ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

日本画 その妙なる世界

2013年01月31日 | 一寸そこまで
    
                     上下とも 「ポスター」

                      ↓   「チケット」
    

昨日から明日まで、中国から公害の粒子が風に乗って、関西に舞い降りてくる
と言う事で、じ~っと家にいるつもりでした。主人が「サンチカで中華を食べたい」
と言うので、「それなら、行く前に西宮の大谷美術館で日本画の展覧会を見たい」
と言いました。二人とも、相手の意見に文句はないということで、昼食は控えめ
にして、2時過ぎに家を出ました。

大谷美術館の所持作品の展覧会でしたから、展示品の数もそんなに多くなく、
私には丁度いい感じでした。このごろは「これでもか!」と言うくらい作品の展示
数が多くて、途中に休憩を入れないと、疲れてしまう、展覧会が多いのですが、
今日は違うので、1枚1枚ゆっくりと見て廻りました。

「横山大観」「上村松園」「伊藤深水」等々「この人も、あの人も知っている」
と言う、安心というか、知人に出会ったような懐かしさと、嬉しさに出合った展
覧会でした。

今日私が一番気にいったのは「菱田春草の秋林遊鹿」でした。掛け軸仕立てに
なっていました。

日本画は「表装」も見ごたえありますね、3種類の織物からなっているのです
が、それぞれがお隣とマッチしているのですが、決して「絵」の邪魔をしてい
ないのです。日本画のいい所ですね。

この美術館でのもう一つの楽しみは、庭の散策です。こんな時期ですから、花
もないだろうしパスしようかと思ったのですが、やっぱり廻ることにしました。

咲いていましたよ「蝋梅」がオモチャのような黄色の小さな花をつけて、アチ
コチに咲いていました。「早春、先取り!」って感じで、嬉しかったですよ。

帰りに、阪神で、三宮に出て夕食を食べました。




3品(ギョウザ、海鮮焼きそば、焼き飯)を二人で分けたのですが、老人達と
すれば、一寸食べすぎですかね~。二人とも、帰宅早々、胃薬を飲みました。
口卑しいことだわね~。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インド家庭料理 (45回)

2013年01月30日 | 今日この頃

     「インドの花嫁さんのカレンダー」   花嫁さんは その地方によって装束が違うそうです
          上はカシミール地方     下はタミール地方



     
               ↑   今日のテーブル     ↓   マイ・ディシュ


12月はお休みでしたから、2ヶ月ぶりのお教室でした。

上のカレンダーは卓上カレンダーで、どちらかも見られるように、両面が、写
真は違うのですが、月は同じと言う作りになっていました。今年1年はこのカ
レンダーも楽しんでください。

結婚のお話ですが、インドでは娘側が「もらってください」とお金?をつける
そうです。日本の「結納」と逆ですね。日本でも「持参金」と言う制度があり
ますけどね。

娘が生まれると「金製品(18金)を買い始めるそうです。金はすぐ換金可能
な財産ですからね。娘が嫁入って、お金がいるとき、すぐ現金になるからと言
う親心ですね。

そんなこんだで、今のインドでは3人兄弟(姉妹)は少なくて、過っての日本
と同じ子供は2人だそうですよ。でも巷の噂では、もうじきインドの人口は中
国を追い抜くと言われていますよね。

披露宴に友人を呼のか?と聞いてみました。1000人はざらだそうですよ。
驚いたな~。インドではお料理は「温かい」のがご馳走だそうで、お皿に並べ
ておくのではなく、日本の「屋台」「バイキング」のように、その場で作ったもの
を供するそうです。

国が違えば、全て違うのですね~。目から鱗でした。


マルワニ バデ
マルワニ:地名   バデ:揚げパン






下の写真の右が、元の形(フエヌグリークシード)  中央が少し水を加えた
もの 左が、一晩水につけて固いペースト状にしたもの。

米粉に調味料を入れたものに、フエヌグリークシードを加えてよく練り、平た
く延ばしたのが、上の写真。それを油で揚げるとふっくら膨らんで出来上がる。

調味料の中に、少し「苦味」が入っていて、それが食欲をそそる感じ。


キャベッジ マサラ(ショリー先生の故郷の料理)




フライパンを熱して、調味料を炒めて玉ねぎをいため、トマトを入れて、煮込
み、最後にキャベツを加えて、軟らかくなるまで炒める。

キャベツと玉ねぎの甘味の炒め物。

サゴティ マルワニ チキン
サゴティ:マルワニ地方の地名




チキンを色々な香辛料に漬けておく。玉ねぎをいためて、色々な辛料をペース
ト状にしたものと混ぜ合わせて、ペースト状にする。コノペースト状の香辛料
とマリネしたチキンをあわせて煮込む。

これが、はじめの揚げパンとよく会います。是はその地方でセットで作られる
という。食べてみて、その事実が真実と知りました。


ライス キール
キール:牛乳で煮込むデザート




お米をお粥のように軟らかくたいておく。ミルクにお粥を混ぜる。サフラン、
砂糖、レーズン、ピスタチオ、アーモンドを入れて弱火で煮込む。

「白いおぜんざい」と思われたようですが、私はアルコールを抜いた「甘酒」
のようだと思いました。ピスタチオ等のプチプチ感が、口の中で良い感じで
した。ほっこり温かくなるデザートでした。

「お米に牛乳」と言えば中学の同級生の男子に「ご飯に牛乳をかけて食べる」
と言う子がいて、私は信じられなくて、異邦人を見るような気持ちで彼を見て
いた事を思い出しました。色白の男の子で、家はお金持ちで、「牛乳ご飯」で
色が白いのかな~、と思っていたのを思い出しました。同期会には一度も出て
こられませんが、牛乳飲んで、きっと元気でしょうね…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

拉致と決断

2013年01月29日 | 読みました

                 「ツユクサ」   よく見れば綺麗な花です   (12-5-18)


今日は少し寒さが緩みましたね。一日中、本を読んだり、編み物をしたりして過
ごしました。今朝、西の空に久しぶりにまん丸お月さんを見ました。今年にな
って、初めてではないかしら。テレビは桜宮高校のことで持ちきりです。私も
考えさせられますが、又、考えが纏まった時点で、書きたいと思っています。



昨日の安部総理の所信表明演説で「おわりに」として、上の言葉を述べられた
時、涙もろくなっている私は涙ぐみました。15分ほどの短い時間でした(民主
党の党首のくどくどと長いのに比べて)が、民主党の「あれもします、是もしま
す」と言う絵に描いた餅、うわべだけの言葉ではなく「未来を切り開いていく覚
悟を共に分かち合おうではありませんか」という言葉を聞いた時、「そ~なんよ、
その言葉が聞きたかったんよ、私達だって、『強い日本』を作る気持ちは持って
るんよ、出来ることはやりたいのよ。言葉をかけてくださって、ありがとう!」と
心で叫んでいた。

    拉致と決断     蓮池 薫

帰国当時の蓮池さんは5人の中で一番頑固なように見えました。意地にでも北
朝鮮に帰るぞ!って。でも一番頑固に北朝鮮に帰る事を望んだのは奥さんだそ
うです。やはり、自分の生んだ子ですから、異国の地にたった二人で残すのは
不憫だと思われただろう気持ちは良く分かります。蓮池さんはそんな奥さんを
説得しつつ、矢面に立っておられたのですね。昔の日本男児ですね、今の、へ
なへな男子には出来ることではありません。

本当に北朝鮮の市民はよその国のことについては何も知らされていないようで
すね。蓮池さんは朝鮮語を自分のものにしたので、翻訳者、通訳としての仕事
の関係上、外部の情報を知る機会があったようです。

心に残った部分

○ 学んだ朝鮮語を通して、北朝鮮に対する知識を得れば得るほど、益々確信
  せざるをえないことがあった、日本に帰れる可能性が皆無に近いと言うと。
  そして取り立てて夢も希望も見出すことのないまま、ただ命をつないでい
  るだけの日々が続いた。

