穴にハマったアリスたち

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「えみるの決断/さようならルールー」: HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察

2023年05月29日 | ハグプリ最終回考察
原点に立ち返ってみる。


(「HUGっと!プリキュア」49話より)

私がハグプリの考察を始めたきっかけは「えみるは研究室に行けないはずだ。なのに実際には行っている。何故だ」がきっかけでした。

あの世界の正確な成り立ちは分かりません。未来は不変・歴史の改変可能・パラレルワールドのいずれなのか不明。

ですが、劇中人物である愛崎えみるの視点では、パラレルワールドは真っ先に除外される。
ルールーが「未来で待つ」と言っているからです。「別の空の下で待つ」などではない。

※パラレルワールドだと判断したとしても、基本的な思考は後述の歴史改変の場合と同じなので、以下の内容に支障はないはず。

もしも未来が不変ならば、自ら積極的に研究室には行きません。後述の問題があるので、怖くてできない。
もしかしたら研究室に行くことが正史なのかもしれませんが、未来が不変なら自由意志と関係なくいずれは行くんですから、自分から飛び込む必要がない。

歴史が改変可能なら、研究室には行けない。
何がトリガーなのか分からないので、「研究室に行く」が正解で、行かなかったら未来が変わってしまう可能性もあるにはある。
ですが研究室に行き、ルールーのことを現トラウムに話すとパラドックスが発生します。

未来から来たルールーに会ったから、えみるはルールーのことを知った。その情報を現トラウムに伝えたので、ルールーが完成した。
では、最初に「ルールー」を生み出したのは誰だろう?

パラドックスが起きたらどうなるのかは分かりませんが、歴史に大きな影響が出ると考えるのが自然でしょう。だからえみるは、積極的に研究室には行けない。
また、歴史が変わるのであれば、あの幼ルールーはえみるが知っているルールーとは別人ですから、勝手に「親友」呼ばわりするのはグロテスクだ。

※この種のパラドックスはリコさんがやらかしているので、プリキュア世界では実は経験済みなのですけど、ここでは横に置きます。

【未来を変える】
上記のように考えて「えみるは未来不変だと判断するはずだ」等を前提に、これまで考察を進めてきました。
だけど逆の可能性もあります。

仮説『えみるは未来を変えるために、あえて積極的に現トラウムに会いに行った』

動機としては未来の破綻を変えるため。
具体的にはクライアスの誕生を防ぐ。

手っ取り早いのは現トラウム達を抹殺することですが、プリキュア的にそれはNGだとして、明確で分かりやすいのは「未来の出来事を現トラウムに話す」です。
その情報を元に、現トラウムが意識的に異なる未来を目指せば、直感的には未来は変わる(変わったとえみるも確信できる)ように思える。

つまりルールーの残した「未来で待つ」とは、「自分が存在する未来を、えみるが消し去るのを待つ」。
もしえみるが決断できなければ、自力で未来を救う覚悟で2043年に戻った。そして、ルールーの想いを理解したえみるは決断してくれた。

えみるの研究室訪問により、2043年の未来は上書きされ消滅。
「ありがとう、えみる。信じて待っていましたよ」と微笑みながら、ルールーもまた消えていく…といったイメージ。
これなら「未来で待つ」発言とも矛盾しない。

※この情景は論理的には明らかに誤り。歴史が変わった時点で、過去・現在・未来の全てが上書きされるので、こんなリアルタイム進行での描写は起きえない。えみる当人の記憶も変わる。ただ理屈に拘るのをやめて、物語を優先するのも当然ありだとは思う。

※失敗をなかったことにするのはテーマに反するように思う。また、そもそも未来の破滅はクライアスのせいではない。が、そのあたりも曖昧にして避けます。

※ルールーが自ら現トラウムに会いに行き、自ら上書きを行わなかったのは、「消滅する存在から情報を知らされる」要素を省いてタイムパラドックスの影響を抑えるため。これも論理的には誤りですが、物語を優先するなら感覚的には受け入れやすいとは思う。

【やり直しの未来】
えみる本人が改変を意識していたのなら、ルールー2号機に過ぎない新ルールーとの「再会」も納得できます。

こんな状況を考えてみよう。

『未来で親友と共に戦ったが、力及ばず友は死亡。
過去に戻り、まだ幼い友と再会して、タイムパラドックスを誘発。未来は変わった。
そして幼い友に「私はあなたの親友だ」と名乗る』

この例でも戦友は別人になっているんですが、違和感は少ないように思う。
今回の仮説でのえみるの立ち位置はほぼこれと同じ。「戦ったのは未来ではなく過去」等の相違は、論理的には問題ないはず。
故に、えみるがルールー2号機を「親友」と呼んでも不自然さはない。

