ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

夢の競演 麿赤児と梅津和時

2009年08月31日 | 一寸そこまで
大型台風が通過した。予想通りの民主党の大勝…。わが尼崎でも公明が
去り、民主から送り込まれた田中氏が勝った。

私もつくづ日本人だな~」と思った。アレだけ引き摺り下ろしたいと思って
いた公明党の人が、深々と頭を下げ、その敗戦の弁を聞くと、「気の毒に」
と思ってしまう、判官びいきの気持ちが台頭してくる、何もあんなに敵視し
なくても良かったのではないか?と…。

田中さ~ん! 貴方は言われました「仕えられるのではなく、皆さんに仕える
為に邁進したい」その言葉に希望を持ち、期待もして居ます。お手並み拝見
させていただきます。



                     夢の競演   
     麿赤児(右:舞踏家)さんと梅津和時(サックス・クラリネット奏者)さん
   
   
   


8月29日(土)四条畷の「えにし庵」で「夢の競演 メソポタミアンドリームⅣ 
麿赤児と梅津和時の競演」のお誘いを受けて、友人と行ってきました。野外
劇場と言うのは初めてですし、麿さん梅津さんも初めてです。私に理解でき
るのかな~と言う不安もありましたが、一度は見てみたいと思っていました
ので、良い機会だと参加を決めました。
 
まず「四条畷」と言う土地に降り立つのも初めてです。なんだか昔の家並みを
彷彿とさせてくれる懐かしい町でした。小高い山に向かって、緩やかな坂を上
ります。わが町ではとんと聞こえなくなった蝉の声が聞こえます。

突然、思いもかけない風変わりな大邸宅が現れました。塀の中には3棟の様
式の異なった大きな建物が、我を競うように並んでいます。一番驚いたのは
右端の日本家屋風の建物の大屋根に「金の鯱」が乗っています。それだけで
はありません、手前の門の屋根にももう1対の鯱が乗っていました。一軒の
家に2対の鯱です。これが驚かないで居られますか名古屋城の鯱でさえ1対
のみです。

どんな方が住んでおられるのでしょうか? 帰ってネットで探してみましたが、
私の探し方が不味いのか出てきません。と言う事は普通のお家なんでしょう
か?惜しい事をした写真を撮ってくれば良かったと思いましたが、後の祭り
です。

山の迫った辺りに「えにし庵」はありました。この山は「飯盛山」と言うらしい。
「飯盛山?」何か聞き覚えがある…、記憶にあるのは白虎隊で有名な飯盛
山でした。「飯盛山」は他にもあるらしく、この山は「河内飯盛山」と言うらし
いです。

プレイベントは14時からあるようでしたが、体力的にきついのでメインイベ
ントのみ参加に決めておりました。5時には着きましたが、なんだか(事情説
明はマイクでありましたが、マイクのとおりが悪くて聞こえませんでした)遅れ
ているようでした。

 舞台と後が「飯盛山」です  子ども達も珍しいのでしょう「篝火」を見つめています


会場の舞台は、少し小高くなった所です。屏風が正面にありました。其処から
少しずつ傾斜が付いているようです。舞台から見物席の終わりまで船の先端の
ような形に竹を低く組み合わせてありました。その上をこれも竹が渡してあっ
て水が流れておりました。何のため?と思っていたのですが、女の子がビニー
ル袋にいっぱいの花びらを持っているのを見ると、どうも花びらを流していた
ようです。

実際に流れているのを見たわけではありませんが、私は帰り道、自分の頭の
中で描いておりました。

予定通り始まる前に軽く何か食べておこうと言う事で、友人は「カレー」を私は
「焼き蕎麦」とお茶を買って済ませました。

まだまだ夏なんですね、曇り空なんですが、中々暗くなりません。その内両脇
に篝火がたかれました。その炎を見ながら「あ~、何年ぶりだろう、直に炎を
見るのわ?」時々爆ぜた小さな火の子(消えていますが)が飛んできたりしま
す。飽きる事無く見つめていました。



6時ごろカバンを持ったおじ様が舞台に上ってこられました。そしてカバンを
開けて、楽器を取り出し組み立てて並べました。徐にその中の一本を口にあ
て、吹き始めました。その人が梅津さんでした。

その曲は私の良く知っている曲なんですが、どうしても思い出せません。隣の
友人に「この曲の名前なんだった?」「リンゴの歌」なるほどそうなんです。でも
とてもスローテンポで音が低い(アルト・サックスだものね~)ので、解りません
でした。

梅津さんは先日亡くなった忌野清志郎と自分のバンド・ドクトル梅津バンドと
共演アルバムを出されていて、著作もあるようです。10年ほど前に出された
「いつだっていいかげん」と言うエッセイ集だそうです。

