ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

九州・日豊本線の旅 (鹿児島 1)

2008年11月30日 | ちっちゃな旅

  大阪に向かう飛行機           到着便の荷物の積み下ろし              
何?黒い塊?修学旅行生でした   初めて見た「蕎麦とおぜんざい」のセット


11月24日
伊丹から鹿児島に飛び4泊しながら、日豊本線を北上し、小倉から「のぞみ」で帰ってきました。

九州の青空は関西の空より青いように思いました。空気も澄んでいるような…。只暑かった。寒いと着込んできた上着は脱ぎたいけれど、荷物になるので、ふ~ふ~いいながら着ていました。

辿った九州の食べ物の甘さには閉口しました。幾度と無く訪れている土地ですが、こんなに「甘」かったかしら…。お醤油自体が甘いんですね。写真のように「おぜんざいと蕎麦」がセットになっていたのには笑い出しました。甘いもの大好きな私ですが、「蕎麦」の次に「おぜんざい」を食べたいと思いませんよ。「所変われば品変わる」ですかね~。

「甘い」のは、昔「砂糖は貴重品だった。鹿児島は密貿易?で豊だったので、その印に、食べ物に砂糖をいっぱい使った。その名残りで甘い」のだそうです。

それと量の多いのにも驚いた。鹿児島だけではない、昼食を5回食べたのですが、どこでも吃驚するような量だった。セットは最初で量の多さで懲りたので、単品を取ることにしたが、それでも私達には多かった。

ホテルを決める時に、料理の写真で10品以上の宿には泊まらないようにしたつもりなのに、「美味しい」から食べたいのだけれど、次が食べられなくなるので、半分ぐらいで止め無ければならなかった。5.6品もあれば充分なのに、次々と出てくる。これは量の多さと言うより「私達が年齢的に多くを食べられなくなったからだろう」と話した。

近頃の日本の旅館の品数の多さは何時頃からだろうか? 昔はこんなに多くは無かったように思います。これからはバイキングの宿を探そうかと思います。

別府の宿で、売店で話した方はツアーで来た千葉からの姉妹だそうで、お料理はバイキングだったと言っていました。私達は個人ですので、一品ずつ出てきますし、会場も違いました。朝食はバイキングでしたので嬉しかったです。個人客でもコースとバイキングを選ばせてくれるといいのにな~と思いました。


従妹の家に直行しました。飛行場から近いからです。去年から此処「隼人」も「きりしま市」と地名変更になりました。行政の管轄の為でしょうが、安易に町名変更をしますが、地名には、それなりの理由があって名付けているのですから、余り変えないほうがいいように思います。元は「姶良郡隼人町」でした。「薩摩隼人」に関係あるのかな~とか想像できますよね~。

早速お向かいの従弟の弓道場に行き弓を曳かせてもらうことになり、97歳の方の「柔らかい弓」を借りてきてくださいました。テレビの中で、元モーニング娘の方が曳いていたのもこの弓だそうです。

先日のNHKのBSテレビは15分間撮るのに当日40人のスタッフが来て大変だったそうです。それだけではなく、準備、打ち合わせと8月から再々スタッフの出入りがあったそうです。私達が行ったその日に再放送があって、もう一度従姉妹たちと見ました。従姉妹達は現場にいたので、テレビで見るのは初めてだったそうです。

始は矢を番えないで教えていただきました。勿論胸当てもしました。弓を曳くにはまず、頭上に差し上げてから、下げながら左右に曳くと、良く曳けると教わりました。これが案外「柔らかい弓」なのに力が要ります、思いっきり曳けなくても、ぶるぶると腕がふるいます。とても姿勢が良くなるような気がしました。

主人が「やっぱり矢を番えないとな~」と矢を持ち出してきました。弦に矢の切込みを合わせ矢を曳きました。生まれて始めての経験です。ワクワクしました。写真を見るともっと思い切って腕を引かなければならないことが良く解りました。

次は主人の番です。「昔取った杵柄」聞いてないで~とかで、様になっているようでした。義父の弓を曳く写真は何枚もありますが、主人のはありませんから知りませんでした。

夕食には従兄弟達と昔話に花が咲きました。この夜が第一目的の今回の旅ですから、私も飲みすぎる主人を止める事無く、ぐ~っと我慢の一夜でした。
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今日の色々

2008年11月22日 | 今日この頃

            プリザーブドフラワーの額
       一時閉店していた、お気に入りの寿司やさんが
    明日 場所を移転して 営業内容や時間も変えて開店です
     特注で作ってもらい 明日開店祝いに駆けつけます


プリザーブドフラワー:舌をかみそうな名前です。これは造花ではありません。生花なんです。簡単に言えば24時間一旦脱色し、24時間オーガニック系の染料で染色し、24時間乾燥させる。その花をオアシスに指して出来上がったのがこの額です。本当はそのままの姿がいいと思うのですが、食べ物のお店で、人の出入りも激しいし、埃を被ることも無いのでケース入りを作っていただきました。インドの家庭料理のオーナーはこちらが本職です。

ヨーロッパから入ってきたそうですが、特別な行程により、色落ちがない、長い年月楽しめるという事で、彼の地では大流行しているそうです。日本でも花屋さんの店先で見る機会が増えてきました。複雑な工程のため、今はまだ花はバラ、カーネーション、ラン、アジサイぐらいだそうです。

今までは時間帯の関係でお客さんは男性が多かったので、まだまだこの新しい花を祝いに持ってこられることは無いだろう、良い所に気が付いたと思っています。これからはお昼の時間帯も営業するそうですので、女のお客さんも増えて、この花のかわいらしさに気づいてくださるだろうと思っています。



グループ仲間、たかぎさんのお見送りにたまちゃんと行って来ました。「鈴蘭台は寒いよ」という事で温かくしていったのですが、駅でたまちゃんを待っていますと、耳が痛くなりました。わが町尼崎とはだいぶ温度差があるようです。

昨日書きましたような遺影は昔のものではなく(でも何時もの彼らしくない写真だね~とたまちゃんと話しました)今の写真でしたし、受付で金額を確かめると言う無作法も無くて、今までどおりでホットしました。

最後にお棺に花を入れてあげてくださいといわれましたが、「元気だったたかぎさんを覚えていたいから、私は行かないよ」と行きませんでした。たまちゃんは入れにいかれましたが、小さくなって、相当面変りしていたようです。

同じ宗教でも色んな送り方があるのですね。初めと終わりの題目は参列者全員で和するとか、鉦、木魚、小振りのシンバルンの様なものを打ち合わせたりと、音の多いお式でした。

二男一女でありながら、今風に喪主は奥様がなさいました。しっかりなさっていて立派に努められました。

霊柩車をお見送りする為に外に出ました。澄み渡った空に白い雲が浮かんだ秋の空、残されたご家族の心尽くしの「院号」を持ってたかぎさんは彼方に飛び立っていかれました。ご冥福をお祈りいたします。



             ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

         猛女と呼ばれた淑女       齋藤 由香
           祖母・齋藤輝子の生き方

徹子の部屋で何度かお目にかかった輝子さま(徹子さんが、こう呼んでおられました)早亡くなって20年も過ぎているそうです。私は強烈な印象を受けた方でした。

輝子さまは二人の女の子を亡くされていて「逆さごとはいけません」と号泣されたとか、テレビではうかがい知れない色んなお話を知りました。

ご長男の茂太さんの所には4人のお子さんがいるが、次男の作家・北杜夫さんのところには由香さんが一人娘、又杜夫さんが長年の躁うつ病で必ずしも家庭には恵まれたいない由香さんを輝子さまは可愛がっておられたご様子。

色んな事件にもめげず乗り切っていかれたり、年を取っても好奇心旺盛で、前向きでと、こんな生き方をしたかたもあるのだと、参考にはなりませんが、心の残るものでした。

        ☆ 明日11月23日から29日までお休みいたします
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葬式事情

2008年11月21日 | 気にかかる

                管物・糸菊 (神戸 相楽園)






たまちゃんからのメールに今朝気づきました。「なかたさんっちの花見」に何時も一緒していた、たかぎさんが亡くなったというお知らせでした。お仲間のこばやしさんからたまちゃんへ、たまちゃんから私へと伝わってきました。

一瞬迷いました。お葬式に行くべき?そんなに親しかったかと聞かれれば返答に困るくらいの中。デモね、私の元へお知らせが届いてしまったんですから、行くべきかな~と思ってたまちゃんと行くことにしました。

その代わりかわかみさん、わかはらさんにはお知らせしないことにしました。皆さん聞いてしまうと「いくべきか?」と悩まれると思うのです。知らなければ知らないで済む間柄なんですから。私達が代表でいいのではないかしらと思ったのです。

