ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

劇団神戸「オゥムとにわとり」

2009年02月28日 | 一寸そこまで







          サイネリア (神戸・サンチカ 09-2-28)
      数え切れないくらいの蕾をつけて 階段脇を彩っていました



とうとう2月も逃げていきました。早い早い、逃げ足はやい!風邪に付きまとわれた一週間で、予定が大幅に変更になってしまいました。

今日はたかこさんと神戸に行く予定が決まっていました。劇団神戸のコメディの券を頂いていたのです。どうしても見に行きたかったのです。

劇団神戸公演・コメディ・ド・フウゲツ「オゥムとにわとり」です。

券を頂く前に私の所にお知らせが入っていました。小倉啓子さんの1人芝居を見に行った事があるからです。

1面にはこう書いてありました。
お待ちかね、犯人当て大作戦の復活 貴方も名探偵! 正解者には豪華プレゼントを呈上します。

見たいけれど…と迷っているところに、思いもかけず券を頂いて、たかこさんとご一緒することになったのです。

開演は1時でしたが、少し早めに待ち合わせて、ランチでもご一緒にと思い、元町方面は始めての様なので、改札を出ないで元町のホームで待ち合わせました。

元町は私のテリトリー、神戸は余り知らないと言うたかこさんを案内するつもりでした。改札を出てからまず、小さなお店のウインドウショッピングにお誘いしました。そのお店は「質屋」と書いてあるのですが、シャレた小物が詰まっています。見るだけでも楽しいので、私は良く覘きます。

元町に出て、これも小さな小さな袋物のお店です。ここも娘時代から大好きなお店です。知らない人は通り過ぎてしまうくらい小さな、間口半間ほどのお店です。残念なことにまだ開店していませんでした。ここもウインドウショッピングです。

「何が食べたい?」と「中華…」と言う答えが返ってきましたので、南京町へ。そこでも娘時代から食べているお店に行きました。昔からある、中華のお店です。たかこさんは汁そば(ラーメン)、私は焼きそばを頼みました。美味しかったです。

あれっ! たかこさんに「美味しかった?」とお訊ねするのを忘れていました。自分が美味しければ相手もおいしいだろうという…、暢気者です。

風月堂に行きました。その地下が今日の劇場です。開場間もなく入ったので、一番前の良いお席が取れました。小さなお部屋ですから、目の前で役者さんを見るのです。小さいお部屋も一体感があって良いですね。

小倉さん3時間に近い間、出ずっぱり、喋りっぱなしなんですよ。タッタタッタと良く台詞がでてくるものですね~。台詞に誇張や厭味が全くありません。「上手い!」の一言です。又是非みたいな~と思いました。

犯人当て、見事に外れました。ネットで調べていけばよかった。後で気が付く何とやらでした。

三宮まで歩いて、又私のお気に入りの小さなお店をご紹介、サンチカに下りて、輸入品のお店でチーズを買うのをお付き合いいただいて、家路を辿りました。

たかこさん、楽しい一日を有難うございました。

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今年もやっぱり…

2009年02月27日 | 気にかかる





      西宮の公園で「?」と近づくと 「桜?」 そうだったのです  
               こんなに早く咲くのは何桜?



「今日は何処いくん?」「お歌」「そうか金曜日か、歌えるん? 休んだほうがいいんちゃう?」「歌えるもん」。雨は止んでいたので行くことにした。

授業前、のりこ先生が「このクラスの歌は3曲とも他のクラスと重なっています」やっぱりね~、先に名乗りを上げた者勝ちだよね。良いと思う歌は他のクラスだって良いと思うのよね。

何時もこうなんだよね、我クラスは。スロースターターなんだよね。間にシンフォニィーのコンサートが挟まっていたから、済んでからで良いと思ったんでしょうね、世話役さんは。私は何度も言ったんだけどね~、世話役さんの1人に「曲目だけでも決めておいた方が良いのじゃない?」って。やっぱり根っからのんびりしてるんだね~、このクラスは…

色んな意見が出たけど、3択でガラッと変わって、少し練習をした長い曲と今日から始める新しい曲に決まったんだよね。それも暗譜と言うおまけつきでね。

デモね長いほうの曲は割りと好きな曲なんだよね。「この街で」と言うのですが…。

2000年6月に四国の松山で(ぼっちゃんで有名なあの松山よ)市民による松山21世紀委員会を作ったんだって、その委員会が「21世紀に残したい言葉」「貴方の言葉で元気になれる」を募集したんだって。そうしたらね全国から12.001作品の言葉が寄せられて「恋し、結婚し、母になったこの街でおばあちゃんになりたい」と言う言葉が松山市長賞を貰ったの。この言葉が5年後に「この街で」と言う歌を生みました。

私は尼崎で生まれ育ったわけでは無いけれど、生まれた神戸の2倍以上も尼崎に住んでいるわけね。結婚して、母になって、おばあちゃんになったわけね。だからこの歌を歌っていると、後のほうは歌えなくなるわけ。私泣き虫だからね。「あ~、私はこの歌のとおり幸せなんだわ」と思うと声が出なくなって泣きそうになるの。私は如何したら泣かなくてすむか頭を悩ましているの。

曲が決まれば着るものよね。「今年は全て自由にしませんか」と言う意見が出たの。私は大賛成だったけど、何か決めて欲しいと思う人が多かったの。ボトムを黒か白っぽいもんかどちらかに統一と言う意見が多かったのかな~。

この曲に合う着るものは自由がいいと思うのね。「袖が半袖か長袖かも決めてください」って私言ったのよ。でもまだ日があるからって(私は無いと思うけど)何も決まらなかったのよね。

Tシャツに黒って音楽会のある5月に合わないと思うけど…。今は年中「黒」が流行っているから、感覚麻痺してるのかしら…。私は半袖のTシャツでボトムはそのTシャツに合う自分のセンスで自由に組み合わせれば良いと思っているの。だけど今回も多数決に随うつもりよ…。



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流星の絆

2009年02月26日 | 読みました

            花ボケ  JR立花駅北側 (09-2-26)
 思いもかけないところに咲いていました  家の花ボケは何年も咲きません
                 一寸可哀相な名前だわ




こんなに一日の内でも暖かかったり、寒かったりすると着るものに困りますね。現代はお部屋が暖かいから薄着の人が増えたようです。

私は元々寒がりなので、人の薄着を見ただけで自分まで寒くなるような気がします。そんな私でも薄着になりつつあるようです。1枚は減っていますね。

大寒の頃「寒い冬、どういう重ね着があたたかい?」と言う記事が載っていました。下着は長袖肌着と保温効果のある肌着では勿論保温効果のある方です。

若い人は真冬でも、肌着を着ないで、Tシャツを肌着の代わり着て、その上にトレーナーを着て終わりのようですね。トレーナーもフリース素材は軽くてとても暖かいですね。フリースは洗濯も簡単ですし、直ぐ乾きますし、何より値段が安い。

手編みセーターも細い糸より太い糸でざっくり編んだほうが、糸と糸の間に空気を閉じ込めることが出来るので暖かいそうです。

今でこそスキー製品は薄くて、伸縮自在の素材で出来ていますが、昔は太い糸で編んだセーター、マフラーや帽子を使っていたのは、理にかなっていたのですね。

「ぴったり重ね着」綿の半袖肌着+長袖肌着+襟付きシャツ+トレナーと重ねるよりも、「ゆったり重ね着」長袖肌着+手編みセーター(私の場合は間に襟付きシャツを重ねる)のほうが暖かいそうです。

そんなに暖かいなら、太い糸でざっくり編んでみましょうかね。


           ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

          流星の絆       東野圭吾

この人の本はよく読んでいるような気がして覚書を調べたら、この3年ほどで7冊読んでいました。1人の作家としては多いほうでした。

この本は昨年の5月に申し込みましたから、約9ヶ月掛かっています。今でも図書館の人気No1のようです。

流れ星の降るといわれる夜、親に内緒で兄妹が流星を見に行っている隙に、両親が殺され、一夜にして孤児となった。施設で成人するが、頭の良い長男、弁の立つ次男、美貌の妹は生きるためとは言え、詐欺で生活をする。

