ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

変なお年頃!

2013年06月28日 | 今日この頃

         「ゆり」   花粉が成熟していない状態?     (13-6-15)




今日もチョンボ! 唱歌の学校に行くには「さくら夙川」で下りる。今日は考え事
をしていて「さくら夙川」との車内放送をスルーした。「えっ?! 今『さくら夙川』
って言ったよね!」と気がついたとき、すでに遅し。ドアは閉まり動き出していた。

仕方がないので、次の「芦屋」から引き返すことになった。芦屋まで2.3分のは
ずなのに随分と長く感じた。別に遅刻する時間ではないのに、気があせりました。

「さくら夙川で下りるの忘れてね~、芦屋まで行って、引き返してきたのよ」って
、隣の人に喋る私。若い頃だったら、ミスは口をつぐんで話さなかった。今は、間
違いをすぐ口に出して、聞き手と一緒に、「アハハ」と笑っている。へんなお年頃。

同い年の隣人は「私ね~、今朝、玄関に出たら、昨日買った、『冷凍の海老』が
融けてぐしゃぐしゃ。何で玄関にあるのかも分からないの。だんだん物忘れが
多くなるわ。お隣に回覧を持って行って、草で足元が見えなかったから、溝に
足をつっこんだんよ」と傷を見せるために、ズボンのすそをめくる彼女。「自分の
失敗を恥ともせず、人に喋ってしまうよね~、昔はこうではなかったよね! 面
白いお年頃やね~」と私が言って、二人して大笑い。皆そうなんや、と一寸安心。
精神安定上、いい会話でありました。

今日は明日の本番に伴奏してくださる先生がこられて、音合わせをしました。

発声練習のとき、のりこ先生が言われました。「喉の状態は、今の練習から、
丸1日はそのままで持つのです、だから今ちゃんと発生練習をしておけば、明
日はあまり発声練習しなくても大丈夫です」って。声帯? 喉の付近の筋肉? 
は日持ちがいいそうです。初めてしりました。

明日は頑張りましょう。私の好きなわがクラスのハーモニーで…。




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富士山

2013年06月27日 | 思い出話

            「ノウゼンカツラ」   尼崎市・大井戸公園     (13-6-27)




今日も又チョンボしてしまった。明日が本の取置き期限だったので、「明日は唱
歌の学校があるし」っと思って今日行ったのに、図書整理の日で「休館」でした。
がっくり来ました。こんなに暑くなると、もう少し早く家を出て、9時の開館には着
くようにしないと、汗だくになるな~と思いつつ、テクテク歩いていったのに…。


昨日読み終えた本の1節に次のように書かれていました。

二人の男性の会話の一部です。夜の闇に青い山のシルエットがある。その中に
星より少し小さな光の粒が帯になり、空に向かって続いている。「あれは富士山
です。あの光はね、ご来光を拝むために登山者たちが夜、山道を登っている明
かりです」

一度書いたようにも思いますが、夏休みに、山中湖畔にある、会社の寮に宿泊
していたとき、夜、目覚めて窓から外を眺めた時、私も山肌に、1本の光の帯を
見たのです。はじめは何だか分かりませんでした。その頃の私は、ご来光を拝
むために、夜を徹して頂上を目指している人がいるとは知りませんでした。

昼の景色を思い浮かべると、真正面に聳えていたのは富士山です。その時は
不思議な光だな~、もしかして登山? 登山者が持った明かり? までは想像
しましたが、まさか、自分が、何年か後に富士山に登るとは考えもしませんで
した。

私も、ヘッド・ランプは持参しました。夜の山小屋で、トイレ(有料でした)に行く
とき、真っ暗でヘッドランプは必要でした。山小屋では着の身着のままで寝ると
言うこともしらず、寝巻きまで持参したのですから、今思えば、お笑いです。

山小屋に付いた時は、すでに軽い高山病に罹っていましたから、夕食(カレー)
は食べずに寝ました。その布団の、湿気て重くて、ひんやりしていたのを覚え
ています。心拍が指先で感じられる状態でしたから、明日頂上まで登れるかと
心配しながら、一夜を明かしました。

