ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

見た! 凄い鉄橋!

2006年11月30日 | ちっちゃな旅
           城崎の秋 四所神社の銀杏 
          見事な黄色に目の覚める想い
              自然は凄い!

海から戻り、電車で10分、駅数にして2っ目。此処で面白い事に出会った。観光バスがやって来た。皆さん荷物を持っていない。「???」聞いてみると此処で降りて「鎧」「余部」と電車に乗って、鉄橋を渡り、先回りして待っているバスに再び乗るというツアーだそうだ。時間が限られているから、私達個人旅行者が周りを撮影している間に、アッと言うまに居なくなってしまった。

「高いな~」と言うのが皆の第一声。遙か下に屋根が連なっている。41mと言う事は10階建て位だろうか。当然駅から下っていかなければならない。雨上がりの勾配の強い坂道をゆっくりと下る。

主人が「靴は久し振りに登山靴を履こう」と言った。私はそれは大げさすぎるので遍路の時に履いたウォーキングシューズでいいと言った。雨上がりの滑りやすくなっている道には登山靴が正解だった。たまには亭主の言う事を聞くものだ。ハッハッハ。

「余部の鉄橋」の事を知ったのは昭和61年12月28日のあの悲しい事故のニュースだった。30mの風にあおられ鉄橋から7両の電車が落下、下にあった「かに工場」の従業員5名と運転手が死亡。幸いな事に回送車だったために乗客は居なかった。海側からの風だったからか、反対側の山側に転落した。その場所には地蔵さんと石碑が立っている。

宿は橋脚に一番近い所にある。テレビでこの宿から夜の通過列車を見ると「銀河鉄道999」を見るようだという言葉で決めた。旅に出る時は天気予報とにらめっこで宿の手配をするが、「鉄橋のよく見える部屋」に泊まりたい為に早めに申し込んだ。2日とも雨の予報だったが、自分の「晴れ女」を信じて決行した。時々時雨はしたが曇り時々晴れの天気だった。
 ☆ 銀河鉄道999:松本零士のアニメ。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を下敷きにしている。

夜は半時間ごとに通過する列車を、最終22時頃まで、時刻表を頼りに電車を待った。あっという間に通り過ぎるので、一回に4枚撮れればいい写真を、飽く事無く撮り続けた。神様も私の熱意にほだされたのか、たった1枚乍、どうにか気に入った「銀河鉄道999」が撮れた。主人は美味しい「かにすき」とお酒で早々に夢路を辿っていた。

今の時期を選んだのは「松葉がに」の時期を考えてである。11月6日の解禁を待って予定を組んだ。

先日「かにさし」の初食いに感激したが「本場のかにさし」はそんなものではなかった。「とろ~りと甘く、もちっつ」としていた。料金に2種類あって高い方には「かにさし」「やきがに」が「かにすき」と別についている。しかし「かにすき」のカニも「さしみ」として食べられます、と書いてあった。そんなに多くは食べられないので普通料金を選んだ。

「かにのあし」は全部「刺身」として食べた。「爪と体」をカニスキとして食べたが充分の量だった。「かにみそ」も出た。私はほんの少しだけで、後はのんべ~さんの酒の肴に。後のおじやの美味しかった事。毎年カニを食べに行く人の気持ちがよ~く解った。朝は「カニの味噌汁」「カニ飯」「甘エビ」まで付いて、堪らんね。

朝は朝で人気スポットで来る電車行く電車と橋を(昨日の写真)写した。アレは中学生を乗せた通学列車で後11時頃まで電車は無い。中学生は皆驚くほどゆっくりと坂道を登っていく。生活の知恵なんだろうな~。

帰りは特急が「城崎発」の為時間待ちに一寸散歩。温泉町の昼はうらびれた感じだ。夜のネオンが入ってこその温泉町だ。夕食の為に買った「カニ弁」美味しかった。

「余部鉄橋」と「蟹」の旅は「渋~い紅葉」にも恵まれ満足でした。


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余部鉄橋

2006年11月29日 | ちっちゃな旅
             鉄橋の華     
    橋の両側は断崖、背景には海が迫っている
    レンガ色の高い橋脚で約一世紀すっくと立っ
   日本一の高さ(高さ41m、長さ309m)を誇る
        トレッスル(橋脚)式です

「起きなあかんで~、もう7時やで」吃驚して飛び起きる。9時16分尼崎発「北近畿3号」で、憧れの余部鉄橋に会いに行く日だ。

何時もなら昨夜の内に残り御飯を冷凍し、煮物の残りをもう一度火を通して冷蔵庫に入れ、洗濯も済ませて寝るのに、昨日は全て「明日の朝」と見送った。そして2時間の寝坊。

二人で「火は」「戸締りは」と確認しながら急いで駅に。尼崎のホームに着いた時はヘタヘタと座り込んだ。体育座り、大人に成ってからはした事の無いこの座り方、案外楽な事に気付く。

電車は宝塚を過ぎると、トンネルが多くなる。子どもの頃、城崎、宮津は良く連れて行ってもらった。線路は旧福知山線だが、トンネルは多かった。トンネルの前になると「ポー」と短い合図があり、急いで窓を閉める。窓の隙間からもくもくと黒い煙が忍び込んでくる。大人も子どもも煤けた顔になる。そんな事を思い出しながら車中を過ごす。

「香住」で下車、本当は待っている電車に乗り継ぐ予定だったが、薄日が差してきたので遊覧船に乗って見ようと思った。駅前から船乗り場に電話する。船は20分後に出るという。昼を食べる時間が無い。持ってきたスナック菓子で虫押さえした。

私達が若い頃、「遊覧船かすみ丸」は三姉妹船長として当時のマスコミに登場してきた。その当時から一度乗りたいと思っていたが機会が無かった。余部鉄橋を見に行こうと決めた時から乗船を予定していた。今は中年姉妹になっていると思っていたが、姉妹の長女の三姉妹(Jr三姉妹)と6人の船長に増えているとは想定外であった。

お客は2組と1人計5人。5人集まれば出航する決まり。私達の船長は元祖三姉妹の三女だった。

出航待ちしている間に雨がポツポツと降り出した。外海に出るとさすが日本海、場所に因っては揺れ始める。船長は言う「本日は波乗りスペシャルコースでございます」水面が前から横から押し寄せてくる感じ。船酔いの経験の無い私がふっと不安に感じるくらいの揺れである。しかし「香住松島」「鎧の袖」「インディアン島」など説明の付く島の辺りでは凪いで、しっかりとカメラに収める事が出来た。波の造形とはいえ「インディアン島」は羽根帽子を被ったインディアンそっくりに見える。後ろに回れば「烏帽子」に見えるこの不思議・・・。

鵜のお出迎えも受けた。鵜飼の首に縄をつけられた鵜は見たことがあるが、自然の中に首をす~っと延ばし、彫刻のように佇む鵜を見るのは始めてである。

初めてと言えば「越前クラゲ」も始めてである。カーキー色?茶系の茸色と言うか、あまり美しいものではないクラゲがプカプカ波に漂っている。船長の説明では「越前クラゲは本当は深い所にいる。この辺りのクラゲは大きくても1m位だが、福井の方では2m(一坪)程に大きくなる」私達が目にしたのは80cmぐらいだろうという事だ。

元々この辺りはクラゲが多い所だと思うが宮津のクラゲを思い出した。海水浴のクラゲは透明で小さかった、刺されると小さな赤いポッチリが出来た。

小さいクラゲは水族館でも人気だが、それを癒しの空間として家に置きたいという人の為には、クラゲをシリコンで造り「アクアビクト」となずけたA4サイズで何処でも置ける、クラゲがゆ~らゆらと漂うアクアリウム(水生動物の飼育層)が売られているそうだ。

今日は香住で止まってしまいました。又明日・・・。
                          (230回)
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「選挙報告会」と映画「めぐみ」

2006年11月26日 | 一寸そこまで
         誠実さで10万人の心を射止めた
               尼崎の花

夕方から「白井文選挙報告会」に行ってきた。早いものでもうあの嬉しい日から1週間が経った。そして今日「ニコニコ笑顔の会」である。

会のオープニングは太鼓集団「翼」。腹の底にずし~んと快く響く太鼓の音。白井市長の名声よ響けよ響け!と打ち出していた。

皆さんのお話・・・。話す方も、それがたとえ苦労話であってもニコニコ。聞く方もニコニコ。知らない同士でも目が合えばニッコリ、喜びの言葉を掛け合う。

私は一人で参加したので一寸寂しいかな~と心配したが、行ってしまえば皆仲間、と思い切って参加した。その通り、私は何時もの通りカメラをぶら下げて「市長の追っかけ」皆さんが市長と記念撮影しておられるのを脇からちゃっかりとパチリ。

でもまず腹ごしらえと「お寿司、刺身」中心にお腹一杯詰め込んで、「フライ」が来れば、揚げたての熱々を又パクリ。ウーロン茶をゴクリ。白井市長はご挨拶周り、記念撮影に摑まって、一口も食べておられない。ごめんなさいね。私達だけ頂いて。と心で詫びながら又パクパク、ゴクリ。

開票後1時間4分でNHKの「当確」が出たそうですね。2時間過ぎにはあの名市長といわれた「坂本勝」サンさえ9万票取れなかったのに、白井市長はあっさりと10万をクリア、尼崎の選挙得票数を塗り替えてしまった。私がすやすやとお眠りの間に・・・。

楽しい時間はあっという間に過ぎました。帰りはまさこさんを息子さんが迎えに来られるのに便乗させてもらって、家の前までお送りいただいてあっという間に帰宅しました。まさこさんを送り迎えする親孝行で優しい息子さん、まさこさんはお幸せ。有難うございました、まさこさん&次男さん。雨に濡れずに済んで助かりました。

           ☆  ☆  ☆  ☆  ☆
             
午前中は「シネリーブル神戸」(シネ=シネマの略、リーブル=自由と言うフランス語)に「めぐみ」を見に行った。神戸は此処だけ、大阪にも一軒だけ、どちらにしようかと思ったのですが、神戸で買いたい物があるので神戸に行った。

「シネリーブル神戸」は震災後立て直された朝日新聞会館の地下にある映画館で、自主制作映画が多いので、このたびも映画欄には載っていない。その所為か、100人ぐらいの座席に30人位の寂しい入りでした。

震災前のこの地下はビジネス街に近いこともあり、食堂街でした。ここに在った洋食屋(古い?)さんが「お箸洋食」を始めました。その頃は「フライ物」といえば、見よう見まねで「ナイフとフォーク」で食べていました。それを気軽に食べられるようにと「お箸」を出しました。其処で「お箸洋食」と言う言葉が出来て大流行でした。「お箸で食べる洋食」を流行らせたのは神戸だと思いますよ。

「めぐみ」は今までの報道を寄せ集めた感じで、見守っている私にはすでに知っている事ばかりだったし、写真展の方が心打たれた。何故だろう?何だか賞をもらったというので期待しすぎたのか?映画が出来たと知った時、何故外人サンなの?と思った。何故日本では出来なかったの?

世界の人が見る映画を作っていただいて、ありがたいとは思います。でも何か違うんです。日本人の感性と・・・。是がもし日本人の監督の手に成った物ならもっと心に響いただろうと思うのです。でも収益金の一部が拉致被害者の会の活動資金に寄付されます、これから日本中を回りますので是非見て下さい。そして「めぐみさん」を初め多くの拉致された方々の為に力を貸してあげましょう。

   ☆ 11月27日、28日お休みいたします。


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女子高生のスカート丈

2006年11月25日 | 気にかかる
        ねむの木の仲間でエネムとも言われる
      多数の花が集まって一つの花のように見える
         花のように見えるのは雄しべ
      触って見るとべとつかない綿菓子のよう
        ふわふわである。赤花の方が多い

女子中高生の超ミニが話題を呼んでいるらしい。私が聞いたのは1ヶ月ほど前で「滋賀県の女子高生が日本で一番短いらしい」「丁度滋賀に行った時、下校時間にぶつかって、噂に違わないと思った」話は続く「でも進学校の生徒と思しき女子高生はそんなに短くなかった」と言うのです。

登下校の時間帯に彼女達と出くわす事が余り無いので解らないが、日本全体の女子高生が超ミニ(腰みの)になっているのだろうか?言われるまで気にしていなかったけれど、気を付けて見ると、短いな~と思うことがあるね。

どうしてそうなったのでしょうか?丈が短いと足が長く見えるとおもう?昔の人に比べればう~んと足は長くなっているようです。でもまだいい形の脚は少ないね。
だから、ミニをはくと足が長く見えると思うのは自己満足だけかな?

女子高生といえば、もう体は大人だからね。体とのバランスから言っても膝下位が良いかな。それに夏は兎も角、冬は体を冷やすよね。女性の体は冷やすのは良くないんだよね。遠くない未来、お母さんになって貰う人たちなんだから、体は冷やさないで欲しいな・・・今の不妊症の何パーセントかは会社勤めの時の冷房から来る冷えではないかと思っているのよ。3年間も、長い人は中学から6年間も体を冷やすのは良くないと思うよ。

一時流行した「ルーズソックス」足を短く見せて、服装ともアンバランスでどうしてアレが流行るのかと思っていたけれど、体の為にはいいのよね。第一足首をあっためるでしょう、脹脛は第二の心臓だそうだから、その大切な所を守るという意味ではね。

「女子高生 スカート丈」って引いて見たのよ。出るわ出るわ1時間読んでも読みきれない位、賛否両論、男性女性、現役女子高生、教師、一般人、デモね母親が少ないのよね。お母さん公認なのかしら?高校生を持つお母さんは、体を冷やす事が体に及ぼすマイナス面をまだご本人が感じていないのかしら?話して欲しいな~。体を冷やすのは良くないって・・・。

沖縄では県の教育委員会で「女子高生のスカート丈」で熱く議論を戦わせたそうだが、その後どうなったのでしょうか?

-数十度の北海道ではどうかと思っていました。ある中学はミニで冬を過ごすのは体に悪いと言う事で、父兄の賛同を得てスラックスに切り替えたそうです。

又同じように寒い長野の中学でも、冷えから来る体調の崩れから保健室を使う率が急増するそうで、全員やはりスラックスに替えたそうです。「かっこわるい」と言う子もいれば「皆が穿いているのでミニ穿いていたが、スラックスになって、暖かくて気持ちが良い」と言う意見もある。

この書き込みを読んで外人さんにも悪評だと知りました。其処までとは考えていなかったから。短いスカート、露出度の多い服装は欧米では売春婦の格好だって、高校生が超ミニで修学旅行に行くと異様な目で見られるそうよ。「外国は外国よ」と言う意見もあるけど、やはりその国の価値観?判断?も考慮に入れて行動すべきでない?先生方ももっと考えて欲しいわ。

制服を廃止したらミニが減ったって記事もあった。穿きたくなくっても、皆と同じにしないと仲間はずれにならないかと恐いのかもね。自由服になれば好きな服着ても誰も何も言わないしね。

「偏差値とスカートの長さは比例する。今は短いのがバカ、昔は長い方がバカ」だって。是は先に書いた「進学校云々」と同じ事ね。「偏差値」を持って来る所は今の高校生だね。
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カニと私

2006年11月24日 | 一寸そこまで
         京都府立植物園の銀杏の紅葉
    ご存知でしたか?すっくと天に枝を伸ばしてるのは
   銀杏のオス、枝が垂れてるのは実の重さに耐えたメス
         此処の銀杏はメスの木でした
         柳のように下がっていました

「発表会のご苦労さん」&「早めの忘年会」に行ってきた。女性ですから昼です。忘年会には早いし、昼間だし、団体は私達グループだけだった。

阪急西宮のリムジンバス乗り場が集合場所でした。早く着いたのですが、一向に誰も来ない。椅子に掛けている人に乗り場を聞きました。リムジンバス乗り場は3年も前に場所が変わっていると言う。駅のコンコースに戻ると其処に仲間が居たので、私の聞いた事を説明した。降り口なので此処にいれば来る人にわかるだろうという事になりその場で待った。

無事迎えの小型バス3台に分乗しお店へ。「かに料理」だという。会費が安いので「かにさし」は出ないだろうと思っていたら、なんとあった!正面にちょこっとだけれど。喜んでまず食べた。とろりと甘い。もっともっと食べたいけど、会費が会費だから仕方が無いか。

数年前に「阪急友の会」から城崎の西村屋に「かにフルコース」を食べに行った事がある。交通費共とはいえ一人2万5千円近かったと思う、「かにさし」が食べられると楽しみに行ったのに「かにさし」は出てこなかった。落胆した。だから今日が「かにさし初体験」である。

主人は又違った意味で落胆したようだ。ツアーなので決まった時間に全てを済まさなければならない。「かにフルコース」を食べて「温泉に入る」のである。私はアルコールは飲まないから、早く温泉に行きたい、ノンベ~の主人は折角の美味しいかにでゆっくり飲みたい。「せからしい~」とご不満。

仲居さんが人の食べているのもお構い無しにどんどん片付けていく。やっと最後におみこしを上げた主人も温泉に、アルコール飲んで温泉に入るのって体に良くないよね。でも折角来たんだし、時間が無いので「カラスの行水」。やっぱり少々高くても個人旅行がいいわ。

アルコール飲まないからお茶が欲しい。頼んだが一向に出てこない。他の人が催促すると「今沸かしています」「西宮の水はよっぽど冷たいか、ガスの出が悪いのか」など憎まれ口を利きながら待っていた。やっと出てきた土瓶に蓋が無い「蓋は?」「無いんです」「???」人数が多いので「もっと持ってきて」と頼めば「是一つしかないんです」えぇつ?!。食べ物屋さんに土瓶が無い?

私だってお店が飲み物で料金を稼ぐ事ぐらいは知っています。でもアルコールを飲まない人だっていると思うのです。沸かすのが大変なら缶入りで我慢するから、有料でいいから「欲しい時」にさ~と出てくるようにして欲しい。アルコールを飲まない私達だって喉が乾くんだ。二杯以上は頼めないような雰囲気なんで、二杯目はお猪口のお酒をチビチビやるように、ちびちび飲んだ。

暖かいものは暖かく、「焼きがに」は炭火のコンロの上で焼くようにして、折角美味しく頂いたのに、お茶の一件で点数が下がった。

行くと決まった時、ネットでお店の事を調べたけれど、お茶が無いとは気が付かなかった。運転手の方に聞くと、新しい店かと思っていたら其処で20年も営業しているというのです。それで又吃驚「お茶ください」と頼んだ人いないの?「かに食べる人」はみ~んなアルコール党なの?食事中にジュースを頼む人、あれ蛇道だと思っていたけど、「蟹を食べつつお茶」は変なのかな~。

「私とかに」相性がわるいのかな~。美味しい「かにさし」と哀しい「飲み物」の物語です。
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札幌の中学生の意見の取り上げ方

2006年11月23日 | 気にかかる
             南禅寺の紅葉
        燃えるような紅が人の歓声を誘う

今日は一日骨休め、と言うより図書館の期限の迫った本を読むつもりが、中々はかどらない。本を読む速度が急速に落ちた上に、読み出すとウトウトと寝入ってしまう。ソファーに寝転んで読むからだろうと思うのだが、座って読むのは辛くなって来ている。読みたいのに眠ってしまう自分に腹を立てている。

編み物も捗らないし、一体今日一日何をしていたのだろうかと考える事がある。気功の先生が言われた「眠たい時は眠る事。体が要求しているのですから、その代わり長時間はいりません」この言葉に寄りかかって、よくウツラウツラする。しかし眠さも波があるようで気をつけていると一週間か二週間位ずつ、異常に眠い時と眠くない時が来るようだ。眠っている間に体力を回復しているのだろうと思いたい。

どさんこワイドと言う北海道のテレビ番組(毎日夕方放映)の記事から。
自民・公明党だけの出席で衆議院を通過した「教育基本法」ポイントの一つは、初めて文言になる「愛国心」。賛否が分かれる問題です。

この「教育基本法」改正に反対する、札幌の中学生が安倍総理に「反対の声明文」を送った所「匿名の大人」から「抗議文」が届いた。15歳の「自由な意見」に「脅迫」とも取れる批判でした。

女子生徒たちが自ら勉強して「愛国心を国民に強制するものだ」との結論に至った。そして、この法案に反対する声明文を安倍総理大臣に送った。すると「安倍総理に送った中学生の意見書はなんだ?お前ら、学校で何を教えているのだ」と言う抗議のメールがきた。

彼女達の行動を知った一部の大人が、彼女達に対する脅迫とも取れるメールを匿名で送りつけてきた。(教頭)生徒が自分で関心を持って意見を発表したのは素晴らしい。いろいろな意見を封じ込める残念な反響だ」

この学校では、生徒夫々が意見を書いたカードを送る準備もしている、生徒達が自分で考えて「押し付けだ」と感じた教育基本法改正案。「愛国心の強制」どころか「言論の自由」さえも封殺しようと言う大人の行為に、15歳の心は深く傷付いた。・・・中略・・・15歳の彼女達は自分で考えて、署名もつけて安倍総理に反対の意思を表明した。それに対して大人は「匿名」で彼女達を批判した。余りにも卑劣ではないか。と言うのだ。

現行の教育基本法と改正教育基本法の対比表を読んで見た。現が11条に対し改正が18条と増えているな~と言う事は解るが、夫々については一度や二度読んだだけで意見の言えるものではない。如何様にも解釈のできる言葉を端的を旨として書かれるのが法案と言う文章だろうから。

この報道について私はテレビも見ていないので、是がどのような状態でマスコミに取り上げられたかが解らないが、この匿名の抗議文は文章から読み取って、少女達にと言うよりは少女が学んでいる学校の教師に対しての発言だと思う。それがどうして少女達への「脅迫」と感じるのだろうか?このメールが本当はもっと別の言葉で書かれていると言うなら別だが。

もっと意見を交わす事無く一方的に衆議院を通過させた自民・公明のやり方には憤りを感じてはいるが、それだからといって「少女達の意見」に反対があったからとセンセーショナルな取り上げ方をする事にも問題が無いだろうか?

さ~っと目を通しただけの私はまだ何も言えないが、この頃のニュースの取り上げ方にも問題ありと感じている私は、この報道の仕方に対して疑問を持ち、今一度問題の取り上げ方について考えて欲しいと思う。

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京都の紅葉

2006年11月22日 | 一寸そこまで
         佐藤さんの見事な菊もこれでお終い
           庭に咲く花が少なくなって
              助かりました

わが市の「花いっぱいの会」から京都の紅葉を見に行った。南禅寺と京都府立植物園の予定だったが、バスの駐車場の都合で永観堂の駐車場(南禅寺の駐車場が満杯だった為)を使わせてもらうべく立ち寄った。

しかし永観堂に入場しなければダメと言う。もっともではある。61名中9人では不足だという。私は過って「見返り菩薩」も拝観した事があるが、こんなに数珠繋ぎの人出の時に拝観するものではなく、静かな雰囲気の中で拝観するものと思うので、希望しなかった。まして普段は600円で入れるのに、紅葉の時期は1,000円だという。人の足元を見て、是では商売だ。名物の紅葉に手間が掛かる(我家にも紅葉は2本あるが、そんなに手のかかる木ではないと思うが)にしてもひとり1,000円は高すぎる。

結局私達のバス2台はバスガイドさんと連絡を取りながら、近くをぐるぐる回る羽目になる。運転手さんはお気の毒。私達が南禅寺の紅葉を楽しんでいる間にバスガイドさんの機転で見つけた空席に滑り込んで私達を待ってくれた。

南禅寺の紅葉は見事でした。南禅寺垣根といわれる竹?の垣根に紅が映えていた。レンガ作りアーチ式水路に映える紅葉も綺麗だった。

お食事は「順正の湯豆腐」。有名なお店だが私は始めてである。特別お豆腐が好きでもないので行かなかった。初めは南禅寺の店(風情がある)の予定が清水寺に変更となった。
時間より早く着いた為に此処でも待たされた。店の前は満員の待ち人。それを狙ってちゃっかりとお土産店を出している。情緒も何も無いお部屋だった。

ガスコンロの上に4人前ずつのお豆腐が煮えている。薬味は刻みねぎだけ、ゴマ豆腐は見たこと無いくらい薄っぺらい。田楽や天麩羅は冷え切っている。がんもどきだけが少し暖かい。御飯にしばずけ、是で2100円だ。それも次から次に運んでくる、狭い机に一杯だから、つい急いでしまう。詰め込まれた鶏の前に餌を並べる如く・・・。何だか悲しくなってきた。後で調べるとこの店は団体専用とあった。

京都の道路事情の悪さ、この食事然り、心使いの無さは「京都は来て下さいと呼ばなくても人が寄ってくるから」とガイドさんが言っていた。清水寺の三年坂などは人に触れないで歩けないほどの人・ひと・ひとである。春に桜を見に来た時でもこんなに一杯ではなかった。歩いている人が言っていた「平日だというのに、人は働いていると思うのに、この人たちは何処からきたん」って。

植物園も花は少なかった。温室が僅かに救いだった。これぞと思う珍しい花はパチパチ撮って来た。グロブのトップを飾る為に。

ガイドさんが面白いことを言っていた「奈良と京都のお寺の違いは?」「奈良のお寺は檀家を持たない、だからお墓が無い。京都は小さなお寺でも檀家がいて墓がある」って。じゃ~奈良の人のお墓は何処?

思えば私は京都の紅葉は初めてなんだ。でももういい。秋の京都はこりごりだ。とはいっても阪急友の会の「京都八瀬の瑠璃光院の乗車券つき入場券」を持っている。はや~くに家を出よう。

秋は奈良が多かったような気がする。奈良は静だったように思う。来年は奈良にしよう。

私が今までで一番美しいと思った紅葉は「乗鞍」だった。マイカーの旅だったが、コーナーを曲がるたびに「うわぁ~綺麗!」と叫んでいたもの。花木のいい時期に出会うのはとても難しい。「乗鞍の紅葉」もあの日の思い出だけに留めて置いた方が良さそうだ。
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一人親家庭の補助

2006年11月21日 | 新聞から
            (見~つけた)
        高低を付け、色を考え良い感じ

石油の値段が去年の2割増し。あまりに高いので驚いた。だからと家の中で寒さを堪える生活はしたくない。取り立てて贅沢をしているわけではないので、家の中ではぬくぬくとしていたいな~。私は人一倍寒がりなのでそう思う。

一人親家庭には補助金が出て、そのお金欲しさに表向きは離婚して補助金をもらっている人がいると言う。その手取り金額が30万円と高額らしい。どのような計算でそうなるのだろうか。その中に児童扶養手当て一人約4万円以上あるらしい。

☆ 児童扶養手当:父母の離婚などにより、父と生計を同じくしていない児童を養育している家庭等の生活の安定と自立を助け、児童福祉の増進を図るため。

その上、一人親家庭等医療補助金と言うのがあって、医療費は母子とも無料らしい。

☆ 一人親家庭医療補助金:経済的な理由により必要な医療を受けられず、生命に関わる疾病をまねいたり、障害が残るなどの重篤な疾患に陥る事無く、対象者が安心して必要な医療を受けられるように受診環境を整備する。

上記のようにこの制度を悪用する人がいるらしい。お役所仕事と言うのは煩雑さがあるので、できるなら利用したくないという人がいる反面、資格が無いのに利用しようと言う人達もいる。

わが市の場合、子ども一人の児童扶養手当は9,850円~41,710円で所得に応じて違
うらしい。2人目からは+5,000円で、3人目からは1人につき3,000円増しだそうだ。

新聞によればある女性誌の特集で、生活の苦しい家庭が紹介されていて、お風呂は3日に一度、腐りかけの野菜をもらってきて家計をやりくりしている・・・と言う貧乏談が語られていたそうだ。30万の補助をもらって、腐った野菜を食べなければ生活できないとは信じられない。

今朝も買い忘れた牛乳を買いにコンビに行った時、ベビィーカーに子どもを乗せた母親が、おにぎり、プリン、サンドイッチ等を買っているのを見た。子どもがお腹がすいているらしく「ウマウマ」とベビィーカーを揺すってねだっていた。「家に帰ってから」と母親は言っていた。コンビニに朝食を買いに来るより、朝ごはんぐらい自分で作れないのかな~と思った。

貧乏暮らしの人は腐った野菜を貰って来るのだから、家で食事のしたくはしているのだろう。では何処からお金が漏れているのか、補助を受けている限り高い家賃のマンションに住んではいないだろう。着るものもそんなに目立つ事は出来ないだろう。でも何処か人目に付き難い所で使っているのだろうな~。

離婚した母親が子どもを引き取る事が多くなったのを不思議に思っていた。(子どもの為には母親の手元で育てられる方が良い事は解っているが)30万円もの補助が受けられると言うからくりがあったのだ。

死別なら仕方が無いにしても、性格の不一致の離婚でも同様なんだろうか?もしそうだとすれば何かおかしい気もするが。貰う方もその元は税金だという事、人様が汗して働いて収めたお金であるという認識があるのだろうか?そんな補助があるならもらわな損・・・と言う考えは無いだろうか?

次世代を背負う子どもの為とは言え、あまりに手厚くする事はその親子の為にもならないと思う。私の身近にも子供二人を引き取って離婚した人がいる。何十年も昔の事で今の様に補助は貰えなかったと思う。ホステスをして子どもを育てた、勿論子どもは大学には行かなかった。でも母の苦労を見て育った子は自分の環境に逆らわず不満は無かった。離婚をするという事は夜昼無く働いても自分で引き取った子は育てる。そのくらいの覚悟をしてするものだと思う。今はそうでないような気がしていたが、手厚い補助のお陰があったのだな~。
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親父達の星条旗

2006年11月20日 | 映画の話
         ご近所では「菊の佐藤さん」と
          呼ばれておられるそうで~す

夢の様な一日が過ぎて、朝湯にゆったり浸かりながら、昨日の事を思い出していた。今更ながらに人を信じる力の強さを思い知った。日本一大きな政党を宗教団体を相手に白井さん一人を信じて行動した私達。

やればできる信じた事をやりぬく事。その心に一票を投じた私達。信じて行動を起すって凄い事だな~と勝利を喜んでいると、私の頬に涙が伝い始めた。私は泣いた。昨日は唯々嬉しかったが、今日は泣いた。10万の人々の信じる心に静に泣いた。

          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

「父親達の星条旗」を見に行った。神戸か大阪に出るつもりだったが、主人が「いこか」といった時間が中途半端で、市内の映画館なら丁度いい時間という事で行った。でも後悔した。映画はやはりゆったり感のある所がいい。シートもトイレも良くない。値段が同じならやはり綺麗な方がいい。此処からなら大阪まで12分、神戸迄でも23分もあれば行ける。地元でいいのは普段着のまま行ける事だろうか。

7月19日に書いた「硫黄島」「散るぞ悲しき」栗林中将の事を書かれた本を読むまで「硫黄島」の事はその名のみで其処で行われた熾烈な戦いに付いては何も知らなかった。70年間知らなかったという事である。

屋久島のフェリーの船上から、はるか彼方に小指の先ほどに見える三角形あれが硫黄島と教えられた記憶があるが、硫黄が吹き出るから硫黄島程の認識で、戦後米軍基地、今は自衛隊が使っているとは知らなかった。

一般人は上陸できないが「月下美人」の群生地があり、降るような星空の元「月下美人」が咲き誇る様は素晴らしいらしい。

すざまじい死者の悪臭を消す為、アメリカはねむの木の種を蒔いたとも言われている。

「擂り鉢山に星条旗を掲げた海兵隊員」の写真は見たことはある。1945年に3セント切手となって売り出され評判となり、1億5,000枚以上売れたそうだ。今でもアメリカの小学校の歴史の教科書に載せられている。

この映画はアメリカでは余り入りが良くないらしい。アメリカ人が見ていい感じを受けないものだからだそうだ。

硫黄島における戦いを相対する国の夫々の面から、描くというような映画は始めてみる。今回の「親父達の星条旗」はアメリカ側からのものである。

3日間で落とせると物量作戦で戦うアメリカ、迎え撃つ日本は物が無い、栗林中将の作戦のみの戦いでありながら、1ヶ月以上持ちこたえる。歴史を曲げるわけには行かないからアメリカ人としては見たくない映画かもしれない。

私達は豊かなアメリカと戦ったとだけ知らされていたが、あれだけ物量作戦をすれば、アメリカといえども物が無くなる。新しく武器を作るのはお金がいる。その金集めのために星条旗を立てた(6人の内3人死亡)3人が英雄として奉られ利用される。その末路は決して幸せではなかったと知らされた。

2部目の「硫黄島からの手紙」は日本側から見たものである。グアム・サイパンから本土までの丁度中間点にある「硫黄島」を中継基地にしようとアメリカが狙ってくる。させまいと頑張る日本。それを指揮した栗林中将の家族への手紙から描かれていると思う。

是こそ私の見たい映画である。本を読んでいるので、その反対に居たアメリカがどんな様子だったかを知る為には、今日の映画も見ておいてよかったと思ってはいる。

12月の封切らしいのが待ち遠しいが、今月末には北朝鮮の拉致被害者「めぐみ」も公開されるので是非行きたいと思っている。風邪を引いている間はなさそう。





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守った!

2006年11月19日 | 今日この頃
             我家のバラ
      わが市にも馥郁と香るバラ一輪さ・い・た!

勝った!かつた!カッタ!どの字でも同じだ~。
市民の力が勝った!
白井さんを守れた!
大きな組織に負けなかった!
宗教団体にも負けなかった!
傀儡市長を生まずに済んだ!
相手方の悪口雑言に耐えた!
市民は見ていた、真実を!
市民は選んだクリーンな人を!
白井さんを守ろうと繫いだ輪をもっと広げよう!
もっともっと広げよう!
冷静に良し悪しの判断が出来た尼崎市民は素晴らしい!
もっともっと変えよう、住みやすい尼崎に!
白井市政を後押ししよう!
よろしく!白井市長さん。

市民の判断の数値
 投票総数 14万8875票
 白 井   10万1388票
 谷 川    4万7487票

あ~ぁ、嬉しい嬉しい夜だった。

今日は唱歌の学校の音楽会だった。10時半集合なので、9時過ぎに家を出て投票場へ~。祈りを込めて大きな字で「白井文」と記入。我家を出るときも我家の男性軍に「白井文をよろしく」と声を掛ける。入れてくれるのは解っていてもそう言わずに居れない私・・・、何度同じ事を言っただろう。

投票を済ませJRへ・・・ホームには多くの人が居た。「皆さ~ん!投票は済ませましたか~」と叫びたいのを我慢。西宮のアミティーホールに着いた。ここでも尼崎の人を見つけては「投票行ってくれた~」とつい口をつく。「行ったよ~」「帰って必ず行くよ。主人はもう朝早く行ったよ。『男は悪い事するから』と言って白井さん入れたよ」「嬉しい!有難う!」みんなみんな有難う!

完全に暗譜したはずなのに、頭の中で選挙が気になって、歌詞忘れる、失敗。たかこさんとやすこさんが来てくださっているのに、何てことでしょう!でもどうにか無事会も終わった。

たかこさんが待っていて下さったので、阪神で尼崎までご一緒した。JRだと2駅なのに阪神だと数え切れないほど駅がある。お話しするには好都合だったけれど・・・。名残惜しいけど又お会いしようと別れた。遠い所を有難うね、たかこさん!

9時開票、9時半には大勢がわかると聞いていた。NHKかな?沖縄の知事選と言う大きな選挙があるから、尼崎の選挙は小さいから・・・なんて僻みつつ、それでもテレビの前で待った。しかし寄る年波には勝ってない。早朝からの緊張の連続で私は不覚にも熟睡してしまった。

メールを開けた。やすこさんから舞台写真が送られてきた。撮影禁止だったので、遠くから内緒で撮って下さったそうだ。それと同時に「白井さん当確」の知らせも・・・

FM尼崎や市のホームページで開票結果を探していたが、その時点でリードはしていたが、開票結果の続報が無くいらいらしている所だったので、とても嬉しかった。確実な情報とは言え、信じられないという気持ちもあった。やすこさん当確の嬉しいニュース有難う!そして音楽会に来てくださって有難う。

主人が事務所に行こうと言い出した。遠いし雨が降っているし、風邪気味だしと答えながら、本当は行きたかった。けど一番私を躊躇させたのは「一度も手伝わなかった私が行っていいのだろうか」と言う気持ちだった。でもやっぱり行こう・・・一杯着込んで、FM尼崎を耳に小走りで事務所へ・・・FM尼崎が私に伝える、10万票を越えたよ!って。今回私は事務所のお手伝いはしなかった。お口だけ・・・あの辺りと見当をつけて事務所へ。

事務所に人はまばら「あれ~?」「遅かりし!由良之助か?」その時白井さんが出てこられた、自動車に乗り込んだ。私は駆け寄った、車内は暗くて彼女の顔は見えないけれど、乗り込む姿は見えたのだから、窓に向かって手を振った。白井さんは気付いてくださった。窓を開けてくださった。握手して「おめでとうございます」を伝える事が出来た。続いて主人もチャッカリ握手を・・・。写真も一枚撮った、一寸ピンボケだった。でも記念に残しておこう。

見送って一応事務所の中へ。秘書のよねださんにお目でとうを言った。早くに当確が出たので事務所は一杯の人だったらしい。(私は後でテレビで見た)私はその頃、白川夜船だった。後悔しきり。でも危機一髪、間に合ってお祝いが言えたんだから良いとしよう。

今夜はゆっくり休もう、そして明日喜びを味わいなおそう。素晴らしい夜に乾杯!

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