ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

正倉院展

2018年11月07日 | 徹子の部屋から

 

11月5日(月) 一年振り、奈良に行きました。

奈良に行くのは、「正倉院展」だけですから。

並ぶのは覚悟の上でしたが、

10時過ぎに着いて、入場できたのは、1時間後の11時でした。

11時の作品説明会があったのに、滑り込みセーフでした。

この頃、私は何時も説明会は聞いてから会場に入ります。

多くの作品を全て見るのは、とても疲れますので、

説明会で名前の出た作品に重点を置くようにしています。

今日も大勢の人で一重二重どころの人波ではありません。

その人波を潜るのですから、選ばなければ、体力が持ちません。

 

並んで待つている時に思っていました。「今年で最後かな~?」

 

お昼は、何時ものお店に並びました。ここは2時間待ちでした。

そして思いました。「ここは今年限り」「正倉院展」に来たとしても、

もうここに並ぶ元気はないだろうと…。

最後のお味をしっかり心に留めておこうとしたのですが、

空いて「グ~」となっていたお腹も諦めて泣き止みましたら、

目の前に出された「釜飯」に食欲が出ないのです。

美味しいはずのご飯がありがたくない。

勿体ないと、口に運びましたが、おいしいと思えない。

最後と覚悟の「楽しみ」は散々な結果でした。

 

家族のお土産に2セット持ち帰りました。

それが土鍋に入っているものですから、重かった。

何から何まで、踏んだりけったりの最後でした。

 

やっぱり「奈良」は遠いな~!        (3310回)

 

 

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お寺まいり

2018年09月24日 | 徹子の部屋から







9月23日(日)
お彼岸の会があったので、お寺に行ってきました。

たくさんの人で盛会でした。

2.3日、本当は頭がふらつくので、行かないつもりでいましたが、

欠かしたことない会でしたので、ゆっくり歩けば大丈夫だと思い直し、行く
ことにしました。

主人はバスで行くつもりだったようですが、時間がかかるので,JRで行き
ました。

JRで尼崎にでて、そこからバスで行きます。

先日「墓掃除」の便利グッズを買って来たので、もって行きました。

便利グッズといっても私たちが便利だろうと思っただけですよ、正解でした。

道具で墓石をゴシゴシこすりさっぱりとしました。


お参りをすると、帰りに「巻きづし」をくださり、遠方からの人は
食べて帰れるように一部屋、お茶も用意してくださいます。

私たちも以前はそうしていたのですが、今日は一時間でも早く帰り
たいので、家に持ち帰りました。

家でありがたく頂きました。


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あちらの桜 こちらの桜

2016年04月05日 | 徹子の部屋から

              奈良 「新薬師寺の古木の桜」       (16―3―29)




いつも「竹の子」を送ってくれる友達がいますが、今年はもう来ないのだと思っ
て、今日は「竹の子」を炊こうと、小ぶりを1本買って来ました。ところがです、
帰宅しますと、なんと、彼女からの「竹の子」が届いていました。老いると気が
短くなるんだな~とつくづく思いました。私のは、皮付きですので、彼女の方は
湯がいてくれているので、頂き物から使うことにしました。


今年初めて見た「桜」は奈良でした。勿論沿線の「桜」がいっぱいで楽しかった
です。また、日を改めて、「奈良行き」の事を書きますね。


            奈良 「白毫寺の桜」         (16―3―29)






ここでは「子福さくら」という木がありましたが、早咲きらしく、すでに散っており
ました。高い木の天辺に残っていた花を撮ったのですが、ピンボケ、残念なが
ら写真がありません。

隣で見ていた人が「何故子福桜いうのかしら?」と話しかけてこられましたので、
「一つの根本から数輪の花が咲いているようだから、それで「子福桜」と呼ぶの
では」といいました。

帰って調べますと、1輪の花に1~3個の実をつけるからだそうです。「当たら
ずとも遠からず」ということにしておきましょう。



          尼崎 「武庫之荘の桜」        (16―3―30)






