ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

星野尚のタラセア展

2014年06月30日 | 一寸そこまで








今日で6月も終わり、平成26年も半分が過ぎてしまいました。この半年間、風
邪も引かず、大病もせず、家族全員過ごさせていただきました。ありがたいこと
だと思っています。

毎朝、お仏壇に花、お茶を供え、お線香を立て、「家内安全、無病息災」を念じ
ております。勿論、次男一家も含めてです。

お供えする花のことですが、こう暑くなりますと、花持ちがよくありません。今は
家で咲いた、ダリアや夏菊をお供えしていますが、そろそろ限界です。来週あ
たりから、お花やさんで買うことになりそうです。出来るだけ自分で育てたお花
をお供えしたいと思うのですが、なかなかそうはいきません。


6月19日(木) 星野尚さんの「タラセア展」に行ってきました。友人に知らせて
いただいて、今、ある事を知りました。私はいつも見せていただきに行っていた
のですが、署名はしないで帰ってきていましたから、「興味がない」と思われた
のでしょう、「葉書」が来なくなっていました。このたびは、ご本人にもお目に掛り
ましたが、バッチリと署名させていただきました。ご案内が頂きたいために…。

星野さんと主人は、スポーツジムでのお知り合いでした。主人が手術後ジムを
やめてましたから、久しぶりにお会いしました。

初めてお目にかかったときより、小さくなられたように感じたのは、体調を良好
に保つために、ゆっくりと6Kほど痩せられたそうです。

「タラセア」は立ち仕事だそうです。私は座ってするものだと思っていましたが、
よく考えれば、木片を嵌め込むのですからね。

一日中たっているので、年に何度かは「ぎっくり腰」になられたそうで、スポー
ツジムに通うようになってから、改良されて、ありがたいといっておられました。
しかし「目」がどんどん悪くなってきたと仰っていました。そうでしょうね「細か
いお仕事」ですものね。

今まで、何度も拝見しているのですが、今まで「綺麗な~、すごいな~」と思
うだけでしたが、この度、絵を眺めている時「メルヘン」という言葉が頭をよぎ
りました。私にとっては「タラセア=メルヘン」なんだな~と思いました。
他の方は如何感じておられるのでしょうね?

細かいお仕事だから、時間もかかるし、高価なのは理解は出来ますが、私た
ちの手には届かないです。「宝くじ」が当たったら、1枚買って、毎日眺めてい
たいと思うのですが、中々当たりません。そういえば、この頃「宝くじ」買うの忘
れていたわ!



JR芦屋まで戻って、ここもお気に入りのお店で昼食(ミックスとサーモンサンド)
を取り、駅ビルをブラブラして、帰りました。



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望郷

2014年06月27日 | 読みました

        「ユリ」 憎たらしいぐらい 大きいのです        (14―6―25)


唱歌の学校に行きました。来年のコンサートは「第九」なんですが、音程が高
い! 「無理だと思えば、アルトに替わってもいいですよ、その代わり「ドナウ」
もアルトを覚えてね」そんなの無理ですよ、だから「ソプラノ」に居座ることにし
ます。

この頃「和菓子」を食べていないので、西宮・阪神で買って来ました。そのほかに
、私の好きな「オカキ」「クッキー」朝のヨウグルトにかける「蜂蜜」等々、ウン
コラウンコラと抱えてのお買い物です。消費税3パーセント値上がりしたことなど、
すっかい忘れています。


       望郷     湊 かなえ

「望郷」という一つのテーマですが、6つの異なったお話が載っています。

「白綱島」という小さな島に生まれ、または生まれた人と結婚し、島にいた時代
の一片を、島を懐かしみながら書いたお話。といえばいいでしょうか。

その中でなるほど、そんなものかと思ったこと。

石の十字架

家の都合で、島の祖母に預けられた志穂は家庭の事情から新しい服を買って
もらえないので、これまで持っていた高級ブランドの服を着て登校しなければな
らない。生意気と思われるか、うらやましがられるかと思ったが、そうではなか
った。ブランド品は興味のある人にしか価値はわからない。島の女の子の憧れ
は、手に届く範囲の素敵なもので、それを持っていることが自慢なのだ。

