ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

完勝と完敗 えらい違い!

2015年11月24日 | 今日この頃

            「胡蝶蘭」     国華園     (15―10―29)




大阪のダブル選挙で、松井知事は大阪府知事に再選され、吉村さんは大阪市
長に初当選。大差をつけてねえ~! 「おおさか維新」は「完勝」 ですって。
こんな言葉知らなかったわ。今の流行の短めて「完全勝利」の略でしょうか?

普通は「圧勝」って言いません? 「圧倒的勝利」かな?

私は 風邪の神さまに「完敗」  で、ゴホンゴホン。


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友との語らい

2015年11月20日 | 一寸そこまで




 11月19日(木) 元同じクラブに属していたもの同士(現役一人)、お友達と
伊丹の「白雪」の蔵を改装したお店「長寿蔵」にお食事に行きました。

お食事は居場所の為、お話が何よりのご馳走というものの、ここもやっぱり、
物足りなかった。

それにしても、下の写真の時間は、私たちが入った11時半頃ですから、人は
疎らですが、時間が経つに連れて、満席になりましたよ。それも何時もの通り、
女性のグループです。満席の場所を眺めていますと、どんな美味しい料理を
食べているのかとお思いでしょう? リーズナブルなお値段だから、皆さんお
料理が気に入ったと言うより、「お喋りの場所」として、お店が大きいので、少
々粘っても気になりませんから、活用しているのではと思います。





個々には会っていても、みな一緒というのは本当に久しぶりでしたから、色々と
話が弾みました。やっぱり年をとったからでしょうか、「現状報告」はなく、「思い
出話」に花が咲きました。

「病気の話」もちらっとしかでませんでした。皆さん足腰丈夫で、会いたい時に、
会いたい人に会える事を喜びあいました。




一寸長居し過ぎたので、場所を変えて「お茶」しようということになり、ちいさな
近所のホテルに移動しました。其のロビーに飾られていた「クリスマスツリー」
です。

それぞれ思い思いの飲み物を注文して、また話に花が咲きました。3時になっ
たのを機会に、またの会う瀬を約束しながら、お別れしました。

一日中どんよりとしたお天気でしたが、雨に降られずに済みました。

「思い出話」一杯して、心が軽くなりました。またの日を楽しみに、健康に留意
を誓った一日でした。 ご縁とは本当に不思議でありがたいものです。




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タラセア(木工象嵌)

2015年11月18日 | 一寸そこまで

              「どうだんつつじ」     尼崎市・近松公園     (14―11―18)


今日は大阪・阪急に「タラセア」を見に行ってきました。主人のジム友達でした。

「タラセア」ってご存知ない方が多いと思うのです。私も、この方のご案内で初
めて見せていただいたのですが、それはそれは細かい作業の作品です。



    

この色の変化は木の色なんですよ。写真ではお分かりにならないと思います
が、もし梅田に出るご用事があれば、立ち寄ってみてください。一見の価値
ありです。

見ていただければわかりますが、とても時間のかかるもので、其の分お値段
がお高いです。だからいつも見るだけなんですが、今日は「葉書」をかって
来ました。

宝くじが当たれば、絶対欲しいと思っているのですが、当たらないのよね~。



大阪のダブル選挙、どうなるのでしょうね。どんなに気にしても、私には関係な
いのですが…。

私は安倍総理を支持しているのですが、如何しても「大阪の自民党」好きにな
れない。選挙のためか形振り構わず「共産党」と組むのですね。どういう気持
ちなんですかね~。もしもですよ、もしも仮にですよ当選したら、政策の違い
如何解決するの? 

こう考えると、残るのは「大阪維新」ですよね。府知事候補の松井さんは優勢
らしいのですが、市長候補の吉村さんももう一歩だそうです。頑張ってほしい
ですが…。

大阪の人は、思いもかけない人を当選させますからね~、はらはらしています。

もう一つ、選挙権が18歳に引き下げられて、初めての選挙ですよね。孫娘も
確か2月に18歳になったと思うけれど、18歳の人選挙にいくのかな? 

何はともあれ、見守るしかない、「大阪ダブル選挙」です。


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家族という病

2015年11月17日 | 読みました

              「ベコニア」   神戸・三宮・地下     (15―11―10)





一日中雨でしたね。目医者に行きました。半年振りの検査のつもりで行きまし
たら、「一年振りですね…」ということでした。

近頃字が読みずらい時があるので、そろそろ眼鏡の買い替え時かしらと思って
いきましたが、「まったく視力に変化はありません、眼鏡も今のままでいいです」
読みずらいのは、疲れたときだろうということでした。

「白内障」の手術をしてから、もう8年だそうで、大成功で、視力に変化無し。「左
目が気持ち悪いです」「まつげが刺さって、傷ついています」ということで、使った
こともない、新しい目薬をもらって帰ってみました。



   
・ 「親はなくとも子は育つ」という。環境がいかに苛酷であろうとも、子はそれを
引き受けて生きていく。

・ 友人のこと=しょっちゅう会っているわけでもなく、思い出したように電話で話
してみたりあってみたりという仲だが、それで十分だ。心の中にはいつもその人
がいる。

・ 筆者がNHKに勤めていた当時、結婚した女性には「やめないの? よくご主
人は何も言わないネ」「更に妊娠した場合「よくそんな大きなおなかで会社に来ら
れるナ」などなど女性はそれに耐えて生きていた。バカバカしいので、私は柳に
風と受け流していたが、気にする女性はそれが原因で止めていった。有能な人
材がどれくらい失われていったことか、もったいない。

・ 自分の家で家族にみとられながら死にたいと思う人が多い。実際には病院の
ベッドで死ぬ人が多いのだが。

・ 家族の墓に入らない人がふえている=大学時代の友人は中国地方で3本の
指に入る山林王の娘だが、パートナーがなくなってからは、一人暮らし。彼女の
会社には、心を許した後輩を入れて、まるで家族のようである。墓も心を許した
後輩と入りたい?

筆者も、未だ決めかねているが、彼女の仲間の人はやはり、友と一緒の墓には
いりたと思っているという。先祖代々の墓で知らない人と一緒が嫌だともいう。

もし、10人の友人の賛同を得て、グループを作り、お墓を建てたとする。先に
亡くなった人はいいですよ。後の人が、墓参りしてくれます。最後に残った人は
如何ですか? 何方かが納骨してくださったとします。その後は如何ですか? 
「家族の墓は嫌!」と拒んだ人たちのお墓を世話する人がいますか?

そうならない為に、次々と友人墓希望者を募ったとします。相すれば、「家の墓
は知らない人と入るから嫌」といていたのに、次々と、知らない人が入ることに
なりますよ。それはいいのですか? それなら、友人墓など作らないで、「散骨」
がいいように思いますよ。

友人墓は何時の日か、守する人がいなくなり、捨て置かれます。

お墓というのは石碑をたて、名を刻みそれで終わりではないのですよ。お寺さん
に、「盆正月の志」「維持費」たまには「寄付」等々の費用がかかります。其の上、
我家のように「月参り」をしていただくと、その費用も馬鹿になりません。そんな
こと皆分かって言っておられるのでしょうか? 私は55年世話をして来ましたよ。
墓守は大変なんですよ。安易な気持ちで墓を建ててはいけないと思います。
私は相談されれば「止めたほうが良い」というと思いますよ。 

この本は私には心重くなる本でした。途中でなんども中断し、半年掛で読み終え
ました。

第4章「旅立った家族に手紙を各ということ」と言うのが最後の「章」でした。
「父母、兄、自分」へのお手紙で、やっと心が安らぎました。それまでの文章は、
社会的地位を頭に置いた語りのような気もします。最後になって、下重さんの
心の中が素直に顔を出していると感じました。

「3章」までの下重さんと「4章」を書いた下重さんと、どちらが「本当の下重さん」
でしょうか? 「4章」であって欲しいと思っています。




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琳派 京を彩る

2015年11月16日 | 一寸そこまで

              京都国立博物館の紅葉     (15―11―13 )




