大型台風が通過した。予想通りの民主党の大勝…。わが尼崎でも公明が
去り、民主から送り込まれた田中氏が勝った。
私もつくづ日本人だな~」と思った。アレだけ引き摺り下ろしたいと思って
いた公明党の人が、深々と頭を下げ、その敗戦の弁を聞くと、「気の毒に」
と思ってしまう、判官びいきの気持ちが台頭してくる、何もあんなに敵視し
なくても良かったのではないか?と…。
田中さ~ん! 貴方は言われました「仕えられるのではなく、皆さんに仕える
為に邁進したい」その言葉に希望を持ち、期待もして居ます。お手並み拝見
させていただきます。
夢の競演
麿赤児(右:舞踏家)さんと梅津和時(サックス・クラリネット奏者)さん
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/11/d2adb92af48448093e0d0d109791d724.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/a8/2dd387d3b42937f9db90a36e9d3f0d23.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/a7/987520793428abd04c2734915b0e324a.jpg)
8月29日(土)四条畷の「えにし庵」で「夢の競演 メソポタミアンドリームⅣ
麿赤児と梅津和時の競演」のお誘いを受けて、友人と行ってきました。野外
劇場と言うのは初めてですし、麿さん梅津さんも初めてです。私に理解でき
るのかな~と言う不安もありましたが、一度は見てみたいと思っていました
ので、良い機会だと参加を決めました。
まず「四条畷」と言う土地に降り立つのも初めてです。なんだか昔の家並みを
彷彿とさせてくれる懐かしい町でした。小高い山に向かって、緩やかな坂を上
ります。わが町ではとんと聞こえなくなった蝉の声が聞こえます。
突然、思いもかけない風変わりな大邸宅が現れました。塀の中には3棟の様
式の異なった大きな建物が、我を競うように並んでいます。一番驚いたのは
右端の日本家屋風の建物の大屋根に「金の鯱」が乗っています。それだけで
はありません、手前の門の屋根にももう1対の鯱が乗っていました。一軒の
家に2対の鯱です。これが驚かないで居られますか名古屋城の鯱でさえ1対
のみです。
どんな方が住んでおられるのでしょうか? 帰ってネットで探してみましたが、
私の探し方が不味いのか出てきません。と言う事は普通のお家なんでしょう
か?惜しい事をした写真を撮ってくれば良かったと思いましたが、後の祭り
です。
山の迫った辺りに「えにし庵」はありました。この山は「飯盛山」と言うらしい。
「飯盛山?」何か聞き覚えがある…、記憶にあるのは白虎隊で有名な飯盛
山でした。「飯盛山」は他にもあるらしく、この山は「河内飯盛山」と言うらし
いです。
プレイベントは14時からあるようでしたが、体力的にきついのでメインイベ
ントのみ参加に決めておりました。5時には着きましたが、なんだか(事情説
明はマイクでありましたが、マイクのとおりが悪くて聞こえませんでした)遅れ
ているようでした。
舞台と後が「飯盛山」です 子ども達も珍しいのでしょう「篝火」を見つめています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/1c/625c97f41adaf7723919648f9eb97775.jpg)
会場の舞台は、少し小高くなった所です。屏風が正面にありました。其処から
少しずつ傾斜が付いているようです。舞台から見物席の終わりまで船の先端の
ような形に竹を低く組み合わせてありました。その上をこれも竹が渡してあっ
て水が流れておりました。何のため?と思っていたのですが、女の子がビニー
ル袋にいっぱいの花びらを持っているのを見ると、どうも花びらを流していた
ようです。
実際に流れているのを見たわけではありませんが、私は帰り道、自分の頭の
中で描いておりました。
予定通り始まる前に軽く何か食べておこうと言う事で、友人は「カレー」を私は
「焼き蕎麦」とお茶を買って済ませました。
まだまだ夏なんですね、曇り空なんですが、中々暗くなりません。その内両脇
に篝火がたかれました。その炎を見ながら「あ~、何年ぶりだろう、直に炎を
見るのわ?」時々爆ぜた小さな火の子(消えていますが)が飛んできたりしま
す。飽きる事無く見つめていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/99/4be92f3964b396153e792ab24d4398c1.jpg)
6時ごろカバンを持ったおじ様が舞台に上ってこられました。そしてカバンを
開けて、楽器を取り出し組み立てて並べました。徐にその中の一本を口にあ