島の人、特に子供からは、田舎に住んでいる、引け目など感じられなかった。
あんな所、と感じるのは外側の人であって、そこしか知らないものは。自分た
ちが田舎に住んでいるとか、不便な所に住んでいるという自覚はない。都会と
いうのは、島の外ではなく、島内の大手スーパーがある町のことだ。

関西弁を馬鹿にされた。方言が無い事はないが、自分たちが標準語を使って
いると思い込んでいる子がほとんどだった。

言葉は知らないうちにナイフになる、ってことはわかっているのに。どの言葉
がナイフになって、どの言葉がならないのか、区別することはできなかった。
これは大人になった今でも出来ない。

夢の国

夢都子(むつこ)と名づけられた、女の子が主人公。厳格な祖母に逆らうこと
が出来なかった父母に「東京ドリームランド」に連れて行ってもらえなかった。

結婚して奈波(ななみ)という女の子が生まれ、ディズニーランドにやってき
た。そしておさなかった頃の自分、白網島を思い出す。

ディズニーランドにくるチャンスは叶わなかったが2度あった。東京から遠く離
れた小さな島であったが夢の国の存在は知っていた。年末の商店街の福引
の特賞は東京デュリームランドのペア券だった。母が、其の特賞を当てたが、
受け取らなかった。祖母に遠慮してである。

高校の修学旅行が東京だったが、夢都子の年から、信州にスキーに変更に
なってしまった。

そして、自分が人のこの親になって、初めて、ディズニーランドにいき、子供
の頃を思い出したというお話。

何時のころからか修学旅行は、ディズニーランドや、其の系統の遊び施設に
行くようになりました。その理由が「家から連れて行ってもらえない子が可哀
相だから」だそうですが、このお話のように、行きたければ、大人になってい
けばいいことではないかしら、何もかも「全て平等」というのは返ってヘンだ
と思うのですが。

大人社会に出れば、「全て平等」なんてありえない。しかし「努力」で勝ち取る
部分もある。そんなことは小さいときから教えたほうがいいと思いますが…。

そういうところより「原爆記念館」とか「靖国神社の遊就館」とか、今の自分
があるのは、其の時代を経ているからという「歴史」を知らせるほうがいいと
思います。

ただ、よその国にまで行って、「ウソの塊の歴史」を見せるのは如何なものでし
ょうか?




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インド家庭料理 (55回)

2014年06月26日 | 今日この頃
    
          ↑   卓上花          ↓   マイ・ディッシュ
    



ご旅行の方や体調の関係で刺激物が駄目とドクターストップがかかったりで、
お休みの人が出て、いつも何かあり、実行人数5名がぎりぎりの、会になってい
ます。でも、こんな時でもナイトご近所とはいえ、中々お会いすることが出来ま
せん。其の点では、楽しみでもあり、喜びでもあります。


シンディ フイッシュ カレー
シンディ=民族名   


      



使う「魚」によってお味が違うそうです。今日のお魚は「イサキ」でした。小骨が多
くて一寸食べにくかったようです。私は真ん中の身でしたから、小骨はすくなく
て助かりました。子供には無理でしょうね。

結局は、日本料理なら、お醤油であっさり煮込む所を、色んな香辛料で煮込む
ということです。


ビンディ パタタ
ビンディ=オクラ   パタタ=ポテト






「オクラ」が旬のお野菜だから、ということでしたが、小口切りしたオクラを茶色
くなるまでいため、ポテトも加えて、別にしておきます。トマトがソースの中心で、
香辛料を加えて底に、水を加えて、オクラとポテトを加えて、汁気がなくなるま
で煮込みます。


シンディ サモサ




こねて、延ばして半分に切った皮を、三角に折って、その中にポテトを包み込む。
それを揚げて出来上がり。

 
 
  

中のポテトが口の中でもさもさしたので、「いさき」を煮込んだ汁を一緒に食べて
みました。そうすると美味しく頂けました。


ブーガー チャンバラ
チャンバラ=お米




茶色になるまで炒めた玉ねぎに、洗って水を切ったお米をくわえて、水と塩を加
えて、沸騰するまで、蓋をしないで煮る沸騰すれば、火を弱めて、蓋をして煮る。

    
 

