ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

新春の集い

2007年01月28日 | 今日この頃
            京都府立植物園
          アンスリュウム???
       でも名札にはその様にありました

「白井文を囲む新春の集い2007」と言う恐ろしく長い名前の会、白井尼崎市長の後援会?の、これまた「白井文と輝くあまがさきの会」と言う長い名前の会の「新年会」でした。

白井市長のご挨拶は平家物語の冒頭の部分から始まって、「勝って兜の緒を締めよ」と言いますか、「奢る平家は久しからず」今までの市長で誰も取ることの出来なかった10万票の重みと共に、「締まっていこう」と言うお話でした。ますますスピーチに磨きが掛かってきました。

4年前は事業税収入は4.5億円だったのが今期19年度予算には10億計上できる予定だそうです。嬉しいですね。しっかり節約していただいて、抱えている借金が減ると嬉しいですね。

陰の声(テーブルでのお話)では2期ではまだまだ方向が定まらない、といって長期は白井さんといえどもだめと思うが、と早くも3選の話が出ていました。

一寸待ってよ、気の早い。2期再選されてまだ4ヶ月たらづ、それより、今のバックアップを頼みますよ。

議会での抵抗勢力が心配です。白井市長を推す市議が少ない上に次の市議選で又減るらしい。1人は高齢(私と同い年)の為出馬せず、1人は県議に転向とか、この方が市議を止めれば喜ぶのは反対勢力、白井市長の為に止めないでとは言わないが、何時もトップ当選をしているこの方は「市議の不正を正そうとしている」恐いものの居なくなった尼崎市議会は逆戻りするのではないかと私は恐れる。

だから私はもっと市議で残って頂きたいと思っていた、主人に私の気持ちを話すと「男やからな~、大きな職場を目指すのは仕方が無い・・・」と言うのです。そうかな~。私は白井さんの次はこの人にと思っていた。県議より市長の方が大きな仕事だとおもうんだがな~。ちがうのかな~。

それはそうと落選の憂き目を見た相手方は、又おめおめと市議選に出てくるのかな~。今失業中、家がお寺だそうだからお坊さん修行かな~。

            ○ーーーーーーー○

私は飲まないから、こういう会には欠席する事の方が多いのですが、今回は再選の祝いも兼ねているのであろうと、思い切って出た。主婦にとって会費1万円は一寸痛い。飲む人はそうは思わないのでしょうが・・・。

白井市長はお着物でした。今日は本当に盛会でした。何百人位だったのでしょうか。懐かしい人にもお会いしました。ここでも一寸した同窓会気分でした。

お料理も沢山出ました。お味は???。お腹をすかして来ているので、一応は美味しかったです。今日の私の一押しは「焼き飯」でした。お寿司も出ましたが、回転すし並み。とか言いながら2皿(6貫)も食べました。椅子に腰掛けていますと、まさこさんが「コーヒきたよ」「シャーペット来たよ」って呼んでくれるので大助かりでした。体重増加を気にしながら、お腹一杯頂きました。

会はまだまだ続いていましたが、私は「よばれ立ち」で8時前に失礼しました。

何時ものようにカメラは持参しました、初めにお料理を片っ端から撮って、いざ「タイのお作り」を取りに行きましたら、2匹のタイの活け作りの骨だけ残っていて、刺身は一切れも残っていませんでした。残念!

飲んで(ジュース&水)、食べて、話して、楽しい一夜でした。お手伝いの皆さんご苦労様でした。楽しませて頂きました。

   ☆明日1月29日から2月2日迄お休みいたします。



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給食費未納の続き・・・

2007年01月27日 | 気にかかる
            (見~つけた)
           昨日の八重の後ろで
         恥ずかしげに咲いていました

今日又、交通事故に出くわしました。先日は西宮で自動車同士の接触事故でした。今度は人と軽自動車でした。私が図書館に向かって歩いていますと、前方に男の人3人ほどが立ったりしゃがみこんだりしていました。何かなと思いつつ歩いて行きますと、軽自動車がバックして止まるのが見えました。車から若い男の人が降りて人の輪に近づいて行きました。それで事故と気づきました。

私が近づいていく間、地面に倒れた人はぴくりとも動きませんでした。自転車は倒れ、サンダルは脱げて投げ出されていました。女の人は動きません。近づいた男性が何か話しかけました。丁度その場に差し掛かった私の耳にはっきりと聞こえました「・・・私が行かないと朝ごはんが食べれない・・・連絡して」「番号はわかりますか?」「手提げの・・・」言葉ははっきりしています。身体は何処かにダメージを受けて動かないのか、動かせないのか動かないのです。

これだけはっきり物が言えるのだろうから大丈夫だろうと通り過ぎました。ご近所の奥様方も門の前に出てきています。ピーポーピーポーと救急車がやってきました。これでもう安心と先を急ぎました。

女の人が悪いのか、自動車が悪いのか知りませんが、本人のみならず、両家のご家族がさぞ驚いておられるだろう。女の人は当分入院でしょうから、ご家族が居られればたちまち困っておられる事でしょう。お顔は下を向いたままなので、お年は解りませんが、体格から想像してそんなに若い人ではないと思います。

履物ですが、老年に入ると足に添ったズックが良いような気がします。足を上げてるつもりが、すり足になっているので、躓きやすくなっています。サンダルですと場合によっては足を痛めます。ですから主人にもズックを履くように薦めているのですが、今もサンダル愛用者です。

           ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

給食費を払わない理由に「義務教育だから」と言うのがあるそうですが、義務教育とは最低限小学6年間と中学3年間に習うものは、生きていくのに必要な知恵ですよ。だからその9年間は学校に来てくださいよ。その代わりお月謝も教科書代等、知能の発達に必要な物に関しては国の負担ですよ。と言う事だと解釈していました。

給食費まで義務教育費とは、如何言う発想でしょうね。払わない子に給食を食べさせないならやってみろ!と息巻く親が居るとか。先生が子供が可哀想と言う心を逆手に取っているんですね。先生には出来ないでしょう。又もし実行したら、人権委員会とかが、シャシャリ出て来るのでしょうね。こうして明るみに出して、社会問題にするのも解決の糸口になるかも知れませんね。

昔は保護される事は悲しい、申し訳ないことだと言う考えでしたが、今は如何にかして貰えるものは貰おうと言う考えになっているのですね。何処かから沸いてきたお金ではなく、真面目に納税した人の税金だという事が解っていないのでしょうか?

人様の働いたお金で生活していながら、支給されている給食費を他に流用して支払わないのは、金持ちが払わないのもダメですが、その上を行く悪い行為だと思います。

こんな考えの方には如何にでも使える現金ではなく、主だったものは学費、給食費、食費、衣服費等チケット制にして現金の収入を少なくすれば、不自由を感じ自分で働こうとするのではないでしょうか。いやこういう人は又悪知恵を働かすだろうか?先生方が話し易いように世論を盛り上げるよりないかな~?

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給食費未納

2007年01月26日 | 新聞から
            (見~つけた)
          西宮のちっちゃな公園で
         寒さに震えながら咲いていた

再び話題に・・・
17年度、全国で9万9000人の未納者がいて、総額が22億円。月額は都道府県で一律ではないが、おおよそ3500円から4000円位のようです。一日の単価が220円前後です。教職員も同額です。

息子達の頃は給食費は袋に入れて持って行きました。その当時は本当に兄弟が多かったりして持って来れない子も居たかも知れない。今のように払えるのに支払い拒否という事はなかったでしょう。

持って来れない子供が恥を掻くと可哀想だというだけで、銀行振り込みにしたんだろうか?銀行振り込みにする前に色々議論したのでだろうか?初めは先生方も持ってこれない子への心遣いが省けると賛成されたのかな~。それとも現場の先生抜きで上層部が勝手に決めたのだろうか?色んな疑問が浮かび上がります。自動引き落としなのか、手数料は含まれているのか、無料なのか、毎月の振込みとすれば手間ですね。でもその結果、未払いの人が出るなんて思いもしなかったでしょう。

孫達も給食のお世話になっているのですが、今の状態など想像もしないので、話題に上ったこともありません。

生活保護費に給食費を上乗せして支給しているそうですが、これも可笑しな話ですね。上乗せするのが一番手っ取り早いからですか?病欠6日以上は返金する事になっているのですが、病気して家に居ても昼は食べるのですから、その分に回すという考えでしょうか?給食費として支給しているのですからやはりおかしいですね。そのお金は税金なんです。生活保護に上乗せしてもらっていながら給食費を払わない人がいると言うことは、お金と現物の二重取りという事になりますね。

親のモラル低下深刻と親の方ばかり目が行っていますが、その子供たちは如何思っているのでしょね?低学年はわからないとしても、高学年、まして中学生ともなれば解っていると思いますが、平気で食べているとすれば恐ろしい事です。子供が可哀想だからと知らせないのも、その子の為にはならないような気がします。そのこが成人した時又同じようなものの考え方をするようになると思うのです。これは今、然るべき対処を考える重要な時だと思います。

書きたくなったのは「未納者があったにも関わらず4000校が徴収額だけで給食を実施していた」と言う記事でした。

今は働いている母親の中で料理嫌いの人にとっては、働いていると言うことを理由に手抜き料理、又出来合いを買う回数が多かったりします。(料理の好きで上手な人はどんなに忙しくとも食事に手間を惜しまないと思うのですが)そんな家庭の子どもにも給食は栄養のバランスも平均化して良いのではないかと思います。

しかし、昼は学校で栄養のバランスの考えられた食事を出してもらえると感謝して支払っている親の子どもの上前をはねているのではありませんか。有り余った給食費ではありません。ギリギリのお金で栄養士さんが体にいいものをと考えて作ってくださっているのです。ほんの少しのパーセントでも積もれば大きなものになります。上前をはねる方法は学校側は楽かも知れません。でも「正直者が馬鹿を見る」方法を学校が取って良いのでしょうか?

世の中に出れば競争社会なのに全て平等と、履き違えた平等で生まれた事態ではありませんか。子にもその親の生き様は知らせていいのでは?その方法は上前をはねるという安易な考えではなく学校ももっと考えて頂きたい。
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茶殻の利用法

2007年01月25日 | ラジオから
          まっこと変わった花形です
            色合いも鮮やか
     初めて見たときは「花」とは信じられなかった

としこさんとたかこさんと私のプチ同窓会の日。やすこさんに教えてもらった、千円ぽっきりの和食バイキングに行く事になっている。

行くとまず入り口の小さなメモに名前と人数を記入して待つ。待つほども無く、呼び入れられた。「時間が早いからすいているのね」と言いながら案内人の後を付いて行った。驚き桃の木山椒の木!何と其処には数十人の女性が早お食事中。

メイン料理、煮魚、焼き魚、天麩羅、もう一つなんだっけ?から好みのものを選びそれに味噌汁、御飯は運んでくれる。後はバイキングのテーブルで選んでくるというシステム。バイキングのテーブルには野菜のヘルシーなお惣菜がずらりとならんでいた。私達は2度お変わりした。食後のコーヒーも頂いた。これで千円は絶対安い。薄利多売だな。

とし子さんたちも又友達と来ると言っていた。私も友達を誘いたいが、私の友達は皆、神戸なので大阪までとは誘い難い。でも電車賃を使っても安いと思うよ。だから私は主人と来る事にする。今日も男性はたった一人だったけど、主人だって今更女性軍に気後れする年でもないしね。

次はやすこさんご案内の、これまた安くて美味しい「タイ料理」千円コースに行く事が決まっている。

          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

今、町にはポット入りのお茶が多く売られています。コーヒーや紅茶等はそのときはいいけれど、後で又喉が乾くような気がして、お茶を買ってしまう。

アレだけのお茶を作るには、それだけのお茶殻が出来るわけですが、そんなこと考えてもみなかった。

伊藤園では年間?3万9千トンの茶殻が出るそうだ。お茶殻は今までは肥料に使われていた。お茶が売れるに伴いお茶殻も増えるわけで、色々茶殻の使い道を研究をしている。

お茶入り畳が出来ている。畳表に入れるのではなく、畳の床に入れるそうだ。ほのかにお茶の香がする。又石膏ボードにも入れている。このように建材に加える事によって、終いにはお茶の家が出来るだろうと言う話。

新しい製品としては、ゼブラと共同研究で「ちゃばボールペン」が間もなく発売されるそうだ。軸の部分に茶殻を配合した樹脂を用いる事により、茶の香や、抗菌性を付与したものが出来る。「お~いお茶」500mg約一本で、10本のボールペンが出来るそうだ。

伊藤園は色々な「地球に優しい製品作り」の研究などで第2回エコプロダクツ大賞や農林水産大臣賞や地球温暖化防止活動環境賞を受賞している。

私は「コーヒーの滓」を冷蔵庫や下駄箱の匂い取りに使っていたが、この頃「インスタント」に変えたので滓が無くなって困っていたが、思えばお茶殻でいいようだ。お茶は匂いが移りやすいからと言う性質を逆手にとって、冷蔵庫のにおい取りにする。そのかわり一週間ぐらいで交換する。又たんすの防腐剤に使えるらしい。

昔は座敷にお茶殻を撒いて座敷を掃いていたのを思い出した。ラジオでは乾燥したお茶殻といっていたが、私は湿っていたように思うが、遠い昔の記憶故定かではない。

お茶を飲むと虫歯になりにくいとも言う。外から帰った時、私は残しておいたお茶で嗽をしている。

何十年か前、白鳥のえさにお茶殻を送るという運動があって、その時はせっせと茶殻を干して学校に持たせたように思う。

何しろお茶が好きなので、良く飲むからお茶殻も溜る。でも乾燥させるという一手間がいる為つい捨ててしまう。
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外交敗北

2007年01月24日 | 読みました
            尼崎緑化植物園
          訪れる人も無い温室で
         ひっそりと咲いていました
 
        外交敗北    重村智計   講談社

北朝鮮と日本政府の関係が良く解った。拉致被害者を助け出すのにチャンスは何度もあったのに、政治家も外務省も「日朝国交正常化」の前には、助けを求める国民の事は2の次、3の次であった事もよく解った。拉致被害者5人が一時帰国した時、帰さないと決めた事は新聞報道で断片的には知っていたが「そうだったのか」と「帰すべき」と言った人達に改めて怒りを覚えた。

中山参与は改めて凄い人だと思った。女らしい外見、優しいおっとりとした口調、しかしその意志は強固である。5人を北朝鮮に帰すべきと主張するアジア大洋州局長に5人を日本に留める事が出来ないなら「出来る人に代わって貰えばいい」「局長、貴方がやっていることは外交ではない。北朝鮮へのお願いだ。外交官ならお願いを止めて外交をやりなさい」と言い放ったという。

重村さんはこの度の山崎さんの北朝鮮訪問をどのように思われたか。
           
           ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

「救急車お願いします」フロントに電話する声スタッフの声、脱衣所が騒がしい、行ってみた。3~4人に囲まれた人の頭が見える「もう大丈夫よ!救急車なんか呼ばないで!もう正気だから!」「でも今まで気を失っていたのよ、病院に行ったほうがいいよ」「いいのよ。もう正気なんだから!」その声は○○さん。何時も私に「この字は何て読むの?」「どんな意味なの?」と聞いてくる人だ。そう言えば12月初め「私ね。この間瞬間的に気を失ったらしいのよ・・・」って話を聞いた。

今日もサウナでさっきまで一緒だった。彼女は出ると直ぐ水風呂に入る。「どうして入らないの?気持ちいいのに」と何時も言う。私も若い頃は水風呂とサウナに交互に入っていたから、気持ちの良い事は知っている。でもその時は40代だ。30年も前と同じ事は出来ない。毎朝の血圧の数値によってサウナもたまには入らない事もある位だ。裸で倒れるのも恥ずかしいが、それ以上に皆さんに迷惑が掛かる。自分で自分を律しないといけない年齢になっている。彼女も私の2歳下だから、その範疇にある。

彼女は一日に2~3回入るらしい。以前は4~5回入っていたらしいが、今,韓流テレビに夢中で、その放映13時には帰宅する為、回数が減ったと言っていた。彼女の為には良い事だと思っていたのに、とうとうやってしまった。正気に戻るまでの時間が、だんだん長くなって大事に至る事も考えられる。

倒れるのを目撃した人が話すには、風呂場と浴室の間のガラス戸に倒れこんだらしい。顔は血の気が無くて真っ白だったと言う。何時もならサウナから出て顔は桜色のはずだ。

皆さん大体同じ時間帯に来るので顔なじみの人が多い。1人の人が、私に会釈して出口に飛んで行った。何だか何時ものにこやかさが無いな~と思ったが、そんな事が起こっているとは知らなかった。それがフロントへの一報だったらしい。フロントに通じる電話はあるのだが、私達は使い慣れないから、その存在を忘れて駆け下りて行ったようだ。

そういえば以前私も関わった倒れた妊婦さん、その後無事出産したのだろうか。男の子かな?女の子かな?時々思い出すことがある。

70の峠を越えた今、体調に関しては大げさぐらいに考えても良いのだと、改めて確信した今日一日でした。
                          (280回)

          
      