サックスに替えクラリネットに替えと長く演奏をしていました。私には良く解ら
ないのですが、あの指先の速い事とよく息が続くな~と感心しながら見ており
ました。

暫く後に、顔と手を歌舞伎の様に白塗りし、真っ黒な衣装の人が出てまいりま
した。麿さんです。此処から共演が始まりました。麿さんが動きに無いときは
手首からだらりと掌を下げているポーズがこの人のポーズだそうですが、私は
原爆記念館で見た、被爆者が体液が垂れるのを防ぐ為にこれと同じ手つきを
していたな~と思い出しました。

麿さんは息子さんも同業者のようです。麿さんはNHKの「篤姫」にもチョイ出
しておられたそうですが、知りませんでした。スローテンポな踊りが意味する
ものが私には解りませんでしたが、動きが美しい事だけは解りました。それと
なんともいえない魔力があり、何となく又見たいかな~と言う気がしました。

奏と舞どちらが先に出来たのでしょうか? 舞のビデオを見て曲をつけたのか、
奏を聴いて舞をつけたのか? それとも両方即興?  

前方からクラリネット・サックスの音色、後方から秋の虫のバックコーラスです。
なんともいえない感じでした。これが野外劇場の良さなんでしょうか?

会が終わって帰る頃には、虫の声は大きくなりました。「これからは私達の出
番よ!」といわんばかりに… 虫達は知っていたのでしょうか? 梅津さんの
奏を盛り上げている事を…。

☆ こぼれ話
  始まる前にとトイレに行ったんです。外で男の子の「怖い!!」と言う声が
しました。私が出ると、待っていた小さな男の子が、私を見上げて訴えます。
「僕ね、怖くて泣きそうだったの…」「何故?」お母さんが答えました「梅津さん
が通られたんです」梅津さんって、そんなに怖い人? 其処には友人と話して
いる梅津さんが居ました。白塗りで黒い服… なるほど子供の目には怖かった
んだろうと笑い出しました。

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遍路 (46回)

2009年08月30日 | 思い出話
       平成14年11月5日 (火) 訪れる寺無し


        距離:27K   ふるさと旅館  ~  高橋旅館   (2)

柿の収穫の時期でした。柿の選別をしていました。あまりに大きな柿だったも
のですから「わぁ~大きな柿ですね!」と思わず声を掛けてしまいました。おば
さんは「渋抜きをするんです」と言いながら私の掌程もある大きな柿をください
ました。「筆柿」という種類だそうで縦長の柿でした。関西では、柿と言えば平
たいものですから、縦長の「筆柿」が木になっているのは初めて見ました。





暫く行くと、石垣の上から「お遍路さ~ん一寸待って」と言うおじいさんの声が
しました。急いで家から出てこられたおじいさんの手には、これまた掌より大
きな(形は関西の形)柿を持ってきて、石垣の上から手渡してくださいました。
これも又美味しい柿でした。
              道路脇の見事に紅葉した銀杏の木


おじいさんの家の前は鈴なりのキーウイの木が2本、キーウイはオスとメスを
植えないと実がならないと聞いていましたが、2本とも鈴なりの実をつけてい
ました。何故? オスの木も実をつけるの? それともオスの木はひっそりと
寄り添っていたのでしょうか? デモね、ニュージーランドでは道端の一本の
木にも、実は鈴なりになっていましたよ。メスオス揃わないと実をつけないの
か、メスだけでも実をつけるのか、真実はどちら?




門松に使う松を揃えて束ねている人を見つけました。私には始めての光景
です。出来上がった門松は九州方面に出荷されるそうです。もとはご主人と
二人でしていた仕事ですが、ご主人が腰を痛められた為に1人でして居るそ
うです。舅が96歳でまだ居るので…こんな言い方をしてはいけないけれど、
働きに出られないのよ。だからこうして内職しているの。地方ではまだまだ、
舅・姑の世話を優先してしている人が居るんですね。一生懸命家計を助けて
働いて、その上、老いた親まで世話しておられる…。

子守をしているおばあさんも良く見かけます。都会ではもうあまり見ない光景
ですね。三世代で暮らしている子供は幸せだと思います。中間の親世代は大
変かも知れませんが、子供達にとっては色んな形の愛情の中で大きくなるの
は幸せなことだと思います。私自身もそうでしたし、私の子供達もそうでした。


                    千人宿記念大師堂

     お部屋の中です   右奥のとの中にはお布団が入っていました


千人宿記念大師堂がありましたので休ませていただく事にしました。頂いた
柿とカロリーメートでお腹を満たしました。陽だまりにそよ風…主人は良い気
持ちで眠ってしまいました。少し休めば疲れも取れます。寝るには涼しすぎる
と、障子閉めようとしたとき、後発の小林夫妻が追いついてこられました。一
つ手前の「お遍路休憩所」で休んでこられた、そこで「ナシ」の接待を頂かれ、
美味しかったといっておられました。そういえば、道の片側は季節はずれで人
気は無かったのですが梨園になっていました。ご夫妻は上らずに縁側で少しお
話しをして、先に行かれました。

