ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

シンデレラ・リバティー

2015年08月31日 | 新聞から

      「ビオラ・フレックス」   この紫の斑点がなんとも愛おしい     (15―4―19)








涼しくなりましたね~。それは嬉しいのですが、はやばやと「秋の長雨」とかで当
分は雨模様のようですよ。

言葉としては、「秋到来」と思うのですが、洗濯物が乾かなくて、困ります。赤ち
ゃんのいるおうちはお困りでしょう。…違ったかしら?、そうか、今は紙おむつで
したね。でもね、汗っかきの赤ちゃんはお洋服がすぐ、ぐしょぐしょでしょう? 
これも違う? クーラーがあるからあまり汗はかかない? 

でもね、そうして、庇われて大きくなる子供は、ひ弱になりません? いらぬ口出
し止めとこ! 



上の文章はサンケイの曽野綾子さんの随筆(今はあまりこんな言葉使わない? 
今はエッセイ?)の後半の部分です。

「シンデレラ・リバティー」とは基地の米兵が使っている言葉だそうです。シンデ
レラ姫の時間制現にたとえて、門限までに帰るって事だそうです。

また、新しい殺人事件が起きたので、この2.3日は中学生の男女のことは、少し
報道がすくなくなりましたが、嫌というほど、新聞・テレビで報道されましたよね。

其の事件が、子供は家にいるはずの真夜中から早朝の出来事でした。でも報
道は命が失われている事件であるためにでしょう、其の事を責めることはあり
ませんでした。

でもね、私はいつも心でつぶやいていました「何故、そんな時間に外にいたの?
 親御さんも止めなかったの?」って。人の親なら誰しもそう思われたのではな
いですか? ただ「死者をに鞭打つ行為」だとおもわれると、口にされなかった
のだと思います。

曽野さんのこの記事を読んだとき「よく書いてくださいました」と思いました。曽
野さんも書いておられるように、将来のある人の命を奪った行為は99.9%犯
人が悪いのです、がしかし、その悪魔の手の届く場所に、時間に子供の外出を
許した親の責任は問題だと私も思います。

犯人は初犯ではなく、過去に7回も同じ事をしているといいます。これは如何考
えればいいのでしょうか? 警察の責任だともいえませんし…。

こうなると何でも平等、自由に重きを置いた、現在の教育の悪い面だとは言えま
せんか?


☆ 書き上げてから気がつけば、70代最後の日のブログです。いいお話で締め
たかったな~。 自己責任ですけど。

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五年に一度

2015年08月28日 | 今日この頃

          「タチアオイ」   何処からか種が飛んできたのでしょうか?   (15―6―2)


    

残暑の頃となりました。一度涼しい日々がありましたから、またぶり返したと
感じます。暑いといっても以前のような暑さではないのですが、涼しさの後だ
けに、暑いと感じます。

来月には5年に一度の「国勢調査」が始まります。今年から「コンピューター」
での調査もされます。この度も「調査委員」と言う事で、今日は其の説明会が
ありました。

1週間ほど前「総務省」からで~んと重い宅急便が届きました。「コンピュータ
ー」と「今までどうりの用紙」と2種類の為に書類が多くなったためでしょう。
今まではチーフのかたが配ってこられたと思います。

紙って持ち重りするんですよね。少しずつ持って回らなくてはならないと思いま
すよ。

尼崎市の人口は46万人近くいますから、「調査員」も3300人ほど居るそうで
す。地区によって違うでしょうが、私の分担は70軒ほどでしょうか。

コンピューター導入で、仕事が軽くなるのかと思っていましたが、違ったようです。

「今回からコンピューターが導入されました」というお願いのチラシを入れます。
一定期間の内にコンピューターで打ち込んでくだされば、それで終わるのですが、
その期間が過ぎても応答のない家には、今までどうり、用紙記入の用紙等を配ら
なければなりません。二度手間になるわけです。

