ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

遍路  20回

2009年05月31日 | 思い出話
     平成14年5月16日 (木)  訪れるお寺無し 歩くのみ



          距離:20K  民宿さざなみ荘 ~ 旅館 大谷


さざなみ荘はとても良い宿でした。お座敷は入江に向かって大きな窓が設えられていて、とても開放的でした。到着時間は早いし、ゆったりとお風呂に入りました。お風呂に入る順番は到着した順番に入るのがルールだそうです。そしてもし同じに着けば、申し込みの早い順に入るんだそうです。ですから私達が先に入りました。そして洗濯をしました。「全て良し」といかないな~、乾燥機がありませんでした。

早めの5時にお食事です。お料理上手な女将さんのお手料理は美味しかったですよ。女将さん曰く「今の時期何処に行ってもタタキが出ると思うので、私はさかなを出さないようにしています。どんなに美味しくても3日も続けばお嫌でしょうから」
私の目の前には鮭がで~んと出ている。「あれ? 鮭はさかなじゃなかったっけ?」高知では『魚』と言えば『カツオ』の事を指すらしいのです

デザートに「小夏」が出ていました。たっぷりと白い部分をつけて剥いてありました。白い内皮を一緒に食べるのだと教えられました。私はレモンと間違えて、一切れ(一寸変だな~と思ったのですが)例の魚の上に絞りました。女将さんはなんと思われたでしょう。お~恥かしい!

食後、相江さんが『明日の予約は?」と聞かれましたので、ご一緒の「大谷旅館」に連絡を入れました。色々とお話をしていますと、女将さんがコーヒをサービスしてくださいました。

目覚めた時には雨は止んでいましたが、出発する頃に又小雨が降り始めました。

「今までの遍路宿で頂いた食事の中で一番美味しかったですよ』と言いました。「そのように言われるのが一番嬉しい」と喜んでくださいました。

5月16日 (木)  訪れるお寺無し 

今日も相江さんと後先になりながら焼坂トンネルを目指して歩きます。安和の辺りは枇杷の産地らしく、道路わきには枇杷がたわわに実っていました。取り入れている人と相江さんが話しているところに追いつきました。

枇杷を「お接待」してくださいました。始は紙袋をかぶせた売り物の枇杷(中には3個の枇杷が包まれていた)をくださいました。話を続けていますと「本当はこっちの方が美味しいよ」と紙袋をかぶせてない大小5.6個ぶら下がった枇杷の枝をくださいました。お日さん燦々と受けて育った枇杷は色も濃く、甘みも濃く美味しいと思いました。何はともあれ喉の乾きをおさえるにはもってこいだと思いました。有難い事でした。

焼坂トンネルは(966m)長いトンネルでした。初めてマスク(排気ガス予防)を付け、耳をしっかりタオルで被い(トラックの凄まじい反響音なのです)、必死で半ば駆けるようにして通過しました。

久礼町(くれちょう)に差し掛かり「大谷旅館」に行く道を訊ねましたが、要領を得ません。「歩いている人に聞いて、皆知ってるから」と言われてしまいました。

人にも訊ねたのですが、中々解り難い場所で、最後の方は「そっちの方に行くから…」と連れて行ってくださいました。そのおばあさんが「あんた達は何で又お金を出して旅館に泊まってまで、お遍路するねん? お金と閑があるからやろけれど、私やったらお金があってもせいへんわ」と言われてしまいました。なんと答えます??? 苦笑あるのみ…。憎まれ口をたたきながら旅館の前まで案内だけはしてくださいました。

8:51  おちさん  (送)
一日雨でした。青龍寺でした。貴女が荷物を預けられた「大橋」はお休みでした。「レベッカ」と言うお店でモーニングを頂き、荷物を預けて打戻しました。喜久屋さんに紹介してもらった「さざなみ」に泊まりました。途中でご一緒になった男性(同じ兵庫県)も宿を探しておられたのでご一緒し、明日も「大谷旅館」で一緒です。「さざなみ」は2食付で安い上に女将さんが料理上手、野菜は新鮮な家庭菜園で美味しかったです。唯乾燥機が無いので湿った洗濯物が重い。明後日岩本寺で帰ります。

8:51  かずよ  (送)
雨の中冷え切った身体を和風ラーメンで温まり、お料理上手な女将さんでした。靴がぐちょぐちょで新聞で乾かすと言う経験をしています。明日もう一泊しないと次のお寺に着きません。ソコが最後です。

9:23  かずよ  (受)
今日も雨かと思っていたのにやんで曇ってる。明日まゆの親子遠足なのに天気が怪しい!今日やったら何とかいけてたのに…

        途中で見つけた廃屋 過っては蕎麦屋さんだったらしい  
           7年経った今はどうなっているのでしょうね



5月16日 (木)  大谷旅館  (6泊目)

大きな旅館でした。しかし泊り客は私達3人だけ、此処にも乾燥機はありませんでした。冷房か暖房の時期であれば、部屋で乾かせるのですが、今の時期それもありません。万事休すです。

帰宅後調べてみますと隣の「福屋旅館」(2軒隣同士だった)の「鯖の塩焼き」は絶品であると、遍路仲間が書き送ってくれていました。だから「福屋」に泊まるつもりでしたのに…。「大谷旅館」でも「鯖の塩焼き」は出ましたが美味しいとは思わなかった。何を勘違いしたのだろう。残念な事をしました。
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遍路  19回

2009年05月30日 | 思い出話
        平成14年5月15日(水)   第36番 青龍寺


           距離:26K   喜久屋旅館 ~ さざなみ荘

喜久屋旅館は私達だけで一寸寂しい食事でした。また「鰹のたたき」が出ました。夕方遅くに女性4人のグループが素泊まりでやってきました。観光でしょうか? 何処を見るのでしょうか?

食事の後、女将さんに明日の道順を聞きました。この宿の名物「女将の地図」を丁寧な説明と共に頂きました。字がとっても奇麗でした。字が奇麗ということは徳ですね。賢そうに見えます。声の大きいのも良いですね。元気で、自信ありげに見えます。

      5月15日(水)  第36番  清龍寺(せいりゅうじ)


起きぬけ、5時にシャッターを押し上げて家内に向かって「有難うございました」と呟き、一礼して出発した。昨夜の内に支払いも済ませて、早立ちすることを伝えてあります。シャッター内部のガラス戸に鍵は掛けないで置くといわれました。

「塚地トンネル」と言う看板を右折、此処からは一本道と聞いているので気が楽でした。トンネルと峠声の分かれ道のところに休憩所がありました。東屋の中に野宿しているテントが4張り、自転車の主達はまだ夢の中らしく静まり返っています。

私達はトンネルを選びました。トンネルを抜けるとその突き当たりは海です。海岸線に沿って歩いていますと、暫くして宇佐大橋が見えてきました。小雨まじりの風が吹いています。橋を渡るときだけでも「風よ吹かないで!」と祈る気持ちです。

36番 青龍寺は打ち戻り(同じ道を行き帰りする事)なので橋を渡る前に荷物を預ける予定です。予定していた店は「本日休業」でした。途方にくれていますと、同じ道筋の「レベッカ」と言う喫茶店に従業員らしき人が現れました。「モーニングを食べて、荷物を預かってもらえますか?」と訊ねましたら「もう少し待ってくれれば出来ます」と言うので、待たせてもらう事にしました。「レベッカ」と言う小説を読み、映画も見たな~など考えながら、暫く外で待っていました。

用意の出来た店内に入り「モーニング」を頼みました。暫くすると店の女主人もご出勤です。「彼女(従業員)は東京から高知にお嫁に来た人だが、今では、高知生まれの私達(主人)より「ハチキン」だよ」と言いました。「ハチキン」とは男勝りの働き者の女性の事だそうです。「高知の女はよく働く、だからは男は遊ぶ。女は強くなり酒も強い」と話してくれました。お客さんが来るまで、こうして土地の事など話を聞くのも楽しみなものです。常連さんで店が塞がったので、荷物を預けて、軽々と青龍寺に向かいました。



             この長い階段の上に本殿、太子堂があります 
               高校生だった朝青龍はクラブ活動で
       毎日この石段を上がり下りしてトレーニングしたと言う話です

     

小雨の中、ぬれている石段に足を滑らせないように気をつけながら、ゆっくりと登りました。雨が降っていなければ、良い景色なんでしょうが、私達以外遍路の居ない寂しいお寺を早々に下りてきました。

お寺で背の高い歩き遍路さんが話しかけてこられました。「区切り打ちで、延光寺までの予定です」と言うお話しでした。私達はその手前のJRの駅で今回は終了の予定でした。その時はこれから登る彼とは袂を分かちましたが、まさかこの方と(相江哲良さん)3泊4日も一緒に旅する事になろうとは、「神のみぞ知る!」でした。

沢山のバス遍路さんがやってきました。人数が多い分ガヤガヤと賑やかです。

橋を渡り終えたところで昨日あった若者「悠々さん」がやってくるのに出会いました。「打ち戻りだし、荷物を預けていけばいいのに丁度お昼だし…」と言いましたら頭の上を遥かに越えた荷物を「見かけほど重くは無いのですよ。お腹は減っていますけど、お参りしてからにします」と笑っていました。

荷物を受け取りに行って、お昼の「うどん」を食べました。

此処から3時間先に喜久屋の女将さん推薦の「さざなみ荘」があります。もし歩けなかったら、バスに乗りなさいと停留場も教えられていました。海岸沿いに歩いていましたが、行けども行けども町らしいところに出ません。

防波堤が歩き易いと主人が言うので歩いていたのがいけなかったらしい。フッと見ると右手の山際に自動車が入っていくのが見えました。「この道はおかしいよ。自動車が右手に行くのが見えたよ」私はぷりぷりして上の道の分かれ道まで後戻りしました。又余分に歩いてしまったのです。

フッと振り返りますと青龍寺でであった背の高い人がやってくるのが見えました。「今夜は何処にお泊りですか?」と聞いてこられた。「さざなみ荘です」「私もお昼を食べた店で教えられたのですが、電話番号が解りません。道沿いにあるというので、宿には連絡しないまま此処まで来ました」と言われたので、電話番号を教えてあげました。ところが、息子さんから借りてきた携帯電話が動かないので見て欲しいとの事でしたが、そんなこと言われても、私も自分の携帯しか使えません。後で解ったことはズボンのポケットに入れているので動くといけないと思ってロックしていたらしいのです。今では考えられない事ですが、当時携帯ビギナーの私もなるほどと合点だったのです。

「それなら私が連絡しましょう」と私の電話で宿に電話を入れました。その時女将さんに「3時からですからゆっくり着てください」と言われました。ところが2時に着いてしまったのです。しかし「3時から…」と言う言葉があったので、入りにくいのです。三軒手前の店先を借りて、合羽を脱いだり畳んだりしていても時間は遅々として進みません。「喫茶店はありませんか?」と店の人に聞きますと、「喫茶店と言う程ではないが…」と教えてくれたのが、私達が留まる「さざなみ荘」だったのです。

