ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

与 勇輝 人形芸術の世界

2006年10月09日 | 一寸そこまで
             たますだれ
        もう咲かないと諦めていましたら
         ひっそりと8輪咲きました

庭の木の上で「ピョピー ピョピョピー」聞きなれない鳥の声。声はすれども姿は見えず、あそこと思われる枝の辺りをじーっと見つめる。網戸を少しずつ開ける。見えない。もう少し開ける。気配を感じてのか黒っぽい小さな鳥があっという間に飛び立った。はるか向うの屋根の彼方に・・・鳥の飛行速度は時速何キロ?

与 勇輝(あたえ ゆうき)さんの人形展(布の彫刻と呼ばれている)が大阪の高島屋で10月23日(月曜日)迄開催されている。「徹子の部屋」で与さんの人形の事は知っていた。見たいと思っていた。富士山の麓の河口湖のそばに「河口湖ミューズ舘」があると知っていたので、いつかは行って見たいと思っていた。

今回は小津安二郎監督の名作映画にまつわる作品約20体を中心にした新作と代表作である。

お人形はグループ毎にケースに入れられ、バックには鏡が据えられて後姿も見えるようになっていた。お澄ましの顔、悲しみの顔、勝気な顔、賢そうな顔、同じような顔なのにどうしてちがうのかしら?目と口元の微妙な違いで表現されていると感じた。子供の何気ない姿をよく研究されていると感心する。

人形本体だけではなく、着物も、足袋も、わらじも、下駄も、靴も、そして全ての小物も手作りだと言う。お人形は40センチ程の小さいものだから、小物は尚小さい。なんて器用な方だろうと思う。

昔の子供のお人形は皆着物を着ているわけで、当時大きくなっても着れる様に肩、腰に身上げがしてある。肩上げはそんなに多くないが、背は伸びるので、腰からお尻の辺りまで身上げがしてあって、伸び盛りであることを示している。

1/3ぐらいは、与さんが、最近、妖精に心引かれて、妖精の感じに作られている。私は「昔の子供」の方が好みだが、妖精シリーズでも今風の携帯電話でメールを打つ子、電話で話す子は大好きだ。孫娘を思い出した。彼女が携帯を操る姿がそのまま其処にあったから。観察力の凄さに「凄い!」の一言。

今年(2006)2月、パリのバカラ美術館でも個展をされたそうだ。パリの人の目にはどの様に写ったのだろうか。2000年にはニューヨクでも個展を開かれ会期を2週間も延長するほどの人気だったそうだ。

与さんは1937年9月生まれ、69歳、同世代と言える。

彼の言葉:私の育った時代は子供達が皆それぞれ個性を持ち日々を仲良く、楽しみを共有し、一体感を持っていた。パリに連れて行けなかった子、未発表の作品、およびこれまでほとんど見ていただけなかった作品を120体展示した。

主人は与さんの人形の存在さえ知らなかった。しかし人形の表情の豊かさ、身のこなしの実写には感心していた。これで私の希望「河口湖ミューズ舘」行きが容易になった。嬉しいお土産が付いて来た。

大阪の人出の多さ、心斎橋は若者の町と化していた。ここでも老舗が姿を消し、何だかちゃらちゃらした町になった気がする。昔は電車賃を使っても南に出たいと言う気になったものだが、これでは北に取って代わられるだろう。昼食もなんだか北に帰って食べたくなって、帰ってきた。「ブルージィーン」と言うお店のパンがとても美味しく気に入った。しかし人ごみは疲れる。二人とも帰宅後は一眠り、老夫婦の貴重な、そして大切な一日は終わった。





コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする