ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

洗濯機

2007年08月31日 | 今日この頃
               薄
        (宝塚 シーズンズ 07-8-28)
         お月見にお似合いのススキ
      何時からススキと団子を供え始めたの?

クーラーが要らなくなり扇風機で充分です。今は東の風が寒いくらいです。お月様も涼しげです。目を凝らすと高~いお空にお星様も淋しげです。今日で夏の月は終り、明日から秋です。食欲の秋・・・。よっぽど気をつけないとお腹が重くて歩けなくなりそう。

我家では洗濯機はまだ二層式なんです。吸水排水と繰り返すのが面倒だとは思うのですが、それに止まっているのに水道が出しっぱなしという事もあるのですが、機械任せでは無く自分の意思で動かせるのがいいのです。

去年買い替えの時、電気屋さんは全自動を勧めるんです。「今の場所にはあんな大きな洗濯機は入らないよ」と断ったのに「計ってみましょう」って寸法を取りにきて、納得して、二層式を持ってきました。量販店に行っても二層式は隅っこに見捨てられたように置かれています。不思議なことに二層式を見ていると店員さんも寄ってきません。金額にすれば大分安いですから、儲けが違うのでしょうね。

今年はクーラーもとうとう2台買い換えたのですが、このときも如何にかして高いほうを買わそうとするんです。10年間掃除をしなくてもいい、自動掃除装置の付いているものとか・・・。ただそれだけの為に倍の金額です。

我家のクーラーを見て電気屋さん「これ動いていましたか?」「去年は本当に冷えが悪くて、今年は買い換えようと主人に話していたら、其れを聞いていたクーラー君、捨てられると察したらしく、又働き出したのよ。今日は買い替えるの止めようかと思うぐらい良く冷えてるよ」機械に耳があるとは思いませんが、ほんとの話です。隣組の電気屋さんなので、お付き合いと思って、なるべくそのお店で買うようにしています。

新聞にこんな記事が載っていました。2層洗濯機を好む人も居るようです。

『「気弱になるな」 ・・・前略・・・大型電気店の洗濯機売り場には書くメーカーの全自動が所狭しと並べてあったのを思い出す。全自動は「俺が横綱や、わしが大関やと張り合って、後ろの方で二層式が申し訳なさそうに2台置いてあった。「気弱になるな、お前らのファンもおるで」と心の中で呟いたものだ。先日、3人の姉と会う機会があり、いつしか洗濯機の話になった。3人とも、二層式や無いと気にいらんらしい。そして最後に上の姉が一言、「去年、二層式を買うたとき、なくなったらあかんと思って2台買うてん」といったら、皆、ぽかーんとしていた。上の姉は76歳、あんた何時まで洗濯するねん』

読んだ時私は大笑いをした。今こうして打ちながらも笑いが止まらない。私も予備品を揃えて置くのは好きな方で、消耗品はたいがい買い置きをして、補充を怠らない。しかし洗濯機の予備とは想像も付かなかった。電気製品って、使わずに置いておくだけでも傷みません?それとも2台をかわりばんこに使うのだろうか?一台でも10年以上持ちます。お店の人もいい加減だな~、売ればいいってゆうの?

この頃長期間使えるものを買うとき「同じ買うなら一日でも早く買おう」と自分の人生の終点を見つめて、逆算する事があります。「迷って先延ばしすると使う日にちが少なくなる」と言う考えです。

必要以上には物が欲しくなくなりました。その代わり質のいい食物にお金を使うようになりました。

今日も唱歌の学校で「新鮮な野菜」のお土産を貰ってきました。美味しかった。
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助産師さん

2007年08月30日 | テレビから
             モミジアオイ
        (宝塚 シーズンズ 07-8-28)
           時期的には遅いらしく
       ただ一輪 私を待っていてくれた?

集中豪雨的な雨の降り方です。昨日も帰宅して窓が皆閉まっています、主人に聞くと、ものすごい雨で吹き込んで来たそうです。そうとは知らず私は「フラダンス」を習っていました。行きも帰りもピーカンでした。今日もまた、私がジムに歩いてたどり着いたとたんにパラっときました。もし帰りに大雨だったら「マッサージ」でもしようかと思っていましたが、帰る時には又ピーカン、雨傘を日傘に帰ってきました。

奈良の方で、受け入れ先が見つからずに妊婦さんが死産してしまいましたね。其れも初めの大学病院では「断った覚えは無い」といっているんですね。言葉の取り違いと言うか、病院側と消防側と意思の疎通が図れなかったというミスまであったんですね。意思が通じていれば、今度の悲劇は起こらなかったんですね。

赤ちゃんと言うのは一度授かったから、又授かるとはかぎらないんですよ。これっきりだった可能性だってあるんです。本当にお気の毒だと思います。

NHKの「プロフェショナル 神の命によりそって」の主人公・神谷整子さんは助産師、昔沢山居た「お産婆さん」だったんです。助産師さんは勿論、看護師免許も持っている人なんです。

お産を助産師さんにお願いする人が少しずつふて居るそうです。家庭でお産をするのって、設備が大変な気もしますが、女同士いらぬ気を使う事無く、リラックスして産めるかも知れません。リラックスするという事は産道が開き易くなりお産がスムーズに行くようです。

私は町の医院で出産したのですが、一番心配だったのは、同時にお産が始まったら先生1人でどうなるのだろうという心配でした。幸いなことに奥さんが産婆さんの資格を持っておられるという事でした。

神谷さんは3人グループで動いておられました。同時に2人の妊婦が東京と横浜で
産気付いた時、グループの意味を悟りました。1人ずつ妊婦さんに付き添わせ、神谷さんが妊婦の状態を見て、双方を掛け持つのです。携帯電話も活躍していました。

神谷さんは何処に行く時も遊びでも映画館でも、受け持っている妊婦さんのカルテや必要最小限お産に必要なものはリュックや手提げに入れて持ち歩いておられるのです。7キロとか言っておられました。

お腹の子の大きさは触診とメジャーで測るんです。手で触れるという事は色んな事が解るそうです。子供の位置や状態(逆子かどうか)は勿論のこと、妊婦さんが我慢強いかどうか、緊張する人なのか、リラックスする事の上手な方かどうか触診で全て解るんだそうです。

神谷さんは助産師は「伴走者だ」といわれます。妊婦の心細さを少なくしてあげる為に出産を共にする人だといわれます。

出産は命がけです。その経過途中でどんなことが起こるかわかりません、手に負えなくなれば、病院出産に切り替えられなくてはならない、その為に病院には定期的に通ってもらうそうです。

妊婦さんに「やり遂げた自信を持ってもらう、其れがその後の子育ての支えになるから」と言われます。神谷さんも600人以上の出産に立ち会っているが、「経験を頼りにしない。多くの経験を積んでいるからこそ、夫々の違いが解り、ことに当れる」といわれる。

もっと助産師さんが増えて、安心して出産が出来るようになれば良いな~と思います。神谷さんは出産後の育児の相談にものっているそうです。
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相撲の話

2007年08月29日 | 今日この頃
             チカラシバ
        (宝塚 シーズンズ 07-8-28)
            初めて見ました 
       遠目は小型のすすきかと思いました
    猫じゃらしに似ていますが、穂の色が淡い紫です

朝青龍がモンゴルに帰った。怪我の為と言う理由で地方巡業を欠席し、親方に黙ってモンゴルに帰り、子供たちとサッカーをした。という事に端を発して、「怪我」が何時の間にか「精神の病気」にすり変えられた。そして自国で療養が最善と言う医師の言葉に従って、親方も相撲協会も折れて帰国させた。

モンゴルでも同門の親方が交代で監視を続けるとか。何故?子供じゃないんだよ。朝青龍は「日本の仕来りに随うべき」と言っている母の元に帰ったんだよ。父親は不満らしいが、其れはモンゴルでは地位のある人は罰せられないからだそうで、その地でチャンピオンになった人だから仕方が無いんじゃない。

監視をつけなくても、横綱に戻る気があれば自重するでしょう。がんじがらめにしても横綱に戻って欲しいの?何故?相撲人気が衰えるのが怖いの?朝青龍が去ったら、一時的にはそうなるかも知れない、でも相撲界だけではない、一般の会社だって「この人が居なければやっていけない」と思う人が抜けても、一時の混乱はあっても、会社は新しい指導者が現れて継続されていくのよね。

貴乃花、若乃花が止めた時だって如何なるのかと思ったわ。でも続いてるじゃない。そんなものよ。朝青龍のフアンってそんなに多いの?私は好きでも嫌いでもなかったから、過去の一連の不祥事には関心がなかった。でもこの度の事で嫌いに回ったわ。だからと言って相撲が嫌いになったわけではありませんし、国技としての相撲に関心がある程度で熱烈な相撲ファンと言うわけでもないの。