              先を行く 長身の相江さんと主人


仕方が無いので私は「すみません。もう着いてしまいました」と遠慮がちに電話を入れました。後で女将さんが言われるには「3時からですといったのは、大抵の人が言った時間より遅れてきて『すみません』と謝られるので、『ゆっくりでいいですよ』と言う意味で言ったのです」と言う事でした。意思の疎通を欠くと言うのはこういう事を言うのですね。お互い話合って見ないと心の内は解らないものです。

8:48  ふじいさん  (送)
昨夜早い内から雨降っています。青龍寺打ち戻しの橋のとき小雨だったらいいな。日に照り付けられないのはいいです。日が強くて袖口と手袋の間が焼けて、腕輪のように色がついています。

8:49  かずよ  (送)
朝5時から歩いて、今モーニングを待っています。覚悟の上とはいえ雨はいや、長~い橋があるらしい。打戻と言って島にあるお寺に参って戻るために二度わたらなくてはならないのが一寸心配。

13:58  かずよ  (受)
こちらもよく降っています。雨の日はうっとおしい気分的に重たくなりますよね。でも頑張って。

12:06  ふじいさん  (受)
大阪は小雨が降り始めました。なんだか寂しい。そちらもあんまり降らないように。

   さざなみ荘は裏が直ぐ海 夏は海水客で賑わうとか…(2階から写す)




16:10  ふじいさん  (送)
じゃーじゃー振りです。雨の中、朝の5時から2時まで修行させていただいたわ。靴はグショグショ、ポンチョ型合羽にレインズボン、雨で濡れるのではなく蒸れて大変。入江に向かってとても景色の良いお部屋です。又明日。

16:52  ふじいさん  (受)
入江に向かっての安らげるお部屋で疲れを少しでも忘れて、明日も良いお参りが出来ますように。
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OniiChan and Kitchen

2009年05月29日 | 一寸そこまで
           化粧まわし (元横綱・若乃花・お兄ちゃん)
    
           左:入り口  右:ウインドウ  下:室内





一度行ってみたかった、予告から長~い待ち時間があって、やっと今日行って来ました。勿論、ごとうさんがお世話くださいました。これからも年に2回はこのような機会を作ってくださると言うお約束をしてくださいました。(次回が待ち遠しい)

二階が客室になっています。一階は受付だけですので、奥にキッチンがあると思います。エレベーターを降りると直ぐ「化粧まわし」が出迎えてくれます。大人になって「化粧まわし」を真近に見たのは初めてです。国技館に相撲は見に行っても中入りギリギリに入るので資料館には入った事が無かったと今思い出しました。

戦前には「清荒神」に祖父に連れられて行った時、「双葉山の化粧まわし」が飾られていて、相撲好きの祖父が行く度に見に行ったのを覚えています。

          OCK松花堂会席  デザートは「蕨もち」



                 OCK洋風ミニコース  
   私の注文したコース ごぼうのスープがつきました 和洋ともコーヒ付き




参加申し込みをした時点で、「和」か「洋」かを申し込みました。どちらにしようかと迷いましたが、私は「洋風ミニコース」を選びました。なぜならば「会席」は作り置きだろう、「洋コース」なら温かいものは温かく、冷たいものは冷たく出てくるだろうと思ったからです。

「会席コース」を選んだ方が言うには「洋風」の方が良い。「和風」は味付けがきつい。それだからか別の、アルコール好きの方はご飯が固かったし、アレはアルコールが欲しい味だったそうです。

私の選んだ「洋風」はあっさり系でした。スパゲッティのクリーム味も、タバスコを少量掛けた方が美味しかったですよ。つまり薄味でした。ステーキがね~一寸固い肉でしたね。勿論値段から言えば妥当だと思いますよ。でもそれならステーキよりハンバーグにした方がよかったような気がします。

食器ですが軍配は「和風」です。茶碗蒸しの器、ご飯のお茶碗共に私は好きでしたね。「洋風」の方は「白」ばかりです、スパゲッティのお皿が太鼓橋の様な曲線の上に載っていたのが目新しいだけでした。

総評としましては2.500円としては高くない。お腹がいっぱいになります。友達と来るとすればレディースセット1.280円で十分かもしれません。

今度は「レディースセット」でもう一度訪れてもいいかな?と言うお店でした。
こじんまりとした、感じの良いお店でした。でも予約無しで行けないのが一寸つらいかな?
                              (1070回)
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伊丹 荒牧バラ園

2009年05月28日 | 一寸そこまで
                高台から見下ろしたバラ園

                  プリンセス アイコ

                     アリンカ

                    ニューウエイブ


待ちに待った「伊丹・荒牧バラ園」行きの日です。先週までの予報ではお天気でしたのに、2.3日前から雨になってしまいました。でも昨夜たかこさんから「決行よ」とお電話が入りました。

たとえ雨になっても、その次のお食事会が一番の目的だから、そこで「話の花」を咲かせればいいわとお出かけです。JR尼崎で大東市のたかこさん、阪神尼崎からのきみこさんそして立花からの私が待ち合わせ、JR伊丹駅で今日のプランナーのとしこさんのお迎えを受けました。

