ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

尼崎のフェスティバル

2008年04月29日 | 一寸そこまで
             ペチュニア (上坂部西公園)
                珍しい色の花

尼崎の「2008年春の花と緑のフェスティバル」が「上坂部西公園」で開かれました。白井市長もお見えになり、私は写真の追っかけとなりました。美人で在るばかりでなく、確実に成長し、仕事をこなしておられるのを市民として、後援会の一員として、嬉しく思っています。

偶然、今朝の新聞に白井市長の対談記事が載っておりました。

《退職金の多寡でで市長を「やる」か》
この主題の部分ですが、いまだ尼崎市議会は「市長の退職金は規定のまま」を主張しています。市長4年間での退職金は3550万円です。白井市長は市役所の人の給与体制からはじき出して、500万円でいいと言い、一期終了後500万円受け取られたようです。お陰さまで市民は3000万の借金が減った事になります。

市長の申し出でを却下するのみならず、そんなに言われるなら、と言う感じで「白井市長のみ退職金は500万円」と言う、他市の人達には恥かしい現状です。

今回の(2期目の)選挙の時の対抗馬は「退職金は正規の金額はいただきます、しかし全額寄付します」といっていました。何処に寄付するのか知りませんが、そんな手間をかけるより、「入りません」といっていただく方がありがたいです。

白井市長は言われます《市長は政治家です。退職金の多寡で市長を「やる」か「やらないか」を決めるのはおかしいと思います。》私も同感です。市民は500万円でいいなら、ありがたいと思っています。何度も言うようですが、市民の代表である市議会はどうして否決するのでしょう。その心が垣間見える気もするが、反対勢力は何故か意固地になっている。


このフェスティバルでは「フラワーガーデニングコンテスト」の優勝者の表彰があります。各部門の個人、団体の表彰が行われました。今日の主催者のグリーンの法被を羽織った白井市長から表彰を受けられました。

市長のお話では全国美しい町並みコンテスト(名前は正確ではないかもしれない)で8位?(うろ覚えですみません)に選ばれて、去年より1位あがったとの報告があった。尼崎が工業都市(公害の町)から美しい花と緑の町に変わりつつあると言うお話でした。

式典の後は幼稚園児のお遊戯やら、高校生のブラスバンド、琴演奏、お茶席、又は子供の喜ぶ大きなパンダの遊具等、家族みんなで楽しめる催しが一杯です。

公園では花の苗、手作り品、朝取り野菜、たべもの等色んなお店が散在します。私は「尼崎花いっぱいの会」グループで花の苗を売るのに、今年初めて参加しました。

私が提供したのは「浮釣木(チロリアンランプ)」と「黄ソケイ」です。チロリアンランプは名の通り、赤い蕾が付いています、係りの人が1本300円(値段は市価の1/4位、私は50円のつもりだった)と言う高値をつけてくださり、それでも「良く売れているよ。こんなん出してくれて有難う」と言われ、10数本はアット言う間に売れました。「黄ソケイ」の方には蕾が無かったので、写真をつけておきました。出足は鈍かったのですがこちら8本も完売しました。大成功。

私自身も、金色風知草、金連花、日本オダマキ、菊とチマチマとした手工芸品を買いました。又その売り子さんも経験しました。ちっちゃなリースの講習も受けました。

人様に喜んで頂ける「苗」を心掛けておきたいなと言う気になっています。楽しい一日でしたが、外出が昨日と連荘なので、一寸お疲れ気味・・・。年かな~。

     ☆ 4月30日~5月2日 迄お休みいたします。

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今年最後の花見

2008年04月28日 | 一寸そこまで
            なかた邸の一葉さくら
             今年も会えました
         
日にちが決定した頃は「丁度満開かも知れない」と言う話でした。ところが1週間ほど前に、なかたさんから「困った桜」と言うメールと写真が送られてきました。その文面によると「20日11時急にむくむく開花し始めました、23ー24日ごろが満開、いらいらします」と咲き始めた桜の写真が送られてきました。

私も心配しました。「今年駄目でも来年があるさ」と思いながらも、メキシコからのおゆきさんにも私が始めて「なかた邸の一葉桜」を見た時の感激を味わってもらいたいと思っていましたから。

造幣局の通り抜けでも「一葉桜」は満開だったし・・・と半ば諦めていた私の元に、なかたさんから嬉しいメールが届きました。「天気予報も明日は晴れ、桜のほうも何とか散らずにかじり付いて、がんばっています」

