ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

今日から5年目

2010年03月31日 | 今日この頃

              「枝垂れ桜」ですよね 桜は200~300種あるそうです
                   2cmあるかないかの小さな花です            
            武庫之荘の小学校の裏門脇にあります 私の好きな「桜」です
                  表門には「ソメイヨシノ」が数本植わっています 
               ピカピカの1年生の入学式まで咲いていてほしいですね

     

「花冷え」といいますか「寒の戻り」といいますか、寒いというより、「冷たい!」
って感じです。

今日で3月も去ります。2006年3月30日から「ちいさな幸せ」を始めましたか
ら、今日で5年目に入りました。4年で1333回書いたことになります。休んで
いないようでも127日休んだことになります。病気か旅行のどちらかで、ずる休
みはしていません。

今、土・日は「遍路」の思い出を書いておりますが、5月頃には終わると思いま
す。そうすると週末はお休みにして、複合機とウインドウズ7のお勉強をしたい
と思っています。指導書は買い込みましたが、まだ利用する時間がありません。

スキャナーが壊れたので複合機に買い換えました。お正月が過ぎると、値下が
りするだろし、A3仕様は大きすぎますし使いませんから、A4使用を探していま
した。会社が違えば希望に近いものはあったのですが、出来たら初めから使っ
ているキャノンがいいと探していました。予想通り1万円も値が下がりましたの
で、思い切って買い換えました。指導書と首っ引きでセッティングだけは出来た
のですが、使うまでいっていません。何をするにも時間がかかりますので、お勉
強時間をとろうと思っています。


マジシャンのマギー士郎さんが、なかなか芽が出なくて、あせりがちのお弟子さ
んに、こう言われました。
「すぐに幸せになれなくとも ゆっくり幸せになればいいんだよ」
「本当にそうだな~」と思いました。一生にも当てはまるように思いました。

私の一生も、決して初めから幸せだったわけではありません。色々の経験をし
て、いろんな考え方が出来るようになって、心が柔軟性を持つようになって、外
に心を開くことが出来るようになって、少しずつ幸せを取り込んだような気がし
ます。

今、私は身の丈にあった生活をしています。寝込むほどの大病もせず、自分
の足で歩き、考えることが出来、食べたいな~と思うものが買え、寒いときは
何の心配も無く部屋を温められる。こんな小さなことにも今の私は満足と幸せ
を感じています。

大きな幸せを手に入れることが出来なくとも良い、小さな幸せが長く続くこと
を願っています。
                              (1334回)




                       ご近所の「こぶし」です
            白木蓮との違いは花の根元に葉が1枚付いていることです

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命の洗濯

2010年03月30日 | 今日この頃

          尼崎の桜も咲き始めました (高瀬公園 10-3-30)


今日はご近所の仲良しさんが集まろうという日で、とても楽しみにしていました。
女3人寄れば姦しいといいますが、プラス一人です。驚いたことに4人の中で一
番若いのが私です、ひぇ~びっくりお三人はれっきとした「後期高齢者」です。
後半年で私もお仲間入りするのですが…。いつもは気が付けば、私が最高年
齢ということが多くなりました。やっぱり、年上の人と一緒ですと何となく安心感
があります。

それともう一つ、皆さんメリー・ウイドゥです。ご主人を亡くされてから、絵画、ピア
ノ、ヘルマンハープ(新しい楽器で、癒し系の音のする楽器)等を楽しんでおられ
ます。勿論、「インド家庭料理教室」もご一緒です。

始めは子供が同級生というお付き合いでした。だから、20代のお肌もピチピチし
ている頃から知っているわけで、見掛けはお互いに一寸?老けましたが、心置
きなく話せる大切なお友達です。

私が、ご近所の付き合いが、年をとれば益々大事になると感じ始め、その為に
は今(当時40代)から始めた方が良いと、「仲間つくりをしませんか」と呼びかけ
たとき、皆さん賛同して参加してくださいました。

それから30年近く、仲良く、楽しんでいたのですが、4代目会長(現会長)がこ
のグループは70才までと言い出しました。腹が立ちましたが、この方しか引き
受け手が無かったので、解散するよりましと思い直しました。そして、はみ出し
た人で又グループを作ればいいわと逆らいませんでした。

若い人が集まらず、退会させた70歳以上の方も呼び戻しにかかりました。私は
戻りませんが、退会させられてグループが無くなり、一人で寂しかった人は戻ら
れたと聞いています。会長ご自身が70になられたのでは無いかと思います。自
分がその年になって、年をとるほど、近所付き合いの必要性は増すのだという事
を感じていただけたのなら、それでよかったと思います。私の呼びかけで始めら
れたグループがこれからも長続きして欲しいと願っております。

今日もその話が出ました。ほかにも色々、戦争中の食べ物の話、子供の頃の
話、話は尽きません。、本当は、今度新しく作った、政治?のお勉強会の話が
メインのはずでしたが、お菓子とお茶をお代わりしながらとめどなくしゃべって
は笑い、本当に楽しい時間をすごしました。「又、こんな楽しい時間を持ちたい
ね、寿命も延びた気がするね」と名残惜しく散会しました。





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罪深き海辺

2010年03月29日 | 読みました

               赤い八重の椿   (尼崎・大井戸公園)


冷たい1日でしたね。一時でしたが霙が降りまして、驚きました。一日中寒い
日でした。

10日ぶりに目医者さんの検診でした。月曜日だったからでしょうか、いすに座
れないぐらいの人でした、「治療室の机のいすに座ってください」と言われまし
たので座りました。机の上を何気なく見ますと、明日の手術の名簿でした。明
日は7名もなさるようです。全員女性で70代から80代です。お一人27歳とい
う人が居ましたが、この人は最後の手術のようですが何の手術なんでしょうね。
「若年性白内障」というのがあるようですが、それでしょうか? 

先生は一人で出来ない手術は県立尼崎病院にまわされますから、主人も「黄
班前膜」のときは先生の紹介状を持って県立尼崎で手術を受けました。たとえ
簡単な手術といえども7人は疲れるでしょうね…。私が手術を急いだのは、先
生が働き盛りの時に手術してもらいたいからでした。どんなに上手な先生でも
年を取るとと安心できないな~(手が震えて、目玉をブスリなんて嫌!)と思った
のです。ぼ~としているようで、このようにちゃっかりしている時もあるんです、
私。

春休みだからでしょうか、姉弟を連れたお母さんが居ました。小学校低学年だ
と思います。こんな小さいときから、眼鏡のお世話になるのは先天的なものな
んでしょうか、それともゲームのやりすぎでしょうか? 弟の方の検査はすぐ済
みましたが、お姉ちゃんの方は色々検査しているらしく長く掛かっていました。

私も、今日は、視力範囲の検査があったのですが、それは合格で「緑内障の気
はありません」といわれました。上記のお姉ちゃんは、この検査もしていました。
視野が狭い疑いがあるのでしょうか、何だか不安そうな顔をしていて、可哀相な
気がしました。



           罪深き海辺    大沢在昌


1994年の110回直木賞作家です。名前には見覚えがあったのですが、読
んだ記憶が無く、しかし覚書を見てみますと、7.8年前とはいえ3冊も読んで
いるのです。我ながらあきれますが、今の私には、忘れることを恐れていては
何も出来ないのです。読みたい本を読み、そして忘れる。それでいいじゃない
の…と自分に優しい私です。

書評を読みますとハードボイルド型だそうで、「いい本」という人と「失敗作」と言
う人の二手に分かれているようです。

今にも破綻しそうな猟師町の出来事です。町を二分する土地持ちの家がありま
す。その片方の家の子供の無い干場家の当主を殺すことによって、財産は、半
分は市のもの、後半分は有志のものとなり、一応は落ち着いていた。そこに居
ないはずの殺された当主の甥(腹違いの妹の子)という青年が現れてから、当
主の迷宮入り事件が暴かれるのを恐れて、口封じの殺人が次々と起こる。

何故?干場家は根絶やしにされたか? それは過って一大勢力を持っていた
漁師の元締めの家が没落し、その妾の子は、手のひらを返すように、貶められ、
母親とともにこの市を去らねばならなかった。その後の母親の苦労を見て育っ
た少年が、苦労の後、成功した時、自分たち親子に冷たかった人達の住む市
に復讐をした事件だったのです。

私は読みやすかったし、裏切ったり、裏切られたりが複雑に入り混じっていて、
面白かったです。近頃、推理小説を多く読んでいますが、何らかの形で新聞
に載った中から選んでいるので、近頃は推理小説作家が多くなったのでしょ
うか。




               白の一重の椿  (尼崎・大井戸公園)
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遍路  (91回)

2010年03月28日 | 思い出話
              平成15年11月16日


             距離;26K  根香寺 … 旅館 百々屋  (3)        


昼でもあるし、白峯寺で買った「大福もち」の食事をすることにしました。飲み
物を探したのですが売っていないのです。仕方が無いので、持っている分を
ちびちび飲もうかということにしました。階段に腰掛けて「大福」を食べました。
1個目を食べながら、後半分あるなと思いながら食べました。半分残っている
はずの「大福」が無い。主人を見ると2つ目の「大福」が半分は食べ終わり、今
まさに残りも口の中に入れようとしている。「半分はわたしのものよ!」と思わ
ず叫びました。主人はきょとんとして「あっ!そうか!ごめんごめん。全然考え
んかったわ!」だって。もう少しで私は「大福」一つで宿まで歩かなければなら
なかった。  
☆今読み返していると、私は半分を取り返したようですね。たいしたもんでだ!

本当は「蒸かし芋」も買いたかったのですが、重いので買い控えたのです。荷
物が増えるときだけは「年寄りに荷物を持たすのか!」という連れと一緒なの
で、極力荷物を増やさないようにしていました。







遍路道から車道に出たところで、又中学生の一団に出会いました。という事
は遍路道は歩かなかったのです。

ここからの道の景色が良かった。天気が良すぎて、すこし霞んで見難かった
のですが、海に浮かぶ島々に見とれました。綺麗な海が見えなくなり、山道
入ると、今度は蜜柑の木が両側を覆いつくしていました。





                 人知れず 山中に咲く花 いい香りです!

歩けども歩けどもあると思っていた自動販売機がありません。民家が無いの
ですから、当たり前といえば当たり前なんですけど、無いと思えば余計に飲み
たいのです。両側の蜜柑の木の下には、蜜柑がぽとぽと落ちています。喉か
ら手が出るほどほしいのです。でもたとえ落ちているみかんといえ、遍路をし
ている身で人様のものに手をつけてはいけないと我慢しました。

蜜柑を満載した自動車が通り過ぎました。「一つでいいから、お接待していた
だけないかしら…」とさもしい事を考えてしまいました。いつもなら水を切らす
事なぞ無いのに、この旅で終わりだという気の緩みでしょうか。

蜜柑畑も過ぎ、小さな広場に来たとき、道路わきに蜜柑が一つコロンと落ちて
いました。私は一端横目で蜜柑を見ながら通り過ぎたのですが、でも心残りで
振り向きました。つやつやとした蜜柑が誘いかけるようでした。「ねぇ~!蜜柑
が落ちてるの、拾ってこようかしら?のどが渇いてたまらんわ」と前を行く主人
に声を掛けました。「ほしかったら拾ったらいいやん」と…。私は急いで後戻り
して、蜜柑を拾いました。食べながら考えました。自動車が通ったとき、欲しい
な~と見つめたあの蜜柑の山の中から、私の心の声を聞いたこの蜜柑が転が
り落ちてくれたに違いないと。「味は普段ならまずくて食べられへん味やで~、
のどが渇いていたから食べられたけど…」と一つの蜜柑を半分っこした主人。
でもどんなに嬉しかったか、ひと時のどの渇きを忘れさせてくれました。

村に入って畑の真ん中、「えっつ! こんなところに?」思いがけない場所に自
販機を見つけたときの嬉しさ、大げさに言えば一生忘れない! と言う感じでし
た。(今でも畑の中にぽつんとあった自販機は目にくっきりと浮かびます)一人
1本ずつのコーヒ間も瞬く間に飲み干して、ウーロン茶も1本続けて飲み干しま
した。やっと人心地が付いたという感じです。

周りは盆栽の里、鬼無(きなし)で、形の良いのやら悪いのやら松の盆栽が目の
前に広がっていました。

JR鬼無駅の前の今夜の宿「旅館 百々屋」がありました。私たちが一番乗りで、
すぐにお風呂に入ってくださいといわれました。


               2泊目  旅館 百々屋

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遍路  (90回)

2010年03月27日 | 思い出話
              平成15年11月16日
           第82番札所 根香寺(ねごろじ)




           距離:26K   白峰寺 … 根香寺 … 旅館 百々屋  (2)

第82番 根香寺への道はすぐ山に入りました。私たちの前をアベックが歩い
ている、足元を見ると普通の靴である。「な~んだ、あんな靴でも歩ける道な
んや、ハイキングコースって書いてあったものね」と思いつつ歩いておりました。
しばらく行くとアベックさんが戻ってきました。前方を見ると道は登り急坂「そ~
やろ、そんな格好では駄目やろ! そ~やと思ったわ」と心の中でつぶやきな
がら、彼らを見送りました。

白峰は残雪に由来し、青峰は松が多いことから付いたといわれています。アッ
プダウンを繰り返しながら進みます。もし道を間違わなければ(私たちは間違
って、旧道を登って、白峰へ…)この道を歩いて白峯に入ることになっています。

ゴロゴロの下り道を目の下に見たとき、電話が鳴りました。こばやしさんからで
した。私の方からも何度もお電話したのですが、電源を切っておられるのか繋
がりませんでした。久しぶりに聞くこばやしさんの声に、自分の足元が、ゴロゴ
ロの急斜面であることを忘れておりました。アット気が付いたときには、見事に
尻餅をついていましたし、携帯電話も手から離れておりました。あわてて拾い
上げると、こばやしさんのお話は続いていて、気が付いておられないようなの
で、尻餅をついたままお話を続けました。

坂ノ下で主人が待っておりました「滑りやすいところがあると電話したら話中
だった」「見事に転んだわ。こばやしさんと話中で、立ち止まって話せばいい
のに話しながら歩いたから…」見事に滑って、腰を打っているので心配しまし
たが、大丈夫のようでした。

途中、中学生の団体に出会いました。社会見学というかその土地を知る為の
遠足のようでした。先生のほかに、案内人のような人が付いていて、周りの木
や草の説明を受けていました。(7年前に中学生の彼らは、もと今年社会人な
んですね)私の姿を見つけると、大きな声で「こんにちわ!」と挨拶してくれま
した。通り過ぎた私の耳に「今日はお遍路さんが多いですね。珍しい事です」
という案内人の声が聞こえてきました。今この道を歩いているのは、先ほどの
男性、主人、白峰に登ってこられたご夫妻、そして私と5人だけだと思うので
すが、5人でも多いのだろうか? バスの観光遍路といわれる人が圧倒的に
多いものね。




    

第82番 根香寺 は山門は本当に狭く、山門に着くと一端、階段で下って、
すぐ又階段(上の写真)を登るという、本堂に着くのにU字の登るようになって
います。

ここは「紅葉」で有名なお寺だそうで遍路だけではなく、一般の家族連れも来
ていました。

本堂には回廊から入るようになっていました。回廊式「万体観音堂」(3万体を
越す観音像が並んでいます)があり、本堂を中心にコの字型に繋がっています。
3万体の観音様は都道府県別に納められています。ほんの一部ですが、すり
足で進まなければ歩けない真っ暗な場所があるのです。何の為でしょうね?

ご本尊の千手観世音像は桜の1本彫りで、33年に一度しか開帳されない秘仏
で、去年(平成14年)がその年に当たったそうです。ご縁が無かったということ
でしょう。でもどうして、そんなに秘するのでしょうか?見られて減るものでは無
いと思うのですが…、私罰当たりなこと言っているのでしょうか?
                       (1330回)



           ↑  「万体観音堂」の回廊越しに「紅葉」を写したものです

     
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鹿児島・天文館の試み

2010年03月26日 | テレビから

                 今日も 「すみれ」       尼崎の町角で


尼崎の市バス無料パスを受け取りに行きました。一昨日から始まっていたのです
が、雨だったものですから、今日どっと皆さん受け取りに来られたようで、20分以
上並びました。寒かったです。空き地にテントを張っての仮ごしらえの所に並ぶの
ですから、「タダ券貰うのやから、文句言われへんけど、遅いな~」って主人が大き
な声で(耳栓でラジオを聴いているので、おのずと声が大きくなる)言ったので、回
りの人が笑っていました。

10月から有料になるので、パスの有効期限は9月末日まででした。今年70歳にな
られた方はお気の毒に半年しか無料期間が無いのです。いえ、10月以降の方は
一度も恩恵によくさないということになりますね。これも運命ですか…なんてちょっと
オーバーかな?

