ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

またコロ です

2021年06月15日 | 思い出話

今日はお天気いいみたいですね。

なにをするって言うこともないのですが、

晴天がいいです。

 

昨夜は、元飼い犬の「コロ」の夢を見ました。

あの世から私たちのこと気にかけてくれているのかな~?

20年生きて痛んだものね、

犬としては長寿だったよね。

 

私も時々思い出します、生まれたてで、

片手にすっぱろち乗りましたよ。

次男が拾って来ましたから、

恩義を感じているのか、一番なついていましたね。

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蒸し風呂

2021年03月18日 | 思い出話

 

 

「むしぶろ」 … 私が小さい頃、 「サウナ」のことそう言って居ました。

 

神戸の「新開地=しんかいち」 にそれはありました。

 

おじいちゃんが好きで、市電に乗って、コトコトと行きました。

子供の私には、息が詰まりそうなだけで、

気持ちのいいものではありません。

 

だからすぐ出て行きます。

祖父は心配して、追っかけてきて、

又入れます。そのいたちごっこです。

 

そこで私は「弁士」を知りました。

風呂場ですが、映画が上映されて、それに

弁士が無言の画面の説明をします。

 

弁士は向かって左にいました。

お客さんは、皆裸です。

今思えば、変な風景ですね。

 

子供は私以外いなかったと思います。

いたら遊びますよね、

私は一人で遊んでいた記憶です。

おおじいちゃんには大阪に「大相撲」を見に

連れていって帰りに「迷子」になったり、

色んな経験を積み?ました。

 

そんなときの私は小さいながら、

大人しいと言うかしっかりしているというか、

決して、泣き喚いたりしませんでした。

それが返って、見つけにくかったかもしれませんね。

 

今でもその性格はそのままで、

騒ぐことは無いようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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自転車

2021年02月26日 | 思い出話

 

自転車に何時ごろ乗り出して、何時ごろ止めたかな~?

 

乗り出したのは中学一年生だと思う。

当時、自転車は高くて、買ってもらえなかったの。

 

そして、当時、自転車さんで「貸し自転車」があったのよ。

1時間いくらだったかな~?

 

初めは近くの公園でグルグル廻っていたけれど、

乗れるようになると、道路を走りたくなるのよね。

 

人の通りの少ない道をゆるゆる乗っていたのが、

だんだん大通りを走りたくなるのよね。

そして平坦な道から坂道をとなっていくのよ。

 

大きな坂道で、下りだったと思うわ、

アッつと言う間に転んだの、顔を地面にぶちつけてね、

見る見る顔が腫れていったのよ、

鏡は無くとも、触れる手に、腫れ具合が伝わってくるの、

母がね、「女の子が顔に傷つけるなんて」と

お金をくれなくなったの、それで中断して、

又、乗り出したのが、何時か? 覚えてないのよ。

 

阪神淡路大震災のとき、

西宮の「太極拳」の友人が罹災して、

彼女が「コーヒ好き」だったのを思い出して、

あついコーヒをポットに入れて自転車で持って行ったのよ。

 

とても喜んでくれてね、

「コーヒはもらうけど、こんなに熱いのは初めてよ」 ってね。

 

彼女とも音信は途絶えているけど、

どうしておられるかな~?

私よりだいぶお年上だったから、もうあちらのお国に行かれた?

 

 

 

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カレーやさん

2021年01月23日 | 思い出話

 

花はどうして、こんなに綺麗なのでしょう?

ただその命が短いのが寂しいです。

 

又、写真ではなく、本物の花に会いたくなりました。

でも我慢我慢です。

この寒さでは出歩けません。

 

しかし今日の夕方には、一寸お出かけです。

塚口までですが、主人が、

いつもの「カレー屋」さんの「カレー」が食べたいそうです。

 

食べるのだけが楽しみな私たちです。

気をつけていってきます。

 

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昨日の続き

2020年09月18日 | 思い出話

口数が少ないから、大人しそうに見えるのですが、

そうではありません。 したいと思うことは、考えて考えて、実行します。

 

この時もそうでした。

初めは数少ないとはいえ、自動車も通りますし、

ゆっくり走っていましたが、その内に、だんだん勢いをつけて来ました。

 

あっという間に顔面から落ちました。

少ないとは言えおでこと鼻の辺りが血だらけ、

ポトポト地を流しながら、自転車を引きずって帰りました。

 

それを見た母は 「女の子が顔を傷つけるなんて!」 と

自転車の借り賃をくれなくなり、練習再開は出来ませんでした。

 

 

初めは庭の芝生の上で試みましたが、タイヤに撒きついてしにくい。

と言う理由をつけて、再び道路へ。

後如何したのか記憶にありませんが、乗れるようにはなりました。

 

何十年後のことです。

息子たちが前後についてゆらりゆらりとこぎ始めました。

アッと言う間に。乗れるようになりました。

 

神戸の大震災が起こり、西宮の友人宅に、亀裂の入った道路を

自転車で行きました。差し入れの中でも「コーヒ」大好きな彼女が、

喜んだのは、「ポットに入れた温かいコーヒ」でした。

 

それからは、何処に行くのも「自転車の生活」 が始まりました。

 

私は運動神経は駄目なのですが、必要なときは動けるようでした。

 

又、何年かのちに、自転車を乗り回す時代が来ました。

 

そして85歳のバーチャンが乗りたいのです。

でもさすがに、買ってまでとは思いませんから、思うだけです。

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自転車

2020年09月17日 | 思い出話

 

 

自転車乗れますか?

もう何十年も乗ってないから無理ですか?

 

息子たちが10歳ぐらいのとき、又、自転車ブームが来たのです。

 

私はもう少し大きくなった頃、やはりブームでした。

 

今と違って、じてんしゃを子供のために買う家は無かったと思います。

 

それで、「貸し自転車」と言うのが流行りました。

私は乗りたいと思いました。

近所の大きな公園なら大丈夫と思いました。

そこまでは自転車を引っ張っていくのです。

 

まず、またぐことから始めました。

そして、片足をペタルに乗せるのですが、

なかなか出来ません。

片足になるととたんにバタンと倒れてしまいます。

何度も何度も倒れながら、練習を重ね、

やっと、片足が乗りました。

 

次は反対の足です。

こうして止まったままに、

やっと片足をペタルに乗せられるようになりましたけど、

ペタルの上の足を踏み込めば前進すると分かっていますが、

怖くて出来ません。

何度も何度も倒れながら、出来るようになりました。

 

すーっと前進したときの嬉しさと驚き、忘れられません。

それからずんずんと上達し、

公園をグルグル廻れるようになりました。

そうすると、だんだん欲が出て、一般道を走りたいのです。

 

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自転車

2020年06月23日 | 思い出話

 

近頃は、あまり自転車に乗ってる子を見ませんね。

 

放課後、家に帰って、次の遊びに「自転車」だったんですよね。

私の息子世代は。

 

4年生だったかしら、自転車を買ったのは。

その前は知人の子どもが大きくなって、自転車を新しく買うことになり、

お古をもらったのです。だから乗り始めは3年生だと思うの。

 

古い自転車のときに、私も何十年振りかでのろうとしたのですが、

のれなかったの。

 

私が自転車に乗り始めたのは中一ぐらいだったと思うの。

初めは友達が後ろから押してくれて、知らぬ間に手を放すという、

乗り方でした。

 

その頃は高価で自転車を持っている子は少なかったんです。

「貸し自転車屋」と言うのがあって、時間で貸してくれるのです。

私はぜんぜん乗れなかったけれど、

 

どうにか乗れる様になって、

一寸遠出をしたくなったのよね、

私は知らない道を走って、大きな坂に差し掛かりました、

坂ですから、勢いがついて、怖くなったのです。

止めようとしたのですが、何しろ坂道ですから、

止められなくて、自分から止めようとして、

身を投げ出したの。今思うとすごいことしたな~と思います。

 

「顔」をしたたかに打って、血が出ました。

一人ですから、とぼとぼ自転車を引きずって帰りました。

 

帰ってきた私の顔を見て、母は言いました。

「女の子が、顔に傷つけるなんって! そんなこと止めなさい」

日ごろは怒ることの無い母が、怒りました。

 

そのときに自転車に乗るお稽古を止めて、

子どもの自転車が何十年ぶりだったのです。

バタンバタンと倒れる私を見て、息子二人が、

私の自転車の前後に付き、走ってくれました。

 

早朝に練習しました。乗れるようになりました。

40歳近かったと思うのですが、今思っても、

「あんた ようやるな~!」 です。

 

 

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ルピナス

2020年05月15日 | 思い出話

 

今も、書いた文がスーッと消えてしまいました。

寂しいというか悲しいと言うか、たまらないです。

少しずつ「投稿する」を押さえとくしかないのでしょうか。

邪魔くさいけど、仕方がないね~。

 

「ルピナス」はニュジーランドが有名ですね。

私の「還暦祝い」に行きました。

日本の2月、あちらでは「ルピナスの花」が盛りです。

 

ところが、出立の2週間まえに「関西に大地震」でした。

余震も続くので一年遅らせました。

 

見渡すかぎり、「ルピナス」!

地平線の海まで! 圧巻でしたね。

 

1ヶ月のドライブ旅行で、車は「真っ赤」

70歳近い主人と還暦過ぎの私はハンドルを取り合っての運転です。

 

泊まりは着いた日と帰国の日以外はバンガローですから、

食事は自炊です。お昼は「おにぎりを作るのですが、

あちらのお米はパサパサで握りにくかったです。

 

宿泊料は驚くほど高いので、仕方ありません。

一日でも、長く居りたかったのでね。

 

おかずは「スーパー」で買いましたよ。

一ヶ月何を食べたのか? 忘れました。

 

勿論人に出会うこともまれですし、

「ガス」は無くて「ボンベの石油」ですからね。

 

バンガローを借りに行ったときぐらいですよ、

人と話すのは。

主人はずるいのです、「英語の勉強になるから、行け!」って

私ばかり交渉させるのです。

 

何もかも「懐かしい思い出」です。

アルバムを開いてみたくなりました。

 

20年以上昔のニュージーランド、今は変わっ居るのでしょうね?

 

 

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コロナ

2020年04月10日 | 思い出話

少し温かいかな?

コロナコロナ が相変わらずです。

 

出るなでるなと言われるので、

買い物もさっさと済ませ、

家に閉じこもっております。

なんだか病人になったような気持ちです。

 

今は家に閉じ込められても、テレビがありますから、

世の中の情報は入ります。

デモね何処のチャンネルを回しても「コロナ コロナ」ですよ。

 

わが兵庫県も、「コロナ患者」増えていると言っています。

どうかどうか早く広がらないようにお願いします。

 

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淋しいね!

2020年03月31日 | 思い出話

 

志村けんさんが亡くなった。

あの飄々としたところが好きだった。

2日ほど前に長編のテレビを見たところだった。

それを見終えてすぐだったか、最中だったかに、

志村健さんの死が伝えられた。

今でもまだ信じられないけど、ポカンとしていたと思います。

 

伝染するかもと、肉親の面会も許されなく、火葬されるとか、

道の病ゆえの処置とはいえ、淋しすぎますね。

 

何も知らないパッくんは、志村さんを待ち続けるのでしょうね。

可哀想に。

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