部屋の中には「ボケない五ヶ条」「積もり違い十ヵ条」の言葉が壁にかかって
おりました。本当に戒めたい言葉だと思いました。「積もり十ヵ条」は心して
生きて行きたい『戒め」です。難しい事ですけれどね。



       私ボケない? 全て当てはまっていると思うのですが…
      
                              (1160回)

 
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遍路  (45回)

2009年08月29日 | 思い出話
         平成14年11月5日 (火)   内子町


      距離:27K   ふるさと旅館  ~  高橋旅館  (2)


                    内子町の街並み
饅頭屋 朝が早くて締まっていた             和ろうそく屋

  下宿北野?                    「酢卵」を売る店…何やさん?



       八日市護国町の街並み  此処は元は遍路道であった



「和ろうそく」で儲けたお家は、外壁にもお金を掛けています。大工さん左官
さんの色々と手間の込んだ細工が施されています。金に糸目をつけなかっ
たであろう仕事に、大工・左官さんの腕がなったでしょうね。

私が是非行ってみたいと思っている場所があります。伊豆の松崎です。鏝絵
の名人『入江長八」の漆喰で書かれた絵が見たいのです。此処のナマコ壁だ
けでも美しいと思いますが、左官さんが自分の技術を駆使して絵を書いてみ
たいと思った気持ちは解らないでも在りません。

☆ 今年の4月に念願かなって、伊豆・松崎に「コテ絵」を見に行って来ました。私が
想像していたものとは全然違いました。私はなめこ壁から想像して荒削りな絵だと思
っておりました、が本物は繊細でした。細工が細かいのでと会館が「虫眼鏡」を貸して
くれるほどでした。「百聞は一見にしかず」とはまさにこの事だと思いました。

              伊豆・松崎の「長八さんの鏝絵」




               『和ろうそく』で財を成した家




この芸術品とも言うべき壁を見ながら、私達はおにぎりを立ち食いしました。
口に運ぶ食べ物は貧しくとも、目にはたっぷりのご馳走でした。

開店間もない店先から私達を呼び入れてくださいました。「暑いお茶をお接待
します」ご主人が丁寧に要れてくださったお茶はとても美味しかったです。奥様
が出してくださった『お漬物」のお茶請けも絶品でした。思わず2杯目を所望し
てしまいました。お茶請けは「黒砂糖」に変わっていました。関西からと言う事
で「阪神淡路大震災」の話しが中心でした。

国道379号線を進みました。歩道に地元の小学生、中学生の交通安全の
標語が間隔を置いて掛かっていました。其々なるほどと思いましたが、私は
          「走らない 僕も 急にはとまれない」
が好きでした。小学4年生だったと思います。

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幻想曲

2009年08月28日 | 今日この頃
     風船カズラ    尼崎・ウッディ・スポーツセンター (09-7-23)




去年のブログによれば去年の今日「ハリー・ポッター」の本を買ったようです。
1年が過ぎてもまだ読めていません。映画も今上映中ですが、まだ見に行っ
ていません。夏休み前からしていますから、早く行かないと終わってしまいそ
う。

今日は唱歌の学校でした。1月にシンフォニーで歌う歌はベートーベンの「幻
想曲」と言う題名のようです。早速今日からお稽古が始まりました。

それがね~、困った事に「音符読み」だったんですよ。私「音符」読めないん
ですよ。困ったな~と思っていましたら「ラララ」とメドレーだけになったんです
よ。ほっとしましたよ。いざとなればカナウチしようと思ったんですよ。私だっ
て2~3段の違いなら読めるんです。でも突然上ったり下がったりすると考え
ている内に先に進んでいくので、付いていけないんです。

CDも聞かせていただきました。「うわ~こんなん歌うんだわ…」と嬉しくな
りました。本当にこの歌を土台にして「第九」が出来たそうですが、良く似た
旋律です。頑張らなくっちゃね。

こんなに歌が好きなのに、そしてコーラス歴は30年以上あるのに、読めない
んですよ。私ね、入部する時「私楽譜が読めないのですが、良いでしょうか?
」と聞いてから入る事にしているんですよ。だから唱歌の学校に入るときも、
お電話で聞いていると思います。何故なんでしょうね。とんと「楽譜」を読み
たいと言う気にならないんです。私の中では「歌は耳で覚える」と思っている
ようです。

私は演歌が好きなんですよね。演歌はフィーリングですよね。耳で覚えて、自
分で感情込めて歌うんですよね。それも、ど演歌が好きなんです。美空ひばり
は勿論の事、石川さゆり、都はるみ、森昌子が好きなんですよ。でもレコード
を買うほどのファンでもないのです。好きな歌を覚えて歌えればそれで良いと
言うだけなんです。覚えるのはもっぱらラジオです。

でも最近は歌わなくなりましたね。鼻歌も歌いませんね。唱歌の学校に行って
なかったら、歌と縁が切れているかも知れませんね。

お盆の頃NHKで「思い出のメロディー」と言う番組で懐かしい過ってヒットした
歌の人が登場します。「あ~おげんきだ~、懐かしい!」って見るのですよ。

今年の分も録画しておきました。長時間ですから、時間のあるときに少しずつ
見ています。今日は二葉百合子の「岸壁の母」には感心しました。元浪曲師で
すから台詞もバッチリですし、声の伸びも安心して聞けました。元々この人も
好きな歌手だったんです。時々聞いているのが辛くなるような方が出てこられ
る事がありますが、全盛を知っているだけに「でないで!」と思う事もあります。

その反面、秋川雅史さんが美空ひばりの「津軽のふるさと」を朗々と歌われま
したね。楽譜には正確なんでしょうが、情感がありません。歌の内容は、ふる
さとを思って歌うものだと思うのですよ。それなのにあんなに朗々と歌われて
は歌の雰囲気に合いません。秋川ファンには叱られるかも知れませんが歌っ
て欲しくないです。

天童よしみがひばりの「川の流れのように」を歌っていましたが、さすが演歌
歌手だけあって情感たっぷりです。餅屋は餅屋、演歌は演歌歌手に任せて
欲しいです。



        ペラルゴニューム    神戸・北野工房 (09-7-7)
   こんな色は初めて見ました 真っ盛りの時はもっと奇麗だったでしょうね~


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となりの芝生の川柳 (9回目)

2009年08月27日 | テレビから
     ルエリア     尼崎・スポーツセンター・ウッディ (09-8-25)




この3日間クーラーは勿論扇風機も要らない日々でした。今夜は少しムシム
シしますから、軽~く扇風機を回しています。

今日も立花は静かな日でしたよ。「民主党」も「共産党」も選挙カーは来ませ
んよ。(もしかすれば、私の留守中に来ていたかな?と今日は昼まで庭掃除
をしていた主人に聞こうとしましたら、グーグー寝ておりました。そのくせ目覚
めると『夜寝られない』と連呼するのです)共産党の選挙カーは武庫之荘を走
って連呼しているのを聞きましたが、「民主党」はまだ一度も見ても、聞いて
もおりません。昨日塚口の方に鳩山さんが来られたようですが、どのぐらいの
人が集まったのでしょうかね~。


「インド・ムービーダンス」も5回目ともなると、無我夢中のときと違い「難しい
…」と感じるようになりました。其処を通り抜けると、昨日の「フラダンス」の
ように、出来ないなりに、楽しくなってくるようです。今週も、3日連続ウッディ
に行きました。

その所為でしょうか、またまた眠り病のようです。朝5時過ぎには起きて働き
?始めていますから、無理も無いかな~と思っています。12時頃寝ますから
5時間は寝ているのですが、私には5時間では足りないのでしょうね。昼食後
の1時間の昼寝と、夕食後の1時間と寝てしまいます。「寝溜め」は出来ない
と聞いていますが、「おばあさんと昼ね」は昔も今も付きもののようです。


            となりの芝生の川柳

     嫁の句   しゅうとめの歯ブラシ使い風呂そうじ


     姑の句   角(つの)かくしとった嫁にも今は角

今日の句は文句なしに笑いましたよ。風呂場の大きさと小さな歯ブラシが
結びつかなくて、風呂場の何処を洗ったのかしら?と主人と大笑いしました。
笑いすぎて書き留められなくて何度もテープを巻き戻しましたよ。

私も「角隠し組」ですが、ドレスの方はどうなります?始から隠してないです
よ。ベールに隠しているのでしょうか?

あ~面白かった!!



     ブーゲンビレア     西宮・唱歌の学校 (09-8-21)



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年寄りはだまっとれ!?

2009年08月26日 | 読みました

          花オクラ  この花そのままで食べられるんですが 
 さっと湯がくとねっとりして私は苦手です 15㎝前後の大きな花を見て楽しむだけ 





ウッディに向かって歩いていました。丁度半分ぐらい来た時、後から来た自
転車が横に止まりました。「??」と見ると、お名前は知らないのですが、ウ
ッディでご一緒の方です。私は図書館に寄るつもりでしたから、早めに家を
出ております。9時頃だと思います。

「お買い物ですか?」と聞きますと「ウッディに行くのよ」「こんなに早くですか
?」「家はね、6人家族なのよ。気兼ねだし、ウッディは涼しいし、友達も居
るし、今から行って開くのを待つのよ。荷物運んだげるよ」と後の籠を示さ
れます。「有難うございます。私は図書館に寄ってから行きますし、返す本
も入っていますし…」「遠慮せんでも良いよ」ってなおも言われます。2.3回
の押し問答の末「じゃ~、先に行きますからね、遠慮せんでも良いのに~」
と先に行かれました。