図書館に行く道に、他は「ソメイヨシノ」だと思うのですが、この桜がぽつんと1本
あります。私はこの花が好きで、毎年楽しんでいますが、今年のように沢山花
をつけたのは初めてだと思います。毎年大きくなって、遥か上空で花が咲き、
仰ぎ見ないとならないのが、一寸残念です。


          京都「細見美術館の前の桜」        (16―3―31)










この桜も、川べりに1本ありました。回りは白色に近い「ソメイヨシノ」ですから、
この綺麗なピンクが目立ちます。木も未だそんなに大きくないので、目前で見
ることができました。


           京都 「平安神宮の桜」        (16―3―31)         


平安神宮の側の桜です。谷崎潤一郎の「細雪」で有名な「しだれ桜」は当日は
未だ、1分咲きということでした。


              尼崎・立花・ご近所の公園の桜             (16―4―1)







         尼崎・立花・ご近所のわたしの大好きな桜? ですよね~?         (16―4―1)




私の家にも元は八重の桜がありました。綺麗だったものですから、飛びついて
折っていく人があって、根が弛んで、枯れてしまいました。 「桜切るバカ 梅切
らぬバカ」っていいますのにね。


              「大坂城周辺の桜」          (16―4―2)








大坂城の脇の自動車道にも、桜が植わっています。


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凄い人もおられるものだ!

2013年09月16日 | 徹子の部屋から

     「ゼラニューム」    色々の色がありましたがこれだけになりました    (13-7-11)




今日は「敬老の日」4人に1人が老人です、とテレビが何度も言う。新聞も言う、
団塊の世代が老人人口に突入してきた故らしいのですが、言われるたびに、身
が竦む。何にも悪いことしていないのに、私の僻みだろうか? それならいい
のだど…。

「徹子の部屋」見ました? 102歳の俳人、毎日ブログに一句載せておられる
そうです。50歳ぐらいから、俳句を始められたそうですが、それからも52年凄
いわね~。

「徹子の部屋」を好きなのは、この方のように、あまり知られていないけど、何か
でとても優れた方をの出演があるのが、とても楽しみだからです。

ただ、金原さんの「俳句」一寸私には難解? なんです。でも明日からブログを
拝見しますから、其のうち理解するコツを覚えるでしょう。

テレビで拝見しましたが、しゃきしゃきしておられましたよ。そして徹子さんも驚
かれるぐらいの早口、という事はそれだけ、頭の回転が良いという事でしょう?

102年の人生、一寸傷つくことも(ご主人の浮気)もあったらしいけど、ハンサ
ムだから仕方がないとも、でも5年したら「帰ってもいいか」と「どうぞ」と受け入
れられたそうですよ。養子さんだそうで、暮らしに困らなかったからだそうです。

102歳といえば「亥年」かしら、私が、今78歳だから24足すと102歳になって
2回り上の「亥」かな? と感じたのですけど…。お元気な方と、何かが同じで繋
がっているということは、何となく励みになるんですよね~。

金原さんいわく「敬老」と敬われるより「構ってほしい」って、そうですね。
金原さんお幸せなことに、娘さん、お孫さん、曾孫さんと、皆女性だそうです。
だから構ってもらえるから良いですね。本当にお幸せ。





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お元気な吉沢久子さん

2012年04月10日 | 徹子の部屋から

 「ピンク ムスカリ」     この間の強風でひっくり返っても元気 球根が一杯生まれていた 嬉しい!


今日はぽかぽかと暖かかったので、草取りを始めました。「寒いから…」と
ほっておいたので、ずいぶん成長してしまって、雑草と言えども、小さなピン
クや白い花を咲かせています。なんだか可哀相な気もしますが、やっぱり抜
かなきゃ~ね!


やっぱり鳩山さんイラン行かれたのね。アメリカから「どういうつもりだ!」と
照会(問い合わせ)があったそうですね。 報道がないので分からないのです
が、私、鳩山さんのように目立ちたがりの人、強引に行っても、報道関係が無
視すればいいのに…と思っていましたから、そうすれば、独断の(正しければ
いいが、間違っているでしょう?)行動はしなくなると思っています。どうか
マスコミさん無視してください!