○ 日本に帰れないなら、子供の事を考えれば、自分たちは在日朝鮮人で、北
  朝鮮に帰国した、と言うことにしていたそうです。

○ 北朝鮮の全ての機関、企業所は、戦争になった時、戦時業務と戦時生産を
  そのまま続けられるように、『候補地』と呼ばれる疎開地を備えている。
  『候補地』には、人員と重要な設備を退避させられる坑道(トンネル)があり、
  軍需関係部門の場合、地下での生産も可能なように設計されている。
  拉致被害者も、その時は移動することになっていたが、行き先は秘密で知
  らされていない。

○ 引越しは勿論、出張・旅行する時も配給制は付いて廻った。現地配給所へ
  の移転手続きをしなければ、いくらお金があっても主張先で食事が出来な
  かったし、短期旅行の場合も、配給米と交換できる「糧券」(是は配給時に、
  穀物の変わりにもらうことが出来る)がなければ、食堂に入ってもご飯や
麺類は食べられなかった。食堂では一食を食べるたびに、料理代と糧券を出す
  ことになっていた。

○ 帰国した2002年の暮れに、私たちは、首領の肖像バッジ(北では肖像
  徽章という)を胸から外した。北朝鮮に拉致された数ヵ月後から付けさせ
  られていたバッジだった。秘密保持にも必要だった。北朝鮮の国民は幼い
  子供を除き全てが外出する時にバッジを付けていたため、それがないと外
  国人と思われ、注目されたのだ。

○ 招待所(蓮池さんたち拉致被害者の住んでいるところ)は外部世界から二
  重の垣根で遮断されていた。北朝鮮が世界からほぼ隔離され、されにその
   北朝鮮社会からも、招待所は警備隊と鉄条網によって、閉ざされていた。

○ 金日成の葬儀のとき、平城市で行われた永決式のときは…30度を越える
  蒸し暑さの中での数時間、今か今かと首を長くして待っていると、はるか
  遠くから、トラックに乗った軍楽隊の演奏する「金日成将軍の歌」の吹奏
  楽が聞こえてきた。同時にどよめきにも似た泣き声が津波のように押し寄
  せてきて、あっという間にわれわれを飲み込んだ。それまでぼんやり立ち
  つくしたり、何かささやきあっていた群集はいっせいに葬列の方向を向き、
  大声で泣き叫び始めた。ある人はその場で地団太を踏みながら、ある人は
    首を横に振りながら。気が付いてみると私も背伸びをしてまだ見えぬ葬列
  を必至に探しながら、泣き声でもなく悲鳴でもない声を張り上げていた。
  宗教的エクスタシーにも似た、群集の絶叫と興奮状態は軍楽隊が通り過ぎ、
  笑顔の金日成を描いた巨大な肖像画が現れた時に、いっそう高まり、白バ
  イ隊護衛のお棺を載せたリムジンが視野に入った時に絶頂に達した。

蓮池さんは子供たちの将来の事を考えて、在日朝鮮人で、祖父母はすでに亡き
人であると子供たちに言い聞かせていたので、一時帰国する時も、国内旅行に
行くと偽ったそうです。子供たちが日本に来た時「子供を置き去った」と言う負い目
を感じていたそうです。

真実を知った時の子供さんのショックはどんなものだったのでしょう。そのこ
とについては一言も触れてないのを見ると、きっと大変な一時期があったのか
と憶測します。どんな国でも、自分の国、北朝鮮の人間と、教育を受けて育っ
たお子さん達ですから、やはり北朝鮮に対する愛着もあったでしょうしね~。
突然友人と会えない環境になったのが、ショックだったかもしれませんね。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニュー・イヤー・コンサート

2013年01月28日 | 今日この頃

               「ベコニア」     この寒さにも負けず咲いています


昨夜は、来てくださったお友達に、それぞれお礼のメールを入れて、10時前に
は早々に床に就きました。

今朝、大げさに言えば、指先から、足の先までの痛みで目が覚めました。全身
の緊張で凝り固まった身体を「私の治癒力」が解していく痛みのようでした。
「あ~疲れを取ってくれている」と感じながら、暫くうとうとして、何時ものとおり
6時前に起床しました。

