ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

6日遅れの土用の「鰻」

2008年07月31日 | 一寸そこまで

      ソラナム ゴールデンエッグ  卵ナス (ジムの花壇)

  
         本当に卵そっくりです 卵と同じ大きさです
              硬くて食べられません
             中は種ばっかりだそうです


お中元のお返しをする為に神戸に行きました。何時もなら大阪に出るのですが、今日はもう一つ目的があったのです。「鰻」を食べようという目的です。何故神戸に「鰻」を…。そのお店は主人が現役時代に行っていた店だからです。私も何度か連れて行ってもらいました。

お隣のお店がたまちゃんと2度ばかり行った、美味しくて安いおすし屋さんです。所がお店は6月で閉店になっていました。とても残念です。早速たまちゃんにメールで知らせました。

「鰻」専門店は繁盛していました。大方がご年配の男性です。若いサラリーマンがお昼に食べるには一寸高価ですものね。「鰻」の事件があってから食べてないんですよ。中国製がいやと言うのではなく、私は高くとも国内産を買っていましたが、もしかしたら騙されて国内産と思い中国産を食べていたかもしれないと思うと、又騙されるのではないか言う気持ちがあるからです。

専門店に行けば正真正銘の「国産鰻」と思ったのです。でも聞いてしまいました。「何処産の鰻ですか?」「九州です」「?…」「大分です」納得。

何時もスーパーで買っている「鰻」よりスマートでした。だから約倍の値段でしょうか。でもやはり捌いて直ぐ焼いた熱々の鰻はやっぱり柔らかくて美味しかったです。「鰻の肝」が目に良い事を思い出して「肝」を焼いてもらいました。ちっちゃな肝が一本の櫛に5個付いて2本お皿に載ってきました。「ゼリー寄せの肝なら直ぐお出しできます」と言われましたが、串焼きを希望しました。

後は食後のコーヒを何時ものところで飲んで、さっさと帰ってきました。此処のコーヒは安いんです。でも店員さんが7人も居て、そのうち3人は男性なんです。何時も大体満席なので、薄利多売で儲けているのだろうかと話しています。


気分良く帰宅しましたのに、夕刊を見てがっくりきました。「竹島問題」です。
アメリカが「竹島 韓国領に再変更」の記事です。ブッシュ大統領が8月4日韓国を訪問します。肉を買って貰うためには、これ以上韓国民を刺激しては交渉が成り立たないと踏んだのでしょう。韓国は軍艦では足りず戦闘機?まで繰り出して、島の名は「独島」であり「わが国の領地」と先制攻撃をかけて来ております。

アメリカ政府は中立だといっております。しかし如何見ても今回の再変更と言う処置は韓国側の要求を全面的に受け入れているとしか思われません。アメリカも自国の利益が優先です。其れは解ります。私は町村長官の言葉が解せないのです。「過度に反応しない」どういう事なんでしょう。当事者が反応しないで如何するのです。

今のままでは「日本は竹島はいらないんだな」と解釈します。韓国民は教科書で「自国の領土」と習っております。私達はつい最近まで何も知らないでおりましたから、竹島に関する国民の関心が薄いのは仕方が無いと思います。でも国の利益を守る閣僚が「過度の反応しない」何て暢気な事を言っていて良いのでしょうか?

私は「対馬」の事も心配です。「竹島」の問題の陰で、「対馬が第二の竹島」になるのではと心配しています。

在日朝鮮人、外国人に参政権なんて考えただけでぞ~っとします。そんなことをすれば、どんどん人を送り込んできて、日本は日本でなくなります。そう思いませんか?

「竹島」の教科書への記述に「わが国固有の領土」と書かなかった事が韓国を勢いづけたと思うのですが、なんだか全てに目先だけの政治に見えて落ち着いておれません。
                          (790回)

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楽 園  宮部みゆき

2008年07月30日 | 読みました

           タチアオイ (08-5-21 高瀬公園)


               アオイらしいアオイ


           タチアオイ (08-6-25 裁判所の庭)


何時までもだらだらしておれないと、思い切ってジムに行った。「フラの時間」だった。このジムに入った頃、月一度のハイキングにも参加していた。そのときのグループでスナックをしている方が居て、帰りにそこで飲み会をしていたことがある。そのときのグループの方達は午後からなので、私はめった会うことが無かった。主人は午後からなので時々お会いしていたようですが…。