以上により、「愛崎えみるは、未来ルールーを抹消する決断をし、研究室を訪れた」という説を考えてみた。

自分で書いておいてなんですが、普通に「未来は不変(+歴史改変)」でも矛盾なく説明できるのだから、こんな仮説を採用せねばならない理由はないです。
ただ「歴史改変」と聞いて連想するいかにもな説(過去の登場人物の行動により、未来の人物が消えていく)も思考の幅のためには大事だと思うので、アイデアの一つとして残してみます。

●参考:HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察(一覧)
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(第17話)ひろがるスカイ!プリキュア「わたせ最高のバトン!ましろ本気のリレー 」感想

2023年05月28日 | ひろがるスカイ!プリキュア
■(第17話)ひろがるスカイ!プリキュア「わたせ最高のバトン!ましろ本気のリレー 」感想


(「ひろがるスカイ!プリキュア」第17話より)

バッタモンダーは語る。体育祭とは、強者が弱者に力を見せつける残酷なイベントだと。
驚いたことに、劇中で明確に否定はされず。それどころか、ましろさんはそれを強く実感してしまう。

驚異の運動能力を誇るソラさんがリレーの走者に選ばれました。
そしてましろさんを走者に指名した。曰く、バトンパスが重要だから。ましろさんとなら全力以上を出し切れます!

期待されたことに奮起して、ましろさんも猛特訓に励みます。
彼女のこれまでの人生でなかったほどに打ち込み、初めて体育祭もノリノリで迎えた。

しかしながら残念なことに転倒。
多分、スカイランド育ちのコーチお2人は「リレーにはカーブがある」ことを知らなかったんじゃないかな…。
特訓シーンでも、直線を走ってばかりに見える。。

それでも挫けずましろさんは立ち上がる。
ソラさんから聞いた極意「前だけを見る」を胸に、とにかく走る。
その姿に胸打たれ、ソラさんも激走。見事に逆転し、1位を取りました。

めでたしめでたし…に沸く一同。

だけど、その陰でましろさんは思い知る。

バトンを受け取ったソラが、自分を置いて、自分にはできないスピードで去っていく。
なまじ極意を垣間見ただけに、常にその領域で走っている彼女の凄さが身に染みます。

彼女は言った。バトンパスが大事だから指名したと。
でも実際はどうか。バトンのロスどころか転倒しています。それなのに勝ったではないか。
結果だけを見るなら、ましろさん以外の誰かと、多少はもたつきながらバトンパスしたとしても、普通に勝ったでしょう。

もちろんこれらは不自然に一面だけを見すぎている。
ソラさんが「ましろさんがいたから走れた」は紛れもなく事実です。
一瞬諦めかけた彼女を奮い立たせたのは、明らかにましろさんの奮闘であり、他の誰かだったら負けていてもおかしくない。
だから、ましろさんは十分に活躍している。

…とは、当人としては思えないよな、やっぱり。

「居るだけで良い」「頑張る姿に励まされた」。なるほど、それはそれで美談かもしれない。
でも対等でありたいと思ったら、これでは納得できません。

戦闘中、自身の最大の武器であり特徴である光球をスカイさんに渡す姿は切ない。
戦略としては間違っていない。できもしないことを無理にやる方が困る。
でもこれは「協力」や「繋ぐ」ではないでしょう。

喜びに沸き立つソラさんをよそに、ましろさんは一人静かに拳を握りしめる。
私には何もない。優しく後ろにいればよいだけで、それ以上のことは期待されていないのか。
今回の件で彼女は、自分の中の「負けず嫌い」の一面に気づきました。

ソラさんは悪気なく「日課のジョギング」に誘い、ましろさんも応じてはいますが、その後の「…うん」は何を想ってるのか。
現実として「走る」分野で頑張ってもソラさんには及ばないでしょうし、プリキュアとしての戦闘力も同様。

似たような戦力差に直面したルミナスさんは、潔く「逃げる」を選択し、後方支援として名を馳せました。いや、黒白と並んで肉弾戦とか、無理だから。そして結果として、支援・防御系のエキスパートとして超重要戦力になられた。

プリズムにもその素質はあるとは思うんですが、如何せん本人が方向性に迷っていらっしゃる。
「負けず嫌い」の彼女としては、食らいつく道を選ぶのか、別分野の道を選ぶのか。

しかもこの流れで、遂に4人目登場のようです。ますます、ましろさんのアイデンティや自尊心が揺さぶられてしまう。公式様はなかなかエグい真似をなされるな…。
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(第16話)ひろがるスカイ!プリキュア「えるたろう一座のおに退治」感想

2023年05月21日 | ひろがるスカイ!プリキュア
■(第16話)ひろがるスカイ!プリキュア「えるたろう一座のおに退治」感想


(「ひろがるスカイ!プリキュア」第16話より)