2種類の方法があるために、纏めも複雑になります。このご奉公?も今回が最後
だと思います。

今回も、「若い人に変わってください」といったのですが「若い人は働いている人
が多くて、駄目なので、お願いします」とお断りできませんでした。

一度でお手渡しできるお家は少ないです。なんども足を運ばなければなりません。
しかし、お引き受けしたからには、間違いのないように心配りながら、頭の体操
と、健康のための運動だと思って頑張りますよ。



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インド家庭料理 66回

2015年08月27日 | 今日この頃







8月26日(水)何時もは8月はお休みなのですが、新しいビルの中のお教室に
なって、8月から始まると言うので、7月をお休みにして、今日が振り替えの日
でした。

今日から9年目に入ったそうですよ。ショリー先生の家庭料理教室の始まりの
クラスだそうです。

前のお教室より、ゆったりとしています。大体のものが新しいので、気持ちがい
いですよ。新しくていいのは「畳」だけではありませんよ。

ただ調理台が高くなりました。今の寸法がそうなっているのでしょうか? それ
ともオーナーが背がお高いので、其の基準でしょうか? 座っていると鍋の中
身が見えません。







アル バイガン マサラ
アル=ポテト  バイガン=茄子  

北インド パンジャーム州のお料理







一寸辛かったのですが、私はこれが好きでした。今旬の「なすび」を使ったお料
理です。


ココナッツミルクのエッグカレー
南インド キャロライナ州のお料理 



この地方はココナッツが多く取れるので、ココナッツミルクで煮込んであります。
卵を、じかにフライパンに入れるのですが、それから長く煮込むので、卵の存在
が不明でない。おわりころに入れたほうがいいな~、と思う。先のお料理が、大
辛かったので、このお味が、気の抜けたものに感じました。


スージ ラッド
スージ=セモリナ  ラッド=だんご   デザート







カシューナツウやレーズンを炒めセモリナを加ええ、火を通し、冷ましたものを
お団子に丸める。日本では丸めると言うと、両方の手のひらで転がして丸める
が、インドでは終わりまで指先で丸める。一寸甘味がきついが、これはインド
の味覚でしょう、何時ものことです。おいしかったですよ。

ソーメンの油いため



おまけです。湯がいたそうめんをいためます。あまった時にいいかもね。



食後のティー。香りが高かった。お団子の甘味を中和してくれた。 

主食は「チャパティー」でした。

いつも思うことですが、いんどの家庭料理は、時間をかけて、「煮込む」ことが
多いので、主婦はたいへんだな~。







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ミホ ミュージアム

2015年08月25日 | 一寸そこまで





8月22日(土) 「現代の桃源郷」と言われるミュージアム一度は行きたいと思
っていた、滋賀県甲賀町の山の中にある「ミホミュージアム」に行ってきました。
本当に何年前から憧れていたか? というより、諦めていましたが、大好きな
「若冲」の展示があるというので、「是非」と思ったのです。

JRの駅まではいいとしても、そこから50分のバスが一時間に1本しかないと
いう不便な所なのです。

先日「佐川美術館」に乗せてもらっていったのに、味を占めて、息子に頼んでお
いたのです。お盆休みは道中が込むだろうから、避けました。



「ミホミュージアム」の案内板を目にするまで、2時間近くかかったでしょうか。
行くまでに、なんぼも駐車場がありました。建物らしいものはなく、もっと先だと
思い通過、やっと建物が見えました。

大きな駐車場があるのですが、そのず~っと端が2~3ヵ所空いているだけでし
た。そこから建物に戻り、チケットを買いました。

ここから徒歩7分、小さな山のあちらに美術館はあります。ここから、リムジンバ
ス(13人乗り)が出ていますが、長蛇の列ですし、トンネルを抜ける処からの美
術館の景色がいいと説明書に書いてありましたので、是非歩いて、其の光景を
見てみたいと思いましたので、歩くことにしました。主人は歩きたくないとい
ったのですが、2対1です、仕方なくついて歩きました。










トンネルは先が見えないようにL字方に曲がっています。角を曲がった時初め
て、つり橋のような感じのワイヤーと、其の先に美術館が見えました。感動的
でした。展覧会を見る前に「あ~、来てよかった!」と思いました。


          ↑    ロビー            ↓    食堂


また、ドアを入ると、吹き抜けになった、高い天井の幾何学模様ガラス。正面の
窓ガラスからは形のいい松?がすっきりと見えます。西宮の大谷美術館のロビ
ーを思い出しました。

歩いて、疲れたという主人のために、ティータイムを取ったお部屋もやはり同じ
つくりの屋根でした。広い面積にゆったりと置かれたテーブル、贅沢な空間でし
た。次の人が待っているのですが、それを感じさせない造りに成っていました。
「寛ぐ時はどうぞごゆっくり」というメッセージのようでした。

    



 



若冲の「寅」「象」「鯨」の本物を見れて嬉しかったです。「象と鯨」の「クリアファ
イル」をかって来ました。


食堂は、下のビルの中でしたので、今度はリムジンバス(待つことなく乗れまし
た)に乗って戻りました。ドライバーは女性でした。それがまた、ゆったり感を
もらいました。

ここは海外にも有名で、お客様が多いそうです。私の行った時は中国系の人が
2組ほどで、事前に展示物の説明を受けていました。いろんな国の言語に対応
する人を雇っているのでしょうね。

本当にビックリするほどのお客様でした。私は、きっとお客様も少なく静かな美
術館だと想像していましたが、当て外れでした。

帰りにも、続々と自動車が上ってきますし、行きに見たどの駐車場も満車でした。
「ここから美術館まで歩くのはつらいね~」と話しながら、帰って来ました。

常設館を見ていないのが心残りです。もう一度行きたい! 桜並木の美しい時に!
本当に、心うきうきの楽しい一日でした。

















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お盆の行事

2015年08月24日 | 一寸そこまで

         似ていますが月下美人ではありません 真昼に咲きます     (15―4―30)






もうすぐ秋ですね。色んな種類のトンボが飛んでいます。このあたりには水辺
がないのですが、何処で生まれたのでしょうか?

鈴虫の声も聞こえます。でも一匹のようです。心細げに鳴いています。それも、
夜ではなく、日の昇っていない朝です。何処で生まれたのでしょうか?

今日はお医者さんに薬をもらいに、二軒梯子でした。いついっても、何処でも、
お医者さんは一杯ですね。2時間近く掛かってしまいました。待ち時間ばかり、
長くて、診察は5分と掛かりませんよね~。何もしない、待つだけなのに、お
医者通いはどーっと疲れます。午後からボーっとしていましたよ。


8月23日(日) お盆の施餓鬼がお寺でありましたので、お寺に行ってきました。
一寸出かけるのが遅かったので、戒名の読み上げに入っていました。こんなこ
とは初めてでしたが、聞く所によると、人もすくなかったようでした。私も門を一
歩入った時「あれっ!今日は少ない!」と思いました。皆さん、お年寄りが多い
ので、春秋の彼岸の行事の時のようにはいかないのでしょうかね~?「読み上
げはお昼からになりますが…」「結構です」「昼から一番に読んでいただきます」
と言うことでした。

読経が終わると、個人のお願いしてある、塔婆の名前を読み上げます。私の家
の仏様は古いので「先祖代々」でお願いしてあります。新しい仏様の所は「戒名」
でお願いします。約1時間ほど掛かります。終わりのほうになると「太鼓」を打ち
始めます。お墓の掃除をしていると、「太鼓」の音が聞こえて来ましたので、一寸
あせりました。来月、秋彼岸には遅れないようにしないとね。

私たちはお昼の「巻き寿司」を食べると、すぐ帰るのですが、お墓のほうはちゃ
んとお参りしているので、いいかな~?とお願いしておきました。

私も春秋なら、お隣の近松公園によって、写真を撮るのですが、カメラは持参し
ていましたが、寄り道しないで、まっすぐに帰宅しました。

年々、暑さは身にこたえます。
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続・竹林はるか遠く

2015年08月21日 | 読みました


だんだん温度が下がってきたな~と言うのは、洗濯物の乾き方でわかります。
つい先日までは朝(8時ごろ)干した洗濯物は、12時前にはからりと乾いてい
ましたが、もう今日は乾き切ってはおりません。だんだんと3時ごろまで掛かる
ようになるのですね。


    続・竹林はるか遠く

    

    

前編を読んだのは、何時だったでしょうか。もう随分前のような気がします。その
時は、「続」があるとは知りませんから、ヨーコはどうしているのだろうな~?と時
々思い出していました。

特に、韓国とのギクシャクの頃からは特におもいだしました。中韓国は日本が悪
い、人でなしだといわれるままですが、この本を読むとヨーコが朝鮮半島を南下
した時の朝鮮人が、強盗、殺人、強姦としたい放題の悪事を働いたことが、書れ
ています。この本を国連で配れば良いのにな~と思っていたほどです。

ちなみに、この本は韓国では発売禁止だそうです。読めば「さもありなん」と納得。

アメリカの教育課程の教育の副読本として、採用され、多くの子供たちに読まれ
ていると書いてありました。幾歳の子供のことか、詳しくは知りませんが、日本な
ら、まず無理かもな~と思うないようです。小説ではなく実話であるということが、
恐ろしく、切ないです。

引き上げ船で日本に帰るために、南下する日本人の若い人は、女とわかれば、
強姦されるというので、頭を丸坊主にして、男の子を装ったと書れています。

それは実話だと聞きました。姑の妹が、満州からの引揚者ですが、日本に着い
たときも、ボロボロの服で、丸坊主で「犯されないためだ」と聞いたと、姑が話し
てくれました。

「続」 のほうは、兄と姉、ヨーコと3人が、父親が帰国するまでの何年間を必至
に生き抜いた、記録です。母は子供たち3人を無事京都まで連れ帰り、苦労の
末に、亡くなっています。

兄はその後亡くなりましたが、姉はご健在のようで、ヨーコ共々幸せに暮らして
おられるようです。

日本人が聖人君子だとは言いません。色々あったかも知れませんが、戦っても
いないのに、戦勝国面をして、当然の如く、色々の悪事を働いた、中国人朝鮮
人、それが戦争だとすれば、「日本だけが悪く言われる謂れはない」と悔しい
です。約束を反故にしたロシア、領土を取ったロシア、日本兵を捕虜にしてシ
ベリアで酷使したロシア。だのに何故日本だけが…、これが負け戦の成れの果
てということだろうか? 

    

本の見開きには、下記の文章が載っている。着の身着のままの汚いヨーコはお
嬢様学校のクラスメートの壮絶な苛めにあう。苛められるヨーコは、ついに悟っ
た。その心情が書かれているのが、下の文章です。

    



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高校野球も終わったね~

2015年08月20日 | テレビから

  「シンビジューム」   今年は2本しか咲きませんでした植え替え時かな?   (15―4―27)





今日は早朝は小雨で「高校野球の決勝戦」できるのかな~? と心配しました
が、時間が過ぎるにしたがって、雨も止む気配です。パンがなくなっていたの
で、大阪に買いに行きました。「決勝戦は1時だから、それまでには十分時間
あるね~」と言いながら、ランチのパンも買って急いで帰って来ました。


高校野球のときはいつも思うのですが「どちらにも勝たせてあげたい!」と…。

東海大相模と仙台育英。途中で6対6に仙台育英が追いついたのですが、や
っぱり、力尽きたか負けてしまいました。

東海大相模高校 おめでとうございます。45年振りの優勝だってね。

仙台育英高校 頑張ったよね、でも負けちゃって、やっぱり悔しいね。2番じゃ
駄目なんだよね、1番でないとね。頑張って練習して、またおいで、待ってるよ!