その内の1人が、先週から「フラのレッスン」に入られた。又来られるかな~と思っていたら、私が行った時には既に来ておられた。「フラダンスは如何ですか?」「難しくて、覚えられないわ」「その時が楽しければ良いのではないですか?」「そうね」。一年前フラのクラスが始まった時は20人居なかったのに、今は50人近いのではないでしょうか。その半数以上がバウスカートを楽しんで、とても華やかになりました。


            ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

          楽 園  上下     宮部みゆき

これも長篇でした。この人の本も数え切れないくらい読んでいます。短いのより長いのが好きですし、時代物でも賞を取っておられるのですが、現代物が好きです。
時代物の賞を取られたものを読んでいないからかもしれませんが…。

面白く読んでいるのですが、どこが好きなの?と聞かれると答えに窮するのです。

主人公の周りだけを追うというのではなく、色々な形のパーッがあって、最後にバッチリと1枚の絵になるというジグソーパズルの様な作品だと私は思うんです。

「楽園」もそうだと思うんです。覚えの悪くなった頭には、久し振りに前に登場していた人の名が出てくると「? これだれだったっけ?」と一瞬考え込んでしまいます。

この小説の骨子は、彼女が見た夢を中心に書かれたとか…。夢見た時から書きたいと思ってメモして机に張っていたいたが、そのメモも汚れて、捨ててという年月を経ても、頭の中から消えなかった。その夢に枝葉をつけて書いた小説だというのです。

主人公はフリーライターの前畑滋子。この名は以前の事件で活躍したフリーライターと言う事になっています。その事件と言うのが「模倣犯」だそうです。読んでいる最中でも名前は覚えられず、「模倣犯」は読みましたが、その主人公と同じ名だとは気づきませんでした。

本文の中でも、あの時の事件と言う形で何度も出てきます。あの事件の後は世間から身を隠すようにしていた。従業員3名と言うフリーペーパーのライターをしている滋子の元を交通事故で死んだ12歳の息子の母が訪れる。その少年は予知能力を持った超能力者かもしれないので調べて欲しいと言う依頼である。

彼は16年前にあった一つの事件を絵に残していたのです。他にもあるその様な絵は、絵の上手な少年のタッチとは思えぬ幼稚なものだった。少年は「頭の中でその事件が渦巻いて苦しいので、其れを絵に描く事によってそのもやもやから逃れられるので描いた」と説明している。

その絵の中の一枚の絵が表している事件を、犯人が告白し世間の知る事となった。その謎解きがこの小説なのです。予知能力を信じる私はとても興味深く読みました。
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別れの場で

2008年07月29日 | 気にかかる

            クチナシ (08-6-24 線路際で)


昨日は一日中雨、午後からは何時間も続いて、カミナリが鳴っていた。遠くで、近くで恐ろしいくらいだった。こんなに長時間雷鳴を聞き続けたのは初めてではなかっただろうか。

今日も一日何をするでもなく、本を読みながら、ウトウトだらりの日だった。眠っているといっても熟睡しているわけではない。自分が本を持って居るが眼を瞑っている事は解っている。自分の寝息が聞こえている。頭の中では色々と考えている。この状態も眠っていると言うのだろうか。


火葬場でお骨になるまでの待ち時間に、会食がある。今は電気処理のため、待ち時間が短時間で済む。その間に会食するのであるが、昔は時間が掛かった為、一旦家に帰って食事をして、又火葬場に戻ったものである。今は時間が短い為、火葬場が食事を呈するような仕組みになっている。

これも良く考えてみると変な話ですね。生きてる人間はお腹が空きます、現に私だって早朝に家を出て、駅で小さなおむすび4個入りの内2つしか喉を通らなくて、式の真っ最中に、遠慮がちとはいえ「ぐー」ってお腹が催促したのには吃驚しましたよ。私の聞き違えでなければ隣の息子も鳴ってた様な気がしました。

数百mと離れていないところで義兄の形が無くなりつつある時、後に残った者達はその体型を維持するのに必要な食事を取っている。何度と無くこういう場面に立ち会っているのに、今までは一度として不思議に思わなかったこんな事が、頭の中に浮かんでは消えていった。頭で考えても口は休み無く食べ物を欲しがり奇麗に頂いてしまった。何方か残られなかった方のお膳が一つ残り、勿体無いからと勧められ、若い次男が2人分ぺろりと食べてしまった。式場で親子してお腹の虫が鳴ったのは聞き違いなさそうだと思ったよ。

妻って不思議な存在だな~とも思いました。義兄にとっても一番身近で、頼りになる存在であり、守らなければならない人間なのはたしかですが、その人だけが「血」の繋がりが無いんですよね。至極当然なんですが、そんなことも何か気になったんですよ。娘は1/2、孫は1/4、曾孫は1/8の「血」の繋がりがあるわけですが…。

このことは過ってお正月に姑の居るわが家に子どもを連れて兄弟が集まるわけですよ。そんな時にも感じましたね。姑を頂点にして考えれば10数人は皆「血」で繋がっている私だけが異分子なんだわって。こんな事を考えるのは私だけですか?

私を中心にしてた「血」の繋がりは4人、一寸寂しいかな~。姑が「あんたは一人っ子だから、子どもはたくさん産んでおきなさいよ」といったのはこんな事だろうか? だんだんと姑の亡くなった年齢に近づいてきた今、ふっと言われた事が思い出され、理解できるようになってきた。若い頃には到底同調できなかった事柄も、年を重ねる事でわかるようになってくる。

主人の挨拶の中で「……今頃は兄も母の元に行っているでしょう」と言うような意味の事を言った。やはり「血」は「血」を語るのだな~と思った。姑は自分と同い年になって戻ってきた息子をどのように迎えたのだろうか? そう考えれば私は母の何十歳も年上の娘として傍に行く事になるのだけれど、解ってくれるかな~。 

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別れ

2008年07月28日 | 今日この頃

               名前は知らない(08-5-6)
              種が飛ぶのか アチコチで咲く
          良く見れば 1cm足らずながら美人系の花


一日中うとうととして過ごした。どんなに頑張っても自然に眠りの国に誘われる。体力回復の為に必要な眠りタイムらしい。

無性にあっさり系のものが食べたい。蕎麦やうどんではなく、ソーメンが食べたい。薬味はショウガとネギだけ。ショウガの喉を通る時の清涼感がたまら無く良い。

ソーメンは我が県の播州「揖保の糸」が良い。ソーメンは2~3年経った「ヒネ」と呼ばれるのが美味しいとされているが、近頃はその表示を余り見かけない。賞味期限の記載がされるようになって、記入しづらくなったと聞く。


7月25日義兄が82歳の生涯を閉じた。命日を私は忘れる事は無いだろう。何故なら「天神祭り」の日だからだ。「天神祭り」と言う言葉を聞くたびに、暑さと義兄の命日だと思い出すだろう。

義兄の誕生日が12月1日であったことは、還暦祝いに参加する為、名神を走った時、富士川で見た富士山の美しさと、現在地を知らせるために掛けた電話に「富士山に見とれないで、早よおいで」と言った義兄の言葉と共に思い出していた。又、近年は愛子様がお生まれになったのが義兄と同じ12月1日だった事でも記憶している。

色々の事情があり、通夜には長男に行ってもらい、私達と次男は告別式当日に日帰りする事にした。

始発で立花を後にし、一番早く乗れる「のぞみ」で埼玉に向かった。目的の故か、途中、富士山も東京タワーも気にする事無く東京駅にすべ選りこんだ。此処から大宮に行くわけだ。過っては夫婦で行く時は、マイカーで行くが、私一人の時は電車で行った。今日の降り立ち駅は大宮の先の宮原駅である。義兄の家には大宮下車、バスで行ったな~とか、色々思い出しながら列車に身を任せていた。

浦和のあたりだろうかその頃「キューポラ」がニョキニョキ立っていたと思っていたが、見当たらなくなっていた。変わりに大宮に近づくにつれて高層ビルがニョキニョキと建っていた。

式場の案内図通りに行ったので、私の通っていた在来線ではなかった。その為には上野で一旦のりかえた。すると宮原駅まで直通である。帰りは従兄弟も一緒だった為に大宮で乗り換え在来線で東京まで帰ってきた。

宮原駅に到着すると、今までの大宮駅までなら勝手に開いていたドアが開かない、どうなったのだろうと思案していると、主人が扉の側にボタンを見つけ、其れを押すと扉が開いた。何処か田舎町での経験はあるが、都会の真ん中では始めての経験だった。

