ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

臓器提供

2007年05月31日 | 新聞から
            白のランタナ
          色は変化しませんが
      白は珍しいです 清楚で良いです

大きな見出しで『父「役に立ったのか・・・」』15歳の息子さんの臓器を提供したお父さんの疑問です。2年半前自分(父親)の意思で息子の臓器を提供した父親です。息子の臓器が、どう役に立ったかもわからないからです。

息子は平成16年10月末、突然の脳内出血、自宅で倒れ、意識を取り戻す事無く11月4日短い人生を終えた。死因は脳腫瘍。

「息子の全てを灰にしたくなかった。誰かの体の中でもいいから生き続けて欲しかった」と臓器移植を決断した。遺体からの移植で使える臓器のほとんどを日本臓器移植ネットワークを通じて提供した。臓器を早く取り出すために、息子にすがり付いて泣く間もなかった。それでも、「最後に人の役にたった」と思い我慢した。

新聞社への手紙は息子に語りかける様に綴られている「誰に移植されるのかは、提供者には告げられない決まりだそうな。かろうじて知りえたのは、膵臓は横浜の30代の女性、腎臓は大阪の2人の男性に、移植コーディネーターの女性によると、二年以内に患者からの手紙が、一度だけ移植ネットの関係者を通じて届くとの事だ」

届いたのは膵臓を提供した女性の手紙だけ(文面からドナーの性別さえわかっていないと言う感じだった)で、「社会復帰した」と聞かされた男性二人からは、未だに便りが無いという。「お父さん達は何を期待したのだろう。きっと、お前がどうしているか、移植を受けた人は元気になられたか、家族は喜んでいるか、幸せな生活を取り戻すことが出来たのか、其の喜びの声が聞きたかったのだろうね」

臓器移植法は「職務上知りえた人の秘密を漏らしてはならない」と定め、同法の運用指針でも、ドナーと患者側双方に個人情報が伝わらないように注意を払うように求められている。だがお父さんは移植を受けた人の名前や住所を知りたいわけではない。後悔はしていないが、患者さんが喜んでいるのかどうかさえ実感できないのはたまらなく辛い」「臓器移植では医者や患者の意見は強調されるが、ドナー側の意見は表に出てこない。どうか残されたドナーの家族の思いも理解して欲しい」

臓器移植法(平成9年施行)は7月で10年を迎える。「不特定の相手に対する善意」と位置づけられている。ドナーの家族と患者側が面会したり手紙のやり取りをすることは出来ない」ドナーの家族もそれを承知で臓器の提供を決断する。

そりゃドナーにしても患者にしても、いい人ばかりとは限らないから、お互いの事を知らない知らせないと言う事も一理あると思う。

でもドナー側にすれば、提供した臓器が患者の体内で元気に活動しているか、其の家族も喜んでくれているかを知りたいという気持ちも無理は無い。移植を成功させるためには一刻を争う、悲しむ間もなく臓器提供する為に引き渡す。この臓器の提供を受けて助かる命の事を思えばこそだろう。

両者の接点がなくとも、仲介者(ネットワーク等)の元に問い合わせれば現状把握が出来るようにすべきではないだろうか。頂いた臓器で健康を取り戻した人も、貰いっぱなしで報告無しと言うのもあまりに身勝手すぎる。

このようにドナーの不満、いや不信かな、が増えれば提供者は減っていくだろう。「どうせ死んだんだから、役に立つものは呉れても良いではないか」と言う考えだとすればそれは大きな間違いであり、提供者減少に繋がると思うが。残されたドナーのご家族に納得いく方法を考えていただけないだろうか。


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陣内ご夫妻の披露宴

2007年05月30日 | テレビから
            ペラルゴニューム
       一寸色彩が鮮やか過ぎると思っていた
      でも良く見ると これはこれで可愛いです

今日は如何しても図書館に行かなければならなかった。取り置きの期限が来ていたから。雨なのでバスで行こうとしたが乗り遅れてしまった。次まで20分待ち。それなら小雨だし歩こうと思った。3/4位来たところで、雨が激しくなって、道路は水浸しで靴はビチャビチャ、ズボンも膝上まで濡れてきた。背中も湿ってきた。

やっとの思いで図書館に着いて、本を借りて外に出ると雨は小降りになっていた。しかしジムに行くのは諦めた。ものの2.3分の所まで来ているのだが、運動するのは良い、でも帰りに又この濡れたものを身に付けることは出来ないと思った。今、気が付きました。運動着で帰ることも出来たんだわと。後で気が付く何とやら。頭の働きがずれているんです。困ったものです、加齢現象は・・・。

