ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

2008年10月31日 | 読みました

          今日はハロウイン (インド家庭料理の教室)
           ディズニーでは魔女がうようよ居るよ!

   
       (08-10-20 ジム)     (08-10-22 インド家庭料理教室)


今日は一日曇り空でした。外歩きするのは丁度いいお天気でした。帽子も傘もいりません。日焼けする心配もありません。仲よしさんと楽しい一日を過ごしました。

一時期同じ会に属していたお仲間です。現役組が3人、退会組みが2人、一億2千万人の中から頂いたご縁です。会を辞めたからもう会わないでは少し寂しいかな~と始めた会でした。

始は「お食事会」でした、でもその内にそれだけでは、寂しいなという事になり、「社会見学」を一つくっつけました。

前回は「野崎の花見」でした。今回は大阪の水上バス・アクアライナー観光コースと言うのに乗り、水の上から大阪を眺めました。1時間の乗船時間で乗った場所から乗った場所まで一周します。

私ともう1人は、以前にも乗ったことがありますが、他の3人は初めてのようで、感激もひとしおのようでした。両岸のさくらの木を見て「桜の頃にもう一度来たいね」と言う声がしきりでした。

そう、さくらの時期は奇麗です。同じ地上から見るのと又違って、船から仰ぎ見る形になりますので、不思議な感覚です。私はさくらの満開の時期に乗っていますのであの美しさは何時も思いだしていました。

私達の船は案外空いていましたが、行き交う船や、川のほとりのホテルでお食事をしている時に行き交っている船はほぼ満員のようでした。

一時間はあっという間に過ぎてゆきました。上陸してから大阪城公園の銀杏並木を散策しました。紅葉にはまだ少し早かったのですが、緑は緑で、今の時期にしか見れない美しさでした。景色は添え物、皆元気で会えたことの喜びでいっぱいでした。

さて次はお食事です。大阪城が真横に見える席でした。手前には今さっきクルーズした川が流れ、水上バスが行き交っています。小部屋ながら落ち着いた雰囲気でした。

又、お料理が美味しかったです。お味も分量も程良く、お話も弾み、最後のデザートとコーヒに又話が弾みました。今度は新しく出来た中島線(地下鉄)、駅が一つ一つ独立した形で、素材も違うそうで其れを見に行こうという事になりました。新しいものは、出来るだけ早い時期が良いよ、と言う事だけが決まりました。

4時間と言う時間が羽が生えたように飛んでいってしまいました。又元気で会いましょうねと別れました。


               船上から見た大阪城
        2秒間だけ見えるという場所、ナイスキャッチ!


             ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

              錦     宮尾登美子

宮尾さんの本は久し振りです。何かの職業を突き詰めて書くことの多い宮尾さんの本は、本当に好きな作家でした。近頃は新しい作家の方のものを読む機会が多かったのですが、懐かしく読みました。

今度も織物を通しての物語です。「帯の龍村」の創始者の物語です。構想から30年を経て描かれたものだそうです。私には「帯の龍村」と言うより「龍村のテーブルセンター」と言う方がピントきます。なぜならば1枚、頂き物のテーブルセンターがあるからです。大切に仕舞って時々出して眺めていますが、高価なものだけに使いにくく、眺めるだけの貧乏性な私です。その織物の織り方を研究し、生み出した初代の物語です。

去年出来上がった「京都迎賓館」にも龍村の壁掛け「比叡山」「愛宕山」があり、椅子の布も龍村織だそうです。

小説の中でも一度だけ、その名が出てきました「川島織物」も壁掛け「麗花」=四季の花色々が納められているそうです。

迎賓館の見学にも申し込んだのですが外れました。30倍に近い申し込みがあったそうですから。京都在住の方はもう少し当りが良かったと聞いています。籤運が悪いから仕方が無いです。





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田村能里子展

2008年10月30日 | 一寸そこまで

                  チケット


                私の買った絵葉書


京都高島屋に「田村能里子展」を見に行きました。徹子の部屋で田村さんとこの絵のことを知った時から、見たいと思っていました。最近、美智子皇后さまも見に行かれたことを知りました。

この絵は、京都嵐山、臨済宗大本山天龍寺の塔頭(大寺の敷地内にある末寺)寺院「宝厳院」の本堂の再建に当り描かれた、60mのわたる襖絵です。禅寺の襖絵を女流洋画家が手がけるのは初めてだそうです。