親を殺した殺人者も時効を迎えようとする頃、兄妹は犯人と思しき人物を突き止めたつもりが、思いもかけないどんでん返しが待っていた。真犯人は別人だった。

思えばこの頃読むのは推理小説が多い気がする。病気の本は身につまされて、気が滅入るし、恋愛物はもういいよと言う感じ、そうすれば推理小説か、人物の職業を掘り下げた小説がいいかな~。次はどんな物語が手元にとどくのかな?
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なぎなた?って

2009年02月25日 | 新聞から





   わが家のパンジーも春の気配を感じたのか 色鮮やかにさきはじめました 
            冬空の間はチラホラ咲いていましたが 
        色がくすんでお世辞にも奇麗とはいえませんでした
      私が秋に種から蒔いたものも ようやく蕾が一つ顔を出しました



雨なら止めようと思っていたのですが、昼後ギリギリに雨が上がったので、念の為もう一度薬を貰いに医院に行って来ました。今日は若先生でした。若先生は私に質問しながら目の前のパソコンを叩かれます。カルテに記入はされないで、直接パソコンに入力されるのです。大学病院ではキットそうされていたんでしょうね。

私は大病院で診察を受けたことが無いのですが、主人についていきますから、大病院がいかに患者が多いかは知っています。そして、どの受付でもパソコンです。診療カードもパソコンで受け付けです。

県立病院でも今年から会計までの流れが変わりました。今まではプリントされた紙を持って会計受付に行きましたが、今年からはそれが簡素化されたようです。私達が行ったのが変更間もなくでしたからから、受け付けるほうも一寸戸惑って居られるさまが見えました。もう2ヶ月ですから慣れたと思いますが。


伊丹市で授業に「なぎなた」と言う記事が出ていました。

『学習指導要領改定で24年度から中学生のダンス・武道が必須になる前に、伊丹市は新年度から市立伊丹北中学校の女子生徒を対象になぎなたの授業を導入する。国のモデル事業にも選ばれている。 日本3代私設道場に数えられる「修武館」や全日本なぎなた連盟本部があり、毎春、全国高校なぎなたセンパツ大会が開催される同市は「なぎなたの中心地」を標榜。幅広い生徒たちになぎなたに親しんでもらい、伊丹の文化の理解促進につなげるのが狙いと言う』

「修武館」は小西酒造が始めました。日本3代私設道場の後2つとは水戸の「東武館」、千葉の「本間道場」です。

ダンスが必須ってどんなダンスなんでしょうね。確か息子達の時代は高校では剣道か柔道が必須だったように思いますが、わが家では長男が剣道、次男が柔道を取ったと思います。今は如何なんでしょうか。

私の感覚では「薙刀」は「薙刀」であって「なぎなた」ではないのですけれど、何故ひらがななんでしょうか?今の子どもは薙刀を知っているのでしょうか?「薙刀」と教えれば、「刀」の類であることはわかります。でも「なぎなた」と言えば「それ何?」って事になりません? どうしてわざわざ漢字があるのにひらがなにするのでしょうね。

お隣の市に「薙刀の道場」があるとは知りませんでした。子供達が、剣道や柔道を習っていた頃、自分も日本の薙刀か弓を習いたいと思って調べたことがあるのです。弓のほうは神戸にあることは知っていました。薙刀は、あてずっぽうに武道は「奈良」かと調べた事があるのです。確かに奈良に在ったと記憶しています。しかし「奈良」まで通うのは遠すぎると諦めました。そのとき伊丹に在ることを知っていたら習っていただろうと思います。

薙刀は集団疎開で加古川に行っていた時に少し習ったことがあります。習ったと言うより、触ったと言ったほうが適切でしょうか、私の身の丈よりず~っと長かったと記憶しています。弓は国体に出るほどの腕前の従姉に憧れていたんでしょう。

去年、鹿児島に行った時、初めて弓を引く(年寄り用のゆるいもの)経験をしましたが、とても姿勢が良くなりそうで、身体に良いと感じました。

こうなれば今度は薙刀を経験してみたい。こちらも姿勢が良くなりそうですよ。「修武館」にはシニアクラスってないのでしょうか?何でもやりたがるね!ウフフ!