11月13日(金)京都国立博物館にいてきました。あと1週間で終わるからでし
ょうか、平日だというのに、凄い人でした。大きな会場も、人、人、人です。

上の写真では人影がありませんが、人の波は、まっすぐに、新館、会場に吸い
込まれていきます。





何時もの通り、音声ガイドを借りました。ここの料金、ほかより1割ほど高いよ、
何でかな~、機種は古いけど…。

俵宗達の絵、まじまじと見たのは初めてですが、日本画としてみると、色が濃
い、油絵の感じですね。でも「光琳」「宗達」「酒井胞一」の中ならば「宗達」が好
みかしら。「風神・雷神」もね。

お三方、「絵」でお互いにしのぎを削ったと思っていましたが、違ったのですね。
お互いに生まれは100年の開きがあるんですって、だから決して、交わること
はなかったのですが、残された作品に心惹かれ、自然に受け継ぐ部分があっ
て琳派が生まれたそうですね。

始めてみたのが12面屏風で、所々透かしが入って、「簾越し」の感じで向こう側
が見えるんです。「屏風」のお役目が「さえぎる」とすれば、ようをなさないのです
が、これは何? 単なる思い付き? そのうえね~、図柄が「厚物の菊」なんです
けど、絵の具?をたっぷり盛り上げて、出っ張っているんです。こんな手法の「絵」
も始めてですね。

今回もですが「屏風絵」が多いのですよね。これって、部屋が広いから、人の居
る所を囲うものなの? 今までなんとも感じなかったのに、今回は頭の中でぐる
ぐる廻っていました「何に必要?」って。

光琳の12ヶ月、月毎の花のものがあったのですが、9月が「紅葉」でしたね。私
の誕生月、9月は暦の上では「秋」なんですけど、まだまだ暑いしね~、「暑さ寒
さも彼岸まで」って言うでしょう、だから如何しても「何故9月が秋なの?」って
思っていましたが、昔から(旧暦?)そうなんだと納得しました。
                                 (2680回)









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国産機 MRJ

2015年11月12日 | 気にかかる

  「浮き吊り木」   あまり大きくなったので、枝切をしましたら 根元からワサワサと出て来ました






昨日50年ぶりとやらで国産機MRJがお目見えしましたね。

自衛隊機に見守られながら? 旋回等色んな実験を繰り返して1時間を越える
テストに合格のようでしたね。

燃費も2割ほど少ないそうです。5000機を作って、世界に売り出すとか? も
はや400機ほどの注文が入っているそうです。。初号機の引渡しは1017年だ
そうですよ。国内向けは、もう少し早いのでしょうか? 乗ってみたいですね。

「戦後30年、1975年わが国は国産機F1機を飛ばしたそうです。そしてF2機
を生産しようとしたのですが、日本に戦闘機解発の能力を持たせたくないアメリ
カの猛反対で中曽根総理が航空自衛隊に対し日米共同開発を指示したそうで
す。国産の挫折の始まりだそうです。

戦闘機が米国産なれば暗号も敵味方識別装置も全て米国と同じ。自衛隊の自
立が困難になる。自立しなければ国家は自立できない」 と田母神さんの言葉
です。ほんとほんと!

MRJで資金に余裕が出来たら、戦闘機の研究にまわせたらね~。こんなこと
いうと「戦争したいの!」といわれそうですが、ま逆です。「戦争に巻き込まれな
いために自衛は必要と思っているからです。


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103歳になってわかったこと

2015年11月11日 | 読みました

        「小菊」   立花の町角で     (14―11―18)






午前中は風が強かったですね。午後からは、暖かくなりました。こうして書いて
いると、いよいよ冬が近づいているな~と感じます。



     




103歳という、年齢、私にとっては、遥か彼方の先ですから、その方が書かれた
物ゆえに所々理解できない所もありました。

まして、103歳の今も、現役でお仕事、生涯独身とあまりにも生き方の違いゆえ
もあります。

・自分という存在は、どこまでも天地にただ一人。
 自分の孤独を、客観視できる人でありたい。100歳になって、どのように年を
 とったらいいのかわからない。90代までは参考にする先輩がおられたが、さ
 すが100歳を過ぎると前例は少なく、お手本もないので、自分で創造して生
 きていかなければ成らない。