油が加わったご飯ですから、お腹が一杯になりました。

     

今日の、ナプキンです。涼しげですね。日ごろはナプキンなど使いませんから、
これも又楽しみの一つです。

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長~い題名の講演会

2014年06月25日 | 一寸そこまで

          「ユリ」     今年は沢山咲きました          (14―6―18)



6月23日(月)18:30開館、19:00開演ですが、座席指定がないので、前の
方に座りたいので、早めに家を出ることにしました。夕食ですが、何時もは18:
00なので、しかし食べていかないと、たぶん持たないだろうと、それなら、早め
に食べて出ようか、ということになりました。

「バラ寿司」なら、作り置きできるし、と言う事で、久しぶりに「バラ寿司」を作る
ことにしました。私の「バラ寿司」はヘルシーなんですよ。宝塚のお友達の家に
ご招待された時、彼女から教わりました。

胡瓜、タクアン、鮭(カンズメでもいいのですが、生を焼いて、ほぐしたほうが美
味しい)、具はもう一品あったような気がしますが、ご無沙汰しているうちに、忘
れてしまいました。後は薄焼き卵と海苔を散らす。是があっさりと美味しいので
す。






指定席でないので、一寸早めに家を出ました。阪急で「食パン」を買って時間が
あるので、ゴルフ用品売り場を見ました。驚いたことに「ウッド」がない!軽くて、
そして、大きくなっている。「昔はウッドって言っていたけど、木じゃなくなってい
るから、なんて呼んでますか?」店員さん「ドライバーって」ドライバーには違い
ないけどね…。

またカバーがアニメっぽくて、可愛い。主人の私の編んだカバーと大違い。また
シューズノ裏が、昔とまったく違う、芝を炒めないように変化している、ここも金
具ではなく、プラスチック?かな?

「今様浦島」で話を聞いていたら、一寸時間オーバー、会館に付いたのが、開館
15分前、もう大勢の人が並んでいた。

前に居た、女性が、なんだか話しかけたそうだったので、笑顔で会釈すると、話
し始めた「東京から来たんです」「あちらでもするでしょう?」「相手が、百田さん
だから、ここに来ました」「私も百田さん見たさに…」「私は息子に取って貰って、
やっぱりパソコンから?」「相です」「ご自分で?」「えらいですね、私たちの世
代でも、中々パソコンする人ないですよ」待っている間中話しました。



「テキサス親父」のトニー・マラーノさん。私はユーチューブで知っていましたが、
主人は知らなかったようです。百田さん狙いだったのでしょう。




トニーさん、相手が悪かった、完全に百田さんに喰われてしまいました。通訳の
人が中に入っているということもありましたが…。

○ 従軍慰安婦についても、アメリカの公文書に、朝鮮の慰安婦は兵隊が15円
  の月給の時に、750円も稼いでいた、そして自由な生活だったというよう
  なことが書かれているそうです。  

○ 慰安婦の像に紙袋をかぶせたら、韓国から2000通におよぶ脅迫状が来た
  そうで、其のうちの500通は「殺す!」だったそうで、この大半は高校生だそ
  うで、それも先生が書かせているらしい、韓国ではどんな教育をしたいるのだ
  ろう。

○ アメリカで「従軍慰安婦」について聞いてみると「聞いたことがない人「信じる
  人」「信じない人」すべてにおいて「70年も前のこと、忘れてしまえよ!」だ
  ったそうです。





対談相手の百田さん。「今日は男性が多いだろうね」と話していましたが、何の
なんの、若い女性20代後半から30代が多かったですよ。百田さんのファンだ
と思いますよ。いつも朝日新聞にぼろくそに書かれるものですから、「今日も揚
げ足取りに何処かに来ていると思いますよ」「明日また、なんて書かれるかな~」
なんて、笑いを取っておられました。

「今日は、東京で『永遠の0』の映画の大ヒット記念パーティがあったのですが、
トニー・マラーノさんが日本の事を味方して、頑張ってくれているので、直接会
ってお礼が言いたかったので、東京に行きたかったのですが、こちらに来ました」
って言っておられましたよ。