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おくりびと 再び…

2009年02月24日 | 新聞から


              尼崎市・大井戸公園  08-6-24

              尼崎市・大井戸公園 08-5-19
    今は一番花が無い時期ですので去年の春をよみがえらせて見ました



玄関を出て唖然としました。折角芽の出たチュリップのプランターが見事に穿り返され野良猫のウンチが鎮座ましているではありませんか!1週間前までは猫よけに有刺鉄線を置いていたのです。でも芽が出てきたので葉を傷つけると可哀想と思って外したのです。そこを狙われてしまいました。腹立たしいやら、悔しいやら血圧急上昇の気配でした。

本当は私は猫が大好きなんです。そして猫は賢いと思っているんです。オシッコも小さい時に教えれば、ちゃんとそこでするようになります。今わが家に来る野良猫はお隣の家の方が食べ物だけを与えます、後はほったらかしなんです。だからたまに私が庭にいるのを見つけて追い払いますと、安全なお隣のベランダに逃げ込みます。わが家だけではなくお花を作っている家は迷惑をしています。本当に困ったものです。

ただ何時もは秋にやられるので花が咲きませんでしたが、今回は土を半分以上ほりあげられても、しっかりと立っていました。咲いてくれると嬉しいのですが…。



「おくりびと」がアカデミー賞の外国語映画賞を受けたんですね。映画界にとっては泣く子も黙るアカデミー賞です。久し振りに明るい話題で紙面が賑わいました。

私達は去年の9月20日にこの映画を見に行って、当日のブログに「沢山の人に驚いた」書いております。

原作者青木新門さんを調べてみますと、HPが見つかりました。そこには今回に至るまでの本木さんとの事が綴られておりました。新門さんが映画化に反対したのは(後、妥協をしたけれど)映画では撮影場所が山形だった事が納得行かなかったそうです。新門さんが実際に納棺夫をしていたのは富山県だったからです。

そこで私も納棺夫と言う職業に納得が行きました。富山県はご先祖様を大切にお祭りする県民だと言うことを知っているからです。

私が小学3年のとき縁故疎開していたのが富山県の上平村と言う5~6軒しか家の無い村だったからです。南向きの一番良い部屋が仏間でした。仏間には大きな仏壇がド~ンと据えられていました。生きている人は北側の暗い狭い部屋に寝起きしていました。

その長男も神戸で成功し芦屋山の手に数寄屋造りの家を建てました。家のすばらしさにも驚きましたが、その仏壇の大きさには肝を潰しました。田舎の仏壇は大きいのですが、年月がたってくすんでいましたが、こちらのは大きい上にキンキラキンに光っていたからです。大きなお墓や仏壇は成功者の印とおじに聞いたことがあります。

それを思えば、あの丁重な死者への作法はありうるな~と思ったのです。今は既に廃れていると思って居ましたが、現在の納棺夫と言う方がテレビに出ておられましたし、本木さんも何度も実際に立ち会われたそうですから…。

貴賎に関係なく、あのように美しい所作で死に装束に着替えさせてもらうなんて、何と幸せだろうと思いました。

新門さんも「親戚の恥」とさげすまれたと言われ、せめて普通の仕事として認められたらと書いておられます。この映画の成功で「納棺夫」になりたいという問い合わせが殺到しているそうです。一過性のものではなく日本の文化としてこれからも後を継ぐ人が絶えることが無いようにと祈っております。



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屈折光

2009年02月23日 | 読みました
 
             唱歌の学校の玄関 09-2-20  
         こんなに精巧ではなかったかもしれませんが
        オモチャの赤いグランドピアノを持っていました
         金属的な涼しげな音色だったと覚えております
          このピアノはどんな音がするのでしょうか?
             一度触れてみたいと思います



20日の夜から、朝の喉の痛さが示したとおり、風邪の神様に囲われてしまいました。翌朝まで鼻水が壊れた蛇口のように流れ出し、色気の無いことおびただしい状態でした。何時も「鼻炎の風邪薬」を買い置きしてあるのですが、切らしていたのが失敗の元でした。一錠のめば覿面に鼻水が止まるという私に良く聞く薬なのです。

翌朝お医者様に行きました。日曜が挟まるので行っておかないといけないと感じたからです。先生は元の先生でした。しかし息子さんに主導権を渡されてからは初めてお目にかかるのですが、驚くほどに老け込んでおられたのには驚きました。自分が主でなくなるという事と、趣味を持たない先生は毎日何をしていいのかお解りで無いのでしょうか。まだ3ヶ月ほどです。本当に私から見て生気がなくなっておられたのがとても哀しく心配です。

土曜日から月曜の夕方まで、食欲も無くただひたすらウツラウツラとしておりました。無理に食べたのはハチミツたっぷりのヨーグルトとバナナだけ、昨夜は好きなお寿司を買ってきてもらったのですが、何時もは美味しいのに味が無い不味くて食べられない。でも体力がなくなるからと一生懸命砂を噛む思いで喉に押し込みました。

今朝からもウツラウツラしていましたが午後4時ごろ「お腹が空いた!」と感じたのです。のこのこと起き出して、「卵ご飯」を食べました。私が小さい時母が良く作ってくれた「卵くりくり」です。笑われるかもしれませんが70歳になった私が、身体が、心が疲れたときに一番に思い出すのは母なんです。「お母ちゃん私如何したら良い?」って呼びかけてしまいます。若くして亡くなった母は私よりず~と年下になりました。

口からものを食べるという事が身体にとってとても大事なことなんですね。もう大丈夫な気がします。明日からはボチボチ買出しから始めます。お茶が無くてお白湯を飲んでいます。美味しいお茶が飲みたい!          

           ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

             屈折光  鏑木 蓮

江戸川乱歩賞を取られた「東京ダモイ」を読み、2冊目だと思います。

脳外科の最高実力者の教授が自身脳の病に掛かるというお話しなんです。それも故意に仕組まれた病原菌によってです。恋人が自殺したのは、先生のせいだと一途に思った女医が仕込んだものだったのです。脳外科医の娘(獣医)の恋人の変死から話は始まります。

複雑に関連しあう人間関係、脳外科の娘だから、その関係を仕事に利用しようと近づいた娘の恋人は、受取人を娘名義にした保険書を教授に見せて信頼を勝ち得ようとする。父・教授に反抗して獣医になったけれど、死病に取り付かれた父の元で
考えが変わる。父と同じ脳外科を目指して、大学に行きなおす。皮肉なことに、その学資は死んだ恋人の死亡保険5000万が当てられたと言うことで、物語は終わっている。

この本を読み始めた頃、私は主人に言った「お医者さんも思えば気の毒な職種ではあるね。だって、もし自分の専門分野の病気になった場合、刻々と死に向かう行程が自身でわかるのだから、苦しいだろうな~と思うわ」「それはしゃ~ないな、そういう仕事を選んだのだから…」

私達の会話がそのままといって言い言葉で語られている部分があった。「やっぱりそうなんだ」と思った。何十年か前、心臓病の権威が心臓病で亡くなったことがあった。そのときも、普通の人なら、希望を持って、病と闘えるのに、知りすぎているだけに夢も希望も持てず、病の進行だけに身を任せなければならない医師と言うものの苦しさを思ったことがあったな~と思い出した。
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あ~驚いたのなんのって!

2009年02月20日 | 気にかかる

  昨日剪定の終わったバラの根元にワラの丸チンぐの作業をしていました
 マルチンぐは冬を越す為にするものと思っていましたが 今頃するのですね 
       寒さより害虫集めでしょうか? 
  啓蟄の頃、地上に這い出てきた害虫をワラごと駆除するのでしょうね 
       (尼崎・大井戸公園 08-11-1)



昨日はとうとうパソコンが動かなくなり、息子に直してもらったのですが、私が何かグレードアップをした為に起きた故障だと言い、元に戻すのに今晩は使えないと言われ仕方なくお休みしました。無断でお休みしたのは初めてのことでした。


今朝目覚めた時、突き上げるような痛みを喉に感じました。「とうとう風邪の神様のお越しだわ…」と急いで起きだして、お茶でウガイをし、風邪薬は空腹にきついと言うので、チョコレートを一粒食べてから、風邪薬を飲みました。喉の痛みは程なく取れて、一安心、これなら歌えるな~と学校に行きました。