襖絵は「風河燦燦 三三自在(ふうがさんさん さんさんじざい)と名づけられ田村さんが中国・西安のホテル「唐華賓館」の壁画を制作して以来、50作目だそうです。

「タムラレッド」と言われる独特の赤を用いて、逞しく生きるアジア女性をテーマに描き続けておられます。横浜みなとみらいホールや大型客船「飛鳥」にも描かれているそうです。

会場で絵を見ていますと、どこかで見たことのある人を見ました「何方だっけ?」「そうだご本人だ!」と気づきました。田村さんご本人だった。黒っぽいお洋服で小柄な方…。「あら、この人(私)わたし(たむらさん)だと気づいてるわ」と言うように目と目が合いました。徹子の部屋でも奇麗な方だな~と思っていましたが、とてもとても60過ぎの方には見えませんでした。又、こんな大作、壁画をかかれる方にも見えない、莚華奢な感じを受けました。

襖の引き手が又目を引きました。ラクダ、馬、象そしてインコかオウムの後姿なんです。50枚近くは砂漠と人物なんですが後数枚は花と蝶だったのです。その華と蝶の引き手が鳥だったのです。田村さんが下絵を描いて注文されたようです。

宝厳院に田村さんが奉納されるのですが、お寺も資金不足で襖にまでお金が賭けられないと思っておられたそうですが、田村さんの絵を見てこんな襖絵が欲しいなと思っておられた願いが通じて「田村さんが奉納する」という事になったそうです。

これは田村さんにしてもお寺の襖絵は何百年いえ何千年と大切にされるものですから、ありがたいと徹子の部屋で言っておられました。


京都に着きましたら、まず昼食に行きました。そのお店は前々から気になっていたのですが、去年、歌舞伎座に1人で行きました時に、思い切って入ってみました。とても美味しかったので主人にも食べさせてあげたいと思っておりましたが、何度か前は通りましたが、昼の時間が過ぎていて終わっていて、今日やっと実現しました。

間口が1間しかないのでよ~く見てい無いと通り過ごしてしまいます。1人で来たときもいっぱいでしたが、今日もいっぱいで、次から次えと空いている暇が無いくらい席が埋まっていきます。

名物「あなご丼」と一人で来た時、となりの人が食べていた「かきあげ丼」が美味しそうだったので、2種類取り、何時ものように二人で半分子して食べました。「アナゴ丼」は1100円で丼からはみ出んばかりのアナゴが3匹も載っています。見たときは吃驚しますが、美味しくて皆さんペロリと食べられます。それに赤出しとオコウコが付いています。

主人も「美味しいな~」と言っていました。今度は「ミックス丼」海老1匹とアナゴ2匹を食べたいねと話ました。私達が店を出たときは、店の前のお品書きに「かきあげ丼」売り切れの札が下がっていました。

圧倒的に女性のグループ、特に若い人が多いです。女性は穴場を良く知っていますからね。老夫婦がパラパラと…。お腹いっぱいで帰りながら話したんですが「今食べないと、もう少し年取ると量が多すぎて食べれなくなるね~」「アナゴ2本でいいのにね~」と話しました。

夕食は主人はご飯抜きでおかずとアルコール、私はおかず抜きで塩昆布にご飯を半分しか食べられませんでした。

絵を見て帰りに入ったコーヒ店のコーヒも美味しかったし、美味しい昼食も食べて、偶然に田村さんにお会いして、満足満足の一日でした…が、目方がね~ドンドコ増えるのよね~。
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対馬のことを考えて!!

2008年10月29日 | 新聞から

                 ランタナ 薄い黄色


                    濃い黄色


今日は「フラの時間」2週間お休みして久し振りに行きました。益々華やかになっていました。そして先生の教え方も違ってきました。1年半もたつので、少しは教えても理解できると思われた、と感じる「教え方」に変わっていました。


今朝の新聞に「対馬が危ない!!」と言う見出しで1ページ丸ごと「侵食される国の要衝(ようしょう:商業 交通 軍事などの点で重要な場所)」「韓国不動産相次ぎ買収」「生き残りへ苦渋の”歓迎”」などの見出しが躍っている。