7時からこの時間帯としては久し振りに2人でテレビを見ました。何時もならこの時間、主人は2階でパソコン、私は下で読書の時間帯なんです。「陣内さん紀香さんの披露宴」を見るためです。見ていると、たまちゃんから「見てる?」とメール「見てるよ」と返信。

とても良い披露宴でしたね。豪華だから良かったという意味では無く、出席者が皆2人を心から祝福して居るのが感じられました。この雰囲気は「お2人の人徳」と紳助さんが言っていました。我が友すぎおさんも言っていました。「皆、紀香さんは綺麗やろと言うけれど、綺麗とかそんなことより、人間的に素晴らしい人だ。あんな人はほかに知らない」と・・・。

お2人とも皆の知りたがっている馴れ初めとか、お式の10日前に一時破局があった事等、経過報告をされました。心を開くと言う事は相手も心を開いてくれることです。花嫁の両親への手紙朗読の時も紀香さんは神戸弁だった。私も神戸生まれの神戸育ちで神戸弁なんだけれど、女の関西弁って良いな~と思いました。いやお国言葉って良いな~と言うべきでしょうか。

陣内さんのピアノ弾き語りには思わず涙ぐみました。陣内さんの通知簿が写っていましたが、音楽は「2」でした。其の不得意の音楽に3ヶ月、もう既に夫婦になり同居している紀香さんにも知られないように、仕事の合間に練習をしていたんですって。「永遠にともに」と言う歌を私は知らないので音程が狂っているのかどうかは解りませんが、ピアノも始めてらしく、音楽の苦手の陣内さんを知っている紀香さんも思わず涙していましたね。

陣内さんはこの歌を紀香さんが好きだし、其の歌詞が自分の思いとぴったりで、でもそれを口に出して言った事が無いので今日の日に自分の心を伝えたかったと言っていましたね。「ありがとう」と言う紀香さんの言葉も神戸弁で、優しい響きだな~と思いました。

唯一つ、嫌~な気持ちになったことがありました。舘ひろしさんの祝辞に「葬式」と言う言葉が入っていた事です。男には生涯で二度の喜びがある「結婚式」と「妻の葬式」であると西洋の何方かが言ったとか。結論は近年は女の方が長生きするから陣内さんは今日一日を楽しめと言うのですが、この祝辞は一寸頂けません。

それにしても数億円と言われるお式、やっぱり豪華でしたね。「バカラのクリスタルのシャンデリア」「バカラのキャンドル立て」引き出物にも「バカラのグラス」でしたね。引き出物と言えば、今日発売の紀香さんの本「のりか魂」も添えられていましたね。私も読んでみたいと思いました。

良い披露宴と同様、良いご夫婦でありますように。
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クィーン

2007年05月29日 | 映画の話
        アジサイ 紅山(くれないやま)
         一番早く咲いたアジサイです
        今年は沢山 綺麗に咲きました

ミスユニバース日本代表の森理世さんがミスユニバースに選ばれました。児島さんが選ばれて、30数年ぶりだそうです。そのときに「八頭身」と言う言葉が流行りましたね。森さんは職業はダンサーです。4歳の時からダンスを初め、中学卒業後ダンス留学でカナダの高校に進んだんです。カナだってダンスの盛んな所なんでしょうか?審査員に子供の頃の思い出を聞かれて「ダンスで忍耐と積極性を学びました」との答えです。この入賞は一生懸命努力し、頑張ったご褒美でしょう。久し振りに良いお話です。

          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

頂いたお茶のお礼のバッグを買いに大阪に行きました。主人は「そんなに毎年バッグばかりいらんの違うか?」と言います。そんなことありません。バッグといってもファッションバッグですから、気軽にお出かけに使っていただけるし、幾らあっても邪魔にならないはず。とても気に入ったのがありまして、私も欲しかったのですが、もう一つは無いと言うので私は諦めることにしました。

初めに映画館に行きました。券売り場ですが、映画人気が戻って来ていると思うのですよ、20人ぐらい並んでいましたから。並んでいますと、おじいさんが私に近づいて来て、切符の形を手でするものですから「切符を買うのに並んでいるのです」と答えました。気がつくと、其のおじいさん私の後ろにちゃっかりと居るんです。後ろに30人は並んでいました。呆れてしまったのですが、ものを言うのも嫌だったので、知らん顔しましたが、すっこいおじいさんが居るものです。