バスに揺られて30分、懐かしい(私は去年に来ている)花園が私達を迎えてくれました。その頃から時雨始めました。傘を差しての花見も乙なものです。花の撮影には日照りで花の色が飛んでしまうことを思えば、日の差さない今日は色が落ち着いてチャンスです。唯、心配したように花は開き切っていました。奇麗な花を探すには苦労しました。

でも沢山のカメラマンが、万全の雨の用意で沢山見えていました。やっぱり欲しいな~一眼レフ! 雨でしたから「覗かせて下さい」とは頼みにくくて、良いカメラレンズを通して美しいバラを見せていただくのは遠慮しました。

雨が少しきつくなったので、一時間程でバラ園を後にしました。又バスに揺られて、昼食のホテルに…

お昼のバイキングはシルバー割引があったのには吃驚、そして喜びました。そうですよね、年を取ると、そんなに食べられないのです。…と言いながら、私達は2回もお変わりしてデザートに入りましたけど…。シルバー割引に証明は要らないんです。見れば解るんですよね。ヤレヤレ!! 何時も思うのですが、としこさんは少食です、だから細いんです。やっぱり私が太いのは仕方が無いわと思いました。

お食事はまぁまぁのお味でした。沢山あるので、1/3位の種類しか食べられませんでしたけど…

デザートに入ってから、おしゃべりが全開です。やっぱりお友達とのお喋りは楽しいですね。一寸深刻なお話もありましたが、喋っている内に自然解決、お喋りはストレス解消の一番のお薬です。

次の行き先は神戸と決まりました。神戸生まれの私の当番です。お食事所も決まりました。今日よりは少し張り込みましょうという事です。実施は秋です。お三人は月に一度は会で会いますが、私は退会していますので、その日までお会いできません。本当に楽しい一時を有難うございました。


              此処日本? って感じでしょう? 

                キャロリーヌ ドゥ モナコ

                    マチルダ

                     フリィージャー
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春の窓

2009年05月27日 | 読みました
 百合が咲き始めました この花何となく百合らしくない 考えていたんですよ  
   やっと解りましたアニメに描かれた百合のようです そう思いません?
                    ロリコップ








変なお天気です。風がとても強くて、高圧線が真冬のようにゴーゴーと鳴っています。そしてお昼はカラスが隣の屋根で五月蝿く啼いていました。気味悪いですね。

朝水撒きをしながらフッと頭に浮かんだんですよ。この庭は「私の庭」なんだわって。もし私が動けなくなったり、居なくなったら、この庭の花たちは瞬く間に枯れてしまうでしょうね。この花たちの命は私が預かっているようなものなんだな~って。だからもう暫くは元気で居ないとね~って。こんな事が頭に浮かぶのは体力の減退を感じるからでしょうね。気力はまだ体力よりはあるようですが…。


          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

        春の窓    安房直子(あわなおこ)

唱歌の学校のはったさんが貸してくださいました。何時もご親切に「これ読まない?」と聞いてくださいます。「長くなってもいいですか?」とお借りします。本は図書館で借りているものですから、期限のあるそちらが優先してしまいます。この本も1ヶ月も前にお借りしたものです。

安房直子さんと言う作家を私は知りませんでした。1943年のお生まれで、1993年には50歳で他界なさっています。

「花豆会」と言う会があります。安房さんの作品の保存活動を行っている公式の団体だそうです。年に一回、5月に安房さんの卒業された日本女子大学の会場で集いがあるようです。今年で10回目で先週の日曜日(5月24日)にありました。会報も年に一度出ています。

驚くほどの数の賞を貰っておられるのです。小中学校の教科書にも載っていたようです。

偕成社から「安房直子コレクション 7巻」として出ているので、何時も借りる図書館にあるか調べてみました。ありました児童文学の部屋にあるようでした。楽しみが増えました。これから1冊ずつ借りて読みたいと思います。

帯封には『発見!  大人の女性のための、ハッとするほど美しい宝石の様な短編集』と書かれていました。

本当に心が優しくなるお話しと感じました。一つ一つは短いのですが、私にすれば「エエッ!!」と言う発想なんです。よくこれだけ次々とお話しが頭に浮かんでくるものだと思いましたね。主人公は貧しい人達なんです。でもそれが暗くは無いのです。一編一編読み終わるごとに、ホット心が安らぐのです。

本当に良いご本を読む機会を与えてくださったと、はったさんに感謝しております


              こうして少しづつ開いてゆくんです



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何するん、北朝鮮は!

2009年05月26日 | 気にかかる
               ニゲラ 大好きな花です 
     色はブルーだけになりましたが 色んな表情を見てください








マスク姿がぐ~んと減りました。今までと反対で掛けている人を見て「あんた、まだしてるの?何で?」と言う感じです。私は持病はないし、60歳以上は免疫性ありを信じて、とうとうマスクを掛けませんでした。マスクってなんだか怪しい感じがしません?早くみんなの顔からマスクが消えて欲しいな~。

小学校の先生「児童に不安を与えないよに配慮する」と言いつつ顔にマスクをしてるのよ。マスクを掛けてない子が多いのに、先生が掛けてたら不安がるでしょう?へんよね!


変って言えば、北朝鮮って国は何を考えているんでしょうね。小国なのにこの嫌みな自信は何? 原子爆弾を打ち込みたい相手は? アメリカ? 日本なのか? それとも統一してイニシァティブを取りたい韓国なのでしょうか?いずれにしても、もし本当に落とせば、世界中が敵となり、即、北朝鮮自身も自滅すると私は思っていますが…。

中国の後ろ盾だけですか? 物資が欲しい欲しいと言いながら、軍備や核開発に掛けるお金だけはあるのですね。

日本に安保理の決議書の処置が委ねられたようですが、今の弱腰の政府に的確な決議書が出来るのでしょうか? とっても心配!