翌朝は8合目の山小屋で、日の出を迎えました。外は8月とはいえ、ガタガタ
震えるくらいの寒さでした。小屋の方が、ドラムカンに火を熾してくれました。

真っ暗な空にす~っと赤味が差して来ました。見る見る、お日様が顔を出しま
した。思わず、手を合わせて拝みました。ラッキーでした。中々1回目でご来光
を拝めることはないという話でした。

私はその話を聞いた時に、高校野球の8月15日の黙祷の事を思い出しました。
「その日が雨であった」と言う記憶がありません。だから8月15日に頂上に立
てば、日の出を拝めるのではないかと思い、プランを立てました。ドンピシャリ
と当たったわけです。

登りは高山病ですから、持参した「携帯用酸素ボンベ」をすいながら、登りまし
たが、帰りは大丈夫でしたが、足元が急勾配で、前につんのめらない様にと足
先に力を入れたものですから、帰宅後何日かして、鬱血で真っ黒になっていた
足の親指の爪がポロリと剥がれ落ちました。勿論下には薄紅色の軟らかい爪
が出来ていましたよ。

今年も4日後には富士登山の解禁日になります。世界遺産の富士山に沢山の
方が登られるのでしょうね。今朝、富士山のテレビを見たのですが、お店が一
杯あるのには驚きました。今は山梨側から登るのだそうですが、あんなにお店
が出来るほど、一杯の人なんですね。登山道も写っていましたが、数珠繋ぎで
した。

私は御殿場ルートからでしたが、お店は合目ごとにに小さな小屋が1軒だった
と思います。そこで、突いている杖に焼印を押してもらうのです。

どんなに多くの人でも、皆がルールを守って、あの「素晴らしい日の出」を拝
めれば良いな~と思っています。

そして自分のゴミは持ち帰る、世界に「美しい富士山」と認められたのですか
ら、ごみのない山・富士山にしましょうね。


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かすてぃら

2013年06月26日 | 読みました

               「スイレンボク」   一寸ピンボケ     (13-6-20)


昨夜から、一日中雨が降り続いていました。昨日のお出かけの疲れ休めには
もってこいでした。近頃は「好きなこと」をしても疲れるのです。ゆっくりと、本を
読んだり、撮ってあったビデオを見たりとまったりと過ごしました。そ~だ、ウト
ウトと居眠りも入れまして…。

かすてぃら 僕と親父の一番長い日     さだまさし

題名はさださんのお父さんの大好物が「かすてぃら」だったからです、そこここ
に「かすてぃら」が出てきます。私たち関西人は「カステラ」と言いますよね。「ぃ」
は入りませんよね。長崎県、本場では「かすてぃら」と呼んでいるのでしょうか。

お父さんが危篤の病院に、コンサートの合間に必ず駆けつけて、意識のない
体をさすり続けたさださんが、父の生涯を思い出しながら綴った本です。

さださんがお父さんをこよなく愛し続けておられたのが分かります。28億と言う
事業の借金を、息子であるさださんに廻してきても、それでも絶縁しない。お父
さんは幸せな人です。さださんのお父さんを兄弟の友達は、皆慕っていたようです。

このお父さんがバイクの次に乗り始めた自動車が「ニッサン・スカイライン」思
わぬ所で、その名を目にしました。我家の愛車「スカイライン」を思い出しまし
た。

両親共に、世話好きで、さださんや弟さんの友達が大勢詰め掛けてくるのが好
きだったそうで、「ご飯よ!」「ハーイ」とテーブルの座った8人の中に自分の子
どもが一人もいなかったと大笑いするお母さんだったようです。

お父さんの精進落としの席で今日が弟の誕生日だった事を思い出したさださん
は彼のためにバースデイケーキを用意するようにいいました。買って来たの人
は、なんと「お父さんの好きな「かすてぃら」」でした。「かすてぃら」にローソクを
立てて、みんなで祝ったとか。

