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ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

これで良いの?今の親子

2007年03月31日 | 新聞から
          唱歌の学校の玄関前で
        ほったらかしで咲いたそうです
         球根植物の楽なところです

3月も去って行きました。私にとって大切な一日なのに、あっという間に過ぎていきます。大切にしているつもりですが、掌から零れ落ちる砂のように感じる事もあります。

内閣府調査によれば日本の高齢者は子供や孫と「ときどき会う」が良いという結果が出たようです。

子供や孫と同居するよりも「ときどき合う」方が良いと考える高齢者が増えているそうです。自分の意思をはっきり言えるのも「年金」を受けて自立しているからでしょう。

昔の親は「子が看るのが当たり前」の感覚でしたが、今は「子から自立している人が多い」ので「看てもらわなければならない人」は肩身の狭い思いをしておられるのでしょう。

続く報告がいけません。別居している子供との接触は日本が最も少なく、親子関係の希薄化が伺えると言うのです。

調査は昭和55年から5年ごとに実施され、6回目の今回は平成17年11月から18年2月、日本、米国、韓国、ドイツ、フランスの5カ国でそれぞれ60歳以上の男女役1000人を対象にして行った。

子や孫との付き合い方では「何時も一緒に生活」(同居)を望むのは日本が34.8%と最高で、韓国(29.8%)英国は8.7%どまりだった。ただ、日本では「いつも一緒」は前回12年に比べると8.7%減り、始まった昭和55年との比較では24.6%も減っているそうだ。

私達が親と同居していた昭和30年代から50年代まではまだ同居が多かったし、同居していなくとも、たまには親を旅行に連れて行く息子も多かったように思う。少なくとも主人の兄弟は母親孝行して居た。が・・・本当に一緒に旅したいか?と問われれば「う~ん」と考え込む。やはり、主人との二人旅が一番気兼ねなくいいかな~。

別居している子と「ほとんど毎日合ったり、連絡したりする」は米国が41.2㌫でトップ日本は16.7%で最下位だった。

外国人の生活については実際には知らないが、小説や映画では昔も今も、別居はしていても、週末食事を共にするとか接触は密だな~と感じていた。日本では「別居」だけが取り入れられて、フォローが無いな~とは感じていた。子供が居ながらの孤独死、この多さは異常な気がする。独居老人の生活を選んでいる親に対してはせめて、一日一回の電話ぐらい出来ないのだろうか?子供はそんな親を見ています。自分もそうなる可能性が高いと考えれば、自分の為にも最低の親への心配り(安心コール)は必要ではないだろうか?

16.7%と言う数字は日本も案外居るな~と言う感じを受けました。でも良く考えてみると、この数字は「母と娘」の多い数字かな~?と感じる。勿論、義理の中でも大切にしてくれる嫁も居るでしょう、でも、義理の中ともなれば、色々なことが複雑に絡み合うので実母の様なわけには行かないだろう。

結婚以来、家で看護し見取った私に言わせれば、同居は娘の方が良いように思う。円満に行くなら其の方が良いと思う。う~ん、一寸本心を見ないように無理してる?

片方を立てれば、片方が立たなくなるわけで「息子の方の親」の立つ瀬が無いようだが、年金もあることだし(但し、年金だけでは生きていくだけで一杯です。親の遺産の無い人は、老後の為に若い時からコツコツ貯めておく事が必要です)息子達に頼らないでも、自分の人生楽しく大事に生きましょう。日頃迷惑を掛けていなければ、まさかの時にはほって置かないでしょう。
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さくら夙川駅

2007年03月30日 | 今日この頃
         JRさくら夙川(しゅくがわ)駅
      3月18日開業、今日始めて降り立ちました

この駅が出来て、私が唱歌の学校に行く時間がぐ~んと短縮されました。西ノ宮駅からは歩いて約30分掛かりましたが、此処からは5分です。それはありがたいのですが、歩く道に公園も無ければ、花を育てている家も少ない(何故?土柄?)。これは私としては物足りない。これからの花の良い時期はやっぱり西宮駅に降り立ち、ブラブラと花を眺めながら通いたいと思ってしまいます。

この駅が出来る事を知ったのは、5年ほど前だった。「出来るまで、此処に通っているかしら」と言っていたのに、まだ通っています。工事は予定より遅れていたと思います。宝塚線の脱線事故があったりして、補償金もいるしな~、新しい駅どころではないね~と、工事が止まっているように感じて半ば諦めて話していた。

18日開業の前日、この駅に停車する時間の変更の為のダイヤ改正があった。ハウステンボス行きの飛行機に乗る為のリムジンバスに乗り遅れたのは、この駅誕生に関係していたという事に今日気づいた。

さくら夙川駅は近くに夙川公園と言う桜の名所がある事からこの名がつけられたそうだ。500m以内、北に阪急夙川駅、南に阪神香枦園駅がある。両車線とも、乗客の減るのを恐れてか、阪急は特急・通勤特急を新たに夙川駅に停車させるし、阪神は香枦園駅に朝運転される特急を停める。もう一つ、お隣のJR「西ノ宮駅」の「ノ」が取れて、18日より「西宮駅」となった。

駅の屋根のカーブは夙川の流れを連想する波状になっている。外壁の一部ピンクは桜の色を表しているようだ。

当駅は県道拡張工事の付帯工事として成された為、国からの補助が出た、よって西宮市は基本的には関係なく、地元の請願駅ではなくJR西日本の働きかけによって出来た駅という事だ。総工費12億円、2001年起工、2007年開業である。しかし、当駅のある西宮市雲井町は、早、地価が13%上昇だそうな。

18日開業に伴い「さくら夙川駅」開業の日付入りの入場券5000枚(一枚120円)とオリジナル図柄のJスルーカード25000枚(一枚1,000円)は完売した。

当駅はJR西日本管内の終日有人駅としては数少ない女性駅員のみの配置となっている駅だそうな。道理で何だか昔の客室乗務員の様な制服の女性が多いな~と思った。勿論、駅構内は終日禁煙である。

初めの計画では夙川の川の上に駅が出来る計画と聞いていた。出来上がった駅は、それより大阪寄りになっている。もし夙川の上に出来ていたら、阪急夙川駅とは目と鼻の先と言う事になる。其の点を考慮したのかなと話している。

駅前広場も無く、勿論商店街も無い。便宜上出来た駅と言う感は否めない。

         ☆  ☆  ☆  ☆  ☆         

去年の今日、初めは4月1日から始めるつもりが、逸る心を抑えきれずに、2006年3月30日にブログを始めました。

早一年、今日で337回、28日お休みしただけです。其の内、病気で休んだのは1日だけ、あとはちっちゃな旅に出る為のお休みでした。元気だからこそ出来た事で、ありがたい事だと思っています。やはり年並み、無理が利かないので随分体の声に耳を傾けるようになりました。

お顔は見えませんが、取りとめもないおしゃべりをお読みくださっている皆様に毎日感謝しております。有難うございます。
                          (337回)
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冬の水練

2007年03月29日 | 読みました
         スノーフレイク(鈴蘭水仙)
        緑のポッチリが何とも可愛い
        今年は一寸数が少ないようです
       植え替えて欲しいのかもしれません

暖かいような、寒いような変なお天気です。用事で大阪に出ましたが、道行く人の服装もまちまちです。朝、家から出る時間帯によって、早く出た人は冬の服装、日差しを浴びてから出かけてきた人は薄着等想像しながら眺めていました。

今年は昔流行った「スプリングコート」が一押しらしいのですが、今日はまだ見かけませんでした。薄着の人もブレザーでした。コートと言えば、昔ほど丈は長くなく身体にフィットするプリンセスラインに近いもののようです。短いといってもブレザーほど軽やかさもないし、身幅が狭いので若い人向きかと思います。

今日は大阪滞在時間2時間で我家にリターンですので、同世代がどのようなファッションかを観察できませんでした。でも大勢の人出でした。皆さん何の御用なのかしら?

        ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

      冬の水練   南木佳士(なぎけいし)

初めて読む作家だわ、と思っていたのは間違いでした。「阿弥陀堂だより」の作家だったのです。もう何年前になるでしょう、過って所属していた読書会で読んだと思います。風景の綺麗な描写があって、映画になったので見たいと思っていたのですが、見る事が出来なかったのでした。

この本はエッセイ集です。作家と現役医師の二股で、パニック障害からうつ病になった事なども書かれている。パニック障害:急に気分が悪くなり、胸がどきどきして呼吸が苦しくなり、全身が緊張して冷汗がでたり、気が遠くなったりする。このまま死ぬかもしれないと言う強い不安を持つ。このため1人で外出できなくなる。

「やめる」
タバコを止めた経緯を書いている。タバコを止めたのは42歳の厄年の節分だった。厄もおわるし、止めてみようかと止められた。下記の様に考えて自分を納得させて止めたそうだ。

