今日はお天気いいみたいですね。
なにをするって言うこともないのですが、
晴天がいいです。
昨夜は、元飼い犬の「コロ」の夢を見ました。
あの世から私たちのこと気にかけてくれているのかな~?
20年生きて痛んだものね、
犬としては長寿だったよね。
私も時々思い出します、生まれたてで、
片手にすっぱろち乗りましたよ。
次男が拾って来ましたから、
恩義を感じているのか、一番なついていましたね。
今日はお天気いいみたいですね。
なにをするって言うこともないのですが、
晴天がいいです。
昨夜は、元飼い犬の「コロ」の夢を見ました。
あの世から私たちのこと気にかけてくれているのかな~?
20年生きて痛んだものね、
犬としては長寿だったよね。
私も時々思い出します、生まれたてで、
片手にすっぱろち乗りましたよ。
次男が拾って来ましたから、
恩義を感じているのか、一番なついていましたね。
「むしぶろ」 … 私が小さい頃、 「サウナ」のことそう言って居ました。
神戸の「新開地=しんかいち」 にそれはありました。
おじいちゃんが好きで、市電に乗って、コトコトと行きました。
子供の私には、息が詰まりそうなだけで、
気持ちのいいものではありません。
だからすぐ出て行きます。
祖父は心配して、追っかけてきて、
又入れます。そのいたちごっこです。
そこで私は「弁士」を知りました。
風呂場ですが、映画が上映されて、それに
弁士が無言の画面の説明をします。
弁士は向かって左にいました。
お客さんは、皆裸です。
今思えば、変な風景ですね。
子供は私以外いなかったと思います。
いたら遊びますよね、
私は一人で遊んでいた記憶です。
おおじいちゃんには大阪に「大相撲」を見に
連れていって帰りに「迷子」になったり、
色んな経験を積み?ました。
そんなときの私は小さいながら、
大人しいと言うかしっかりしているというか、
決して、泣き喚いたりしませんでした。
それが返って、見つけにくかったかもしれませんね。
今でもその性格はそのままで、
騒ぐことは無いようです。
自転車に何時ごろ乗り出して、何時ごろ止めたかな~?
乗り出したのは中学一年生だと思う。
当時、自転車は高くて、買ってもらえなかったの。
そして、当時、自転車さんで「貸し自転車」があったのよ。
1時間いくらだったかな~?
初めは近くの公園でグルグル廻っていたけれど、
乗れるようになると、道路を走りたくなるのよね。
人の通りの少ない道をゆるゆる乗っていたのが、
だんだん大通りを走りたくなるのよね。
そして平坦な道から坂道をとなっていくのよ。
大きな坂道で、下りだったと思うわ、
アッつと言う間に転んだの、顔を地面にぶちつけてね、
見る見る顔が腫れていったのよ、
鏡は無くとも、触れる手に、腫れ具合が伝わってくるの、
母がね、「女の子が顔に傷つけるなんて」と
お金をくれなくなったの、それで中断して、
又、乗り出したのが、何時か? 覚えてないのよ。
阪神淡路大震災のとき、
西宮の「太極拳」の友人が罹災して、
彼女が「コーヒ好き」だったのを思い出して、
あついコーヒをポットに入れて自転車で持って行ったのよ。
とても喜んでくれてね、
「コーヒはもらうけど、こんなに熱いのは初めてよ」 ってね。
彼女とも音信は途絶えているけど、
どうしておられるかな~?
私よりだいぶお年上だったから、もうあちらのお国に行かれた?
花はどうして、こんなに綺麗なのでしょう?
ただその命が短いのが寂しいです。
又、写真ではなく、本物の花に会いたくなりました。
でも我慢我慢です。
この寒さでは出歩けません。
しかし今日の夕方には、一寸お出かけです。
塚口までですが、主人が、
いつもの「カレー屋」さんの「カレー」が食べたいそうです。
食べるのだけが楽しみな私たちです。
気をつけていってきます。
口数が少ないから、大人しそうに見えるのですが、
そうではありません。 したいと思うことは、考えて考えて、実行します。
この時もそうでした。
初めは数少ないとはいえ、自動車も通りますし、
ゆっくり走っていましたが、その内に、だんだん勢いをつけて来ました。
あっという間に顔面から落ちました。
少ないとは言えおでこと鼻の辺りが血だらけ、
ポトポト地を流しながら、自転車を引きずって帰りました。
それを見た母は 「女の子が顔を傷つけるなんて!」 と
自転車の借り賃をくれなくなり、練習再開は出来ませんでした。
初めは庭の芝生の上で試みましたが、タイヤに撒きついてしにくい。
と言う理由をつけて、再び道路へ。
後如何したのか記憶にありませんが、乗れるようにはなりました。
何十年後のことです。
息子たちが前後についてゆらりゆらりとこぎ始めました。
アッと言う間に。乗れるようになりました。
神戸の大震災が起こり、西宮の友人宅に、亀裂の入った道路を
自転車で行きました。差し入れの中でも「コーヒ」大好きな彼女が、
喜んだのは、「ポットに入れた温かいコーヒ」でした。
それからは、何処に行くのも「自転車の生活」 が始まりました。
私は運動神経は駄目なのですが、必要なときは動けるようでした。
又、何年かのちに、自転車を乗り回す時代が来ました。
そして85歳のバーチャンが乗りたいのです。
でもさすがに、買ってまでとは思いませんから、思うだけです。
自転車乗れますか?
もう何十年も乗ってないから無理ですか?
息子たちが10歳ぐらいのとき、又、自転車ブームが来たのです。
私はもう少し大きくなった頃、やはりブームでした。
今と違って、じてんしゃを子供のために買う家は無かったと思います。
それで、「貸し自転車」と言うのが流行りました。
私は乗りたいと思いました。
近所の大きな公園なら大丈夫と思いました。
そこまでは自転車を引っ張っていくのです。
まず、またぐことから始めました。
そして、片足をペタルに乗せるのですが、
なかなか出来ません。
片足になるととたんにバタンと倒れてしまいます。
何度も何度も倒れながら、練習を重ね、
やっと、片足が乗りました。
次は反対の足です。
こうして止まったままに、
やっと片足をペタルに乗せられるようになりましたけど、
ペタルの上の足を踏み込めば前進すると分かっていますが、
怖くて出来ません。
何度も何度も倒れながら、出来るようになりました。
すーっと前進したときの嬉しさと驚き、忘れられません。
それからずんずんと上達し、
公園をグルグル廻れるようになりました。
そうすると、だんだん欲が出て、一般道を走りたいのです。
近頃は、あまり自転車に乗ってる子を見ませんね。
放課後、家に帰って、次の遊びに「自転車」だったんですよね。
私の息子世代は。
4年生だったかしら、自転車を買ったのは。
その前は知人の子どもが大きくなって、自転車を新しく買うことになり、
お古をもらったのです。だから乗り始めは3年生だと思うの。
古い自転車のときに、私も何十年振りかでのろうとしたのですが、
のれなかったの。
私が自転車に乗り始めたのは中一ぐらいだったと思うの。
初めは友達が後ろから押してくれて、知らぬ間に手を放すという、
乗り方でした。
その頃は高価で自転車を持っている子は少なかったんです。
「貸し自転車屋」と言うのがあって、時間で貸してくれるのです。
私はぜんぜん乗れなかったけれど、
どうにか乗れる様になって、
一寸遠出をしたくなったのよね、
私は知らない道を走って、大きな坂に差し掛かりました、
坂ですから、勢いがついて、怖くなったのです。
止めようとしたのですが、何しろ坂道ですから、
止められなくて、自分から止めようとして、
身を投げ出したの。今思うとすごいことしたな~と思います。
「顔」をしたたかに打って、血が出ました。
一人ですから、とぼとぼ自転車を引きずって帰りました。
帰ってきた私の顔を見て、母は言いました。
「女の子が、顔に傷つけるなんって! そんなこと止めなさい」
日ごろは怒ることの無い母が、怒りました。
そのときに自転車に乗るお稽古を止めて、
子どもの自転車が何十年ぶりだったのです。
バタンバタンと倒れる私を見て、息子二人が、
私の自転車の前後に付き、走ってくれました。
早朝に練習しました。乗れるようになりました。
40歳近かったと思うのですが、今思っても、
「あんた ようやるな~!」 です。
今も、書いた文がスーッと消えてしまいました。
寂しいというか悲しいと言うか、たまらないです。
少しずつ「投稿する」を押さえとくしかないのでしょうか。
邪魔くさいけど、仕方がないね~。
「ルピナス」はニュジーランドが有名ですね。
私の「還暦祝い」に行きました。
日本の2月、あちらでは「ルピナスの花」が盛りです。
ところが、出立の2週間まえに「関西に大地震」でした。
余震も続くので一年遅らせました。
見渡すかぎり、「ルピナス」!
地平線の海まで! 圧巻でしたね。
1ヶ月のドライブ旅行で、車は「真っ赤」
70歳近い主人と還暦過ぎの私はハンドルを取り合っての運転です。
泊まりは着いた日と帰国の日以外はバンガローですから、
食事は自炊です。お昼は「おにぎりを作るのですが、
あちらのお米はパサパサで握りにくかったです。
宿泊料は驚くほど高いので、仕方ありません。
一日でも、長く居りたかったのでね。
おかずは「スーパー」で買いましたよ。
一ヶ月何を食べたのか? 忘れました。
勿論人に出会うこともまれですし、
「ガス」は無くて「ボンベの石油」ですからね。
バンガローを借りに行ったときぐらいですよ、
人と話すのは。
主人はずるいのです、「英語の勉強になるから、行け!」って
私ばかり交渉させるのです。
何もかも「懐かしい思い出」です。
アルバムを開いてみたくなりました。
20年以上昔のニュージーランド、今は変わっ居るのでしょうね?
少し温かいかな?
コロナコロナ が相変わらずです。
出るなでるなと言われるので、
買い物もさっさと済ませ、
家に閉じこもっております。
なんだか病人になったような気持ちです。
今は家に閉じ込められても、テレビがありますから、
世の中の情報は入ります。
デモね何処のチャンネルを回しても「コロナ コロナ」ですよ。
わが兵庫県も、「コロナ患者」増えていると言っています。
どうかどうか早く広がらないようにお願いします。
志村けんさんが亡くなった。
あの飄々としたところが好きだった。
2日ほど前に長編のテレビを見たところだった。
それを見終えてすぐだったか、最中だったかに、
志村健さんの死が伝えられた。
今でもまだ信じられないけど、ポカンとしていたと思います。
伝染するかもと、肉親の面会も許されなく、火葬されるとか、
道の病ゆえの処置とはいえ、淋しすぎますね。
何も知らないパッくんは、志村さんを待ち続けるのでしょうね。
可哀想に。