式場には告別式に1時間前に着いた。まだ早く昨夜式場で泊まった義弟がいただけだった。間もなく義姉や姪たち一家がやってきて、義兄と対面させて頂いた。4,5年ぶりに会った義兄は私の姑、すなわち義兄の母にそっくりになっていたのには驚いた。「血」とはこういう事なのかと改めて恐れすら感じた。姑も82歳(数え年)義兄は満82歳(今は生きている時と同じ満で言うらしい)だった。

告別式が始まったが、参列者の「焼香」が始と終わりと2度もあることに驚いた。関西と関東との違いなのか、埼玉県の地方だけなのか解らないが、お棺の蓋の釘うちを縁者一同でするのだが其れは無かった。私は今年始、もりやまの叔母さんの時は順番にしたと思う。

お棺を運ぶのも、玄関まではストレッチャーのようなものに乗せられた、霊柩車に移すときのみ近親の男子が持った。これは今でも男子に限るようだ。

火葬場の雰囲気は何処とも似ている、平屋である。此処の玄関からはお棺は人手は借りずに、電動ストレッチャーである、指定されたのは11号室、納められる内部は薄いブルーである。ストレッチャーの操作により内部の台に設置され、扉は閉ざされた。

扉を開けて立ち会うのは喪主とその二人の娘、主人と義弟のみで、私達の目の前に運ばれてきたお骨は頭部、上半身、下半身に分けられていた。義歯ではなかったという歯は隅に行儀良く並んでいた。お骨は骨太で真っ白で奇麗だった。しっかりと残ったお骨は骨壷に入りきれず、白木の杭の様なもので砕かれた。バリバリと3度ばかり繰り返され、無事大きな骨壺に収まった。

義兄の旅立ちを見届けて、私達は義弟と共に関西に帰ってきた。
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絵を描く人の晴れ舞台

2008年07月25日 | 一寸そこまで

                  ストック
                一重もあったのですが…

        


朝、溝掃除をしていまして気が付いたんです。ご近所の溝はおおかたが溝に蓋がしてあります。所が私の家は、車庫の前だけで、あとは蓋が無いのです。だから捨てやすいらしく溝には10~20本の吸殻が捨ててあるのです。この頃一本も捨ててない日があるのです。今朝もたったの5本でした。禁煙した人が増えたのでしょうか?

先日「タスポ」の事で投書が載っていました。「タスポ」の様な抜け穴だらけのカードの普及を図るより、未成年者への心配りなら、自販機を撤去すれば済む事ではないですか、と言うのです。言われてみれば一番簡単な方法です。自販機製造元のことを考えたのか販売店の事を考えたのか、タバコ産業の為なのか解りませんが、現在利益を得ている人の事のみを考えて、作られたのが「タスポ・カード」の様な気がします。

絵を描く事を楽しんでいる友人から絵画展のお誘いをいただきました。来週に行くつもりでしたが、主人が頭を刈りに行くというので、同じ所にある絵画展に行く事にしました。

帰りに待ち合わせて、何時ものカレー屋さんでお昼にしようという事になり、バス停から二人は右と左に分かれ、私は会場のある場所に急いだ。始は静かだった会場も、男性の団体7人ぐらいが入ってこられた。そのうちにその人たちに呼びかけた張本人が現れ、色々説明が始まった。

いつもは「あいうえおの順番に展示するが今年は後から順番に飾ったとか、会員が少ないので2つの共催絵画展にしたとか。今度は多くなって一寸隣との間隔が無くなったとか」大きな声で話されるのでつい聞いてしまいました。

絵の間隔については話を聞く前に、えらい詰っているな~と感じていました。間隔が無いので同時に2枚に近い絵が眼に飛び込んでくるという事です。やっぱり一枚がじっくりと見れる間隔を工夫していただきたいと思いました。

友人は2枚出していました。春に龍野に写生会にでも行ったのか「春の龍野」と「紫陽花」と言う風景画と花の絵でした。ご本人の性格そのままにきっちりと描かれていました。まだ習い始めて年数がたっていないのですが上手だと思います。
今一番夢中になっている時期で、1人暮らしの大半の時間を絵を描いて過ごしておられるようです。

其れもいいのですが、やはりもう少し他の事にも時間を割いた方がいいのではないかと、いらぬお節介を口にしました。今は歩き方のクラブにも入っているとの事で、家にじ~っとして描いてばかりいるより、身体を動かす事もしたほうが良いと思っていましたので良かったな~と思っています。

それにしても絵が上手な人は羨ましいです。学生時代は肖像や自分の手とかデッサンは割りと上手に描けたと思うのですが、風景画などは全然駄目でしたね。山を描いたつもりがウグイス餅のようになりますし処置無しです。

でも今でも描きたい気持ちはあるのです。水彩画が駄目なら、せめてパソコンの手を借りて描いてみたいと思う気はあるのですが中々手が出ません。

近頃では写真で辛抱しようかな~と言う気にまでなっています。

作品展の事ですが、私の好みにあった絵を描く方が3人ばかりおられました。ですが、相対的に去年のほうが好きな絵は多かったな~と言う感想です。

        ☆26日~27日までお休みいたします

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渡辺淳一さんの講演会の愚痴

2008年07月24日 | 一寸そこまで

              大井戸公園の「ノウゼンカツラ」
            ベンチが隠れてしまうほどにアジサイが…


              何処にでもある平凡な橙色の花


                始めて見たピンクの花
                 黄色もあるそうです


お友達2人と、谷崎潤一郎の残月祭に行ってきました。今年で22回目だそうです。始は京都の法然院(谷崎潤一郎のお墓のある寺)の近くで親族の渡辺さんが谷崎潤一郎の誕生日である7月24日に、しのぶ会として始められました。1987年の事です。

渡辺さんが谷崎潤一郎の遺品を芦屋の谷崎記念文学館へ寄贈した2002年から、残月祭も芦屋に移ったそうです。1回目は瀬戸内寂聴さんで、去年は田辺聖子さんが「細雪の世界を語る」を語られた。お二人とも知っていたら聞きに行きたかった。今年になるまで、「残月祭」の事は全然知らなかったから仕方が無い。

今日は渡辺淳一さん「男と女」だった。とても期待していた。NHKの番組で対談を見た時に一度講演を聴いてみたいと思った。何故なら全国を講演で飛び回っていると言う話だったから。今日の日をとても楽しみにしていた。

期待は見事に裏切られた。お喋りは滑らかでした。しかし内容が悪かった。何の構想も無く(用意も無く)行き当たりばったりと言う感じで90分を喋っておられた。1時間ほど探り探りしゃべったあと、「今日は何時まででしたか」と舞台奥に訊ねる始末です。聞いている私のほうが辛くなるくらいだった。其れからの30分は時間つぶしの感じで益々つまらなくなった。

渡辺さん一寸無責任すぎませんか…と言いたい。クラブでホステスを楽しませる為に話すそんな感じです。講演と言うより雑談です。時々笑いを取ってはおられた。勿論私も笑いました。でも其れは笑いたいから笑ったのではなく、此処で笑っておかないと何の取り得もない話だな~と言う感じでした。

クラブのホステスが、お客の話に大げさに感心したり、笑ったりの感覚です。ホステスはお話し相手がお商売ですからいいですよ。でも私達はお金を払っているのです。何か一言でもなるほどと言う言葉が聞きたかった。内容は世間周知の事ばかり、目新しいものは何も無かったという感じでした。

私はガッカリしました。もう渡辺さんの本は読まないと思います。こんなルーズな講演ならなさらないほうがいいのにとまで思いました。

私は「渡辺さんの講演を聞きに行くよ」と話しただけで、行こうと誘ったわけではありません。もし誘っていたら友人にすまないと思う惨めな講演でした。彼女達も不満が残りガッカリしたようでした。

講演嫌いになりそうです。私の楽しみの一つであったのに…。
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ご飯に合うのが「おかず」

2008年07月23日 | 徹子の部屋から

          去年 売れ残り100円で買った株が
             こんなに大きくないました

  
               キャッツ・テール


先日「徹子の部屋」に西健一郎さんと言う東京で有名な小料理屋さんのご主人が出ておられました。ビデオにとったものを見ましたので、放映されたのはづ~っと前だったかも知れません。

「ご飯に合うのがおかず」「季節のもの、言い換えれば、一番安い時が一番美味しいとき」「美味しい野菜はダシもいらない、水煮で充分」「ものの味がわかる味付けにする」西先生のお言葉。先生は自身用事のあるときはお店はお休みなさり、決して人任せにはされないそうです。

持参されたのが「南京の水煮」「しし唐とチリメンジャコの炒り煮」ともう一品だった(すみません、忘れました)。徹子さんが絶賛された「南京の水煮」ダシは一切使っていないそうですが、徹子さんが「美味しい」を連発しながら食べておられた。