今頃は気持ちも落ち着いて、ぐっすりねむっているかな~? 3年生は今日で
野球生活も終わりなんだね~。

野球で培った頑張りで、今度は受験に頑張ろう! 「桜咲く日」を夢見てね。

                                    (2630回)

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戦争報道

2015年08月19日 | 気にかかる

 「デュランタ=宝塚」  沢山咲きましたが、房が短いようです 秋には植え替えをしてあげなくては 
 亡き友よ! あなたを思い出す 頂いたお花 毎年咲いていますよ!  (15―8―10)







今日は一日曇り空、時々薄日は差しますが、どんよりとした、一日でした。暑く
ないのは助かりますが…。

今朝の「サンケイ」に曽野綾子さんが
「『戦後70年特集』の疲れ」「単なる回顧は戦争回避に無力」

と言う文章を書いておられました。一部を抜粋しました。

「ようやく戦後70年の記念日が過ぎた。マスコミは連日、スポーツか過去の
戦争の記録を振り返り、私はほとほと疲れた」

「もちろん新聞も週刊誌もテレビも、私の知らない戦争の部分をたくさん教え
てくれました。しかし私は8月15日までに心理的にくたくたになった。早くこ
の期間が終わればいいのに、と思ったのは、人の生き死にに深く心を留め
てみているとほんとうにからだの底から疲れるからです」

「この期間のマスコミに、徹底して欠けていた視点があった。戦争にはかなら
ず敵がいるという現実だ。敵無しの戦いはなく、敵はいつでもどこでもいると
いうことだ…、敵のいない時代も場もない。其の敵にどう対処するかを教えな
い心情的平和など、まず力をもたないのである」 


戦争を知らないで、知りたいと思っている私でさえ、「もういいわ!」と感じまし
た。70年と言う事を意識してでしょうか、例年以上に、これでもかこれでもかと
押し付けてくるように感じました。そのように感じたのは私だけではなかったと
安心もしました。

このように書くことは「怠惰」「卑怯者」かとご自分の事を書いておられます。曽
野さんは終戦時13歳だったそうです。私は10歳でした。この頃の1歳の差は
大きいですし、曽野さんはクリスチャンでしっかりとした宗教心を持っておられ
ます。其の私が、共感する部分があると言う事は、私にとって、心安らぐもの
でした。

「原爆の広島・長崎」「終戦記念日」毎年大々的にしなくても、其の時代に生き
ていた、私たちは決して忘れません。若い人に覚えて欲しいと思うなら、それ
はやはり「教育」の場でしょう。「歴史」として覚えさせる教科書に問題があっ
たのですが、それも近年、改善されてきたように聞いています。

大学入試に外れるとして「近代史・現代史」がおろそかになっていたことが、
其の原因だと思われます。教科書は古代から始まるものですから、近代にた
どり着けないこともあります。思い返せば、私も「現代史」は残ったような気が
します。

一大事件である、大東亜戦争あたりから、学び初めて、近代史を学び、実は日
本はこんな国でしたと古代に戻るという学び方は如何でしょうか?、日本史か
ら独立させた「現代史・近代史」を必須教科にするとか、考えて欲しいと思いま
すが…。 

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主人と私

2015年08月18日 | 今日この頃

          「コデマリ」   毬のようにまん丸になるのよね~   (15―4―20)





昨夜は久しぶりに、窓を開けて、クーラー無しの夜でした。また、今朝は「肌か
け」1枚では寒いくらいでしたので、いいお天気の今日、掛け布団を日に干して、
風を通しました。今夜から足元に置いて、いつでも使えるように準備しました。

こうして、季節の移り変わりを、いち早く感じるのが、年齢のなせる技でしょうか。
そういえば、主人と私は年齢差7歳ですが、やっぱり、主人のほうが「暑い」「寒
い」と言うのが、一歩早いような気がします。

『人生は戻れないけれど、振り返ることはできる』

何方の言葉でしょうね。本当にそうですね。特に年を重ねると、昔が懐かしく思
い出されます。しかし、主人に「XXさんどうしているのかしらねえ~?」と聞い
ても「知らん!そんなこと考えたことない」と言います。

男と女の違いでしょうか? いやいや、性格の違いでしょうね。することなすこと、
二人は正反対です。ようこれだけ正反対でいながら、一緒に生活しているな~、
と思うくらいです。私が、我慢して、相手に合わせているのでしょうね。主人は
こんなこと考えたこともないと思いますよ、そして、これを読んだら「耐えている
のは自分だ!」と言うでしょうね。ハハハハ!

若いころはそんなことに気がつきませんでした。と言うより、毎晩「接待や~」
「麻雀や~」と日付けが変わらないと帰宅しませんでしたし。土日はゴルフでい
ませんし、「姑つき、母子家庭」のようなものでしたが、私も暢気と言うか、別
に不満は言いませんでしたよ。主人のこと「給料運び人」位に思っていたのでし
ょうか。どっちもどっちですね~。

其の埋め合わせといいますか、一日の大半を家で過ごし、全てを止めて、家で
パソコンで「麻雀」「囲碁」(はじめは碁会所に通っていましたが、孫がパソコン
で囲碁ができると教えてから、碁会所には行かなくなりました。)をして、午後
になるともそもそと「温泉通い」を始めてから、四半世紀です。

二人とも9月生まれですから、来月には同年代になります。主人が87歳、私が
80歳。今のところ、年なりに体が言う事をきかなくなくなっていますが、元気に
過ごしております。ありがたいことだと感謝の毎日です。


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私たちに戦争を教えてください

2015年08月17日 | テレビから

        「アイビー・ゼラニューム」   今年は花数がすくなかったです   (15―8―1)




少しづつ、暑さが、緩んできたように感じます。もう一頑張りです。


「私たちに戦争を教えてください」4時間と言う長いものですた。ビデオにとって、
少しずつ、見ました。本当に私は戦争について、何も知らないな~と感じました。

それより驚いたのが、初めに街頭で20歳前後の男女に「8月15日は何の日か
知っていますか?」と言う問いに、答えられたのは一人だけだったのにはショッ
クを受けました。


特攻について
千玄室さんが特攻隊員で、命令を受ける前に終戦になったということは知って
いました。今、92歳でお元気でおられます。

特攻仲間に、お茶を立てて飲ませたところ、一人が「千なぁ~、俺な~生きて帰
ってきたらな、お前んとこの茶室で茶のましてくれよ」の声が70年たった今で
も、耳に残っています。彼は飛んでいったまま帰りませんでした。

特攻隊に選ばれたのですから、死は覚悟です。皆で、故郷のほうを向いて、ポ
ロポロ涙を流しながら「お母さ~ん」って叫びましたよ。お父さんには申し訳な
いけれど、お母さんに抱きしめられて、頭を撫でてもらいたかったのです。

「私が死ぬまで私の戦争は終わりません」と千さんは言われます。


戦時中といえども、恋心が芽生えることもある。特攻に出るときは、前の日に知
らされるそうです。最後の電話をかけるのですが、何もいえない、このあとは、
会うことも、声も聞けないことがわかっています、お互い言葉が見つからない無
言なんですが、受話器を置くこともできない。彼女の方から電話は切ったそうで
すが、未だに心にかかっている。


99歳の男性。
人は「相手を撃ち落とした時気持ちがいいでしょうね!」と言うが、「ちっとも気持
ちよくはないですよ。人の命を殺めることに自分の人生をつぎ込んだ。戦場で出
会った人が、外国人だったら、誰でもいい、早く相手を殺めなければ、自分がや
られる。相手の人と出会ってら、その人と一緒に生きることはもう駄目、それが
戦争なんです。


ペリリュー島
天皇皇后陛下が、慰霊の旅に出られたテレビはみましたが、小さいけれど、日本
軍にとって、重要な島であったとは知りませんでした。

御嘉賞(ごかしょう)=天皇からの褒め言葉、激励の言葉。1度でも光栄なことで
あるのに、この島の働きは昭和天皇から11回(陸軍史上始まって以来)もの御嘉
賞の電報を頂いたそうで、『絶対に死守しなければならない』と思っていたそうで
す。 現在は無人島だそうです。


女性の市電の運転手
8月6日広島に原爆が落とされました。其の3日後に市電が動き始めたそうです。
運転したのは女性です。戦争に男性をとられて、運転手が不足した。広島電鉄
家政学校は運転士や車掌を養成する学校。運転は楽しかったという。「なぜ運
転をしようと思ったのか?」「困っている人がいるから、助けたかった」焼け跡を
走る電車は、市民を勇気づけた。其の電車は、70年たった今でも、現役で動い
ている。

戦争は、人の命を奪うだけではなく、命そのものの重さまでも変えてしまう。
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