先日のコンサートへの感想文を読まれて後「後何方かありませんか?」「尼崎の大和ナデシコ…」皆何のことかわからず、キョトンとした感じで沈黙。教室には尼崎から通っているのは3人です。私は他の2人を見ましたが、彼女達も沈黙。又先生が「写真も載っているらしい…」そこまで聞いた時「アレッ?尼崎、大和ナデシコ、写真、私の事?」もしかしてとやっと気づきました。「私のことでしょうか?」とお訊ねしました。

その時の驚き、如何表現したら良いのでしょうか…。私は唱歌の学校ではブログの事を話したのはわださんだけです。彼女はパソコンをしませんし、余り物を読むタイプではなさそうなので「携帯からも読めるよ」とは言ってありません。だから何方も私のブログの事はご存じないと思っておりました。

今にして思えば、何百人も居る生徒さんが、何かの拍子に私のブログにたどり着いたとしても不思議ではないのです。クラスのごとうさんもお人が悪い、「言わなかったけど何度か読んだことがある」ですって…。震源地は一体何方なのでしょう、一寸気になります。

それから私の頭のコンピューターが忙しく働き始めました。「私何書いたっけ?」「嘘は書いてないけど…」。今日までは唱歌の学校の方の事は頭にありません、私の一日の出来事として書いているのですから、全くの無防備です。でもこれからは知らず知らずに意識するだろうな~とは思います。でも日記だから書かないわけにいかないのです。

帰宅して、主人に大急ぎで報告しました「驚いたのなんのってね~」主人は笑っておりました。


学校の帰りに大阪に出ました。阪神で主人のベルトを白、茶色と2本買いました。
久し振りにベルト売り場に行ってベルトにも流行のあることを知りました。

主人の若い頃は開けられた穴にしっかり止める形でした。しかしそれからは穴が無くて、ルーズに引っ張るだけのものが流行りました。

今日行って見ますと「ルーズ型」は少なく大方が「穴止め型」でした。私は店員さんに聞きました。「このバックルの違いは、名称も違いますか?」「こちら(ルーズ型)は「バックル」と言いましてあちら(穴あき)は「ピン」と言います年配の方はバックルを好まれます」勿論私は「バックル」2本求めました。

次に阪急の地下に行ってチリメンとメザシと鮭を買い急いで帰宅、そしてがっくり。今日の目的は「嬉野茶」を買うことだったのに、買い忘れてしまったのです。
又当分スーパーの自分の嗜好に合わないお茶を飲まなくてはならないのです。誰を恨むわけにも行かない、自分のポカなのですから。

一時は忘れるからと言うのでメモして買い物に行きましたが、そのメモを忘れて買い物に行くので、書かなくなりました。でもやっぱり書くようにしましょう、物忘れと言う自然現象には逆らえないから…。
                               (980回)
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尼崎市も「中核都市」へ

2009年02月18日 | 気にかかる
                    ハボタン  
          わが家のハボタンがやっと色付きました 
  種を蒔くのが4ヶ月遅かったからです 7月に蒔くとは知らなかったからです


今朝6時40分頃弱い地震がありました。弱いながらに徐々に強さを増していきました。時間はかなり長かったように思います。14年前の震災を思い出しました。

ジムの教室で先生が「地震」について言及されましたので、今まで静かだった教室が蜂の巣を突いたような騒ぎになりました。皆さん「大震災」を思い出されたようです。


尼崎市では6月に市会議員選挙が行われます。その選挙に議員として立候補する新人の方でしょう、一枚のチラシが入っておりました。我家の長男と同年の方のようでした。

その文章の中にこういう一部分がありました。

「尼崎市も4月から中核都市に移行されます。この制度は平成7年から施行された都市制度で、その事務権限を強化し、できるだけ市民のみなさんの身近で行政を行うことが出来るようにして、地域行政の充実に役立つように設けられたものです」

「中核都市」と言うのは「福祉事業の分野」のみに限られるそうですが、市としての独自の方針が可能になると聞いたように思います。

しかし国の政策と言うものは、あちらから「こんな制度がありますよ、貴方の市は市民数においてはその資格がありますよ、やってみませんか」とお声が掛かるものではなく、たとえ員数的に資格があったとしても、自ずから行動を起こさないと、その資格を我ものにすることは出来ないのではないですか?