「会場は暗くなっておりますのでお気をつけください」と言われ、中に入りますと真っ暗です。一番後ろの席を希望しましたので、それは解っているのですが、座席番号が全く見えません。「どうしよう」と佇んでいましたら、端にいたおばあさんが「私のこの座席は22番ですよ」と教えてくれました。「私は20番ですから、一つ開けてお隣ですね。有難うございます」真っ暗な中、座ることが出来ました。

ずるいおじいさんと親切なおばあさんに出合ったお話です。

この映画のクイーンを演じたヘレン・ミレンさんはこの映画で、今年度アカデミー賞の最優秀主演女優賞を受賞した人で、クイーンがこの映画をご覧になって満足されたと言う作品です。本当に目元がそっくりでした。

私がエリザベス女王を知ったのは、戴冠式に臨まれる時、少し太めのお体をダイエットでほっそりとされたと言う記事だったと思います。まだ20代半ばだったと思います。とても美しい方でしたが、妹のマーガレット皇女は其の上を行く美人でした。

元皇太子妃ダイアナのパリでの不慮の死、それ以後の一家のお話なんです。あの時、コメントを出されなかった女王に対して国民は怒り、不満をぶつけた。フィリップ殿下も皇太后もマーガレット皇女も、ダイアナさんをお荷物と思っていて、口にされる。しかし女王は耐える。一度だけ一人っきりのとき女王は泣く。ヘレンさんの演技力か、ひしひしと心が伝わってくる。

ヘレンさんは言う:クイーンを人間として敬うようになった。彼女がこの国の女王であるからではない。生来の落ち着いた、自制心のある、慎み深さと言う美点を考える時、彼女がロンドンの下町の高校の教師であったとしても尊敬に値する人物になるだろう。

面白かったのはブレア首相が女王の本質を知って女王派に変わっていく所である。



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国立博物館

2007年05月28日 | 一寸そこまで
            ペラルゴニューム
           優しい色が好きです
          8色ぐらいあったのですが
          2色になってしまいました

昨夜、最後に奈良に行ったのは何時だったかと一生懸命思い出そうとしたのですが、博物館に行った事は確かで、後は猿沢の池、興福寺を経て奈良町に行った事までは思い出しましたが、何の展覧会だったかは如何しても思いだしません。

昨日は本当に暑かったです。私は暑さには弱くて「青菜に塩」状態になります。だから国立博物館以外は何処にも寄らずにバスに乗ってJRまで行き、快速に乗って45分間、大阪に着くまでぐっすり眠っていました。このルートの方がやっぱり時間が短いようです。

「日曜日に行かなくとも」と主人は言ったのですが、今日が最終日だったのです。「招待券」は早くに頂いていたのですが、出かけることが多く、迷っている内に最終日になってしまったのです。

案外30代ぐらいの女性が多かったのは意外でした。一人で来られている方も多かったようです。新館が出来ていて、元は地下といえばトイレだったのですが、新館の地下には喫茶室や売店も出来ておりました。

奈良には、孫娘をつれて大仏を見せに来たりと、年に一度位は訪れていますが「国立博物館」は久し振りと言う事でしょうか。

説明書には:古来、日本人は山や河あるいは雷など、あらゆる自然現象の中に神の存在を見出してきました。しかし6世紀ごろ、大陸から仏教が伝来すると、神と仏は互いに影響しあい、融合しながら「神仏習合」と言う新たな信仰世界を生み出してゆきます。神と仏の信仰が折り重なる様子は、仏像の影響を受けて、神の姿を造形化した「神像」を初めとして、様々な造形品や文献資料の中に残されています。本展覧会では、近年の研究成果を踏まえつつ、「神仏習合」の始まりから本格的発展までを数多くの名品と共に様々な角度から紹介します。神と仏が紡ぎだす美の世界をご堪能ください。

会場で自分の覚え違いに気付きました。私は「神像」が先に出来たと思っておりました。逆さまだった訳です。自然現象を「神」とあがめたわけですから、あえて「像」に作ることがなく、仏教が「仏像」を祈りの対象としているのを見て、「神像」を作ったのが真相だったのです。やはり歴史をおろそかにしていたのです。

遍路で歩いていました時も、「神仏習合」の名残の建物に出会いました。明治政府の「解体令」で粗方「集合」の形は壊されたのですが、やはり都から遠く離れた四国では徹底されなかったという事でしょうか。現実を見て「解体」された事は知っていましたが、それが「明治時代」であることはこの度知りました。

近松さんのお墓のある広済寺のお隣にも神社があります。これも「神仏習合」の成れの果てでしょうか?我家の菩提寺でもあるのにこんな暢気な事を言っています。色々考え出すときりがなく時間がたりないな~。若い時から「歴史」に興味を持っていれば、もっと意義深い人生を送ったかもしれないのに、の~んびりと来てしまって今更どうしようも無いわ。

