白のランタナ
色は変化しませんが
白は珍しいです 清楚で良いです
大きな見出しで『父「役に立ったのか・・・」』15歳の息子さんの臓器を提供したお父さんの疑問です。2年半前自分(父親)の意思で息子の臓器を提供した父親です。息子の臓器が、どう役に立ったかもわからないからです。
息子は平成16年10月末、突然の脳内出血、自宅で倒れ、意識を取り戻す事無く11月4日短い人生を終えた。死因は脳腫瘍。
「息子の全てを灰にしたくなかった。誰かの体の中でもいいから生き続けて欲しかった」と臓器移植を決断した。遺体からの移植で使える臓器のほとんどを日本臓器移植ネットワークを通じて提供した。臓器を早く取り出すために、息子にすがり付いて泣く間もなかった。それでも、「最後に人の役にたった」と思い我慢した。
新聞社への手紙は息子に語りかける様に綴られている「誰に移植されるのかは、提供者には告げられない決まりだそうな。かろうじて知りえたのは、膵臓は横浜の30代の女性、腎臓は大阪の2人の男性に、移植コーディネーターの女性によると、二年以内に患者からの手紙が、一度だけ移植ネットの関係者を通じて届くとの事だ」
届いたのは膵臓を提供した女性の手紙だけ(文面からドナーの性別さえわかっていないと言う感じだった)で、「社会復帰した」と聞かされた男性二人からは、未だに便りが無いという。「お父さん達は何を期待したのだろう。きっと、お前がどうしているか、移植を受けた人は元気になられたか、家族は喜んでいるか、幸せな生活を取り戻すことが出来たのか、其の喜びの声が聞きたかったのだろうね」
臓器移植法は「職務上知りえた人の秘密を漏らしてはならない」と定め、同法の運用指針でも、ドナーと患者側双方に個人情報が伝わらないように注意を払うように求められている。だがお父さんは移植を受けた人の名前や住所を知りたいわけではない。後悔はしていないが、患者さんが喜んでいるのかどうかさえ実感できないのはたまらなく辛い」「臓器移植では医者や患者の意見は強調されるが、ドナー側の意見は表に出てこない。どうか残されたドナーの家族の思いも理解して欲しい」
臓器移植法(平成9年施行)は7月で10年を迎える。「不特定の相手に対する善意」と位置づけられている。ドナーの家族と患者側が面会したり手紙のやり取りをすることは出来ない」ドナーの家族もそれを承知で臓器の提供を決断する。
そりゃドナーにしても患者にしても、いい人ばかりとは限らないから、お互いの事を知らない知らせないと言う事も一理あると思う。
でもドナー側にすれば、提供した臓器が患者の体内で元気に活動しているか、其の家族も喜んでくれているかを知りたいという気持ちも無理は無い。移植を成功させるためには一刻を争う、悲しむ間もなく臓器提供する為に引き渡す。この臓器の提供を受けて助かる命の事を思えばこそだろう。
両者の接点がなくとも、仲介者(ネットワーク等)の元に問い合わせれば現状把握が出来るようにすべきではないだろうか。頂いた臓器で健康を取り戻した人も、貰いっぱなしで報告無しと言うのもあまりに身勝手すぎる。
このようにドナーの不満、いや不信かな、が増えれば提供者は減っていくだろう。「どうせ死んだんだから、役に立つものは呉れても良いではないか」と言う考えだとすればそれは大きな間違いであり、提供者減少に繋がると思うが。残されたドナーのご家族に納得いく方法を考えていただけないだろうか。
色は変化しませんが
白は珍しいです 清楚で良いです
大きな見出しで『父「役に立ったのか・・・」』15歳の息子さんの臓器を提供したお父さんの疑問です。2年半前自分(父親)の意思で息子の臓器を提供した父親です。息子の臓器が、どう役に立ったかもわからないからです。
息子は平成16年10月末、突然の脳内出血、自宅で倒れ、意識を取り戻す事無く11月4日短い人生を終えた。死因は脳腫瘍。
「息子の全てを灰にしたくなかった。誰かの体の中でもいいから生き続けて欲しかった」と臓器移植を決断した。遺体からの移植で使える臓器のほとんどを日本臓器移植ネットワークを通じて提供した。臓器を早く取り出すために、息子にすがり付いて泣く間もなかった。それでも、「最後に人の役にたった」と思い我慢した。
新聞社への手紙は息子に語りかける様に綴られている「誰に移植されるのかは、提供者には告げられない決まりだそうな。かろうじて知りえたのは、膵臓は横浜の30代の女性、腎臓は大阪の2人の男性に、移植コーディネーターの女性によると、二年以内に患者からの手紙が、一度だけ移植ネットの関係者を通じて届くとの事だ」
届いたのは膵臓を提供した女性の手紙だけ(文面からドナーの性別さえわかっていないと言う感じだった)で、「社会復帰した」と聞かされた男性二人からは、未だに便りが無いという。「お父さん達は何を期待したのだろう。きっと、お前がどうしているか、移植を受けた人は元気になられたか、家族は喜んでいるか、幸せな生活を取り戻すことが出来たのか、其の喜びの声が聞きたかったのだろうね」
臓器移植法は「職務上知りえた人の秘密を漏らしてはならない」と定め、同法の運用指針でも、ドナーと患者側双方に個人情報が伝わらないように注意を払うように求められている。だがお父さんは移植を受けた人の名前や住所を知りたいわけではない。後悔はしていないが、患者さんが喜んでいるのかどうかさえ実感できないのはたまらなく辛い」「臓器移植では医者や患者の意見は強調されるが、ドナー側の意見は表に出てこない。どうか残されたドナーの家族の思いも理解して欲しい」
臓器移植法(平成9年施行)は7月で10年を迎える。「不特定の相手に対する善意」と位置づけられている。ドナーの家族と患者側が面会したり手紙のやり取りをすることは出来ない」ドナーの家族もそれを承知で臓器の提供を決断する。
そりゃドナーにしても患者にしても、いい人ばかりとは限らないから、お互いの事を知らない知らせないと言う事も一理あると思う。
でもドナー側にすれば、提供した臓器が患者の体内で元気に活動しているか、其の家族も喜んでくれているかを知りたいという気持ちも無理は無い。移植を成功させるためには一刻を争う、悲しむ間もなく臓器提供する為に引き渡す。この臓器の提供を受けて助かる命の事を思えばこそだろう。
両者の接点がなくとも、仲介者(ネットワーク等)の元に問い合わせれば現状把握が出来るようにすべきではないだろうか。頂いた臓器で健康を取り戻した人も、貰いっぱなしで報告無しと言うのもあまりに身勝手すぎる。
このようにドナーの不満、いや不信かな、が増えれば提供者は減っていくだろう。「どうせ死んだんだから、役に立つものは呉れても良いではないか」と言う考えだとすればそれは大きな間違いであり、提供者減少に繋がると思うが。残されたドナーのご家族に納得いく方法を考えていただけないだろうか。