ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

病院のマナー

2007年11月26日 | 思い出話
              もみじ
            (香嵐渓の秋)
       影絵の様な一時 一幅の絵画のよう

今日は何となくうつらうつらと過ごしてしまった。風邪薬の所為と思うが、頭の中がぼ~とした感じ、夢うつつ。

曽野綾子さんが「楽しい入院生活」をおくるために 
死ぬまで紳士を貫く って書いておられる。

曽野さんの年(私より少し先輩)になると配偶者が入院している人も珍しくない。男性なら紳士的な人は、病院でも看護婦さんに受けが良いと言う。紳士的と言うのは難しいようだが、第一は性的に淫らでない事。ユーモアはあったほうがいいが下品な駄洒落は敬遠される。教養も何処かで現れる。

他人に対して無礼でなく、良く感謝をし、明るい顔をしている事。ようは心がけ一つだ。

これってとても簡単なように見えて、とても難しいことを言っていると思われます。

症状の重い時は、論外であるが、快方に向かった時の事だろうと思が・・・。

性的に淫らでない事。これは実行犯は稀だと思う。唯、口害に依るセクハラのことだと思うのだが、生涯持って生まれた気質は変わらず。同室で、気の利いたユーモアで看護師さんたちとの会話も弾んでいる人を見ると、自分も仲間に入って、楽しく病院生活を送りたいと、ついつい下品な駄洒落を言ってしまう。このパターンが多いのかもしれない。

これは飲んべ~えさんに多いかもしれない。夜の町で通じた、下品な駄洒落がついつい口から飛び出す。夜の町は、心の中で顔をしかめていても、外見はニコニコと受け答えしてくれる。其れは生活費を稼ぐ為のものなのに、男達は自分のウイットは天才的と勘違いするようだ。

我宿六も過っては夜の町派だったので、短い入院生活を二度ばかりした時に私は注意をしたことがあった。「性的に関係あることを言ってはいけない」って。口下手な方だから、言葉が重く、相手に軽く伝わらない。「夜の町の人とは違うからね」って。あながち私の注意は間違っていなかったと言う事になる。

他人事ではなく、自分に関しては如何だろうか。曽野さんは言う「物腰の綺麗な女性であるべきなのだ」と。上品な物腰、言葉遣いと言うことだろうか・・・。

実際に入院生活を送った事のない私には想像がつかない。経験のない今の考えでは「そんな事容易いやん」と思っている。でも体の何所かが病んでいて、相手(看護師さん)の受け取り方まで考えて物が言えるのだろうか? 全くの未知数である。

同じ入院生活を送るなら気持ちよく送りたいとは思うが、「ど~にかなるさ。ケ・セラセラ」と思ってしまう。

其れより、現実的に緊急入院の為の品を用意をしておいたほうがいいかな?と思ったりする。でも今は寝巻きもお仕着せの病院の方が多いようだし、下着の新品だけは供えてあるので、それで充分かなと思っています。

其れより、入院中の主人を見舞った時に感じたことがある。相部屋の場合、夫々の家庭の事情で、家族の来る回数に差がある。つい主人に持って行く為のお八つなど、同室の人の分まで考えがちだ。此方は良かれとしたことが相手に心に負担を掛けている事もあるようだ。一回目は個室だったのが、二度目は4人の相部屋だったので、実際に経験した。相手も喜んでくれていると思ったのが、自個満足にしか過ぎなかったと言う事を。其れを知った時、相手を思いやることの難しさを感じたし、今でもこうして、私の心の底に沈んでいる。

☆ 明日11月27日から11月30日までお休みいたします。



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3日前はいい夫婦の日

2007年11月25日 | 新聞から
            紅燃ゆるもみじ
             (香嵐渓)
      同じ木でも 朝昼夕と姿を変えるという
         照明に浮かぶ紅葉は何色に?

香嵐渓に行った11月22日は「良い夫婦の日」だったんですね。語呂合わせですね。去年と今年二年連続「理想のカップル」は三浦友和さんと山口百恵さんですって。勿論年代によって選ばれるカップルは違うようですが、私達の世代はそうなんです。