展覧会を見ていますうちに、「漢字は神に関するものからの派生」が始まりである事を学んでいますが、なるほどと納得しました。漢字の作られた意味、歴史等、今お勉強している事は本当に学ぶべき事だと、忘れてしまう事を恐れず、真面目にお勉強しようと思いました。

奈良は近いと思っていました。まだまだ行きたい見たい所は沢山あります。それにしてもやっぱり奈良は遠いわ~。

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奈良

2007年05月27日 | 一寸そこまで
          ゆ り  ローリーポップ
        今年の一番乗りはこの百合でした
         何時もは鉄砲百合が早いのに
      今年はまだですし 本数も少ないようです

奈良に行って来ました。久し振り、いや何年ぶりでしょう。勿論お正月には橿原神宮に御参りしていますが、其の時は自動車ですし、2,3年前に法隆寺に行きましたが、奈良公園辺りに行くのは、道すら朧になるくらいです。JR一本で行けば早いのは解っているのですが、近鉄奈良からは歩いて直ぐですが、JRからは少し距離があってバスに乗らなくてはならないから、何時もの通り、JRで鶴橋まで行って近鉄に乗り換えました。

奈良公園沿いを歩いただけですが、鹿が少ないように思いましたが、鹿は何処に行っているのでしょうか?男性のグループで、行き先のがわからないらしく、後から来る仲間に「お~ぃ、何処かで地図売ってないか?」「駅で貰えばよかったな~」との会話。私達は、駅前の観光協会で貰った地図が2枚ありましたので、一枚差し上げました。

国立博物館の「神仏習合 神と仏が織り成す信仰と美」を見に来たのですが、実はもう一つ行きたい所がありました。釜飯の「志津香」です。時々コメントを下さる「竜馬さん」がブログで「美味しい美味しい」と書いておられるので一度行ってみたいと思っていました。

場所は知っておりました。其の2~3件手前に、やはり有名な飯屋さんがありまして、其処は「炊き込みご飯とほうれん草のおしたし、味噌汁」だけと言うシンプルのものでしたが、その日の制限数しかありませんので、私も何度か食べられなくて、次からはまず、お店に行ってから目的地に行くと言うことで、ご贔屓でした。残念ながら閉店されましたので、それからは、目に付いた所で食べていました。

思った通りの場所に店を見つけました。5~6人の人が並んでいましたので、私達も、先に食べることにしました。私達のお隣が親子連れで、息子が50代でしょうか、と其の母です。何と優しい息子さんでしょう。歩く時は手を引いて、食べる時は何くれとなく世話をして、常に話しかけ、お母さんが「この店前にも来たね」とか「大仏さん見に来たね」とか言えば「よ~覚えていたね」と褒める。世の中にはこんな親孝行な息子も居るんだと、羨ましい事でした。お母さんが「大仏さん見に行く?」「あそこは少し歩くから、新薬師寺に行こうか、自動車だしね」って。如何育てたらこんな優しい息子になるのでしょうか?もう手遅れですが・・・。

さて、釜飯です。「美味しい!」の一言です。主人が「七色釜飯」私が「しめじ釜飯」を取って、わけっこしました。お隣の親子は「海老釜飯」と「かに釜飯」を取ってやはりわけっこしていました。「七色かまめし」と言うのは「小海老、うなぎ、竹の子、人参、グリンピース、三つ葉等」「シメジ」の方は、シメジ、たけのこ、三つ葉等」です。御飯が小さなお釜すれすれにたっぷり入っています。「おこげ」も久ぶりに食べました。「美味しい食べ方」が書いてあって、其の通りに食べました。要するに、御飯をよそったら、きっちり蓋をしておけと言う事です。

先日焼き鳥屋さんで「竹の子御飯」を頼んだのですが、其の時も美味しいと思いましたが此方が美味しい。あっさりと「シメジ釜飯」が良いと思いました。さすが「においまったけ、味シメジ」です。因みに「七色」1100円「シメジ」1000円プラス税です。美味しい食べ物を食べるとほんとに幸せな気分になります。これで太らなかったらな~・・・。

皆さん良くご存知で、次から次へと入ってこられ順番待ちです。今日は日曜日と言うこともあって家族連れが多かったです。

博物館まで行き着きませんでした。又明日。
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洗面台の進化

2007年05月26日 | テレビから
            孔雀さぼてん
        毎年咲くピンクが咲かないで
     何年も咲いていなかった この色がさいた
       それも一つの葉から七つも咲いた

ご存知?トイレの洗面台の進化を・・・。化粧室には、随分前から、ハンカチの代わりに使うペーパーが置かれるようになりました。それから温風で手を乾かす機器が壁に取り付けられるようになりました。空港のトイレが始めのようだったと思います。それからハンカチの出番が減りました。ハンカチの売り上げの変化は如何でしょうか?