佐田さんの本は好きで、この本で3.4冊目だと思います。心がほっこりするよ
うなお話が一杯詰まった本でした。




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笑福亭瓶太さんの落語

2013年06月25日 | 一寸そこまで


                    舞台の 笑福亭 瓶太さん




今日は元の古巣の「6月例会」瓶太さんの落語と「がんこ 宝塚苑」のお食事つ
きに行ってきました。

JR尼崎で友人と待ち合わせ、一路宝塚へ…。私は去年の2月に唱歌の学校
から来ているのですが、何しろ1年以上前、それもペチャクチャとお喋りをしな
がらの道中でしたから、覚えがおぼつかないので、連れて行ってもらうことに
しました。忘れたのいうのが恥ずかしいくらい簡単な道のりでした。


                         宝塚の 「がんこ 宝塚苑」
     



打ち水がすがすがしいお店です。庭には季節柄あちこちに「紫陽花」の鉢が置
かれていました。季節を大切にすると言うことでしょうか。

早く着きすぎて、会員の方がバタバタと準備に追われておられるのをみていま
した。と言いましても、受け付けの始まる予定時間は過ぎているのですよ。

開会時間が近づいて、他のお客様も到着しますが、座席札さえおかれていませ
ん、私が在籍した時よりは少人数とはいえ、自分の係りの仕事に夢中で、お客
様は眼中になしと言う感じ、思わず、少しお手伝いをしてしまいました。

この「お客様に気を使わない」のは、今日に始まったことではありません。私が
いた時もそうでした。他クラブを訪問しますともう少しましなような気がしました。
このクラブの悲しい伝統かしら? 27年も経っているし、リーダーを育てる会
でもあるのですから、「お客様を気使う気持ち」が育ってもいいのでは、と辛口
のコメントです。

     




お料理は値なりのお味、おいしいのも在れば、不味いのもありとバラエティー?
 に富んでいました。

瓶太さんの落語は抱腹絶倒、楽しかったです。是で、すべての(ー)は(+)に
転換、ニコニコ顔で終わりました。

お土産が「クッキー」「ゼリー」と頂いて、帰宅後、好物を前に再びニコニコ。

私はこのクラブに所属したことについて、お勉強はさておいて、貴重な友人を
得て、退会後も、仲良くしていただいているのには「在籍してよかった!」と
心から感謝しています。

私にも、一生懸命勉強し、努力した時代があったのだと、懐かしい一日でした。




          ↑  「ガクアジサイ」        ↓   「ひまわりとスモークツリー」



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龍谷大・龍谷ミュージアム

2013年06月24日 | 一寸そこまで
 
          京都タワーとJRビルに映った京都タワー        (13-6-22)
    
          ↑   ポスター          ↓   チケット




6月22日(土)京都に行ってきました。龍谷ミュージアムの「平山郁夫 悠久の
シルクロード」展を見るためです。龍谷ミュージアムは始めていく所でした。

京都駅から、バスで行くつもりだったのですが、そよ風が吹いて、日がささない
お天気だったので、徒歩12分の距離なら、ゆっくり歩いても20分も掛ければ
いけるだろう、と言うことで歩くことにしました。予定通り20分で着きました。

会場の2階に行きますと、なんですか人が部屋に吸い込まれるように入っていき
ます。係りの人に聞きますと「トークギャラリーがあります整理券をお持ちですか
?」「いいえ、ないとは入れませんか?」「皆さんが入られるまで一寸お待ちくだ
さい、大丈夫だと思いますので」と言われたので待っていました。「大丈夫なのか
な~?」と思うほど、整理券を持った人が吸い込まれていきました。幸いなことに
入ることが出来ました。

講師は、ミュージアム館長さんでした。スライドで少し「平山さんの生涯と作品」
を説明していただき、「後は、作品の前で説明します」と言う事で、会場にぞろ
ぞろと付いていきました。

平山郁夫さんは「原爆症」の後遺症に悩まれた、そしてその事を仏教を信じる心
に転じられたそうです。文化財保存に力を入れられたそうです。特にアフガニス
タンの文化財が略奪によって世界中に売られていった。それを捜して集めて、ア
フガニスタンが平和になったときには、文化財は、全てアフガニスタンに返すおつ
もりだったそうです。文化財は、その国にあるのが良い、と言うお考えからだそう
です。

本邦初公開と言うものや、世界で2枚しかない金貨(1枚は英国)やらと、とても覚
えきれないほどの知識を頂きました。

中国の洞窟画の保存も平山さんが、呼びかけられて保存に力を入れるようになっ
たそうです。

平山郁夫美術館は、国内に2ヵ所在るそうです。1つは生まれ故郷に、広島・生口
島で、館長は弟さん、もう一つは山梨で「シルクロード美術館」として、奥様が館長
だそうです。

私が一番驚いてのは、お釈迦様は母・摩耶夫人の左足から生まれたって?しって
いましたか?


        ↑   ミュージアムの正面       ↓   地下のロビー 切符売り場 

                        中 庭
 



ゆっくり観て回ったので1時を過ぎてしまいました。ミュージアム入り口にあった、
喫茶店兼売店で「サンドイッチ」でも食べようかと言う事で入りました。ヒクヒク
しているお腹を宥められればいいわと言う、期待もなしに入りました。ところがで
す、「おいしい!」胡麻の入った色黒のトーストしたパン、とサンドされた卵と野
菜、満足でした。

帰りも、「歩こう」と言うことになり、今度は大通りではなく路地を選んで歩きま
した。京都は戦火にあっていませんから、古い建物もあり、懐かしさを感じながら
歩きました。下の写真は、懐かしい昔の建物を撮ったものです。





駅前のヨドバシカメラに1階に、祇園祭の鉾が目に入りました。呼び込みの声に
つられて、入ってみました。

この鉾は150年振りに再建される「大船鉾」だそうです。来年の「祇園祭」に参加
予定だそうです。33番目に位置するそうです。「来年は、是非実に来てください」
と言…、見に行きたいと思いました。又一つ、「生きる希望」を頂きました。

 













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新鮮なアスパラガス

2013年06月21日 | 今日この頃

     「蚊連草」   いつも思う 字面が可愛くない 可愛い花なのに     (13-5-5)/strong>




今日も降ったり止んだりの一日でした。そして寒い。今、私は木綿糸ですが、
セーターとベストの重ね着をしています。このくらい着て丁度良いくらいです。

雨の中、唱歌の学校へ行ってきました。後、来週1回でコンサート本番です。
なんだか、何時ものような緊張感がないようです。

「アスパラガス」をお土産にいただきました。クラスメートのおかださんが半年
間、北海道で生活されるとかで、お休みです。そのおかださんが航空便でご
とうさん宅に送られ、それをごとうさんが、人数に小分けしてくださり、持って
きてくださったのです。

半年も北海道暮らしをなさると言うお話を聞いた時、驚きました。1.2ヶ月と
言うのは聞いたことがあるけど…、と言う感じ。

ところが、先日テレビで、退職した都会人が半年間北海道暮らしをする人が、
今多いと言うのです。北海道の過疎地の空き家を、安く借りたり、買い取った
りして、都会では味わえない、自然を満喫しようと言うのです。

そういう人たちを誘致した30軒ほどのグループの村もあると言うのを、テレ
ビで見ました。あ~、そういう生き方もあるのかと見ていました。

村の人も、半年間の都会人が来るのを楽しいにしておられるようでした。皆さ
ん、持ち寄りでパーティーをしたりして、仲良く交流の輪を広げたりしておら
れました。

ニュージーランドで出会った方も、半年に一度は大好きなニュージーランドで、
1.2ヶ月暮らすという方がいたのを思い出しました。是が私の趣味ですと言っ
ておられましたが、今も続けておられるのかな~と時々思い出しておりました。

おかださんが、どのように、何処に住んでおられるのかしりませんが、関西と
北海道を半年暮らし、うらやましい人生であることに間違いはありません。同
じクラスゆえに、その恩恵にあずかるわけです。

今晩には早速に、豚肉とアスパラ、そして先日頂いた、ごとうさんの無農薬の
玉ねぎを、その新鮮さを生かして、「塩」だけでソテーしてみました。
美味しかったですよ。

ごとうさん、おかださんに感謝しながらいただきました。ご馳走様でした。






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雨にも負けず!

2013年06月20日 | 一寸そこまで


今日は一日中雨でした。楽しみにしていた「産経ウエーブ」の「芦屋の滴水美術
館とヘルシーなイタリアン」に参加しました。

心配したほどの雨にはならず、阪急・芦屋へ…。早く着きすぎたので、一寸歩
いてみました。懐かしい家並みです。雑貨店やブディクは、洒落たものが在り
ました。ウインドウショッピングです。

まず、腹ごしらえのようでした。お店は私たち22名で一杯と言う小さなお店で
す。何しろ、ご夫婦、友人との二人参加以外は、一人参加の人ばかりですから、
初めは皆さん黙っていましたが、お食事が始まると、そこここで会話が始まり
ました。

私の席が、産経の方と近かったので、「催し物の裏話」を聞きながら、大いに
盛り上がりました。

この会では、会費が決まっているからでしょうか、アルコールは一切出ません。
男性の参加者も多かったのですが、何方も別注なさいませんでした。

          



自家製の「パン」久しぶりに熱々のパンを口にしました。二つに割ると中から
ホワッと湯気があります。それを見て、皆大喜びです。又、食べてみると、抜
群においしい。お腹も空いていますし、スープが出てくるまでにペロッと1個
食べてしまいました。

自分でパンを焼いていた頃を思い出しました。そのころは「生イースト」を阪
急で買って来たものでしたが、今は、顆粒?でしょう。又パンを焼いてみたく
なりました。今では炊飯器でパンが作れるそうですから、買い換えるときはそ
れにしようかしら、と思うくらい、出来立てで美味しかったです。
    



「淡路新玉葱のポタージュ」このお店では、全てお野菜は「淡路産」だそうです。


       ↓ チリメンホソナガウリ   キュウリのようですがウリだそうです


「色とりどりの野菜と海の幸のサラダ仕立て」キュウリのようで、違うな~と言う
「ナンだろうね」と話ていますと、店の人が「チリメンホソナガウリ」と教えてく
れました。酢漬けにしたもので、歯ごたえもあり、生まれて初めて食べました。

わざわざ、厨房から、現物を持ってきて、見せてくださいました。「海老」大好き
な私は、まず「海老」をそして「ホタテ」を口に入れました。葉物もおいしかった
です。



「鹿児島南州ポーク肩ロース肉とキノコのロースト」肉も美味しかったですが、
キノコのソテーが美味しかったです。



「デザート」マンゴーとチーズなんですよね。私には、一寸ポッテリしすぎか
な~と言いながら、ペロッと食べましたけどね。私は飲み物は紅茶を頼んだの
ですが、圧倒的に「コーヒ」の方が多かったです。

相対的に濃い味でしたが、満足でした。美味しいのでパンのお変わりをしたの
が余分でした。

次の「滴水美術館」まで15分歩いたのが、いい腹ごなしになりました。



かっての財閥の住宅を、収集した名品を見せるために、造られた美術館です。
「華やぐ器」の題の通り、明るい色彩のものばかりでした。陶芸家の方に、色
々とご説明頂き、教えていただきました。

          
          ↓   玄関までのアプローチの一角に木に隠れるように佇んでいました
     

住宅街にあったため、さすが芦屋とそのたたずまいの美しい家を見ながら進
みました。下の写真は、壁にかけられた、変わった花の置き方に目を奪われま
したし、また、下の2枚は、主が、石がお好きらしく、色んな石が、ごろごろおい
てあり、「石と植物」の組み合わせのよさに、見とれて、シャッターを切らせてい
ただきました。




   

   

7.8月は暑いのでお休みして、9月から「食事と美術館」のコースに又申し込み
たいと思っています。何しろ抽選なんでね、当たった時だけの参加なんですよ。


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寿美花代さんの献身

2013年06月19日 | テレビから

            「黄ソケイ」   今年は花数が少ない   (13-6-6)


今日は一日中雨でした。やっと梅雨になったか? と言う感じでした。雨音を聞
きながら、本を読んだり、ビデオを見たりして、過ごしました。

昨晩ビデオにとってあった、「忠夫さん 死ぬまで一緒やで」を見ました。寿美さ
んの夫・高島忠夫さんの看病記なんです。

寿美さんが宝塚で活躍しておられたころは、私の子育て時期と重なって、宝塚
とは疎遠に時期でしたので、噂としては知っていましたが、一度も舞台は見た
ことがありません。

高島さんが「うつ病」になられて、テレビから消えられるまで、ご夫婦で出ておら
れた、料理番組は楽しんで見ておりました。だから、「うつ」に掛かられたことも
知っていました。

お二人が、東京に住まわれて50年と言うのに、未だに関西弁なのが、余計に
親近感を持つ理由でもありました。

高島さんは「うつ」だけではなく、「パーキンソン」「心臓」「糖尿」と患っておられ
たとは知りませんでした。心臓のバイパス手術も受けられたそうです。

そんなに、色々の病気を抱えながらも、すこしずつ良くなられているからこそ、
テレビ放映があったのでしょう。

高島さん82歳、寿美さん81歳ですって、とてもそのお年に見えないし、長年看
病している人とは見えません。それは寿美さんが、いやいやの看病ではなく、
「忠夫さんの笑顔が見たい」一心だからだろうと思います。

高島さんは幸せな方だと思います。世の中には夫を亡くして、独り身になったと
「今が一番幸せ」と言う方の多い中、そういう方々から見ると、「14年も看病な
んて、可哀相に」と言われるかも知れませんが、そうでしょうか? 寿美さんを見
ているとそうは思えません。現状を受け入れて、その中で、共に楽しむ事を心が
けておられるな~と感じました。

息子さん二人も、しっかりと寿美さんを支えておられるし、夫婦愛、親子愛って、
良いな~、家族っていいな~、と感じました。

もう一つ、友情、フィレオ・イグレシャスさんとの友情も、感動的でした。フィレオ
さんが台湾に公演に来る事を知った寿美さんが、高島さんをその公演に連れて
行かれるのです、一人では大変と(会社の方も付き添っていたようですが)撮影
の合間を縫って、次男が追っかけて来てくれます。寿美さんどんなに心丈夫だっ
たでしょう。

「うつ」は軽くなったとは言うものの、表情に乏しい高島さんが、フィレオさんと話
しているうちに、笑顔が出て、目に輝きが出てきたのを見て、「あ~、昔の高島
さんの顔だ!」と見ている私まで嬉しくなりました。

色んな「愛」が人を勇気付け、生きる力になる事を再認識しました。

「死ぬまで一緒やで」の後に「この家で」が付くそうです。人は自分の家で死に
たい、それがかなう人こそ、「ほんとに幸せな人」でしょうね。寿美さんの看病
も「この家で…」と言う思いからだそうですから。 



     「ガクアジサイ」   今年は花数は多いが一番綺麗な時に撮れなかった     (13-6-10)
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物欲の整理

2013年06月18日 | 今日この頃

          我家の 「ゆり」 です 後2.3種類咲きます   (13-6-1)






今日は服の整理をしました。どれにも思い出があって、捨てるほうに中々入れ
られないのですが、思い切って、この2.3年着ていない服は捨てることにしま
した。好きで置いていた、ウエストの合わなくなったスカートもワンピースも…、
ブラウスは案外捨てる気になるのです、それは既製品だからで、スカートやワ
ンピースは、手作りだからです。でも思い切ってルーズウエストの2枚を残し
て処分することにしました。

セーター類です。是は勿論みんな手編みですから、捨てがたいし、目が詰まっ
たものは、解いて編みなおしすれば新しく生まれ変わります。だけど100枚近
くあるセーター、カーディガン、毎年着ているのは数枚です。

編み直すには、時間が足りない、昔のように、1週間に1枚編むなんて事は出
来ません。今でも、ぼちぼち編んでいますし、クラーを入れるようになったら、又
編み続けます。好きで着安いのを30枚ほど残しました。如何しても、好きな毛
糸で、編みなおしたいものを2.3枚残して思い切って処分することにしました。

整理ダンスが1棹が空になりました。これらは勿論、燃えるごみには出しませ
ん。水曜日の再生服(市から何処かに送るらしい)の日に出して、役立ててい
ただく予定です。大きな、市のゴミ袋が5つも出来ました。まだまだ喜んで着
ていただけるものだと思っていますし、喜んできていただけると信じています。

ブレザー類は、少しでもシミが在るものや、後ろ襟が黄バンダものは、燃える
ごみに出します。もう少し期間をおいて、もう一度整理をします。そうすれば
又、手放すものも出てくると思います。老い支度(死に仕度とは言いたくない)
も体力と、諦めの気力が必要です。身辺すっきりして、軽々と生きたいと思う
ようになりました。
                               (2120回)
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川柳で~す

2013年06月17日 | 新聞から

    大阪・舞洲・ゆり園の 「ゆり達」   ↑のゆりが好きでした   (13-6-15)








「三日天下」ではないけれど、涼を感じたのはたったの1日でしたね。今日は風
はあるのですが、暑い!頭がくらくらしますよ。その中を風呂の大掃除をしたり、
庭の掃除をしたり、午後からは「蜜らっきょ」の本漬けをしたりと、よく働きました。


昨日は「尼崎市議会議員」の選挙でした。42人の議員が決まりました。1/3
が新人でした。いかに現議員では駄目だと思っている人が多いかと言うことで
しょうか? ただの新しいもの好きと言うだけでしょうか? 

公明党が盛り返して来ました。トップから10人中9人が、公明党で、驚きました。
全員当選です。我家のご近所にも公明党が多いですよ。何しろ、尼崎は多いん
です。議会を牛耳られそうで、一寸心配。


今日は「選ぶ」と言う題の川柳です。

   徒然に名所百選花の旅

良いですね。花が好きな私はうらやましい。今年も「藤」の名所に行きたかった
のですが、一寸遠い、休みの日に、息子に自動車で…、と一人計画していたの
ですが、休日ごとに雨で、いけませんでした。こんなことなら、奈良の春日大社
に行けばよかったと悔やめど、後の祭り。


   瀬戸物を選ぶ楽しみ五条坂

京都の五条坂の瀬戸物市のことですよね。結婚前までは、料理屋だったおじ
さんについて、毎年のように行っていたんですよ。近頃になって、なんとも懐か
しくて、行きたいな~とは思うのですが、何しろ暑い時期なので、道端に並べて
(私が通っていたのは60年も前だけど、今は違う?)あるから、影がないんで
すよね。だから、いけないでいます。今年ぐらい行とかないと、行けなくなるか
な~。

   子は親を親は子供を選べない

本当にそうですよね。お互いなんだけど、親の遺産で、豊かな人生を送る人を
見ると、彼らは私達の下に生まれた事を、如何思っているかな~、と考えるこ
とがあります。五体満足、丈夫に生まれたことだけで良いと思ってくれるかし
ら? 

せめて、迷惑をかけないように、ピンピンコロリと旅立てるように、好きでない
体操も、6時25分から頑張って、早2年が過ぎます。


   七十代選ぶ旅行は安・近・旨

ずばりご名答です。「安い」は老いも若きもでしょうけれど、「近い」は年々、そう
なります。2.3年前までは、東京日帰り平気だったけれど、今は一寸考えます。
でも今がまだチャンスよ!自分を鼓舞しています。新しい歌舞伎座の柿落とし
公演に行きたい!

「旨い」これに目がない、足腰弱っても、這ってでも行きたい、おいしいお店
に…。この気がなくなったら、私ももう終わりかな~。

今一番食べたいのは、エスカルゴ!何処かにないかしら、ニンニクと塩だけの
素朴なのがいいのです、あのお店が閉店してからもう何年食べてないかしら。






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