同い年の死
ほどショックを受けることはありません。
4月17日 お幸さんの長女(京都に住んでいる)から携帯にメールが入りまし
た。「母が倒れました。脳梗塞です。集中治療室に入っています。メキシコに立
ちます」次女、三女はメキシコに居て、ご主人が無くなってから、次女の近くの
マンション(マンションと言っても、日本と違い、メードの部屋付きだそうです)に
一人住んでいました。
その次女のまきチャンと話しているときに急に呂律が廻らなくなり、意識を失っ
たと言います。一人の時倒れたのではないので、適切な処置はすぐになされ
ただろうから、と私は安心していました。たとえ、飛行機に乗れなくとも、いつ
か私が会いに行けばいいわ、と考えていました。
「今年は春には高校の、秋には中学の同期会があるので、どちらかにあわせ
て日本に来ませんか」と知らせたのですが、その返事が来無いままに、彼女
はご主人の元に旅立ってしまいました。
5月3日 待っていたメールが来ました。 「母は亡くなりました。お手紙出した
いので、住所教えてください」私は折り返し住所を送りましたが、今まだ手紙は
受け取っておりません。きっとまだ書くのは辛いのだろうと思い待つことにして
います。だから詳しいことはまだ何も知らないで居ます。
ただ27日に皆さんにお話しするのに、せめて命日を知らせてもらおうとメール
を入れました。「4月22日です。早いものではや1ヶ月になります」メールを入
れたのが5月22日です。
身延山に行ったら「早く元気になって」とお祈りするつもりで居ました。それは
かないませんでした。お幸さんの宗旨も知りませんし、メキシコでは日本のよう
に、お葬式の後に色々なまつりごとは無いと聞いていましたので、どうしようか
と迷ったのですが、お坊さんに聞くと、宗旨は違ってもかまわない、貴女の心
の問題だからと言われましたので、身延山・仏殿での回向の塔婆をお願いする
ことにしました。
偶然ですが、身延山で回向した5月25日は日本流に言えば35日と言う限の
日に当たります。回向で彼女の名が読み上げられたのを聞いて、残された私
の心が少し軽くなった気がしました。
彼女とは思えば60年の付き合いと言うことになります。でも結婚して、すぐメ
キシコに行ってしまいましたから、会った回数は少ないです。でも、どんなに遠
く離れていても親友だと思っていました。すべてが私より優れた人でしたから尊
敬もしていましたし、こんなに早くあえなくなるとは思っても居ませんでした。
今生の別れになるかもしれないから、「別れの挨拶は丁寧に」と言う言葉が身に
しみます。2年前の最後は電話だったのですが、「又数年後には会えるわ」と思
っていましたから、何時もの通りあっさりしたものでした。
お幸さん! ご主人とゴルフを楽しんでいますか、それともカラオケですか?
1ヶ月も泊めて頂いて、メキシコを案内していただいた思い出を大切にしますね。
本当にありがとう! 貴女の友情に感謝します。
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