・過去を見る自分の目に変化が生まれる
 年をとると失うものも多いが得るものもまったくないということもない。一つ事
 も90代と100歳代ではそれを見る目が違う。

・食べ過ぎてはいけないし、少なすぎるのもいけない。
 食べ物だけではない。心の動きも…。

・人には柔軟性がある。これしかできないと、決め付けない。完璧にできなくたっ
 ていい。
 人生の楽しみは無尽蔵。誰もやらない時にやることが大切。

・自分の心が自分の道をつくる。
 自分が一切である。私の根は今まで私が触れた全てのものでできている。

・懐かしい人との時間は、鮮明に生き続けていろ。
 物は思い出の水先人。思い出のものが、昔と今をつなげる。

この年になると、懐かしいと思う人も、彼岸に旅立っている確率が高くなってい
く。自分の命が、全てを失う最後まで残るのはさみしいだろうな~。

「人生は一人でも面白い」とは思えないよ。そうはなりたくないな~。

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ぶたまんや談義

2015年11月10日 | 一寸そこまで

          「ほうき草」 赤が綺麗   小学校の塀際  (15-11-5)


今日は友人たちと神戸でランチをし、お茶をしました。そして分かれた後、私は
「ぶたまん」を買うために南京町に行きました。

何時ものように、並んでいました。いり口が近づいた時、前の女の人が私に話
しかけて来ました。「私ね~、40年位前から、買っているのですが、確か3個で
80円(今、1個90円)でしたよ。元町4丁目で働いていたので、お昼に食べに
来ていたんですよ」というのです。

私は笑顔で答えました。「私はモット前なんですよ。60年ぐらい前からですよ」
「ひや~、大先輩ですね」「値段ははっきりは覚えていませんが、3つで20円
ぐらいでしたよ。海岸通で働いていましたから、やっぱりお昼に食べに来てい
たんですよ。おじいちゃんとおばあちゃん、二人でしたよね」「そうそう、息子さ
んがぶたまん見たいな顔でね~」(20年後ということは、息子の代らしい、其
の頃には息子夫婦が主で包んだりお店に運んだりしていた。じいちゃんばあ
ちゃんは作り手に廻っていた)「小さなお店でしたよね。今は12人ぐらい働い
ていますね」等々、話に花が咲いて、お陰さまで、待ち時間を感じませんでし
た。


11月5日(木) 図書館に行った時に、道中の小学校の塀に、こんな「絵」が掛
かっています。以前にも載せたことがありますが、今回も可愛いので、写しまし
た。きっと上手な子供の「絵」だと思うのですが、その中で私の好きな「絵」です。

カラフルですよね。アニメの影響でしょうね。

 
 
 
 



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奈良・正倉院展

2015年11月09日 | 一寸そこまで





11月7日(土)奈良国立博物館へ「第67回 正倉院展」に行ってきました。

第50回前後から行っていると思います。はじめは近鉄で行っていたのですが、
時間的には早いのですが、座れないことが多いので,JRに変えたと記憶して
います。

 
 

「大和路快速」を待っていますと、こんなカラフルな電車が入って来ました。

ところが、今度は1時間以上かかる,JRがしんどいと感じ出しました。早い時間
にすれば、近鉄でも座れるのではないかと、来年は近鉄にしてみようか? 
とまたまた鬼が大笑いする事を考えていました。

早く着いたので、駅で一寸と、「コーヒタイム」をとりました。年を重ねますとね、
一寸した休憩が必用になるのですよ。

入場に並ぶのは10分ほどで済みました。

 

これは私の干支「イノシシの毛」だというので、親近感を覚えて載せてみました。

展示物も終わりの方になって,ハタと気づきました。一番見たい「琵琶」を見てい
ないことにです。係りの人に聞きました。「第一会場の真ん中にあります」「見な
いで来てしまいました、見に戻りたいのですが…」と言いますと、「係りの者がご
案内いたします」と最短距離で案内してくださいました。

あまりにも其の連携がスムーズだったので、もしかしたら、私たちのような「うっ
かり者」が案外いるのかも知れないな~と思いました。

見終わってから、何時もの(道を隔てたまん前)「正倉院展=志津香」と思ってい
る食事どころに並びました。いつも30分から1時間並らぶのですが、今回は最高
の1時間半並びました。食べ終わって出てきた時も、人の列は途絶えていません。
中国の人が多いと思うのです。ネットで調べてくるようです。私たちのテーブルの
横も後ろも中国人でした。

凄い人気なんですね~、国立博物館のほうも、人の列は途絶えていませんでした。


    

JR奈良駅の階段です。そういえば、「リニア新幹線」を京都で止るか、奈良まで
延びるか、又、大阪に来るかで取り合っているようですね。



奈良の街並みにと人力車が、とてもしっくりと納まっていました。



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武藤記念講座

2015年11月05日 | 一寸そこまで




11月3日(火)大阪の国民会館へ、武藤講座を聞きに行きました。7月に来てか
らですから3ヶ月ぶりということになります。ビルの最上階13階の窓からは紅葉
した大坂城が見渡せます。

今朝の新聞で「大坂城の紅葉」は見ごろということでした。2.3の方が私のよう
に紅葉にカメラを向けておられましたが、大方のかたは無関心のようでした。
折角の自然が目の前にあるのに…。お勉強するだけ人ばっかりなのかな~? 
それにしても惜しい!






何時もと違った建物が目につきました。そ~なんです「平成中村座」の芝居小屋
です。

今は亡き中村勘三郎さんが、初めて大坂城公園に芝居小屋を建てて、公演され
たとき、私は見に行きました。出し物も忘れてしまっていますが、舞台の一場面
で、さっと正面の舞台奥の幕?が開くと、そこには、ライトに照らされた大阪城が
すっくりとありました。それはそれは心憎い演出だったと覚えております。




 

講演の主は「ロバート・D・エルドリッジ」賛。「元在沖縄米軍海兵隊基地政務外
交部次長」「世界平和研究書特別研究員」という長~い肩書きの方でした。50
歳とは見えません、お若いでした。それに元軍人さんの匂いが身についている
方だと思いました。

本題は「沖縄基地闘争の真実」 -報道される・されない二つの「オキナワ」と日
米安全保障関係」 というこれまた長~い演題です。

偶然にも、前日、テレビ「そこまで言っていいんかい」で、お見受けしたばかりで
した。

神戸大学で学ばれ、サントリーに勤め「一年のつもりが、人生の半分が関西の
生活」と言っておられました。

普天間基地、辺野古移転の事話されました。大体聞いて知っていることですが、
アメリカ人の口から、私と同じ意見を聞くことは心休まるものでした。

ただ彼は辺野古に移転も?だそうです。なぜならば、辺野古の基地の近くにす
でに大学?があるからだそうです。普天間と同じ問題が起こるのではないかと
危惧しているというのは初耳でした。

・ 共産党が使い始めた「新基地」という言葉。辺野古は新基地ではない。元か
  らあるところに付け足すだけ。

・ 沖縄の人(地元民で無い事は服装を見ただけでわかる)は何でも反対反対=
  ノーというので、私は「ノキナワ」と呼んでいる。

・ 駐留軍が、人助けをしたり、いい事をしても、沖縄の新聞は載せないが、気に
  入らないことだと大きく報道する。

・ 近海にいない「ジュゴン」を守りましょうという。

・ 翁長県制にも「噓を平気で言う、非現実的な考えばかり」「中央政府との対抗
  路線を最初から望んだ」「中国とつながっている」等話がありました。

1時間半の予定が、1時間延びて2時間半になりました。聞いている間は感じ
なかった疲れですが、帰宅時にはクタクタで、夜は「おすし」を買かって帰り
ました。

下の写真は、北隣の栄養士学校のウインドウのお人形です。近頃、このショウ
ケースにあまり力を入れてないと感じます。







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