私達が行くまで待っていてくれたんだ。遠来の友を優雅に迎えるために努力してくれたんだ。去年の丁度満開の時とは、少しずれてはいましたし、葉も少し出てきていました。でも葉が少し覗いているのも又良いものだと思いました。

神戸駅からバスに乗りました。下りてから少し距離があります。私は平気なんですが、車中心の生活のおゆきさんには少々堪えたようです。「も~嫌だ、も~嫌だ」と言いながらゆっくり登ってきます。足の悪いこすぎさんもゆっくりと「最後の坂が、急で地獄坂なんだよ~」とおゆきさんに伝えます。二人は話しながら、現状をごまかしつつ、登ってきます。長い坂道の上に、ふじわらさんが下りるバス停を間違って1停留場手前で降りてしまったんです。帰りはお二人さんはなかたさんに車で送って頂きました。

こんな花見は最高ですよ。遮るもののない静かな原っぱでお食事です。春風がそよそよと心地よく、BGMはウグイスのさえずり、同じ世代を生きた者の集いです。

その上に、今年は初めて「お好み焼きパーティー」です。「焼肉」もありました。
火は「備長炭」と言うこだわり様です。鉄板を挟んだ直火ではありませんが、「備長炭」のマジックと言いますか、火勢が鉄板越しに旨味を出すような気がしました。

本当に美味しかった。先日のパーティでは最高5枚、平均3枚食べたそうですが、さもありなんと言う美味しさです。お好み焼きとお好み焼きの間に鉄板焼きを挟んだものですから、私達のお好み焼きの枚数は2枚、平均1.5枚と言うところでした。私は勿論2枚いただきましたよ。もっと食べれたのですが、太るし、恥かしいので我慢の子でした。

「蛍烏賊の酢味噌和え」良く冷えていて、美味しかったです。板前さんのお友達直伝と言う「酢味噌」さすがでした。案外「蛍烏賊」を嫌いで手をつけない人もいましたが、一口食べれば、きっと美味しい!と思ったと思うのですよ。

庭には「文旦(ぶんたん)」も生っていました。切って貰ったのですが、これは美味しくなかったようです。私は苦味があるのではないかと手を付けませんでした。
樹に生っている文旦を始めてみました。勿論写真にパチリ!食べる為に手入れすれば美味しい文旦になるのではないでしょうか?

4時間近く、何をお話したのか?覚えていないのです。取り留めのないお話だったと思うのですが、元気に集まれて、美味しいものを食べて、最高の楽しい一日でした。

来年は「備長炭で焼く鰻」のご馳走だそうです。楽しみだな~。1人も抜ける事無く、元気で又、一葉桜の元に集えますように・・・。

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地震のお話

2008年04月27日 | 新聞から
              ガーベラ(原種)
        鹿児島から持ってきて何年になるでしょうか
       株分けしてくれた叔母夫婦も亡くなりましたが
        この花と共に私の胸の中ではおげんきです
        今年はどんどん蕾が上がってきています

どちらの門前もカラフルになりました。やっぱりパンジィーが一番多いでしょうか。藤棚のあるのを見つけておきましたので、立ち寄ってみましたが、まだまだ先のようです。小さな白い花がほんの少し咲いていました。

富山で「地震に自信を」と言うセミナーが開かれて、パネリストとして参加された方が書いておられました。

《富山では震度3以上の揺れを経験していないそうで「富山は地震になれていないし、此処には大きな地震はこないだろうと言う感覚で生活している人も多いです》
と地元代表の方のお話。

私たち関西人だって、あんな大地震が来るなんて思いもよらない事でした。今夜のNHKのドラマ「篤姫」でも地震の場面がありましたね。地震は忘れたころにやってくるようですね。テレビでは逃げ惑っていましたが、「阪神淡路大震災」は一瞬のまでした。

《セミナーでのアンケートの結果も発表されました。「生きる為に必要なものを二つ挙げてください」と言う答えはさまざまだった。会場からは「明かリ」「家族」「酸素」とか出たそうですが、パネラーご自信は「水と勇気」と答えたそうです。

神戸の若者は「水と電気」、東京の若者は「お金とケイタイ」経験の有無でこれだけの差が付くのですね。》

水、電気、ガスを「ライフライン」と言うことを、あの時初めて知りました。

一番必要だったのは、一つ挙げよといわれれば「水」でしょうね。飲み水は勿論の事炊事が出来ません、お風呂に入れません、トイレが使えません。給水車が来てくれました。お水を入れるポリタンクが良く売れたそうです。日月と共に「腰痛」が増えました。そのまま腰痛持ちで、現在に至るという人もいます。

東京の若者の「お金とケイタイ」確かに入用ですが、さしあたり生きる為には二の次でしょうか。

「火事場泥棒」と言う言葉があるように、地震の後のデパートや商店のショーウインドゥから物が消えたそうです。どういう神経でそんなことが出来るのでしょうね。

「ケイタイ」と言えば「電話」は直ぐに掛かり難くなりましたが、テレビの映像でその凄さを見て、親戚縁者の安否を確かめるための電話が多くてですが、その頃は今のように「ケイタイ」人口も多くなかったと思うのですが、私自身も持っていませんでしたので、解らないのですが、「電話」のように線が入らないのですから、掛かりやすかったのでしょうか?13年も経った今頃になってこんな事を言うのもおかしな話ですが、今フッと気になったのです。

山古志村のマリの様な犬や他の動物は沢山居たと思います。ただ山古志村のように道路が切断されて孤立という事ではありませんから、食べ物は在ったと思います。

長く続いた余震の為に着の身着のままで寝ると言う生活をしていて、他のことに目を向ける余裕も無かったです。風化させてはいけない地震の経験もだんだんと遠のいてきています。

アレから後も北陸方面で大きな地震がありました。でも死者の員数を聞いて「あ~、阪神淡路より小さいんだ」と思ってしまうんです。「人は病で死なない、寿命で死ぬ」とはこんな場合も含むのでしょうか?其れならば、命奪われた子供達は、何の為にこの世に生まれてきたのでしょう。不憫です。
                          (700回)
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マリと子犬の物語

2008年04月26日 | 読みました
            雨上がりの白いイチハツ
       白は珍しいそうです 我家でも一株だけです
            
長野の聖火リレーの中継見ました。二重三重に囲まれて、其れも警備の方は体格の良い方を選んでいるものですから、埋没していると言う感じでした。僅かに見えるトーチでランナーの存在がわかると言うことです。

真正面から写している、テレビカメラを通して見ていても、時々見失うのですもの、現場に居た人はさぞ見にくかっただろうと思います。沢山の苦情が寄せられたそうです。中国の国旗でランナーが見えない、中国人の声が五月蝿い。

テレビで見ていても、バックは真っ赤な中国国旗、所々にチベットの旗、普通は小さな日本国旗とオリンピックの旗の波が迎えるのではないでしょうか?私の目には映りませんでした。始から地元の声援は無しだったんですね。他国の旗が、其れもとてつもなく大きな旗が揺れて、此処は何処の国?って感じでしたね。これでも一応は成功と言うのでしょうか?

           
             ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

          マリと子犬の物語     藤田 杏一

この本は「マリと子犬の物語」と言う映画をノベライスしたものだそうです。つまり映画が先であって、その脚本を元に小説にした、と言う事のようです。私は予告編だけ見たんです。本編も見たいと思っていたのですが見逃してしまいました。

☆ ノベライズ: 新語。 映画・演劇・テレビドラマ・マンガ・テレビゲームなどを小説形式にする事。

☆ 小説化: 小説以外の表現方法やメディアで既に作成・発表された作品を、小説の手法で表現しなおして発表する事。

2004年新潟中越地震の旧山古志村での実話を元に作られたそうです。実際の飼い主はパーキンソン症候群で言葉の不自由な男性です。マリは家の下敷きになり言葉が不自由で叫べない男性に寄り添って、舐め続けていたようです。犬は怪我をすると舐めて直すので、一生懸命直そうとしたと言う事になります。

小説の主人公は小さな兄妹とその祖父です。祖父と孫達との愛の繋がり、人と犬との心の繋がりを描いた映画です。

地震は祖父と孫娘が家に居る時に起こります。地震で家が崩壊、家具の下敷きになった祖父は必死で孫娘に覆いかぶさって、孫娘が苦しくないように空間を作ってやります。その祖父をマリが傍で励まし続けるのです。

私のおじいちゃんもきっと身を挺して私を庇ってくれたであろうと・・・。集団疎開先の私に会う為に、(その頃は電車の切符が手に入らなくなっていた)神戸から加古川まで暑い盛りに歩いて来たおじいちゃん。今思えば食べ物だってろくなものは無かったでしょうに・・・。

間もなく戦争は終わりました。その2ヵ月後おじいちゃんはあの世に旅立ちました。自分の命の終わりを感じていたのでしょうか、最後に私に会いたかったのでしょう、カンカン帽を被り、着物の裾を絡げた後姿、今でもはっきりと覚えております。おじいちゃんは一度も振り返らないで帰って行きました。其れがおじいちゃんの最後の姿になるなんて夢にもおもわない私も、ただ黙って見送っていました。

マリは今も元気なようです。子犬の2匹は貰われていったそうです。地震から2週間食べるものも無い山古志村で3匹の子犬を守って援助を待ちました。マリは我家の亡きコロと重なりました。物はいえないけれど、人の心が理解できる動物、犬を又飼たくなりました。






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卯の花寿司

2008年04月25日 | 気にかかる
                いちはつ(一初)
      あやめ属の中で一番早く咲くことからこの名が付いた
       基本的には半日陰の花だが 対光性もあるので
          昔は茅葺屋根の上にも植えていた
       服部緑地の一軒の茅葺屋根の上に植わっていたが 
            この名残なのでしょうか

友人達の話の中で「スーパーからバターが消えた」と聞いた。我家ではめったに「バター」を使わないので買わない。だからスーパーに行っても「バター」「チーズ」売り場には寄り付かない。「チーズ」は主人の好みで「スモーク・チーズ」を神戸の輸入品店で買っている。朝食のパンにバタ-はぬらないが、チーズを食べる。その店で、たまに「ガーリック・バター」を買うくらいです。

スーパーの「バター、チーズ」売り場に行ってみた。本当だ!バターが消えている!並んでいるのはマーガリンだけ。他のスーパーには行っていないが、何処でも「バター」は消えているのでしょうか?「マーガリン」は本当は体に悪いと言う記事を読んだばかりですが、背に腹は変えられず「マーガリン」を食べておられるのだろうか? 

我家では時々「マーガリン」は使います。たまにですし、マーガリンにしては少し高値の「こだわりのマーガリン」を使います。一時は「バター」は動物性だけれども「マーガリン」は植物性だから良いと言われていましたよね。全然反対の記事でしたが、たまにしか使わないからいいかしらと「マーガリン」党のままです。

先日(4月16日)のグロブで、初めて食べた「卯の花寿司」について書きました。あのお店の新作かと思っていましたが違ったようです。

ネットで、谷崎潤一郎について調べていましたら、「卯の花寿司」と言う言葉が飛出してきました。谷崎さんはご贔屓の神戸のすし屋さんに行くと、必ず「卯の花寿司」を注文して好物の一つだったというのです。そのお店は今でもあり、やっぱり「卯の花寿司」は出しているようです。

谷崎さんが食べておられた頃は魚は「小イワシ」だったそうです。今は適当な「小イワシ」が無い為「サヨリ」等を使っているそうです。その上におからを卵の黄身で黄色く色付けして甘くしたものをトッピングしてあります。

私が食べた「卯の花寿司」の魚は何だったのか?思い出せない。小魚のように、全体に表面が皮と言う状態ではなく切り身だった。「おから」の美味しさに、魚の事はとんと気にしていなかった。

卯の花寿司: おからを炒って、酢で味付けしたものの上にイワシ・サンマ・ホハダ等の寿司ネタを載せたもの。寿司飯代わりにおからを用いた事から付いた名前である。近年は寿司飯の代わりのおからではなく、寿司ネタの上におからを置く。

私が食べたのも、トッピングとして使われたおからであり、見場良くする為に、卵の黄身で奇麗な黄色に色漬けしているのでしょう。

「卯の花寿司」は宮城県・気仙沼の郷土料理でもあるそうです。気仙沼で取れる秋刀魚、地元産の大豆のおから、宮城産のお米「ひとめぼれ」を使った、「握り寿司」ではなく「押し寿司」として出す店が在るそうです。

この「秋刀魚の卯の花押し寿司」は「大日本水産会会長賞」「みやぎものづくり大賞 加工食品部門 優秀賞」を取っているそうです。なんだか美味しそうで食べてみたいです。

楽天でも扱っているようです。秋刀魚の美味しい秋に取り寄せてみたいです。でもその時期に覚えているかな~?



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光市母子殺害に思う

2008年04月24日 | 新聞から
          チューリップ (ウッッディの前庭 08-4-22)
           もう終わりです。1人静かに咲いていました

雨なので予定を変更してゆったりと過ごし、午後から小降りになって花鉢の植え替えをしました。グロリオーサです。オーソドックスの赤に黄色の縁取りです。



広島高裁は「光市母子殺害事件の男性被告に「死刑」の判決が出ましたね。ホッとしました。もう9年も経っていたんですね。長いとは思っていましたが、そんなにたっているとは思いませんでした。

亡くなった方の年を数えても仕方が無いのですが、ご存命なら、弥生さんは30代の女ざかり、夕夏ちゃんは少しずつ女の子になっていく頃です。本村さんも大変でしたが、私は弥生さんを育てられたお母さんに思いが行きます。弥生さんの成長過程を思い出せば、夕夏ちゃんの成長は想像に難くない。辛かったでしょう、悲しかったでしょうと、子を産み育てた者として思いはそこに行く。

弁護人が20数人も付いた裁判、人の命を殺めた人に何故多くの弁護人がつくのかと納得できない思いだった。

「死刑廃止」を求めている弁護士達は、この裁判で、一気に「死刑廃止」に持っていこうという事のように思われた。

私には何故「死刑廃止論」が言われるのか解りません。人の命を奪った人が命で償うのは当たり前と思うのですが、近年は色んな理由をつけて犯人を生かそうとする。何の落ち度も、理由も無いのに、突然に命を絶たれた人たちの事は如何考えているのでしょうか?

所謂、無差別殺人が増えています。「誰でもよかった」と嘯く犯人を、当時の精神的な理由で弁護し、罪を軽くしようとします。「そのときの被告の精神状態は正常ではなかった」と言うのです。其れが罪を軽くする事の理由に何故なるのです?精神が異常でなければ目の前に居たからと言うだけで、人の命を奪おう何て事が出来るはずが無いのではないですか?

後に残された人が、この言葉をどんな思いで受け止めているのか考えた事はあるのでしょうか?私は如何しても「死刑廃止」を認めることは出来ません。人を殺めれば自分の命で償わなければならない、と言う箍が外れたら、益々「無差別殺人」が増えませんか?世界の国では「死刑廃止国」もあるようですが、だからと言って日本もとはいえないでしょう。

「冤罪」と言う事にもかかわりがあるのかも知れませんが、この度のように、本人も認めていたのに、「死刑廃止論者の弁護人」の入れ知恵で、意見を変え、二度までも「無期懲役」になった。「無期懲役」と言うのは、私は一生監獄で罪を償うものと思っていたのに、「恩赦」とかその他の理由で、生きて社会復帰をする事が出来ることを知り、その時から許せない気持ちになりました。

残されたご家族の皆さんは、真実を知りたいという事で、全て傍聴されたそうですが、どんなにお辛かったろうかと思います。特に弥生さんのお母様、娘が娘を生み、ご自分と同じ道を歩んでいたのに、その生活を見守る楽しみが突然断ち切られた。其れも未成年者であるという事で罪が軽くなろうとする事も考えられた、どうしようもない苛立ちや苦しみがあったであろうと察します。

「死刑」と言う結論が出ても、弥生さんや夕夏ちゃんが戻ってくるわけでは在りません。ただ、無念の心が認められたに過ぎないのです。9年もの長い間良くも耐えてこられました。酷い定めを持って生まれてこられましたが、どうか健康に留意されて、お二人の冥福を祈ってあげてください、としか私には言いようがありません。
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インドの家庭料理(7)

2008年04月23日 | 今日この頃
            インドの家庭料理教室の卓上花
              春らしくて爽やか
         良いセンスで 毎回お料理と同様楽しんでいる

教室のオーナーがインド駐在の妹一家を尋ねてインドに行かれた。その為、何時もは月末の教室が、先月は月初めだった為に約40日ぶりのお教室。今日は全員出席で10名でした。

☆ ひよこ豆のカレー

ひよこ豆って始めてみました。大豆色と言うか、やっぱりナッツって感じです。硬いので水につけおきしたものを、圧力鍋で煮ました。何時もの通り色んな香辛料が入ります。7回目ともなれば、勉強家の方々は名前と現物が結びつきます。食べる事だけを楽しみにしている私は、名前こそ何となく聞き覚えましたが、実物とは結びつかない。タマネギとトマトと合体して出来上がり。

☆ バトゥーラー (パン)

パンといっても食パン型ではなく、ナンの様な形。一個(60グラム)をギョウザの皮の様に伸ばす。インドの小麦粉(自体に色々はいっているのかな?)で作るともちもちして弾力性がある。伸ばす端から少し戻る感じ。これを少しの油で狐色に揚げる。

「ひよこ豆カレー」と「パトゥーラー」は仲良しさんでセットだそうだ。

☆ ツナカツレツ

缶詰のツナとジャガイモの柔らかめのコロッケと言う感じ。勿論タマネギも入れます。此処にも色んな香辛料が登場する。全てを順次炒めるが、ツナに油気がある為か柔らかめである。其れを俵型に整え、極め細かいパン粉をつけるので、普通のコロッケの様なさくさく感は無い。これも少な目の油で揚げるので柔らかく仕上がる。

これがめっぽう美味しかった。皆さんにも好評だったし、私も大好きだった。これならインド料理の香辛料が無くても、和風アレンジで楽しめるのではないかと思った。トッピングに紫蘇を載せるのは如何でしょうか?

☆ ニンジンのデザート

以前、先生がデザートとして持ってきてくださった品物。希望者があり作る事になった。

摩り下ろしたニンジンをインドのバター(ギー)でニンジンの臭みがなくなるまで焦がさないように炒める。そこに牛乳を入れてシャブシャブがドロドロになるまでかき混ぜる。砂糖を入れて冷まして出来上がり。ニンジンと言うより、南瓜を使ったと言う感じです。盛り合わせた上にアーモンドとピスタチオのつぶしたものをトッピングして終わり。

今日はもうひとつ、オーナーのインド土産のお菓子(これも以前、先生が持参して下さったお菓子)、さくっとして美味しかったです。

今日のお料理は全部はけました。何時もなら何かが残るのですが・・・。本当に美味しかったです。

インドに居るオーナーの甥っ子たち「一番の楽しみは?」に「日本に帰る日・・・」やっぱり日本食と日本のお菓子が食べたいそうです。「一番嫌な事は?」「野犬が怖い」野犬は昼間は寝ているそうですが、夜になると活躍を始める。凶暴な犬ばかりとは限らないが、其れを見抜ける目が無いから、怖いでしょうね。何しろ狼と同属ですからね~。

インドの人から直接、母国の料理を習える幸せ。オーナーもあっさり系の良い方だし、婦人会脱退後のこの教室、お友達に会って、集って、話して、食べて、良いグループに入れていただいたと感謝しています。

インド旅行のスライドも見せていただいたが、私の席からは良く見えなかった。私は一時、インドの宮殿列車の旅に憧れた事がある。ピンク城だったかを象に乗っていくのが憧れだった。インドはまだ私を呼んではくれない。
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姫路菓子博2008 (愚痴の巻)

2008年04月22日 | 一寸そこまで
             菊 桜 (造幣局 08-4-19)
       菊の様に花びらが重なり合って咲くことからの命名
      花弁は通常200~300枚重なり合っているそうだ
         とてもそんなに見えなかったけど・・・
         金沢の兼六園の「菊桜」が有名らしい

「ラテン教室」想像通り、「おじい様」の姿は無かった。その代わりと言ってはなんだけれど、少し若手の男性が1人、続くかな~?

ジムの入り口に、毎日スタッフが日替わりで「一言書き」しているボードがあるんです。今朝のは、菓子博に行ったスタッフが書いていました。「どの館も、1時間以上待ちで、とうとう何処にも入れずに帰って来ました」って。勿体無いね。

館の外にも、小さなおみやげ物やさんはあるんです。又お弁当なども売っています。姫路駅の「駅そば」が美味しいという事を聞いていますので、食べたいな~と思ってはいるのですが、こういう所では食べたくないです。アルバイトの人が作っているでしょうしね。

2時間も並んでお腹も空いたので、「テーマ館」の食堂に行ったんです。此処が又酷いのです。主人はカレーとうどんしかなかったので、ビールだけでいいと言い、私は「かき揚げうどん」を頼みました。「海老がなくなったので野菜だけですが、いいですか?」(値引き無しの様子)仕方が無い、時計は2時になろうとしている、背に腹はかえられぬ、うなずく。

しかし、アッと言う間に出てきた現物を見て絶句。「これが1000円?」親指ぐらいのお稲荷さんが2個と発泡スチロールに入ったうどんが、小さな野菜天を載せて出てきたんです。「日清のカップヌードル」の方がよっぽど美味しい。これで1000円は高すぎる。地方から来られた方は「兵庫県は何てあこぎな商売をするのか!」と思われないかと心配です。こういう場所で、こういうイベントで、安くて美味しいものを食べようとは思っていません。でもあまりに「足元を見た」商売ではないですか?

