ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

向山式跳び箱指導法

2006年10月23日 | 新聞から
            (神戸花鳥園)
            涼し気でした
       
随分以前、テレビで跳び箱を飛べない子が一人残らず飛べるようになるのを見た事があった。私は跳び箱が飛べなかった。だから興味を持って見ていた。先生は実に上手に指導して見ている私も跳べるかも知れないと思わせるほどだった。全員が跳んだ。実に嬉しそうに跳んだ。

その指導法が「向山(むこうやま)式跳び箱指導法」だと今日知った。

勉強する先生、しない先生・・・と言う見出しで書かれていた。「跳び箱を跳べない子を跳ばせられないのも駄目な先生だ」と言う。

TOSS(教育技術法則化運動)代表・向山洋一:
今年の夏、全国各地で「子供TOSSデー」が開かれた。講座内容の一つに「跳び箱教室」があった。「学校では跳べるようにならなかった子」への指導である。多くの会場で10人、20人と「跳べない子」が参加した。子供達は次々と跳べる様になった。・・・教えたのはボランティア参加のTOSSの教師・・・学校では跳べなくて悩んでいた親と子には信じられないドラマだ。・・・この指導法は30年前私が開発した。本や雑誌で広く公開された。NHKテレビを初め、ほとんどのテレビが特集した。向山式跳び箱指導法の成功率は97%。(縄跳びが一回も出来ない子は無理だ。運動の連結動作が未発達だからだ)「勉強する教師」なら、誰でも知っている。「指導法は5分で分かる」「勉強しない教師」は知らない。だからクラスに跳べない子のいるクラスの教師は勉強しない教師だ。「出来ない子を出来るようにさせる努力をしない教師」なのだ。

私が小学生だった時代は「向山式」は無かったから、跳べない子は飛べないままだったと思う。しかし「縄跳びと」「まりつき」は得意だったから指導を受ければ飛べた可能性は強い。「鉄棒」も苦手だった、前周りがやっとで「逆上がり」「地球まわり」など出きる子が不思議だった。教科ではなかったが、ゴムとび(二人の子が持っているゴムひもを飛び越えるのだ、腰辺りからだんだん高くしていく)も出来なかった。仲良したまちゃんがとても上手だった。高くなるほどにスカートをバンツに挟んで、助走をつけてピョンと跳ぶのである。私は皆の飛ぶのを羨ましいと見ているだけ。

しかし私にも取り得はあった。ダンスは上手だったし、覚えも早かった。音楽に乗せて体を動かすのは得意であった。

向山式指導法は「跳び箱」だけではない。「あわおどり指導法」と言うのもある。「あわおどり」は脳血栓等で体が不自由になった人のリハビリに使われていると聞く。音にあわせて愉しく体を動かしリハビリできるなんて良い考えだと思う。

「向山式漢字パズル」とか「向山型算数の原理原則」等の指導方法もある。漢字パズルは今の私には難しい、でも楽しめそうと感じた。子供達は字引を引く事を覚えるようだ。又「詩文暗唱」もある。「すらすら言えるようになったら来なさい」と言って、少しでも詰まると駄目。あくまで「すらすら」の基準を緩めてはならないと言う。そこで集中力が要る気がした。

「算数」では教科書をソックリ写させる。計算だけが算数ではない図形、グラフなども教科書通り写させる。そうする事で色々算数を理解するように頭が動くようになるらしい。これもいい加減の妥協は効果が無い「そっくりそのまま」が原則である。

私は「ハム」のテストも「英検」を受けるときも、何時も書きに書いて覚える方法を取った。終いに頭より手が覚えて動いていると言う感じまで書いた。何処か「向山式」仁通じるものが在る気がするが・・・。

コメント (21)
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