偶然見かけたので、なんとなく感想書いてみます。
この映画は前にも二度ほど見て、言いたいことがかなりあるし…。
・タイムマシン (2002年)96分
原作関連:
H・G・ウェルズ「タイムマシン」
スティーヴン・バクスター「タイムシップ」(作者逝去後、遺族の了承の元で書かれた続編)
【あらすじ】
■前半の「恋人を救うためにタイムマシンを開発」「過去を変えようとする」
(原作では未来にしか行かない。動機は純粋に好奇心)
■エロイ族の描写(後述)
■結末
■その他、月の破壊、図書館の存在等
(「タイムシップ」では「人類による太陽の征服」が出てくる。月破壊はそこからのイメージ?)
さて、この映画には、二つの致命的な欠点があります。
【不満その1:作中の矛盾】
この映画のテーマは「過去は変えられない。しかし未来は変えられる。いつまでも過去にこだわらず未来を見つめよう」。
しかし、このテーマのせいでわけのわからない展開に。
なにせ「過去を変えられない」と設定したのなら、「未来」も変えることができません。
だって、十万年後の「未来」は、百万年後の世界から見れば「過去」です。
これを変えることが出来るなら、「過去」の変革が可能になってしまう。
…一応、「主観時間の問題」とかで逃げることが出来なくもないですが、ちょっとみっともない話。
ちなみに原作「タイムマシン」では歴史改変には言及してません。
また「タイムシップ」は「改変可能」のスタンス。(それが大きなテーマになってる)
別に原作と違うから、という理由で批判するつもりはありませんが(「タイムシップは厳密には続編じゃないし)、作中内で設定に無理が出てるのは、見ていてがっかり…。
【不満その2:原作との乖離】
「原作と違うからと批判するつもりはない」…と言いつつなんですが、根幹に関わる部分が違うのはやっぱり納得ができず。
最大の問題は、エロイ族とモーロック族の描写です。
映画では
・エロイ:理性的で牧歌的。純朴で才能ある人類
・モーロック:正体不明の邪悪な化け物
としか描かれてません。
原作の設定はこうです。
・エロイ:資本階級の成れの果て。労働能力・思考能力を失い、快楽のみに生きる脆弱な種族
・モーロック:労働階級の成れの果て。理性と優美さを失い、肉体的な強さを得る
原作は社会風刺を含んでいて、両種族は極端な二極化社会の辿りつく未来を描いたものです。
誤解のないように補足しますが、「エロイの方が優れた種族」といったわけではありません。
生産能力すら失った彼らは、(昔の生活の名残で)本能的に食糧供給を続けるモーロックの助けがないと、生存することすら不可能。
個体を認識する知能も持たないので、モーロックに仲間を食われても、それを認知することもできません。
ただただ毎日無邪気に遊び、モーロックによって生かされ、喰われていくだけの存在。
ですので、映画のエロイが文化的生活を送っていたり、話しかけてきたりするのを見て、思わず吹き出してしまいました。
(原作では言語やコミュニケーション能力も失っている)
そりゃあ、「悪い化け物に襲われてる、牧歌的な人類」の図にした方が話が分かりやすかったのは理解しますが、それを選択したら「タイムマシン」を原作にしてる意味がないじゃないか。
映画のラストの「悪いモーロックは滅びました。めでたしめでたし」もどうかと。
モーロックもまた、人間なのですから、それを否定してどうする。
ちなみに「タイムシップ」では、主人公は人類復活のため、エロイだけでなく、モーロックも文明化しようとします。
片方だけでは人類ではないのです。
映画と原作、どっちの方がテーマとして大きいか、比べるべくもないと思うのですが…。
【最後に:良かったところ】
不満ばかり書きましたが、この映画のタイムマシン起動時の描写は気に入ってます。
それこそ、原作の描写を完全に(もしくはそれ以上に)再現。
このシーンのためだけにこの映画は作られたんじゃなかろうかと思うくらい、よく出来てます。ここだけは一見の価値がある。
…いっそ、このシーンを中心に、30分枠くらいでやってれば名作になったのかも。
なんか、SF小説の映画化は原作破壊が酷い気が…。
「AI」(原作・アシモフ「我はロボット」) も映画館で見たのですが、あまりの酷さに物を投げたくなりました。
一から十まで忠実に作れとは言いませんが、根っこの部分を否定するのはやめて欲しい。原作使う意味、ないじゃないか。
この映画は前にも二度ほど見て、言いたいことがかなりあるし…。
・タイムマシン (2002年)96分
原作関連:
H・G・ウェルズ「タイムマシン」
スティーヴン・バクスター「タイムシップ」(作者逝去後、遺族の了承の元で書かれた続編)
【あらすじ】
恋人を事故でなくした主人公は、過去をやり直すべく、タイムマシンを発明する。【映画のオリジナル要素】
首尾よく過去に戻ることには成功するが、何度挑戦しても過去を変えられず、恋人を死から救うことが出来ない。
「過去は変えられないのか?」
答えを求めて、彼は未来へと旅立つ。
しかし、80万年後の未来へとたどり着いた彼が見たのは、文明が滅亡した世界だった。
そこにいたのは、科学文明を失い、牧歌的な社会を営むエロイ族。
そして、エロイ族を食用とする凶暴なマーロック族。
主人公はエロイ族の女性の一人と親しくなるが、彼女はモーロックによって連れ去られてしまう。
彼女を救うため、モーロックの住居に潜入した主人公は、戦いの最中、6億年後の未来を見る。
それは人類が滅亡し、死の世界と化した暗黒の未来だった。
モーロックとの戦いに勝利し、平和を取り戻した主人公は悟る。
「過去は変えられない。しかし未来は変えることが出来る」
あの暗黒の未来を変えるために。
主人公はエロイ族の元で、未来を育むことを決意する。
■前半の「恋人を救うためにタイムマシンを開発」「過去を変えようとする」
(原作では未来にしか行かない。動機は純粋に好奇心)
■エロイ族の描写(後述)
■結末
■その他、月の破壊、図書館の存在等
(「タイムシップ」では「人類による太陽の征服」が出てくる。月破壊はそこからのイメージ?)