ここで私は思い出したのです。何時だったか忘れましたが、白井市長が「中核都市への移行」を目指して、新しくプロジェクトを組んで、「中核都市」になる為の準備を始められたという事を聞いたことを思い出したのです。

一部資格があるにしても、そのほかにも色々と申請に必要な事柄があったのではないですか。だから、その制度を取得する為に(市民の為により細かい配慮をするために)白井市長は行動を起こされたのではなかったのでしょうか。

白井市長を中心にプロジェクトの方々の努力により、この度、目出度く「中核都市」の仲間入りをすると言うのです。兵庫県では既に西宮市、姫路市がなっております。第3番目として、尼崎市が加わるという事です。

平成7年からある制度という事は既に14年前からあったという事です。白井市長は一期4年、現2期が3年目に入っておりますが合計7年という事になります。

そう考えると前市長の時からその資格はあったという事になります。何故その資格を取らなかったのでしょう? きっと、市民の為になる事だとしても、その資格を取るには、又取得後にも仕事が煩雑になると言う現実があったのではなかろうかと想像します。だから前市長はその手続きをしなかったのではないでしょうか?

これは現市長白井さんと、前市長宮田さんの市民に対する(市長として当然取るべき)心構えの違いと言えるのではないでしょうか?

「中核都市」と言うレッテルは向こうからやってきたものではなく、白井市長の行動力が勝ち取ったものだと言えませんか。

このチラシの主が、もし当選したとしたら、どの会派に属する方か知りませんが、市民の為になると思っておこした白井市長の行動力を認め、白井市政に反対の為の反対をするような会派に属さず、白井市長を助ける人であってくだされば良いな~と思っています。

白井市長始プロジェクトの皆さんお疲れ様でございました。これからも市民の為のより良い生活の為に働いてくださることを願っております。有難うございました。

★パソコンの調子が悪く、今まで出来たことが出来ません。写真も、如何やってみても1枚しか入りません。当分は仕方が無いかと思っております。
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ジムも会費値上げだって!

2009年02月17日 | 今日この頃







        サイネリア 4種 (ファッションビルの入り口で…)


外に出て「しまった!」と思った。風が冷たい、手が冷たい顔が突っ張りそう、昨日までの薄い上着で出てきたことを後悔したが、戻るのは面倒なので、そのままジムに向かった。寒さのため無意識に急ぎ足になったためか、何時もなら30分近く掛かるのに20分で着いてしまって、ジムはまだ開いていなかった。

受け付ける前に「ボイラーの一部が故障して、今修理中だが、プールもシャワーもお風呂も温度がまだ上がっていないので…」今日はサウナだけのつもりで来たが、ぬるいシャワーで風邪でも引くといけないと思い「20分 ストレッチ」のクラスに入ることにした。

ストレッチのクラスで、前屈が出来ない、開脚が出来ない、あれもこれも出来ない、といかに歩くだけでは身体の柔軟性が保てないかを、身にしみて感じました。出来るだけこれからはストレッチの時間に入ったほうが良いな~と感じました。 

ストレッチのクラスが終わってもシャワーのお湯は温かくなったり冷たくなったりと、一定ではなかった。サウナに行くと満員だった。プールの人で普段はサウナに入らない人も「寒い! 温もりたい!」と入りに来ていた。

今日のプールの温度が27度で水のように感じたらしい。監視員のスタッフに文句を言うと「オリンピックの選手の練習のプールの温度は27度だから、つめたい温度ではない」と言ったらしい「私らはオリンピック選手ではないし、練習の量も違う。真夏には33度の時もあって、お風呂のようで、温泉に入りに来たのではない!と文句言うたのよ。温度調節もまともに出来ないのに、会費値上げや何てよう言うわ」とご立腹です。

4月から値上げだそうです。受付の側の掲示板にその旨貼ってありましたし、帰宅しましたら、値上げお願いの手紙が届いておりました。月額500円の値上げです。仕方がないな~と思える金額です。わが家は二人ですから年1万2千円程の出費増という事になります。

サウナでの話しでも毎日来ている人ほど、文句が多いようです。毎日来ている人ほど一日の単価は低いですのにね~。スタヂオを利用し、プールに入り、サウナ、シャワー、おまけに按摩器にこ1時間も掛かり、それで一日当り300円ほどです。お風呂屋さんに行くよりよっぽど安いのです。

「家に居てもすること無いから、此処に来てるねん」と言う言葉を良く耳にします。
私は賞味2時間ほどです。スタジィオでワンレッスン受けて1時間、シャワーとサウナ、身づくろいで1時間です。それでも時間が惜しいと思うことがあるのですが、好きなことを長続きできる為には、運動をしておかなければと思っています。

どうにか今元気で居れるのは、熱心ではないけれど、30年近い継続が力となっているように思います。今日の反省から「ストレッチ」もして行こうと決めました。
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尼崎市議会

2009年02月16日 | 気にかかる

        何だと思われます? 高砂百合の種袋です 
    中の薄い種は皆飛び出したようです 思いがけない所で芽吹くかも…


  一度枯れた木から 脇芽が出て その先にたった一輪咲いた「侘すけ」

  枇杷の花  しっかりと暖かいコートに包まれて 春になるのを待っています


市議会を傍聴に行って来ました。行きは雨でした。こんなお天気だと人は少ないだろうな~と覚悟をしていきましたが、余りにも少なすぎる。定員106名のところに16名その内女性は3名、又後期高齢者予備軍の女性は私のみ。何たることぞ!

何時も愚痴っていますが、白井文の後援会の皆さん、何しているのですか!如何してなのですか?「私達が応援していますよ」と行動で示せるのは議会場に足を運ぶことしかないのですよ。新年会には200人も300人も集まるのに、どうしてですか?白井文の後援会はスターのファンクラブとは違うのですよ。新年会で身近に市長と談話したり、写真に収まって頂いたりするための会ではないのですよ。そんなのは芸能界のファンクラブであって、政治の後援会とは言いません。

今日は八つ当たりかもしれませんが、後援会の世話役の皆さんにも文句を言いたい。勿論新年会とは後援会の維持費集めでもあるのでしょう。其れがいけないのではなく、あの会を持つための労力を「議事会場に足を運ぶ」と言う事に分散していただきたいのです。着飾って新年会に出るより会場に足を運んでいただきたい。事務局から今日は大切な日って、ファックスが届きましたよね。  

もし私が白井さんの立場なら心の中でそう思うと思います。世話役になるという事は私達会員より、もっと強く白井市長を応援したいという心をお持ちなのでしょう。白井さんを市長にしたいと骨身を惜しまず力を貸したのではないのですか、選びっぱなしにしないでください。「議会に行かなくても応援しているわよ」とは言わないでください。

白井市長が多くの反対派に囲まれていることはごぞんじでしょう。その人たちを増長させない為にも、議会に足を運んで上げることは必要だと私は考えています。こういう私も年に数回です。しかし皆が年に一度でも良い、議会に足を運ぶと言う努力をしてくだされば、援護射撃になると私は思っています。

世話役と言うのはその努力を率先してしてみせる人のことだと思っている私の考えは間違っていますか?選挙の時だけが応援ではないのです。白井市長に目いっぱい働いていただくために、私達が出来るのは「議会に足をはこぶ」これしかないのです。世話役の皆様、そこの所を今一度お考えください。

市長が40分にわたり来期市政について熱心に語られました。私は耳で聞きながら目は議員席を眺めておりました。トロトロと眠って居るらしき人も2.3人居られましたが、まるお議員(会終了後、座席表で名前を調べました)はぐっすりと30分は眠っておられました。私はこの方について何も知りませんが、会社で言えば勤務中ですよ、公の場で(市民の前で、市民も馬鹿にされたもんです)この体たらくですから良い仕事をしている方とは思えませんね。

お話しの内容ですが教育問題については、尼崎の学力が伸びてきたという事は嬉しいことでした。「青年の主張」の全国から選ばれた14人の中に尼崎の学生も入っていたそうですし。「そろばん特区」に力を入れて計算力、暗記力、集中力を養っていくと言うことでした。

心に残った言葉「大人が変われば、子どもも変わる。子どもが変われば、世界(世の中)も変わる」でした。

4月1日から「中核都市」になる尼崎、責任も重くなります。もっともっと笑顔に溢れる都市に、尼崎に住みたいと思う人(去年、37年ぶりに人口増加)が増えれば「政令指定都市」に返り咲くのも夢ではなくなりますね。
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