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宮崎県東国原知事

2007年01月23日 | 気にかかる
            尼崎緑化植物園
          温室の数少ない開花の一つ

「勝てば官軍」と言うか、今日のサウナでの話題は「宮崎県知事の話」で盛り上がりました。「奥さんと復縁あるかしら?」「宮崎に行くのが嫌も離婚の理由だから無いよ」「電話ぐらいしたかな?」「子供からメールあったが、元の奥さんからは無いって」「してるよキット、マスコミを避けてるだけよ」「16歳以下の女の子の件も、他にも芸能人は居たらしいけど、東は名を出さなかったんやって」「そういうとこ男気があるね!」「芸能界を捨てて、政界に飛び込んだ、たけしが『落ちたら又軍団に迎える』って言っていたらしい」「でもたけしさんがそういってくれても、もう戻らないと言ったそうよ」「やっぱり男気があるわ!」等々。

男気:男らしい性質・気持ち。自分の損得を顧みず弱いものの為に力を貸す気質。
男らしい性質って?どんな性質?今の世の中、男らしい・女らしい人を探すのって大変だわ。男女同権を叫びすぎて、なんだか両性が合いより中性化していませんか?

「そのまんま東」って変わった名前だな~と思っていた。このたび本名を知って、なるほどと合点がいった。「東国原って呼びにくいから、学生時代は『東』って呼ばれてたんじゃない?」「うん」「武さんが芸名をつける時『友達は何て呼んでいた?』『ひがしです』『そう、そのままで良いんじゃない?そのまんま東』違うかな~。当らずとも遠からずと思うけど・・・」と主人に話す。如何でしょうか、この解釈?

それにしても東国原知事の得点数は凄いね。2位との差歴然。保守分裂の追い風が後押ししたとはいえ、宮崎県民は「白紙の可能性」を選んだ。

主人には退職後、故郷宮崎に帰った友人が居る。「○○さんも東にいれたかしらね?」「さ~ね。でも同じ早稲田やから、入れたかもしれんな~」故郷の村で、神楽の笛を吹いていると言う友、故郷に溶け込んでゆったりした老後を送っている事を知り、主人も安心している。

毎日新聞:本名で当選証書が付与された。知事として本名で活躍する事から毎日は「東国原(そのまんま東)」と表記します。

これって少しおかしくないですか?皆さん「東国原=そのまんま東」って解っているんですし。ご本人も東国原の本名で行くと言っているんだから、わざわざ(そのまんま東)と書かなくても良いのではないでしょうか?選挙中は知名度があるので芸名を使っただけで(選挙違反になるの?)本名で当選証書を受け取ったんだから、もう「そのまんま東」から開放してあげて良いんじゃないですか。宮崎の人たちも「芸人」を知事にと思ったわけではなく「芸人の世界」を抜けて立候補した東国原さんを知事に押したんですから。

その点、時事通信は「東国原知事」と書いていますね。(そのまんま東)と注釈(語句や文章の意味を解りやすく解釈する)を付ける事は、芸人が知事になって知事職勤まるの?と暗に言っているように聞こえるけど、私の穿ちすぎ(人の気付かない真相を探り出してみせる事)?

東国原知事の感想に「初めての体験なのでわくわくしている部分、良い経験をしている言う充実感があり、楽しんでいる自分が居る」物事に初挑戦、そして認められた時の心を見事に言い表していると思います。

過去には色んな事があったけれど、それで崩れる人と、それを反省し肥やしにして花咲かせる人とが居ると思う。東国原知事は後者であると思うし、49歳働き盛り、少々の無理は利く年齢、新知事を信じ任せてくれた県民の為に頑張って欲しいと思います。


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それでもボクはやってない

2007年01月22日 | 映画の話
            (見~つけた)
            白も良いですね
         年末には忘れずに買いましょう
      今、1月、私には12月は飛んできますよ

「それでもボクはやっていない」を見に行った。題名で長くて漢字のないのも珍しいね。今週は見たい映画が沢山あって迷ってしまう。結局「冤罪」「裁判」と言う事に引かれてこれに決めた。

実話があったと記憶しているが、設定は変えてあった。主人公はフリーターで、就職の面接に行く電車の中の出来事、母親と親友が助ける中心だが、実話はサラリーマンで、妹が兄の冤罪を晴らそうと運動した。

