ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

代理出産

2006年10月16日 | 新聞から
            ツルヒメソバナ
        1センチくらいの小さなお花です
        山野草ですので、お店では高級品
      換算するとウン万円、いえいえ十数万円分
          びっしりと咲いています

栗を頂いたので久し振りに栗御飯を炊いた。この頃は邪魔くさいので剥いた栗を買ってくる事が多い。熱湯につけて鬼皮を剥いて、又つけて渋皮を剥いてと中々の手間である。根気がなくなって、やっぱり剥いた栗を買った方が楽だな~と思ってしまう。

えらい世の中になってきた。母が娘に代わって孫を生む時代だって。子供夫婦に出来た子供を「孫」って言うのじゃないんですか?母親が娘の代わりに生んでも「孫」って言うの?一寸変じゃない?

推進論は「子供がもてない夫婦の問題については、社会は解決できない。代理出産を禁止したら、家庭は子供が出来なくて一生不幸を背負う。社会はこうした家族の問題を決める権利があるのか」と指摘し、家族の幸せを優先すべきと言う。

慎重論は「生殖補助医療(生殖機能や器官に何らかの問題があるときに試みられる医療で、人口受精、体外受精などがある)問題は必ず『社会的コンセンサス(合意、意見の一致)がない』と言う。先進国では禁止論が主流になっている。代理出産は原則として禁止し、例外的に認めるケースについて社会が受け入れられるルール作りが必要」と言う。

子供が欲しいという気持ちは分かる、むしろ「結婚はしてもこんな不安な世の中に、子供は欲しくない」と言う方が理解できない。しかし「家庭は子供が出来ないと不幸」とも思わない。「子は鎹」と言う言葉も力を失ってきている今、子供が無いならないで違った生き方はあるはず。自然の摂理に逆らってまで「代理出産」するのは「エゴイスト(自己中心)」以外の何物でもないと思う。

今回は出産を決めるまで「代理母の夫妻と女性夫妻の4人に3,4回にわたって出産の危険性などを伝えた。致命的なことが起こりうる事も説明した。代理母は『自分は人生を十分に生きてきた。娘の為に命をかけても』と(相談から2,3ヶ月で実施したと思う)言っていた。

父になりたい夫の両親が出てこないのは何故?嫁が母に代理出産を頼むのをむげに反対できない立場であるが、どのような反応だったのだろう?それとも夫の両親はこの世にいないの?医師もこのことに一言も触れていないのが片手落ちだと思う。

生まれた子供が出生の事実を知ったら、『おばあちゃんのおかげで生まれた』と子供にその意味が分からない段階でも説明するように言っているし、両親も了解している。最後は親子の関係で決まる。と医師は言う。

子供にその意味が分からない段階でも説明する必要があるのだろうか?理解できる時期でいいと思う。「子供が欲しかったから・・・」との説明はしても、あえて「おばあちゃんのおかげで生まれた」と言う必要もないような気がする。代理出産はあくまで当事者の問題であり、子の感謝の対象を作る必要もない。全てをさらりと受け止める子ならいいが、複雑な出生に悩む子かもしれない。

今後実の母親による代理出産が定着し「親が子供の子を生まないのは愛がない事」と言うような話にならないか心配だ。第三者による代理出産は「姉妹間でも意見の食い違いで、関係がギクシャクした例がある。他人はさらに難しい。母子にはこうした問題がない」

母子は前例がないからで、親子と言えども別の人間、問題が起きないと言う保障はない。私は他人の方がまだいいと思っている。

嫁の母の代理出産した孫、私は望みません。







コメント (4)
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