その人がお弁当を持ってこられて、午後も居られる事は知っておりましたが、
大方の方が言われるように「家に居てもする事が無いから、来ている」と言
う理由だと思っていました。

家に居るのが気兼ねだからと言う方もある事を始めて知りました。主人が言
いますには男の方も奥さんが出て行って欲しそうなので、時間つぶしにと言
う人も居るそうです。なんだか侘しい話しですが、大体の方は少しでも身体
を動かして、人に迷惑を掛けないで生きて行きたいと思っておられます。

私もそうですが、老いて自由が利かなくなるのは避けられないにしても、少
しでも先延ばししたい気持ちなのです。


              ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


        年寄りはだまっとれ!?     米谷ふみ子

この題名を見た時ムカッとしました。「何!!」ってもんです。作者名を見て、
又驚きました。女性だったからです。

米谷さんはいわゆる「芥川作家」なんです。何時も言っていますが「芥川作
家」の読み物は私は苦手なんです。だから米谷さんのものを読むのはこれ
が初めてです。

題目と内容には温度差があるように感じました。戦時中は、女が何かを言う
としても「女はだまっとれ!」と言う時代でした。その言葉をもじったものでし
ょう。

米谷さんは「誰に何と言われても、決してだまらない」と言う方だそうで、その
気持ちで綴られたエッセイのようです。アメリカ国籍の旦那様(作家)と息子
さんが2人でアメリカ在住で、遠く離れて日本を見ているとあぶなっかしくて、
はらはらするのだそうです。

アメリカ事情に書かれている事は、私は何も知りませんから、なんとも言えま
せんが、日本の戦後処理については、例えば「慰安婦問題」や他の問題にし
ても、私の感覚とはずれがあります。読むのを止めようかな~と思ったのです
が、おそらく米谷さんの本をこれから読む事は無いだろう、だから、自分と異
なった意見の人の本だからこそ、読み切ろうと言う思いで読みました。

米谷さんは私より5歳年上ですから、終戦当時16歳、私は11歳でした。こ
の年頃のこの差は大きいと思います。しかし、戦争についての考えは年の差
ではなくて、私は私なりに、人の意見を聞いたり、テレビで知ったりと、今の思
いになっていると思うのです。だから米谷さんの考えを受け入れる事が出来な
いのです。

私のこの本に対する感想は「米谷さんは『誰が何と言おうと、決してだまらな
い』方なんだろうな~」と言うものでした。




  右上の塊が花芽で 中央から上に伸びて 一つずつの蕾に分かれて咲きます
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あと5日で 決められるかな~候補者!

2009年08月25日 | 今日この頃
              サルビア    街角で (09-7-1)





空が高く、雲がくっきりともう秋の空のようです。ウッディーまで30分歩いても、
先週のようには汗をかかなくなりました。先週まではシャツ、ブラウス、日よけ
上着の背中までぐっしょりでした。今日はブラウスまで済みました。

今、選挙の真っ只中でしたよね。と言うほど、私の住む立花地区は静かなん
です。あと4日しかないんですよね。でも私が耳にしたのは「公明党」の選挙
カーが2度と「幸福実現党」が今日一度だけなんです。

来たら来たで『五月蝿いな~』と思うのですが、こなければこないで「なんで~」
と思います。もしかして、此処は「公明党」のテリトリーなんでしょうか?

昨夜は息子の高校の同級生だと言う人から電話がありました。まだ帰宅して
いなかったものですから私がお相手したのですが、「公明党が苦戦している
ので如何か宜しく」と言う電話でした。

よりによって私に「公明党」の話をして!!と思ったのですが、私も選挙の電
話を掛けた事があります。お相手が何方の支持者かはわかりません。応援
する為に自分の知人を紹介し、それを元に作られた名簿を見てお電話掛け
るのですから、当然見当外れの事があります。

大概の方は、今の私の様に、心は違っても「ハイハイ、ご苦労様」で終わり
ます。でも中にはえらい剣幕で怒鳴られる事があります。怒鳴り返せれば良
いのですが、候補者の事を考えるとそれは出来ません。唯ぐっと堪えるより
仕方が無いのです。

その事を思い出せばあまりにそっけなくも出来ません。「ハイハイ、そのよう
に伝えておきます」と答えれば、「他からも掛かってきましたか?」と聞きま
すので「いいえ」と答えますと、向こうも「こりゃいける」と思うのか「お母さん
(私)もお父さんも宜しくお願いします」と言います。

帰宅した息子に「XXさんって知ってる?『公明の人宜しく』って電話あった
よ」と伝えますと「知らんで~、忘れたわ」それくらいの同期生のようです。
これも同窓会名簿の尼崎在住者にしらみつぶしに掛けているのでしょうね。

今日、県会議員のいなむらかずみさんから「県政報告」が送られてきました。
兵庫県政なんていいますと、遠い遠いお話しです。でもこうして年に何度か
優しい言葉で書かれた報告書を読ませていただきますと、何となく解ってき
てありがたい事だと喜んでおります。

今日の封書には「2009衆議院選挙マニフェスト比較票 -政党別政策丸
わかりガイドーと言う1枚が付いてきました。

これはいなむらかずみさんの元で活動しているインターン生が作られたも
のです。主要政党と兵庫8区(尼崎選挙区)に候補者の居る政党だけです。

おまけに「用語解説」付きと言う至れりつくせりのものです。私も喜んでいま
すし、インターン生の方も良いお勉強になったのではないでしょうか。インタ
ーン生の中から、信念を持って政治に取り組もうと言う人が出てくだされば
良いな~と思っています。

迷いに迷っている今回の選挙、参考にさせていただきたいと思っております。



     カンナ      尼崎・スポーツセンター・ウッディー  (09-7-1)


                   街角で   (09-7-3)
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となりの芝生の川柳 (8回目)

2009年08月24日 | テレビから
 「ルコウソウ」  5角形って珍しいですね  桔梗は蕾の時やはり5角形ですが

                  2㎝ほどの小さな花です

        去年のこぼれ種で咲きました  葉の形も好きなんです
   


昨日今日と、家の中に居れば凌ぎ易いですね。

昨日はお寺に「施餓鬼法要」行きました。時々陰ってくれるので助かりました。
お盆の13日に行ったばかりですから、花も半ば枯れている状態でした。今日
は家で育てた「虎の尾」と「ミソハギ」に彩を添えるために黄色の小菊を少し
買って行きました。お盆の花からは「槙」だけを残しました。

今年からお寺さんも「年間維持費」と言う名目で3千円納める事になりました。
私達のように「月参り」をお願いしていない檀家さんは5千円でしたかしら…。

大きな楠がありますから落ち葉が多く、行くとまず箒で周りを掃除するのが
常でした。「維持費」はそのお掃除をする費用に使われると言う事で、何時
行っても箒の目が通っていて気持ちが良いです。だから墓石を磨くだけで良
いのです。

お隣のお墓にこられた男性が、始めてらしく、花のパラフィン紙を外して花
立に入れるべきかどうか、周りをキョロキョロ見回して、紙を取り花立に入
れました。今度は線香を1本立てましたが、我家の線香の束を見て、又数
本の線香に火をつけました。

私が主人に「奥さん亡くなったのかしらね?」と言いました。「病気かも知れ
へんで~」「ボケてるとか…」と答えました。寝たきりの人を世話した経験の
ある私から言わせれば、そんな時はよっぽどの信心家で無い限りお墓にま
で手が廻らないものです。我家でも、月参りは来て頂きますし、家の仏壇か
らはお参りしますが、お墓参りはパスしていたように思います。

帰りのバス停で主人とお寺の話をしておりましたから、お参りに行った人だと
解ったのでしょう、女の方が話しかけてこられました。

「私は主人も居ないし子どもの居ない一人身なんです。兄が『葬式は息子(甥)
にさせるから、お寺さんにどんな形でするか、費用はいくらかなど聞いて書い
ておけ、その費用もちゃんと用意しておけ』って言うのです」「そりゃちゃんと
決めて、費用も用意しておけば、任せられた方も安心なさいますよね」と返事
しましたら「でもね~、兄の世話になるなんて考えても居なかったんです」と
大きな溜め息をつかれました。

如何して見ず知らずの私にこんな話をされるんだろうと思いました。お寺で
亡き人の供養をしてきたので、我が身の事に思いが至り、その事を誰かに
聞いてもらいたくなったのでしょうか。

実は私も読経を聞きながら。知人が言った言葉を思い出しておりました。や
はり独り身の方で、お電話で「今、葬式の計算もし、お金の用意もして弟に
全てを頼む事にしたの、呼ぶ人の名簿も作ったし、貴女も入っているから、
知らせがあったら葬式に出てね」と…。

死んでしまえば自分では何も出来ませんものね。早い内からの用意が良い
のかもしれません。

               となりの芝生の川柳

   姑の句  台所誰が渡すか未熟者


   嫁の句   姑にこげたおかずを裏返し

今週の句もあまりに直接的で、皮肉に隠されたユーモアも感じられないので、
あまり好きではありません。




             「ルドベキア」の一種だと思うのですが…

             今年は伸び伸びと3mはあると思います
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遍路  (44回)