徹子の部屋に吉沢久子さんが出ておられました。もう94歳におなりだそうで
すが、頭の回転が速いのか、話方も昔とお変わりないようでした。素晴らしい
ことですね。 なんとも羨ましい!!

今も、エッセイを書き続けておられるそうで(私も最近、単行本になったのを読
みました)40年も続いているそうで、書くということが体のリズムとなっている
ので、大変ではないといっておられました。書くためにはいろいろアンテナも張
り巡らしているので、それがいいみたいですと言っておられました。

一人暮らしの極意は「無いものねだりをしない」ことだそうです。と言うことは今
の自分をしっかり認めると言うことでしょうか? 「いろんなことに興味を持つ」
とも言っておられたように思います。

一人暮らしは、健康を守ることに重きを置くこと。「人に寄りかからず、前向
きに、大らかに、生かされている間は元気で生きましょう」ですって。

お食事は「ご馳走」より「バランス」ですって。たまに「ご馳走」で、日ごろは粗
食にしたほうがいいのでしょうね。夜更かしで、朝が遅い(遅いと言っても8時
半には門を開けないと、お向かいの方が心配なさる。と言っても、ご近所付き
合いはベタベタしませんよって)ので、ブランチと夕食と1日2回だそうです。
少々太っておられるのは、甘いものが止められないからだそうです。

私も甘いものは止められませんから、昼ごはんのデザートとして、食べること
にしています。1日3食ですが、お八つはいつの間にか食べなくなりましたね。

そろそろ身の回りの整理も始めているが、「残された者の一番嫌な整理が『写
真』だと言われていますので、皆整理した」と言っておられました。それは良く
聞く話です。私はパソコンを使い出してからは、パソコンに入れて、プリントは
しないようにしています。しかしそれ以前の若い時のはそのままです。パソコ
ンに入れてしまえば、見たいときに見れますし、私がいなくなった時「初期設
定」すれば、パーになるからいいかな?と思っています。まだまだ焼いてしま
う勇気はないんです。


 「ムスカリ」 何年か前に貰った たった1球が 今は数え切れない数になりました 多産系!


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懐かしのオリエンタルホテル

2012年03月30日 | 徹子の部屋から

        サンチカロビーの生け花 毎年3月は桜 楽しみです  (12-3-27)



唱歌の学校に行きました。6月にクラス対抗歌合戦?で歌う歌の練習です。
そのうちの1曲「蛍こい」はアカペラです。初めは箸にも棒にも掛からんようで
したが、少しずつ上手になってきたように思います。先生は曲は暗譜せよと
言われますが、一寸自信ないわ。私は先生が「暗譜」と言われるたびに
「小磯良平さんの『コーラス』と言う有名な絵でもちゃんと楽譜を持ってる、
そもそもコーラスって楽譜見て歌うもんと違うん」と頭の中で毒づいています。
悪い生徒やな~ 私は!


        「オリエンタルホテル」  神戸のホテルの老舗です     (12-3-27)


↑  ホテルの17階のロビーの窓から見た海   ↓このビル(大阪商船ビル)の7階で勤務していました


3月27日 神戸に「平清盛 展」を見に行った帰り、ぶらぶらと三宮まで歩
きました。主人は東京勤務の8年間を除き、勤めの大半をサラリーマンとして
この地で勤めました。私も相です。二人とも懐かしさはあるものの、すっかり
様変わりしているのに、驚きと寂しさを感じます。

今は大きいビルの1階はファッションのお店です。当時は考えられないことで
した。全て、事務所でしたもの。

震災で、建て直したと聞いているオリエンタルホテルがありました。何処に行
ったのかしら?といつも話していたのですが、そのビルが突然目の前に現れ
ました。以前にも前を通ったかも知れないのですが、1階を見た感じケーキ?
売り場と喫茶店のようでした。

「入ってみよか」と入りますと。案内の女性が話しかけて来ました。「ホテル
は17階にロビーがあり、景色もよく見えます…」主人がリュックを背負って
いたので旅行者に見られたのでしょうか? 「行く所があるので、帰りに見せ
てもらいます」「お待ちしております」と会話。