其の温風装置が今までは1か所だけでした。それが各々の洗面台に取り付けられたんです。まず、手を洗います。今はもう蛇口をひねらなくても、手を伸ばせばセンサーが察知して水が出ますね。初めの頃は手を出す角度が悪いと水が出ませんでしたが、今はす~と出ます、センサーの範囲が広がったのでしょうね。漱いだ手を、垂れる雫を気にしながら、温風器まで運びましたね。時には順番待ちしなければなりませんでした。それがなくなるのです。

手を出して洗います。引っ込めると水は止まります。濡れた手をそのまま手前に引きますと、其処から温風が出るようになったのです。手前に温風の出る穴が開いているのです。ただ凄き喧しい音なのが気になりますが、其の内に音も低くなるでしょう。

私は初め知らないものですから、温風器をキョロキョロ探したのですが無いので、ハンカチで拭いたんです。隣で凄い音がするので「なにかな?」と見ますと、手を乾かしているんです。私も早速やってみました、快適です。早速後から来たたまちゃんに教えました。神戸でのお話なんです。

その日から、会った友達に話すんです。誰もまだ知りませんでした。話を聞いた友達は皆言います「さすが神戸やね~」所がです、神戸の何処だったか、とんと思い出さないんです。記憶の良い、たまちゃんに又聞きましょう。

         ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

先日面白いテレビを見ました。翌日の新聞に載っていましたので切り抜いておきました。

「おかんドリーム100万円」
と言う見出しで、ふくよか3人組のおかんの写真が載っていました。東京のお好み焼きやさん(チェーン店)が、本場大阪に本格的に進出を機に(本場に乗り込む、いい度胸やな~)企画した「おかんドリーム」で公募した「社長付特別アドバイザー」に応募した400組から選ばれた大阪府羽曳野市のPTA活動で知り合った主婦3人の作品が当選と決まり、「契約金として100万円」と「ピンクの特製ジャケットを送られました。

3人のお好み焼きは、会社のイメージキャラクターのタヌキの形に焼いたお好み焼き「おかんポンポコ焼き」です。私もテレビで見ましたが、焼き方に一寸したコツが要りそうです。3人にはこれから開発する新商品の(おかんポンポコ焼き)が一枚売れるたびに、一枚に付き30円のロイヤルティーが払われる(能率給と言うことかしら)。合計2000万円を越えるとする試算もある。「『おかんでもやればできる』と、世のお母さん達の励みになるよう頑張りたい」と話していたそうだ。

世の中いろんなことを考える人もいれば、其の考えに寄り添う人もいる。何でもやってみるものですね。何年掛かって2000万円になる計算か解らないが、代表の主婦は今アルバイトで月収8万円だそうだから、もし一年とすれば7倍ほど収入が増えることになる。それも労せずにしてである。

好評で売れると良いですね。『捕らぬタヌキの皮算用』に成らぬことを祈っていますよ。
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近松座歌舞伎

2007年05月25日 | 映画の話
             アマリリス
      これで2色目 もう一色はまだ咲かない
    葉の数が少ないから 今年は駄目かも知れない

一日中雨でした。じゃじゃぶりの中アルカイックホール・オクトへ。「坂田藤十郎襲名記念 第18回近松座歌舞伎公演」の昼の部と夜の部の間に「坂田藤十郎と尼崎市長が『近松』を語る」と言う特別企画があったので行きました。

舞台には屏風がたてられ、前に緋毛氈を掛けた床机が3台。まず元NHKのアナウンサーの山川氏がコーディネーターとして左(下手)に、中央に藤十郎氏、そして右手(上手)に白井市長が腰掛けました。

お二人が『近松』を語ると言うことでしたが、ま~、藤十郎さんがしゃべるはしゃべる、専門分野ですからね~。白井市長も寝ずに『近松』を勉強されたそうですが藤十郎さんの絶え間い語りに、折角のお勉強も発表の場を頂けなかったようです。
でもお勉強をされた事は何時か何かの役に立つことがあると思います。

場所を今度はアルカイック・ホールに移しました。此処で一番年若い友人、やすこさんと合流。お席がお隣です。驚いたことに三つお隣のお席に白井市長が座っておられました。少しだけお話をしました。

鏡獅子:何時もの連獅子を楽しみにしていたが無かった。藤十郎の孫、壱太郎(かずたろう)が小姓弥生と獅子の精を舞う。まだ高校生、獅子の鬘が彼には大きそう、鬘に負けているな~と思った。何故?解ったわ。昔の役者さんは顔立ちが立派だった、壱太郎君は今はやりの小顔なんですよ。だから獅子のたてがみに顔が埋没している感じを受けた。今はまだスリムだけれど、お父さんのようにふくよかになれば、たてがみが似合うようなになるはず。高校生と言えば遊びたい盛り、ようがんばってはる。

次は口上といっても坂田藤十郎し独り舞台。御礼の口上と、海外の歌舞伎公演も絶賛の内に終わった事、孫の壱太郎の事をよろしくお願いしますとの口上。祖父と言わず、『父の父から』と言う言い方だったのがシャレていて心に残った。

牡丹に纏わる蝶の精に小さな男の子が2人踊っていた。可愛いのなんのって、一生懸命努めていた。長い踊りを良く覚えていると感心した。ただチラシにも名前が無い。と言う事は藤十郎家の一族ではないということだろうか。もし直系ならどんなに幼くとも芸名はありチラシにも載せるはず。プログラムを買わなかったのだが、買っていれば誰のお子か解ったのだろうか。

☆やすこさんが調べて知らせてくださった。歌舞伎関係以外の家庭のお子さんだと。それで思い出した。知人のお孫さんも京都歌舞伎座にかむろ役で出た事を。踊りを習っている女の子でした。

もう一つ、「家内は(だったかな~、女房はだったかな~。扇千景参議院議長)は引退しましたが、私は引退いたしません」と言い切って、拍手喝采を受けておられた。

廓文章。いよいよ二枚目としての藤十郎さんの出番である。二枚目の印の白塗りした籐十郎さんはさっきの語りの時とは別人で、初めて歌舞伎を見たというやすこさんが盛んに感心していた。机の上にポンとのったり、後ろに反るイナバウアーはひやひやしてみていましたが、さすが鍛えておられる、お年を感じさせない、するりとやってのけられる。

この頃歌舞伎は歌舞伎座以外の公演も多い。一番変わっていると思ったのは「黒子」がいないのである。勿論、手助けする人はいるのだが、「黒子」:作務衣の様な動き易い黒の上下を着て、黒頭巾から顔に薄い布を垂らして顔を見せないで、影のように動く。今日の手伝いは袴をつけて、顔は出している、そして堂々と舞台の上を動く。どちらが良いのでしょうか。私は「黒子に徹する」と言う言葉があるように、「黒子」の方がいいかな~。今はどの舞台もそうなんだろうか?

帰りは雨も上がり、やすこさんと歩いて帰ってきた。
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「旗日」は死語?

2007年05月24日 | 新聞から
              芍 薬
         今年はことのほか沢山咲きました
         花は勿論、葉の形が好きなんです

ジムで、すずき先生が言われました。「筋肉は幾つになっても、70代、80代になっても作られます。だからもう年だから駄目何て言わないで、無理でない程度で良いから鍛えてください。自分の体は自分で動かせるようにしましょう」って。骨の周りを筋肉が支えているんだから、筋トレしなさいと言われている。「○○さん(私の事)この頃筋トレしてないでしょう。フラより筋トレよ」先輩が私に囁いた。

先日、気功の先生が面白い事を言いました。「皆さんお願い事をしますよね。一度言うだけでは駄目なんですよ。願いが叶うの『叶う』と言う字は『口』に『十』ですよね。だから10ぺん言わなければ駄目なんですよ。又『十』は『プラス』とも読めますね。だからプラス思考の事を10回願います。『叶の十の下に一をつけると』何と読みますか?そう『吐く』ですね。10回のうち1回でも「こんな事言ってもね~」何てマイナス思考の(一は『マイナス』とも読みますね)を言うと、それは「願い」ではなく「言葉を吐く」だけに成ってしまうんですよ。だからお願いをする時は『プラス思考で10回』言う事です。

なるほどと思いませんか。漢字塾で習うような事を気功教室でも習っているんです。本職がイラストレーター&物書きさんだけのことはあります。私達の子供世代の方ですから「負うた子に教えられ 浅瀬を渡る」状態です。

教えるといえばこんな話が新聞に載っていました。

   ひとりで日の丸揚げたひ孫  78歳 男性

近所に住む5歳のひ孫は、好奇心旺盛で、何かにつけて「これなに」「どうして」と納得がいくまで尋ねてくる。以前、我家に来た時、丸めて玄関においてあった日の丸に強い興味を示したので、開いてみせ「新聞に日の丸が印刷されている日に、玄関の柱のところに立てるんだよ」と教えてやった。先日の「昭和の日」の事、少し朝寝をして、新聞を取りに外へ出ると、既に新聞が玄関においてあり、柱には日の丸が掲げてある。「さては」とおもい、連休中、泊りがけで遊びにきているひ孫に尋ねてみると「今日は新聞に日の丸が書いてあったので、ボクが出した」と得意げな表情で言う。一緒に寝ていた息子夫婦は「泊まりにきた時に、何時も早起きをして1階におりていた理由がやっとわかった」と笑った。泊りがけで遊びに来るたび、自分で日の丸を揚げようと、早起きをしていたらしい。ひ孫の行動に感動し、いつか日の丸の大切さをしっかりと話してやろうと強く思った。

78歳で5歳のひ孫、早いね~。親子3代25歳までには結婚すれば5歳のひ孫を持つ可能性はあるけど。文中に息子夫婦とあるのがおかしい、それとも1人で泊まりに来た外ひ孫で、同居の息子夫婦(ひ孫にとっては大叔父)と一緒に寝てるのかな~とか色々疑問に思いながらも、そんな事は別にして。

「日の丸」に興味を持ち、ひい祖父さんの言葉を理解し、実行しようとした男の子、素晴らしいと思う。我家でもお正月は日の丸を門に掲げるが、我が孫達はとんと興味を示さない。それどころか、小さい時から見つづけている我が息子達も、とんと興味を示さない。我家はお正月だけだが、前の家では「旗日」には必ず国旗掲揚していた。ご主人が亡くなってからは、ご近所で旗が揚がっているのは我家だけだと思う。「日の丸を揚げようという気持ち」は男の方が強いような気がするが、如何だろう。この子はきっと「日の丸」を揚げ続けてくれるだろう。
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平均寿命

2007年05月23日 | 新聞から
             ユキノシタ
        ちっちゃいけれど、綺麗なお花です
     この葉っぱは裏が茶色なんです、珍しいそうです
       ユキノシタを見ると葉を裏返すのですが
       確かに白いです。友人のお父様の形見です

鹿児島から新茶が届きました。毎年頂くので心待ちにしております。主人の従弟(弓作りを生業にしています。アーチェリーではありません。日本の弓です)の家は鹿児島神宮の側にあります。お庭に的場があったと思います。舅も弓をひいていました。弓仲間との写真が数枚のこっています。従姉妹たちはそのお年頃になると鹿児島神宮の巫女さんに成ったと聞いています。

手紙にはこう書いてあります。「庭先の二反程の畑に昭和45年に植えられた『朝霧』と言う品種です。無農薬ですので安心してお召し上がりください」二反と言う広さが私にはピンと来ないのですが、庭先からあちらの道路まで見渡す限りお茶畑だったと記憶しています。垣根もお茶だったように思います。

今はもう亡くなりましたが、叔父さんも叔母さんもお元気で長生きなさいました。
叔父さんが米寿、叔母さんが80歳のお2人同時のお祝いが、近郊の温泉でありましたとき私達も出席いたしました。町の名士の方も沢山出席しておられました。

其の時の引き出物に「屋久杉の丸盆」を頂いた。我家のそのほかの「屋久杉製品」と言えば、もう一つ「丸盆」、息子の友人の結婚式の引き出物「角盆」、屋久島の叔母に頂いた「一輪差し」「花瓶敷き」「額(色紙に『寿』と言う字の形に彫った板が入っている)」そして私が屋久島で買ってきた「一輪差し」「筆入れ」「土瓶敷き」。そ~だ、舅の「硯箱」を忘れていた。以上小間物ばかりでした。

私達も叔父さん叔母さんのように元気で長生きあやかりたいな~と、近年特に思います。

長生きと言えばWHO(世界保健機構)が2007年の「世界保健報告」を発表した。それによるとWHOは男女合計の平均寿命を発表していないが、男女別の平均寿命を単純平均すると、日本の男性の平均寿命は82.5歳となり、サンマリノの82歳を上回っている。だから世界第二位に躍り出たらしい。

厚生省の発表に寄れば、女性の世界一は変わらないが男性は4位だと言う。この差はどう説明がつくのだろうか。

国勢調査では戦前は平均寿命は男女とも50歳を下回っていた。戦争などの影響だと思うが。戦後昭和22年(第8回)には男子50.06歳、女性53.96歳と50歳を上回った。約60年を経過した現在、男性28.50、女性31.56さい寿命が延びたことになる。