よく考えると、世界で唯一の被爆国は日本なのに何故弱腰なのですか? それを落としたアメリカにすがっているように見えるのは私だけですか? そんな日本を見て北朝鮮は「アメリカだった落としたけれど、今も世界で嫌われてはいない、私達だけなんで目の敵のように言うの? 一寸位いいんじゃない?」とお門違いのことを思う、北朝鮮ってそういう国じゃないですか。

それと今回の地下実験のことは事前に中国とアメリカに通知されていたそうですね。アメリカは何故日本に黙っていたのでしょう? アメリカのライス元国務長官ヒル元次官補が北朝鮮をとんでもなく甘やかしたように思うんです。政権交代してほっとしていたんですけどね~。何か言質を取られられて居るのでしょうか?





  花の後 こんな可愛い坊ーやになります 種がいっぱい詰まっています
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マスクが笑った日

2009年05月25日 | 今日この頃
        鉄 線  (09-4-23)   5月23日と同じお家の花です









5月23日(土)はコンサートでした。
私達のクラスのリハーサルは11頃という事で、9:55のバスに乗って阪神尼崎まで出て、阪神西宮から近い会場に行きました。バスと電車の連絡が上手く行って10時半ごろに着いてしまいました。

リハーサルは遅れて11時をだいぶ過ぎてから始まりました。それから何時もの階段の踊り場の椅子で昼食を取りました。2階も3階の踊り場も私達のクラスが占めていました。という事は他の方々は何処で?控え室?早いリハーサルの方は外に食べに行かれたのでしょうか…。

去年は主人の退院の日と重なった為に欠席しましたから、2年ぶりでした。

どのクラスの方も自分達が一番と思っておられると思います。私も私達の「アヒルさん」が一番だと思っています。唯、歌いたい歌はありました。「ゴッドファーザーの愛のテーマ」「霧と話した」でした。

「愛のテーマ」は映画のBGMとして大好きですし、「霧と話した」は中田喜直さんの歌の中でも好きな歌です。一度「中田喜直さんと歌おう!!」でしたか、中田先生の指導を受けて、当日は中田先生の指揮で歌った事があります。でもその時は「霧と話した」ではなく明るい行進曲風の歌だったと思います。確か西宮のこの会場だったと思うのですが…。

衣装については我クラスはボトムと靴が白っぽいものという制約だけで上は半袖であれば自由という事でした。自分達のは見えませんのでそれが成功だったかどうかはわかりません。

ママさんコーラススタイルと言いますか、白と黒の組み合わせが多く見られて、案外だ~と言う気はしました。

私の座席の前に真っ黒の人が数人座りました。その中に知ってる方が居たので「今年は真っ黒なの?」と聞きますと「聞いて!歌うのが童謡なのでじんべさんを羽織ろうという事になって、生地はまとめて買って夫々がこしらえたのよ」「それで断ち切りなのね?(断ち切り:布の切り口を縫わないでそのまま使う事)」「黒はね、『七つの子』でカラスだからよ」費用は600円ほどだそうです。お金を掛けなくても、舞台を楽しもうとすればこんなことも出来るんですね。

聞きに来られる人にとってはこんな衣装は目を楽しませただろうと思いました。私の場合はあるものを着ましたので、出費0円でしたけど…。ママさんコーラスが白黒なのはコンクールだから衣装より力量がメインだからと思います。

お客様は何人ぐらいかわかりませんが、少なかったと思います。舞台から見ますと、やっぱりマスクをしておられる方が多かったです。こんな異常な光景は今年だけだと思いますが…。新インフルエンザを気にしながらも足を運んでくださったお客様に感謝です。私は強情にもマスクを掛ける事無く(携帯はしていました)過ごしました。

私にとって嬉しい事がありました。休憩時間でしたか、男性が私の座席に来られて
「10時半ごろ、楽しませて頂いています。頑張ってください」と声を掛けてくださいました。でも如何して私がわかったのでしょうか?似顔絵が似てたのかしら?「有難うございます」とお答えしただけ、クラスも、お名前も聞かぬうちに去っていかれたのです。本当はお聞きしたかった。どんな経路から私のブログにたどり着かれたのかを…。

ブログと言うのは何方に読んでいただいているのか解りません、私達の年代ではパソコンを触る人が少ないですから、友人の数は僅かです。後は機器の向こうで私のブログを呼び出してくださるその数を知っているだけなんです。だから実際に目の前で声を掛けていただける事はま~無いのです。

嬉しい経験をさせていただきました。感謝と喜びで嬉しい一日になり、歌も気持ちよく歌えました。有難うございました。





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遍路  18回

2009年05月24日 | 思い出話

             平成14年5月14日(火)   

  第34番 種間寺(たねまじ)  第35番 清滝寺(きよたきじ)




           距離:19K   民宿・高知屋 ~ 民宿・喜久屋


高知屋さんでは男子歩き遍路3人、八丈島の人(旅行で八丈島に行って、住みついた人)、もう1人は80歳の関東からの絵描きさん、残りは時々乗り物を利用する人。男女4人組、叔母(神戸)と姪(伊丹)の夫婦と犬(自動車の中で寝る)。と私達。女将さん曰く「今日は予約が無かったので休みの予定だった」ところが私達の予約を受けてから、次々と予約が入ったと言うのです。こんな事は私にはよくあるのです。私が店に入る。空いていた店にどんどん人が入って満席になる。「私って福の神?」って思うことがあるんです。デモね、私にとっては迷惑なんです。折角ゆっくりできると思って入ったのにゆっくり出来ないんですもの。

雪渓寺が目の前のお部屋でした。窓から見ていますと、納経所の仕舞っている5時が過ぎてもどんどんバスが入ってきます。「皆さんが桂浜を観光している(私も見たかった)間に添乗員さんが納経帳を持って、先に書いてもらうんですって。私達歩き遍路は何とか時間内に着きたいと思って、朝4時に歩き始める時もあると言うのに、何と言う違いでしょう!!

女将自慢のドレッシングのかかった「鰹のたたき」は美味しかったですよ。でも私達には一寸ドレッシングが甘すぎました。朝もたっぷりの朝食を頂きましたし、お接待としてお洗濯もしていただき感謝しております。

「遍路を文化として世界文化遺産」にとの署名運動を求められて、勿論喜んで署名いたしました。

                 5月14日(火)

10:22  かずよ  (送)
三代続いた遍路宿。無休だって。お洗濯もしていただいて(勿論時直の下着は自分で洗いましたよ)助かりました。泊まり9人。伊丹からのマイ・カーで神戸の叔母姪夫婦の4人組、3人の男性遍路、大阪、福岡、八丈島のみなさんは歩きと乗り物併用で、歩きのみは私達だけ。女の筋肉は男より数が少なく、疲れやすいそうです。お父さんはずるく、みかんなどを買って残ると「男やろ、持って!」と言うと「年寄りや!」って逃げる。自分の飲み代(酒)だけはしっかりと抱えますが。実際、鉛筆1本増やしたくない気持ちです。今ホットでほっとしています。

10:34  おちさん  (送)
遍路を文化として世界文化遺産へ知っていましたか?署名運動が起きていて、私達も勿論署名しました。80歳で5年間廻り続けている人に会いました。乳母車に道具一式積んでいるそうです。焼山寺、お鶴さんは車道をジグザグに進むそうです。雑誌にも載っている有名な人だそうです。又。

10:48  おちさん  (受)
遍路を文化遺産へとは知りませんでした。四国に住みながら…良い事ですよね。私も大賛成です。乳母車の方は有名な方ですよ。お会いした事はありませんが、お話しを聞いたことはあります。毎日の予期せぬ出会いはやはり不思議だと感じます。でも全て偶然ではなく必然に起きることと教えていただきました。私達も出会いを大切に過ごして行きたいです。今日も素的な時間を…

八丈島の人と後になり先になり種間寺まで行きました。よく小休止をする人です。絵描きさんは朝食を取らないで行かれたそうです。私達は今日は余り距離が無いので朝食も頂きました。

行く道「紫陽花街道」と書いてある道路があって紫陽花が植わっていました。此処で(四国)不思議なことに気づきました。ガク紫陽花が無いという事です。何故?墨田の花火(有名な白のガク紫陽花)あげたいな!

第34番 種間寺で4人組と再会、犬も一緒にお参りしていました。納経所で「直ぐに清滝時右へと書いてありますが、アレは車道で遠回りになるので寺の前の道をまっすぐに行くように」と教えられました。



仁淀川(によどがわ)に着ました。大きな川で長い橋架かっていました。東半分は水がなく畑になっていました。コレが川?と思っていますと半分ぐらいからやっと川らしく中央に水が見えました。昔は全ての川幅を水が満たしていたのだろうか?川を下りたところで昼食を取りました。今夜の宿までの道を訊ねました。清滝寺へは宿に荷物を預けて登るつもりです。その旨電話した時に「戸は開けておくので、荷物は玄関に置いていったください」と言われた。(用事で外出とのこと、バスから私達が歩いているのが見えたそうです。余り歩きの人は居ないので、そうだろうと思ったと言っておられました)声を掛けたけれど返事が無いので荷物を置いて行こうとしたら「お遍路さんへ、荷物は奥の方に置いて行ってください」と書置きがしてありました。

少し行くと遍路の休憩所があり、食事をしている遍路さんが居ました。商店街を抜け(美容院の多いのには驚きました)山に差し掛かったときは八丈島の人とすれ違いました。

           何と言う花でしょうか 3箇所で見ました

     


山の頂辺りにそれらしい建物が見えました。「まさかアソコまでは登らないだろうといっていましたら、なんとソコだったのです。でも荷物を背負っていないのでルンルンでした。寺に続く道に入りますと急坂でした。何処からともなく甘い香が漂ってきました。みかんの花が真っ盛り、みかんの花の香りでした。

先発された80歳の絵描きさんに出会いました。今日中に次まで(まだ15Kある)行きたいのでと急いでおられました。

上:背に荷物が無いというのはとても楽です  下:下ってくる絵描きさん

             

第35番 清滝寺の山門は修理中で階段は使えず、車道を登りました。「小夏」を売っていましたので、一つ買って、ベンチで景色を眺めながら食べました。





山から下りてきた時に、悠々と歩いてくる笑顔の良い青年に出会いました。時間は早いが今日は清滝寺で野宿だと言いました。大きな体のまだその上にリュックがのぞいていました。若いな!良いな!! しょう(孫)も自分の考えをしっかり持って行動できる人になって欲しいな~!!! アレだけ時間を掛けて歩いていれば、周りもよく見えるだろう「遍路はそう在りたい」と言う歩みでした。この人を見ていますと「何日で結願した」と自慢するのは邪道だと思いました。

13:03  ふじいさん  (送)
清滝寺に居ます。みかんの花が真っ盛りで、甘い香がいっぱいです。

15:55  ふじいさん  (受)
ソコのご近所の農家の人に「文旦」を2月に貰いました。美味しかったよ。暑いでしょうお身体気遣ってね。

16:10  ふじいさん  (送)
清龍寺まで15Kあるので今日はもう宿に居ます。私も2月に「文旦」を接待で頂きましたが、今は「小夏」に変わっています。味見とあったのを食べて、一つだけ買って、お寺で食べました。美味しかったよ。

16:23  ふじいさん  (受)
お疲れ様。今日は貴女から頂いた、アノマテカ、霧が峰スミレをむらかみさんに別けてあげました。とても喜んでくれたよ。なかがわさんも欲しいと言っているので、小鉢で用意しました。有難うね。「曇りのち雨」明日の大阪の天気予報でした。

17:35  ふじいさん  (送)
明日明後日こちらも曇りのち雨です。早く出て、早く宿に入ります。岩本寺まで2泊しないといけません。
21:18  かずよ (受)
お疲れ様です。明日から暫く天気崩れるみたいで吸収は大雨になるそうです。足元悪いけれど明日も頑張って。

          5月14日  喜久屋旅館   (4泊目)



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遍路  17回

2009年05月23日 | 思い出話
              平成14年5月13日(月)  

     第31番 竹林寺   第32番 禅師峰寺(ぜんじぶじ) 
     第33番 雪渓寺(せっけいじ)




           距離:17K  サンピア高知 ~ 民宿・高知屋

7:15 かずよ  (送)
昨日はサンピアホテルでした。厚生年金受給者は安いのです。素泊まりにしたので、巻き寿司とあっさりしたものがいいので冷やし蕎麦を持ち込んだもの、西瓜のブロックになったものも、冷蔵庫があって冷えてよかったけれど、お箸がなくて、蕎麦におつゆをぶっ掛けて、指でつまんで食べたの。楽しい想い出になるでしょうね。又今日も頑張ります。

7:41おちさん  (受)
お早うございます。四国へようこそ!昨日、今日と良い天気で気持が良いですね。又メール待っています。


竹林寺のふもとのトンネルが工事中で、山裾を半周廻る遠い道だった。遍路道は久し振りの登り階段、土の道だった。

第31番竹林寺に到着。優しい感じのお寺だった。


                    31番 竹林寺
                    西門からの道


                    本 堂

               竹林寺の五重塔とみどりの楓


        紅の塔と競いて紅葉映ゆ  いさをさん作
竹林寺のこの五重の塔を詠んだものですが、いさをさんは紅葉の秋に此処に立ち、私達は新緑の春にきています。この写真の中央の紅葉が赤く染まり、その情景を詠まれたものです


お参りを済ませて階段を下りかかると、80歳だと言う人が話しかけてこられた。「関西の友達と廻るつもりだったら、脳血栓で倒れて、リハビリでよくはなったが、もう歩いては回れないので、バスで廻るというので、私は1人で歩いている」地の人らしく荷物はなく合切袋のみ。この人とは抜きつ抜かれつ32番まで行く。

住宅街を通り、そこで第32番禅師峰寺への道を聞くと「峰寺は遥かに見えるあの山の上だ」と教えてくれる。地の人は禅師峰寺(ぜんしぶじ)とは言わずに略して「みねでら」と呼ぶようでした。

自動車道路を外れて、遍路道に入ろうとしたら、その道を塞ぐようにして、倒れるような形で若者がぐっすり眠っていた。傍には自転車が倒してある。暑い日中を避けて夜走ってきたのではないかと思います。ここを寝場所と決めた時は、きっと涼しい日陰だったのでしょう。私達が登ってきた時には彼の顔に日がさしていた。よっぽど疲れているのか、眩しさも感じないようだった。コレがもし都会なら行き倒れとと間違える所です。私達がお参りを済ませて下りてきた時も彼はぐっすりと眠っていました。目覚めれば又、自転車を引っ張って登らなくてはならない、彼を其処まで駆り立てるものは何だろうか。

        32番禅師峰寺の遍路道の途中にある仁王門


主人は体調が悪いのか、遍路道に荷物を置いていこうと言う。私が同調しないものだからブツブツ言いながらも背負ったまま登ってきた。ありがたい事にこのお寺には冷水装置が設置されていて、水、御茶、お好みのものを頂くことが出来た。こんな心使いが歩き遍路には励みになるのです。このありがたさは今でもはっきりと覚えています。

山から下りて、海岸通を炎天下黙々と歩くのはつらいものです。暑さがこんなにも体力を奪うものだとは知りませんでした。誤算でした。予定を大幅に変更する必要を感じました。

プランは何時も私がチェックを入れるのですが、この度は入れなかったのです。主人が計算するとどうしてもオーバーペースになります。昼に入ったうどんやで今日泊まる予定だった宿に連絡し、一日延ばしてもらいました。

今日は一日、私が前を歩いていました。浦戸大橋を歩いて渡りたかったのですが、主人が嫌だというし、歩き遍路の唯一乗っても良い乗り物渡し(小さなフェリー)
にも乗ってみたかったので乗る事にしました。

                 渡しから見た浦戸大橋


渡しから下りて小さな商店街を突き抜けると、大幅の変更で2時には第33番雪渓寺に着いてしまいました。寺にはチュッリプの木と言うのがあって、本当にチューリップによく似た花でした。その花の下には床几があって、少し休みました。