帰り道、立ち寄りました。17階直通のエレベーターに乗ってロビーへ。南側
の全面がガラス張りでしたが、金属入りの強化ガラスですから、写真が撮りに
くかったです。でも他にも写真を撮りに来ている方は居られました。

北側も見たかったのですが、そちらの方は「割烹の店」になっていました。き
っと大きな窓から神戸の山並みが見えるようになっているのだろうと想像で
す。さすがお料理は結構なお値段でした。

窓から、勤めていた街並みを眺めながら、「あれは海上保安庁や、大丸や…」
と見ているうちに「商船ビル、何処やろ」見渡していますと、ありました! 
独特の壁面を持ち、今も美術館として残されている東京銀行と同じ、保存され
ているビル、勿論写しましたよ、上に載せてあります。

下りエレベーターに乗ったとき、「同乗させていただいてもいいでしょうか?」
とお客様と女性従業員が乗って来ました。その従業員の説明を聞いて感心し
ました。手にはカードを持っています。説明によれば「下りる階の数字は、こ
のカードを差し込んでいただいて(なるほど、数字の下にカード挿入口があり
ました)御用の階数を押してください」と言うものでした。

セキュリティーの問題でしょう、誰でも何処へでも降りることはできないように
なっています。泥棒は良いにしても、密会に(古い言葉だね)利用できません
ね。カードが無いとその階に下りることも出来ないんですもの。何か裏道あり?
興味深々。

オリエンタルホテルは、元は商船ビルの道を隔てた南側にありました。だから
今のビルの位置ではないのです。

そのオリエンタルホテルで私たちは結婚式をあげました。今と違ってその頃の
オリエンタルホテルは何十段も階段を登った、上に立っていて、風格がありま
した。

私は元町の家で仕度をして(寝たきりのおばに花嫁姿を見せる為)ホテルに入
りましたから、タクシーの入り口に頭をぶつけて、鬘が脱げそうになったり、数十
段の階段を登るのが大変だった覚えがあります。

その結婚記念日54回目も目前です。夫婦共に一人で生活できる命を頂いて、
ありがたいことだと感謝しております。



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手紙 親愛なる子供達へ

2009年08月04日 | 徹子の部屋から
     我家のペチュニアたち この頃の暑さに花数は減っています







今日は何ヶ月振りでしょうか、鈴木先生のクラスに入りました。本当に久し
振りでアチコチから「ま~ぁ久し振り!」の声が掛かります。あの人もこの人
もお元気で良かった…と私の心も喜びました。

懐かしいステップも、新しいステップもまだまだ遅れる事無く付いていけそ
うでホットしました。でも身体は文句を言いました。「ストレッチをサボって
いるね!」って。日頃動かさない筋肉を伸ばすものですから「アッ!痛タタ
タ~!」て悲鳴を上げます。やっぱり歩くだけでは駄目なんですね。身体を
柔軟に保つ為には、ストレッチは欠かせないようです。頑張ってストレッチ
クラスに入りましょう。

終わりに鈴木先生が、「忘れ物はありませんか、タオル、水筒は忘れてい
ませんか?」と注意しておられるのを聞き流してロッカールームに…。ハタ
と気が付きました、私はもっと大きな忘れ物です。靴、靴を忘れたんです。
弁解しますとね、「フラダンス」も「インドムービーダンス」も素足なんです。
だから脱いだ靴を持ち帰るなんて事はすっかり忘れていました。嫌~ね。



今日久し振りに「徹子の部屋」を生で見たのです。そこで樋口了一さんが
「手紙 親愛なる子供へ」を歌っておられるのを聞いたのです。勿論「手
紙」の事は知っていましたし、詩は読んだ事がありました。でもメロディー
が付いて歌っているのは初めて聞きました。

樋口さんの友人のメールに作者不明で(ポルトガル語で書かれていた)入っ
てきたそうです。日本語に訳したものを見せられて、樋口さんが少し言葉を
追加して、細々と歌っていたのです。それが共感を呼び、口コミで広がって
いったのです。「千の風になって」を売り出した方の目に止まり、CDになっ
たそうです。