2005年の平均寿命が世界で一番長かったのが男性はサンマリノの80才、女性は日本の86歳だった。日本は前回統計まで男女とも「長寿世界一」だったが、2005年は男性平均寿命79歳で2位だった。

平均寿命の一番短いのは「データなし」のイラクを除くと平均寿命が最も短いのはが、シオラレオネ、女性はスワジランドで、夫々37歳。何故こんなに差があるのだろう。食べ物か?生活様式か?いずれにしても30代は早すぎるな~。

この平均寿命と言うのが曲者で、寝たきりでいる人も数へるのでしょう。年を取れば人間何処かに故障を持つのは当たり前だが、誰もなりたくてなるんではないけれど、寝たきりで平均寿命まで生きるのはゴメンだわ。

男女の平均寿命まで生きるとするならば、私はまだ14年も先である。だからと言って其処まで元気でいる保障は何処にもない。だから喜んで良いのか、如何したものだろう。
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上方落語名人会

2007年05月22日 | 一寸そこまで
             アマリリス
       やっと我家のアマリリスも咲きました
      あやこさんのヨーロッパ旅行のお土産です
          もう十数年前の事です
     子供も沢山生まれました、親も頑張っています

大阪厚生年金会館 芸術ホールに「上方落語名人会」を聞きに行きました。1100人の会場粗方埋まっていました。

9時までなので、何か食べてから行こうと言う事にしていて、大阪西口で喫茶店を探したのですが、何時もと違った場所なので見つかりません。時間も無いので遠くに行けません。目に付いたカレーやさんに入りました。

四つ橋には店が余り無かったと思っていたのに着いてみると、お店は沢山ありました。今までも大阪で食べていたので、気にしていなかったのかな~。主人は「コーヒー飲みたい」と言います。時計を見ると20分前です。間に合うかな~、と思いながら渋々入りました。5分前で良いと言う主人に10分前に「はよ行こ」と急き立てました。

所がです、着いてみると開場が6時だったんです。私は何時も開場時間には着くようにしているので、この日も6時開演だと思っていたのです。主人は「コーヒーまだ残していたのに・・・」「もっとまともなものが食べられたのに・・・」とかブーブー言います。

プログラムを見て「えっ?」。トリは人間国宝・桂米朝さんだと思っていましたのに、桂文珍さんでした。話を聞いて納得です。人気実力共に、No,1 でした。料金も京都に文珍独演会を聞きに行った時と同じなんです。何でこんなに安いの?と不思議だったんですが、これも古手お三人の話では落語協会もお金は取り難いのだと変に納得しました。

前座 林家染左:今年1月の「新進落語家競演会」で新人賞を受賞、この公演の出場権を獲得した。出し物は「阿弥陀池」。つかみが面白かった。彼は「言いたくは無いけれど阪大出て、公務員二なり、それを辞めて落語家になったんです。皆さんは笑っておられますが、親は泣いております」

二番 笑福亭竹林:やはりつかみが面白かった、現代の若者の言葉を比喩している。本人曰く「余り知られていませんけど、20数年やってます」出し物は「堪忍袋」

三番 露の五郎兵衛:座れないので腰掛で話された。過っての勢いが無いので、聞くほうも沈みがち。出し物は「七段目」。階段何段目から落ちたかと言う質問の答えが落ちで「・・・やから七段目からですか?、いえ天辺からです」階段から落ちる前に芝居好きの主人公が「忠臣蔵七段目」の芝居のまねをしていたと言う経過があるが、「忠臣蔵」の事を知らないと、オチで笑えない可能性がある。主人に「オチが解らなかったんではない?」と聞いたら、歌舞伎に興味の無い主人は解らなかったと答えた。

四番 桂春団治:シャキシャキしておられた頃を知っている、久し振りに見て、「あ~年取りはったな~」やっぱり声に力強さが無いので、心から笑えない感じ。
出し物は「高尾」

五番 桂米朝:人間国宝。舞台で言おうとする事を忘れるとは聞いていたが、本当だった。同じことを堂々巡りして言ったりするのは、お芝居ではないと思う。お題が「よもやま噺」だから文句は言えないけれど。

六番 桂文珍:腹のそこから笑った。出し物は「商社殺油地獄」(この題名は近松門左衛門の『女殺し油地獄』を捩っていると思う)。京都の時は「コンピューター」中心の噺だったが、今回は世間話と後半は産油国とそれに絡む日本の商社のお話。本当に面白かった。寿命が延びたみたい。文珍さんの追っかけしそう。
                          (390回) 
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