2009年08月23日 | 雑誌から
      平成14年11月5日(火)   訪れるお寺無し


            距離:27K  ふるさと旅館 ~ 高橋旅館


11月5日 08:52  かずよ  (送)

三連休が済んで、主婦はほ~っとするわね。昨日はアラレ混じりで大変だっ
たけれど、今日は大丈夫です。


12:26  ひろあき  (受)
変わりありませんよ。こっちもとても寒いです。

17:24  ひろあき  (送)
歩くと汗だくです。道行く人はジャンパー、私達はシャツ1枚、朝は寒いので
合羽を着ています。明日の宿が取れなくて大慌てでした。大幅予定変更です。
8日朝神戸着は変わりません。


18:21  かずよ  (受)
天気は天気ですが寒いです。昨日は風がきつくって、今日は風がましな分寒
さはましです。休み明けで忙しいかなと思ったけど、意外と暇やったから良か
った。
19:30  ふじいさん  (送)
今日は良い天気でした。「内子座」「内子護国町並み」行った?行って来ました
よ。昔の遍路道だったよ。そこで熱くて濃いお茶と黒砂糖、たくあんのお接待、
ありがたかったです。


19:36  ふじいさん  (受)
内子座?知らなかった。やっぱりツアーはあかんな~。よかったな。普段の行
いが違うかな?良いお参りが出来ましたね。明日も良い日でありますように。

23:23  かわしまさん  (受)
おつかれさまです~。お遍路さん順調に達成中でいらっしゃる事でしょう。今日
は白井さん(尼崎市長選挙の真っ只中でした)のお話がありました。わざわざ
リクルート社をお休み(有給)してこられている親友の弟さん(今読み返してみれ
ば、この度尼崎市市会議員に当選された『たかはま黄太』さんの事のようです)
、と言う
とても感じの良い方と一緒に益々パワフルに頑張っておられま~す。風が冷
たい日々ですが、明日も素的な「歩」日でありますように。


☆ 丁度この時期、現役市長と白井文さんの一騎打ちの尼崎市長選挙戦のまっ最中で
   した。私も白井文さんを応援していました。遍路中、お大師さんに「どうか白井さん
   の努力が報われますように」と祈っておりました。


国道56号線を内子町目指して進みました。「内子座」や「内子町保存家並み」
は本通りより入った所にあると聞いていました。警察署が目に付いたので、ト
イレ休憩と道を尋ねる事にしました。お茶のお接待と地図もあったので説明を
受けました。

本通りを少し入った所で、男の子がキャッチボールをしていました。子供達が
集団登校するために集まっている感じでした。しかし男の子ばかりで女の子が
居ませんでした。この辺りは女の子が生まれないのかしらと変に思いつつ歩い
ていきました。

内子座に着きました。そこで謎が解けました。其処には女の子ばかりいたので
す。そうなんです。男の子と女の子の集合場所が分かれているようでした。女
の子は内子座前が集合場所だったのです。  

9時から300円出せば中も見せてもらえるらしいのですが、時間が早くて
入れませんでした。隙間からのぞいただけでした。前に張られている、ポス
ターに寄れば、此処は今でも「歌謡ショー」などを中心に使われているよう
です。


                      内子座


         上:昔の出し物看板   下:現代の出し物の看板(

        木戸口:お金を払って入る入り口(料金の事を木戸銭と言った)


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遍路  (43回)

2009年08月22日 | 思い出話
     平成14年11月4日  (月)  訪れる寺無し



     距離:25K  富士廼屋旅館 ~ 十夜ヶ橋 ~ ふるさと旅館


11月4日 08:06  ふじいさん  (送)
昨日は早く着き、食事前に寝た為に夜眠れなくなり困りました。4時頃大きな
アラレが降って驚きました。


08:18  ふじいさん  (受)
ほんまに寒いな~此処も夜中から明け方に掛けて風が怖かったよ。だけど
今朝は天高く奇麗な空、快晴です。今日も頑張りましょう。


10:00  ふじいさん  (送)
6時前から9時まで雨又はアラレ、アラレをサクサク踏みしめながら歩き、ト
ンネルを越えたら快晴。しかし突風が吹き、目方の軽い私はフラフラです。
もう少し目方が欲しいと思った瞬間です。4時間歩いてモーニングしています。


10:32  ふじいさん  (受)
可哀そうに体重重い?軽い?帰ったら お し え て ね

17:09  ふじいさん  (送)
主人と私10K違うらしい。その所為か私だけよろける。明後日やっと大宝寺。
今日お茶している時地震だったよ。アラレに急かされて、時速4Kで歩いた
らしく、早く着きすぎて時間調整しました。


17:16  ふじいさん  (受)
お疲れ様。地震又あちこち怖いね。お食事温かいとご馳走だよな。私はシ
チューです。大阪もメチャ寒いよ~。


18:50  ひろあき  (送)
変わりありませか?今日午前中はアラレ交じりの雨でした。今年初めて、自
分の吐く息が白く見えました。明日は大江健三郎さんの生まれた家の前を通
る予定です。