「色んなケーキ」が食べられる(有料)と言う館に行く気でしたが、その気も失せました。元々ケーキより饅頭派です。野点も・・・と書いてありましたが、行ってみましたが、そんな雰囲気でもないのでパス。

「第25回全国菓子大博覧会」とうたって居ますから、過去に24回あったという事になりますね。そちらは好評だったのだろうか?どのパビリヨンも長~い行列という事は会場の規模と発売切符のアンバランスからきているのではないでしょうか?これから連休と連休明けには人が殺到すると思われます。ピーポピーポも活躍すると思いますよ。もう少し、どうにかしないとね~。

「日本縦断 お菓子めぐり」とか「夢のスイーツカフェ」に入りたかったのですが、2時間並んで、不味いうどんでは、次への力が出ませんでした。せめて30分以内なら何とか我慢もしますが、パビリオン一つ1時間待ちでは諦めざるを得ませんでした。

困ったのが「お土産(自分達用)」です。仕方が無いので「かん川の塩味饅頭」でも買って帰ろうと思ったのですが、他の店のはあるのですが「かん川」のはありません。駅の売店(神戸でも買えるのに、わざわざ姫路で買いました)に在るだろうと、姫路菓子博では結局何も買いませんでした。太るの覚悟で色々買おうと大きな袋をしのばせていったのにね~。

主人曰く「1万円在れば、美味しいケーキ幾らでも食べられたのに」と、期待が大きかった分、甘い感情はみごとにはずれ、私達には「にが~い菓子博」でした。


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姫路菓子博2008

2008年04月21日 | 一寸そこまで
             大手毬 (造幣局 08-4-19)
             本当に手毬のようにまん丸
       でも全てがそうではない 見目良いものはやはり少ない

思い切って飛び出しました。10時に姫路駅に着いたときには、人 ひと ヒトあの階段もこの階段からも人が続々と降りてくる。

会場に着いたら、もうそこから行列が始まっている。会場は14ヵ所、主な菓子のパビリオンだけでも4つ5つある。端から全てを回ろうとは思っていない。2.3ヵ所回ればいいと思っていた。

目的は2つ。「帆船」「姫路城と大名行列」を見る事。

まず、「帆船」のある「兵庫のお菓子館」(一番手前の館)に入った。ここで30分並んだ。館が近づくと「撮影禁止」の張り紙。興味が半減する気持ち。前の方も「撮影を楽しみにしていたのに、これだったら、カメラ預けてくればよかった」と重そうなカメラを恨めしげ。

まずは兵庫県名産のお菓子がずらり、見覚えのあるのやら無いのやら、デパートの陳列だなを見ているのと同じ。これらは此処で見なくても「デパートに行けば幾らでも見られるね」とパス。小さなお菓子の人形や花が少々、撮影禁止。

「帆船」にたどり着いた。始に目に付いた船の帆、本当に布の様な感じ、フネの甲板や、海岸通に居る人形が可愛らしい。海のブルーは水あめとか、コック姿の若者が説明している。数人がパチパチ撮っている。誰も注意に来ない、私も喜んでパチパチ、堂々と主人もシャッターを切っている。夫婦して違反行為?「結局撮影許可を出すと人波が滞るからだろうね」と話す。30分並んで、滞在時間10分。その大半は「帆船」の前。

次に一番奥の「テーマ館 和と洋のシンフォニィー館」を目指す。長蛇の列。係員の人に訊ねると「3時間待ちです。時間制限させていただいています」と事も無げ。

2.3日前、予想外の人出で1時間待ちのプラカードが無いと言っていた。其れを遙かに通り越して「3時間待ち?」ショック!迷った。でも目的の一つだもの、待ってみようという事になった。3時間と言うのは、多めに言っておく方が文句が出ないからだろうと思った。当り! 2時間待ちで入場できました。

それでも2時間待ちですよ。頭上をさえぎるものは何もありません。二人とも帽子だけだったので、上着を脱いで、頭から被ってみた。これで暑さが和らげたような気がします。放送は言います「今日は温度が上昇しています。水分補給をしてください。前の人との間隔を開けてください」言われるまでも無く、数分毎に喉を湿らす程度に、お茶を飲んだ。間隔をあけるのは無理ですよ。皆一歩でも前に行きたいんですから。倒れた人が居るらしくピーポーピーポやってくる。これは連休や連休後は大変な人出になり、不満が爆発するだろうと思う。

疲れているし、まず中央あたりの「姫路城」に突進。姫路城は私には何となく物足りない感じ、人間は良く出来ていると思うけれど、「立ち止まらないで、進んでください」と言われるのでじっくり見ていることが不可能。此処でも進みながらパチパチ。後からもう一度、人を探している振りをして逆行し、「姫路城」見に戻る。「後期高齢者」と「その予備軍」伊達には年を取っていない。悪知恵は働きます。

その他多数の作品があった。花、鳥、家、等々。確かに上手に出来ている。でも私は感心しない。色彩がきつくて自然さが無い。作り物ですと言う感じ。

昔、元町通りの和菓子屋の店頭に飾っていた花たちは、本物と見間違うほど自然の色であった。私は其れを楽しみにしていた。技術は進歩しているのかも知れないが自然さがなくなっている。これはある意味では寂しいし、何故?と問いたい。

総体的に言って私にとって「入場料2千円(私たちは1600円)は高いと感じた。「もうXX博と名の付く所に行くのは、これが最後だね」と話した今日一日だった。

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鬱病

2008年04月20日 | 新聞から
              御衣黄(造幣局 08-4-19)
            この花が「緑色」をしているのは
      花の花弁に「葉緑素」があるからで花弁には「気孔」がある
        咲き始めは中央は「白」 其れが「赤」に変化する

良いお天気でした。姫路の菓子博覧会は一杯の人出でしょうね。土日は避けて、4月のうちと言えば、他の予定もあるので、日がありません。5月に入ると前売り券を買っている人がどっと行くので避けたいですし・・・。大好きな和菓子の事、絶対行きたいし・・・、困ったな~。


アナウンサーの小川宏さんが、ご自分の過っての病気「鬱病」を振り返っておられました。心に響いた言葉を振り返っておられました。

山谷新平: 評論家、ラジオの「人生相談」などで活躍。参議院議員の山谷えり子さんは娘。ラジオの番組で、自殺がらみの事件を取り上げるたびに、彼はコメントしていた。「自殺は愚か者の結論なり」

鉄道自殺しようと踏み切りに向かった。10本以上の電車を見送る内、恐怖心が沸いてきた。「急ごう」と右足を踏み出した時、家族の顔とこの言葉が浮かび、思いとどまったと言うのです。「死ぬ気になれば何でも出来る」よき聞く言葉です。確かにそうかも知れない。しかし、自分自身どうにもならなくて「いっそ、死んだら、楽になれるのでは・・・」と死に赴くのだと思う。小川さんは山谷さんの言葉で助けられたのである。言葉の持つ力の凄さを思った。又反面、人の言葉によって死を選ぶ事もある。

友人からの手紙: 自分も経験した。辛いだろう。でもあと一息で楽になる。辛が一筆で幸いとなるように。 

私は始め「???」だった。「辛」「幸」似て非なる文字・・・。何度も書いているうちにやっと解った。「画数」の事であると気づいたのです。「辛」は6画、「幸」は7画なんです。そういう事か、なるほどな~
偉い言葉があるものだな~。

遠藤周作: 病気は生活の苦しみであって人生の挫折ではない。

2年の闘病生活の後に大作家になった彼らしいと言う。人間何かで苦しんだ人は人に対する思いやりがある、波風立たずに生きた人は人への思いやりが無いとは良く聞く話だ。人の心を優しく包み込むように接する人は、目の前の幸せな姿からは想像も付かない苦しい過去を持っている人だとは、私も常々感じる事はある。苦しみがと言うより、そこから苦しみながら這い上がってきた過程に他の人への思いやりも生まれてきたような気がする。

ある僧侶の言葉: 熟睡できた事に感謝する人は居ない

本当にそうです。出来て当たり前の事に感謝は無いのです。眠れぬ夜を過ごすようになって初めて「当たり前」のことが「ありがたい」ことだったのだと気づくのです。今は眠れないからと、安易に「睡眠薬」を飲む人が多い。お医者さんも簡単に処方してくれるらしい。

私は幸いな事にまだ「睡眠薬」のお世話になったことは無いが、眠れず夜明けまで悶々とした経験はある。そんなとき私は「眠れぬ」事に身を任せる。気が付けば朝方寝入っている。人間の体はそうなっているのです。いつか眠りは訪れるものなんです。眠れぬ夜が来ても薬には頼らないでおこうと思っています。

最後に小川さんはこう結んでいます。「欝は適切な治療で乗り越えられると思う。今では、病が心を洗ってくれたと感じています」

《病が心を洗ってくれた》良い言葉ですね。苦労も心を洗ってくれるような気がします。「病」に「苦労」に真剣に打つかっていけば先が見えるという事かな。
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