タバコを欲しがっているのは脳だけであって、脳を支える下部身体、つまり心臓や肺にとって喫煙は百害あるのみ。この年になるまで私は脳の思うとおりに、勝手気ままに体を酷使してきた。 ・・・中略・・・ 厄は人生の折り返し点、あるいは峠とみなされる。これからは復路に入る。だとしたら、これまで迷惑をかけどおしだった自分を支える下部身体を少しは労わってやろう、と私の脳は考えた。其の手始めにタバコを放棄したのだ。 ・・・後略・・・。

此処のところを読んで、「あらっ!同じ考えだ」と思ったのです。本を読む5時間ほど前、時々コメントを寄せてくださるりょうまさんのブログを訪れたのです。「疲れが取れない」と言いながら、日曜日の大会の為に練習ランニングをしておられるのです。其処で思わずコメントを入れたんです。

りょうまさん「頭のしたい事(趣味)」を優先しすぎて「体のしたい事(休養)」に目を瞑っていませんか?無理はいけません。今一番大切なのは休養では?御身お大切に。

これって対象物は違いますが、南木さんの言わんとする事と私の言わんとする事と同じだと思うんです。それで、りょうまさんに先輩ぶって言った事は間違ってなかったと安心したんです。

今日も本当は神戸の用事も一度に済ませるつもりでした。頭では其のつもりでしたが、体が嫌がりました、そして早く家に帰りたがりました。この頃は体の言う事も聞いてやります。まだまだ楽しみたい事が一杯あるからです。
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ちっちゃな男の子

2007年03月28日 | 気にかかる
               桜
           私が見た一番乗り

門前、公園、道端に、花が咲き始めました。一週間ほど前、もうじき咲くなと言う桜が1本ありました。昨日はその木を探しましたが、見つけられませんでした。夕べ良く考えて大体の見当をつけました。回り道になっても良いように少し早めに家を出ました。見つけた桜は枝先まで満開でした。

写真を撮り終えて、ジムに向かう途中。自転車が一台止まっていて、ちっちゃな男の子が手を真っ黒にして何かしている、「どうしたん?あ~ぁチェーンが外れたん?」「うん」「私は自転車の事はようわからへんし、引っ張って帰られへんの?」「遠い・・・」泣きそうな顔をしているが、私には如何してやる事も出来ない「其処の図書館知ってる?そこまで引っ張っていこか?誰か治してくれるかも知れないよ」「図書館の帰りやねん」誰かいないかと見回していると、私達に気付いた男性が近づいてきた「すみません、チェーンが外れたらしいのですが・・・」「よっしゃ、此処は危ないから、あそこの駐車場でおじさんが直してあげよ」と軽々と小さな自転車を持ち上げた。「よろしくお願いします」私はほっとした。ちっちゃな男の子もほっとしたみたい。

この子は困っている自分を助けてくれたおじさんの親切を心に刻み付けてくれるだろうか?そして大人に成ったとき、もし困っている人を見たら、手を貸す人になってくれるだろうか。なってほしいな~。直った自転車で帰る時、ちゃんと「有難う」が言えただろうか、歩きながら、私は自分の孫の事のように色々考えた。ちっちゃな男の子に、この小さな出来事が良い潜在的効果を残してくれると良いな。

私は初め見ぬ振りして通り過ぎようとした。何故なら、今の子供は家庭で「知らぬ人に話しかけられても、知らん顔して相手にならないのよ」って教えられてるだろうと思うと、此方もつい声が掛け難いので。

でもちっちゃい男の子(1年生位かな)は本当に途方に呉れていた。ちっちゃな手はチェーンをどうにか嵌めようとして油で汚れている。でも幼くて、初めての経験で、徒にチェーンを引っ張っているだけなのだ。私は同じ目線になるようにしゃがみ込んで声を掛けた。心細いのだろう、消え入るような声で答える。

もしあの男性が私達に気付いて、近寄ってくれなかったなら、二人して途方に呉れただろう。「この辺に自転車屋なかったかな~」と一生懸命思い出そうとするのだが、私の頭もパニクッて居るらしく思い出さない。

立花だと2.3軒は直ぐ思い出すのだが、武庫之荘は私のテリトリー外、今もって思い出さない。

ジムまで運べば、自転車で来ている人が沢山居るので直してくれたかも知れない。でも、小さいとはいえ動かない自転車を運べたろうか?運べないよ。もし運んでいたら今頃「腰痛」で後悔しているだろう。