たかぎさんは今年は「お花見」には来られませんでした。去年のお花見の直ぐ後ぐらいに入院されたと聞いていました。「肝臓がん」だと聞いていました。とても痩せておられるとも聞いていましたので、もう駄目だろうな~と思ってはいました。

私は友人のお葬式に行ったことが無いのです。この度が初めてなんです。やはり同級生の死は心に重いです。

今日、私宛にいそがいさんから喪中のハガキがきました。娘さんを亡くされたのです。孫娘二人を残されて娘さんは他界されました。こちらも話を聞いていましたので、そうだったかと、逆さごとほど辛いことは無いだろうと思いました。中3と小4の孫娘さんを引き取って育てられるそうです。「今日も娘に語りかけたのよ。良くぞこの子達を残してくれたね、って」しんどいけれど、孫娘がいるからこれから、彼女は頑張れると思う。「母娘のいい時期がこれから始まると言う時期に先立たれて辛い」とも言っていましたね。「笑顔で会える日が来ると思うよ」貴女のその言葉を信じて待っていますよ、いそがいさん。


今の葬式事情なんですが、遺影のことなんです。その人の若くて奇麗だった頃の写真を大きく引き伸ばして、近影は小さく側に飾ってあったと言うのです。何故そんなことを? 私には理解できません。そして、ソレが好評だったと言うのです。私に話したせつこさんも賛成のようでした。私は紋付に首を挿げ替えた写真も嫌ですが、あえて若い頃の写真を飾るのも変だと思います。私は今の私でいいと思うのですが…。

今度は香典の話なんですが、受付で香典を差し出しますよね。そうするとその場で金額を確かめ、その金額に比例した物品(アズユーライクの様なノートかしら)を、その場でお返したお葬式があったそうです。勿論、香典返しは頂いた金額に応じた額をお返しするものなんですが、しかし随分と礼を欠いたやり方だと思うんです。「香典返し」が面倒なら「香典辞退」にすれば済むことではないですか…。

「遺影」と言い「香典返し」といい何だかおかしいですよ。何からそんな発想が生まれるのでしょうね。そうは思いませんか? 此処にも今の日本の「自由自由」が芽をだしているのかな~。
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友情をあたためて…

2008年11月20日 | 今日この頃

              神戸・相楽園の紅葉

            池の上の紅葉の紅色が美しい

            船屋形(重要文化財)と紅葉
            元は川御座船の屋形部分らしい
           一階二階とも三部屋からなっている
      川御座船として残っているのは 国内で此処だけです


友達と会いに神戸に出るだけでは勿体無いと思い、早めに出て、相楽園の菊花展に行きました。残念ながら菊は終わりに近づいていました。庭掃除の人に「もう菊は終わりですね」と言うと「始まって直ぐに暖かい日が続いたので一遍に開いてしまったのです」「何時も躑躅の頃に来ますが、秋は初めてです」「秋も良いでしょう、あの紅葉葉最高ですよ」とさっき写した紅葉を指差されました。

時間が早かったので、広い庭に私1人?って感じだったのが、一年生の団体が「どんぐり」を拾いにやってきました。賑やかなこと。嵐のようにやってきて嵐のように去っていきました。私が帰るころにぼつぼつと車椅子のグループ、老人のグループ、女連れ、ご夫婦等続々とやってきました。中国人の観光グループも来てましたね。

時間が余ったので、北野町を通って、三宮まで歩いていきました。案外、神戸の山手は緑が少ない、街路樹がない、緑は尼崎のほうが多いな~とか考えながら歩きました。


高校のクラスメート4人でランチしましょうという事になている。1人もかけずに全員集合は何年ぶりだろうか。皆少しも変わっていなかった。私を除いて後3人はB型人間、その賑やかなこと、話の切れ目がない。今日もさよこさんの独壇場。話の面白いこと、ご主人の事、家族のこと、ボランティアのこと、旅行のことと次から次へと飛び出してくる。

旅行が又マイプランで見るだけではなく、何かすることを加えるすばらしさです。私の憧れるオーロラも見に行った、エベレストも登れないから遊覧飛行?した。ちっちゃな身体でその行動力の凄いこと。呆れるやら、羨ましいやら複雑!

結論としては彼女の語学力だと言うことだわ。未だに英語を教えている。英語で稼いだお金で家を建て、自動車を3台買い、行きたいところに旅行する。来年の6月にはペルーへ、この度でマイプランは最後にして、後はツアーにするそうだ。

ペルーのマチュピチュ、ナスカの地上絵その他、16日間だって「行かない? 一緒に行くといっていた人が行けなくなって1人なんだ…」行きたいよ。彼女と一緒だと楽しいだろうし、何しろ英語が達者だから不自由しない。その上今はスペイン語を習っている彼女「幾ら掛かるの?」「そ~ね。100万ぐらいかしら」私達は声もない。自分で稼ぐ彼女ならでしょう。「旦那はどうするの?」「知らん。今は何でも売ってるし…、機嫌のいい時に『又2週間ほど主婦業休ませていただきます』ゆうたらしまいやねん」

合いの手を入れるのはせつこさん。げらげら笑って、数えるほどしか喋らないのはていこさんと私。聞いてるだけで楽しい。

ていこさんの推薦する和食の店でランチをし(すご~く感じのいいお店)器もいいし、お刺身の美味しかったこと。今度は大阪で私の番と決まった。さがさなくっちゃね。

次はフロインドリーブでお茶した。元教会を使ったお店は一度行きたいと思っていた。皆チラチラ腕時計を見ながら、中々席が立てなかった。いっぱいいっぱい刺激と、元気を貰ってきました。
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インド家庭料理(12回)

2008年11月19日 | 今日この頃

                    卓上花

              今流行の「プリザーブド・フラワー」
              イミテーションの花ではありません
             生花を科学処理して 何年も持つそうです
                オーナーはこちらが本職です


今日はインド家庭料理の日でした。インドの人は何時もカレーを食べている。良く飽きないものだと思うのです。でも入れるものや香辛料の違いで味も異なるので、私達が煮しめを食べる感覚かな~。

三種類のおかずに、主食が二種類。ご飯と薩摩芋です。

☆フイッシュカレー
     
        珍しいので載せておきます 今日は旬の秋刀魚でした

秋刀魚に隠し包丁を入れて、5切れに切り分けました。煮込みに使ったお野菜は玉ネギと生姜と魚にあった色々の香辛料。素材としては至ってシンプルです。香辛料と玉葱が茶色になるまでゆっくりと炒めた中に適量の水、煮立った中に魚を入れて煮込むだけです。

このカレーには薩摩芋と一緒に食べるのだそうです。一寸辛いほうに属するカレーです。ひとくちたべて「うん!これは辛い!」と思いました。慌ててご飯をかきこみました。これでもいいのですが、此処で薩摩芋登場です。この料理のからさを薩摩芋の甘さが中和してくれるのです。半分は魚と、薩摩芋を変わり番こに食べましたが、やっぱりカレーはご飯です。

ショリー先生が同じものを昨日に作って持ってきてくださいました。日本でもカレーは前の晩に作ったのが美味しいと言います。私も何時も一日前に作ります。色的には昨日の分は茶色っぽい、今日の分はかきいろで、お味のほうは昨日のほうがお味が馴染んで美味しさが増しているようでした。

因みにインドではこのフィッシュカレーは朝ごはん用だそうです。

先日グッチ裕三が秋刀魚を揚げてカレーに使っていたそうです。今日のように煮込むのと又異なった味がするのでしょうね。

☆胡瓜とダル(豆)のカレー
 豆といっても米粒ぐらいの豆です。圧力鍋で炊いて使います。炒めた玉葱にトマトの角切り、胡瓜のみじん切りを炒めたところにダルを入れて煮込んで出来上がり。フィッシュカレーが強烈な辛さだったので、こちらのカレーが味がボケてしまって、美味しいと感じなかった。これはこのカレーが不味いのではなく、一回にカレー味が二種類だったと言うことによるのだと思う。

☆ キャロットライタ(ヨーグルトサラダ)
      

人参の千切りに玉葱のみじん切り少々をヨーグルトであえて冷やすだけ。上の青みはコリアンダー(三つ葉に似てる)香味野菜を載せている。毎回ヨーグルトが出てくる。苦手の私ですが、皆さんが好きなので、雰囲気を壊さないように黙って食べていました。何と今日のこのサラダは美味しいと思うようになっていたんです。見た目の奇麗さもあると思います。でもまだ家で使おうと思うほどにはヨーグルトを好きにはなっていませんが…。でも嫌だと思わずに食べられるようになったのは、大きな進歩です。

来月はお休みです。1月はインドでお祝いの時に食べるものを…と希望しました。インドでは祝い事には甘いものをお客様にお出しするそうです。だから甘いものとチャーハンの様なものだそうです。楽しみです。


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子供たちに相撲を見せてやりたい!

2008年11月18日 | テレビから

        さくら並木の紅葉 (尼崎市 武庫之荘)


            これは何の木? 欅?
        紅葉のグラデーションがとても奇麗です



急に寒くなりました。昨夜の鹿児島の従妹の話では「こちらも、明日から寒くなるそうです…」テレビでも12月末の温度になるとか言っていました。冬篭りの季節がいよいよ来たな~って感じです。暑さ寒さに弱い私はいよいよストーブと大の仲良しになるしかありません。


大相撲九州場所が中日を過ぎました。今又、相撲人気が衰えを見せているそうです。テレビの画面でも空席が目立ちます。色々ありましたからね。

今日は子供たちの甲高い声が会場に響いていました。「はくほう~!」「あさせきりゅう~!」って大声で叫んでいましたよ。カメラには両力士の名前を書いた横断幕を持っている子供達が写っていましたよ。とても楽しそうでした。

力士にもその声はちゃんと届いていると思いますよ。嬉しいだろうと思います。いい相撲を取ろうと思うんではないですか…。

今甲子園では修学旅行生がナイターを見に来ていることがありますね。ソレと同じようなことが相撲でも出来ないのでしょうか? 相撲は国技なんですから、子供に見せる機会を作ってやれないでしょうか? そうすれば興味を持つようになるでしょうし、力士の励みにもなるのではないでしょうか。相撲の衰退を食い止めることも出来るしと思うのですが。

「一見は百聞にしかず」本当です。やはりテレビとは違います。国技館で相撲を一度見たいと私も行ったのですが、一度で終わらず2度までも行きました。又行きたいと思います。未来の相撲ファンになるかも知れない子供たちに目の前で見せてやりたいと思います。

今修学旅行の中に(特に小学生)にテーマーパークが含まれているようですが、ソレは行きたくても行けない子供に経験させる為と聞いたことがあります。でも、テーマーパークは子供の時行けなくても、大人になれば、一度や二度は行くと思うのです。しかし相撲見物は一生見に行かない人が多いと思います。

中高生には「広島の原爆記念館」を見てもらいたい。そして世界で日本だけが唯一の被爆国であることを実感してもらいたい。歴代広島市長が、原爆実験をした国に対して、抗議文を送り続けている実体も知ってもらいたい。

2兆円の使い道、こんなことに使ってもらいたい。病を持った老人には優しさをいただきたいと思いますが、それ以外は、未来ある子供に遊びの中にも何かを掴む色んなチャンスを与えてやりたい。如何でしょうか?

                             (900回)
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旅のプラン

2008年11月17日 | 今日この頃

           尼崎市 大井戸公園入り口の紅葉

              武庫之荘大通の紅葉
      日本の美しい風景道路100選に選ばれた通りです
             3位だったと思うのです
      写真では一寸暗いのですが 青葉の時も奇麗ですよ


今日から早めの年末の大掃除を始めました。暖かい日でないと、寒くなると又「怠け心」が出てしまうからです。一部屋に二人で半日掛かってしまいました。二人とも腰バンドをして頑張りました。それでも疲れました。昔のように奇麗好きではなくなっているので、これからはだんだんしなくなるでしょうね。

明日は建具屋さんが来て、襖の張替えをします。今の襖は主人が張り替えたので、今でははがれて襖紙がブラブラと浮いています。模様は何時もライン一本と決まっています。はがれて浮いている襖を見て、襖やさん、驚くかな~、笑いたいのをがまんするかな~?


主人の80歳を祝う旅は、やっぱり「鹿児島行き」と決まりました。私のたてたプランを二人で煮詰めていきました。行きは飛行機でぶ~んと飛びますが、帰りは日豊本線で途中下車しながら小倉から新幹線「のぞみ」で帰ってきます。

主人の希望で温泉を回ります。私は温泉にこだわらないのですが、今度は「主人の旅」ですから泊まりは温泉地オンリーです。指宿、湯布院は何度も行っていますのでパスします。

指宿に行った時泊まった「指宿観光ホテル」がどこを探しても無いんです。潰れたのでしょうか?このホテルでは初体験が二つあります。一つは食事のテーブルに回ってきて撮るポラロイド写真です。どこかに若かりし頃の私達が写っている写真があるはずです。新婚旅行ではありませんよ。

もう一つは「オクラ」です。今のように出回っていない頃で、「野菜・オクラ」初めて此処で食べました。「これは何と言う名のお野菜ですか?」と訊ねたくらいです。「オクラ」を食べている時「指宿観光ホテル」の賑やかなショウ付きの食事を思い出していました。

由布院で泊まった「玉屋」当時でも高かったのですが、今は手が出ません。当時は現役、現在の年金者には贅沢のきわみの宿。設備などで高いだけのことはあるのですが、一部屋一部屋離れになっています。又お料理が凄い、若いときでも食べきれませんでしたから、いまだと一人前で二人で十分だと思います。

ワンランク上と言うのを選ばずにお勧めを選ぶのは食事のこともあります。上に行くほど、質もいいのですが品数が多すぎるからです。本当はホテルに泊まって、外で名物料理、と言うのがいいのですが、「温泉」をメインにしますと、やはり「温泉宿」と言う事になります。

この度は「湯布院」はパスします。若い女性向きに町が変身しているようですので。過っての素朴な「湯布院」を心に残しておきましょう。

温泉さえあれば後はどこでもと言うので、私の希望は知覧の「特攻平和会館」を予定に入れました。知覧は鹿児島市内から近いのかと思っていましたら、遠いです。
直通バスで1時間半も掛かります。武家屋敷のほうは行ったことがあるのですが、時間があればもう一度立ち寄りたいと思います。

もう一ヶ所は宮崎の「高千穂峡」と「夜神楽」です。「夜神楽」は11月半ばから寒い時だけアチコチで行われるそうですが、私達は観光用を見ますので何時もあるのでしょうね。

予定最後の日は「臼杵石仏」にもう一度とも思ったのですが、私達が行った時は仏像は吹きさらしの中に建っていましたが、今は屋根が付いていると聞いていますので、止めたほうがいいかな?と思いますが…。

国東半島の方にも行きたいと思ったのですが、その時の体力を考えて、決めないでなるようになるさ!で行くことにしました。

年齢のことを考えて一日一ヶ所と言うゆったりしたプランです。旅はこうしてプランを練っているときが1番楽しいのですよね。でもソレも億劫になってきて、だんだんツアーを利用するようになるのかもしれませんね。

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大学で「高校の復習」?

2008年11月16日 | 新聞から





          管ものの菊 (08-11-12 尼崎市菊花展)
            昔はこの「管もの」が好きだったが
        近年は「厚もの」がだんだん好きになってきました


昨日の夜から雨が降り続いて気温があがっている。花を見廻ってみると、小さいながら「チョコレート・コスモス」が花を開いているし、「金の成る木」ににはいっぱいの蕾が付いていた。「まゆはけ万年青」の蕾もあがってきた。私は蕾の今、シールと言う状態のこの花形の時が1番好きなのです。


一ヶ月ほど前ですがこんな記事がでていました。「高校復習」に補助金は愚策」
『文部科学省は、大学が新入生に対し高校の授業を復習させる為の補習授業を行うなら補助金を交付する方針だ。平成十八年度の国公私立大学の33%(234校)が高校時代の補習授業を導入しているからだと言う』

入学試験は何の為にあるのでしょうか? 何を基準に入学を許可しているのでしょうか? やっぱり今の教育制度や受験制度はどこかおかしい。

一応受験をパスして入学してきたのに、どこが何が足りないのでしょう。高校の授業が理解できなかったと言うことですか? それなのに入学できたと言うことは信じられません。又それだからといって、員数合わせの為に入学を許可した大学が、復習させているからといって補助金を出すなんて、文部科学省も何を考えているのでしょう。

今は大学の数が多すぎて、全員入学できるようです。それゆえに尚更良い大学は競争が激しくなり、平均以下の大学は出来なくてもいいからと員数合わせをした結果では無いのですか? 結局は粗製乱造された大学が潰れない為の、先生たちの生活保障のためではないのですか?

おまけに「喉もと過ぎれば熱さを忘れる」の言葉通り、勉強する為に貸し与えられた奨学金を(忘れることは無いでしょうが)返金しないと言う非常識な厚かましい人間を育ててしまうのです。

他の人はこう言います『高卒レベルの学力がない学生を入学させなければ経営が成り立たない大学はそもそも存在する意義がない。補助金をカットし、淘汰すればいい。高校の補修は高校でやるべきだ。学力も向上心もあるのに家庭の経済的事情で進学を諦めたり、高校中退を余儀なくされている若者が増えていると言う。彼らにこそ支援するべきだ』

入学したい人は全て受け入れ、その代わり卒業資格を厳しくするほうがいいのではないでしょうか。社会が大卒に求めているのは、専門的知識を身に付け、即戦力になる人物ではないのですか。弁護士と医師や教師だけが国家試験を受けるのではなく全ての学部で最終的に国家試験をとなれば、遊ぶ為、おしゃれの為にバイトに励む学生は減るでしょう。そして学生とは勉強するものと言う昔に戻って欲しい。

それで無ければ、今度は大学卒新入社員を教育しなおさなければならなくなるのではないでしょうか。

大学にいって、専門的なことを学びたいという学生と大卒と言う肩書きだけを望んでいる学生との比率は如何なんでしょうね?

何はともあれ、大学での「高校復習」に補助金を出すなんて考えは止めていただきたいものです。 
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それでも頑張ってください 尼崎市長の白井さん!!

2008年11月15日 | 気にかかる



          今年初めてわが家で咲いたキク
           新しいカメラで撮りました
       細部がはっきりしていると思うのですが…


兵庫県知事の「チャンス」と言う言葉の使い間違い。弁解などせず、只素直に謝って欲しかった。詳しいことは何も知らず、テレビで「関東に大震災が起きれば、チャンス」と聞いたとき、なんとも嫌~な気がしたのを覚えています。「この人何言ってるの?」苦々しい感じでした。

今度は尼崎市に「入札業務で逮捕者」と言うニュースです。陳謝する白井市長の写真が出ておりました。市長なんだから全責任があるとは思います。でも市長として仕事のし難い状態に置きながら、謝るのだけは市長と言うのがお気のどくな気がしました。

昨日は尼崎の花の会ですから、皆さんが尼崎市民です。ですから市長のお話も出てきました。「市長がどんなに良い提案をしても、議会は通らないそうよ、始に反対ありきだから」と言う人が居ました。私もそうではないかと案じておりました。

忘れもしない2006年11月19日10万1388票の信頼を得て白井さんは市長に再選されました。再選ですよ、再選という事は過去4年間の実績を認められたと言うことではないでしょうか? この意味が市民の代表であるべき市会議員の皆さんにはわかっていないという事だとしか思えません。

だのに自民党公明党の議員の皆さんは反対の為の反対をしていると言うのです。共産党の議員さんは好意的に支えてくださっているようですが、何しろ議員数が減って公明党が圧倒的です。女だからですか?若いからですか? それなら老人議員さん自身で市長に立候補すればいいのではないですか? 何故市会議員には定年が無いのですか?

最大派閥はもっと若いが男性の候補者を対抗馬に送り込み、落選しました。市政演説より相手方の悪口ばかり言う演説を聞かせられて、その人を選ぶと思いますか?市民を馬鹿にするにも程があると思いました。煽てて推薦した方も、そのくらいの事が解らないのでしょうか、指導してあげるべきでした。ある面煽てられて立候補したであろう彼も被害者かと思いますが…。

この話も以前書きましたが、芦屋市の議員さんが「白井市長は良くやっていますね。始は女に何が出来るか!と思っていましたが…」と話してくださいました。この人の言葉通り男性はまず女性が頭になる事がお嫌のようです。たまにしか会わない他市の議員さんでさえ「良くやっている」と言ってくださいます。身近な尼崎の議員は何故「良いもの良い」と協力しないのでしょう。

のびのびになっている国政選挙に市長が出ると言う噂が流れました。私は信じませんでした。仕事を中途で投げ出して、新しい道に進む白井さんでは無いと思っていましたし、市長を継続していただきたいと思っています。同じ職席に長く居るのは汚職の元といわれますが、白井さんは決してそんな人では無いと思っております。

そんなに意見が通らないとしたら、ある意味、市長を続ける意味が無いという考えもあるかもしれません。でもそれだったら誰に託せば良いのですか? 白井さんと考えを同じくする人を育ててから、お止めいただきたい。それまでは石にかじりついても市長職を続けていただきたい。一票を投じた10万市民はそう思って再選したと思います。