偶然なんですが、私も「南京」は水煮なんです。色んなダシを入れて煮ていたのですが、どうも南京を食べている気がしない。ある日「美味しい!」と思ったんです。どのように炊いたかと思い出して見ると、ダシを加えるのを忘れていたんです。その日から私はダシは一切使いません。お砂糖とほんの少しの薄口醤油だけです。

徹子さんが「皮も柔らかですね」と…。「始から調味料を入れるから硬くなるのです」と言うお答えでした。私も半煮えになってから調味料を入れます。其れまでは強火です。

チリメンとしし唐の炒り煮ですが、私も時々作りますが、こんな料理があるとは知らずにこんな組み合わせが美味しそうと思って作っていましたので、立派に料理屋のメニューであるのを見て吃驚しました。その上に西先生が「関西ではチリメンジャコは良く使いますが、関東ではあまり使いませんね」といわれた事で二度吃驚です。

そうなんですか?関東の人はチリメンジャコを余り食べないんですか?私なんか毎朝食べていますよ。カルシュームの塊ですよ。大根おろしと一緒でも美味しいですし。そういえば「くぎ煮」も関西ですね。イカナゴの稚魚の佃煮ですけど…。メザシ以上に大きい魚だけがお好きですか?

西先生も関西人だそうです。お父さまも料理人で、偉い方のお抱え料理人で、料理人番付の横綱の位置にいた方だそうです。お父様は昔かたぎの方ですから、決して教えようとはしないんだそうです。むしろ隠そう隠そうとなさったそうで、「盗んで覚える」で力をつけられたそうです。

西先生も昔ながらに板場では高下駄だそうです。私の聞いた話では「水商売は何時も清潔に」と言う事で、追い回し(新人の事)は何時も土間の掃除をしていたそうで、水を流しますから、足がぬれないように高下駄を穿くと聞いておりました。

今は新しい人も料理学校を出ていたりして、掃除だけに追い回される(此処から名ずけられた)事も無いでしょうけれど、掃除をしながら先輩の手元を見て覚えたそうです。「追い回し」も死語でしょうか。

季節のものといっても、今は何でも、いつでも手に入りますから、そのものの本当の旬はいつかを思い出すのが難しくなりましたね。言い換えれば「旬のもの」とは「露地もの」の事でしょうか。

そのものの味を引き出すのが「日本料理」なら、そのものに余所行きのおべべ(着物)を着せて、又別の美味しさを味あわせるのが、異国の料理と言う事になりますね。

そのものの味の料理も食べ、世界中の着物を着た料理も食べられる日本に生まれて良かった!

 西先生の「「日本のおかず」の本には80品目ほど載っているそうです。100品作ったそうですが、娘さんの厳しい目に叶ったものだけが載っているそうです。ベストセラーだそうです。
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大暑だって!

2008年07月22日 | テレビから

     日本庭園には26種1200株のハスが咲いているそうです
           しかし私が写せたのはほんの僅か
       岸辺の花しか写せないので5~6種類だけのようです


       白連ではこのハスを写したくて頑張ったのですが
             遠方過ぎて駄目でした


             白蓮も良いですね


         ハスに八重咲きってあるのでしょうか?
            ダリアの様な咲き方でした


今日は「大暑」だそうです。一番暑い日だそうですが、いえいえ如何して、これからはどんどん暑くなるような気がしますよ。こう暑いですと「鰻」がたべたいですね。「蛇」は嫌いですが「鰻」は好きなんです。

一週間ぶりにジムに行きました。美味しいものを食べて、寝転んで好きな本を読んで運動しないでいると、ド~ンと1キロ増えていました。主人は3キロ増えたそうです。「お前が甘いもの買ってくるからや!」と言うのですが、食べなければいいじゃないですか、ねぇ。同じものを食べても私と体の動かす量が違うのですよ。同じジムに通うにしても、回数は主人のほうが断然多いのですが、バスです~っと行きますしね。私は30分かけて歩きますしね。そこんとこは言わないんですよ。

ジムまであと少しと言う位置に「大井戸公園」の木々の木陰が待っていてくれます。木陰は涼しい風が通っていますし、ほっとします。今は花は無く碧一色ですが眼に涼しくていいものです。蝉時雨が凄いですけれど…。

通り抜けると、そこはバラ園です。春の二度目のバラもあらかた終わり、新芽のシュートが伸び上がっています。そのお隣がジムです。

2週間ぶりに「初めてのラテン」に入りました。良く休むものですから、そのたびに先生は「付いていけなくて止めたのかな?」と思っておられるのか、「お久し振りで~す」とニッコリと微笑をくださいました。