お昼過ぎには痛みも和らぎ、後は肩と腕の痛みだけになりました。是は痛みを
抱えたまま、編み物を始めたからでしょうね。


1月27日(日曜日)ニューイヤーコンサートがありました。1年に一度の楽しみ
であり、苦しみ?でもあります。第一に12月から2ヶ月お稽古にかよう日が増
えて、しんどい。第二に風邪を引かないようにと、異常に気を使う。

皆さんそうでしょうけれど、私達のクラスでも家で転んで腰痛、体調不良で欠
席が二人出ましたし、他のクラスでも欠席者がいたのでしょう、私達のクラス
は一番端のボックスに3列だったのが、前の方のボックスに補充の為、移動さ
せられて、2列になってしまいました。

   
     ↑  プログラム 表紙     ↓  ○印の曲目を私達(心のうた合唱団)が歌いました
   
              「座席チケット」 隣のボックスはお客様
   

昨日は、最前列が1列空いていただけで、満席だったと思います。今回で10回
目で、私も5~6回は出席していると思いますが、こんなことは初めてだと思い
ます。いつも私たちが座る、「テラス」席はお客様はいず、何時もは空席でした。
しかし、昨日は私が一番最後の席だったのですが、お隣の「テラス席」にはお客
様がおられました。3階のお席も全て詰まっていたようでした。

何時もの通り、私が最後だから、お隣からは空席だと思っていましたら、お客
様が座られたので、ビックリしました。そして「ナブッコ」の口パクは不可能と感
じました。お隣の席ですから、私の声は聞こえているはずです。それを知りな
がら口パクと言う不名誉は出来ないと思いました。そこで取った必至の策、「ス
キャット」に変更しよう、何か音を出そうと言う作戦です。

しかし、私に幸運がありました。お隣の方が、「暗譜」しておられたからです。
私はその声を頼りに、なあ~んとなく歌えたのです。幸いでしたが、「ナブッ
コ」が終わった時点で緊張が解けました。

それにしても、会員の皆さんの集客力は凄いです。出演者が100人増えた時
点で、想像はしていましたが、「テラス席」までお座りになるとは思いませんで
した。

コーラスは人数だとは思っていますが、観客数の援護も必要だと強く感じまし
た。観客の皆さまの暖かい拍手を頂いて、のびのびと歌うことが出来ました。

私のお友達も来てくださいました。ありがたいことだと思っています。私のお友
達を初め、出演者の皆さまのご家族やご友人の暖かい友情に支えられてのコ
ンサートの成功だと思っております。

皆さま、本当にありがとうございました。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラスト・レッスン

2013年01月25日 | 今日この頃
 
             「シクラメン」   神戸・サンチカ     (13-1-21)


寒い一日でした。レッスンに出かけるころには、風がピューピュー吹いて、木の
枝がざわめいておりました。

出場者の座席が決まりました。私は、客席に一番近い席のようです。例年です
とA~Bあたりまでの人数ですのに、今年は240名とかでA~Dまで埋まってい
るようです。

今日が練習最後と言う事で、大方の方が出席されているのか座席も満杯でした。

「ナブッコ」イタリア語なんですが、急に、楽譜を見ないと言うことになり、ビック
リ仰天。思い返せば、何年か前にも、見ないことがあったと記憶していますが、
その時は今より数年若かったのと、初めから「暗譜」と言われていたので、どう
にか覚えたような気がします。

しかし本番を後2日に控えて「暗譜」と言われても、早々頭に入るわけがあり
ません。歌える所だけ歌って、後は口パクで行こうと決めました。ところがと
ころがです、家に帰って、パソコンで調べますと、私の今年の席が、一番端の
客席から、良く見える場所なんです。「ええい! 女は度胸! 」と行くことにし
ます。お隣の人頼みですが、何方かが分かりません。どうか歌える方であって
ください、そうすると、私も釣られて歌えると思うのです。メロディは覚えていま
すから。