周防監督が3年を掛けて裁判について取材し、11年ぶり(シャル ウイ ダンスからそんなに経っているとは、吃驚!)にメガフォンを取った。

主人公のフリーターの青年が就職の面接を受けに行く電車の中で、痴漢と間違われた裁判で「無実」を主張するが、結局は有罪となり、「控訴する」と言う言葉で終わっている。

日本の裁判制度の問題点を浮き彫りにしつつ描いていく。被害者の女の子の出廷場面では、傍聴席との間に仕切りが立てられるとか、この事件のように猥褻事件には、それ専門に傍聴するオタクが居る等、今まで知らなかった事を見せてもらった。又、痴漢行為にも種類があり、スカートの上からさわれば「迷惑防止条例違反」直接さわれば「強制猥褻罪」に分かれる事も知った。

女の子のあやふやな発言にもいらいらした。「あんたのその言葉で、青年のこれからの未来に濃い影落とす事になるのだ」と叫びたかった。弁護士は数をこなさなければ、実績を認められないとか、そのため同時進行の事件を多数持つので、一つことに時間を割いておられないとか、色々知った。

二時間半に近い上映時間だったが、のめりこんでいる内にアッと言う間に時間がたった。でも気持ちはイラついていた。裁判では許可がなければ、又質問に対する答えだけしか許されていない為、被告も、その応援者も退場を恐れて無言である。

私自身「彼は無罪だ」冤罪ものだと信じて見ていて「そうじゃないでしょう!」「何言ってんのよ!」と叫びたいのを我慢して見ている訳だから、凄いストレスがたまったかなと思うけど、でも不思議と疲れは感じなかったのは何故だろう。

ジムに行く道筋に、簡易裁判所がある。今、建て増しの工事中である。此処にもテレビで見るような網目のあるガラス窓の輸送車を何度か見たことがある。神戸の裁判所の内部は見学した事はあるが、実際に裁判が行われているのは見たことがない。

主人と「一度裁判を見よう」と言いつつもう何年経っただろう。でもやはり同じ経験するなら「簡易裁判所」ではなく「裁判所」の傍聴席に座りたいな~。

昔から映画は大好きだ。その頃の日本映画は大方が3~4本立てし、見たところから見た所まで、洋画の場合だと2回ぐらい見ることもあったけれど、今は一回きりしか見られない。洋画の封切映画の事を「ロードショウ」と言って料金が高かった。その点で言えば、今は粗方「ロードショウ」だ。

今のように若者の遊び場所も無かったし、若者がお酒を飲む場所に出入りする事も無かったから、お付き合いの初めは「映画に行こう・・・」ではなかったかしら。

若者がお酒の場に行きだしたのは「からおけ」の出現も大きな要因ではないかしら。今のように、それ専門の「カラオケボックス」なんて無かったし。そして女子がおじさま族の憩いの場所、居酒屋や温泉に興味を持ち、進出し「おやじギャル」何て言葉がはやって久しい。世の中変わったね~。
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年賀状の整理

2007年01月21日 | 今日この頃
            (見~つけた)
         何処でもある普通のハボタン
        長期間、色鮮やかなのが嬉しい

スーパーに行った以外は一日家に閉じこもって、久し振りにテレビ三昧。元旦の残りの「かに」を昨夜から冷蔵庫に下ろして、今夜は「カニスキ」。20日程経っているのですが、パサパサではなく、肩(体?)とカニの爪部分だったのですが、カニについてきた「カニキリ鋏」もとてもよく切れて、身が一杯詰まっていて、ジューシーで美味しかったです。此処に頼んだのは正解でした。

年賀状の整理をしました。来年又出す人と出さない人を分けてパソコンに覚えさせました。葉書一枚でも、よ~く見ていると気持ちが伝わってくるものですね。私が書いたので、礼儀上お返事下さった様だとか、その方にはもう出さない方が良いとか、待っていてくださるのだな~とか、胸に響くものがあるのですよ。

主人の方は又違った意味で減りそうです。「主人は亡くなりました」とか「父は亡くなりました」とかのご家族からのお返事が数枚ありました。長生きするという事はそれだけ知人の死を受け止めるという事なんですね。

私の方は幸いな事にその様なのはありませんでした。未亡人になったというお知らせもありませんでした。全部親御さんの喪のお知らせでした。

親戚でも主人の叔父・叔母は屋久島の叔母一人になった。その叔母も数年前に血栓で倒れ体が不自由になっている。3年前の夏、私達と孫二人で屋久島に行った時、会いに行くつもりだったが、断られてしまった。空港から電話をしたら「こんな姿を見せたくないので来ないで・・・」他の親戚にそのことを話した。「でもよく電話に出たね。この頃は電話にも出ないのよ」私が孫を連れて屋久島に行く事を、空港から電話する事を事前に葉書を出しておいたので、電話を待ってくれていたらしい。叔母さんの手作りの草もち、飛び魚のつけ上げ(関西の揚げたかまぼこ)おいしかった。もうそんな小包も来る事がないな~とちょっぴり寂しかった。

鹿児島本土の叔父・叔母が亡くなった時は親戚宛の年賀状がど~っと減りました。11人の子福者だったから。後を継いでいる従兄弟からは「自家製のお茶」「焼酎」等を頂く。私もなるべく喜んでもらえるように、鹿児島にはない、珍しいお八つになるようなものを探して送るように心掛けている。「お茶」はお中元、お歳暮とは時期が異なるので、奥さんにファッション・バッグを送る事にしている。お友達が羨ましがるのよって喜んでくれている。

他の従姉たちは「かるかん」や鹿児島の名物を送ってくれる。兄弟近所なので、違うものより同じものが良いだろうと考えて送っている。

私のほうも後3軒になってしまった。三人共もう何年も会っていない。年賀状で確かめ合うだけだ。

数年前までは、子供・孫の写真入の年賀状も多々あったが、今は数枚になった。皆大きくなって、被写体として可愛くなくなったのだろう。それらの写真年賀状は大切に残してある。

普通の年賀状は、今年の年賀状と引き換えに去年の分は処分する事にしている。絵や文の気に入ったのは残してある。そして頂いたその方の最後の年賀状も残してある。

           ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

そのまんま東氏(本名:東国原<ひがしこんばる>英夫)が宮崎県知事に初当選。昨日のピッコロシアターで、光琳の妻を演じていたのは、そのまんま東さんの元ツマかとうかづ子さんだった。今、二人はどんな気持ちなんだろう。お互いに後悔していないだろうか?
              
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元禄光琳模様

2007年01月20日 | 一寸そこまで
            尼崎緑化植物園
       紅白のナンテン活けるとこうなります
           活花も良いですね

今日は「センター試験」ですね。昨年より多い受験生だそうです。入学先さえ選ばなければ、今年から全員入学できるそうですね。「だからこそ、いい学校への競争は熾烈になる」と主人も言っていました。その現れでしょう。以前は「共通一次」と言いましたね。長男がその初年度だったんです。あの頃は国公立だけに必要だったと思いますが、今は私立も利用する大学が増えたようですね。

ピッコロシアター(兵庫県立尼崎青少年創造劇場と言う長~い名を持っています)に「元禄光琳模様」を見に行ってきました。この劇場は劇団も持っています。

「近松賞」:尼崎市は日本が世界に誇る劇作家・近松門左衛門とゆかりの深いところから「近松のまち・あまがさき」をテーマに文化振興に努めています。近松の功績を顕彰(けんしょう:隠れた功績や善行等を讃えて広く世間に知らせる)するとともに、次代の演劇界を担う優れた劇作家を世に紹介し、新たな演劇作品の発掘、劇作家の育成を目的として、「近松賞」正式名は「近松門左衛門賞」を平成12年に創立し、13年から隔年で実施しており、「元禄光琳模様」は尼崎市制90周年記念・第2回大賞受賞作品。

久々知の「広済寺」に門左衛門の墓がある。作品を歌舞伎で演ずる時は歌舞伎役者が、人形浄瑠璃では人形とその太夫さんが、必ず墓前に額ずくという。我家の墓も「広済寺」にある。寺の隣に「近松会館」があり、その隣は静かな公演「近松公園」がある。

墓に参っている時に「近松さんのお墓は何処でしょう?」と訊ねられた事がある。皆さん大きな墓を想像して訪れるので探しあぐねるのである。ほんとに小さな墓なのです。

ご招待を頂き、切符が届けられた時に、お隣はみねこさんと知らされましたので、早速お電話して、ご一緒する事にしました。お会いするのは何ヶ月ぶりでしょうか?嬉しい付録付です。

待ち合わせ場所から、思ったより早く着き、道路を隔てた向に植物園がありますので、温室にご一緒して頂ました。温室といえども花影は少なく、ほんの少し写して来ました。

この作品は光琳の生涯を描いたものです。光琳が好色で、才能を安売りし、時代の波の浮き沈みに弄ばれた生涯を描いています。作家は保戸田時子氏、第2回受賞作品といえども平成13年の受賞作は無しですから平成15年の受賞作品が初めての作品という事になります。平成17年度も受賞作品無しですから、選考(せんこう:多くのものの中から良い悪いを考えて選ぶ事)は厳しいようです。今年もその年に当りますが、この賞が全国的に有名になり、良い作品が続々と集まり受賞作が出ると良いな~と考えます。楽しみに待っています。