百田さんの発言については、いつもテレビで聞いているのと同じ調子でした。大
半の方が、百田さんと同じ考えの人ですから、盛大な拍手が送られていましたよ。
私たちも、勿論賛同の拍手を送りました。二人とも、何べんも何べんも拍手をし
たので、手のひらが、真っ赤になりました。

そうそう、お二人の対談の前に、両国の「国家」演奏があり、起立しました。
「君が代」皆さんも朗々と歌われましたし、私も心の底から歌いました。何年振
りだったでしょうか、「国家」を斉唱したのは。すがすがしい気持ちになりました。

そういえば、百田さん、舞台に登場退場の際「日の丸」に最敬礼をなさっていま
したよ。




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上村松篁展&京都水族館

2014年06月24日 | 一寸そこまで

          ↑    「チケット」          ↓  看板




6月19日(木) 京都国立近代美術館に上村松篁展を見に行ってきました。
このたびも早くに家を出ましたから、10時には会館につきました。






京都駅からバスに乗るのですが、車内の案内板がカラフルに変わっていました
ので、撮ってみました。

京都はやっぱり、修学旅行生が多いですね。どちらの学校も5・6人の小さなグ
ループになって、それぞれの行きたいところにいっているようです。

    
        「チラシ」     ↑   表          ↓   裏
    

大半が大きな作品です。一時、南洋に1・2ヶ月留まって描かれた絵は、ちょっと
趣きが違っていましたが、それ以外は、端麗としたといいますか、松篁さんらしい
静かな画風でした。晩年の作品は「空白の美」という感じですが、初めからそうで
はなかった事を知りました。

私は「立葵」の絵が一番好きでした。売店で「葉書」になってたのですが、受ける
感じが実物との差が大きすぎるので、買いませんでした。

私達にとっては「京都国立近代美術館」とセットになっている、大好きなお店で
「天ぷらザル蕎麦」を食べて、上手いこと来たバスに乗って京都駅に着きました。


主人が「水族館に行こか、駅から近いらしいで」と言いました。私に異存があるは
ずがありません。早くに家を出ていますから、まだ2時前です。



      ↑ 水族館の外壁と入り口        ↓   京都水族館のチケット


バスで京都駅から3つ目でした。大阪や神戸の展示方法と少し違うような気が
しました。小ぶりな水槽が幾つもありますが、大きさにおいては神戸や大阪と
は比べるべくもありませんが、「ペンギン」「アシカ」の水槽には、飼育員がいて、
上部は開放されているので、親近感が持てました。



まず最初に見るのが「大山椒魚」です。石と見まごうのですが、重なり合うよ
うにして一杯居ましたね。体の大きくグロテスクさに比べて、お手手が可愛い
です。これが鴨川にいるというのですから驚きです。



水槽では「エイ」のお食事タイムだったのですが、「亀」がやってきて、欲しがり、
付きまとうのです。飼育員さんが追い払ってもついてきます。仕方がないので、
このように、亀を片手で抱えて、反対の手で、「エイ」に餌を上げていました。



「ウツボ」も餌をもらったのですが、岩場から抜け出して、泳ぎ始めました。
何時もは隙間から、出たりへっこんだりを見ていましたが、今日は初めて「泳
ぐウツボ」を見ることが出来ました。右が頭です。



「アシカ」というのはツヤツヤとした皮で覆われているのだと思っていました
が、実際は表面には「毛」で覆われているのですね。このことも初めてしりま
した。






「イルカショウ」が3時からあるというので、急ぎました。席に着くと、ストローの先
が二股にとんがったものを渡されて、飼育員の合図に合わせて吹いてくれといわ
れたのですが、修学旅行生や若い人は、すぐに「ブ~ブ~」と鳴らせるのですが、
周りを見ても、私たちの年代の人は「スー」とも「プー」とも鳴らせません。主人は
2・3ど「ブ」「プ」と出たのですが、私は全然駄目。疲れるばかりでした。

神戸や大阪との違いは「イルカの声」をなんどもなんども聞かせてくれたことで
しょうか。面白かったですよ。



新幹線を列車が走るのが見えました。

    