                    チューリップの木
      チュリップを逆さに吊るした感じの花(左中央の黄色い花)

   

今日の宿を探していけば丁度良い時間になるだろうと3時にお寺を出ましたが…、なんと、今夜の宿はお寺のまん前にあったのです。
              
7:44  ふじいさん  (送)
お早うございます。今、竹林寺です。かくどうさん貴女と歩き遍路するっていってたよ。暑いわ。此処ではまだ鯉幟がはためいています大漁旗の様な旗で、模様が子供用で金時さん、桃太郎さんでした。一応写真は撮ったのですが、風が強くて上手くいきませんでした。

7:58  ふじいさん  (受)
これからの歩き遍路は体力が勝負かな?かくどうさんなら引っ張って連れて行ってくれそうで嬉しいな~。鯉幟の大漁旗みたいなのは土佐特別らしく、孫にも立派なのが来て、近所の皆さんが驚いていました。(彼女のご主人が土佐出身)大阪は26度になるそうです。植物園は?






17:15  かずよ  (受)
大阪は凄く良い天気暑いくらい。蕎麦を指で食べるなんてそうそうは経験出切ることじゃないんで思い出話にはいいかも。

17:48  おちさん  (送)
南国土佐は暑い。予定を大幅に変更して、雪渓寺の前の高知屋に居ます。菅笠しか日を遮るものの無い中を歩くのは思いのほか疲れます。高知は緑が溢れています。明日は貴女も泊まられた喜久屋をとってあります。本当は今日の予定でした。歩きさん同志は話しているその時間が積もり積もって時間切れ。コレも歩きの楽しみかしら。道中に宿が無いのが困るわね。「渡し」に乗りました。一応フェリーです。車6台で満席。積み残しあり。貴女は浦戸大橋越えでしたね。フェリーから大橋の写真撮りました。

19:49  ふじいさん  (送)
第二日の夜もふけて暑さが堪えます。何もさえぎるものが無いんだもの。体力的に予定コース変更です。「牧野植物園」も「龍河洞」もパスです。残念ながら、遍路と観光は別とわかってきました。貴女も歩けばわかるわ。珊瑚やさんの前を通って驚いた「88ヵ所お遍路ご一行様」って書いてあったわ。あんなところにも寄るのね。(私達はがらんっとした会場で、ソフトクリームを買い、外のベンチで食べました)

20:01  ふじいさん  (受)
ほんとに歩き遍路は厳しいな。私達のバスは時々昼の食事をお土産やさんの2階、終わった人は下でお買い物くださいだった!私はお土産は無視でした。明日も天気暑さに注意を。頑張らないでね。ゆっくりお休みなさい。

20:12  かずよ  (送)
南国土佐は暑い。お父さんはたった2日で真っ黒に日焼けです。私は日焼け止めをぬっていましたが、明日からはもっとこってりぬります。本場の「鰹のタタキ」食べました。スーパーでも新鮮な鰹丸ごと売っています。家で作る人が多いのでしょうね。昼は冷やしうどんとおにぎりでした。四国に来て初めてうどん美味しかった。ゴメンね食べ物の事ばかりね。明日は違う事を書きます。

20:27  かずよ  (受)
お疲れ様です。こっちでも暑いから日差しが四国では又一段ときついからひやけするのかな!やっぱ本場の讃岐うどん&タタキおいしいやろうなぁ!なんか食べたくなってきた。明日もがんばって!


        5月13日  高知屋  (3泊目)
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マスク・マスクの町に出て

2009年05月22日 | 気にかかる
    鉄 線  こんなにたくさんの鉄線コーナーを持つお家がありました 








1週間ぶりに尼崎から出て唱歌の学校(西宮)に行きました。相変わらずマスクをしている人が多いです。私も一応はマスクを持って家を出ましたが、とうとう付けませんでした。

表向きはもし自分がウイルスを持っていたら人にうつさない為にするマスクだそうですが、そうかな~?やっぱり自分に感染しない事を願って付けているんじゃないかしら? そんなに他人の事を考えているとはとても思えないのです。へそ曲がりかしら?

学校ではマスクをつけてない人が圧倒的でした。「何故つけないの?」「年寄りにはウイルス来ないって、新ウイルスは若い人の方が良いって言うから、つけてないの」私もそれを信じている方なんです。ウイルスだって、ピチピチ若い人に寄生したいんだわと思っています。

今日の日を迎えるまでの1週間、「中止の連絡」があるかと思っても居ました。一向にその気配がなく、何も無ければ休んだかも知れないのですが、明日コンサートだから、一応行っておこうと行きました。

のりこ先生が言われるには「何の連絡も無いから大丈夫だろうという事なんです。
明日の会場が西宮市の持ち物のホールですから、駄目なら「中止してください」と言ってくるだろうという事なんです。

明日来てくださるお客様あるのでしょうか? 無理にお願い出来ないですしね。この度は私はお友達をお呼びしていなかったのです。1月に聞いてただいたばかりですし、切符は欲しいと言う方があったので差し上げました。結果的にはよかったようです。

客席はマスクの花が咲くのでしょうか?こんな時期に来てくださるお客様には感謝・感謝です。明日から1週間の潜伏期間を終えてもお客様や出演者に新インフルエンザがとりついた、何て事が無いことを祈っています。

明日に備えて、今夜はもうお休みするとしましょう。


                変わり咲き・八重の鉄線






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