て、吹き始めました。その人が梅津さんでした。
その曲は私の良く知っている曲なんですが、どうしても思い出せません。隣の
友人に「この曲の名前なんだった?」「リンゴの歌」なるほどそうなんです。でも
とてもスローテンポで音が低い(アルト・サックスだものね~)ので、解りません
でした。
梅津さんは先日亡くなった忌野清志郎と自分のバンド・ドクトル梅津バンドと
共演アルバムを出されていて、著作もあるようです。10年ほど前に出された
「いつだっていいかげん」と言うエッセイ集だそうです。
サックスに替えクラリネットに替えと長く演奏をしていました。私には良く解ら
ないのですが、あの指先の速い事とよく息が続くな~と感心しながら見ており
ました。
暫く後に、顔と手を歌舞伎の様に白塗りし、真っ黒な衣装の人が出てまいりま
した。麿さんです。此処から共演が始まりました。麿さんが動きに無いときは
手首からだらりと掌を下げているポーズがこの人のポーズだそうですが、私は
原爆記念館で見た、被爆者が体液が垂れるのを防ぐ為にこれと同じ手つきを
していたな~と思い出しました。
麿さんは息子さんも同業者のようです。麿さんはNHKの「篤姫」にもチョイ出
しておられたそうですが、知りませんでした。スローテンポな踊りが意味する
ものが私には解りませんでしたが、動きが美しい事だけは解りました。それと
なんともいえない魔力があり、何となく又見たいかな~と言う気がしました。
奏と舞どちらが先に出来たのでしょうか? 舞のビデオを見て曲をつけたのか、
奏を聴いて舞をつけたのか? それとも両方即興?
前方からクラリネット・サックスの音色、後方から秋の虫のバックコーラスです。
なんともいえない感じでした。これが野外劇場の良さなんでしょうか?
会が終わって帰る頃には、虫の声は大きくなりました。「これからは私達の出
番よ!」といわんばかりに… 虫達は知っていたのでしょうか? 梅津さんの
奏を盛り上げている事を…。
☆ こぼれ話
始まる前にとトイレに行ったんです。外で男の子の「怖い!!」と言う声が
しました。私が出ると、待っていた小さな男の子が、私を見上げて訴えます。
「僕ね、怖くて泣きそうだったの…」「何故?」お母さんが答えました「梅津さん
が通られたんです」梅津さんって、そんなに怖い人? 其処には友人と話して
いる梅津さんが居ました。白塗りで黒い服… なるほど子供の目には怖かった
んだろうと笑い出しました。
去り、民主から送り込まれた田中氏が勝った。
私もつくづ日本人だな~」と思った。アレだけ引き摺り下ろしたいと思って
いた公明党の人が、深々と頭を下げ、その敗戦の弁を聞くと、「気の毒に」
と思ってしまう、判官びいきの気持ちが台頭してくる、何もあんなに敵視し
なくても良かったのではないか?と…。
田中さ~ん! 貴方は言われました「仕えられるのではなく、皆さんに仕える
為に邁進したい」その言葉に希望を持ち、期待もして居ます。お手並み拝見
させていただきます。
夢の競演
麿赤児(右:舞踏家)さんと梅津和時(サックス・クラリネット奏者)さん
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/11/d2adb92af48448093e0d0d109791d724.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/a8/2dd387d3b42937f9db90a36e9d3f0d23.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/a7/987520793428abd04c2734915b0e324a.jpg)
8月29日(土)四条畷の「えにし庵」で「夢の競演 メソポタミアンドリームⅣ
麿赤児と梅津和時の競演」のお誘いを受けて、友人と行ってきました。野外
劇場と言うのは初めてですし、麿さん梅津さんも初めてです。私に理解でき
るのかな~と言う不安もありましたが、一度は見てみたいと思っていました
ので、良い機会だと参加を決めました。
まず「四条畷」と言う土地に降り立つのも初めてです。なんだか昔の家並みを
彷彿とさせてくれる懐かしい町でした。小高い山に向かって、緩やかな坂を上
ります。わが町ではとんと聞こえなくなった蝉の声が聞こえます。
突然、思いもかけない風変わりな大邸宅が現れました。塀の中には3棟の様
式の異なった大きな建物が、我を競うように並んでいます。一番驚いたのは
右端の日本家屋風の建物の大屋根に「金の鯱」が乗っています。それだけで
はありません、手前の門の屋根にももう1対の鯱が乗っていました。一軒の
家に2対の鯱です。これが驚かないで居られますか名古屋城の鯱でさえ1対
のみです。
どんな方が住んでおられるのでしょうか? 帰ってネットで探してみましたが、
私の探し方が不味いのか出てきません。と言う事は普通のお家なんでしょう
か?惜しい事をした写真を撮ってくれば良かったと思いましたが、後の祭り
です。
山の迫った辺りに「えにし庵」はありました。この山は「飯盛山」と言うらしい。
「飯盛山?」何か聞き覚えがある…、記憶にあるのは白虎隊で有名な飯盛
山でした。「飯盛山」は他にもあるらしく、この山は「河内飯盛山」と言うらし
いです。
プレイベントは14時からあるようでしたが、体力的にきついのでメインイベ
ントのみ参加に決めておりました。5時には着きましたが、なんだか(事情説
明はマイクでありましたが、マイクのとおりが悪くて聞こえませんでした)遅れ
ているようでした。
舞台と後が「飯盛山」です 子ども達も珍しいのでしょう「篝火」を見つめています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/1c/625c97f41adaf7723919648f9eb97775.jpg)
会場の舞台は、少し小高くなった所です。屏風が正面にありました。其処から
少しずつ傾斜が付いているようです。舞台から見物席の終わりまで船の先端の
ような形に竹を低く組み合わせてありました。その上をこれも竹が渡してあっ
て水が流れておりました。何のため?と思っていたのですが、女の子がビニー
ル袋にいっぱいの花びらを持っているのを見ると、どうも花びらを流していた
ようです。
実際に流れているのを見たわけではありませんが、私は帰り道、自分の頭の
中で描いておりました。
予定通り始まる前に軽く何か食べておこうと言う事で、友人は「カレー」を私は
「焼き蕎麦」とお茶を買って済ませました。
まだまだ夏なんですね、曇り空なんですが、中々暗くなりません。その内両脇
に篝火がたかれました。その炎を見ながら「あ~、何年ぶりだろう、直に炎を
見るのわ?」時々爆ぜた小さな火の子(消えていますが)が飛んできたりしま
す。飽きる事無く見つめていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/99/4be92f3964b396153e792ab24d4398c1.jpg)
6時ごろカバンを持ったおじ様が舞台に上ってこられました。そしてカバンを
開けて、楽器を取り出し組み立てて並べました。徐にその中の一本を口にあ
て、吹き始めました。その人が梅津さんでした。
その曲は私の良く知っている曲なんですが、どうしても思い出せません。隣の
友人に「この曲の名前なんだった?」「リンゴの歌」なるほどそうなんです。でも
とてもスローテンポで音が低い(アルト・サックスだものね~)ので、解りません
でした。
梅津さんは先日亡くなった忌野清志郎と自分のバンド・ドクトル梅津バンドと
共演アルバムを出されていて、著作もあるようです。10年ほど前に出された
「いつだっていいかげん」と言うエッセイ集だそうです。
サックスに替えクラリネットに替えと長く演奏をしていました。私には良く解ら
ないのですが、あの指先の速い事とよく息が続くな~と感心しながら見ており
ました。
暫く後に、顔と手を歌舞伎の様に白塗りし、真っ黒な衣装の人が出てまいりま
した。麿さんです。此処から共演が始まりました。麿さんが動きに無いときは
手首からだらりと掌を下げているポーズがこの人のポーズだそうですが、私は
原爆記念館で見た、被爆者が体液が垂れるのを防ぐ為にこれと同じ手つきを
していたな~と思い出しました。
麿さんは息子さんも同業者のようです。麿さんはNHKの「篤姫」にもチョイ出
しておられたそうですが、知りませんでした。スローテンポな踊りが意味する
ものが私には解りませんでしたが、動きが美しい事だけは解りました。それと
なんともいえない魔力があり、何となく又見たいかな~と言う気がしました。
奏と舞どちらが先に出来たのでしょうか? 舞のビデオを見て曲をつけたのか、
奏を聴いて舞をつけたのか? それとも両方即興?
前方からクラリネット・サックスの音色、後方から秋の虫のバックコーラスです。
なんともいえない感じでした。これが野外劇場の良さなんでしょうか?
会が終わって帰る頃には、虫の声は大きくなりました。「これからは私達の出
番よ!」といわんばかりに… 虫達は知っていたのでしょうか? 梅津さんの
奏を盛り上げている事を…。
☆ こぼれ話
始まる前にとトイレに行ったんです。外で男の子の「怖い!!」と言う声が
しました。私が出ると、待っていた小さな男の子が、私を見上げて訴えます。
「僕ね、怖くて泣きそうだったの…」「何故?」お母さんが答えました「梅津さん
が通られたんです」梅津さんって、そんなに怖い人? 其処には友人と話して
いる梅津さんが居ました。白塗りで黒い服… なるほど子供の目には怖かった
んだろうと笑い出しました。