小さな出会いだけれど、後を託したおじさんとどんな会話をしたのだろう。おじさんも小さい時同じ経験をしていたのかもしれない。そんな話も出たかも知れない。行きずりの親切でも、ちっちゃな男の子の心に良い影響を残してくれますように、子供の事だから、今はすっかり忘れているかもしれない、でも心の隅に潜在的に残って居て、思いやりを育てる種になって呉れたらと思っている。

自転車が直った時、ちっちゃな男の子に笑顔が戻っただろう。どんな笑顔だったのだろう。私にボソボソと話したのは心が悲しんでいたから。直った自転車に跨って、大きな声で「有難う」って言えたかな~? 
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笑いが噴出す本

2007年03月27日 | 読みました
            チューリップ
            今年の一番花
     この花は従来のチューリップらしい蕾咲きがない
        あっという間に開いて、夜はつぼむ
       普通はこれだけ開けば明日には散るが・・・

今年も出会いと別れの季節がやってきました。学生で無くても、私達にもやってきます。ジムも4月からは編成替えの時です。とても楽しかった「気功」の先生が変わります。惜しむ声が満ちていました。私もとても残念に思います。皆、自分が飽きて勝手に止めるのは良いのですが、良い先生が止めるのは嫌なんです。色んな事を教えて頂きましたし、ファッションでも目を楽しませて頂きました。来週からの先生はどんな方なんでしょう、どんな教え方をされるのでしょう?楽しみでもあり不安でもあります。
 
         ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

  妻の口一度貼りたいガムテープ  綾小路きみまろ

主人が立ち読みをしていて、あまりに面白いので買ってきたそうです。テレビでしか見たことがありませんが、私達の年代を「飯の種」にして居る憎たらしい人ですが、そのものずばりなので笑うしか在りません。

初めて出したCDが160万枚、第二弾が50万枚のベストセラーだそうです。読んでて思いました、面白いんですが、声があればもっと面白いだろうと。反応を確かめる「間」を含む喋り口が直に聞けるCDの方が良いかな~と思います。本は定価1260円にしては「字」が少ない。

もしかして主人はこの題名を私に見せたくて買ってきたんじゃない?と勘繰っています。

「はじめに」にこんなことが書いてありました。
去年の10月、小泉前総理が衆議院神奈川16区補選の応援演説のため、総理退任後初めて公の場に姿を現しました。舞台に立った小泉さんは、息子さんの孝太郎さんから「お父さん、総理辞めたんだから、たまには面白い本でも読んだら」とこの本を手渡された話を披露されたそうです。「一寸めくったら、吃驚したね、爆笑した。ストレス解消になる。電車の中じゃ読めないね」と言われたそうです。

ほんとに思わず噴出しますから、人前では読めないですよ。1人で思いっきり笑って読む本ですよ。読書家の中でも書き手がお笑い関係の人であるというだけで、取り上げるに値しないと感じる人も居るようです。

こんな話が在ります。元私も所属していた読書クラブでは毎年一月にその年に読む本を決めます。会員の1人が島田洋七さんの「佐賀のがばいばあちゃん」を推薦したそうです。そうしますと「読書会で読むべき本ではない」と言った人がいたそうです。当人は既に読んだのだろうか?書き手がお笑い芸人と言うだけで値打ちが無いと言っていると思うが、随分間違った見識を持った人だな~と思った。ベストセラーになり映画・テレビになると言う事は人に感動を与える何かを含んでいると言うことだと思う。映画は見そこねましたが、テレビは見ました。私はいつか読みたいと思っています。

綾小路さんのこの本も機会が在れば読んでみてください。面白いです。なるほどと思います。核心を突いているので笑わずには居れません。こんなに笑った本は中島らもさんの「寝ずの番」以来です。一つだけご紹介。

 若い頃はダンナの後を三歩下がって、ついて行きました
 あれから40年 今ではダンナを置いて何処えでも行きます

私の場合日帰りですよ。友人とのお泊りは一度だけ、有馬温泉一泊のみ。 

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夜間歩行

2007年03月26日 | 新聞から
           我家の「金の成る木」
             たった4輪 
         これでは「小金」も貯まらない
         どうすればいっぱい咲くのかな~

大阪の中学が卒業の春の恒例の「しまなみ海道夜間歩行」を行った。3年生が14時間掛けて43.4㌔のコースを歩く。ほぼ全員が完歩した。達成感を味わい、自信を付けて高校生活に臨む事が出来る。

平成17年5月に「恩田陸の『夜のピクニック』本屋大賞を受賞」と言う本を私は読んでいる。それはまさにこの学校の「夜間歩行」である。私が感心したのは「夜のピクニック」この数時間の間の出来事だけで小説が一冊書けるのだという事にだ。友情あり、歩く辛さあり、眠気との戦いありと、歩く人の心、歩きながら思った事等書かれている。もう2年も前に読んでいるので、内容は粗方忘れているが、数時間の出来事で物語が一つ書けるという事の驚きは、今でもはっきり残っている。

同校は1991年開校と言うからまだ新しい。其の一期生が卒業する時から、毎年続けて今年で14回目だと言う。初めは三重県松阪~伊勢を歩いていたが、大勢が歩くにはトイレ、休憩所、安全確保等色々な問題があり先生方は苦労された。男子校が共学になった2004年春から「しらなみ海道」に変更した。小説の方は田舎の学校なので学校から学校まであるく。同校はしまなみ海道の途中までバスで行き、生口島(いくちじま)で出発式を行い、午後3時に出発した。

生口島には耕三寺耕三と言う実業家(懐かしい呼び名、今は余り聞かれなくなった)が、女手一つで育ててくれた母の菩提寺として建立した浄土真宗本願寺派の寺がある。

もう20数年前になると思うが、免許取立で、盛んにドライブ旅行をしていた頃に訪れた事がある。何の予備知識も無く、目に前に現れたカラフルなお寺に吃驚した。「西の東照宮」と言われていたが、其の頃はまだ「日光を見ずして結構と言う無かれ」と言われている「日光東照宮」に行った事が無かったので、東照宮はこんな建物なのだなと思った。後日「日光東照宮」に行った時、耕三寺で免疫が出来ているので、そんなにけばけばしいとは思わなかった。それくらい耕三寺は超カラフルだった。今はテーマパークとして人を集めているらしい。

生口島からの出発という事は、耕三寺ぐらいは見ていったのかな?いやいや「夜間歩行」前だからそんな事はしなかったのだろうか。

尾道から今治まで80キロの距離を島々を縫いながら7つの橋を渡る。橋の通行料は10円~200円まで様々である。瀬戸内に在る為、景色は抜群であったと覚えているが、マイカーで渡った為にす~っと通り過ぎたように思う。体力のある内に自転車で渡ってみたい気になっている。

夕食を何処で食べたか記してなかったが、伯方島(はかたじま)では先回りしていた保護者が夜食に「豚汁」の炊き出しをして、疲れた生徒を励ました。「豚汁に身体のしんが温まった」「星がとっても綺麗だった」「頑張れたのは友達がいたから。1人だったらとても無理」「励ましあった友達や歩いた様子、満点の星空等を、将来何度も思い出すことでしょう。素晴らしい体験を有難うございました」と生徒の感想。

思いやりの「豚汁」助け合った「友情」良い経験をしていると思う。色々大変な事があるかも知れないが、夫々の学校が夫々の地域から夫々の市を歩いて回ると言うのも、今は多いといわれるテーマパーク中心の修学旅行より、色んな意味で良い経験ではないかと思う。私には羨ましいような体験である。



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どうなってるの、拉致問題

2007年03月25日 | 気にかかる
           マーガレット(ピンク)
       白はまだ咲き初めですが、これは真っ盛り
     大株になって花後は株分けしなければなりません
          そうしてどんどん増えていきます

北朝鮮拉致被害者の会が発足して10年になるそうです。私が知ったのは何時頃だったのか良く覚えていません。

横田早紀江さんは新たな思いを胸に、其の時と同じジャケットを着て、結成10周年の記者会見に臨まれたと新聞が報じていた。「10年前何着ていたかって、おぼえている?」と感心した。それだけ思いが強いと言う事だろうか。

私の場合は決するものがあるわけではないので、一寸した集まりに出る時、早紀江さんと反対で、前回と同じ服にならない様にと、其の時期にはどんな服装かを知っておく為に、写真で調べる事が多い。女ですから、少ない衣装でも組み合わせを変えると心が楽しくなるのです。手元に写真があるという事は相手方にも其の写真はあるわけで、「まるっきり同じ・・・」と思われるのは、やはり小さな見栄がうずく。

私の携帯にカメラは付いていないので、大体の外出時にはデジカメ持参である。仲間でカメラ持参の人が居られる時は、なるべく自分のカメラは使わない。何故なら何時もは私が写す事が多いために自分の写真が無い、だからカメラマンがいるときは写されるほうに回る。

これにも理由はある。70才を過ぎるとそろそろ「最後を飾る写真」の必要性もあると思うようになった。初めはメイクもしてくれて記念写真を撮ってくれる写真やさんに撮りに行こうと考えていた。でもそんな何時もと違う自分より、自然な自分の方が良いのではないかと思いなおした。特にフェイシャルに行って、後メイクをしてもらうと、少し若返った私がそこに居る。初めは喜んでセルフタイマーで写真を撮っていた。でも自然な私と並べるとやはり何となく違和感を感じる。そこで時々の気に入った写真をパソコンにため始めていると言うしだい。

話が横道にそれてしまったが、横田さんが体調不良を理由に代表を降りたいと言う話だが、今日の「家族会」は受け入れたのだろうか。横田さんはお喋りが余り上手な方ではないので、時にはいらいらと聞く事も、早紀江さんに喋ってもらって!と思った事もあるが、さりとてこの人のほうが良いという人も見当たらないような気もする。大変だろうけれど、仕事を分散してもらって、めぐみさんを取り戻すまで頑張っていただきたい気もしますが。

如何してこんなに長引いているのだろう。皆さんお年を取られて、先が短くなっていく、1日も早く帰ってきて欲しいと思う。「めぐみさんの映画」も泣かず飛ばずで、今の所、世論を盛り上げる期待は裏切られたような気がする。何故こんなに盛り上がりに欠けるのだろう。

六カ国会議でも、何故北朝鮮代表は威張っているのだろう?アメリカ代表の方が何だかおどおどしている様な感じがして、いらいらしてしまう。後ろに大国中国が付いているからと主人は言う。それにしても何故それほどまでに中国は北朝鮮を庇うの?同じ思想の国だから?アメリカも制裁解除なんて、ふらふらするの?悪いのはあっちなのに、何故日本に協力してくれないの?アメリカは世界の警察だといっていた言葉が泣くよ。「盗人に追い餞」だとわからないの?中国の後ろ盾がそんなに恐いの?

「家族会」が又アメリカに行くそうだが、力を貸してあげて。でもこれも他力本願だ。同じ日本人の私達、日本政府は如何思っているの?私達は如何すれば良いの。私は署名もした。めぐみさんの映画を見に行ったり、写真展に行った。これぐらいしか出来ないよ。何か方法があれば教えて、同じ母親として、早紀江さんの為にやってみるから。

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オペラ座の歌舞伎

2007年03月25日 | テレビから
             我家の水仙
         例年は1月に咲きますのに
          今年は今頃咲きました
    「お彼岸のころ咲くと、お墓に持っていけるのに」
         私の呟き聞こえたのでしょうか

一日中雨でした。これで草花がぐ~んと成長するでしょう。そして雑草も。

余りテレビを見ない私も「シンクロ」「フィギュアスケート」の時は見る。其の二つが重なっている。あちらを見たり、こちらを見たり「何で同じ時間帯なん」とぼやきながら。

世界フィギュア選手権では安藤美姫が1位、浅田真央2位。中野友加里(総合5位)に負けて私の好きな村主章枝は出ていない。荒川静香が引退を決めた時、村主も止めて欲しいと思った。

好きだから何時までも見ていたいと思う反面、人間退き際が大切だと思うから、頂点を極めてからと言う思いは痛いほど分かる、でももう彼女の時代は終わっていると思った。10代の人の時代になっている。人間としてはまだまだ若いが、競技者としては体力的にピークは過ぎていると思う。

           ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

歌舞伎オペラ座公演の初日が開いた。市川家のお家芸「にらみ」、今日初日のみ父、団十郎、明日からは息子、海老蔵が弁慶を演じる「勧進帳」の公演である。

「にらみ」私にはどうしても「ひんがらめ」にしか見えないが、代々伝わる「お家芸」なのだ。観客は息をのんだと記されていたが、どの様に受け止めたのだろうか。

「勧進帳の弁慶」と言えば「飛び六方」。弁慶の義経を思う心に打たれた富樫の温情で義経を無事関所越えさせ、其の義経の後を追う、弁慶の喜びを表した六方である。其の迫力に観衆にどよめきが起き「ブラボ!」の声が、拍手が鳴り止まなかったそうだ。唯、惜しむらくは花道が無い為、上手から下手に六方を踏んだようだ。

この「飛び六方」には花道が必要だと思う。歌舞伎は歌舞伎座で見たいと思うのは花道が重要な役目をしていると思うからだ。「飛び六方」を踏んで引き上げる為、花道に着くと、花道の奥の幕が「サッツ」と言う音と共に勢いよく引かれる、其の出入り口に向かって喜びの「飛び六方」を踏むのである。

「勧進帳」と言えば思い出す話。主人が単身赴任していた東京本社は、国際劇場の同じビルだった。其の国際劇場に、尾上松緑の「勧進帳」が掛かった。当時、美男の誉れ高い海老蔵(今の海老蔵の祖父)よりも弟の松緑が好きだった。二枚目の海老蔵より三枚目の荒事をやる松緑が好きだった私は「見たい」と主人に頼んだ。

主人は芝居を見たことがないと言うので、一緒に客席に座った。所がである、始まって間もなく眠ってしまった。歌舞伎の時代物(世話物はそうでもないが)には独特の台詞回しがあるし、ある程度の筋を知っていないと眠たいだけかもしれない。其の主人が目覚めたのが「飛び六方」とそれに対する人々の反応である。同じような事が「京都顔見世」に主人の母と行った時にも起こった。だから歌舞伎は1人で行く事にしている。周りの人に恥ずかしいのも勿論だが、高い入場料が勿体無い。

話を元に戻して、オペラ座初お目見えの「口上」は幹部9人、フランス語でした。団十郎が「憧れのガルニエ(オペラ座)で歌舞伎が出来て大変光栄です」の挨拶に観客は大喜びだった。何度もカーテンコールがあった。団十郎親子が手を取り合って舞台に登場すると、観客は立ち上がって盛大な拍手を送ったそうだ。フランス政府から団十郎と海老蔵に勲章が送られたそうだ。

東京国立劇場で歌舞伎を見る私の夢、実現させたいな~。

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ショリーさんの会

2007年03月23日 | 今日この頃
             ハウステンボス
           私の好きな花 ルピナス
       網走刑務所の前の紫一色のルピナスの群生
            忘れられない光景です

昨日は「ショリーさんの会」と言うインドの方に「お国のお話と、サリーの着付け」を見せて頂く催しに参加した。婦人会会長の最初で最後の個人的な集まりでもあった。会員とお友達の20人程の和やかな会だった。

ショリーさんは日本に来て16年、日本語はぺらぺらである。勿論、関西弁。日本語の取得方法は耳からのみだそうだ。テレビで聞く、日本人との接触で学ぶ等、独学だそうだ。

日本に居るのだから、できるだけ色んな日本人と交わりたいと言う。この積極性が良いと思った。英語の個人レッスンをするのも、其の表れではないかと思う。

現在のインドのIT関係での人材の豊富さは、子供の時から、数学関係に重きを置いた結果とテレビが報じていたが「九九は日本では9×9までだが、インドは19×19間でと聞くが・・・」と言う問いに「子供の頃、九九を覚えないと御飯を食べさせてもらえなかった」何処の国でも同じ事をするものだと可笑しかった。

子供の時はどんどん頭を使う方が良いのだ、来日した頃の日本の教科書はもっと部厚かった、近年随分薄くなった。子供に楽させるよりは、小さい内こそ頭をいっぱい使わせるべきだ。それが大人に成った時、きっと役に立つ、と言う日本の教育に対する意見だった。私も全く同感である。

「ゆとり教育」何て撤回、まず「自国語」を学ばせて欲しい。それには、本を読ませる事。「綴り方教室」と言うか作文を書かせること、これは自分の思いを頭で考え纏める事だから。今の小学校ではどうしているのだろう、私達の時代はあったし、少なくとも息子達の時代迄はあったように思う。これは先生にも国語力が求められ大変だろうと思うが、やって欲しい。

ショリーさんは日本に来られる前はクエートで一年ばかりキャスターをしておられたそうだ。其の前は先生、スカウトされてキャスターに。

今のインドはまだまだ発展途上で、日本の40年ぐらい前と思って良いという。現在のインドは石器時代と宇宙時代が同時に進行している国だそうな。

綺麗な金のブレスレットをしておられた。見せて頂いたが、繊細な細工が施してある。インドでは女の子が生まれると、親から子に、そして孫にと「金」のものが贈り続けられる。それは財産も意味するので22金か24金だそうで、そんな「金」が個人の家で相当量眠っている(持っている)。その量は半端な量ではなく、もし市場に出たら世界情勢がひっくり返る事間違いなしと断言される。

後半はサリーの着付け教室。3人の希望者で、勿論私もその1人である。

5mあるサリーの下は、上はウエストまでの丈(袖口の刺繍はサリーの刺繍と同じ)のブラウス、下はウエストを紐で結ぶアンダースカートをはく。布の中央辺りをウエストに差し込む。左肩先から後ろの脹脛辺りまでの丈を取り、肩幅にプリーツを寄せ安全ピンで留める。(日本の帯を結ぶ時、手になる部分を肩から前に垂らす、其の反対で後ろに流す)それの流れで左半身から、ウエストから後ろに回し、前ウエストに挟み込む。残りを又プリーツに折りたたみウエストに挟み込んで出来上がる。

ショリーさん自身が着られるのは、普段着、外出着の違いで5~10分もあれば出来上がるそうだ。ショリーさんは日本なので普段は着ていないが、お国のお母様は年中サリーだそうだ。サリーを着ないときは何を着るか?ズボンと上着(パンタロンスーツ)だという。

民族衣装って良いなと思った。アオザイも着てみたいが、あれはスタイルに自信が無い。チマ・チョゴリならいいかな~?

楽しい体験をさせて頂き良い記念になりました。
                          (330回)
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真鶴

2007年03月22日 | 読みました
             ハウステンボス
         花びらの先のぎざぎざが可愛いかな

            
             真 鶴  川上弘美

初めてです。名前は知っていましたが、「蛇を踏む」で芥川賞「センセイの鞄」で谷崎潤一郎賞、他にも賞を取っておられる作家なんですね。

本の表紙を見て「???」表表紙にも裏表紙にも何も字がない。背表紙のみに「真鶴」「川上弘美」の文字。絵は11個のスモモが夫々の段階の色で描かれているのみ。昔私がよく掛けていたカバー、好きな絵の紙をカバーにしたと言う感じと言えば良いのでしょうか。突端から度肝を抜かれた。

「真鶴」架空の駅名か?と思いながら読み終えた。実名だったんですね。小田原と熱海の、少し熱海よりの所にあり、漁港ですからお寿司が美味しいらしい。特にカワハギの刺身が美味しいらしいです。カワハギの刺身なんて食べた事がない。カワハギと言えば鍋だな~。

文評に平かなの多い文章とありましたが、私にすれば充分漢字は使ってあると思いますが、もし作家が意識的に平かなを使ったとすれば、物語の進行上、雰囲気作りの為だと思います。私にとってこの小説は「不思議」と言う感じしか評せ無いものでした。最後の方になってやっと普通の小説と言う感じを受けましたが・・・。

物語は失踪した夫を思いつつも、恋人を持つ、夫の書き残した「真鶴」と言う文字に何かを感じ、通う・・・現し身でない女の人が出入りするが、それは彼女の心の奥底に秘められている心根の表れだと思う。夫の影を引きずっている彼女から恋人は去り、彼女は出していなかった失踪届けを出す決心をする。

この本を読んでいる最中、文化庁が芸術部門で優れた活動をした人に贈る今年度芸術選奨の中に、川上弘美さんが入っておられたのです。今日3月22日ホテルニューオータニで贈呈式が行われた。川上さんはこの「真鶴」が評価されての受賞である。読み終えた日に受賞の偶然。

           ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

昨日、お彼岸の中日でお墓まいりに広済寺に行った。何時もは施餓鬼の日に行くのだが、ハウステンボスに行っていたので、今日になった。施餓鬼も終わり墓前には綺麗な花が供えられていた。今日は人気も無いので、各家庭の花をじっくりと眺めてみた。フッと気付いたが、花の立派さは、其の家人のお墓に対する思いに正比例しているのかなと。立派な花は大切に思っている人。みすぼらしい花は仕方が無いからと思っている人。我家ですか?上の下かな。でも自分で育てた花(水仙)を加えた事を考えるとピカ一かも知れない。

帰りに隣の近松公園に寄ってみた。桜の蕾はまだまだ固く、でも花芽が在るしるしに遠目からはうっすらとピンクかかっていた。紫もくれんも今にも咲きそうだ。

花真っ盛りの木が1本、彼岸さくらかと近づくと「ベニバ スモモ」バラ科とある。花と同時に出る葉が赤いので、こう呼ばれている。別名「アカハサクラ」とも呼ばれて、実はスモモになる。此処でもう一つの偶然。「真鶴の表紙の絵」がスモモである。

桜の幹に「川柳」がくくりつけられていた。

      クラス会 顔見て先に 渾名出る

そうですよね。同級生は勿論、先生方の噂話をする時だって、本名よりあだ名を言いますと直ぐ通じますよね。

      梅林は 翁媼の 花盛り

梅ノ木は樹齢何百年と言う木でも満開の花を付けることが出来る。「盆梅」を見に行った時、同年輩のお2人がいみじくも言っていた、「梅は良いわね~。年を取っても綺麗で、人間はそうは行かないわね」って。人間老若の美貌の差が無ければ、結婚相手を見つけ難くない?

  
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