それと、今度の席は客席に張り出しすぎて、先生のタクトが見ずらいのです、
見ようとすれば客席に後ろを見せることになります。私は普段でもいつも先生
のタクトを目で追っています。それが出来ないと成ると、後は隣の人の声を頼
るしかありません。もし、隣の人が「音痴」だったとしたら、万事休すです。

他力本願はいけないね。自分の歌唱力を信じて、気楽に楽しもうと言う結論で
す。「案ずるより生むが易し」って言葉があるじゃないですか。ねぇ!

                             (2020回)
















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柴田トヨさん

2013年01月24日 | 思い出話

               「ミセス橋本」   雄花     (12-5-5)


20日に101歳でなくなった柴田とよさんの告別式が営まれたようですね。自分
の年齢を考えたときは「あ~、もう80歳か」と何となく心細くなるのですが、トヨ
さんの事を考えると、「20年いじょうあるわね~」と何となく安心する、生きる目
標だったトヨさんが亡くなられて、「どうしようか?」と考え込んでしまいます。



私はトヨさんの詩のファンでした。優しい言葉で、心に染み入る言葉で、明るく
前向きに生きようと示してもらったことに感謝しています。

上の三冊は、トヨさんと息子の健一さんの本です。去年の夏に、大阪の高島屋
でトヨさんの「詩」を有名人が筆で書いた展覧会にも行きました。

あれは8月2日でした。午前中はその展覧会を見に行って、午後からは息子さ
んの講演会に行きました。

その時「母はもう、詩が作れない状態です」家ではなく施設に入られたと聞きま
した。それにしても、101歳にして、長患いもせず、人に迷惑もかけない大往
生だったのだろうと、うらやましく思います。

トヨさんは言っておられましたね。年は取っても女だから、いつも身だしなみ良
く、薄化粧を欠かさないって。私はお化粧がめんどくさくて仕方がありません。
トヨさんのお話から「そうだよね~」とお化粧をしようとしたのですが、3日坊主で
終わってしまいました。

トヨさんの笑顔は良いですね。私もあんな笑顔で年を重ねて生きたいと思いま
すが、中々なれません。まだまだ色んなことに欲があって、それが顔に表れて
いるようで、寂しいです。

トヨさんの明るい笑顔に少しでも近づけるように、頑張りたいと思っています。

トヨさん、希望をありがとうございました。

     


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

厄介な人です、鳩山さんは!

2013年01月23日 | 気にかかる

                「サボテン」   大阪・鶴見緑地     (12-3-29)
 
 

久しぶりに(今年初めて)歩いて20分ほどの「天然温泉」に行きました。バブルや
温泉は確かに気持ちがいいのですが、疲れます。特にバブルの刺激は強いから、
短時間で上がらないとかえって、疲れをよぶような気がします。だから私は間に休
憩を挟みながら、温泉、バブル、サウナと5分間ぐらいずつするようにしています。

今日も男風呂で、それも2人も「湯当たり」と言うか倒れた老人がいたそうです。
若い人2人の機敏な動きで、すぐ、浴室の外に担ぎ出されて、事なきを得たよ
うです。是が寿命と言うものでしょうね。その若者たちの機敏さが救ったのです。
若者だからと言って、気が廻るとは限りません。まして、2人居てくれたからこそ、
担げたのです。

私が思うには、主人のように、歩いて行き、帰りだけバスを使うと言う事で、運動
がてら、入浴を日課のようにしている人は、身体が危険ラインを察知して、早々に
警報を発すると思うのです。しかし私のようにたまにしか行かない人は、気持ちの
良い限度を身体が知らないのです。だから5分間間隔の入浴法は私にあっている
と思います。倒れた人も、たまに来れれた人ではないかと思います。

休憩中、入浴している人をぼんやりと眺めながら、ここにこられる人は、それだけ
の元気のある人なんだな~と眺めています。土日なら、子供連れの若い方もおら
れますが、今日のような平日の3時ごろは、「後期高齢者天国」と言う感じです。



産経に上の記事が出ていました。

鳩山さんが議員を辞めて、一安心と思っていたのに、又何故?日中友好協会
の招きで、訪中したんです。呼ぶ方も呼ぶ方だけで、行く方も行く方ね。「私は
もう議員では在りませんから、お話しすることも在りませんよ、影響力も在りま
せんし…」って断ればよかったのに。「元総理」と言う肩書きを持参したのね。

尖閣諸島は『係争地』だって言ったそうですね。現政権も、前政権も『領有問
題は存在しない』って言ってるし、国民もそう思っているんです。中国側にす
れば、『係争地』だと国際的に認めさせたくて、そういってくれるのは『鳩山氏
を措いていない』と言う思惑にまんまと乗せられて、言わなくてもいい事を言う
ためにのこのこ中国に行ったんですね。

『尖閣諸島は係争地』というのを聞いた、外務大臣が『国賊』と言う言葉が浮か
んだと言われたそうですが、ごもっともだといもいますよ。

そもそも、総理に就任した頃に「日本列島は日本人だけの所有物ではない」と
言って、国民の度肝を抜いた。そして、外国勢につけ込むすきを与えた。外交
に口出しするのはやめて欲しい。『元総理』と言う肩書きが、彼の言葉に重み
を与えて、国際社会に間違ったメッセージを与えかねない。

普天間問題だって、暗礁に乗り上げたままだし、「あなたの責任だ」と言って
もせん無い事、もうじ~っとしていてください、一庶民として、静かにお暮ら
しください。お願いしますよ。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オケ合わせ

2013年01月22日 | 一寸そこまで



起床した時には、昨夜からの雨は降り続いていたので、心配しましたが、家を
出る頃には上がっておりました。念のため傘は持参しましたが、使わなくて済
みました。

今日は、大阪の「大阪フィル」の練習場に「オケ合わせ」に行く日でした。1時練
習開始ということで12時前に出れば良いかなと思っていましたが、友人が「私
は歩くのが遅いし、11時半(立花)の電車で行く」と言うので同道することにし
ました。

大阪駅で、もう一人の友人と待ち合わせていたので、時間変更できなかったの
です。30分前には会場に着きました。2.30人の方がもう座っておられました。

遠方からこられた方でしょう、お弁当を食べている方もチラホラおられました。
私も中途半端な時間だったのでお昼を食べていません。お饅頭とオカキをつま
んできただけです。「クラスの人こないね~、わたしたちだけかしらね~」と言っ
ていると、ぎりぎりの時間になって、皆さんドドっとこられました。会場は8分の
入りぐらいでしたかしら。

1時に先生が入ってこられました。それまではオーケストラの団員さんは各自、
自分の音を出して賑やかに練習中でした。

お友達が言いました。「あの人たちは今何を思っているのかしらね~?」「如何
思ってるって? そりゃ~、お仕事だと思っているわよ」と私。「私達のこと何と
思っているかしらね、こんな仕事いややな~と思っていたらいややわ、私」「そん
なこと思っていないわよ、橋下さんに予算を削づられて、大変なんだから、楽団
のためにもいい仕事だと思っているわよ」と答えたが、私は心の中で驚いた。変
な事を考えながら、練習に来る人も居るのだな~と…。

去年は確かコンサートマスターは女性でしたが、今年は若い?男性でした。何
班かの組があるのでしょうね。なんだか女性が多かったように思います。曲に
よって使う楽器が違うので、色んな組み合わせがあるのでしょうね。 

初めにここに来た時には、物目ずらしたと緊張感だけでしたが、今日はオーケ
ストラの音が、とても心地よく楽しく練習できました。

練習は後1回になりました。今まで頑張ったのですから、風邪を引かないよう
に注意しようと思いました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌川国芳展

2013年01月21日 | 一寸そこまで

                         パンフレットの裏表




朝から雨の予報が、日がさしていたので、神戸・大丸に「歌川国芳」展を見に行
ってきました。

私「浮世絵」好きなんですよね。何時のころから好きになったのか覚えがない
のですが、気が付くと好きになっていたんです。

「国芳」の展覧会は何度か行っているのですが、今日のは趣が違っていて、初
めて見るものが多かったような気がします。「戯画」が多かったせいでしょうか。
「役者絵」も勿論あったのですが、他の方のはなんだか面長すぎるのに引き換え
「国芳の役者絵」はとっても男前、「いい男!」惚れ惚れと見つめましたよ。

「戯画」は嫌に猫が多かったのですが、それもそのはず、国芳は大の猫好きだ
ったそうです。何十匹?も飼っていて、猫のしぐさをじ~っと観察していたので
しょう、描かれている猫の動きに現れているそうです。私も猫好きで、小さい時
は家にず~と猫がいましたが、1匹でしたね。犬もいましたよ。犬でも猫でもや
きもち焼きだから、本当は1匹飼ったほうがいいそうですよ。

猫の絵といえば、猫の諺や言葉を集めて書いた1枚が在りましたね。「猫に小
判」「猫舌」「猫に鰹節」「猫背」「猫にかんぶくろ」等々ね。

子供の絵も可愛かったですね、でも男の子が多かったような気がします、女の
子居たかな?

江戸の色んな行事と言うか遊び(例えば花火見物)が書かれていたのは全部
女性でした。昔の女の人はこんなに自由だったのでしょうか?

男の絵といえば舟遊び、勿論酒盛りですよ。そうすると食べ物を売る小さな舟
が、寄って来ているのです。それを見て、「タイ」でも川くだりをしていると、子供
が小さい舟で品物を売りにきたのを思い出しました。

楽しい展覧会でした。






2時近くになったので、遅いお昼を、一度は行ってみたかった「デリカテッセン」
のサンドイッチを食べに行きました。

サンドイッチ自体はおいしかったのですが、ハードパンの好きな主人はソフト
パンはあまり気に入らなかったようです。ニューメニューの「コロッケ入りの
サンドイッチが揚げたてで熱々でおいしかったです。

しかし時間的に昼とずれているとは言え、私達だけだったのがなんとも早、食
欲減退感を持ちました。やっぱり食べ物は他人様でも人の気配が在るほうが、
テーブルが込んでいるほうが良いですね。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「底寒い」って言葉知ってた?

2013年01月18日 | 気にかかる

        「ミニ・フリージャー」 今年は球根が増えている気配です   (12-4-26) 



今日は本当に寒かったです。昨日にテレビが「底寒」って言っていましたが、今
日の方が寒かったと思いますよ。チラチラと小雪も舞いましたしね。こんなの
を「風花」とはいわないのでしょうか?

「底寒」って寒さの底辺、一番低い温度のことかと思っていましたら、違いました
ね。「体のしんまで冷えるようにさむい」と言う意味だそうです。調べてみてよか
ったです。知らない言葉がいっっぱいです。日本語は奥が深いし、意味深で綺
麗な言葉が多いですね。

こんな日に限って、唱歌の学校の日でした。金曜日と言う日はなんですか、年
間を通じて、悪天候の日が多いような気がするね~、とクラスメートと話しまし
た。キリスト教徒の「13日の金曜日」じゃ~ないですが、「この夏最高の夏日」
とか、金曜日の気がするんですよ。

コンサートまでのクラスでの練習日は今日で終わりです。後はオケ合わせと合
同練習が2回あります。そしていよいよ27日が本番です。

お天気が心配です。雨は勿論のこと、少しでも暖かい日であって欲しいです。
聞きにきてくださるお友達のために…。



尼崎では、昨日メールでの一斉送信で「地震・津波の訓練」が行われましたが、
西宮は27日の日曜日(コンサートの日です)に、歩いて避難する訓練がある
そうです。色んな訓練が各市で行われるようですが、役立つ日がないように祈
っています。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする