ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

あ~疲れた!!

2013年10月31日 | 一寸そこまで





今日は大きな鉢の「デュラン」や「月下美人」を植え替えてあげました。ウンコラ
ウンコラと鉢を運びました。今度植え替えるときは、一人では無理だろうな~、
と考えながら…。

10月30日(水)今月の初めに、勤め先でのグループで、今まで続いている
4人組の内の一人のご主人が亡くなられたので、少し日を置いてから行きまし
ょうということになっていて、其の訪問日でした。

JR朝霧の駅で待ち合わせて、3人で行きました。私たちは1年半振りですが、
ご主人を亡くした友とは、もう何年も会っていません。いくら誘っても出てこな
かったからです。

腰を痛めているのは知っていましたが、同道した二人も、足腰を痛めて、座れ
ない、すぐには立てないというので、3人ともソファーに、私一人座っていまし
た。

座卓を出すのも、お茶を出すのも、彼女が不自由そうですので、私一人が立
ったり、座ったりでお手伝いです。

1年半という年月が、彼女たちを身体不自由にしていました。

まだまだ疲れが取れていないだろうから、昼の気を使わせるのも悪いから「昼
過ぎに行きましょう」と提案したのですが、二人が、11時で1時間ほど居て、
帰りに、食事をしようと決めてしまいました。

「昼は、息子が造ってくれるというから、ゆっくりして行ってね」ということでした。
息子さんが、学生時代、居酒屋さんでアルバイトをしていて、そこでみっちり
仕込まれて、自分も「居酒屋」を開いていたのでした。

彼は、中学時代、「体操選手」でした。兵庫県代表で、地区大会に出るから、
テレビ見て、と見た事を思い出しました。地元の高校に行きましたが、「奈良
・天理高校」から「体操選手」として、入学のお誘いがあったようです。

其のころから見ていません。それまでは子供ずれで、春休み夏休みは4軒を
廻り持ちで会っていましたから、よく知っていました。

其の子が、もう50近くなって、幼顔は残しながらも、私たちにお弁当を作って
持ってきて(歩いて10分ほどのお店から)くれました。「近頃はお弁当は作っ
ていないので…」と言いながら、「天だし」まで添えてありました。

「いい料理人になったんだ」「手に職を持て偉いな~」と思いました。見た目も
綺麗に、煮物も薄味でおいしく、私は「はなまる」を付けました。

彼女には、もう一人、娘も居ますが、北京で働いています。今は娘を持っても、
バリバリ海外に出て働くので、頼れないこともあるのですね~。

これはとても嬉しかったのですが、このお食事を挟んでの4時間、「病気の話」
ばっかり。私だって、決して健全ではありませんが、病の話を微に入り細に入
り話されるのには、聞く私はほとほと疲れてしまいました。こんなに「病気の話」
ばかり聞くのだったら、もう集まりたくないな~と思ってしまいました。

よっぽど疲れていたのでしょう、帰りの電車で気がつけば寝てしまって、「塚
本」という声で目が覚めました。「塚本?」「塚本って、どこだったっけ?」「そ
~だ!寝過ごしたんだ!」と朦朧とした頭で考えているうちに、ドアは無常に
も閉まり「次は大阪」のアナウンスです。「せっかく大阪に着くのだから、下り
て買い物でも?」と考えたのですが、疲れが、其の気持ちを打ち消しました。
往復30分の乗り越しで、やっと我家に着きました。疲れた~!!

     ☆ 明日お休みします。


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富士山の清掃活動

2013年10月29日 | ネットニュースから

              「コスモス」    亀岡・夢コスモス園     (13-10-21) 





今、アメリカでは日本のけん玉が人気だそうですね。あの素朴な遊びが、どのよ
うな経過をたどって、遠いアメリカで流行りだしたのでしょうか?

日本では、けん玉も、検定試験が毎年あるようで、ビックリするような技術を、テ
レビで見たことがあります。息子たちが小さい頃、我家にもけん玉はありました。
私は手先が器用ですから、ゆっくりなら出来ましたが、息子たちは不器用?で、
我家では流行りませんでした。時々、フッと買ってきてもう一度しようかな?と思
うことがあります。何となく懐かしいので、アメリカで流行っていると聞いて、嬉し
いです。


野口健さんのツイッターの動画で見ましたが、富士山の林道脇(今日は静岡側)
には何万という古タイヤやシートが不法投棄されています。私には思いがけな
いことでしたが、これは個人が捨てるのか、業者が捨てるのか、このおびただし
い数を見ますと、悪徳業者のにおいがしますが、如何してこんな事をするので
しょうか。

今日は静岡側で、地元企業協賛の元地元県民が集まっての清掃作業でした。

野口さんの言われるには「ごみの山はここだけではない。このままほっておく
と、富士山の世界遺産の見直しがある3年後には取り消される可能性もある。
喜んでいるだけではなく、整備もし続けなければならない」そうです。

野口さんのツイッターを読んでいますと、富士山の清掃は何回も行われていま
す。エベレストで、日本のごみの放置に気がついた彼はエベレストの日本のご
み清掃も行ったし、其の後、富士山の清掃にかかって、もう何年(14年以上
だそうです)も続けていると思います。自然遺産に推されたから「綺麗にしよ
う」ということではありません。其のもっと以前から、彼の呼びかけで、富士
山の清掃は行われていました。

私も、富士山に登りましたが、車で行ける林道を歩いたわけではないので、富
士山がごみの捨て場になっているなんて知りませんでした。

今、皆さんが一番歩いておられる登山道は山梨側だそうですが、数珠繋ぎの
人込みですが、「自分のごみは持ち帰る」と教えられていますから、ごみはな
いのではないかと思うのですが、甘いでしょうか?

私は御殿場の方から登りましたから(距離も長いそうですが、そのことは知り
ませんでした)人と人とが触れ合うほどの大勢の人ではありませんでしたし、
ごみが落ちていたという記憶は在りません。勿論、教えられたとおり、ごみは
持ち帰りましたしね。だから「富士山」は綺麗な山だと思っていました。

世界に誇れる、美しい山です、富士山は! 皆で守りましょう!

     ☆ 明日おやすみします。




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大阪マラソン

2013年10月28日 | 一寸そこまで

     ↑  完走して、頂いてきたバスタオル      ↓ 着て走ったTシャツ


あまり「肩こり」を感じない私なのですが、今日は首が廻らないくらい、肩のあた
りが、痛いような、固いような重いような、嫌な気分です。是が「肩こり」というも
のなのかしら。昨日寒い中を3時間ぐらい立っていたからでしょうか?


昨日(10月27日)大阪マラソンを応援?に行きました。息子が出ているらです。
でも残念ながら、見つけることは出来ませんでした。

3万1千人の中ですし、神戸マラソンで見つけたときは、初マラソンでパラパ
ラと走る人の中だから、偶然に見つかったのかもしれませんし、どうせ遅いか
らと、家を出るのが遅かったことも在るとおもいます。

15万人の申し込みがあり、5人に一人の当選率だったそうですね。私たちが
「難波」に着いたときは、もうすでに粗方通り過ぎた後で、走るというより、歩く
に近い人たちでした。

時間がきますと、無常にも「白い布」で前進を止められて、その場で失格にな
るようです。そこまで見て、今度は「住之江公園」まで追っかけました。私は「ゴ
ールで待つほうが確実だ」と言ったのですが、主人が、「ここで」というので下車
しました。

おトイレを借りるために(駅は長蛇の列だったので)住吉神社に行きました。
そこでは七五参詣りの男の子が写真を写しているのに出会いました。両家の
おじいさん、おばあさんに見つめられて、とても照れくさそうにしていました。

私の孫も5歳の祝いの時に、ここにきたな~という事を思い出しました。20年
も前のことですが…。

ここではまったくと言っていいほど走っている人は居ませんでした。たまにヨチ
ヨチと小走りの人は居ましたが、後10K地点です。ここまで頑張ったのだから
もう少し頑張ってほしいな~と思いました。隣でみていた人が、この地点で歩い
ていたら、4時の最終時間ぎりぎりだな~と話していました。そして「はしれ!」
と叫んでいましたが、みな其の気力がないのか、今一時体力維持を計ってい
るのか、効き目はないようでした。

「難波」で見た沖縄の方でしょうか、「蛇三味線」を引きなら走っている人が見え
たので、諦めて帰ることにしました。

立花を通り越して、芦屋に出て、おすし屋さんで「見つけられなくて残念会」を
しました。やっぱり、おすしはおいしい、日本料理です。










10月26日(土) 三島ゆり子さんの「大つごもり」の語りの夕べに、友人と3人
で行っていきました。

樋口一葉の「大つごもり」ですが、10代で読んだきり、なんだか貧乏人のお話
だったな~ぐらいしか覚えていませんでしたので、其の日になって、タブレット
で呼び出して、読んでいきました。

言葉が言葉ですから、目で読んでいったのは正解でした。

三島さんの語り部はじ~としないで、たったり腰掛けたり、落語のように語る人
のせりふによって、右を向いたり左を向いたりと動きが多かったです。

好き好きがあるのでしょうけれど、動作に目が、心が奪われて、物語をじっくり
聞くことが出来ないような気がしましたから、私は目を綴じで聞くことにしました。

終わりましてから、三島さんは入り口に、お客様をお見送りに出ておられまし
たので、係りの方に「お写真を写してもいいでしょうか?」とお聞きしますと、
「結構ですよ、よければ、一緒に写しましょうか」と言われたので、カメラをお渡
ししましたが、出来上がった写真を見てビックリ、ブレにぶれていますし、4人居
るのに3人ずつしか写っていません。私のカメラは「バカチョン」です。顔も定か
でないぐらいブレて写るとは、ビックリしてしまいました。

三島さんとは「ご縁が無かった」と言うことだと思いました。



           
             ↓   舞台装置             ↑  お客さまお見送りの三島ゆり子さん
              

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尼崎・すこやか元気アップ講座

2013年10月25日 | 今日この頃

            「フリージャ」  始めて育てた小型種     (13-4-17)






台風は遥か沖を通過のようですが、雨が降り続いています。といいましても、こ
こ尼崎は昼間は曇ってはいましたが、降っていませんでした。今は静かに降っ
ています。

本当は今日は、神戸で同期会の予定でした。しかし25日頃台風が、関西に…
ということで、急遽中止になりました。幹事さんの決定は正しかったようです。
私たち主婦といたしましては、台風が来るかもしれないのに、家をほっておい
て、参加するわけに行きません。「でも申し込んだしな~」というジレンマに落ち
なくてすみ、ホッとしました。

10月17日(木)「健やか元気アップ講座」に行ってきました。初めの1時間は
お話で、後の1時間がゆる~い体操です。

初めの講座は今月は「エコあまっぷでまち歩き」というお話でした。尼崎には「猪
名寺廃寺」と「猪名川自然林」と2箇所が、昔ながらの人の手の加わっていない
「榎」「楠」の自然林があるそうです。そこには「森ほたる」という小型の「蛍」が生
息しているようですよ。日本広し?といえども、ここだけにしか生息地はないよ
うです。しかし、先日の大雨で猪名川も相当増水したので、「蛍の卵」が流され
てしまったのではないかと心配しておられました。どうかしがみついて、生き残
っていて欲しいです。

私は猪名川の自然林の存在は知っていましたが、まだ行ったことがありません。
尼崎の「まち歩きコース」は6コースもあるようですが、其のところどころは行った
ことがあるのですが、コースとして纏めていったことは在りません。

「住めば都」とはよく言ったものです。神戸に生まれて、神戸で育った私です
が、結婚後、尼崎に来て50年以上になりました。まさに私の人生の2/3以
上を、尼崎で過ごしたことになります。50年来の友人も沢山います。決して
べったりした関係ではありませんが、逢うと楽しく語れる友人です。私の財産
でもある、この友情をたいせつに、楽しく老後を過ごしたいと思っています。



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きみはいい子

2013年10月24日 | 読みました

    「玉すだれ」     絶滅しかけていたのですが 少しずつ増えてきました     (13-10-20)


お昼は雨も止みましたが、夕方から、また降って来ました。今は小康状態を保
って、雨は上がっていますが、明日からの台風による雨のために、力を蓄えて
いるのではないかと一寸、不気味です。

少し、風邪気味か、体がだるいです。早々に「カイゲン」を飲みました。今日は早
めにとこに就きましょう。苦手な冬が近づいて来ました。

     きみはいい子    中脇 初枝

色んな状態で、世間からは「悪い子」と言われ、幼ければ、自分自身も「自分は
悪い子」だと思っている。でもそうじゃないよ本当は「いい子」だよ。と言う事を書
いている。

第一話(サンタの来ない家)   先生一年生が、新一年生を受け持ち、学級崩
壊が起きる。次年度は、安定していると言う4年生を受け持つ。のけ者から不登
校になった女の子。ボスの男の子に振り回される。

給食をお変わりする男の子、母の再婚相手が「午後5時まで家に帰るな」と言い
帰ると暴力を振るわれるから、雨が降っても、校庭にいる。彼は一日一回の食
事しか与えられていない。だから、給食で、空腹を補っている。彼は「僕が悪い
子だから、サンタさんは僕の家にはこない」と思っている。「きみはいい子」だと
言って聞かせる先生。

第二話(べっぴんさん) 自分が子供のとき、親から虐待されると、親になったと
き、今度は自分の子を虐待すると言う。このことは私も、なんどか聞いたことが
ある。子供にしてはいけないことは「抓る」と言う行為。まだ「叩く」方がいいと聞
きました。「抓る」と言う行為は陰湿で、子供をいっそういじけさせる。

主人公は自分の経験から、わが子を同じように虐待する。父親は、単身赴任で
家にいないので、母親の子に対する虐待を知らない。彼女は誰にも知られてい
ないつもりでしたが、一人のママともが気づいていました。その友も、幼い頃
虐待を受けた経験があるから。しかし彼女は近所のおばあちゃんが庇ってくれ
た「愛」のお陰で、自分は子を虐待することはない。

彼女は言う「おばあちゃんがね、いつもあたしに言ってくれたの。合うたんびに。
あたしを見るたんびに。「べっぴんさんって」「だからあたしも言ってあげたの。
「べっぴんさんって」自分にもいうの。おばあちゃんが言ってくれたから。べっぴん
さんって。あたしはべっぴんさんだって」このぬくもりは、おばあちゃんのぬくもり。
おばあちゃんから伝えられて、あたしに伝わってくる「あなただって、べっぴんさん
なんだよ。ほんとだよ」

この「べっぴんさん」って見かけを言うのではなく、心の優しさのことだと思う。

母親から虐待される子は自分が「悪い子」だからと思っている。母親は同じ環境
のママ友に知られたことによって、気分的に楽になる。

いつもなら、靴を履かせる時、母親が右の靴を持っているのに、左の足を出す子
の足を叩いていた。しかし、心が緩んだ母親は、右の靴を持っているのに左の足
を出した子の足を叩く事をせず。親のほうが、左の靴を取り直して履かせた。子
供は母親の顔を見て、ニッコリと笑った。其の笑顔が親子関係をよくしていく。

第三話(うそつき) 主人公(優介)は4月1日生まれ、1日までが早生まれで、前
の学年になる、4月2日からが次年度になる。同じ学年の子供の中で、最後の
誕生日を迎える子供。と言うことは同じ学年の子供が、すでに歩いたり、喋った
りしている頃に生まれてきた。

優介の母親の天真爛漫な性格が、優介をまっすぐに育てたと言う。こせこせしな
い性格の母親が側にいたから、優介は同級生でありながら、お兄さんのような友
達に、置いてけぼりにされようと、僻むことはなかった。

実際に、我家の長男は4月1日生まれ。1年違いの子供に囲まれて、大変だった
かも知れないが、のんきな私はあまり苦にしたことはない。3年生になったとき、
先生から、「凄い上達振りですが、如何教育されましたか? 教えていただきた
い」と言われましたが、「私は何もしていない、本人が、一生懸命追いつくように
皆に食らいついていったのでしょう」と答えました。

そんな優介に気の合う転校生(大ちゃん)がやってきた。その男の子はしょっち
ゅう遊びに来るようになったが、自分の家には招かなかった。優介は大ちゃんは
「うそつき」だと言う。しかし、大ちゃんは優介の家に遊びに来ている事を「ままは
は」だと言う母親には話していない。

「うそをつく」ということ=自分を飾る? 良く見せる?が何処がいいことなのか、
一寸理解できなかった。


第四話(こんにちは、さようなら)一人暮らしのお年寄り(わたし)は買い物時しか、
外出しない。丁度下校時間と重なって、子供たちに出会うが、彼らは、見向きも
しない。一人(ひろや)だけ「おかえり」というと「こんにちは、さようなら」と言う
子がいる。

ある日、何時もと様子の違う男の子に出会う。かぎを落として、母親の帰るまで
家に入れないと言う。私は家に誘う。

老女は、うっかりスーパーの帰りレジを通さず、帰ろうとしたことがあり、万引き
と間違えられる。その日から、転院の私を見る目は疑いの目である。迎えに来
た母親は、其の店員の子が「こんにちは さようなら」の男の子の母親だった。

母親は「この子には障害がある」と言う。私は「学校の帰りに、こんにちは、さよ
うなら、って挨拶してくれるんですよ。こんなおばあさんに。私は、こんな良い子
はいないと思いますよ。私は、なんていいお子さんだろうと、ずっと、お母さんを
うらやましく思っていましたよ。私、子供がないから、本当に、うらやましいと思
いますよ」母親は泣き出した。「そんなこと言われたの、初めてです」

「この子。ひとの気持ちがわからないから、友達もでいなくて、まともな会話がで
きないから。あたりまえなんですけど、いくら言ってもわかってくれなくて。何度
言っても同じ事をするし。いくら叩かれてもわかってくれなくて。障害がわかって
から、父親は出て行って、わたしが働かなくちゃいけないのに、この子がいたら、
働くこともできなくて、わたしもう、一緒に死ううじゃおうかって思ったことも
あるのです」「障害のせいだとわかっている…」

心が通じ合って、わたしにしあわせがやってきた。春が来るみたいに。

第五話(うばすて山) わたし(かよ)に妹(みわ)から電話で、認知証の母親を、
施設にいれるため、其の手続きに行く間、三日間見てくれと言う。今までは妹
に任せきりだった、痴呆症の母親を預かることになった。母親は私が、自分の
娘であることは判らない。小さいとき、妹を可愛がって、私をいじめたことも忘
れている。今食べたのに「ごはん」を欲しがり、お漏らしをする母。全てを忘れ
た母親を「ずるい」と思う。

幼い頃友人の家の子になりたいと思った。そう思う自分はなんて「わるい子」だ
ろうと思った。

妹が迎えに来る日、待ちきれずに、母を連れて、妹の家に向かった。其の道中
母親を置き去りにしたい衝動に駆られたが、できなかった、いくらも機会はあっ
たのにできなかった。……「おねえちゃん、だれ?」「かよちゃんだよ。今から、
風ちゃんのおうちに、連れてかえってあげるからね」わたしが笑いかけるのに
つられたように、おかあさんはわたしの手につながったまま、こわばった唇の
はしだけでわらった。私は雨の中で、お母さんの手をにぎりしめた。

養護施設の事を「うばすて山」とはっきり書いている。私も養護施設は現代の
姥捨て山だと思っている。家で看ることは大変な困難だし、いやいや看てもらう
より、それを職業とする方に看て看てもらうほうが良いかなとも思っている。

ただ「i胃ろう」とか「チュウブ繋ぎ」とかの延命処置は嫌だと思っている。保険金
の無駄使いだと思っている。無駄な延命処置を受けないで、痛まずに、苦しま
ずに、送ってくれることが、世の中にできる私のただ一つの良いことことだと思
っている。



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「和食」が無形文化財に

2013年10月23日 | 新聞から

     「原種・シクラメン」   2cmほどの小さな花です       (13-10-10)




今日は一日中雨でしたね。静かな雨は良いものですが、この雨が、台風に続い
ているとすれば、嫌ですね。

「和食」が世界に認められたそうで嬉しいですね。ユネスコの補助機関が「無形
文化財」に新規登録を求める勧告を出したようですね。

ミシュランの2014年の発表もありましたね。兵庫県も、京料理とフレンチのお
店が1軒づつ。日本料理の方は、阪急・甲陽園から徒歩5分ですって、2年が
かりで建てられた家屋も素晴らしいそうですよやはり高級住宅地にあるお店は
凄いんだな~と思いますね。ランチもあるらしいので、行ってみたいな~。


阪急といえば、信用台無しの事をしましたね。「食材偽装」だなんてね~。手ご
ねハンバーグ=既製品、冷凍保存の魚=魚市場直送、牛脂を注入した肉=ビ
ーフステーキ。ようやるな~。何を信じて良いのやら、悲しい世の中になり
ました。

「阪急阪神ホテル」といえば、誰も、そんな詐欺みたいなことしているなんて
疑いませんよ。板長さんも、メニューと実際の違いを知りながら、黙って調理し
ていたなんて、信じられませんよ。

会社の接待も沢山あったと思いますよ。会社は「高級感」があるから、「オ・モ
・テ・ナ・シ」に使っていたと思うのですよ。

お客様に「領収書」があれば、返金するって言っていますが、2年も前からの
領収書が残っているのは、会社の接待費ぐらいですよ。個人は皆無じゃない
でしょうか?私なんか、会計に記入すれば、すぐ捨ててしまいますよ。

私たちが行ったていた時は子供が小さいときですから、40年ぐらい前ですけ
どね。だから「新阪急ホテル」と言っていたと思いますよ。地下に在ったと思
いますよ。若かった私は、やはり「ホテルでお食事」は嬉しかったですよ。

何故「新阪急ホテル」に小さな子供を連れて行ったかといいますとね、中華と
洋食のバイキングがあったからですよ。今でこそ、ホテルといえば、「バイキ
ング」は当たり前のようですが、其のころはまだまだ珍しかったですよ。「バ
イキング」って呼んでいたかしら?覚えていませんね。子供も、好きなものだ
け食べられますからね、喜んでいたと思いますよ。おぼえているかな~?

私は味は勿論ですが、目でも食べたいから、日本料理が一番好きですね。こ
れから、テレビで「料理番組」が増えるんじゃないかしら。見るのも好きですが、
食べたくなるのが、一寸困るかな~?
                                     (2210回)



      
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尼崎花いっぱいの会

2013年10月22日 | 一寸そこまで

    ↑   亀岡のコスモス畑     ↓ 所々に在った案山子       (13-10-21)








昨日10月21日(月)尼崎花いっぱいの会から、亀岡の夢コスモス園他に行き
ました。プランとしては、残念ながら「X」ですが、一ついいこともありました。面白
い「案山子」に出会えたことでした。奈良の「案山子」は有名ですし、数も多いよ
うですが、私は「見たい!」と思いながらも、中々いけませんでした。ここで思い
がけず、「案山子」に出会えて嬉しかったです。

尼崎は「コスモス」にしても武庫川沿いに素晴らしいコスモス畑があります、亀岡
は有料ですが、尼崎は、ボランティアの皆さんの丹精で出来ていますから、無料
です。

私だけではなく、皆さんの意見です。「尼崎のほうが、ず~っといいのに、何で
わざわざバスできたんやろう!」といいながらも、グループの皆さんとのおしゃ
べりは楽しんでいますが…。

京都市内に戻り「きょうとなごみ館」で昼食。



伏見に行って、「寺田屋」と「古い町並み散策」という時間でした。時間が十分あ
るので、街並みを見てから「寺田屋」に入ろうと提案しました。

「竜馬通り」と言っても普通の商店街でした。酒蔵「黄桜」を見つけたので入り
ました。生憎なことに展示場はお休みでしたが、向かいの売店は空いていま
したので、そこに入り、商品を見て、買う方あり、後は「ソフトクリーム」を皆で、
中庭のベンチで食べて、小休憩です。



       





私は「寺田屋」は2度目ですが、その時は、私は一人で来ました。其の頃、歴
史的建物に興味を持った頃でした。もう2~30年前のお話ですから、随分回
りが変わっていました。

家が建っていたり、お店があったりです。私が来たころは「寺田屋」の周りは
静かなものでした。側に、川の流れが在り、岸辺には柳がそよぎ、対岸は蔵?
というか、木造の建物でした。そのまま時代劇に使える感じの、静かな場所で
した。

今回は、「寺田屋」は現代の中にポツンと置かれているような感じです。「寺田
屋」自身が、大きな提灯を掲げて、存在を誇示していますし、内部も、色んな軸
や額などが、壁一杯に掛かっていました。参観料を取るので、何か見せなけれ
ばという思いからだと思うのですが、「坂本竜馬」に思いを馳せる落ち着いた空
間がなくなっていました。

ここが最後で、尼崎にかえって来ました。渋滞に巻き込まれることもなく、5:30
の帰宅予定が、1時間も早く帰宅できて、これは嬉しいことでした。


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寂しくなります

2013年10月18日 | 今日この頃

        「シュウメイ菊」 ピンクは沢山咲きましたが 白は駄目でした  (13-10-18)
     

寒くなりましたね。今夜初めてストーブを入れました。寒いのを我慢していると、
風邪に移行しますからね。なんですか背中がゾクゾクしています。暖めること、
これだけはけちけち出来ません。新陳代謝が鈍くなっているので、ぬくぬくと
しないと、体が持ちません。もう、そろそろ、首にスカーフも巻こうかしらと、
急に晩秋になったようで、戸惑ってしまいます。

2週間ぶりの唱歌の学校でした。先週お休みになったのは、校長先生が「感染
症」とやらで、緊急入院されたからだそうです。

点滴で、症状はよくなってきておられるそうですが、直ったから、すぐ、手術と
いうわけにもいかず、予定していた手術は延期だそうです。ですから手術後
のリハビリを終えるのが、予定の1月のコンサートぎりぎりになるのではない
かというお話です。


そんなこんなで、1月のシンフォニィーでの「第九」は難しそうです。確定的で
はありませんが、「宮川あきらバージョンの唱歌」を歌うことになりそうです。

女同士で、のり子先生と和気藹々の授業でした。当分は、のり子先生お一人
で、頑張られるようです。唱歌なら、あまりお手数をおかけすることもないで
しょう。

校長先生も頑張っていただいて、1月のコンサートには、お元気に指揮される
ことを楽しみにお待ちしております。私たちも先生を失望させることのないよ
うに頑張ります。

お二人のクラスメートが退校されました。お一人は、御主人が、ご病気で、退
院後、家におられるからでしょう。看病は大変ですからね。

もうお一人は外科的手術を受けられて、退院されたのですが、今度は、体力を
つけるために、スポーツをされるようです。遠方から来ておられた方ですから、
さもありなんと思います。年を重ねますと、あれも是もというわけにはいかな
くなるのです。今、自分に必要な事を一つ、重点的にすることしか出来なくな
ります。

残念ですが、お元気で、今を、大切になさってくださいますように…。

     ☆ 月曜日バス旅行のためお休みします




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久々の川柳 「おもてなし」

2013年10月17日 | 今日この頃

  「菊」 手間をかけなかったので 綺麗ではありません、来年はもっと手入れをします   (13-10-10)




北海道では1ヶ月早く初雪が降り、海からは津波、山からは土石流(山津波と
もいうそうですね)、どうなったのでしょうか、日本は! 今年ほど、次から次へ
と災難が押し寄せた年はあったでしょうか?自然災害なので、誰に責任を問う
ことも出来ません。早くこの期間が通り過ぎるのを待つしかありません。

「おもてなし」のテーマ川柳です。産経新聞からの抜粋です。何時もの通り、私
の好みで選んだ句です。


     おもてなし 教育係は 四国でしょう

「おもてなし」には違いないのですが、四国で、お遍路さんが受けるのは「お接
待」といいますね。平成13年から15年に掛けて、9回の区切り打ち、季節のい
い、春と秋に四国を歩きました。早いもので、もう10年がたってしまいました。

四国のあの形を、ぐる~っと歩いたわけで、いってよかったと思いますし、思い
出せば、歩けないのはわかっていても、もう一度行きたいという気持ちが湧き
上がります。

本当に、何人の方にお接待いただいたやら、「食べ物」「お金」さまざまなもの
を「お接待」していただきました。

歩いていますと、喉が渇きます。お水はもって出るのですが、日によっては、
途中でなくなることがあります。都会のように、そこここに、自販機があるわ
けではありません。そんな時「お遍路さん!」と、「飲みものを頂いた時が、
一番嬉しかったですね」お腹のすくのは、いくらでも辛抱できますが、水分が
ほしい時は、気持ちまで萎えたような気がします。

本当にお世話になったと、今でも、思い出しては、感謝しています。何時まで
も、この「お接待」という行為を続けていただけたら、遍路する人は大いに助
けられると思います。

     微笑みは 誰でも出来る おもてなし

そうなんでしょうけれどね~。簡単に「微笑み」を浮かべられる人と浮かべら
れない人がいると思いますよ。だから「微笑み」は大切なものだと思うのです
よ。思い浮かべてください、今日あなたは何度、優しい「微笑み」を人様に与
えましたか?

     OMOTENASI 成るぞもうじき 世界語に

本当に、言葉だけではなく、心からの「OMOTENASI」が、世界中で見られ
るようになれば、世の中住みやすくなるでしょうね。言葉だけではなく、実行を
伴ったものになってくれればと念じています。さ~、まず日本から。7年後のオ
リンピックまでに、世界中から、集う人々に、心からの「おもてなし」が出来る
ように、日々精進いたしましょう。

     摂待は 見返り求める おもてなし
                 
     おもてなし 過ぎて賄賂と 名が変わり


二つとも、同じ感覚ですよね。物事には裏表があり、表面的には、「さぁ~ど
うぞ!どうぞ!」という態度ですが、心の裏では、見返りを期待しているとい
うことですよね。大なり小なり、人はみな、一生に何度か、経験することのよ
うな気もしますが…。

いつも書くのですが、皆さん、本当にお上手ですね。私も、一生に一句でも、
「なるほど!」と人をうならせる一句を作ってみたいです。


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聞く力

2013年10月16日 | 読みました

              変わった形の 「鶏頭」     神戸・サンチカ     (13-10-4)




寒かったですね。とうとう今夜から、電気毛布をつけました。寒さで目を覚ます
こともなくなります。しかし肌の乾燥に気をつける必要があります。私の場合、
特に、唇が乾燥するような気がします。しかし、電気毛布のお陰で、のびのび
と寝れるのが嬉しいです。


        聞く力     阿川佐和子

いまよくよまれているそうです。読んでみましたが、内容を説明したり感想を
書くのは難しい本です。

インタビューに出かけるときは「質問は一つだけ用意しなさい」先輩のアナウ
ンサーの書物の中で見つけた言葉だそうですが、「そんなこと出来る分けない
と思ったそうです。阿川さんは20問ぐらい書いていってたそうです。

其の先輩は「もし一つしか質問を用意していかなかったら、当然、次の質問を
その場で考えなければならに。次の質問を見つけるためのヒントは何処に隠
れているのだろう。隠れているとすれば、一つ目の質問に答えている相手の、
答えの中にある。そうなれば質問者は本気で相手の話を聞かざるを得ない。
そして、本気で相手の話を聞けば、必ず其の答えのなかから、次の質問が見
つかるはず」 阿川さんは「そうか…」まさに目からうろこの驚きだったそ
うです。

鶴瓶さんからも影響を受けたそうです。鶴瓶さんは「トークは生き物」という言
葉だそうです。阿川さんが感じたのは「聞き手のさりげない反応によって、何か
を触発されることもある。聞き手は語り手の、そんな脳ミソの探索旅行に同行し、
添いつつ離れつつ、さりげなく手助けをすればいい。其の結果、意外な掘り出
し物を探り当てるという楽しみも、聞き手の醍醐味の一つ。

城山三郎さんからは「ただ聞くこと。それが相手の心の開く鍵なのです」城山
さんにインタビューをした時、阿川さんは、城山さんの聞き上手に乗せられて
、反対に、話し手になってしまって、大失敗だったそうです。

人はそれぞれに、それぞれの人に向き合う顔がある。逆に言えば、一人に対
して自分の全てを見せているわけではない。しかし、向き合っている相手から
してみれば、自分に向けられている顔がその人の全てに見えてします。だか
ら、自分の知らない「思いもよらない顔」を発見したとき、ショックを受けるので
はないか。真面目なこと付き合うときは真面目に、遊ぶことの好きな子と付き
合うときは、ちょっと不真面目な話や接し方をする。でもどちらも私であること
に変わりはありません…、と阿川さんは言う。

そうですね。私も、相手により、話題を変えたり、行動をセーブしたりしている
様に思います。年を加えると共に其の傾向は強く、気遣うことは、即ち、自分
も傷つかない。残りの人生を大切に過ごしたいという気持ちが強まっていくの
だと思います。

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