ショウが終わってから、練習をする「イルカ」。指導員が、長~い竹竿を振り上
げて、それで水面を叩きます。すると「イルカ」が水中からそれを見ていたので
しょうか、ジャンプ! するのです。 やっぱり「イルカ」も練習してるんだ! 
と喉が渇いた私たちは「ソフトクリーム」を食べながら、人の去った競技場で、
眺めていました。






「ペンギン」といえば、大体が、一番上の写真のように突っ立ている、泳いでいた
としても、水中は見えないという感じでしたが、ここでは、下の窓から、「泳ぐペン
ギン」をバッチリ見ることが出来ます。優雅に泳いでいるのかと思いきや、相当の
スピードでしたので、写真に撮りにくかったです。

童心に返った日、今度は? 沖縄の「水族館」へ…、行きたいよ! 少し近場の
「江ノ島」か? 

「動物園」もいいのだけど、アノ臭いがね~。「臭い」といえば、メキシコに行った
とき、オユキさんに「動物園に連れて行って」と頼んだら、「動物園は臭いからい
や!」って断られました。其の気持ち、今の私なら理解できるよ、オユキサン!

「動物園」といえば「タイ」でも行きましたが、「カメラ税」というのを徴収された
記憶があります。正直に払いましたが…、今でも、取ってる?











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幾つになっても始めての体験あり

2014年06月20日 | 今日この頃

          「アメリカディゴ」     尼崎・武庫之荘        (14―6―14)




今日は唱歌の学校の日でした。お休みが多くて、10人でした。なんだか侘しい
気がします。これ以上減ると、合唱とは言えないな~と思います。


昨夜から今朝にかけて、初めての経験をしました。

主人が、「○○の講演に行きたいから調べて」と言いました。私もいきたいと
思いましたので、調べてみましたら、まだ、満席ではないようでした。

しかし、月曜日が当日です。何時もは息子に手配してもらうのですが、生憎
息子は東京出張中です。

こういう手配の支払いはカード決算だとおもっちたのですが、よく読んでみる
と、コンビニで支払い可能のようでした。

勿論カードは主人が持っているのですが、それは、私のブログの月200円
の支払いのためのみに使われています。

「カード」は要らないと思っていたのですが、ニュージーランドでレンタカーを
借りる時「カード」でないと駄目だというので造りました。信用の保証でしょう
か。

もう必要なくなったので、やめようと思っている時に、私がブログを始めまし
た。無料ですと、写真も3枚?だけ、大きさも制限されたので、思い切って2
00円払って、写真、無制限枠にしたのです。

だから「カード」は使いたくなかったのです。コンビニで払えるなら、一寸パソ
コンから、申し込んでみようかと、利用可能にするためには、其の会社の会
員にならなければなりません。其の操作から始めました。そして、支払い店
は家から近い「セブンイレブン」としました。

買えたようなのですが、コンビニで其の機械を操作したことがありません、で
も教えてもらえばいいわ。と思いました。初めからだから、手数をかけるから、
朝早く、人の出入りの少ないときに行こうと決めて、寝ました。

朝6時半、出かけました。人がいないと思ったのは間違いでした。工事現場
に行く車や、若い人が、ひっきりなしにやってきます。それも、ひょいっと、一
品買うだけなんですね。

「すみません、チケットの買い方を教えてください」とお願いしました。お店の
方が、色々試してくださったの、上手く出てきません。「13桁の数字さえあれ
ば、この機械を通さなくても、レジで出来るのですが」といわれました。13桁
の数字見たこと無いな~と思っていましたら「申し込まれた画面は消されまし
たか?」「確か保存に入れた記憶が…」「ではもう一度、13桁の数字がない
か見てください」ということで、一旦帰りました。

家で、メールボックスを開けてみますと、其の会社からのメールが入っていて、
13桁の数字が並んでいました。私は、早速、それを印刷して、コンビニに行
きました。そして、其の13桁の数字を打ち込むことによって、私は、無事にチ
ケットを手に入れることが出来ました。

常に、手配をしている方から見れば、「何が難しいの?」と思われるかも知れ
ませんが、初めての人間にとっては、失望したり、喜んだりの経験は貴重な
ものでした。是で、私はパソコンで申し込み、コンビニで、チケットを買う自信
がつきました。

     ☆ そういうわけで、月曜日も連休します。


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流星ひとつ

2014年06月18日 | 読みました

            「アマリリス」     西宮の町角     (14―5―23)


今日は梅雨らしい一日でした。雨が降ったり止んだり、激しくは降りませんでし
たが、其の合間を縫って、花の手入れをしました。

色んな種類のユリがさいています。花粉がつくと取れないので、こぼれる前にと、
切って活けるのですが、なんだか、気の抜けたような花姿になって、可哀相な気
がして、切花にしないで、庭に置いたまま、見ることにしています。


     流星ひとつ     沢木 耕太郎

始めてみる形式(会話体)の本です。藤圭子さんと沢木さんの対談をそのまま
載せたという感じです。状況を表す、ト書きというのかしら、は一切なく、会話だ
けで綴られています。4時間の会話を本にしたそうです。

しかし、色んな事情を考えて、出版せず。1冊だけ作って、藤圭子さんに送り、
塩漬けされていたそうです。

娘の宇多田ヒカルさんが「幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていま
した」という一文を見て、「流星ひとつ」を読むことがあったら、宇多田ヒカルは
初めて藤圭子に出会うことが出来るかもしれない…。

知って、読んでもらいたいという思いから、出版を決意したそうです。数十年
日の目を見なかったものが、日の当たる所に出てきたということです。

○ この対話は彼女が28歳の時です。
○ 珠算の2級の検定試験1回で通った。
○ 5年生の時から、余興で歌い始める。学校があるので、土日だけ。
○ 初めて大勢の人の前で歌ったのは岩見沢の市民会館。北島三郎の「函
  館の人」
○ 流しもやっていた。初めはお父さんお母さんでやっていたが、それだけで
  は稼げないので、  3人で流した。
○ 沢ノ井(藤圭子を見つけ出し、売り出した人)さんが、上条先生のレッスン
  場に現れた。彼は売れない作詞家。
○ 昭和44年の9月「新宿の女」でデビュー。45都市2月「女のブルース」
  4月「圭子の夢は夜ひらく、7月「命預けます」45年、歌謡大賞で「夢
  は夜ひらく」が大賞、レコード大賞は「命預けます」で大衆賞。

○ 前川清さんとは短い結婚生活だった。離婚して、すぐ好きな人が出来た
  が、すぐ飽きてしまった。
○ 両親が離婚。それは母親を父親と離婚させてあげただけ。彼女は母親と
  暮らすが、離婚後も、父親に送金していた。
○ 喉の手術をしてから、自分の歌ではなくなってしまったので、歌手を辞め
  る決心をする。以前から、声が出なくなることもあったから、手術をすると
  その苦労がなくなると思った。しかし、声が変わってしまった。
○ テレビであなたを見ていると、目が落ち着いていないように見える。貴女
  の目ってキョロキョロと小さく動いている、小さな動物が怯えているように」
  「そう、自分でも如何して動いちゃうのか分からないけど目が細かく動くん
  だよ。いま、やってみてよといわれても出来ないけど」無意識になっている
  と動いちゃうんだ」

   私も、彼女の表情は唄う歌のように少し暗い。でも彼女の目だけは、
   絶え間なく動いていたのが、気になっていました。

○ カルーセル麻紀さんとは同じ事務所で、とても仲がいいの。絶対やめた
  ら駄目よって言うの。疲れたのなら休むといえばいいの」
○ 初め「インタビュー」という題名だった。今はやめるといっても、これから
  先、どういう理由で芸能界に『復帰」せざるを得なくなるかもしれない。藤
  圭子は、自分の周囲の人たちについて、あまりにも好悪をはっきりと語り
  すぎている。その人たちとの関係を難しくさせてしまうのではないか。これ
  から、新しい人生を切り開いていこうとしている、藤圭子にとって、この作
  品は邪魔になるのではないかと思ってしまった。 出版社も決まっていた
  が「僕たちは是非出して欲しいと思いますけど、沢木さんのいみもよく理
  解できます。沢木さんにその迷いがある以上、発表するのは止めたほう
  がいいかも知れません。「いつかきっと発表できる日が来ると思いますよ」
  アメリカに渡った藤圭子におくったら、彼女も「自分は出版してもいいとお
  もうが、沢木さんの判断に任せる」という返事が届いた。  
○ 自死することで本当に星が流れるようにこの世を去ってしまった今、「流
  星ひとつ」というタイトルは、私が藤圭子の幻の墓に手向けることの出来
  る、たった一輪の花なのかも知れないと思う   と結ばれている。

            ☆ 明日お休みします。



 

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母をたずねて膝栗毛

2014年06月17日 | 一寸そこまで
    
     ↑   チラシ         ↓ (左)緞帳    (右)2・3階客席 


6月16日(月) 難波まで行って、高島屋でお弁当を買いました。食品売り場に
はそれらしい(松竹座行き)人たちがお弁当を物色しています。私たちも、違うも
のを2つ買いました。ゆっくり行動したいので、早めに家を出たつもりですが、松
竹座に着いたのはぎりぎりでしたね。

今日のチケットは「母の日」「父の日」の息子からのプレゼントです。勿論、ここ
を選んだのは私ですけれど。一度「藤山直美」を見たかったのと「獅童」の3枚
目を見たかったからです。でも一寸3枚目すぎたかな? 



芸人のお福、魚屋の忠太郎と其の女房、3人とも、お寺の門前に捨てられてい
た。其のお寺が、火災にあう。建て直す費用がないと嘆く和尚、今でも、弧児
を預かって育てているのに…。3人は建築費用を求めて、旅に出る。其の土地
土地で出会ったのが、3人の実母であるという設定。

お福と実母(お局にまでなっていた)は「巡礼お鶴」と「母・弓」題名は忘れまし
たが「阿波の…」っていいましたね。其のパロディだと思います。

忠太郎は名前の通り、「瞼の母」のパロディだと思いますよ。私は、二つの物
語は、祖父が私を寝かしつける時にお話してくれた物語の中にあったので、よ
く知っています。同世代の方はわかる方も多いと思うのですが、元の二つのお
話を知らない方は、如何感じるのでしょうか? お聞きしたいような気がします。

それから直実さんのせりふの中に「今井のおうどんたべたいな~」というのが
ありました。少しだけ笑いが起こりました。

私は「今井のおうどん」大好きですが、この頃心斎橋に来ないので、去年久し
ぶりに食べましたが、やっぱりおいしかった。このせりふはこのお店を知らな
いと何にも感じないでしょうね。

物語を通して感じとことは、演じているものの元の「物語」「店名」等々、知って
いるものとして書かれているのだな~、舞台の上も客席も、同士感覚というの
かな? と感じました。

主人は「藤山寛美」の「人情もの」を想像していたようで、不評でした。「寛美」
の舞台は、姑が好きだったので正月公演初日「梅田コマ」に家族で行ってい
ました。息子に「お正月におばあちゃんと『藤山寛美』見に行っていたの覚え
ている?」と聞きますと「何となく覚えている」と言いました。

直美さんの所作のキメや、目の付けどこらが、お父さんの寛美さんと瓜二つ
なのが印象に残りました。やっぱり男女の違いがあっても、親子やな~。

3人の歌舞伎役者が出ておられましたが、「大向う」がかかったのには驚きま
した。

何はともあれ、「藤山直美」さんの舞台を、一度見たいと思っていたので、満
足でした。

 
     「今日のお弁当」   (左)がおいしかったです    (右)は見掛け倒し 値段は倍
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皆元気でよかった!

2014年06月16日 | 一寸そこまで



          ↑   一番好きだったもの       ↓  友達の友達の作品 2点




6月15日(日)神戸・原田の森ギャラリーに友達の友達が出品されてる、「夢織
りびとの世界展」にお誘いを受けて、友達3人と一緒に行きました。私は3回は
行っていると思います。2年に一度の開催だそうですが、初めは友達と二人で、
次からはお知らせを頂いて、一人で行ったと思います。

最初は「こんな織物があるのか?」とおどろきました。そして見るのが楽しみで
した。ただ、大体が大物で、この「タペストリー」は相当の大きさの空間を必要
としますから、作品は、使用されているのだろうか? と要らぬ心配をしていま
す。

大体が「麻」だそうで、染めの段階から自分でするそうです。とてつもない時間
と努力が要ると思います。

今度は「ニューヨーク」で個展をなさるとか、夢は大きく羽ばたいていくようでした。
外地でもきっと、驚かれるし、喜ばれると思いますよ。ご成功を祈っています。

    









一寸、休憩! と言う事で、外のテーブルで、お茶しました。そして、折角ここま
できたのだから、パンダに逢って帰ろうということになり、道路を隔てた、おむか
えの王子動物園に寄りました。65歳以上は無料の得点を利用しましたよ。


             神戸・王子動物園に「パンダ」を見に…     (14-6-15)
      

事前の調べによりますと3時にお食事(笹を食べる)ということでその時間にあ
わせました。25度を越すと屋外には出さないということでしたので、諦めて、
それでも一寸だけ見てみようということで、室内場、ガラスで隔たりがあります
が、やっぱり可愛かったわ!

皆さん、パンダの可愛い動作に反応して、色々言うものですから「折角おいし
い笹を食べているのに!うるさいね!」というように、くるっと私たちに後ろ
を向いてしまいました。また、それが可愛いと笑いました。


 


今日のパンダはとても綺麗でした。シャンプーをしてもらったばかりだったのか
しら? 何時もは可愛いけど汚い! という感じでしたよ。私は7年ぶりに見に
来ました。

白熊ちゃんも、真っ白で綺麗でした。大変でしょうけれど、やっぱり、綺麗な動
物を見たいですね。

日曜日でしたから、若いパパやママが子供連れで、一杯でした。「あんな頃もあ
ったね~」と言いながら、私たちも、子供に返って「ソフトクリーム」をペロリ。


            王子動物園に行く道の高架下に書かれた絵     (14-6-15)


楽しい半日でした。子供を通しての50年のお付き合いです。元気で共に楽しめて
嬉しかったです。



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生き方色々

2014年06月13日 | 今日この頃

               「額アジサイ」  とても強い品種です     (14-6-6)




今日は唱歌の学校の日でした。3回お休みが続きましたから、約1ヶ月ぶりです。

西宮で下車して、外に出ますと、目に痛いほど、太陽がサンサンと照っている
のに、小雨がぱらぱら降って来ました。傘をさそうかな? と迷っているうちに、
止みました。「西宮は雨のよく降る土地」というのは本当だな~なんって考えな
がら歩きました。

帰りにドアを開けますと、地面が濡れて、植物の葉の上に一杯の水玉「こりゃ
よっぽで降ったらしいね、西宮はやっぱりよく降るのだわ」と一人合点しなが
ら帰りました。

ところがです、立花でも一時的に凄い強い雨が降ったというのです。主人が言
いますには「洗濯物が濡れたけど、入れる気にもならないほどの降りだった」


7月のコンサートの練習ですが、12人という寂しさです。入院された人が出たり
して、出席者は益々、減りそうです。

典子先生が息子さんの学校に行かれたとかで、アルバイトの先生が、来られ
ました。コンサート当日、私たちの伴奏をしてくださるとのことでした。



北海道のOさんから、立派な「アスパラ」を送って頂きました。去年も頂いたので
すが、今年のは大変見事なもので、こちらでは目にすることがないお品でした。
ジャガイモも頂きましたが、是もまた、おいしかったです。 

Oさんは、暑い間は北海道に住まわれますから、こちらに居られる時だけ、学
校に来られます。

夏の間だけ、北海道に住み、後の半年は、地元に帰られ、第二の人生を楽し
んでおられる人たちのコミュニティがあることは、テレビで見て知っていました
が、こんなに身近に居られるとは思いがけないことでした。

Oさんは北海道でもコーラスに入っておられるそうです。Oさんのお楽しみの
おすそ分けを頂いて、皆さんと共に大喜びでした。
                               (2360回)




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