ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

水道管が破れた寒い朝

2011年01月31日 | 今日この頃

  大阪・中ノ島・中央公会堂をスクリーンにして 3台のカメラで四季の模様が映し出される 
                   OSAKA 光のルネサンス   (10-12-15)





9時過ぎです、インターホーンがなりました。出ますと「お宅のベランダの水道管が
破裂してるんじゃないですか?噴水のように水が出ていますよ」私は驚いて主人と
二人で二階に急いだ。

ベランダに噴水が出来ていた。私はまず元栓を止めに玄関に行きました。主人が
言うには教えてくれた人は通りがかりの方のようでした。本当にありがたかったの
ですが、驚きが先でお礼の言葉も言えませんでした。

ベランダの水道は東(時間貸しの駐車場で、我家のベランダが見通せる)にあり、
玄関は西にあります。ですから、その人はわざわざぐるっと廻って知らせてくれた
のです。

さ~それから「水道屋さんは何処?」と市報を見たり、電話帳を探したり大変です。
以前ポストにほり込まれていたカードを探し出したのですが、私の心に疑いの気持
ちが沸き起こりました。「こんなところに電話していいのだろうか?」「老夫婦だから
とぼったくられるのでは無いだろうか?」

私は2軒隣の電気屋さんに聞いてみようと思い立ちました。電気工事に行くのだから、
その道に詳しいかも知れないと思ったからです。すぐに電話で手配してくれました。

たった3時間ほどの断水でしたが不自由でした。コック一つで水に不自由の無い日本
でよかったと思いました。

それともう一つ、量販店より、少しは高いかも知れないのですが、ご近所ですし
「何かお世話になることもあるかも」と電気製品を、その店で買っているのは間違
いでなかったな~と思いました。



昔は無口、特に男性は無口がよしとされていましたが、今は違いますね、街中でも
女の子顔負けぐらい男子が喋っていますね。う~ん今は少し変わって来ましたね。
友達と共に居る時でさえ、お互いそれぞれ携帯をいじっている光景を良く見ます。
これって、やっぱり無口って言う?

封建社会の男女の地位をあらわす言葉に男は家では「飯」「風呂」「寝る」の3言
ぐらいしか奥さんに言わないといわれて来ました。

以下は高峰秀子さんの「にんげんのおへそ」からの抜書きですが、


・ 舌はわざわいのもと

・ 言わぬが花 

・ 目は開けておけ 口は閉じておけ

・ ものは言いようで角が立つ

・ 言いたいことは 明日いえ

・ 知るものは言わず 言うものは知らず

・ 沈黙は金

・ ひとこと多い


現代は、『一口でも多く』と言う世の中に大逆転している。と書いてありました。

思えば『考えてから語れ』と言う諺がこんなにあるとは気づきませんでした。『目
は開けておけ 口は閉じておけ』は知らなかったような気もします。

デコちゃんはこれらの諺がよしと思う生き方をしてこられたのでしょうね。

私が一つ選ぶとすれば、良く感じる「知るものは言わず 言うものは知らず」です。
言い換えれば「知ったかぶり」です。まだ自分のものになっていない知識を、さも
知っているかのように話す人が居ますが嫌だな~と思います。

この年まで生きてきますと「年の功」と言う言葉通り、人を見る目、まやかしを見
抜く感は備わります。だからデコこちゃんと同じく、少人数でいい、心通い合う友
と友情を深めて生きたいな~と言う気持ちが高まりました。










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にんげんのおへそ

2011年01月28日 | 読みました

          OSAKA 光のルネサンスの「動物達」  (10-12-15)






冷たい一日でしたね。洗濯物が冷たくて、乾いていても乾いていると感じません。
お日様のありがたさをつくづく感じます。


菅さん又物議をかもしましたね。長期国債格下げを記者に聞かれて「疎い」と言う
言葉の使い方を間違いましたね。釈明に因れば「…会議場から出てきた直後で格
付けの変更について聞いていなかった、情報が入っていなかったということだ」って
ね。

色んな意味がありますが、この場合の『「疎い」はそのものについて関心が無い知
識が無い』と受け取られても仕方がありませんよね。

小学生から英語教育を入れて、国語である日本語をおろそかにすると、正しい日本
語を使えない日本人が増えるのでは無いかと心配になります。仕事に英語を必要と
する人の確率はどのくらいでしょうか? 必要なら自分で学ぶと思うのですよ。やっぱ
り小学生には国語、道徳ですよ。


          にんげんのおへそ     高峰秀子

年末にデコちゃんが亡くなって、図書館に本のコーナーが出来ておりました。デコ
ちゃんの本はわりと読んでいるので、そこに並んで残っていたうちではこれだけが
まだでしたから借りて来ました。今風に言えばエッセイです。それも一寸長めのも
のです。

私がデコちゃんのことで、一番印象に残っているのが「大きな家を小さく建て直し
た人」と言うことでした。スターといえば大きな家を建てるものと思っていた私の
常識を覆された驚きでした。

計らずも、このエッセイの一文で、そのことに触れていました。「老い仕度」の為
だったそうです。老夫婦二人に大きな家は要らない、家が大きければお手伝いさ
んもいるということで、家を小さくしてお二人の静かな生活をなさっていたようです。

ご主人の松山さんは「味噌と漬物」が大嫌いで、車中でお弁当を食べなければな
らない時はデコちゃんの愛妻弁当だったそうです。そういえば「お弁当」の片隅に
は必ず「お漬物」が入っていますね。デコちゃんはこれまた「味噌とお漬物」が大好
きだそうです。

旦那が地方に出張で留守になると、自分の食べたいものを食べに出かけたそうで
す。でもスターですから、何処へでもと言うわけには行きません。だからホテルに食
べに行ったそうです。スターとは不自由なものですね。

デコちゃんは映画女優ですからね、映画大好きな私は良く見ましたよ。日本初「総
天然色映画 カルメン故郷へ帰る」もデコちゃんでしたね。「二十四の瞳」「浮雲」
「喜びも悲しみも幾年月」「細雪」「恍惚の人」数え切れないくらい見ています。

やはり廻りにいい人が集まっていますね。デコちゃんがいい人だから、いい人の輪
が出来たのか、いい人の影響でデコちゃんがいい人になったのか…。

最小限の気の合うお仲間とのみのお付き合いをする老後だったようですね。体力も
なくなるし、そんな老後がいいのかも知れませんね。




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国会中継を見て

2011年01月27日 | テレビから

        「さんしゅゆ」の今  尼崎・大井戸公園  (11-1-27)



国会中継が始まりました。家でじ~っとテレビを見るより、風が無いから、携帯ラジ
オで聞きながら歩こうと思って、ウッディに出かけました。何時もは長いと思う道も
あっと言う間につきました。

総理大臣は「子ども手当て」も「高校の無償化」も「高速料金」も「農業政策」も「バ
ラマキではありません」
って何度も言っていましたね。信じられます? 信じられ
ません!

「子ども手当てに必要な費用は事業仕分けで捻出しました」って、嘘ばっかり!!

先日、櫻井よし子さんのお話を聞きに行った時、我耳を疑ったお話を書きました。
それは防衛費を削りながら、その上に、自衛隊員の子どもの「子ども手当て」は防
衛費から支給するという、国民が知らないと思って、堂々といけしゃあしゃあと言
ってのけているです。

それだけではありませんよ。教育に必要な「修身」の費用も、あれこれ仕分けされ
た費用も粗方「子ども手当て」に横滑りさせる為に仕分けされたようだということ
が、質疑応答から見えてきました。

小池百合子さんも「自衛隊員の子ども手当ては防衛費から捻出されている」と言っ
ていましたね。さらっと言っておられたので、もっとねちっと言ってほしかったな~
と思いましたよ。

「子ども手当て」の「ども」と言う字が「供」と書かないのは何故だか分かります? 
「供」と言う字は「従う」を意味するから、使わないそうですよ。 ??。子どもが
親に従うのが何故いけないの? 私には理解できません。

予算が通れば満2歳までの子どもは7千円アップでしたよね。自衛隊員といえば若
い人が多いですから、防衛費からの出費が尚更かさむのでは無いですか。今でも何
千万円とかが防衛の為ではなく、「子ども手当て」に使われているって言っていま
したよ。

「高校無償化」についても、与那国島には高校が無いんだそうですよ。だから島の
子どもは石垣島の高校に行くよりてが無いそうです。家から通える距離ではありま
せんし、家によっては、下宿代の費用を出すよりと一家で石垣島に渡るそうですよ。 
変だと思いません? 教育の均等化を言うなら、このような離島対策が先では無い
ですか?

やっぱり、バラマキだよね~! こんなおかしな政権何時まで続くのでしょうね。
「消費税を上げるときのみ、国民に信を問う為解散総選挙をするけど、今は解散す
る気はありません」って堂々と宣言しましたよね。「消費税」上げるのは「福祉」の為
と言うけれど、バラマキの後始末に使われそうで素直に応じられないな~。




            「蘭」  大阪・鶴見緑地の温室   (09-3-11)
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インド家庭料理教室 (28回)

2011年01月26日 | 今日この頃
     
                        卓上花

         ↑  今日のお料理     ↓ マイ・ディッシュ


11月私がお休みして、12月はお教室がお休みで3ヶ月ぶりのお教室です。

今日は主食がご飯とチャパティーその上にベジタブルカツがジャガイモが主と言
う事で、ボリュームがあり、晩ご飯になってもおなかが空きませんでした。



にんじんと玉ねぎ、トマトのサラダなんですけど、日本では人参を生で食べる時、
スティクに切っても薄くスライスしてということはしませんですよね。これがとても
食べやすいのですよ。口当たりも良く好評でした。下の写真の日本では味塩のよ
うなもののせいかも知れませんが…。人参を薄切りにして、好みの調味料を振り
かけて、その食感を試してみてください。お薦めです。



ベジタブルカツレツ
私達は「カツレツ」といえばお肉を衣で揚げたものを言いますよね。ですから、こ
れはコロッケですね。衣が違うんですね。玉子を使わないで、小麦粉の水溶きを付
け、細かいパン粉をつけて揚げたものです。ですから日本のコロッケのようなサク
サク感ではなく、食感としてはフライよりハンバーグ(味はコロッケ)に近いかしら?



ココナッツチキンカレー
名前の通りチキンの入ったカレーです。唯ね。チキンの皮の部分は剥いで使わなく
て、捨てるんですよ。国民性でしょうか?インドの方は焼き鳥屋さんに行ってもあの
美味しい「皮」は食べないのでしょうかね~。私は「ずり」と「皮」は必ず食べます。



チャパティー
これは何回もしていますからね。でもなかなか上手には出来ません。


今回チャパティーの為に新しい道具が二つお目見えしました。上が出来上がったチ
ャパティーを入れて保温しておく為の入れ物です。

下はチャパティーを焼く時に使う木製の大きな判子のような道具です。これでチャ
パティーのふくらみを抑えながら焼きます。ショリー先生がこのたびインドに帰ら
れた時買って来られたそうです。今まではティッシュで抑えていました。

               

デザートのセモリナのケーキ
セモリナ:粉をひいたときに出来るきめの粗い粉だそうです。ギー:インドのバタ
ーでナッツやレーズンを炒め、その中にセモリナを加えて、水(サフランを入れた)
を加えて、水気がなくなるまで弱火で混ぜて、パットで自然に固めて出来上がり。
程よい甘さで美味しかったです。


 
インドにもお年玉のようなものはあるそうです。でも日本のように正月にいっせい
に貰うのではなく、その家の宗教によって違う正月(旧暦)に貰うそうです。

一応、1月1日は世界の暦どおり休日で祝うそうですが、2日からは普通の生活だ
そうです。日本のような「御節料理」は無いようです。
 








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トイレの神様

2011年01月25日 | テレビから

         滋賀県・大津の店先で…  表情が一寸コケティッシュなお人形
     

図書館とウッディに歩いていきました。大丈夫のようでした。図書館にはいっぱい
読みたい本があって、どれにしようか迷います。ですから私は何かで話題性のあ
る本を申し込んで借りることにしています。たとえ私の行く北図書館になくとも、他
の場所からも取り寄せてくれますからありがたいです。

来月図書館のたな卸し? で3週間ほどお休みになり、今日から借りた本は1ヶ月
借りることが出来ますから「池部良さんの随筆」を借りてきました。読めても3冊く
らいですし、手元に2冊ありますから、1冊で我慢しました。

昨日の私のブログを読んだ主人が「お前な~、めまいがする言うけど、俺なんって
しょっちゅうやで~、寝てて便所に行くときは、半身起こしてしばらくじ~っとしてか
らでないと立てへんで…」同病相哀れむ、と言うか慰めてくれているつもりなんでし
ょうけど、その口調が憎たらしい! 

お医者さんも言われた「高血圧の人が暖房中になりやすい症状です」病名は「老化
現象による立ちくらみ」に決定!! 老夫婦仲良くヨチヨチと頑張りましょう!


「トイレの神様」この歌が流行り始めてから、「トイレの神様?変な題やな~」と言う
程度には知っていましたが、実際に聞いたことはありませんでした。紅白歌合戦に
全部歌うという事を聞き、楽しみにしておりました。ビデオ撮りしたのを見たのは
5日だったでしょうか。

「トイレにはそれはそれは綺麗な女神さんがいるんやで~、だから毎日きれいにし
たら、女神様みたいに別嬪さんになれるんやで~」おばあちゃんが言われたそうで
植村花菜さんは一生懸命トイレをぴかぴかに掃除したそうですね。そのご利益か
花菜さんは美人ですね。

私の母はお便所の掃除をしながら、そばで見ている私に言いました。「お便所は掃
除をして、いつも綺麗にしておくと『良い子が授かるんやで』」 子孫繁栄?…。

ご利益の種類は全然違いますが、『良いことがおきる』と言うことは同じようです。
関西だけの言い伝えなのでしょうか? それとも兵庫県だけ? そうだとしてもこ
の歌で『トイレの神様」は全国区になったわけですね。

歌が良かったので、その数日後のテレビも見ました。岩下志摩さんの関西弁を聞
きながら「ちゃうちゃう、こう発音するんやで~」と茶々を入れながらも、祖母と孫の
かかわりを、一寸うらやましく見ました。

成人してからの祖母との心の行き違いも同居してこそのつまずきですよね。花菜さん
は小学3年からの同居ですが、祖父と私は小学4年までのつながりでした。年齢的に
は違いますが、寝起きを共にして、そこから生まれた愛情であることは同じです。

祖父と自分とを重ねながらテレビを見ました。自分が祖母であるのに、祖父の事を
思い出すと私は幼子に帰ります。こんな祖父との繋がりを持っている私は幸せだと
思っています。今は核家族ですから、出来ない深いつながりだと思います。

文化を通じて関西から日本を明るく元気にした人物や団体に送られる「関西文化圏
賞」のニューパワー賞に植村花菜さんも選ばれました。今後の活躍を期待しています。




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ブラック・トライアングル

2011年01月24日 | 読みました

     神戸・北野町の店先の陶器の犬  もって帰りたいくらい可愛い!


今冬はまだ風邪を引いておりません。喜ぶべきことなんですが、一抹の不安があ
ります。どか~んと来るのではないかと言う不安です。風邪を引かなかった年など
記憶に無いからです。

金曜日の朝、立ち上がった時、ふらっとしました。立ちくらみです。若い頃貧血で
したから軽いめまいの経験はありますが、立ちくらみは初めてです。歩き始めると、
航海中の船の甲板をよろよろ歩いている感覚です。

夕方までゆるりと行動しましたが、少しづつましになりましたが、無にはなりませ
ん。くよくよ考えるよりとお医者さんに行きました。

お医者さんに「貧血でしょうか40年前になった経験があります。数ヶ月注射に通
った覚えがあります」先生はすぐ私の血液検査の表をパソコン上に呼び出しました。
そこには右肩下がりのグラフが現れました。「この数値では貧血とはいえません。
ゆっくり立ち上がってください。足を高くして寝るのもいいですよ。回数が増える
ようでしたら来てください」 無罪放免? これも加齢現象?

翌日土曜日を寝て過ごしました。だんだんふらつきも薄れて来ましたので、日曜日
からは家の中のみで動きました。

今日3日ぶりで買い物に出ましたが、大丈夫のようでした。自分で考えますには
「3夜続きの寝不足が祟ったように思います。寝不足は大敵のようです。…と言う
わけで金曜日のブログ無断でお休みいたしました言い訳です。 


        ブラック・トライアングル     谷 清司(弁護士)

交通事故の被害者の弁護をしている弁護士さんが、『保険会社 国 裁判所』の
三者(トライアングル)の交通事故被害者を蝕む保険金(値切り)の手口を例を揚
げて書いた本です。

何故こういうことが起こるかと言うと、国も裁判所も手続きを保険会社に任せてし
まっているからのようです。保険会社の係りは手続きをするために被害者から委
任状を取っています、それを楯に、一日でも診療期間を短くし、次に起こる補償問
題も軽くしようと言うことです。

保険会社も営利会社ですから、儲けを出さなければならないのは分かっています。
しかし、この本を読んでいると何と泣き寝入りをしている人の多いことか。

この本は交通事故ですが、医療保険でも、同じ事が言えるのでは無いでしょうか。
私達もお守りだと思って掛け捨ての保険をかけていましたが、幸いなことにお世話
になることはありませんでした。ところがです。75歳になりますと続けることは出来
なくなります。これから必要なことが増えるという年代になったら継続できないので
す。元居た会社の団体でOBとしての継続ですから、大きな保険会社です。

去年から80歳に延長になり私だけ継続が認められています。75歳までですと、
あまりにも儲けすぎと考えたのだろうと解釈しています。

これとは別に交通傷害保険も入っています(同じOB)でもだんだんバカらしくなっ
て、口数を減らしています。私は免許も返納しましたし、時々行くツアーでは希望
者だけとはいえ必ず保険があります。同じ掛け捨てならそれもいいのでは無いか
と思い、次の更新からへらそうかな?と思っていましたが、この本を読んでから最
低限の1口にしようと思いました。

加害者が困るのではなく、被害者が泣きを見るなんって、そんな保険制度は考え
直していただきたいと思います。自動車を運転する方は、この本を読まれて、『事
故を起こさないように』というより、本当は不可抗力とはいえ『事故に巻き込まれ
ないように、保険会社の言いなりになって泣きを見ないように』と言うべきでしょ
うね。


     
京都銀閣寺近くの「キティちゃんのお店の  ↑石のキティちゃん   ↓ 窓の描かれた絵
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お久しぶり!

2011年01月20日 | 今日この頃

↑  道路わきで 小さな葉牡丹が頑張っていました   ↓  我家の「梅」もつぼみを膨らませて…


ウッディーで、今年初めての方に会った。「お久しぶり! 私達いつも挨拶は『お久
しぶり!』やね~?」「ほんとやね。私一寸風をこじらしてね、今週からやっと来て
るんよ。直りが悪なったわ~」「そりゃ~大変でしたね。長いこと使っているんです
から、あちこちがたが来て当たり前ですよね~、でも此処に来る気力と体力があ
るだけましですよね」「そう思ってるよ。後何年来られるか分からないけど、ボチ
ボチがんばろね!」

お顔見知りだけれど、お互いに名前も知らない。時々の話で、此処ではプールだけ
に通っておられる。娘さん夫婦と同居で親子3代賑やかに暮らして、何もしなくても
いいご身分。今日83歳、昭和2年生まれと聞いて驚いた。本当にお元気、背筋も
しゃんとしておられます。そして良く笑って、明るい。私の8年後もこんなに元気でい
たいな~。

帰りしな、靴入れの所で、又今年初めてと言うより何ヶ月ぶりの人に出あった。彼
女は姉妹で来ていて、お姉さんの方です。妹さんの苗字は珍しいので覚えている
が、この方のは覚えていない、私の中では「お姉ちゃん」です。

「お久しぶり! お元気ですか?」「や~ぁお久しぶり、元気だった?来てはるん?
あわないからね~、お互いに長いね~」

20年以上前から知っているのです。はじめの10年ぐらいは、お互いに若かった
から「スパッツをはいての教室」でご一緒していました。スポーツクラブにも流行
はあるらしく、当時は足もあらわなスパッツが流行でしたが、今は皆ズボンです。

始めは午後のクラスに入っていましたが、私は朝に移り、時たま、こうして私が帰
る頃、午後の部に出てきた彼女に会うことがあります。

姉妹共に、2.3年前に大病をされ、恐ろしいぐらい痩せておられましたが、今は
元通りのふっくらさんになられ、人事ながら安心しています。20年以上も前から
の知人は、本当に少なくなりました。亡くなった方もありますが、続けておられる
方は、皆さんお元気です。 『継続は力なり』 でしょうか。



                 10センチぐらいの小さな「葉牡丹」です
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君よ わが妻よ 

2011年01月19日 | 読みました

寒い寒い毎日ですが ふっと見上げると「白木蓮(はくもくれん)」がつぼみを膨らませています


今日は少し暖かでした。ぽかぽかとお日様が暖かいと感じる時間帯がありました。

阪急に買い物に行きました。そこで迷い子の放送がありました。「従業員の皆様、
赤の上着、白と黒のチェックのパンツ、赤と黒の靴を履いた、4歳のXXちゃんが
迷子になっておられます。お気づきの方は1階のXXまで…」

10分おきぐらいに3回ほどありました。「まだ見つからへんらしいな~、泣いてい
たらすぐ分かるのにな~」「もしかしたら、出てしまったかもね」なんだか私達も身
につまされて、周りをキョロキョロ見回しながら帰れない気持ちになりました。

4回目で「…XXちゃん、見つかりました」との放送。ホッとしました「涙のご対面
かしらね~?」「XXちゃん叱られてるかしらね~?」と語りつつ、一安心で帰宅し
ました。


        君よ わが妻よ       石原典子
          父 石田光治少尉の手紙

始めは石原慎太郎東京都知事夫人の本であるということで読んでみようかと言う気
になりました。

典子さんは父親の顔も知らない、父親の方も、写真の典子さんしか知らない、あ~
これが戦争なんだ。典子さんの母親(この手紙の受取人)にしても結婚後数年で夫
を戦争に取られ、身内の支えがあったとは言え、二人の子持ちで、20代から未亡
こんな話は、当時はざらでした。

石田少尉は軍の正規のルートである士官学校での職業軍人ではなく、1年間、士官
とか幹部候補生と言う名目で養成された予備将校は中学(今の高校)卒以上の学問
があり、費用も自弁で1年間軍隊で教育を受け将校の資格を取るという、少尉でした。
正規の幹部候補生なら、20代ですが、石田少尉は32歳の子持ち少尉でした。

その軍隊生活の数年の間に妻に送った75通の手紙を元に書かれた本です。戦死で
すが、将校の家族でもあり、親や親族に助けられた生活で、親子3人だけの生活と
言うことではなかったのが戦争と言う場合ではまだ幸せの部類だったかも知れません。

戦争で一番悲惨なのは空襲で孤児になり、子どもなのに一人で生きていかなければ
ならなかった子ども達です。「浮浪児」と蔑まれ生きていました。生きていくために悪
いこともしたようです。そんな孤児の為の寮が出来て収容されるまで、一人で生き
ていたのです。

その子ども達も生きておられれば70歳以上です。沖縄の自決問題の遺族のように、
戦争で死んだ両親の命の代償の年金は貰ってないと思いますよ。

東京では今になって空襲でなくした財産の賠償を求める動きがあると読みましたが、
戦争によって失われた命、財産の代償を生きている人が、遺族である、財産である
という事で、国に賠償を求めるのは私は少し違うような気がします。私事で言えば
財産を失ったのは母であり、補償を受けるのも母であり私では無いと思っています。

戦争によって、肉親も財産も失わなかった人も居ます。それはそれでいい運命の元
に生まれたということです。

戦争を知っている私達は「いかなる理由があっても、戦争は絶対駄目!」と語り継
ぐことだと思っています。
                             (1540回)



   おじいちゃんと散歩… 私も祖父とこうしていたのかと 目が離せませんでした

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もう一度 柴田トヨさん

2011年01月18日 | 新聞から
          
                   おらんだ坂の廃居のステンドグラスの窓          
                   ホラー映画の一場面ではありません
   本職のカメラマンが撮影していました説明によると「西日が当たるとステンドグラスが綺麗です」 
                 なるほど綺麗でしたので 私も写しました
           このステンドグラスのはまっている壁の向こうに建物はありません




ウッディに歩いていく道に、小学校があります。音楽の時間らしく可愛いい声が聞
こえて来ました。「どんな歌だろう?」と耳を澄ませるますと、どうも知っている歌の
ようでした。口ずさんでみました。「あれ! 『われは海の子』? この真冬に、夏の
歌?」今は季節と関係なしに教えるの?私の時は?年を取ると昔のことは良く覚え
ていると言いますが、すっかり忘れておりますよ。


去年の暮れに新聞に3回連続で「柴田トヨさん」のことが出ていました。読んでいくう
ちに99歳でもこんな方もいるんだと改めて感心しました。

一番ビックリしたのは、「私は外出しなくても毎朝、お化粧します。そうすると今日も
一日、シッカリしよう、って思えるんです。今はこんなにシワクチャになりましたが、
それでもやっぱり女性はきれいにして、毎日を充実させなければ駄目 …後略…」

毎日お化粧? 99歳で? う~ん耳が痛い! 私はもう毎日のお化粧はしていま
せん。冬はマスクがかけられますから余計にサボります。朝夕の洗顔と基礎化粧
だけはつけますけどね。

これは今に始まったことでは無いのです。娘時代もスッピンでしたし、親になって
からもそうでした、外出する時しか、口紅もつけませんから、お化粧していると、
息子がそばに寄ってきて「何処かにいくのん?」と聞いたものでした。よそに行く
時しかお化粧はしないと分かっていたのでしょうね。

でも一応「年取ったらお化粧したほうがいいかな~? ごまかす為に」と一応考え
ていたのです。その年になって、化粧でごまかせる…と言うことは分かっているの
です、でもやっぱり邪魔くさい!が先に立ちます。反省!です。

トヨさんは99歳で一人暮らしなんですよね。介護の方が夕方帰ってしまうと「やっ
ぱり寂しい」と言っておられました。又「…前略… 詩のお陰で、息子が毎週土曜
日に来てくれます。2人で字引を引いたり、批評したり、朗読しあったり。時間を
忘れるほど楽しくて、待ち遠しい一日です」

生きがいの、楽しい土曜日が何時までも続く事を祈っております。



     
             『うろこの家』からの帰り道 もう一度カメラを向けました
               カメラマンと写した時より ず~っと綺麗な色でした
           絡まった枝の暗さが ますますホラー映画のようでしたが…                                         

     

















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光媒の花

2011年01月16日 | 読みました

家の『びわの花』 写すには一寸遅かったのですが、今年は少し琵琶がなりそうです   (10-12-9)



土日はとても寒かったですね。何年ぶりかで手がかじかむと言う感覚を思い出しま
した。庭の水はこごっていましたし、ホースの水もこごって出ませんでした。今日
になってやっと水遣りが出来ました。

草の葉は皆なぎ倒されたようにぺしゃんこになっていて、鉢の葉は凍傷寸前です。
本当に冷たかったようです。球根から芽吹いた芽と雑草だけは、何事もなかったよ
うにしゃきっとしていますよ。


今日で『阪神淡路大震災』から16年もたったんですね。それにしても、今の神戸
を見て、瓦礫の山だったなんて信じることは出来ませんね。見事な復興振りです。
驚いたことに市民の4割以上が震災を知らない世代だそうです。

3日目に親戚を尋ねてJR芦屋まで、そこからバス、三宮から歩いて、被災者のい
る小学校まで行きました。一応カメラは持っていきましたが、どうしてもシャッター
を切ることが出来ませんでした。瓦礫の町には人影は少なかったと記憶しています
が、今思えば、皆何処にどうしていたのでしょうね。

皆さん、昼間は倒れた家の中から、何か持ち出したいと家に帰っていたようで、私
も結局は親戚の者に会えませんでした。あれだけ家が倒れていますと、彼女の家を
訪ね当てる自信がなくてかえって来ました。

歩く足元は真っ暗ですし、電車や、バスの車窓から見る神戸の町は、真っ暗でした。
今はあんな日があったとは私でさえ信じられない、煌々とネオン輝く神戸です。


          光媒の花     道尾秀介

初めて読みました。色々と賞を取っておられる方のようです。この本は『第23回
山本周五郎賞』の受賞作品です。

ご本人は『この六章を書けただけでボクは作家になってよかったと思いました』と
言っておられます。力作中の力作のようですね。私はほかの作品を読んでいない
ので分かりませんが…。

面白いと思ったのは第1章から第6章までを3年かけて(年に2度のペース)雑誌
に書いておられるのですが、1章の登場人物の中の一人が第2章の登場人物の
一人となっているのです、そして最終回第6章では第1章の登場人物に戻ってい
ると言う、私にとっては、初めての感じの読み物でした。言い換えれば1~6まで
で輪が出来ていると言うことです。

『光媒』と言うのは作家の造語で、虫媒花、風媒花から取られたようです。光を媒
体にするのは人間、と私は解釈したのですが、人と人とのつながり…。この部分
が一寸難しかったかしら。

第5章に出てくる花の説明にありました。
タイルの隙間に生えている、とても地味な小さな花の事を「風媒花だから、飾らな
くていいのよ」「風媒花って、風に媒介の媒。風が花粉を運ぶ花のこと。風媒の花
は、綺麗な外見をしている必要が無いの。わざわざ自分を飾って虫を集める必要
が無いでしょう。風は、別に綺麗な色とか目立つ形に引かれて吹くわけじゃないか
ら」と登場人物に説明させています。

虫媒花は虫に花粉を運んでもらう為に、美しい色や形をして虫を呼び寄せるんです
よね。

あちこちの章の中に光と白い蝶が出て来るですよ。第4章の説明では、蝶は毎日決
まったルートを飛び、必ずもとの場所に戻ると言う習性があるんですって。私は始め
て知りました。第1章の登場人物が、色んなつながりを経て第6章に登場する、その
事を考え付いたのは、この蝶の習性から思いついたそうです。



「眉刷毛万年青」  沢山球根が出来て 株分けしましたから 花は少なめでした   (10-12-23)
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