私は何度と無く「対馬」について書いてきました。本当に長崎県の議員さんは何をしているのだろうか? 地図を見ると福岡県のほうが近いからか、経済圏は福岡だと言う。一寸ややこしい仕組みが余計対馬を孤立化しているのだろうか。

それにしても、私がテレビで土地を買ってくださいと市長さんが言っているのを見たのはもう10年ぐらい前だったように思います。その頃からじわじわと韓国人の土地買収が始まったのではないでしょうか。何のための国会議員なんだろう、地域の人の利益を守るのが仕事だと思っているのですが、違うのでしょうか? もし手に負えないと思えば、助けを求めればよかったのでは無いかと思いますが、過疎が進み票田に結びつかないから知らん顔、何てことではないでしょうね。

島民が民宿に雇われている以外は、土地の人にはお金は入らないようです。韓国の船で来て、韓国人のホテルに泊まり、韓国人の経営する飲食店で飲み食いし、利益は全て韓国人のもの。対馬市の「生き残りへの苦渋の歓迎」と言う景気対策は実を結んでいない。

韓国の観光客の中には本気で「対馬は韓国のものと思っていて、口に出して言って憚らない」といいます。又ガイドも韓国人で、何より正確な歴史教育を受けていないから間違った説明をし、観光客も間違った印象を持ってかえると言うのです。 

対馬の経済状態の悪化は島の過疎化に拍車をかけている。働き場所が無い為、毎年1000人前後が離島。一時は7万人居たのが、今では37117人(2008年7月現在)と言う。其れも若年労働者は各地に2人いるかどうか、若年といっても50代だそうです。

この人たちが年老いて家族の元に去った時、空き家になった家は又韓国人に買わせるのでしょうか? 日本国の対策はゼロ?

対馬市も此処にいたってようやく危機感が台頭してきたようで現市長(私がテレビで見た市長と同一人物かどうかわからない)は言っています。

『少なくとも国境に面した島については、安全保障の点からも外国資本による不動産買収を認めない除外規定など、実行支配に繋がることを防ぐ手立てを設けるべきだ」「日本人の国境に対する感覚はきわめて希薄。対馬の資源を生かした産業を興すなど、国境に面した島を守る施策を取るべきだ。其れが国境を守っていくことになる」「駐留する自衛隊の増強も一つの手段だ」』

テレビによれば、日本国民一律に現金かクーポンで2万円も下さるとか「何で?」お金を貰って嬉しくないことは無いですよ。でも赤字だ、お金が無いと言いながら、何故そんな大盤振る舞いをするのでしょう? 間違った景気対策? 公明党の発案だそうですが、何を考えているのでしょう? きっと党員の為になる何かが隠されているに違いないと疑ってしまいます。

本当にそんなお金があるなら、埋蔵金?対馬のことをもっと真剣に考えてください。そして、対馬を救うことは国境を守ることなんだと真剣に考えてください。

国境を守るのは国の仕事でしょう。足元に火が付いています。急いでください。
新聞ももっと書きたてて、国民に現実を知らせてください。 

麻生さんのプライベートな時間の飲み食いの記事なんて書かなくてもいいじゃないですか、お金持ちがホテルを使っているだけですよ。

そんなスペースがあるなら対馬のことをもっと知らない人に知らせてください。今皆で立ち上がらないと、後悔は目に見えています。私がいくら言っても「ゴマメの歯軋り」ですが、書かずに居れません。
                               (880回)


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Qちゃんお疲れ様!

2008年10月28日 | 新聞から

            「???」  実は箒草です

  
          10月1日                10月21日


Qチャンが引退しましたね。私はこれでいいのだと思いました。いみじくも瀬古さんも言いました「あれだけの選手、ボロボロになるまで走って欲しくなかった」頂点を極めたら、そこからは下り坂だと思っています。実力が継続されているように見えるのは、後続の選手が育っていないだけなんだと思っています。

幸いにスタートラインが若い時期であった人は頂点の馬の背を辿る人も居ます。でも其れは本の一握りの人だと思っています。体力を使う運動と言うのはそういうものだと思うのです。

技量を磨くのとは根本的に違いがあると思っています。手の職と言うのは日々の精進で今日より明日、明日より次と精進の積み重ねが技量を磨くという事もありえますが…。

Qちゃんは、走るのが好きだから走り続けると言っています。プロとしてではなく、これからは楽しんで走ってもらいたいです。重圧が取れたら気持ちよく走れると思います。其れが今まで頑張って私達を楽しませてくださったQちゃんへのごほうびですよね。 Qちゃんご苦労様でした、これからは走りを楽しんでくださいね。本当にご苦労様でした、そして有難う。



銀行にいったんです。そこで吃驚するような光景を目にしました。60代後半の方だと思うのですが、お金を下ろして数え始ました。そこまでは普通です。吃驚したのはその後です。多数の袋を取り出しました。その袋には、「ガス」「電気」「住民税」とか書いて十数枚あります。今下ろしたお金をその封筒に入れ始めたのです。其れはソファーの上に置かれました。他にもお客様がいらっしゃいます、その前でです。

私は直ぐ用事が終わりましたので、最後までは見ていませんでしたが、窓口の方に言いました「この場であんなことをして、危なくないですか? どんな人が見ているか解らないのに…」女の子は笑っているだけでした。他の行員の人も見てみぬ振りか、気づかないのか知らん顔。

月の支払いを封筒に入れ別けることは無駄遣いしない良い方法と思います。私も若い頃にしていた時期があります。でも其れを銀行で、人様の前ではしませんでした。世の中には色んな人が居られるんですね。その場は行員さんも居られますから安全です。でももし悪い人が見ていたら…、帰り道にひったくられるかもしれません。何時もしておられるのでしょう。手際よくしておられました。今まで事故が無かったから安心して繰り返しておられると思うのですが、危ないですね。

先日も2億円取られた方が居ましたね。新聞によれば、友人に見せるために持ってきたという事でしたが、見せたければ家で見せればいいのに。2億円なんて相当の重さだと思うんですよ。如何してそんなことをしたのでしょうね。魔が差すと言うことでしょうか? お金は戻ったのでしょうか?

宝くじ2億円当たった方も1億9千万も現金化して持ち帰ったと言うのですね。そんな大金持ってどうするつもりだったのでしょうね。預金して必要な分だけ引き出せば、命まで失わずに済んだかもしれないですね。お金は必要なものですが、時として人を変えてしまいます。恐ろしいものです。虎の子を大切に使っている私には縁遠いお話ですが…。
   
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星野尚「タラセアの世界展」

2008年10月27日 | 一寸そこまで

       タラセア ー 木でえがく新しいアート ー
          星野 尚(タカシ)さん作
         こんな奇麗な案内状を頂きました


近鉄百貨店 阿倍野店に「タラセア展」を見に行って来ました。明日明後日はご本人が会場に来られるそうです。主人が電車の中で言うのですから、今更後戻りもできません。行って来ました。2月は個展でしたが、今回は近鉄百貨店の美術部の催しのようです。

お部屋が大きいので2月の個展のときより作品の数が多かったです。お気に入りの作品が沢山ありました。手間を考えると決して高くは無いと思いますが、私達には手に負えないお値段です。展覧会で目を楽しませていただくだけです。

まだまだ日本ではマイナーではないでしょうか。とても繊細で手間の掛かるものですから、誰でも習って出来るというものではなさそうです。木の色合いで描かれているものですから、なんとも暖かいものです。


このように木で組み合わせていくんです。「鳥」の場合も毛の1本1本も木を組み合わせて(はめ込んで)アートにして行くのですから、手先の器用さと色のセンスが求められるのでしょうね。

この案内状の作品も展示してありましたが、ハガキを傍に比べて見ましたが、色合いの美しさは実物を見ないと解らないと思いました。残念ながら写真では本当の「タラセア」独特のぬくもりが伝わっていません。

一応作品集も買ってきました。やはり1人でも多くの人に実物を見ていただきたいと思います。

近鉄百貨店6階の美術部で、あと明日と明後日で終わってしまいます。お近くに行かれるご用があれば、一寸足を延ばして、会場で「タラセア」を一目見てください。私の言う事が大げさではなく真実だと解っていただけると思います。「見てよかった」と思われると確信しています。


午前中は「ホームレス中学生」を見に行きました。主人がお気に入りで、今度は「ホームレス大学生」と言うたむらさんのお兄さんの本まで買ってきて読んでいました。私はまだ読んでいません。

土日の人の入りを見込んででしょうか、1番大きな会場での上映でした。ほんとにパラパラの入りで寂しいものでした。

本を読んで見に行った時の常で、やっぱり感動は薄かったです。主人も同意見でした。それにたむらくんの役に違和感があるのです。もう少し感じの似た人を使ったほうが良かったのではないかと思うんです。

吉本に入ってからのコンビも、全然違う人たちを使わなくても本人達に紗をかけて出したほうが良かったのにな~と思いました。

親友の両親に扮する、うざきりゅうどう、たなかゆうこの大阪の人情の暖かさがとても伝わってきて、何度もうるうるとなりました。

私にはホームレス中学生より、その兄で、長男の方が印象に残りました。主人公ではないので出場は少ないのですが、兄弟の要であると言うのがとても利いていたように思いました。

「ホームレス中学生」の本は私の友達に回した後は図書館に寄付しました。読みたい人の順番待ちが何百人と居るので、もし読んで不要であれば寄付して欲しいと図書館のHPに書いてあったからです。今頃はお役に立っていることと思います。
お兄さんの「ホームレス大学生」もヒットすればいいのにね。
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上履きと靴

2008年10月26日 | 新聞から

              ゼラニューム
        四季咲きなので花が終わり刈り込んでやると
             又新しい群れで咲く

   
          後2色ありますが 今は咲いていません


関西は一日雨でしたが、杜の都、仙台では雨ではなく全国女子大学駅伝が行われていましたね。凄い登り坂があったり、そばを車が走ったり、都会の走りとは又違った光景でした。京都の立命館が3年連続優勝で、そのメンバーが、6人中4人までが一回生だというのも凄いですね。

男子と違って、バトンタッチ後歩いてくる選手は「ヒーヒー」言っている人が多かったですね。マイクが確実に声を捕らえておりました。あんな苦しいことなんでするのでしょうね。運動が好きでない私は何時もそう思っています。一番だろうとべべタであろうと、走るという事は道路の観客を前にして、独り舞台だから気持ち良いのでしょうか?

ばったり倒れこむ人も居ますね。何時もなら「よっぽど苦しいのだろうな~」と思うのですが、今日バタンではなくス~っと言う感じで道路に倒れこんだ人を見て「走って、汗ばんだ身体には、道路の冷たさが気持ち良いのかしらね?」と主人に言うと「うん」って。苦しいのもあるけど、火照った体には気持ち良いのでしょうか? 一瞬そんなことを考えてしまいました。

今の世の中ですから、学生と言えども良い靴を履いて走っているのでしょうね。何をするにも、お金さえ出せば誰でもいいものが買える世の中ですから、言い換えれば大変な世の中ですね。


靴と言えば小学生の上履きのことが載っていました。
今は研究者の報告もあって少なくなったそうですが、今でも「薄いペッタリ底」の上履きを使っている学校はあるそうです。腕が良いと言う評判の整体師さんが言われたそうです。『ペッタリ底の上履きは「最悪の靴」だそうです。身体全体のバランスが崩れたり、背骨に歪みが生じたりすると言う。小学生でも整体に通う子が居て、調べてみると、学校の上履きがペッタリ底なんだという。土踏まずがちゃんと形勢されるように、足の裏に無理な力が掛からぬように作られた靴がいいという』是非小学生の上履きを見直して欲しいと言うのです。

わが家の子供たちの上履きがどんなものだったかは覚えていないのです。まず始は幼稚園ではなかったでしょうか。小学生になってから指定があっただろうか?覚えていないのです。只足の甲に幅広のゴムが張ってあったと覚えています。という事はそのゴムひもが無ければ脱げ安いという構造だったのでしょうね。外ではいている運動靴より軽いものだったような気もしまっすが、如何だったでしょうか…。

甲にゴムが付いていると、踵を踏んづけて履けないので(踵を踏む子が多いそうですが)今はスッポンとはけるタイプなんでしょうか。

子供だけではありません。女の子も自分の足に合わないものでも、形の気に入ったものを買う傾向にあるようで、先の尖った靴に幅広の足を無理に突っ込んで、見るからに不細工な足元の女性を良く見かけます。靴が大きすぎて歩くたびにパカパカ足が浮いているのも見かけます。

足に合わない靴は身体に悪いので、今は靴の下敷き(部分的に補正するのや)が色々売られているそうです。身体が痩せると足も痩せるのですよね。フィットしない靴は身体に悪いんでしょうね。何しろ全身を支えてくれているのが足ですから。