去年は他紙を購読していたからでしょうか、知らなかったのですが「良い夫婦川柳コンテスト 2007」と言うのがあったらしいのです。

「今年の良い夫婦大賞」は

     神田川 待たせた俺が 今は待つ

地位逆転ですね。大体がそうではないでしょうか。主人も時々言います「昔はしおらしかったのにな~、あの頃が懐かしい」って。

 優秀賞
     ボクメタボ 妻産み月の 仲のよさ

ご主人臨月の奥さんと同じくらいお腹が出っ張ってるなんて、相当なものですね。

     頬なでた 風はあなた(亡夫)か 夫婦の日

「千の風になって」の歌詞を思い出しますね。お墓の中ではなく、何時もそばにいてくれると感じるとすれば、この歌は人助けの歌でもあるのですね。

     老夫婦 守る農業 家と墓

過疎地に住まれて、2人助け合って農業をつづけておられるのですね。若い頃のように売るほど作れなくとも、新鮮な農作物をせっせと息子や娘の家庭に送っておられるのでしょうか。

新鮮なお野菜は本当に美味しいです。息子の友人が大山の麓に農地を持って、週末農夫です。その作物のおすそ分けを春秋に送ってくださいます。スーパーのお野菜とお味が違います。ありがたいことと喜び、楽しみに待っています。

 「2006年 良い夫婦大賞」

     夜泣きする 子を抱く妻を 抱きしめる

まだ新婚さんに近いご夫婦でしょうね。お優しくて羨ましい事。子供の夜泣きって、時計が見えているのかと思うほどで、我家では11時になると泣き出しました。11時になるのが怖かったです。午前様の主人はまだ帰宅せず、1人抱き上げて、泣き止まぬ子と一緒に泣き出したい夜を過ごしましたっけ。
 
 優秀賞

     親の駅 子の駅過ぎて 夫婦旅

此方は熟年夫婦でしょうね。親を見送り、子を送り出し、後に残った夫婦2人。家庭の歴史を暖めながら、二人静に過ごせる老後は幸せです。

     笑いジワ あなたがくれた 贈り物

此方はまだまだお若いカップルの様。私なんて「笑いジワ」何て単純なものではないわ、縦に横にと好き勝手に増えています。

     母さんと 呼ぶなアンタを 産んでない

私もこう言った日がありました。「アンタ私の息子ちゃう! お母さんなんて呼ばんといて!」って。そういえばこの頃は「お母さん」「お父さん」とは呼ばなくなりましたね。呼びかけ無しの直接話法です。

     浮気より 心配される 血糖値

私達の年代でしょうかしら。お互いに、心配している態度や優しい言葉なんて掛け合う私達ではありませんが、もう少しは二人で元気で居たいと思っていますよ。

     定年は 主婦にもあると 妻が言い

実感、実感。時々私も口に出します。「私の定年はいつかな~。定年が来て欲しいわ!」って。姑は60歳で私が嫁いで来ましたから、60歳定年だったのです。私は別居ですから定年は来ないようです。「生涯現役」辛いもんです。
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紅葉狩りの思い出

2007年11月24日 | 思い出話
              裏紅葉
             (香嵐渓)
          日に照る表も綺麗ですが
        私は木下 お日様と私の間にある
           紅葉の裏側が好きです

私は今までどんな錦秋を見てきたかしらと想い出を確かめていますが、本当に数少ないです。都会に生まれ育ち、人工的なものに囲まれて生活した為か、もう一つ大きな理由は運動が嫌い、山歩きなんて真っ平だった所為でしょうね。

一番色なす秋に出合ったのは、乗鞍の宿に行くドライブウエイでした。歌や写真でしか知らなかった秋の色、赤、黄、茶、緑、私が始めて目にした自然の秋。初めて見たからこそ強烈に残っています。道路脇の山ですから、紅葉狩りで目にできるものではありません。コーナーを曲がるたびに、目前に現れる景色に、自然の偉大さを知りました。

それから奥日光の戦場ガ原の「草紅葉」これも、言葉だけ知っていて実際には知らないものでしたから、「これが草紅葉なんだ!」と感動しました。華厳の滝に行って後、何処に行こうとしたのか覚えていないが、乗り合いバスに乗ったんです。バスがとても空いていまして、運転手の人と話していましたら「此処まで来られたんですから、時間があれば奥日光まで足を延ばしては如何か」「あそこの滝は素晴らしいですよ。周りの景色もいいし」時間はたっぷり有ったので、言われるままに終点まで乗りました。乗客は途中で降りてしまって、でもバスは一応終点まで行くのですからと持ってる切符の先はお金を取らずに送り届けてくださって、帰りのバスで、もう一つの滝まで行って、帰ればいいからと時刻まで教えてくださいました。運転手さんのお陰で華厳の滝だけの予定が、違った滝を加え3つも見る事の出来た旅でした。土地の人と触れ合う機会の多い、マイカーでない旅も良いものだと思いました。

箱根は夏が過ぎると人は来なかったそうです、その老舗旅館の初代女将が紅葉の美しさを独り占めするのは勿体無いと宣伝を始めて、人が集まるようになったそうです。開拓の人は男性ばかりと思いきや、女性も居たんですね。今は3代目の女将が、その話をテレビでしておられました。85歳とは見えない若々しさ。元々美人であるのを差し引いても、美しい人です。自然の中での生活が元気に瑞々しくさせているのでしょうか。

初代女将の「箱根への誘い」のキャッチコッピーです。

     紅葉時の箱根を見ざれば
         箱根を説く資格なし

     箱根の紅葉を
         知らざる人は

     共に紅葉の美を
         語るに足らず

と言う事です。箱根は行きましたが、紅葉の時期ではありませんでした。もう一度行ってみたい。そしてあの3代目大女将にお目にかかって話してみたい。来年の遠出の紅葉狩りは此処に決まりかな~。いや、尾瀬もいいな~。

兵庫県でも北部に行くと紅葉で有名な所はあちこちにあるようです。奈良、京都のように一般化されていないのですが、知る人ぞ知る紅葉が見れるようです。郷土愛を持って、兵庫探訪も一つの道かも知れません。近ければ近いほど、ネットの情報で、最上の日にいける可能性が大ですから。大阪城公園の渋い茶、黄色の紅葉もお気に入りです。

紅葉は年によって変わる。同じ紅葉を見る事は決してないといいます。紅葉はその木の一年の集大成の姿です。潔く散った後には次の年への芽吹きが待っています。人も人生の集大成の時に、人なりの美しい姿で散りたいものですが・・・。
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紅葉狩り

2007年11月23日 | 一寸そこまで
             香嵐渓の紅葉
        赤ちゃんの手の様な小さな葉が多く 
           色の重なりを見せている

ひょんな事から、急に静岡県香嵐峡に行く事になった。一度は見てみたいと思っていたが、一寸不便な所にあるので、観光バスを使うしかないな~、花の季節を読むのは観光バスは不適当だな~と思っていた。所が「キャンセルが出たので如何?」と言うお誘いがあり、としこさん、たかこさんと思い切って行くことにした。

今年の紅葉の遅れ、調べても香嵐渓は5分という事だった。2・3日前から冷え込んできたので「もしかして?」と言う期待を持って行った。

まずもって驚いたのは、その人の多さである。関西・関東からの車ナンバー。数珠繋ぎ・・・。一歩踏み出せば人の壁・・・。しかし、少し奥に行くと人はまばらになる。大方の人が、撮影スポットの「赤い橋と紅葉」の辺りで踵を返すらしい。私も一応そのスポットで撮りました。しかし宣伝ポスターでも感じたことですが、紅葉の赤に、何故赤い橋?、現地に行って、尚更その不思議を感じました。私の感覚では橋の赤が煩わしい、自然の赤で充分。

「渓」と言う川の流れに映える紅葉は素的!遠路はるばる来た甲斐があったというものです。そういえば「箕面の滝」の紅葉も「水の流れ」を伴っている。箕面ももう何十年と行っていない。昔、猿に悪戯されてから、怖くて行けない。でも今なら私もたくましいから、猿の方で遠慮するかな・・・。

日帰りの為、滞在時間が90分。余りにも短い。有名な赤い橋(待月橋)の架かるあたりの巴川周辺しか歩く時間がない。これがツアーの悲しさである。本当なら、香嵐橋の架かる所まで行けば、川も深く、水面に映る橋や紅葉が見られるらしい。そこまで行けば、観光客も来ず、自然の美しい景色を堪能する事が出来たはず。残念な事だが、香嵐渓は「人気スポット」のみで我慢しておきましょう。

ツアーは「香嵐渓(東海随一と言われる紅葉の名所)と近江牛湯葉しゃぶ・松茸会席の夕食(昼食はおにぎり弁当)」と言うものだった。料金から考えて、食事には初めから期待はしていなかった。遠路はるばる連れて行ってもらう料金だと思っていたから。

近頃、JRは「飛び込み」が多い。もしかして?と言う気持ちから予定より30分早く出た。私が駅につくとホームは人で一杯、西明石の方で線路に人が立ち入って(飛び込み未遂か?)電車が30分遅れて居た。何時もならもう一台待つのだが、待ち合わせの新快速もきっと遅れているだろうから、一刻も早く待ち合わせ場所に着いておこうとした。

ぎゅうぎゅうに詰められて、乗り込んだのはいいが、手も足も自由にならない、電車のゆれで上体が斜めになっても、足はそのまま動かせない。所謂「殺人電車」と言われる状態だった。こんな状態で毎朝、会社に通っているのかと思うと、「ご苦労様」と申し上げたい。初めは私だけ「尼崎」で新快速に乗る予定だったが、これだけ電車が遅れていると、まず2人の集合場所である大阪に、私も着いておいた方が、心配を掛けなくていいと判断し、大阪駅に直行した。その時点で、汗ぐっしょりになってしまい、風邪をぶり返すのではないかと心配したほどだ。

着いた事を知らせようと、携帯を手にした途端、としこさんから連絡が来た。予定より一台早い40分遅れの新快速に乗り、バス乗り場へ無事到着。

帰りは渋滞に巻き込まれた。これも計算済み、予定通りでなくても良い計算までずばり的中。日本中、紅葉を求めて右往左往、その一駒の私でした。
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インドの家庭料理(3)

2007年11月21日 | 今日この頃
            クリスマスツリー
      年々飾りつけが早くなってきたように思います
      クリスマスソングはまだ耳に届いていませんが
            時間の問題でしょう

教室に入ると。そこ此処にツリーやリースが飾られています。派手さはありませんが、シックでセンスのいいものばかりです。何時も楽しみにしています。

月一度のインドの家庭料理のカレーの教室が、先月は先生のご都合でキャンセルになった。金曜日に放映されている「なるとも」と言う番組の中の「カルチャースクール訪問」の番組の取材が、先生の知人の紅茶のお店であり、それに先生も「インドティー」で協力の為出られたので、お休みになりました。今月の30日に放映されるそうです。

メインはココナッツミルクエッグカレー:驚いたのは卵をそのまま鍋に割り込む事です。黄身が固まった頃にかき混ぜます。日本料理では考えられないことです。

パジャ(揚げ物):フリッターといっておられましたが、私のフリッターは卵白をあわ立てて其れを衣にしてあげること、今日は違いました。豆の粉(日本には無い)に香辛料を混ぜたものに、薄切りにした野菜を絡ませて揚げる。

ドーシャ(南インド料理):日本のインド料理店では「ナン」が有名ですが。しかしおかずを包んで、つけて食べるのは色々あるそうだ。日本では食べられないインドの家庭料理が学べて楽しい。

この生地が一寸面倒。米(南インドではお米が沢山取れるので、お米を使った料理も多いそうだ)と黒豆の粉(これも日本の黒豆と違う。大きさも米粒よりも小さいものの、二つに割ったもの)を4時間水に浸し、ペースト状にして、一晩醗酵させる。先生が完成生地を持ってこられた。

其れをフライパン(インドの縁なし)でクレープを焼く要領で焼くのだが、これが簡単なようで難しい。鍋の中央に生地を流し込み、お玉杓子の底で手早く外に向けて輪を描くように伸ばす。其れを二度返して、二つ折りにして出来上がり。人のしているのを見ていると、本当に簡単に思う。が実際にやって見ると難しい。夫々が失敗しつつ、大笑いのなか焼き上げる。

先日、徹子の部屋に出ておられた料理の先生の授業の仕方は。先生は座ってお口で説明をします。助手が動きます。生徒さんは目で追い、聞くだけです。全てを実際にすると、そのことだけに集中して、他が見えない。一部始終を見る事によって覚えると言う授業でした。此処の教室もそうです。粗方は先生がなさいます。本の一部分、実習します。これからは夫々の特色を出した教室が増えると思いますので、小さい教室が増えて、こういう教室が増えるだろうと思います。

過っては、料理は見て覚えるものでした。母のそばで、本職の板前さんになるには、師匠は手にとって、教えては呉れませんから「技を盗め」と言う言葉通り、自分の仕事をしながら、先輩の技を横目で見ながら覚えるのですものね。

飲み物、バナナラッシー:ヨーグルト、牛乳、バナナ、砂糖、サフラン他の香辛料を入れて、攪拌。どろ~りとした飲み物です。インドの飲み物はこのようなどろりとしたものが多いようです。

デザートは、キャロットのケーキ?:西洋のものと違って、下ろした人参に、牛乳を加え、水分がなくなるまで練りこんで、細かく刻んだピスタチオを飾る。

紅茶:スペインの蜂蜜入り紅茶、神戸の先生の知人が販売特許を持っている、珍しいお茶。甘くて美味しかったです。

耳学問、語られる異文化のお話を一杯楽しんだ一日でした。

☆明日は遠出をします。帰宅が遅くなりそうですので、ブログお休みします。



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親の責任か?

2007年11月20日 | 新聞から
           こうようの赤ちゃん
           (阪急武庫之荘)
         葉っぱとはいえ赤ちゃんは
           瑞々しくて可愛い

昨日は娘と母親について書きました。今日は息子と母親です。親にとって子供は何時までたっても子供です。この気持ちを否定する人はいないと思います。「親を思わぬ子は在っても、子を思わぬ親は無い」

今朝の新聞です。69歳の高校講師の男性。
「親の女優“追及”は筋が違う」三田佳子さんの次男の問題です。
『有名女優の次男が覚醒剤所持で逮捕された。・・・中略・・・それにしても母親がマスコミの前で涙ながらに弁明、謝罪する姿に、私は日本社会の未熟さと特異性を感じた。

逮捕されたのは28歳の大人である。責任は百パーセント本人にある、母親が釈明会見する必要はない。マスコミも母親を詰問すべきではないと思う。・・・中略・・・親も世間も大人に成って本人の自立を促し、責任も本人に取らせればいいのであって、養育の失敗だとか、小遣いが多すぎるとか、やっかみ根性に基づいた騒ぎ方はいかにも軽薄だ。

私は、親は当人の責任ですといって沈黙を守ればいいし、マスコミは司直(法律によって事の曲直を裁く職にある人。裁判官、検察官)を通じてニュース取材をすべきだし、罪は本人が償えばいいと思う。其れが成熟した大人の社会ではないか』

母親は「28にもなった息子を如何すればいいのか分からなくて・・・」父親は「人には変なやつに見えても、私には可愛い・・・」本当なら、美人で働き者の親を持ち、何不自由なく育てられて、幸せな人生のはず。何処で如何間違ったのか「薬物」に手を出してしまったのが18歳の時、それから今度で3度目。

18歳の時共に間違いを起こした人たちの全てが、再犯を犯しているのではないのだろう。一度手を染めると、抜けるのに大変だとは聞きます。其れは本人の意思の強弱による事であって、親の責任だろうか?

育て方が悪かったと言うが、次男と言うからには、長男がいる。兄は普通の生き方をしておられるのだろう。同じ環境にあっても、気質も違えば、周りの人の輪も違うだろう。親は何処まで責任を取ればいいのか? 28歳の息子の行動の責任を親が取る必要があるのだろうか? 責められるべきなのか?

数ヶ月前、私の長男が駐車場にとめていた車から、楽器を置き引きされた。その楽器には「印」をつけてあった。ネットでオークションに出すのではないかと思った。オークションされている楽器を見つけた。決め手は「印」がはっきり写っていた。警察に事情を話して盗難届けを出して、犯人は捕まった。10数万円する楽器を1万円で売りに出していたらしい。その時、犯人に代わって親が「5万円なら都合がつく」と言われた。其れを聞いて私は言った「30代の息子の罪まで、親が償わなければならないの?そんなのおかしいよ。それにその5万円がその親にとっては大切なお金だとしたら、そんな責任を親が取る事ないと思う」

息子の罪が少しでも軽くなるようにとの親心から出た申し出だと思う。弁護士からの電話もあった。本人からの改心の手紙も来た。皆少しでも罪を軽くする為のものなのだ。結局買い戻してくれたのは警察だそうだ、警察はこの場合のように本人や身内に支払い能力のないときのための保険を掛けているそうで、そこから支払われ楽器は無事手元に戻った。

我子が犯罪者と言われるようになると考えて子育てした親はいない。幸せな人生であると信じて育てるのよ。子供達よ真面目に生きて!
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思い出の人も団塊の世代

2007年11月19日 | 新聞から
              アオキ
            (ジムの前庭)
         葉の斑入りもきれいで光っている
            見事な鉢植です

重い腰を上げて、お医者さんに行きました。長すぎるな~と思ったからです。でも思えば何時も1ヶ月はぐずぐずしています。先生曰く「風邪とは?ウィルス性のもので・・・」「何となくすっきりしない、と長引く人が多い」「鼻炎のようです。耳鼻科を紹介しましょうか?待ち時間3時間だそうですが・・・」「お薬は?」「一応3日分出しますが、症状が治まったら飲まないようにしてください」抗生物質らしい・・・。

風邪には内科より耳鼻咽喉科の方が早く直るとは良く聞く話です。先生のお話を聞いていると、どうも其れが本当らしい。私の場合も「鼻炎」らしいから。私自身も近頃そうではないかと思っていた。次からは耳鼻科に行くことにする。4軒ほど教えてくださったが、家から一番近いし、3時間待ちは辛いけど、やっぱり良く流行っている病院に行こう。

「おもしろ漢字塾」を休んで、様子を見る事にした。唱歌の学校のように自分も行動するのはいいが、「塾」のようにお話を聞くだけだと、風邪薬のせいもあり眠ってしまう可能性があるので。

「娘の結婚を望まぬ母親」と言う興味深いことが書かれていた。
娘が結婚してがっくり来ている母親がいる。筆者は子供がいないので、他の人に聞いてみたら、「本音はそうよね」と言う娘持ちの同世代(60歳前後の団塊の妻達)が居たという。「中々結婚しないで・・・」と言いつつ、母にそれなりの配慮のできるようになった30代の娘と言うのは凄くいいらしい。

『母にとっては娘は一番頼りになる話し相手で遊び相手。一緒に外国ツアーに出かけたり、買い物に行ったり、楽しいらしい。又娘は母親が夫に言いたくてもとてもいえないことでも、躊躇いもなくピシパシといってくれる。「自分の昼ごはんぐらい自分で作ったら。自立しない男って、一番、妻に嫌われるのよ。熟年離婚されるよ」なんて事を平気で言うらしい。妻に言われると聞く耳もたないが、娘に言われるとシュンとするらしい。

体力気力のあるうちに「1人で生きる練習を」と負け惜しみと言われるのを覚悟で進言したら、「解っているけど、せめて35歳までは手放せない」と。女性の晩婚化の背後に「娘の結婚を望まない母」の見えざる存在も大きいかも』

そうかな~。娘の花嫁姿を一番見たいと思うのも母親だと思うんだけど・・・。今は結婚後も頼りになるのが娘だと思うのですが・・・。

神戸のジムに通っていた頃、仲よくなった人がこんな話をしてくれたことがある。
彼女はもう直ぐ30才といっていた。結婚して、家を持ちたいので共稼ぎしていて、頭金が出来たら仕事を止めて、子供を産み育てたいと思っていた。結婚何年目かに家を買って、ローンを組んだ、そのときのローンの保障はご主人の生命保険を掛けることだそうですね。ローンを組んだ事のない私知りませんでしたが。

新居に移って、暫くして、ご主人が急死された。彼女は未亡人になった。でも頼れる親もいるから立ち直りも早かったと言う。お母さんが喜んでいたそうです。「こんな良い婿さんはいない。家付きで娘を返してくれた」って。かわいそうな婿殿の母親の身になって、私は愕然とした。其れも現実なんだな~と。顔も忘れてしまった彼女だけれど、時々思い出す、その後、再婚されたか?幸せな人生なんだろうか?と・・・。思えば彼女も団塊の世代だったんだわ。







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夫婦別姓

2007年11月18日 | 新聞から
        クローンエコ(葉から芽の仲間)
         子宝弁慶草と教えられたが
          クローン状態で増える
   葉の淵のフリルのように見えるのは子供の芽です

寒くなりました。風の音がゴーゴーと聞こえます。寒いはずです、木枯らし1号です。でも東京国際マラソンは「温度が高い」と言っていましたね。

参院の委員会で「夫婦別姓」についてまだ検討しているそうですが、もう決まったことだと思っていました。名前を変えたくない人は変えなくて良いし(私の感覚では変わった人)今まで通り変えたい人は変えればいいと思っていました。色々不都合が出てきたんでしょうか?

先日こんな投書が載っていました。東京中野区の中学生の女の子です。

「家族の一体感失う夫婦別姓」
『学校で、女の行き方について話し合う機会があり、夫婦別姓の問題が話題に上がった。

賛成、反対、さまざまな意見が出たが、私は反対だ。夫婦別姓にすると夫婦それぞれの個人意識が高まり、家族の一体感が弱まり、子供に与える影響が心配されるからだ。

私にはまだ解らないが、結婚と言うのは、第二の人生が始まると言う気持ちを強くする機会だと思う。

確かに、別姓制度を導入すれば、戸籍や自動車免許などの名義変更の手間が省ける。

又一人っ子同士の結婚の場合、家名が絶たれる心配もなくなる。働く女性のキャリアやイメージを傷つけないなどと言う意見も理解は出来る。

しかし、別姓論者も、自分の新しい家族を一番に思う気持ちに変わりはないはず。別姓制度を導入しても、実際に使用したいと考える人は少ないと言う調査結果もある。

特に子供たちと一体となって新たな家族を作り上げる場合、夫婦同姓の意義は大きいと思う』

う~んと唸ってしまう。私が中学生の時「夫婦別姓」何て事は言われていなかったし、中国と韓国がお嫁に行っても名前が変わらない、程度の認識しかなかったと思うし、お嫁に行って名前が変わる事にほのかな憧れがあったように思う。そして、中国や韓国の方が変わっているとさえ思っていた。