詩自体も、胸の詰まる思いをするのですが、歌となりますと尚更で、胸に染
み込む感じでした。私自身がこの手紙の主の年代だからだと思うのですが。

年老いた親が、愛しいわが子に、だんだん弱っていく自分を見ても、それは
老いるという事なので見守って欲しい。そして色んな例を上げてこうなっても
よ、と語っているのです。

最後の4行が本当に身につまされました。

    あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように
    
    私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい

    貴方の生まれてくれた事で私が受けた多くの喜びと

    貴方に対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい

特に2行目は「私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい」この言葉は
自分ではどうする事も出来ない老いていく自分の最後に付き合って欲しいと
言う、親なら、何方でも子に願う言葉ではないだろうか。

徹子さんは「日本人はこうも赤裸々に言葉を書けない…」と言っておられた。
そうかも知れないが、それなら何故この詩は日本に送られてきたのでしょう
か?ポルトガル語で書かれていたというのが、ネックにはなりますが、ポル
トガル圏に長く住んでいる日本人で、この詩は、心は日本人しか解ってもら
えないと思った人が送ってきたと言う考えは間違いでしょうか?

実際の詩を載せてないので、解り難いかも知れませんが興味を持たれまし
たら「手紙 親愛なる子供達へ」と引きますと、「詩」も「歌」も直ぐ出て参り
ます。読んでみてください。




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日野原重明先生

2008年12月22日 | 徹子の部屋から

     
                  ジムのサンタさん 2種
                二つとも木組みのサンタさんです



昨日は一日暖房を入れないで過ごせました。夜に入って、強くなったり弱くなったりしながら朝方まで雨が降っていました。曇り空ゆえか、7時になっても日が差さずに夕暮れの様な朝を迎えました。

昨日、柚子は高価だからと書きましたら、今日スーパーで柚子が山積み(一寸萎びていましたが)一つ100円の値が付いていました。「ひぇ~柚子はこんなに安かった?」と思いましたが、良く考えてみると、今日の柚子は「26日のクリスマスケーキ」なんだと思いました。その日が過ぎれば値打ちがない…。

今考えれば、何もその日でなくともいいんだから、買ってきて柚子湯を楽しめばよかったかしらと思っています。風邪の神様だってぼ~っとした神様も居て、「あ~ぁ、冬至だね」と思ってくださるかもしれなかったのに、惜しいことをしました。

柚子といえば母が出来上がったうどんの上に一切れのっけてくれたのを覚えています。暖められてぷ~んと柚子の香がして、食欲を増したものでした。

この2.3年サテンで「柚子茶」をメニューに入れているお店が増えました。コーヒとか紅茶とかを余り欲しいとは思わないので、あれば頼むのですが、香が薄かったり、甘すぎたりと美味しい店に行き当たりません。



今日、徹子の部屋に日野原先生が出ておられました。97歳にして益々お元気でご活躍のようです。「貝原益軒は『腹八分目』と言っているけど、私は腹六分目だ。ご飯は夜だけ、朝と昼は飲み物とクッキー2枚、時には果物を取りますけど」と言う事でした。

私がもし97歳まで生きるとしたら、今の食欲の量の減退から行けば24年後にはそのくらいになっているかも知れないと思いました。「一生懸命、仕事をしていると食べたいとは思いません」とも言われました。確かにそうです、仕事でなくても何かに一生懸命の時は食べたいとは思わないのです。所在無い時フッと何かをつまみ食いしてしまうようです。旅行中はお八つは食べませんもの。

睡眠は4~5時間とか。睡眠時間の多い生き方は長寿とは言わないとか、なるほど。眠くて仕方の無い私は「眠りも生きる為に必要」と思っているのですが…。
食欲と一緒で24年後には睡眠時間も4~5時間になっているかもしれません。凡人はその年代による生き方でいいのではないでしょうか?