さて、この映画には、二つの致命的な欠点があります。
【不満その1:作中の矛盾】
この映画のテーマは「過去は変えられない。しかし未来は変えられる。いつまでも過去にこだわらず未来を見つめよう」。
しかし、このテーマのせいでわけのわからない展開に。
なにせ「過去を変えられない」と設定したのなら、「未来」も変えることができません。
だって、十万年後の「未来」は、百万年後の世界から見れば「過去」です。
これを変えることが出来るなら、「過去」の変革が可能になってしまう。
…一応、「主観時間の問題」とかで逃げることが出来なくもないですが、ちょっとみっともない話。
ちなみに原作「タイムマシン」では歴史改変には言及してません。
また「タイムシップ」は「改変可能」のスタンス。(それが大きなテーマになってる)
別に原作と違うから、という理由で批判するつもりはありませんが(「タイムシップは厳密には続編じゃないし)、作中内で設定に無理が出てるのは、見ていてがっかり…。
【不満その2:原作との乖離】
「原作と違うからと批判するつもりはない」…と言いつつなんですが、根幹に関わる部分が違うのはやっぱり納得ができず。
最大の問題は、エロイ族とモーロック族の描写です。
映画では
・エロイ:理性的で牧歌的。純朴で才能ある人類
・モーロック:正体不明の邪悪な化け物
としか描かれてません。
原作の設定はこうです。
・エロイ:資本階級の成れの果て。労働能力・思考能力を失い、快楽のみに生きる脆弱な種族
・モーロック:労働階級の成れの果て。理性と優美さを失い、肉体的な強さを得る
原作は社会風刺を含んでいて、両種族は極端な二極化社会の辿りつく未来を描いたものです。
誤解のないように補足しますが、「エロイの方が優れた種族」といったわけではありません。
生産能力すら失った彼らは、(昔の生活の名残で)本能的に食糧供給を続けるモーロックの助けがないと、生存することすら不可能。
個体を認識する知能も持たないので、モーロックに仲間を食われても、それを認知することもできません。
ただただ毎日無邪気に遊び、モーロックによって生かされ、喰われていくだけの存在。
ですので、映画のエロイが文化的生活を送っていたり、話しかけてきたりするのを見て、思わず吹き出してしまいました。
(原作では言語やコミュニケーション能力も失っている)
そりゃあ、「悪い化け物に襲われてる、牧歌的な人類」の図にした方が話が分かりやすかったのは理解しますが、それを選択したら「タイムマシン」を原作にしてる意味がないじゃないか。
映画のラストの「悪いモーロックは滅びました。めでたしめでたし」もどうかと。
モーロックもまた、人間なのですから、それを否定してどうする。
ちなみに「タイムシップ」では、主人公は人類復活のため、エロイだけでなく、モーロックも文明化しようとします。
片方だけでは人類ではないのです。
映画と原作、どっちの方がテーマとして大きいか、比べるべくもないと思うのですが…。
【最後に:良かったところ】
不満ばかり書きましたが、この映画のタイムマシン起動時の描写は気に入ってます。
それこそ、原作の描写を完全に(もしくはそれ以上に)再現。
このシーンのためだけにこの映画は作られたんじゃなかろうかと思うくらい、よく出来てます。ここだけは一見の価値がある。
…いっそ、このシーンを中心に、30分枠くらいでやってれば名作になったのかも。
![]() | (左画像) タイムマシン 特別版 (右画像) H・G・ウェルズ/タイムマシン スティーブン・バクスター/タイム・シップ(上)、タイム・シップ(下) | ![]() |
なんか、SF小説の映画化は原作破壊が酷い気が…。
「AI」(原作・アシモフ「我はロボット」) も映画館で見たのですが、あまりの酷さに物を投げたくなりました。
一から十まで忠実に作れとは言いませんが、根っこの部分を否定するのはやめて欲しい。原作使う意味、ないじゃないか。
タイムマシンは映画の方だけ観て、「原作もこんな感じかな」と思っていました。しかし、原作とはもう別物なのですね。
今度、原作を読んでみます。
それではこれからもがんばってください。
原作「タイムマシン」は短編ですし、科学描写も少ないので取っ付きやすいとは思いますよ。
映画の方で興味をもたれたのでしたら、ぜひお勧めです。