「夫婦別姓」が導入されてもうどの位になるのだろう。すっかり忘れていた事でした。どのくらいの人が、「夫婦別姓」を使っているのだろう。「夫婦別姓」にはどんな利点があるのだろう。

新しい事をすると何だか進歩的なような気持ちになり「夫婦別姓」にしたが、何だか不便だな~(特に子供が生まれると)と感じて、「やはり家族同姓にしたよ」何て人は居ないのだろうか?

そもそも、誰が言い出して、賛成して「夫婦別姓」が成立したのだろう。変わった人も居るもんだという気持ちで見ていたので、詳しい事は何も知らない。

やはり「男女は同権である」と言う気持ちから生まれたものだろうか?日本の女性は結婚した後は、家庭のことは全て押し付けられてと言うけれど、会計だって自分の差配の下にあるではありませんか、アメリカ、イギリスではお金は旦那がしっかりにぎっているそうです。

今の日本では女は充分手厚く遇されていると思います。私達の時代と違って、大半の人は親を養う必要もなし、その分家族旅行とか、日頃の楽しみに明け暮れているように見えますが・・・。私達だって私達の親の代よりは楽しみの多い暮らしをさせて貰っています。

よほどのお家柄以外は「家名」にこだわる必要はないのではないでしょうか。私の母は一人娘の私に「気にしないでお嫁に行きや」と言っていました。戦争で全てを失い、譲るべき物も無くなったからでしょうか。
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100円の杖

2007年11月17日 | 今日この頃
              秋の色
          (大井戸公園入り口)
       尼崎も そこ此処に秋が見えます
    阪急武庫之荘駅の桜葉も赤く燃えていました

10日ぶりにジムに行きました。普段ならなんでもない30分の歩きが、着いた途端に「あ~疲れた」何で? 寒さの到来で血圧が上がり気味、だのに薬を飲むのを今日も忘れたのです。何時もなら、朝食後に直ぐ飲むのですが、今は風邪薬を優先しているものですから、朝一回きりの高血圧の薬を少し時間を置いてから飲もうとするので、ついつい忘れてしまうのです。

色んな薬を一度に飲んでもいいと言われますが、別の病気に効く薬が、どうして夫々の部分にだけ効くのでしょうね。沢山の種類なら大変かもしれませんが、風邪薬と血圧の2種類なら、一緒に飲むより、時間を置いて別々に飲んだほうが利くような気がするんですが、効き目は同じなんでしょうか?

疲れを感じたものですから、予定を切り替えて、サウナで身体を温めるだけにしようと決めました。サウナには先客が1人おられました。顔なじみです。サウナにも杖を突いて入って居られます。杖を頼りの身になっても(その頃には家から5分と掛からない駅ビルのジムに変わっていると思いますが)ジムに通う気力が私にあるだろうか?と彼女は強い人なんだろうと思います。

「これ触ってみて」と私に杖を差し出しました。身体を支えるものですから、軽いのですが、それでも適当な重さは感じます。「熱くなってますね」彼女の意図が解らぬまま私は答えました。「100円なんよ」「えっ!これが?100円ショップで?」「そうなんよ。見えないでしょう。友達はグリップの所がメノウので50,000円のを持っているの、でもそんな高いもの失ったら悔しいでしょう、良く忘れるのよね」杖を頼りに歩いておられるのに、忘れるかな~?と思いつつ話を聞く。

「模様のついたのがあるでしょう」「ええ、時々持っておられる人を見かけるようになりましたね」「アレは10,000円前後なんよ」「アレは服との調和も考えなければならないから、本数がいりますね」「勿体無いから、この100円ので充分なんよ、弟がね、外出する時『杖持った』と言わないで『姉さん、100円持った』って言うのよ」と笑いながら、言うだけの事を言うと100円を突いて出て行かれました。

100円とはとても見えませんよ。100円ショップでも直ぐ売り切れると言っておられました。私も100円の杖でいいわと思いましたが、そうならない様に身体を動かしているんです。たった10日間、身体を動かさないだけでも、なまっていると感じます。でも年を取りますと毎日はしなくてもいいそうで、週に3回ぐらいが一番いいと言われます。

「一日1万歩」と言われていますが、腰や膝に故障がある人はそんなに歩かない方がいいそうです。「歩け」と言うのは何処も故障のない人向けの掛け声であって、故障のある人は、無理をしてはいけないそうです。故障のない部分を動かせばいいという事です。

「歩く」は全身運動だと言われますが、前後に大きく腕を振りながら歩くようにとも言われますが、余り腕を振って歩いている人は見かけませんね。歩いていても上半身は運動不足だと思います、何時も下がっている腕を上に上げたり、上体を後ろにそらしたり、左右に曲げたりの運動をしないと体の筋肉は硬くなるように思います。どんなに運動しても動きが鈍るのは仕方がありませんが、後退する運動力の進度を少しでも遅らせたいと、運動嫌いなのにジム通いです。
                            (560回)
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読むという事

2007年11月16日 | 今日この頃
            ツルヒメソバナ
          何時もは枯れているはずの今
          我が世の秋とばかりに満開
              何故?

今冬、初めて石油を注文、吃驚仰天、1缶1800円ですって。お米屋さんに配達してもらっているのですが、先日「今年、石油上がりそう?去年の終わりは1500円だったけど?」「上がると思いますよ。高くなればなるほど、売りにくいし、お客さんも買い控えますから商売し難いです」って言ってたけれど、お正月前には2000円になったら如何しよう。

寒がりの私は暖房無しには居れないし、いっそ電気の方が安いのかしら?幸いな事に今年付け替えたクーラーは両方いけるし・・・。厳冬にならないで~。

発声練習をしている時フッと頭を過ぎったんです。「あれ?今日お薬飲んだ?」「飲んでないよね。余り声を出すと、脳の血管がプチリと切れたら如何する?」「いけないいけない」と音量をセーブ。幸いな事に休憩の後の時間はDVDを見せていただきました。

先日のヨーロッパの音楽会のものです。同じ会場といっても「ニューイアーコンサート」の時のように会場にお花がありませんでしたし、観衆の服装もダークで華やかさはありませんでしたが、そこには地元の皆様の暖かい拍手が鳴り響いていました。

男性は蝶タイ、女性は白黒のロングドレス、皆さんお顔が輝いていて良かったです。外国で「故郷」など唱歌をメインに歌った音楽会なんです。気持ちよかったでしょうね。

80人ほどの参加なんですが、各パートにオーケストラ専属の合唱団の方が6人ずつ付いて下さったそうです。楽譜を渡したのが2日前なのに、見事に日本語で歌ってくださったそうです。しょうえもん先生も、「流石プロ」と感心しておられました。

残り組みの私達は「いいわね、気持ち良さそうね」と羨みながら見ておりました。
「せめて、シンフォニーホールに出ようか?」と言う話になりました。今度は新曲「カルメンのハバネラ」もバックコーラス(のりこ先生がカルメン)をするのです。定番の「あおきドナウ」も唱歌も歌いますけどね。出るためにはそのための練習に2週間は通わなければなりません。出たいけれどね~。


今、山本一力さんの小説を読んでいるのですが、一つは文庫本、もう一つは新聞連載なんです。両方とも職種は違いますが、幼い女の子がだんだん成長して、その道の成功を描いているようなんです。時々、「あれ?これはどっちの子の話だったっけ」何てこんがらがりながら読んでいます。

時代物なんですよ。お名前は知っていましたが、読むのは初めてなんです。新聞に連載し始めて読み始めました。とても読みやすいし、私の好きな、一つの職業を突き詰めて書いていくようなので毎朝楽しみに読んでいます。

唱歌の学校で「これ読みませんか?」と言われた中に「山本一力」さんの本が在ったので借りてきました。

なんといっても山崎豊子さんが一番好きで「大地の子」までは買って揃えていましたが、神戸淡路大震災以後は本はなるべく買わないようにしていますので、「沈まぬ太陽」は図書館で借りて読みました。どんどん長篇化していくようです。それ故に益々読み応えがあります。

「沈まぬ太陽」からだいぶ時が流れています。もうそろそろ次が出る頃でしょうか。週刊誌を読まないので連載されていても知らなで、単行本になって、やっと気付くのです。山崎さんの本を買っていた時代は、山崎さんがどんどん書く人でないので助かっていました。


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