頑張ってください。元の、市民に見えない市政に後戻りさせないでください。


昨日のバスのガイドさんが、お賽銭について面白いことを言いました。でも覚えきれなかったので、メモ帳を持って聞きに行きました。「私、ブログを書いているんですよ、それでお賽銭のお話面白かったので載せたいと思います。もう一度聞かせてくれません?」「嬉しいです。書いておきます」次のトイレ休憩の時にちゃんと渡してくださいました。

私のお賽銭ですが、「ご縁が在るように」と何時もは5円です。お正月の初詣だけは10倍の50円です。

お賽銭にこんな語呂合わせの言葉があるそうです。

  5円 ご縁がありますように
 15円 十分ご縁がありますように
 25円 二人にご縁がありますようね
 35円 皆にご縁がありますように
 45円 始終ご縁がありますように
 55円 何時もご縁がありますように

 65円 ろくなご縁にありつかない
 75円 泣くほどご縁にありつかない
 85円 やっぱりご縁にありつかない
 95円 ここまで待ったけれどご縁にありつかない
105円 とうとうご縁にありつかない

55円以上は出さないようにと言うことでしょうか?神社、お寺の立場からすれば反対の語呂合わせが欲しいところでしょうね。95円が語呂合わせになっていませんね。言葉のつなぎ合わせでしょうか?




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京都の美里

2008年11月14日 | 一寸そこまで






京都・美里に「尼崎市花いっぱいの会」から行って来ました。此処は私の憧れていた村です。役員さんに「今年は何処に行きたい?」と聞かれて、「美山」と答えた私です。行きたい場所ですが、一寸遠いので今まで行けないで居ました。

やっぱり山奥でした。山又山をバスは走りました。只この当りは京都の北部に当たる為「北山杉」(柱にする表面が滑らかな杉)が多いため、紅葉は少なかった。でも所々の紅葉に美里の紅葉に期待を抱かせた。窓に流れる風景は「遍路」で歩いた、四国の風景と酷似していた。似通った田園風景あり、似た分岐点あり、川の流れと遍路で見た風景を思い起こさせた。

    

美里の紅葉は私の目には薄いように感じたが、ガイドの地元のおじさんに言わせれば、「これで最高だ!」そうです。バスを降りると、田舎育ちの方だろう「わ~懐かしい!昔、私の田舎もこうだった!!」と叫んでおられた。

やっぱり田舎は似ているんだと思った。では都会はどうだっろう似ているのか?やっぱり生活のある小路は似ているのかもしれない。

ガイドさんが家のつくりについて、白川郷との違いについて話してくださった。
白川郷          美里
合掌つくりの3階建て   入母屋つくりの平屋
家の中の壁土壁      板壁

記憶を呼び起こしてみると、此処は小さな家が引っ付いている感じ、白川郷は家自体も大きく孤立して立っていると言う感じです。

年々茅葺師も減ってきたし、屋根自体が持たなくなってきた。南向きは20年、北向きは17年ほどしか持たない。昔は40年持ったそうでだ。

屋根の材料の萱自体いいものが無くなった。萱は細いものがいいが、手にかけて育てられた萱は太くて弱い。 又酸性雨の影響だと言う学者も居る。

もう一つ大きな点は、囲炉裏やおくどさんで煮炊きをしてし無くなった。長持ちの条件であった、萱を煙で燻すことが無くなったのが一番の原因だという。

「お陰さまで、国からの補助が降りているので、どうにか茅葺屋根が保てている。そのお金は元を正せば皆さんの税金ですから、皆さんに支えられているようなものです」と言われた。上手い事言うね~。

 
     放水銃:普段の形             右:開いたところ

珍しいと思ったのは「放水銃」一家に一台の消化器です。火災が起きた時、川から引いた水の水圧で蓋が開き、放水を始めるそうです。一年に一度点検の為、一斉放水する。今月末にあると言われた。そんな時に出会いたかった。

憧れていた美里、もっと規模の大きな村だと思っていました。一軒内部を見せてくれる家がありましたが、お茶をいっぱい頂くだけで300円。これは一寸高いですね。やっぱり山里は山里らしい見学料にしていただきたい。「あ~、此処も儲け主義だ!」と感じてしまい、田舎の人情や、素朴さを求めた私には残念な感じでした。




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