もっと身体にあった靴を履くように心掛けないといけないな~と思うようになりました。私は甲高ですし、幅広ですから甲の深い靴が歩き易いです。踵は3~4cmです。10cmのピンピールをはいて闊歩していたなんて昔昔のお話です。メキシコ在住のオユキサンは住んでいるお国柄でしょう、今でもハイヒールですが…。
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始があれば、終わりあり

2008年10月25日 | 今日この頃

              小学校5年生の作
        何時も傍を通る学校の金網に掛けてあった絵
             私の一番大好きな絵です
            武者小路実篤ばりの絵ですね


        如何いう題材を与えられたのかは知りませんが
           シックな色合いもお気に入りです


       中心の絵の小ささをコーナーの飾りが補っている
    小柄な女の子を想像するが案外クラス1大きな子だったりして
            3枚とも女の子の絵です


早いもので10時間(3日)の映像処理講習会の最後の日でした。楽しみにしていた「アルバム」は一寸期待はずれ、私の考えていたのと違いました。しかし其れまでの過程の説明は今すぐには役に立たないのですが、いつか役にたつかもしれません。いや~忘れてしまうかな?

復習をしようとしたのですが、ソフトが違うので習ったとおりにはいきません。わがパソコンの何所かにこんなのがあったな~と探しました。見つけましたが、習った通りには出来ません。その説明書を見ると難なく出来ましたが、わたしが1番したかったことは私のソフトではまだ見つかっていません。「パワーポイント」(今日習ったソフト)を導入して、しっかり頭に叩き込んでから、自分流に試行錯誤するより仕方が無いようです。

今日は2時間だけでした。自分の作品が出来た人からプリントしてもらって帰ることになっています。私は割りと早かったので、直ぐプリントしていただけました。

何時もご一緒に帰っていた方を待っているのもしんどいし私1人お先に失礼しました。所がです、私が停留場に近づいた時にバスは発車してしまいました。時刻表を見ると次のバスまで30分もあります。待つぐらいなら歩いていこう、昨日間違って買ったホットのお茶も持っているしと歩き始めました。

乗ってきたバスの道を思い出しながら、本通りは自動車の行き来が激しいので、中の道を東北の方向に行けば良いと見当をつけて歩きました。住宅街は静かで人っ子一人居ません。

我地区は民主党の出馬議員が決まっていないので、目に見えない敵に危機感を募らせていると言う公明党の議員のポスターが嫌に目に付きました。そういえば1月に他界したおば(一家公明党員)の家の前を先日通りました時、吃驚しました。公明党議員の写真とスローガン?が門扉いっぱいの大きさに張り付いていたのです。

我尼崎は公明党員が多いのです。市議会など公明党にのっとられそうな気がしますよ。始こそ公明党の落選者を出しましたが、今では当選確実な数を分配しているらしく全員当選です。これは良い傾向とは思えません。

遙か彼方に立花駅の高層2棟が見えたときはほっとしました。あの方向に歩けばいいからです。尼崎北警察の前に来た時にはもう安心です。此の道は昔マイカーで通っていた道です。でも流石に疲れました。1時を過ぎていますし、これからお昼ご飯の用意をするのも辛いな~と、わが家を通り越して、スーパーでお寿司を買って帰りました。

汗びっしょりなので、主人にはもう少し待ってもらって、お風呂で汗を流してからお昼を食べました。

お隣の席の方は、お名前が私の旧姓と同じと言うのも親近感を持ちましたし、お隣に座ったのも(会館が指定した)何かのご縁とメールアドレスの交換をしました。もうお会いすることは無いと思うのですが、ブログかHPを立ち上げられたらお知らせくださるというお約束で…。隣人は私よりず~っと年下の男性ですよ。
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元酒蔵でお食事会

2008年10月24日 | 今日この頃

      名残り咲きのばら (08-10-21 大井戸公園のバラ園)

   


唱歌の学校に行く前に昼食を共にしてから行きましょうという事で、阪神尼崎集合なのでみやこさんと待ち合わせて行った。

昼食会と言う事だけで店名などは気にしていなかった。ところが迎えのバスから下りて「???」なんか来た事のある場所…。「やっぱり来たことあるわ!」今流行の「酒蔵」の店でした。

突然蘇った思い出。以前所属していた会の特別例会を此処でしたことを思い出したのです。あの時は阪神の最寄の駅から夫々歩いていった。思い出すのはそれまでで、何所の部屋で会議をして、後お食事をしたのかは全く思い出さない。そして又お土産のコーナーでお土産を買い、隅のコーヒーコーナーで飲んだことは覚えている。

お料理は美味しかった。太るな~と思いながら、おなかがパンパンに張るのに、何も残さず食べてしまった。お陰で、夕食は食べられなかった。いまだかってそんなことは無かったのに、これも加齢現象?

おなかがいっぱいの時は食べ物は買いたくないはずなのに、売店で、珍しい甘いものを「重い!」と思いながら買ってしまった。これで当分は甘いものを探し歩かなくても済むと思った。近頃はなるべく甘いものの買い置きをしないで居た。しかしやっぱり手元に甘いもののストックがあることは私には何となく心豊かで居られる良い状態だ。

私達は2階の部屋だったが、降りてみると一般の部屋にはお客さんがいっぱいだった。やっぱり皆さんお食事の美味しい店は良く知っている。

今日は28名全員出席だったのです。中にはお酒の好きな人も居られる。ビール、酒など自分の好みで注文しておられた。夫々に伝票が置かれるので、夫々が支払う。飲まれる方も何の遠慮も無い。お料理のみ一括支払いである。まだ後に学校があるので、皆さん最低で我慢された模様…。

帰りは唱歌の学校まで、送っていただいた。お腹はいっぱいだし、歌うより眠い。
睡魔と闘いながらも如何にか歌い終えた。

駅で喉の乾きに耐えかねて買ったのが、間違ってホットだった。又お金を入れなおして冷たい飲み物を一気飲み。美味しいのなんのって、身体の要求のすざましい事…。

帰りは何時も西宮まで歩いてからJRに乗るのですが、流石に今日はさっさとJRさくら夙川駅から乗って、帰宅した。お風呂に入ったら、眠くて2~30分寝てしまった。遠い人は1時間2時間掛けて通っておられる、まだ帰宅途中だったろう。
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「ハボタン」の育て方

2008年10月23日 | 気にかかる


      上左 7月23日 青々と稲が育ちました
      上右 8月15日 稲の穂が付き始めました
      下左 9月 3日 実が詰まって、首を垂れています
      下右 9月26日 刈り取られていました

      わが家では今日始めて「新米」を炊きました
       水を控えめにしすぎたらしく少し固め…


「尼崎花いっぱいの会」の講習を受けに行きました。「チョコレートコスモス」「竜胆」「伊勢ナデシコ」「パンジー」などの苗を頂きました。さて、来年は上手に育てて、ブログを飾ることが出来るでしょうか?

お話は色々ありましたが、季節柄「ハボタン」に付いてが長かったように思います。私は今日「ハボタン」の二度目の移植をしたばかりでしたので、いい時に良いお話と聞き入りました。

ですが「ハボタン」のお話は今日2度目なんです。といいますのが、予定したバスに乗り遅れたんです。バス亭の前の小さな公園を何時も奇麗な花で楽しませてくださっているのが、公園のお隣の酒屋さんのご主人なんです。

今日も手入れをしておられたので、声を掛けてみました「ハボタンが虫にやられているようですが?」「蝶が卵を産み付けていくので、青虫です。其れとバッタも食べます」地面には小さな青虫が何匹も転がっていました。「今年はバッタが多かったですね」「大きなバッタが沢山居ますよ」

わが家の「ハボタン」はまだ本葉が5~6枚の小さな苗です。此処の「ハボタン」はもう既に15センチくらいに育っています。しかし半数くらいは無残に穴だらけです「何時頃種を蒔かれたのですか?」「7月頃です。そうすると寒くなる前に大きくなるからです。10月に入ると肥料をやると色が付かないと聞いていますから、其れまでに大きくしておくのです」と言っておられました。

講習でも同じ事を習いました。生産者は12月に売るためにお盆過ぎ頃種を撒きます。まだ暑いので、暫くは冷蔵庫で育てます。「ハボタン」は肥料をやるとどんどん大きくなるのです。でも肥料をやっている間は葉がキャベツと同じ青なんだそうです。10月までに育てておいて肥料を切ると色づき始めるそうです。色づき始めたら肥料をやってはいけない、間違えて肥料をやると色が抜けて元に戻ります。

今日植え替えるに当たって、パソコンで調べようとしたのですが、中々詳しい育て方を見つけ出すことが出来なかったのです。偶然に講習と酒屋のおじさんに「ハボタン」の育て方を教えて頂いてラッキーな一日でした。

おじさんは「私は90歳になったのですが、こうして元気に居られるのは、花を育てているお陰だと思っています。この公園はゴミだらけだったんです。花でも植えてきれいにしたら、もしかしてゴミを捨てる人が無くなるのではと始めたんです。
そしたら尼崎市が感謝状をくれたものですから、そのままづ~っと続けているんです」と語りました。

おじさんの小菊は既に咲き始めているものや、蕾がいっぱい上がっています。我が家ではまだです。やはり手入れが充分いきわたっているからでしょうね。反省。

講習で「花の土」について20キロが200~300円の土は余り良くないので、せめて500円位の土を買うと育ちが違うと習いました。花が育つに必要なものが入っているから高いのだと…。実は私もそんな気がしてきたんです。今度からせめて1ランク上のものを買おうかなと思っていたところなんです。家庭の方は水のやりすぎ、肥料のやりすぎが根を傷めて、結果的に枯らしてしまう事が多いって。人の話は聞くものだ。あ~ぁ、反省反省!


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インド家庭料理(11回)

2008年10月22日 | 今日この頃

                  今日の卓上花
              控え目ながら「ハロウィン」が
            近づいていることも主張していますよ

  
       主食 パロタ             マスールダル


8月が夏休みで、9月は私の都合で休んだので3ヶ月ぶりという事になります。今日も4名の欠席があり6名でした。何となく寂しくもありましたが、真剣に習うなら5~6名がいいのかもしれません。

ショリー先生が夏休みに妹さんを連れてこられて、先月も一緒に来られたと聞いていた。今日も来ておられた。以前来られた妹さんとの中間の妹さんだそうだ、ジーパンなど穿いて活動的な感じの方。

インドでは女子は皆料理が出来るのが当たり前なのか、自然な手つきで手伝ってくださる。日本の女子も見習わないとね。まだ日本に来られて日が浅いので、日本語は話せないそうですが、直ぐショリー先生のように日本語も上手になられるでしょう。勿論関西弁をですが…。

お料理

○ビーフカレー(ケララスタイル)

○マスールダル(パリプ ワダ)写真下右
 ・「ダル」って「豆」のこと。水につけておく。後にペースト状になるまで潰   す。
 ・みじん切りの玉葱、スパイスを加えて、練り合わせる
 ・てのひらで薄く形を整え、直ぐ油の中に入れる。
見かけは鹿児島の「つけあげ」のように見えたが、似て非なるものであった。表がさくさくで美味しかった。

○三色パブリカのライタ
 
○パロタ(パン) 写真下左
 ・パンといっても日本で言うパンではない。粉も普通のメリケン粉を使う、塩と ぬるま湯で練る、あらかた捏ねたら少々の油を加える。練って濡れふきんを掛け ねかせる。
 ・薄く延ばして、端から屏風畳みに折り、立てた両端をつまんで、内側に渦巻き 状に畳み込む。其れを、又もとの半分くらいまで伸ばす。 
 ・焼いて直ぐ、層が浮き出るように端から中央に寄せる感じに叩く。潰す感じ。
何故最後に壊すように叩くかといえば、そのままだと硬いからだそうです。

その料理に必要な香辛料等を別けてもらって、家に帰って作る方も居られます。私はその場で頂くだけです。言うならばインドの家庭料理を習いに行っているのではなく、試食しに行っていると言う感覚です。

人には夫々の考え方があるでしょうが、料理店で食べたなら、その調理の過程は知らないわけです。こうして此処で習うという事はその過程を知って、あの過程があるから、この味になるのだと知ることが楽しいのです。

家ではやはり日本料理が良いです。西洋料理でも素材の味をそのまま生かすというのが好みです。素材の姿がなくなるまで加工すると言う事はしません。

このお教室では、ものの見事に素材を潰します。其れがインドの料理なのでしょう。素材に優しいに日本料理と潰し煮込むインド料理の違いを目を丸くして興味深く経験しています。

教えるほうから見れば、教え甲斐の無い生徒かもしれません。でも私は私で、精一杯に異文化を楽しみ、経験させて頂いています。
 

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