以前は横綱は日本国籍を有するものと言っていなかった?それとも親方株を買うのに日本国籍がいるんだった?他のスポーツと違って「国技」なんだから、私としてはやっぱり日本国籍所有者であって欲しい。この度の騒動を見ていると本当にその様に思う。

朝青龍の日本の母(モンゴル国商工会議所日本地区会頭)と言う人が「過って全世界の半分を支配したチンギス・ハーンの子孫はそんなにやわではない」「モンゴルには鬱と言う病気はない」「モンゴル人は本気で失敗したと感じたら、1人で猛烈に反省する気質、側から見たら病気に見えてしまう」「考える時間が必要なだけで、甘やかす必要は無い」って言い切っているよね。

実母にしてもこの日本の母にしても朝青龍に同情しようとはしていない。自分の置かれた立場を弁えよといっている。だのに実の父や白鵬の父は処分がきついといっている。胆の座っているのは、真実を捉える目は女の方が正しいと思うわね。

大関陣では千代大海が「早く元気になって戻ってきて欲しい」とエールを送ったそうだが、本心かな~。日本人的な心を隠した言葉のように思うけれど・・・。

その点、琴欧州は帰国することに対して「処分の意味が無いでしょう」と言った。私も本当にそうだと思うわ。何ゆえかは知らないけれど、前言を取り消して帰国を許した相撲界に琴欧州は幻滅しているかもね。

8月初めの9月場所のチケット同時発売日から3日間私は電話を掛け続けたのよ。やっと掛かったら3日目で、椅子席の(正面、向正面)前の方は売リ切れだった。ネットならあるかも(各店に割り当てがある)と教えられて、息子にネットで取ってもらったの。だから心配しなくても、朝青龍が引退しても大丈夫よ。

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宝塚歌劇

2007年08月28日 | 一寸そこまで
            ポンテデリア
          (宝塚 シーズンズ)
         水辺の淡いブルーが涼しげ

「阪急友の会」の抽選で当り、久し振りに「歌劇」を見に行った。昔は先着順だったので、前夜から並んでいる人も居た。信じられないかもしれないが冬はコタツを持ち込んでいた(道路に)人たちを見たことがある。アレは練炭か炭だったのかな。自動車で運んできたのだろう。当時私は始発で並んだものだった。

今は9時に門が開き順番に籤を引いていく。だからその籤を開くまで、その日の席は解らない。今日は最高(3階)の籤を引いてしまった。座席票で自分の位置を確かめていた人(並んでいる時隣でお話していた人)が興奮の面持ちで私に話しかけてきた。

「なんばんですか?私『0』と言うからアルファベットの『O』だと思っていたら、『ゼロ』だって、一番前だったんです」「私は2階の11列5番です」彼女はお母さんが行けなくなったので「行っておいで」と貰ったんだそうです。

2550人の座席を持つ大劇場、3階からも良く見えるようにと銀橋をゆるいカーブに作り変えた時、『ゼロ席』が出来たらしい。彼女の席はSS席で10000円、私の席はA席で5500円の席(S席7500円 B席3500円)だ。補助席も出ていたくらい、新聞の評も良い演目だった。

私にすれば今まではS席しか当った事がない。大体は私1人で行くが、同期生のかわちさんの姪(西条凡児さんの孫故新聞で報道された)の初舞台の時は、たまちゃんを招待し2人で見に行ったことを思い出した。あれから何年も経っているから、どうしておられるか噂は聞かない。又、知人のあつみさんのお孫さんも入学したと聞いてから、もう数年経っている、来年ぐらい初舞台ではないだろうか。「一緒に見に行こうね」と言ってくれたれいこさんはその間眠り続けている。一般の方なので新聞報道も無いだろうから私には知るすべが無い。

11時開園なので其れまで「英国風ナチュラル庭園 シーズンズ」に花を見に行った。この庭園が出来て間もなく来たことがあるが、その時はまだまだ土が多く見えていたが、今日は植物に土地は覆われてイングリッシュ・ガーデンらしくなっていたが、この暑い盛り花の数は少なかった。前回は春だったのだろう珍しいチューリップが咲いていた。

いよいよ、初体験3階席に・・・。「まほろば」「マジシャンの憂鬱」が始まった。舞踊劇「まほろば」が終わるとランチタイムの休憩がある。私は「おにぎり2個」買って行った。しかし周りを見回すとおいしそうな「お寿司」や「幕の内」、なんだか一寸惨めな感じで、ケチったことを後悔した。食堂で予約する方法もあるが、1人なので、何時も席で食べる事にしている。