書き換えた新しいパスで、塚口まで出て「イカリスーパー」に買い物に行きました。
年に何回か行くのです。一寸高いのですが、いいものがありますし、私の好きな
お菓子類もあるのです。ついつい買ってしまいました。


テレビで見たのですが、中国から買い物客が1200人位の団体でど~っと来日した
そうですよ。1時間半ほどの滞在時間でお一人2~30万の買い物をしていったそう
です。すごいですね。中国も変わりましたね。つい先日まで、男も女も人民服を着て
いたと思っていたのですが、貧富の差が激しくなったのでしょうね。

それにしても一人で自動炊飯器を7つも買った人が居るんです。きっと頼まれ物で
しょうけどね。シャンプーや時計もよく売れたようです。皆さん「メイドインジャパン」
かどうかしっかり確認していたそうですよ。「何故日本製を…」と聞くと「品質がいい」
「信頼できるから」と言っていましたよ。嬉しいですね。信頼を落とさないようにした
いですね。

さて、この中国人が降り立った港は何処だと思います? 鹿児島なんですよ。鹿児
島市に「天文館通り」という大きな商店街があります。私も3度ばかり行きましたが、
神戸の元町通りのように道幅の広い通りなんです。近所に大きなストアーなどが出
来て、寂れてきたそうです。その町おこしとして、はじめた行事だそうです。今年中
にまだ11回ほど予定があるそうですよ。

今回が初めてで、言葉のわかる人を揃えたり、町が広いので、行動する範囲を限定
したりしたようです。そしてその辻々には警備の人をたてて迷い子?を出さないよう
に気配りしたのですが時間を過ぎても帰らない人もあったりして、気をもまれたよう
ですが、船の出港を半時間以上おくらせて、やっと全員出航したようです。

それを見ていて私考えたんですよね。1200人は多すぎますよね。迷わないように
1家族に1台携帯電話(勿論、案内所のみの直通電話です)を持って貰えば如何でし
ょうね。初めは費用がかかるかも知れませんが、2時間足らず貸し出すだけですし、
来る人も迎える人も心丈夫では無いですか…。全国初の試みだそうですし、皆さん
満足そうでしたから成功してほしいですね。

画面の中で「米ドルは駄目です」「何故?」という会話がはいていましたが、ほしいも
のが多すぎて、日本円を使い果たすということも考えられますから、どこかの銀行と
タイアップして両替可能にして、どんどん買い物を楽しんでもらえるようにするべきで
すね。

次の訪問国は韓国だそうですが、何を買うのでしょうね。安くておいしい食材でしょ
うか? 健康の為に朝鮮人参でしょうか?




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歯医者さん

2010年03月25日 | 今日この頃

                      パンジー色々   尼崎の町角で…


年をとると自分の身体のメンテナンスに時間がかかります。「目」が快方に向か
えば、今度は「歯」です。歯茎が腫れて来たので、予備に貰っていた薬を飲みま
した。腫れはましにはなったのですが、薬の予備がなくなりましたし、歯垢の検
査の時期も迫っていましたから、予約制なので、電話をしました。「何時がいい
ですか?」「今日と言うわけには行きませんよね?」「10時なら空いております」
と言うことで歯医者に行きました。

歯医者さんには待っている人が居なくすぐ呼ばれました。事情説明をして予備
の薬がなくなったからいただきたいこと、1ヶ月ほど早いけれどついでに歯石も
取ってほしいと言いました。「歯石は、上手に磨いておられるので、付いていま
せん。6ヵ月後に又きてください。ただあちこちに不安な状態の歯がありますか
ら、薬を1日飲んで、出血が止まらなかったり、腫れが引かなかったりしたとき
には来てください」といわれました。

いつもは下の前歯の裏側の磨き方が下手だと、模型を持ってきて、磨き方をレ
クチャーされていました。このごろ、やっと上手くいくようになったとは自分でも
感じていましたが、歯の磨き方によって歯石のつき方が違うことを感じました。
もう一つ「1日5分でいいから歯茎のマッサージをしてください」といわれていま
した。これも実行しています。本当に壊れかけの身体をそ~っと現状維持させ
るのに苦労の毎日です。

今頃になって遅いのですが、歯をもっと大切にすればよかったと後悔がありま
す。生きている間、おいしいものをおいしく食べるには歯が丈夫であることが1
番です。ありがたいことにお医者さんも、できるだけ自分の歯を残そうとしてく
ださいます。すぐ「抜きましょう」というお医者さんは駄目な医者、とはよく聞く
話です。私も言われたことを守って、歯を大切にして、おいしいものをおいしく
食べたいと思っています。

時々考えます。私の身体の中で、私の知らないうちに、どこかが壊れかけてい
るのではないかしら?って。生身の身体ですからね。

大病をされた方のお話を聞いていても、やっぱり、とことん悪くならないと気が付
かないものらしいですね。私は70を有に過ぎた今日まで、入院生活を知らない
でこれた事に感謝です。