多大な犠牲を払いながらも、ソラシド市へと戻ってきた一同。
不幸中の幸いか、王様・王妃様の呪いを解く方法はすぐに判明しました。
ランボーグを浄化した時のキラキラパワーを集めればよいらしい。

ソラ:
「分かりました。ではバッタモンダーを生け捕りにし、ランボーグを量産させましょう」

そして始まる目を覆わんばかりの凄惨な拷問。
縛り上げたバッタモンダーを青の護衛隊やプリキュアで取り囲み、呼び出させたランボーグを蹂躙、許しをこう彼に更に召喚しろと迫り続ける…。

とはなりませんでしたが、そうなってもおかしくない不可解な状況。

今までにも奇跡のしずくとかスターカラーペンとか、「敵の持ってる何かを奪う」ための戦いはありました。
が、「集める総数が不明」「救済対象が狭い(エルちゃんにとっては重大ですが)」「奪われたものではない」などなど違いが顕著。
アンダーグの目的がいまだ不明だというのに、こっちにはアンダーグを攻め滅ぼす動機ができてしまいました。

挙句には「桃太郎」です。おそらくは日本で最も有名な英雄譚。
異界からやってきた赤ちゃんを旗頭にし、偶然出会った混成軍が、平和を乱す相手を倒して財宝を奪う話。
見事にそのまんまです。
一般市民のささやかな応援(キビダンゴ)が、一行を結びつける最大の勝因になってるあたりも含めて。

「プリキュア」コンテンツのメタファーでもありそう。
子供(エルちゃん)を励ますための虚構の物語(人形劇)に、作り手たち(ソラたち)の方が感情移入。意気込みすぎて動きが止まってしまうこともある。
そこにお子様たちの声援が飛び、再び立ち上がる…。

更には虚構(人形劇)ではない現実の脅威(ランボーグ)に、虚構を通じて沸いた勇気を出して立ち向かい、どうにか前に一歩進む。
ラストの「えるたろう」を歌いながら帰るシーンも、「プリキュア」を子供と歌う現実の私らを想起します。

「えるたろう」のラストは描かれず。そこが「ひろプリ」の着地点のはずですが、具体的にはまだ不明。
「桃太郎」は今では「鬼を倒さない」とか「鬼は悪くない」とかを初め、「漂着した欧米人が正体だ」のような真偽不明のネタもしばしば見かけ、どれをどう採用するからで解釈が変わってきます。
現時点ではここから「ひろプリ」予想は困難だと思いますけど、後から見返すと色々な発見がある回な気がする。

あとソラさんはバッタモンダーに比較的冷静に対応していらっしゃった。
前回の様子だと殺意むき出しで襲い掛かりかねなかったけど、多少は落ち着いたようです。
これも人形劇の効能かしら。何かを演じることには、自分を客観的に整理したり、気持ちを一回切り離す効果がある。
あげはさんはもしかして、そこまで見越して人形劇を提案したんだろうか…?多分、専門学校で人形劇のセラピーの側面も学んでいますよね。
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「死後の世界」: HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察

2023年05月17日 | ハグプリ最終回考察
「時間停止」と「死」は極めて近い。
また「タイムトラベル」は、量子力学や宇宙の成り立ちに関わってきます。

そういったわけで、ハグプリ考察をやっている過程で浮かんだ、死後の世界の仮説を再掲します。


(「HUGっと!プリキュア」24話より)

[1] 死んだら無になるので転生する(沼男仮説)
[Wikipediaより引用]
ある男がハイキングに出かける。道中、この男は不運にも沼のそばで、突然雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばの沼へと落ちた。なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。

この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。スワンプマンは原子レベルで、死ぬ直前の男と全く同一の構造を呈しており、見かけも全く同一である。もちろん脳の状態(落雷によって死んだ男の生前の脳の状態)も完全なるコピーであることから、記憶も知識も全く同一であるように見える。
[引用終]

この沼男と同等の状況は、現実にも起きえます。
発生確率がゼロと言ってよいほど低いので、まず見かけないだけ。

ですが確率がゼロでない以上はいつかは起きます。何億年の何億倍のそのまた何億倍の時間の果てには、いつかは起きてしまう。
元ネタである「沼男」では同一人物と呼んでよいのかが問題となっていますが、あらゆることが起こりうるのなら、まさしく同一人物のケースも起きるでしょう。

死んだら無になるのであれば、どれだけ長大な時間の断絶があろうと意識できず、一瞬です。
宇宙が終わり、また別の宇宙が始まり、その宇宙も終わり…と繰り返す永劫の時間を越えて、遂には沼男が出現し、そこに意識が接続されるなら、つまりは「転生」です。

実際には完璧なコピーでなくても意識は繋がりそうに思えます。
また、記憶が連続している必要もない。私らは昨日のことを忘れていても、それでも自我の同一性を保てています。

一瞬だけ自我が接続され、またすぐに霧散し…を無限に思える時間と回数で繰り返し(だけど当人はその長大な時間を認識しないまま)、安定したのが今の私達なのかもしれない。

[2] 多世界解釈により死ねない(量子自殺仮説)
「シュレディンガーの猫」という有名な思考実験があります。
猫を箱に閉じ込めて、「毒ガスが出る」「出ない」を完全ランダムな方法で決定する。さて、箱の中の猫はどうなっているのか?