            川を挟んだ向こう岸の土手に伸びる影法師



朝、パラパラと言う大きな音に目が覚めました。大きなアラレが坪庭を叩い
ていました。止みそうに無いので私達は出発しました。真っ暗な空から叩き
つけるようにアラレが降り、見る見る道が白くなりました。自分の足音がサク
サクと聞こえます。でも気分は上々です。真新しい雪?アラレ?の上を歩くの
は… 2時間もそうして歩いたでしょうか、薄日が差してきました。

鳥坂トンネルを抜けると其処はお天道様の世界でしたが、今度は風がありま
した。強い強い風です。吹き飛ばされそうになりました。何時もは減らしたい
目方が今日は欲しいと思うほどでした。「ウッディライフ」と言う喫茶店で朝食
を取りました。感じの良いお店で、小一時間休憩させていただきました。

名古屋の植木さんにこの地点は間違い易いので気をつけるようにと言われ
ていたのに、きっちりと間違えてしまったようです。バイパスに迷い込んだらし
いのです。気が付いてしたの道に下りました。来た車に止まってもらって、道
を聞きました。まず国道56号線に出るようにと教えられました。楽しみにし
ていた「おはなはん通り」を見逃してしまいました。

若い女性に主人が「松山への道は如何行けば良いですか?」と訊ねました。
私は慌てて「国道56号線に出たいのです」と言い直しました。

教えられて国道に出て、ほっとすると無性に腹が立ってきました。私は主人に
「此処から松山まで何キロあると思っているのよ!! 神戸の道路から名古屋
城への道を聞いてるのと同じ事でしょう、松山まで何泊すればいけると思って
いるのよ!!」とまくし立てました。


十夜(とや)ヶ橋に出てきました。橋の下にも行ってみました。お大師さんが
空腹のまま此処で野宿されたと言う場所です。その一夜が十夜にも感じられた
と言う事で、この名が付けられたと言われています。静かな場所を想像(お大
師さんが泊まられた頃は辺鄙だったのでしょうね)していましたのに、思った
より大きな橋で自動車がビュンビュン走っていました。

橋は広げられて、今夜の宿に予定していた十夜ヶ橋旅館は移転させられ、廃
業していました。

今夜の宿「ふるさと旅館」は近そうで、早く着きそうでしたので、見つけたファミ
リーレストランでお茶する事にしました。窓の外を夫婦のお遍路さんが通って
いかれるのが見えました。後で知ったのですが、そのご夫婦が今もお付き合
いをしていただいている小林さんご夫婦だったのです。お話しをする前に私
は小林さんご夫婦を目に捕らえていたという事になります。ご縁があると言
うのはこういう事を言うのでしょうか。

ふるさと旅館」と言うのはだんだん大きくなたと言う感じの旅館でした。旅館と
言うよりも、食堂に泊まる部屋が隣接していると言う感じでした。

「女風呂(小さい方)しか沸いてなくて、今先着の人が入っているので、男風呂
が沸けば知らせます」と宿のご主人が言われました。私はそれでは先にと洗濯
をしていました。するとその間に「沸いたと知らせがあったから、一緒に入ろ
う」と主人が言いました。「男風呂に?」「一緒で良いゆうとった」先着の人
は女風呂に入られたし、他に客も居ないようだし、私は何の疑いも無く入りま
した。

暫くするとなんだか人の声がすると思ったら、がらりと戸が開いて、ご主人が
顔をのぞかせている「アレッ、一緒に入られたんですか」驚いて引っ込まれた
が私も驚きました。人間驚きが大きいと、一瞬フリーズするんですね。隠すべ
き所を隠したいと、頭では考えているのですが、行動に移せないのです。体を
洗っていた手ぬぐいを持った手は宙に停止しているのです。

戸が締まってから「今更な!!」と思いつつも隠すべき所を隠しつつ、主人に
聞きました「一緒に入って良い言われたんちゃうん?」「言われないけど、良
いとおもった」ですって!!主人は時々こんな事をする。何時もは用心してい
るのに、災難は忘れた頃にやって来る。

そこで何もご存じない先着の奥様が「お風呂が空きました」と呼びに来てく
ださいました。その時が小林いさをさんとの初対面でした。

もう一組姉妹の遍路さんが居られました。小林さんと姉妹遍路さんは昨夜も
同じ宿だったようです。私達の宿「富士廼屋旅館」のお隣の「まっちゃ旅館」
にお泊りだったらしい。私達は相変わらず、朝ごはんはお断りして早朝に立
つ事にしました。


             ふるさと旅館  (6泊目)


                遍路は後姿が良いですね



コメント (2)
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