3階席の良い所、前を見ているだけで舞台全体が見える、せり上がりの上下も良く見える、ラインダンスや群舞は此処が最高だと感じた。主人がラインダンスを見てみたいというので「アレは春だわ」と言っていたら、今日もラインダンスがあった。今日のラインダンスは春の初舞台の新人ばかりの時と違い(新人は既に組み分けされているだろうから)2.3年生も混じっていると思うので、初舞台の初々しさはないが、しっかりと見事だった。

物語が如何とか言うのではない、時々このファンタジックな場所に身を置くのもいいものだな~と思った。年3回のチャンスにはハガキを出し続けようと思った。

昔から変わらない「さよなら みなさま さようなら ごきげんよう」の歌を共に口ずさみながら会場を後にした。
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出会いと思い出

2007年08月27日 | 思い出話
              葉鶏頭
          (見~つけた 07-8-21)
     小学校の校門脇で涼しげに咲いていました

1000円ランチの会、1人増えて7人で集まりました。前回はタイ料理、今回は和食。次回は1月にイタメシと決まりました。年2回の集まりにしようという事になりました。年2回と言うと後何回お会いできるのかな~と計算する年齢になりました。

場所を変えてお茶に・・・3時間半・・・今思い返すと、何をしやべったのだろう、取りとめも無い事を喋ったような気がするが、其れでいいんだよね。脳科学者の言われるように、メール、電話は連絡事項、コミュニケーションは顔を見ながら話すことって、その実践ですよ。逢って、語って、笑って、同じ時間を共有して、一歩近づいた気分に満足して、大満足。

このグループとは還暦を過ぎてからの出会いですし、年齢も様々ですから「友情」とは言いにくい。では何と言えばいいのだろう。「気の会った仲間」う~んこれも一寸違うかな?心では「良い出会い」だと思っているのですが、適当な言葉が見つからない。過っては同じクラブに属し、同じことを学んでいた。今も学んでいる人、私の様に自分で卒業した人の交じり合ったグループなの。そのグループで共に学んだ人は何十人も居るし、大きな輪から言えば何百人と知人は居る。グループから離れればでもお互いに逢う事も無くなり、その縁は霧の如く消え去る。

何かのグループに属して止めた場合、その関係は先細りで消えてゆく、どうにか保てたとしても「年賀の友」としてという事ぐらいだわ。其れも年々どちらかが、儀礼的な年賀状に飽きた時、関係は途絶える。

今まで、何人の人達とこうした「出会いと別れ」をくリ返してきただろうか。昔の名簿を見ても顔も忘れている人、別れてから再び逢う事の無い人でも、心に残っている人等いろいろ居る。喜びだけを共にした人、心のかけ違いから争った人、どちらも心に残っている。相手の想い出の中に私が居るかどうかは別にして、逢いに行こうとは思わないが「どうしているかな?」とフッと心をよ過ぎるのは異性の友達かな。皆同じに年を取っているのだが、思い出すのは当時の姿、無理ないわ、逢っていないんだもの。

仲良しのたまちゃんは学生時代、勉強が出来て、美人で、その上お金持ちのお嬢さんで憧れた人が多かったらしい。らしいというのは、学生時代はたまちゃんと私はグループが違っていたから。そのうちの1人が同期会で、お酒が入っていていたし、「憧れていたけど、近寄れなかった。貴女が結婚できなかったのは、皆近寄りがたかったからだ」って言っちゃった。たしかに彼女の結婚は遅かったけれど、今は良い旦那様に出会っている。本当に出会いって何時来るかわからないし、結婚の時間の長さではないような気がする。彼女が本当に幸せそうで私は嬉しい。

でも私は言わないよ。想い出は私だけのものだし、そっとしまっておきたい。主人にだって言わないよ。お互いに出会う前の事に入り込むことは無いと思っている。まして現代と違ってプラトニックだもの。

男女共学のお陰で、気の合った男友達は居る。主人の年代の人は男女共学の経験が無いので、私達が時々グループで逢っているのを羨ましいと言っている。今まではグループから彼岸に旅立った人は居ないが、いつかはその日が来るだろう。男性軍は言う「そのうち女ばかり残るからね」そうかな~?男性だってだんだん平均寿命を延ばしてきている。私の家でも、主人は自分が後に残るって言ってるよ~、如何思う、嫌~ね!
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黒髪

2007年08月26日 | ラジオから
             ジャスミン
          (ご近所で 07-5-3)
        溢れるように咲いていました
           甘い香が漂って

明日明後日とお出かけなので、今日はじ~っと体力保存。皮肉な事に明後日まで暑いんですって。

曽野綾子さんが連載しておられる「透明な歳月の光」の中で今年度ミス・ユニバースに選ばれた森理世さんについてこんなことを書いておられた。

『世界一の美女の黒髪  自分を失わぬ人、失う人

2007年度のミス・ユニバースに日本のお嬢さんが選ばれたというので、日本中が喜んでいる。誰が世界で一番美人かという事を決めるのは、かなり難しい事だと思うが、とにかくコンテストに登場した世界的な美女数十人の中では、一番魅力的だと多数の審査員の目には映ったのである。この方はバレーのプロで、その踊りも披露したというから、教養とか、特技とか世界的に通用する語学力とか、様々な面で人をひきつけるものがあったのだ。しかし私が興味深かったのは、このお嬢さんの髪である。彼女は黒髪で勝負したのだ。決して金髪になど染めていなかったのである。つまり、日本人としての個性を生かしたからこそ、世界一の美女になりえたのである。もし彼女が金髪に染めていたら、おそらくミス・ユニバースには選ばれなかったであろう。今日本には金髪の男女が溢れている。金髪の似合うような顔でもないのに金髪なのである。これは自分を失って、物まねをしていると言うことの表れだから、かなり恥かしいことだと私は思う ・・・中略・・・ 金髪に染めてヨーロッパを旅行したら、それだけで土地の人は心の中で侮辱するだろう ・・・中略・・・ 人としてその存在を認められる最初の一歩は、自分が自分であること、自分を失っていないという極く単純なことだ。世界一の美女の黒髪はなかなか教訓的なのである。』

私は全く同じ考えを持っている。今では町で黒髪を捜すのが難しいくらい、何色かに染めている人が多い。黒髪の人に出会うと何かしらホットする。

私達くらいになると10人の内9人は染めている。いわゆる「白髪染め」である。時々、白髪の方を見かけるが、なんときれいなことと思う。でも其処に行き着くまでの白髪交じりの髪が嫌で、染めるらしい。時々紫に染めている人が居るが、アレはナンセンス、地髪が黒いのに、その上に柔らかい紫色が生まれようが無いのではないか。目を背けたくなるような髪色だと思う。今は、毛染めというより、ヘアマニキュアの方が多いらしい。

私は今までまだ黒髪でしたが、最近生え際に白髪が混じり始めている。黒髪といっても、若い頃の真っ黒ではない、微妙に脱色された黒で、日光の当り具合では茶色に見えたりする。これは本当に自然の摂理で肌の色もくすんでくるし、その肌に合うように髪も柔らかい黒になってくる。これで髪の毛だけが昔のまま真っ黒だったら、鬘を被ったように不自然だろうと鏡の中の自分を見つめる。

金髪ね~。身近では見かけないのですがテレビで見ますね。俳優さんはまだしも、野球選手までどうして毛を染めたり、ピアスをつけたりして、それを誰も注意しないの。似合ってないし、したいなら、オフの時にだけして。野球をするのに毛染めは必要ないでしょう。少年の憧れの的である人です。その影響力も考えて親から貰った身体に無駄な事をしないで頂きたいわ。

想像してみてください。鼻が高く色白の外人さんが、髪の毛を黒に染めた顔を!滑稽でしょう。日本人の金髪も外人さんにはその様に写っているはずよ。
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天国で君に会えたら

2007年08月25日 | 映画の話
              百日紅
           (公園 07-8-21)
     珊瑚紫豆と仲良く並んで咲いていました

「今日も暑い!」庭仕事は溜まるばかり、でもこの暑さで庭仕事は無理と自分を甘やかす。それなら「映画に行こう!」今日から上映される「天国で君に逢えたら」を見に行った。

二年前の2月、38歳で亡くなった、8年間ワールドカップに出続けた世界的プロウインドウサーファーの実話。この話は知っていた。何も知らずテレビで放映されているのを見た。その頃、もう体を動かす事は出来ないけれど、命の限りを知っていた時だが、ブログが人気になっていた。その頃私はブログと言うものを良くは知らず読んだ事がない。

それから「如何しておられるか」と気にはなっていた。だから二年前に亡くなったことも気に留めていたし、映画化の話も知っていた。是非見に行きたいと思っても居た。

「徹子の部屋」に大沢たかおさんが出ていて、この主人公である「飯島夏樹」役を演じた事を知ったとき、尚見に行かねばと思った。「徹子の部屋」に出ていた大沢さんは髪がロングだった。「夏樹」役の時は短い。女性は髪の形で雰囲気ががらりと変わるのは知っていたが、男性も変わる事を知った。初め同一人物とは思えなくて私の勘違いかと思ったくらいだ。