こんな注意もありました。「もしトイレに行きたくなったら、途中でいいですから行ってくださいよ。下半身を動かす事が多いので尿意をもよおす事があるのです。私も休憩を取ってマイクをつけたまま、大慌てでトイレに駆け込んだことが何度かあります。後から考えるとマイクのスイッチ切ってたかしらと心配でしたが、其れくらい切羽詰っていたんです。我慢はしないでください。身体に悪いです」

トイレといえば、今日も直前に入ったんですが、吃驚するほど大きなスリッパがありました。そのスリッパには「靴を穿いたままの方お使いください」と書いてありました。トイレに行くのに、一旦履いた靴(紐を結んでいますので)を脱ぐのは面倒なものなんです。この大きなスリッパがありますと、靴を脱ぐ事がいりませんので助かります。

来月から「ズンバ」と言う新しいクラスが出来るようです。エアロビックスと筋トレを取り入れたもので、簡単ですが効力を発揮するとありました。音楽は「ルンバ」だそうです。皆さんが飽きる事の無いように色々考えるのですね。ポスターは外人さんでしたから、外国から入ってきたのでしょうね。早速入ってみたいのですが、時間帯が午後なので私は残念ながら駄目です。
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今日も「大賀ハス」

2008年07月21日 | 一寸そこまで

        同じハスでも日照時間によって色が違って見える
          時間が進むにしたがって白っぽく見える
           露を置いた時間に見てみたかった!


               ハスの背が高いので
       腕をいっぱい伸ばしてカメラ任せでシャッターを切った
                花びらの内側への好奇心から


              たまには背の低い花もいる
                やはり日陰の花だ


熱中症ってどんな症状?調べてみたが、運動時のことは書いてあるが、普通の状態の時の事は見当たらない。人それぞれに違うのだろう。「熱中症」は急に温度が上がったときに起こりやすいとは記されていた。

体の中に「暑気がこもる」と言う状態は、熱処理が上手くいっていない状態、アンバランスの状態を言うのでしょう。

私が「暑気がこもる」と感じたのは帰宅してからです。公園に居た時は「暑い」とは感じて喉の渇きを感じるぐらいだった。私は水を持っていったが、瞬く間に飲み干し、オロナミンC を買い、それでも喉の乾きは押し寄せて来るので、数十分置きにウーロン茶、お茶と買い求めた。こんな事は初めてだった。

陰にいた大人の顔ほどの望遠の人がじ~としておられるので「ハスに当たる光の加減を待っておられるのですか?」と問うと「い~や、暑さにバテて居るんですわ」との答え「6時からおられるのですか?」「そう」撮影しているのは若い人より年配者が多かったように思います。私も建物の中(四方囲いは無い)やあづまやでたびたび休憩を取りました。食事をしている方もありましたが、私は喉の乾きだけで食欲は感じませんでした。

携帯電話が活躍していました。夢中になって撮っていると、同伴者の事を忘れて行動してしまうんですよね。そんな時「今何処に?」って携帯を掛ければ直ぐ相手の位置も解りますし、自分の位置も伝えられます。小耳に挟む会話でも、同行者と言うよりは偶然同じ位置を好んで撮影している行きずりの人だったりするようですよ。私は1人ですから話す時は知らない人ですが、写真を媒体としていますので話し易い事は確かです。

多くの人が居ますと、一応寄っていってみます。皆さんどんなアングルで取っておられるのか参考にするためです。昨日の場合ですと三脚を使っている人が多いので、順番を待つと時間が掛かります。そこでアングルだけを頭に入れておいて、他の場所で花を探します。広いですから三脚が邪魔にならないのです。

40人ぐらいの中国人の団体も居ました。先日は京都で又此処でとやっぱり中国は実力の国になりつつあるのでしょうか?今の共産支配は何時まで続くのでしょうね。インターネットがその自由の方向に向かう追い風になっているようですが…。

女性の写真愛好家も随分増えましたね。良いカメラを持っている人が大部分ですが、重いからでしょう、リュックを背負った人が目立ちます。

私にカイツムリを見せてくださった方は世話好き?お節介焼き?らしく近くでカメラを構えている女性に声を掛けていました。「こっちにカメラ据えてみ、カイツムリが巣作ってるで、こんなん珍しいで」女性が移動してくると「三脚の脚そんなに広げたらあかんがな、なんやピント合ってないやん、合わしたるわ」

私はその間ず~っとカメラを覗いていました。女性は憮然としていました。勝気な方なんでしょう、一枚撮るか撮らないでさっさと何処かに行かれました。人を見て世話やかないとね~。

私も撮ってみましたが、最大にトリミングで近寄ってやっとと言う感じで、私のカメラでは無理でした。しかし、あんなに奇麗な場面を見せていただいてラッキーでした。


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万博公園日本庭園の大賀ハス

2008年07月20日 | 一寸そこまで





             世界最古の花といわれる「大賀ハス」


身体の中に熱が蓄積されたようになる事を「暑気がある」と言いますよね。今日の午後は久し振りにその状態になりました。近年は日向に2時間も3時間も居るという事がありませんでしたから本当に久振りなのです。

大賀ハスに会いに行ってきたのです。万博公園の日本庭園は、朝露にぬれた美しいハスを見せるために期間中の週末のみ、朝6時から開いています。明日が最後の日ですので今日行きました。朝の始発に乗っても6時には到底行き着きません。私が民族博物館に行くコースでは、祝日のバスが早朝はありません。仕方が無いので地下鉄を乗り継いで一刻も早く行こうとしました。

6時に開門と言う事はその頃が一番美しいはずだからです。私が着いたのは7時前でしたから、既に帰る人もおられました。

私の目的は「大賀ハス」です。ピンク色の大きな花とだけは知っていましたが、花はピンクが多く、どれがどれか解りません。私は幾人の人に「大賀ハスはどれでしょう」と訊ねたことか、でも皆さん「知らない」と言う答えです。名前には余り興味が無いようでした。最後の方が「休憩所の中央にハスの名と位置が書いてあるよ」と教えてくださいました。早く行けばその名と位置を書いた紙をもらえたらしいのです。

会いたい会いたいと思っていた「大賀ハス」にやっと会えました。何処に咲いているかが解らなかったのです。ネットで万博公園にあると知った時、絶対行こうと思っていました。毎日「見頃です」と書かれる日を待っていました。其れが書かれたのが一昨日でした。

「ハス見に行くわ」と言いますと「一言ぐらい誘ったらどうや」「朝早いし、乗り継ぎ乗り継ぎやし…」「ふん」納得の様子。花を撮りに行く時は1人が良い。今日だって何べん池の端をグルグル回ったかしれません。「あ~1人で良かった」と思いました。休みながら3時間ハスを眺めていたんです。

何百人居たでしょうか? 人の多さにまず驚きました。その次にカメラのりっぱさに驚きました。私の様に小さなカメラの人は稀です。皆さん望遠つきです。大人の顔ぐらいの望遠の人を見つけました。「大きいですね、重いでしょう?」「重いから乳母車でもって来ました」なるほど隣には乳母車に機材が積んでありました。「のぞかせていただけません?」「良いよ」レンズは顔ぐらいあるので画面も大きいのかと思っていたのですが、違うんですね。画面は小さいのですが、細部まで奇麗に写っています「うわ~きれい」この様に良いカメラを覗かせていただくのが楽しみです。

もう一人見せていただきました。ハスではなく「カイツムリ」と言う潜水上手な水鳥です。隣に居る私に「覗いてみ、カイツムリが今立ってるから卵も見えるで…」
本当に鳥の毛の一筋まで、卵が4個あり夫々色が違うのまではっきり見えました。
きれいやな~ 欲しいな~ デジイチ… でもそうするとやっぱり望遠欲しくなるよね。重いよ。やめたほうがいいね~。心の内で1人呟く私です。

大賀ハス: 昭和26年(1951年)3月、千葉県倹見川東京大学グランド地下より他のものを発掘調査中の女子中学生が発見、始に1粒、そして2粒と合計3粒のハスの種を発見した。当時ハスの権威者、ハス博士といわれた大賀博士が2000年前のハスであると鑑定、アメリカに調査を依頼した結果証明された。その年の5月に発芽、翌年の昭和27年(1952年)7月18日早朝に個人宅で、そのうちの一粒が開花に成功した。その後、千葉公園に移植、此処から世界各地に送られ友好親善を深め、「世界最古の花」と海外でも大きな反響を呼んだ。昭和29年(1954年)6月8日千葉県天然記念物に指定され、千葉県の花となった。

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