日野原先生の長寿の秘訣は「好奇心」と「うつ伏せ寝」だそうです。うつ伏せになって寝るのでアッと言う間に寝てしまうとおっしゃいました。其れともう一つ「負けず嫌い」。子供の頃から今でも「負けず嫌い」は変わらないそうです。

尼崎に講演に来られた時に聞きに行きましたが、80代だったと思うのですが、スタスタと歩かれるのに吃驚したものです。70代の今の私はその早さには完全に負けております。

「踵から歩き出せば躓かない」とも言われました。其れは知っているのですが、ついすり足で指先から出してしまいます。今までよりも歩き方に意識して、生きている間は足腰丈夫で居たいと思いました。

日野原先生と私の共通点、亥年生まれの神戸育ち。う~ん何だか希望が涌いてきた!!
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ご飯に合うのが「おかず」

2008年07月23日 | 徹子の部屋から

          去年 売れ残り100円で買った株が
             こんなに大きくないました

  
               キャッツ・テール


先日「徹子の部屋」に西健一郎さんと言う東京で有名な小料理屋さんのご主人が出ておられました。ビデオにとったものを見ましたので、放映されたのはづ~っと前だったかも知れません。

「ご飯に合うのがおかず」「季節のもの、言い換えれば、一番安い時が一番美味しいとき」「美味しい野菜はダシもいらない、水煮で充分」「ものの味がわかる味付けにする」西先生のお言葉。先生は自身用事のあるときはお店はお休みなさり、決して人任せにはされないそうです。

持参されたのが「南京の水煮」「しし唐とチリメンジャコの炒り煮」ともう一品だった(すみません、忘れました)。徹子さんが絶賛された「南京の水煮」ダシは一切使っていないそうですが、徹子さんが「美味しい」を連発しながら食べておられた。

偶然なんですが、私も「南京」は水煮なんです。色んなダシを入れて煮ていたのですが、どうも南京を食べている気がしない。ある日「美味しい!」と思ったんです。どのように炊いたかと思い出して見ると、ダシを加えるのを忘れていたんです。その日から私はダシは一切使いません。お砂糖とほんの少しの薄口醤油だけです。

徹子さんが「皮も柔らかですね」と…。「始から調味料を入れるから硬くなるのです」と言うお答えでした。私も半煮えになってから調味料を入れます。其れまでは強火です。

チリメンとしし唐の炒り煮ですが、私も時々作りますが、こんな料理があるとは知らずにこんな組み合わせが美味しそうと思って作っていましたので、立派に料理屋のメニューであるのを見て吃驚しました。その上に西先生が「関西ではチリメンジャコは良く使いますが、関東ではあまり使いませんね」といわれた事で二度吃驚です。

そうなんですか?関東の人はチリメンジャコを余り食べないんですか?私なんか毎朝食べていますよ。カルシュームの塊ですよ。大根おろしと一緒でも美味しいですし。そういえば「くぎ煮」も関西ですね。イカナゴの稚魚の佃煮ですけど…。メザシ以上に大きい魚だけがお好きですか?

西先生も関西人だそうです。お父さまも料理人で、偉い方のお抱え料理人で、料理人番付の横綱の位置にいた方だそうです。お父様は昔かたぎの方ですから、決して教えようとはしないんだそうです。むしろ隠そう隠そうとなさったそうで、「盗んで覚える」で力をつけられたそうです。

西先生も昔ながらに板場では高下駄だそうです。私の聞いた話では「水商売は何時も清潔に」と言う事で、追い回し(新人の事)は何時も土間の掃除をしていたそうで、水を流しますから、足がぬれないように高下駄を穿くと聞いておりました。

今は新しい人も料理学校を出ていたりして、掃除だけに追い回される(此処から名ずけられた)事も無いでしょうけれど、掃除をしながら先輩の手元を見て覚えたそうです。「追い回し」も死語でしょうか。

季節のものといっても、今は何でも、いつでも手に入りますから、そのものの本当の旬はいつかを思い出すのが難しくなりましたね。言い換えれば「旬のもの」とは「露地もの」の事でしょうか。

そのものの味を引き出すのが「日本料理」なら、そのものに余所行きのおべべ(着物)を着せて、又別の美味しさを味あわせるのが、異国の料理と言う事になりますね。

そのものの味の料理も食べ、世界中の着物を着た料理も食べられる日本に生まれて良かった!

