ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

真山青果「元禄忠臣蔵」

2006年10月11日 | テレビから
            (神戸花鳥園)
      その時々によって展示される主の花が違う
       行った日はストレプトカーパスだった
            今は何だろうか?

東京国立劇場で今月から12月まで、中村吉右衛門、坂田藤十郎、松本幸四郎の3人が月替わりで大石内蔵助を演じる「元禄忠臣蔵」は青果版忠臣蔵だと言う。私は「忠臣蔵」大好き人間だ。映画になれば見に行くし。小さい頃は舞台で見た。戦後は「忠臣蔵」があだ討ちの話である事から、アメリカの命により上演禁止の時代が長く続いた。

禁が解けてからの「忠臣蔵」は登場人物の名前が変えられていた。大石内蔵助が大星由良之助に変えられていた。私はまだ物事を深く考えられる年でもなかったし、「進駐軍に気兼ねして名前をかえた」と教えられ今日まで来ている。

「気兼ねして云々・・・」は当たらずとも遠からずらしい。私が見ていたのは「仮名手本忠臣蔵」で、これは「忠臣蔵」の語源で、全11段の長編歴史物。二代目竹田出雲(初演した大坂竹本座座長)並木千柳、三次松洛の合作。元々は人形浄瑠璃の作品だったが、歌舞伎にうつされ、最近では狂言での上演もあり、不況の時でさえ、これを上演すれば必ず成功する(私もその様に聞いていた)といわれた。作品内では、大石内蔵助が、幕府の咎めを避けるため、「大星由良之助」と表現されている。寛延元年(1748年)義士討ち入りから47年目の年に大坂竹本座で初演。

浅野内匠頭の刃傷や吉良邸討ち入りの場面がないのが、青果「忠臣蔵」の特徴だそうだ。それ故に、浅野内匠頭が何故刃傷に及んだか分からない。勿論この見せ場がなくとも沢山の見せ場はある。南部坂雪の別れ:討ち入り前日、内蔵助が内匠頭の未亡人瑤泉院に暇ごいに訪れるが、敵の間諜の気配を察し「他国に雇わて・・・」と嘘をつき血判状を渡して去る。又、赤垣源蔵徳利の別れ:兄に別れに訪れたが、生憎の不在、兄嫁は仮病を使い会わない、兄の紋付を借り、紋付に別れの杯をして帰る。人によって好みの場面はあるだろうが、上記は私の涙の洪水の元でお気に入りの場面である。

私の見ていたのは「刃傷の場面」も「討ち入りの場面」もあったから「仮名手本忠臣蔵」の方である。何故「仮名手本」と書くのかと気になっていた。「仮名手本」は「かな文字47字」と「47人の義士」を掛けているそうだ。シャレてるね。

真山青果の「元禄忠臣蔵」連作10篇こそはその頂点に立つ傑作である。周密堅固な構成、重厚な台詞回し、そして論理と論理が激しくぶつかり合って火花を散らす登場人物の対話。力強い緊張感が深い感動を呼び起こす。

益々見たいな~。歌舞伎は夜の部が昼の部より良いので、私の好きな「南部坂雪の別れ」「徳利の別れ」等は「夜の部」の様な気がするので日帰りは難しそう。若い頃からの希望としては「東京国立劇場で忠臣蔵の昼夜通し」を見ると言う事だった。希望の絶好のチャンスが来ているわけだが、昼夜通しは体力的にきつく、折角の夜の場面で寝てしまいそうな予感。あ~ぁ年は取りとみない!

☆真山青果:作家であると同時にまた、西鶴語ひょう研究、江戸地誌研究の第一人者。「元禄忠臣蔵」連作の抗争にあたり、とりわけ徹底した資料調査を行ったと言う。その周到綿密な史実考証・言語考証が全編に独特の風格を漂わせ、そのなかで血の通った人間のドラマが展開される。

3ヶ月に渡る上演場面には私の大好きな場面はなさそう。行きたい気持ち半減。青果の「元禄忠臣蔵」は岩波文庫に在るらしい。今度探してみよう。そしてせめて文字で雰囲気を感じてみようか・・・




コメント (4)
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