今日のお話には付録があります。劇中、咳き込んで身の細る思いをしました。用心して「喉あめ」を舐めていたにも関わらずです。それより凄かったのは再三の注意にも関わらず、突然「携帯のズンドコ節」が鳴り出した事です。動作の鈍い人らしく、中々鳴り止みませんでした。

もう一つ、みねこさんが「毛の襟巻き」を落としたと言うのです。「温室が暑かったので外した」温室のトイレに見に戻ろうか、それよりまず受付に届けておこうと行きましたら、なんと、迷子の毛の襟巻きちゃん、みねこママを待っていたではありませんか!通路に落ちていた襟巻きをちゃんと届けてくださったのです。尼崎は住み良い所です。本日もハッピーな一日でした。





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現代学生百人一首(2)

2007年01月19日 | 新聞から
            (見~つけた)
         葉牡丹を買ったことが無い
           嫌いなわけではない
        何となく、毎年買いそびれている

梅田に出た。平日で午後の3時を過ぎているのに阪急は大変な人出でした。バーゲンでした。今は「バーゲン」ではなく、何時の間にか「セール」と言う呼び名に変わっています。この何年かデパートの売り上げが伸び悩んでいると言う報告が信じられないです。

なかなか難しくて理解できない句もありました。心の叫びは理解しがたく、一目瞭然の句を選びました。

   一番の 落ち着く場所は トイレだと 
           安らぐ父を 待つこと十分

・ 「じゅうぶん」と読むのか「じゅっぷん」と読むのか迷いました。父の言った言葉を思い出して「じゅうぶん:満足」お父さんの満足いくまで待ったと解釈するか、父を待って時計に目をやると「じゅっぷん」経っていたとも取れるし、やっぱり「じゅうぶん」にしようかな~。

   父親が 空けられなかった キツイふた
           自分が明けて 父をこえた日

・ 私は親の側から感じました。この間まで私の保護無しには生きていけなかった幼子が、私の出来ない事が出来るようになった「あ~、大きくなったものだ!」と。

   義務教育 あと一年で 終わりって
         僕は大人か まだ子供なのか

・ 昔なら元服もして大人なのに、今は法的に20歳までは子供、長く生きる分成長もゆっくりか?。
   
   青空に 伸びる向日葵 うつむいて
           太陽でなく 私見つめる

・ 向日葵はお日さんの方を常に向くからひ回りと言いますが、花にはお日さんの方を向く花は沢山あります。ひまわりの様に背が高いと見下ろされているように感じるのですね。

   ふと気づく あなたの言った 一言が
          私のアナを 埋めていたんだ

・ 友の一言で沈んでいた気持ちが吹っ切れていた。元気になった心は?と考えた時、友の的確な一言があった。

   履修漏れ 関係ないと 思ったら
         校門付近に マスコミの人

・ 読んで字の如し。我校には無縁の出来事と思っていたのに、波紋の中にいた。

   教育の 本来の姿 いまどこへ
        イジメ未履修 途方に暮れる

・ 次々現れる、ゆとり教育の結果。真っ只中に居る私はどうすればいいの。

   人間って 皆個性を 主張して
      なんだか似てる 色えんぴつに

・ 上手い事言うな~と思った。色鉛筆は形は同じだけれど、芯の色は違う。でもね、人間は同じ化粧に、同じファッション、流行に遅れまいと真似る。これ個性埋没じゃない?

   バスに乗る 「子供ですか」 と聞かれると
                中学生と 胸をはる朝

・ 中学生本人は大人に近づいて嬉しいのでしょうが、運賃倍額になる親の方は複雑な気持ち。

   甲子園 再戦となった 決勝戦
      一人で投げぬく ハンカチ王子

・ 流行になった青いハンカチ、どれ位売れたんでしょうね。そういえば球児たちは袖で汗を拭っていましたね。ハンカチで拭くなんて、品がよくなったのですね。

私はやっぱり花が好きだから、「歌会始」の高校生の句

   帰省した 兄とボールを 蹴りに行く
           土手一面に 月見草咲く   が好きだな。

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