 西先生の「「日本のおかず」の本には80品目ほど載っているそうです。100品作ったそうですが、娘さんの厳しい目に叶ったものだけが載っているそうです。ベストセラーだそうです。
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千の風になって

2007年02月06日 | 徹子の部屋から
           白糸の滝に架かる虹
      名前から静かな滝を想像していました
     実際は滔滔と水音高く流れ落ちていました

先日立ち寄った本屋さんに「千の風コーナー」があって色んなバージョンの本が売られていました。私はやはり岩崎ちひろさんの表紙に心惹かれました。

私がこの歌を知ったのは、唱歌の学校でクラスごとの選曲の時に私達のクラスで歌いました。去年の音楽会でも他のクラスが歌いました。6月に音楽会があるのですが、紅白で歌われた為、今年は沢山のクラスが希望しているようです。のりこ先生が言われるには、調べてみるとコーラス用の色んな版が出ているそうです。

私達の音楽会に時々出てくださる、のりこ先生のお友達のテノール歌手の方の方が「秋川さんよりず~っと上手だが、秋川さんがイケ面で負けているって。やっぱり人気は顔ですわ」だって。

どちらが上手かどうかは私には解らないのですが、オペラ歌手の方は楽譜に忠実すぎて情が無い。昔「徹子の部屋」で高名な女性オペラ歌手が演歌に近い歌を歌われたのを聞いてあまりの下手さに吃驚した。きっと楽譜通りに歌っておられるのでしょうが、歌の心が表現されていない。

その点、安田祥子さんはそんなことが無い。元々童謡歌手の経験があるからだろうか。歌詞の意味を忠実に歌っておられると思う。安田祥子・由紀さおり姉妹のこの歌を聞きたいな~と思う。そんな企画は無いのだろうか?2度ばかり「童謡コンサート」を聞きに行った事があるが、もし今年「千の風になって」が選曲に入っていたら、飛んでいくでしょうね。

今日の「徹子の部屋」の秋川雅史さん確かに美男子でしたし、優しい顔に似合わず芯の1本通った方のようでした。この歌の出会いはファンの方が「秋川さんに合っているから」との紹介からだそうです。「紅白に出てみたいと思われましたか」の徹子さんの質問に「あの場所で(超多数の人の前と言う事か)歌ってみたい気はありました」とのお答えでした。

紅白で歌った為に一般の人の知る所となり、オペラ歌手としては初のオリコン1位に輝いたそうです。テレビって凄い力があるのですね。

作詞者は不明だそうで、芥川作家の新井満さんが、友人が奥様をなくされたのを慰める為に訳詞・作曲・自分で歌ったものだそうです。

外国では、アメリカの9.11の一周忌に父を失った11歳の女の子が朗読しました。

マリリン・モンローの25周忌の時ジョン・ウエンが朗読したそうです。早いものですね。モンローがジョウ・デマジオとの新婚旅行で訪日した時、関西にも立ち寄り、神戸の花隈で私は見ました。花隈に何しに来たのでしょうね?大勢の記者?たちに囲まれて、スターって大変なんだな~と思いました。フラッシュのたかれるたびに浮かび上がるモンローは美人と言うより可愛い人と言う感じでした。

又、アイルランドのテロで亡くなった青年が両親に「私が死んだら開けてください」と渡した封筒の中にこの歌詞が入っていたそうです。自分が亡き後の両親の悲しみを思って、少しでも慰めになればと書き残したものでしょうね。

この歌を聴くと亡くなってしまった、懐かしい人たちのことを思い出します。私の場合、すべて亡くなってから年月が過ぎていますから、懐かしさだけがこみ上げてくるのですが、愛する人を亡くしてまだ日の浅い人はどんな感情をもたれるのでしょうね。

お墓の存在をどう感じますか?拝むという行為にはやはり、歌詞通り、其処には居ないとしても対象として必要ですよね。
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