立花という地区はあらゆるお医者さんがそろっております。本当にありがたい事
です。これからは益々、お医者さんにかかる率は増えると思いますが、そのお医
者さんが、歩いて数分の所に点在しているということは本当に幸せです。

歯医者さんが早く済みましたから、4ヶ月ぶりに「顔そり」に行きました。今まで
は2ヶ月も行かないと「俺の女房にゃ髭がある」状態になたのですが、髪の毛も
伸びを緩めたと同時に、顔の産毛も伸びが緩んだようです。久しぶりに「顔そり」
をしてさっぱりした1日でした。







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インド家庭料理 (22回 ←私の出席した回数)

2010年03月24日 | 今日この頃
 
    ↑ お教室の活花(すくっと立ってるゼンマイは活花用のもの)    ↓ 今日のお料理


菜種梅雨とか、春の長雨とか言われますが、よく降りますね。乾燥機が無いの
で、洗濯物が乾かなくて困ります。ストーブで乾かすのですが、太陽に乾かした
のと違うような気がします。

3ヶ月ぶりのお教室です。初めは、同じお仲間なんですが、何となく戸惑いがあ
りました。

今日はショリー先生の故郷、南インドの西海岸「ケララ」のお料理ばかりだそう
です。「ケララ」には椰子の木が多く、ココナッツ料理が多いそうです。

一人が言いました「ラジオを聴いて居たらね。鰆は魚辺に春と書くけど春が旬
では無いらしいよ。冬らしいよ」私も春の魚と思っていましたから、帰って調べ
てみました。

鰆: 春に産卵のために沿岸に近寄るので人目につきやすいから「春を告げる
魚」と言われる。高知沖に1~2月に来て、瀬戸内海が3~5月駿河湾には
10~11月に達するらしい、だから「鰆」の旬は産地によって異なるということ
です。寒くなってからの「鰆」は「寒鰆」と呼ばれて珍重されるそうです。白身の
ように見えますが「赤身魚」に属します。身は柔らかく崩れやすいので、煮物に
は向かないので、日本では西京焼きなど焼き魚としてもちいます。私は冬には
味噌漬け(冬しか漬ける荒味噌が無いから)、そのほかはホイル焼き(バター
を塗って、レモンを載せた鰆ときのこ類をホイルに包んでトースターで焼きます)
にしますが、中国では蒸したり煮たりする調理もするようです。




                 ココナツミルクで煮た魚(今日は鰆)

今日のメインディッシュでしょうか。魚は何でもいいそうですが、今日は「鰆」で
した。「鰆」は香辛料とレモン汁でマリネにしておきます。その後少し多めの油
で表面をカリっ賭させる、後で煮込むので中まで火が通る必要は無い。薄めの
ココナッツミルクと香辛料、玉ねぎの汁に、「鰆」を加えて煮込み、しばらくして
トマトを加えて煮て、最後に濃い目のココナッツミルクを加えて出来上がりです。





                 チェルパイル カレー (グリングラム:豆)

豆の煮込みというのでしょうか。グリングラム(日本名)は山椒を一寸大きくした
くらいの豆です。圧力鍋で7~8分煮ますと数倍の大きさになります。2種類の
違った香辛料の組み合わせで2度煮るのが変わっているかしら。

グランドキャニオンでも豆と野菜の煮物を食べたのですが、その時も「西部劇の
料理みたい」と思いましたが、今日もふっとそう感じました。





                 キャベッジ トーラン(キャベツのドライカレー)

キャベツのカレーなんて初めてです。ドライとは私たちが思う乾燥したカレーで
はなく汁気が無いという意味のようです。

キャベツの刻み方で味が違うそうです。キャベツと玉ねぎを細かく刻みます。オ
イルを熱して、香辛料を入れ玉ねぎを炒め、ココナッツミルクを入れて、キャベ
ツを入れ炒める。

とてもあっさり系でおいしかったです。




 ↑ ムルク  (お米のスナック)   左:ショリー先生と搾り出している(私)   右:油で揚げる


米の粉が主です。いろんな香辛料(黒いツブツブはインドのゴマ)を入れた後、
ギー(インドのバター)と水で練りこみます。それから搾り出し器のような入れ
物に入れて搾り出します。見ていると簡単なようですが、これがなかなか難し
いのです。それを油で揚げますが、直接油に流しいれて、適当に砕いて出す
時もあるようです。

デザートとして、食後の紅茶ともよくあいました。甘くないのでビールにも良い
かな~?

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首相夫人は 何しても良いの?

2010年03月23日 | 気にかかる

        桜並木でこの1本だけが咲いています  桜じゃない? (尼崎・武庫之荘)




朝から曇っていましたね。今にも降りそうでした。「私は紙の体だから、雨降りは
ジムはお休み」と決めているのですが、今日は珍しく行ってみようかなという気に
なり出かけました。

すずき先生のクラスで楽しくレッスンを受け、サウナに入り帰宅しました。ありが
たいことに、ぱらぱらとは来たものの、結局、傘をささないで帰宅しました。


午後からは参議院委員会テレビ放送を見ておりました。自民党の山本一太さん
が質問に立ったとき、のっけから鳩山さんに質問しました。「幸夫人のこと…公
邸で韓流スターと会食…」お答えは「……よく知らない」

先日こんな記事が新聞に載っておりました。

『鳩山由紀夫首相は19日、幸夫人が17日に韓国の人気俳優、イ・ソジン氏を
首相公邸での夕食に招き、自身も加わったことを明らかにした。夫人はイ氏の
熱烈なファンで、首相も就任前後から計4回、一緒に面会。首相周辺からは「特
定の外国の人とばかり会うのは誤解を招きかねない」と懸念する声が出ている。

韓国紙の報道によると、幸夫人は天ぷらなど手料理を振る舞い、イ氏から民族
衣装のチマ・チョゴリを贈られたという。首相は、稲盛和夫内閣特別顧問らとの
会食後に加わった。

首相は19日夜、記者団に「私が帰ったときにお開きになった」と述べた上で
「これ以上、妻のプライバシーにかかわること(への言及)は遠慮したい」と語
った。

イ氏は、永住外国人への参政権(選挙権)付与を求める在日大韓民国(民団)
の広報大使も務めている』

幸夫人は贈られたチマ・チョゴリを今度韓国に行くとき着て行くといわれたそう
ですが、ファーストレディの地位にある間は止めていただきたいですね。この度
の公邸への招待にはイ氏の母親も同席したと書いていたものもありましたが…。

幾つになっても、スターにあこがれることはあると思います。私はイ・ソジンとい
う人を知りませんでしたので、調べてみました。インテリさんのようですね。留学
経験もあるそうですから、鳩山夫妻とは英語で会話かしら。鳩山さんより男らしい
かんじかな?

ただね。場所を考えていただきたいのです。公邸(高官のために公的機関が設
けた邸宅、反対語=私邸)とは税金で建てられたものでしょう。このたびの転宅
でも、今までの首相たちの改造費(300万前後)をはるかに超えて700万ほ
どお使いになったそうですね。みんなみんな税金でしょう? そこにたとえファ
ンだからと言って、個人的な付き合いの人を招くのはどういう神経でしょうか?
仲良しの人に公邸を見せてあげるというのとは一寸違うと思うのですが。

ましてイ氏は民団の広報大使だそうではありませんか、この2月になったばかりだ
そうですから、幸夫人の熱烈さを聞きつけた「民団」のなんらかの下心があるよう
な気がします。

友好を暖められるのは結構、しかしそれは今まで通りホテルでしていただきたい、
公的な邸宅ではなさらないでいただきたいのです。

それでなくとも今首相は大変な決断を迫られています。幸夫人がその立場を一番
判ってあげなければならないと思うのですが、こんなことで足を引っ張って…。

首相も「女」には苦労ですね。母親からは知らぬ間にお金を贈られ、その事で名
誉失墜、その上に、今度は夫人が公邸の私物化…、夫人の為なら、すべて目をつ
ぶりますか? でも世間はじ~っと見ていますよ。




            「花だいこん」 私はこの場所に咲くこの花が好きなんです  
               (尼崎・スポーツクラブ・ウッディー 10-3-23)

 
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造花の蜜

2010年03月22日 | 読みました

            パイナップル                    ミルクセーキ


今朝は目覚めて、ニコニコでした。昨日から、楽しみにしていた「タルトケーキ」
が食べられるからです。私はスポンジ系のやわらかいのより「タルト」のように
硬いのがすきなのです

昨日お墓参りの帰りに尼崎ココエの西村屋で大好きな「タルト」を買ったのです
が、主人がおはぎも食べたいというので千鳥屋でおはぎも買ったので、ケーキ
は明日食べようということになったからです。

子供たちが小さい頃は朝早くから小豆を炊いて「あんこ」を作り、沢山「おはぎ」
を作ったものです。でも成人するとあまり食べなくなって造らなくなりました。
あんなに時間を掛けて作っても食べてくれないとがっかりですから。

お寺で施餓鬼があったので行きました。お盆やお彼岸のお花の値段の高い事、
今年はとうとう菊1本が200円という高値です。菊とビシャコは買いましたが、
根占は家に咲いている(下の写真)水仙とストックを切っていきました。

高いといえば「くぎ煮」のイカナゴは今年も高かったですね。1K1680円もし
ました。止めようかと思いましたが、年に一度のことなのだと思い返して2K
だけ買い、炊きました。

今年は例年のように「イカナゴ」を買う行列というのを見ませんでしたね。テレ
ビでイカナゴが不漁で品薄だと言っていましたから、さぞ行列が…と思ってい
たのですが、店内放送で「入荷」のお知らせは何度か聞きましたが、売り場に
は「イカナゴ」が並んでおりますが、行列はありませんでした。、2K炊きますと
「生姜」「ザラメ」「濃い口醤油」などで千円はかかりますから2キロで4千円と
高値です。一寸値が上がりすぎて庶民の食べ物という感じがなくなってきたよ
うに思います。特に食べなければならにものでもありませんしね。

白ご飯にももちろん合うのですが、豆ご飯との相性は抜群なんですよ。そこで
今日は「豆ご飯」にしました。豆ご飯の塩味とくぎ煮の甘さがぴったりなんです。
いつもはご飯は1杯と決めているのですが、豆ご飯のときは特別2杯食べます。
そして後で胃薬を飲んだりしています。




        造花の蜜   連城三紀彦(れんじょうみきひこ)

私はこの方の本は初めて読みました。ぜんぜん知らなかったのですが、30年
も前から作家やっておられるんですね。直木賞候補にも3度もなって、1984年
(4度目)に「恋文」で受賞されたそうです。作家になって6年目でしょうか「恋文」
以後はしばらくミステリーから離れ恋愛小説に主軸を移されたとか… その他い
ろいろの賞を取っておられるらしいにですが、私のアンテナからは外れておりま
した。

「造花の蜜」は長編なのです。長編大好きな私にはずっしりと手ごたえのある本
は嬉しいのです。新聞の連載だったようです。読書感想を読んで見ますと「新聞
連載であったので、展開がスローで重なる部分が多い」といいます。そういえば
そうね、って感じですが、新聞連載と知らない私はこの方の作風かと思っていま
した。

身代金を取らない(一応持ってこさせるが、返す)幼児誘拐の裏に、もう一つ幼
児誘拐の数倍の請求金を受け取る事件が平行に行われるという複雑さ。それ
もそのお金は持ち主が、世間に知られたくないことで溜めたものだから、警察
にはいえないという物語。本の半ばで、すでに事件は起こり解決する。その後
は犯人側からの経過が綴られているのです。だから読者はすでに読んだ事件
簿と、犯人の行動とを照らし合わせて「う~ん、なるほど」と理解するという手法
です。

その1年後まったく同じ手口の事件が地方で(初めは東京)起こります。せりふ
さえ同じです。もちろん誘拐される相手は違いますが…東京から前回の事件担
当だった刑事が派遣されてきて、その刑事は偽者で、東京と地方都市で起こっ
た瓜二つの事件の総括的な女犯人はおなじかな~?との含みもありますが…。
複雑でややこしいようで、頭がこんがらがらないという不思議なお話。

題名の「造花の蜜」は後の身代金の入ったかばんを開けるとお金の上に造花
がびっしりとおかれていて、その花から「蜂蜜」の香りがするというのです。

この物語の中では「蜂」が出てきて、重要な役をしています。それから、初めて
「造花」が出てくるのは、犯人の女性の胸元を飾っていた花のことで、会話に
「造花ですか?」「いいえ、生の花よ、生の花を薬品で…」というせりふがある
のですが。これは、私が習いに行っている「インド家庭料理」のオーナーの本職
である、今人気を集めている「プリザーブドフラワー」のことだと確信し、「私その
花知ってるよ!」と嬉しくなった場面でした。

作家は長編、短編と多く書いておられます。みんなというわけにいきませんが、
もう1冊ぐらい長編を読んでみたいな~と思いました。




            レックスベコニア  葉の上のクルクル巻きがが面白い

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