ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

逝ってしまったお幸さん

2010年05月31日 | 思い出話

                            アノマテカ

先週の27日(木)神戸に行きました。今年の秋、中学の同期会があり、わがク
ラスが当番に当たっているからです。集まったのは7名で、クラスは当時は56
名で6組でした。しかし、連絡の着く人は半数も無く、その上に亡くなる人も出
てきて、前回の同期会も40名足らずでした。


                          八重のベコニア

今日、お幸さんの事をクラスの皆さんに話そうと思っていました。ほかにも知ら
せなければと思う方は居るのですが、2年前彼女が最後に帰国した時に集ま
ったのが、クラス会だったからです。なんだか口にしたくなかったのです。言わ
なければ、いえ私が認めなければ、又会えるような気がしていたからです。

皆さんもショックだったようです。世間的に言えば、74歳と言えば若死にと言
うわけではない。死してさほど驚く年齢でもないのですが、何しろ、同い年の死
ほどショックを受けることはありません。

4月17日 お幸さんの長女(京都に住んでいる)から携帯にメールが入りまし
た。「母が倒れました。脳梗塞です。集中治療室に入っています。メキシコに立
ちます」次女、三女はメキシコに居て、ご主人が無くなってから、次女の近くの
マンション(マンションと言っても、日本と違い、メードの部屋付きだそうです)に
一人住んでいました。

その次女のまきチャンと話しているときに急に呂律が廻らなくなり、意識を失っ
たと言います。一人の時倒れたのではないので、適切な処置はすぐになされ
ただろうから、と私は安心していました。たとえ、飛行機に乗れなくとも、いつ
か私が会いに行けばいいわ、と考えていました。

「今年は春には高校の、秋には中学の同期会があるので、どちらかにあわせ
て日本に来ませんか」と知らせたのですが、その返事が来無いままに、彼女
はご主人の元に旅立ってしまいました。

5月3日 待っていたメールが来ました。 「母は亡くなりました。お手紙出した
いので、住所教えてください」私は折り返し住所を送りましたが、今まだ手紙は
受け取っておりません。きっとまだ書くのは辛いのだろうと思い待つことにして
います。だから詳しいことはまだ何も知らないで居ます。

ただ27日に皆さんにお話しするのに、せめて命日を知らせてもらおうとメール
を入れました。「4月22日です。早いものではや1ヶ月になります」メールを入
れたのが5月22日です。

身延山に行ったら「早く元気になって」とお祈りするつもりで居ました。それは
かないませんでした。お幸さんの宗旨も知りませんし、メキシコでは日本のよう
に、お葬式の後に色々なまつりごとは無いと聞いていましたので、どうしようか
と迷ったのですが、お坊さんに聞くと、宗旨は違ってもかまわない、貴女の心
の問題だからと言われましたので、身延山・仏殿での回向の塔婆をお願いする
ことにしました。

偶然ですが、身延山で回向した5月25日は日本流に言えば35日と言う限の
日に当たります。回向で彼女の名が読み上げられたのを聞いて、残された私
の心が少し軽くなった気がしました。

彼女とは思えば60年の付き合いと言うことになります。でも結婚して、すぐメ
キシコに行ってしまいましたから、会った回数は少ないです。でも、どんなに遠
く離れていても親友だと思っていました。すべてが私より優れた人でしたから尊
敬もしていましたし、こんなに早くあえなくなるとは思っても居ませんでした。

今生の別れになるかもしれないから、「別れの挨拶は丁寧に」と言う言葉が身に
しみます。2年前の最後は電話だったのですが、「又数年後には会えるわ」と思
っていましたから、何時もの通りあっさりしたものでした。

お幸さん! ご主人とゴルフを楽しんでいますか、それともカラオケですか?

1ヶ月も泊めて頂いて、メキシコを案内していただいた思い出を大切にしますね。 
本当にありがとう! 貴女の友情に感謝します。


                           カラー








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遍路  (103回)

2010年05月30日 | 思い出話
              平成15年11月18日(火)
                第88番札所 大窪寺




くだりになってから、修行僧のような感じの男子に抜かれました。しばらくする
と、その男子が又私の後から歩いてきました。私が怪訝そうな顔をしていた
からでしょう「奥の院に行ってきたのです」といいました。もう少し行くと大窪寺
の人声が耳に届くくらいのところに2坪ほどの空地がありました。そこへ先ほど
の男子が休んでいました。私達も一寸一休みすることにしました。

彼は「奥の院が荒れ果てている」と怒っていました。彼は何度も廻っているよ
うですが、初めての時は助光経由だったので山門から入ったそうです。山門が
目の前に現れた時は、感無量で涙がこぼれ、山門を見つめたまま30分ほど
足が前に進まなかったといっていました。2回目からはそのような感激は最早
無いと笑っていました。

「お腹がすいているのですが、お寺のそばにお店はありますか?」と聞きまし
た。「お寺の前のテレビによく出てくる八十八庵と言ううどん屋さんが美味し
い」と教えてくれました。彼と共にくだり、山門で写真を撮ってもらいました。





大窪寺について、初めて発した言葉が「あ~お腹すいた!何か食べてからお
参りするわ…」でした。

やり終えた感激より、朝の7時から何も食べていない空腹感の方が勝っていま
した。2時間もすれば夕食の時間ですので、おうどんだけを頼みました。あま
りにもおなかがすき過ぎていた為か、うどんの味が感じられず、ただ口に放り
込むという感じでした。



遍路最後の鐘、締めくくりの鐘をつきました。勿論、私もつきましたよ。







テレビ局の取材を受けた時、彼女達が言っていた「大窪寺の綺麗な紅葉」その
時期に結願しようと心に決めていましたが、晴天にも恵まれ実現いたしました。
写真写りが少し悪いのですが、門の向こうに。夕日に映えた紅色は、写真より
ず~っと綺麗でした。

このときやっと私の心に「終わったんだ!」と言う声が響いてきました。色んな
ことがありました。2年と言う歳月を費やしたこの遍路が、これからの私にどの
ようにかかわってくるのでしょうか…。

先達さんに引率された一団がやってきました。先達さんが「私が今から、お礼
の言葉と、報告をいたしますから、私が報告をしている間、皆さんは『南無大
師遍照金剛』を唱えてください。彼はお礼の言葉を述べ始め、皆さんは『南無
大師遍照金剛』を唱和し始めました。

その声を聞いている私の目に涙が浮かび始めました。そして私もしらずしらず
に皆さんと共に「南無大師遍照金剛」を唱えておりました。

私の声は嗚咽に変わり、静かに涙が流れ始めました。本当に最後なんだ、終
わってしまったんだ、無事歩き終えたんだ。此処までくるのに、どれだけの人
にお世話になっただろうか、あんな事もこんな事も在ったと…。優しくされた事
が、浮かんでは消え、浮かんでは消えていきました。












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遍路  (102回)

2010年05月29日 | 思い出話
               平成15年11月18日
                   女体山越え



             距離:13K  ながお路 …  女体山 … 大窪寺




いよいよ女体山です。頭の中は「岩場」「岩場」と反響しています。遍路道として
は緑の中なので、気持ちの良い道に属していました。しかし、何時現れるか分
からない「岩場」がそれらを味わう余裕を奪っています。「岩場」が道中のどのあ
たりにあるのか、書いてあるのを読んだことが無いからです。

「岩場」は突然と言う感じで私の目の前に現れました。青い空に届くかのように、
屏風のように立ちはだかっていました。昨夜、私は「岩場」では杖をどうすれば
いいのだろう(よじ登るのに、杖は邪魔)と考えていました。皆さんの手記を読
むと、「両手を使って、よじ登った」と書いてあったからです。リュックと体の間に
差し込もうか?リュックの上に縛り付けようか? どちらも一長一短ありそうだな
~…と考えている間に眠ってしまったっけ。 

    

実際には主人が私の杖も持ってくれました。私は自由になった両手を駆使し
て、岩のくぼみに手を掛けながら、足の安定するくぼみを探して身体を上に
運ぶことだけを考えていました。怖いとか、どのくらいの距離なのかとかを考
えては居ませんでした。何が何でも此処を登りきらなくてはと言う気持ちだけ
でした。時間を計っておこうと思っていましたのに、すっかり忘れておりました。
登ってきた岩場を一歩先にたどり着いた私が、上から写した(上の写真)の
ですが、あまり険しい感じが出ていませんが、岩の上に苔が付いているので、
雨の日は危ないと言うことが分かりました。「岩場」は上り最後の難関だった
のです。



のぼりっきた頂上の左手にこの(上の)突き出た岩があるのですが、予定とし
ては、その先まで行って谷底を撮るつもりでした。でもその力が私には残って
いませんでした。「岩場」のことが気になって、朝食も何時もの半分しかのど
を通りませんでしたし、それ以後何も食べていない、水だけだったのです。

「岩場」を登りきったとたんに私のおなかが盛大になり始めました。気分的には
まだ空腹感は感じていなかったのですが、空になった「胃」や「腸」は自分達も
働きたいと主張しているようです。「もう少し辛抱してよ!」と、わが胃腸に言い
聞かせながら、安心した私は盛んに主張し続ける胃腸の叫びに笑い続けまし
た。

登りきれば、今度はくだりだけです。下って下って結願寺…、第88番 大窪
の裏山から入ることになります。「女体山」を越えて入りますと、立派な仁
王門の前で「やっと来た!」と言う感慨は味わえないわけです。スルッと、お
寺の中央に入ってしまうわけです。



   

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身延山・久遠寺 (3)

2010年05月28日 | ちっちゃな旅

                  朝勤に参列した記念にいただきました

朝勤を済ませて、8時に宿に帰り朝食をいただきました。4時起床からお茶一
杯飲んだだけですから、とても美味しくいただきました。



今日は帰路につくだけです。トイレ休憩をゆっくり取りながら1時ごろに昼食を
取る「葛城・北の丸」に着きました。まあまあ、ここがお食事所?と信じられな
いような大きさでした。しかし此処に来るのは交通機関が一寸不便な所のよう
でした。だからこそ、広大な土地があると言えるのかも知れません。

久しぶりに美味しくいただきました。主料理の「鰆柏蒸し」「牛繊肉網焼き」が
特に美味しかったです。食いしん坊の私ですから、美味しいお料理にニコニコ
でした。この世の美味しいお料理を食べる回数もわずかになりつつあります、
1食でも口に合うものをいただきたいです。





      静岡県・袋井 「葛城・北の丸」都会では考えられない びっくりするような広さです
    





                            前菜

                            お刺身

                          汁物(ポタージュ)


                  主料理二品   ↑ 魚      ↓  肉



               桜海老・たけのこ煮込みご飯 吸い物 香の物


                    甘味・北の丸冷菓  珈琲

美味しいお料理を、テーブルでの会話と共にゆっくりといただきましたので、1時
間半の予定は食べるだけで費やされてしまいました。

売店をゆっくり見たいと思っていましたのに時間がありませんでした。これも団
体の悲しさでしょうか。

夕方に掛かりましたのに、渋滞に巻き込まれることも無く、予定の時間ぴったり
に尼崎に帰ってきました。ガイドさんも「とても珍しいことです。皆様が時間を守
ってくださったからだと思います」と言われました。「模範的なお客様」とほめら
れた、私達は無事帰宅いたしました。
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身延山 久遠寺 (2)

2010年05月27日 | ちっちゃな旅

   2009年に再建された5重の塔    ↓  赤い塔と霧の晴れるさまを撮ったつもりですが…
    


あさの4時半モーニングコールが掛かりましたが、私達はすでに起きておりま
した。ここは女は女同部屋ですから、主人とは別行動です。

宿の車は3回に分かれて山上まで運んでくれました。仏殿での回向を申し込
みました。


   祖師堂・日蓮聖人をお祀りするお堂 入り口には祖師の御魂が棲んでおられるという意味の
               「棲神閣」と書かれた扁額が掲げられています

    



  本堂・下陣(私たち参加者が座る場所)の天井画は加山又造画伯の畢生の力作の「墨龍」です
              私は首が痛くなるぐらい 見上げて見つめておりました 





                 朝の5時です 朝勤めに向かわれるお坊様達   
   黄色の袈裟は中学から高校の年代の修行僧です  先輩僧侶の前後に分かれていました


「南無妙法蓮華経」を唱えながら、本堂に向かいます。 本堂での読経は太鼓、
鉦に導かれて朗々と読まれます。大太鼓の音は五臓六腑に滲み渡る物でした。
仏教神の浅い私といえども、感じることが多々ありました。

仏殿に渡り、先祖供養をしていただきました。ここは撮影禁止でなかったので、
「証拠写真」と言いながら、供えられている自分のお願いした「塔婆」をパチ
リと写しておきました。



              ↑  御廟所への階段    ↓  日蓮聖人の廟墓
    

朝勤参列の後、今度は日蓮上人のご廟所(お墓)ご草庵跡を拝見しました。




     ↑  御草庵跡(正面)  ↓  御廟所の前から見下ろしたところ


    
        総門まで石段 数百段を二人で降りました 後に続く人はありません

             無事に降りきりました 所要時間は7分でした

ほかの方は、足が悪い、ひざが悪いと敬遠されて、2人で降りました。これが登り
となれば一寸辛いかも知れませんね。1段の高さが普通より高いのです。雨上
がりの石段です、滑るなよ!と自分に言い聞かせながら、一歩一歩下りました。

今朝は薄紙をはぐように霧が晴れ、良いお天気になりました。晴れ女、面目躍
如と言うことです。



             降りきったところにある「総門」 大きさに圧倒されました


                  ↑  めずらしい「石のぎぼし」     
     ↓ この「灯篭」優しいと感じませんか? こんな優しい灯篭は初めて見ました

    
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身延山 久遠寺

2010年05月26日 | ちっちゃな旅
我が家は日蓮宗で、広済寺(近松門左衛門の墓所)の檀家です。毎年春に
お寺では日蓮宗のお寺に行くバス旅行?を持っておりますが、私たちが参加
したのは去年の京都3ヶ寺が初めてでした。今年は日蓮宗の本山、身延山・
久遠寺でした。「生きている間に一度ぐらいは本山に登らないと」と話していた
のですが(姑は2度ばかり参加しております)、とうとう今日まで実行に移せま
せんでした。今年のバス旅行が「身延山」とお知らせが入ったとき、この機会
を逃したらいけなくなるかも知れないと思い申し込みました。

だんだん檀家さんの高齢化が進み、今年の参加者は23人とこじんまりとした
集いでした。私たちも参加してみてわかったのですが、8時半にお寺を出発し
て、往きは1ヵ寺寄り道をしたとはいえ、夕方の5時に宿に着くまで、バスに乗
りっぱなしと言うのは身体が痛いです。勿論老人ばかりですから、2時間に一
度はトイレ休憩を入れてくださいますが。

私は金曜日(21日)の夕方から、のどが痛くなり、熱っぽくなって、風邪の症状
が出て、翌日22日お医者さんに薬を貰いにいき、22.23日は寝ておりました。
ですから24日当日も、まだすっきりしないままに、出かけましたが、ありがたい
ことにだんだん状態は良くなりました。

浜松で昼食をとり、静岡市にある龍華寺に立ち寄りました。このお寺は大きなお
寺でしたが、雨が降っていたこともあり、お庭は歩きませんでした。





高山樗牛のお墓があり、会館もあります。私は見られると楽しみにしていたの
ですが、そこが団体の悲しさ、時間も無く素通りでした。高山樗牛は日蓮上人
の崇拝者であり(どうも高山家は日蓮宗ではないようだが、そんなことはかまわ
ない)富士山が見える、この地に埋葬してくれと言う遺言であったらしいのです。







2枚目の写真「サボテン」は推定300年ぐらいで根元はすでに木化していま
す。下の3・4の写真の「ソテツ」と共に上海の龍華寺から移植したものと伝
えられています。

ソテツの雄株はわが国最古最大で樹齢推定1100年、雌株は800年と推定
され、大サボテンと共に国から天然記念物の指定を受けているそうです。








本堂は立派と言うか、極色彩の襖絵、天井画(300人に寄進者名入り)祭壇
の金ぴかといい、目を見張るものですが、それがいやみではないのがお寺と
言う場所だからでしょうか。極彩色の絵も、何となく、天国ってこういうものかし
らと、思ってしまうのです。



この天井画、変わっていますね。鬼がサッカーボールを蹴っています。静岡・
清水エスパルスのファンの方の寄進でしょうか…。

今日は残念ながら、一日中雨でした。バスの中ですごしていたので、あまり気
にはなりませんでしたが、住職さんが「雨男」だそうで、「晴れ女」を自認する私
の力負けでした。天気予報の予測では明日も雨と言うことですが、「明日は今
日の負けを返すぞ!」と心ひそかに思っておりました。













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高峰秀子の流儀

2010年05月21日 | 読みました

           今日は我が家の「ばら」です  良い香りがするんですよ



             高峰秀子の流儀     斉藤明美

私は高峰秀子さんの随筆が好きで、何冊か読んでいるものですから、又、こ
の本の表紙が、和服姿の高峰さんですし、てっきり、新しい随筆だと思って
いました。

この頃消息を聞かないし「どうしておられるのかな?」と思って居ましたから喜
んで借りました。

ところが違って、もう家に人を招くこともない、高峰さんご夫妻を「とーちゃん」
「かーちゃん」と呼んで、ただ一人出入りを許されている、斉藤さんと言う方の
書かれたものでした。

勿論、斉藤さんの本を読むのは初めてです。これは婦人画報に2007年1月
から2008年12月までの2年間連載されていたものですから、一寸同じ事
実がくどいくらい繰り返されて書かれているのが、少々うんざりでしたけれど
も、楽しませていただきました。

斉藤さんは津田塾を出て、高校の先生、テレビ構成作家、「週間 文春」の記
者を20年務め2006年フリーとなる。1999年には初の小説「青々と」で第
10回日本海文学大賞奨励賞受賞された方だそうです。

高峰秀子さん(もう一人、高峰三枝子さんと言うスターが居られましたので、秀
子さんは、デコチャンの愛称で呼ばれていました)を知っている方も少なくなっ
たと思います。デコちゃんは子役からず~っとスターだった人です。

日本で始めてのカラー映画もデコちゃん主演でした。カラー映画と言っても、今
のカラーのように綺麗な色ではありません、フイルムに色をつけた?と言う感じ
でしたし、カラー映画とは言いません。「天然色映画」と言っていましたよ。                 

「動じない」「求めない」「期待しない」「振り返らない」「迷わない」「甘えない」
「変わらない」「怠らない」「媚びない」「驕らない」「こだわらない」。これはデコ
ちゃんの性格と言いますか、生き方だそうです。この言葉を1章として、文は綴
られています。「高峰秀子」論的な本でした。

デコちゃんは画面で見たり談話を読んだりした感じでは、さっぱりした人、そっ
けない人と言う感じでした。会社の近くの神戸・海岸通の建物でロケがあって生
デコちゃんを見に行った覚えがありますね、今でもその古い建物はあります。そ
ばを通るたびにデコちゃんも若かったけれど、私も若かった。ピンヒールで颯爽
と?闊歩していた、懐かしい思い出の町、青春時代を思い出します。

文章の中に、デコチャンの言葉だと言う『人は生きたように老いるのだ。つまり、
人は老齢になってから突然、自制の箍(たが=分解しないように閉めている輪 
桶の箍など)が外れるのではなく、又年を取ったからと言って急に立派になる
ものでもない』と言う言葉があり、本当にそうだ、本性が現れるんだろうな~と、
何だか怖い~と思いました。

又、高峰さんの言葉『私は考えても仕方の無いことは考えない。自分の中で
握りつぶす』『人はその時々の身の丈にあった生活をするのが一番です』『私
は松山(ご主人)に何をしてあげたかしらと考えた時、何もないの。せいぜい
私が一度も寝付かなかったことぐらい』『人間は一人ぼっちじゃ生きられない
んだ』そうだそうだという言葉ばかりです。

近頃ではほとんど外出もなさらないそうで、家事以外の時間は、読書三昧の
生活だそうですが、運動不足解消の為、家の中をご主人の指導で歩いて、足
腰を鍛え始めたそうです。もう85歳のデコちゃん、まだまだ元気で居てください。

         ☆  明日5月22日~25日までお休みいたします。
                     
                      (1380回)



                     ↓  バックシャンでしょう?
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買い物難民

2010年05月20日 | テレビから

         いろいろの「バラ」  (尼崎・大井戸公園のバラ園 10-5-12)




早いものですね、白内障の手術をしてから3ヶ月がたちました。あんなにくっきり
見えることに感激した日から、日数がたつと、今は見えて当たり前で、ず~っ
と昔から見えていたような錯覚を覚えています。

白内障の手術の後はすっかり良くなっているのですが、違う場所に傷があり、そ
の為に、目がコロコロする感覚があります。白内障の目薬は昨日で終わりました
が、傷の目薬は引き続きさすことになっています。2週間に一度通っていたのが、
1ヶ月に1度になり、後2.3回通えばいいといわれました。

人間の体、一寸でもメスを入れると年齢によって、術後が長引くのですね。悪
い所は、早目早めの処置が大切だと思います。直していただいた目で、読みた
いものが読める人生を楽しみたいと思います。


「買い物難民」って聞いたことおありですか? 日々の買い物をする場所が近く
に無く、足腰不自由で、お買い物に不自由している人たちのことだそうです。な
んと日本では600万人居られるそうですよ。

私の町には大型スーパー2軒、中型2軒、市場一つ、商店街等10分以内にあり
ます。ですから、買い物に不自由するなんて考えても見ませんでした。

テレビに出ていた町でも、いくつかの団地の塊があって、そのブロックに一つず
つスーパーがあったそうです。そこにより大きな規模のスーパーが入ってきて、
既存していたスーパーがつぶれ、初めてのスーパーが出来た時に商店街のお
店がつぶれで、駅から近い団地ほど、遠方に出来た、生き残りスーパーまで買
い物に行かなくてはならなくなって、歩くと片道25分掛かるそうです。行きは良
いですが、帰りは荷物を持っての25分は辛いと思いますよ。

足腰まだ丈夫な私だって、1番近いスーパー(歩いて3分)の週1回安売り日に
まとめ買いすると、フーフー言いますよ。バスの便のある方はまだいいです、で
もノン・ステップバスでないようでしたから、荷物を持ち上げるのが大変だと思い
ますよ。

そこで「NPO買い物暮らし応援団」と言う組織が出来て、電話で買い物を頼む
と、自宅まで運んでくれるそうです。そのスーパーの方も難儀しているお年寄り
を見るに見かねたのでしょうね。まだまだ人情は廃れていない! と安心してテ
レビを見ていました。






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英雄の書

2010年05月19日 | 読みました

               「春 蘭」 今年は沢山咲きましたし 色も綺麗です


予定通り、昨夜から雨が降ったようです。庭の草花たちが嬉しそうに生き生きし
ていました。今が一番花の多い時期でしょうか。

雨の日はジムにも行かない、庭の手入れもしない、読書日です。しかし、昔のよ
うに喜んで長時間読むというわけには行かなくなっています。やっぱり疲れるの
です。身体を動かすわけではありません、頭の中だけのことなのに、やっぱりエ
ネルギーの消耗は激しいようです。それでも好きなことは止められず、フーフー
言いながら読んでいます。贅沢なことです。



           英雄の書  上下  宮部みゆき

題名が厳めしいので、何でこの本を借りることになったのか忘れてしまったので
すが、借りては来たものの、手に取るのが億劫でした。3cm程の厚みのある上
下2冊組です。

宮部さんの本はよく読んでいるのですが、こんな厳めしい題名は初めてで、とっ
つきにくかったのだと思います。

感想としてはミヒャエル・エンデの「モモ」と J.K.ローリングの「ハリーポッター」
をミックスしたような物語と感じました。こういうのは何て言うのでしょうか「ファ
ンタジー小説」? 「不思議の国のアリス」系?

日ごろの性格からは考えられない、友人を殺害して、忽然と姿を消してしまった
兄を探す、小学生の女の子のお話なんですが、「英雄」の話の物語の本の世界
に旅立ち、兄を見つけ出すのですが、兄はもう元に戻らないとあきらめ、一人
現世に戻ってくる女の子の物語なんですけれど。

本の作家は、人間であり、人が生きているということは、物語を書いていることだ
というのが、なるほどな~と思いましたね。

始めは一寸とっつきにくい感じでしたが、下巻になりますと、アットいうまに読み
終えた小説でした。小学生の女の子がこんなにしっかり人の心が読める?とか、
物言いをする?とか少々の違和感は覚えましたが、まあまあ面白く読みました。




     「白色春蘭」  白は珍しいと思います あまり日が当たると 少しピンク掛ります
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“夢織りびとの世界”展

2010年05月18日 | 一寸そこまで




神戸の王子動物園の道路を隔てた前にある「原田の森ギャラリー」で催されて
いる“夢織りびとの世界”展に行ってきました。

この催しは私が見せていただくのは今回が2度目なんです。前回初めて見たと
きは「目からうろこ」といいますか、織物と言ってもこんな織物もあるんだと驚き
ました。

今回もその驚きがいや増しました。何故? この織物の手法についてはまった
く知らない私ですが、糸を遣う(私の場合は編み物)ということから、前回より手
法に変化があり、すなわち難しい手法が使われている、と言うことがぴんぴんと
私の胸を打つのです。



この写真などはゆうに3mを越える作品です。勿論先生の作品なのですが、入り
口を入った正面にど~んと飾られて、心を鷲掴みにします。手法は勿論ですが、
その色使いの美しさ、いうなれば「泥大島」の反物の感じです。





この2枚は同じ方の作品なのですが、私の好きな作品でした。人の顔なのです
が、2枚目などは大人の顔子どもの顔、その表情も一つとして同じ顔がないと
いう懲りようです。

反物の端にツンツンと出ているのは、模様の関係ではみ出した糸を。少しずつ
ボンドで固めて仕上げています。

数多くの作品、どれを見ても、私からすれば気の遠くなるような、根気の要る
仕事です。でもこうして織りを楽しんでおられる人が居るのですね。





この作品の糸は「草木染」で染める時の糸を結ぶ位置による染め上がりで、模
様が出来上がるようにと計算されているそうです。すべてご自分の手染めだそ
うです。

     
                       友人の友人の作品です

今日は先生の作品説明会が1時半からあるというので、その時間に合わせて
友人と行きました。友人の友人が出品しているからです。


    
  お店の壁を飾っていました すべてマグネットだそうです 2列目左の「ベティチャン」懐かしい!!

さすがに作品の説明を聞く1時間半は疲れました。のども渇いたし「お茶して帰
ろう」と小さなお店の「スコン」と言う字につられて入りました。ケーキ、クッキー
等手作りのお店です。「スコーンとお茶」でお三時タイムをとりました。大当たり
でしたよ。紅茶もスコーンも私のお口に合いました。友人とも久しぶりに色々と
お話をしましたし、幸せな気持ちになりました。








    
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