「飯島夏樹」さんは関東で生まれ。大学4年の時に知り合った寛子さんと二人三脚で世界を渡り歩く。芽の出ない貧乏暮らしが長かったようだ。優勝して、初めて大金を手にして寛子さんと式を挙げる。それからは子供4人に恵まれ、グアムに家族のために大きな家も買い、事業も起し、順調だったレース生活も、癌に蝕まれて挫折する。

病む事について、若いがために「何故?」と言う気持ちは強かっただろう。「死への恐怖」もあっただろう、「うつ病」「パニック障害」を起こし生活が荒れる。
寛子さんの「貴方は1人じゃないよ」と言う献身と、ウィンドウサーフィンを教えてくれた先輩の「風のままに・・・」と言うアドバイスで、現実をしっかりと受け止める。私がテレビで見たのは、その嵐を乗り越え「自然に逆らわない生き方」を始めた頃のようだ。

寛子さんに問う「ボクの命は?」「冬が越せない」「それなら冬の無いハワイに行こう」と延命治療を断り、「ハワイ経由天国行き」と書いたエア・チケットを持って、家族でハワイに移住する。その発想が前向きで、ユーモアがあって凄いと思う。こうゆう人に育てた親御さんはどんな人か?知りたいと思ったが、自身の両親については一言も触れていない。弘子さんが父親から道で置き去りにされるという、不幸な生い立ちゆえ、我が事には触れない、夏樹さんの寛子さんへの愛だろうか・・・。

調べている内に「飯島夏樹さんのブログ」が継続されて居る事を知った。寛子さんが後を書き続けているようだ。その中に弘樹さんの母親の事が出てきた。お元気のようである。母親としての立場から、どんなに悲しい思いをされただろうと思う。
今は寛子さんやお孫さんたちが夏休みには日本に帰ってきている。優しい気持ちで接してあげて呉れたらと思います。

「パパは心の中に居る」と言う飯島寛子さんの「ハワイ子育て奮闘記」が本になっているようです。今は1人で4人の子育ては大変でしょうが、一番年上が女の子だけに、もう直ぐ片腕になってくれるでしょう。子供が多いだけに成人すれば心丈夫だと思います。これからは寛子さんのブログを読みながら、外孫のような感じで4人の成長を見ていきたいと思っています。





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唱歌の学校

2007年08月24日 | 今日この頃
            ホタルブクロ
         (皇居東御苑 07-6-26)
           何とも日本的な花

長い夏休みを終えて、今日から唱歌の学校が始まった。皆さん元気に来られましたが、欠席者も多かったです。まだまだ暑いからでしょう。

冊子を渡されました。秋に希望者だけヨーロッパの演奏会に出かけます。毎年ヨーロッパ旅行はしていたのですが、今年が10回目で最後にするそうです。行きたいと思いつつとうとう参加できませんでした。うん十万を趣味のために使うのは一寸気が引けたからです。お金持ち、時間の余裕のある人が多いらしく、何時も参加者はある程度集まります。今回は我がクラスからは夫婦で来られている方の奥さんの方が参加です。何時もは夫婦で参加ですが、今回は旦那さんはお留守番です。確か1人50万円前後でした。

最後の今回は正月にNHKで放映するウインフイルのニューイヤーコンサートのあの会場である。唱歌の学校が行くのは初めてではない2回目である。観光旅行も兼ねているので2週間程の旅になる。

ポスターも出来上がってきた。私たちが頂いたのはA4サイズだが、これと同じものが大きさは5.6倍でポスターとして使われる。その日が近づくと町にはこのポスターが町中に張られるそうです。

素人のグループが行って、人が聞きに来るのが不思議でしょう?其処は良くしたもので、このような演奏旅行を聞きに来る人を集めてくれる商売があるそうで、何時もその人に頼んでいる。色んな商売があるものです。

壮行会も兼ねて秋に音楽会がある。その時の第一部が私達が今日から習う歌で、希望者だけ出るのである。出ても出なくても練習はさせられるようだ。第二部が行かれる方たちが、かの地で歌う歌を、服装もその時に着るものを着て臨まれるらしい。一部も二部も勿論、唱歌である。どんな衣装なのか一寸楽しみ。でも見るためには一部に出なければならない。まだ決めかねている。

9月がくれば9年目に入る。一寸マンネリ感も無きにしも非ずだが、お仲間が良い人ばかりなのと、のりこ先生のお話が面白いので続いている。

一昨日の雨の話が出た。兵庫県は勿論、大阪府下からも来ておられるので、地方によっては停電があったそうだし、又ほかの場所では雨上がりにお月様が出ていたとか。お月様が出るという事は夜のうちに雨は上がったという事だが、我が尼崎では朝まで降り続いていたと思います。その代わりと言うか、停電はありませんでした。と言う事は局部的に集中して降ったという事でしょうか。

校長先生は1人お留守番でびくびくものだったと言っておられた。のり子先生と息子さんはUSJに行って、帰りの湾岸道路を進行中に降り始めて、凄い雨で、ワイパーなんて何の役にもたたず、前の車のテールランプを目標に運転したそうです。

昔は自動車には雷は落ちないと言われていたが、つい最近車中で亡くなった人があるという話だ。たとえ自動車に落ちたとしても、素通りして地面に流れると聞いていたのだが、如何して亡くなったのだろう。おそらく感電死ではなく、ショック死ではなかろうかと想像する。それで無いと怖くて自動車に乗っておれない。

無農薬野菜を作っておられるごとうさんが「空芯菜」を持ってきてくださった。「空芯菜」は以前にも頂いた。何時もはその日に食膳に載せるが、流石にこの暑さで萎びていたので水につけるとしゃっきりした。前回はおしたしにしてオカカをかけて食べたと思うが癖もなく美味しかった。ニンニクと炒めるのも美味しいらしい。
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月光族

2007年08月23日 | テレビから
             珊瑚紫豆(しとう)
       暑い日中 紅色が涼しさを感じさせる

この前は何時雨が降ったのか、思い出せないほどの日を経ての昨夜からの雨と雷。今朝もまだ降り続いていた。「ザザ~ッツ」「ザザ~ッツ」と降る雨は継続して降るのではなく、音と音の間に一瞬の「無」の停止がある。その繰り返しを聞きながら、記憶の彼方に聞いた感覚と思い出そうとした。違う何時もの降り方ではない、でもこのリズムは何処かで聞いた。

「そうだ!」静かな浜辺に打ち寄せる波の音、「静」があり「ザブン」と打ち上げる「動」の波の音。規則的に繰り返される「静」と「動」。「これだ!」と気付いて耳を澄ませる私にその一瞬の静寂と激しい雨音は繰り返される。やっぱり変だ、この雨の降り方は・・・。

雨上がりで一息つけた今日一日、明日からは又元の暑さに戻ると言う。でも虫達は日一日と「我らの秋」が近づくのを察知しているよう。「一寸早い?」と遠慮がちに今夜から鳴き始めました。

「月光族」初めて聞く言葉がテレビから聞こえました。今の中国の若者の生き方を表す言葉だそうです。

「月」一ヶ月の事、「光」使い果たすという意味。稼いだお金を使い果たす人達と言う意味だそうです。勿論、都会に住む一部の恵まれた若者の事だと思いますが、日本では生まれにくい現象でしょう。生活するのに手一杯と言う事はあっても、贅沢のために、未来の事を考えた貯金もせずに、全てを使い切るという若者はわが国には居ないのではないでしょうか。

中国は土地が大きいから気分的にゆったりしている。だから「大陸的」と言う言葉で表されるが、その延長線にその生活があるのだろうか。

日本でもそうだが、近頃美男美女が増えてきた。テレビの中の彼らも美男美女だ。被写体は美しいのに限ると選んでいるのかも知れないが・・・。

テレビの中の綺麗な女の子は、給料の1/5に当る、高級な美容院で髪の手入れをし、ブランド品を買い、友とカラオケを楽しみ「生活を楽しむ為にお金は使い切る」と言い切る。

26歳の男性はもっと凄い、月給を使い切るのは同じだが、年収の11倍と言うから11年間の給料に当るマンションを購入、生活を楽しむ為に家が必要と言う。内装を出来るだけ木製にと言う彼に、若い売り手も「貴方は昼はコンクリートの事務所に居るから、外と繋がる場所は(高層マンション)を求めるのはいい考えです」っておだてている。

マンションの購買層の3割は20代の若者で、マンション業界も若者のニーズに合わせたものを建てている。

給料を使い切る若者に、家を買う資金が在るわけがない、と思っていたら、やはり親の支援を受けるらしい。これは中国の「一人っ子政策」の産物らしい。

親の世代の言い分は「自分達は働くだけで、お金の使い道が無かった」国自体が貧しかったのだから無理も無い。退職して自分たちも豊かに暮らしているが、それ以上の贅沢をすることも無い。「余分なお金は、子供が望むなら与えたい」と言う。

昔なら親の面倒を見るべき年代に、反対に親の援助を受け、高度成長を続ける国は自身の収入も増え続けると考えて、入ったお金は「月光族」として使い果たす。一見幸せな運命の人に見えるが、欲望を満たし、生活を広げきったこの若者の将来の生活はどうなるのだろう。欲望はきりが無く広がるだろう、親の遺産には限りがある。危ないな~と思う。今農村で親を支え苦しさに耐えている若者の老後の方が心豊かなものではないだろうか、「終わり良ければ全てよし」だ。

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インドカレー

2007年08月22日 | 今日この頃
             花オクラ
        とても大きな一日花なんです 
         私も過って育てていました
             食べられる 
         ぬめりがあるので私は苦手

何日振りだろう、雨が降るのは。夕方から雨かもしれないと言う予報通りと言うよりは、連続でドラム缶を叩く様な長時間に続く雷鳴と地面を打つ様な凄い雨。やっぱりおかしい、普通じゃないこの気象状況は・・・。でも明朝は庭の水撒きをしなくていいのが嬉しいな~。

先日、インドサリーの着付けをしてくださったショリーさんの「家庭料理インドカレー」の講習の第1回が今日から始まった。月に一度のペースであるそうだ。色々と初体験できるので、出来るだけ出てみたいな~と思っている。

今日は「元婦人会の役員」だったメンバーとまさこさん(花オクラ持参の方)を入れて10人だった。

今日のメニューは「チキンカレー」「チャパティ」「ライタ」「マンゴーラッシー」だった。

「チキンカレー」
チキンを洗って、皮を剥いて小口切りにする。その皮を捨ててしまった。これには驚いた。カリカリに焼いたら美味しいのにな~。インドの人が皆そうしているとは思えないけれど、先生の実家ではそうしておられるのだろう。

全てのカレーのベースはたまねぎの低温でじっくり(一時間位)炒めたものだそうで、そのほかの野菜の持ち味によって、夫々のカレーの味が出るらしい。ジンジャーとガーリックと4種類のスパイス、そのうちの1種類は7種類のスパイスが混じっているとのことで、実際は10種類という事になる。この中の1種類は、胃の粘膜を保護する役目をするものも含まれている。今日はトマトを使いその水分だけで、水は一切使わない。

「チャパティ」
「ナン」は石釜が無いと焼けないので、家庭ではこれにカレーをつけて食べるそうだ。日本で言えば強力粉で、色がそば粉が入っているような感じに焼き上るから麦の皮が付いたままかな~。これをこねるのだが、相当力仕事である。か弱い?私は腱鞘炎になりそう。これを人数分に丸めて、餃子の皮を作る要領で麺棒(これが細くて、中高になっている)で薄く延ばす。これを油を引いた縁なしフライパンの様な鍋の上で焼いて出来上がり。

「ライタ」
ヨーグルトに塩味だけ。その中にきゅうり、トマト、玉ねぎのみじん切りを混ぜ合わせるだけ。口が辛くなればこれを食べると辛さを抑えてくれる。水は飲まない。

「マンゴーラッシ」
ヨーグルト、牛乳、マンゴー(今日は缶詰)をミキサーにかけるだけ。

先ず「チャパティ」を右手だけで適当に千切りカレーを載せて頂く。両手を使う事に慣れているので、片手だけと言うのは何となく不便。「カレー」といえば「ライス」。希望者は「ライス」を貰う。お皿でカレーとご飯を右手の親指、人差し指、中指を使って、混ぜて、つまんで、親指で口に送り込むようにして食べる。2.3人の人は教えられた通り食べていたが、私はスプンを使って食べた。如何してもご飯を手掴みする気になれない。フィンガーボールはそのためにあるという。

口の中が辛いと思ったら水を飲むところを「ライタ」を口に入れる。「あ~水が欲しい」と思う瞬間。先生がインドに里帰りした時買ってこられた食後のインドのお菓子が美味しかった。

こうして皆でお料理をしていると主婦とはいえ料理上手な人と、それなりな人の差があるのに気付く。又包丁の使い方も違う。積極的、消極的な違いもある。私?全て中庸。楽しい一時でした。
コメント (9)
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