量子力学的には、箱を開けて中を見るまでは「猫が死んだ」「猫は生きている」が確定しません。
世界は二つに分岐する(分岐している)。
中の様子を観測して初めて「猫が死んだ世界に我々はいた」「生きている世界に我々はいた」と確定できます。

では猫ではなく、自分自身の生死を完全ランダムな方法で決定したらどうなるか。
「自分が死んだ世界」は観測できないので、必ず「自分が生き残った世界」を観測するのかもしれない。

もしそうなら、如何なる死の危機に直面しようと、奇跡的な確率で生き残ることになります。
私らは主観的には死ねない。周囲が順当に亡くなっていく中、それぞれの平行世界でそれぞれたった一人になっていく。

●参考:「停止した時の果て」

[3] 時間は流れていないので、同じ人生を永遠に繰り返す(5分前仮説)
物理学でも哲学でも「時間は流れていない」が主流の解釈です。
過去・現在・未来は同時に存在している。

私たちは明らかに時間の流れを認識していますが、これは脳の補完機能のせいと推察されています。
パラパラ漫画を見て、存在しない「動き」を認識してしまうようなものか。

仮に人生がランダムに再生されたり、巻き戻ったり、飛ばされたりしても、私らはそれに気が付けません。
「今」に至るまでの記憶があり、「未来」の記憶がなければ疑う材料がない。

よって、たまたま「今」を「今」だと認識しているだけで、実際には過去や未来も同時に存在しており、たまたま「今」を見ているだけ。
死の瞬間を経験しても、次の瞬間には誕生直後や何やらを認識しているのかもしれない。全く気が付かずに。

●参考:「時間の牢獄」

[4] この世界は不自然。仮想空間である(コペルニクス原理)
コペルニクス原理という考え方があります。
私たちは特別な存在ではなく、ありふれた確率に従ってここにいる。

例えば21世紀の今は、人類史上で人口が最大です。これはラッキーで繁栄期に生きているのではなく、人口が多いんだから確率的にはこの時代に生まれるのが「当たり前」だからです。
80億の人類の一人として生まれる方が、氷河期のたった数人のホモサピエンスとして生まれるより、明らかにありふれています。だから今を生きている。

この考えに基づくなら、これから先、何万年も続く銀河帝国のようなものは出現しません。何百兆もの人類が栄える時代があるのなら、たった80億しかいない黎明期に私達が生まれたのは確率的に不自然だからです。

しかし宇宙誕生から138億年という現在は、トップバッターを走っているぐらいの黎明期に思えます。
太陽が誕生したのが50億年前、寿命も残り50億年。赤色矮星が白色矮星になり始めるのが8000億年後、別の銀河が観測不可能な果てに消えるのが2兆年後。
これだけの時間があって、なぜ今なのか。

仮に今が黎明期だとすれば、仮想空間の遊びとして選んでも不思議はないように思えます。
私らの感覚でいえば、幕末~大正時代にバカンスを楽しみに行く感じ。盛り上がりたいなら戦国時代や恐竜時代かもしれませんが、スリルと休養のバランスをとるなら今でしょう。
よって、死んだ後はゲーム機から目が覚める。

●まとめ
[1][2][4]ならば、あと100年もすれば自分の体験として真相が分かります。[3]だと永久に不明。
最も悲惨なのはおそらくは[2]。死ねないだけのまま主観が残り続けるので生き地獄です。

[1]も場合によっては苦しい。何だかよく分からない状態に意識が接続され続けると、「何もない空間で永劫の時を過ごす」かのような状態になりかねない。
ただ根性を見せて「自分はプリキュア世界に親和性があるんだ」と魂レベルで信じ抜けるのなら、そこに意識が接続される可能性が上がるかもしれない。いつかはきっとプリキュアっぽい世界も出現するはずなので。

もし[1]や[2]が真相で、茫漠の絶望の時を経験する羽目になったなら、上記のからくりを踏まえつつ、これまでの人生やプリキュアさんのこととかを思い出して頑張ろう。

【参考】
●HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察(一覧)
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(第15話)ひろがるスカイ!プリキュア「超巨大ランボーグ大爆発!?守れスカイランド!」感想

2023年05月14日 | ひろがるスカイ!プリキュア
■(第15話)ひろがるスカイ!プリキュア「超巨大ランボーグ大爆発!?守れスカイランド!」感想


(「ひろがるスカイ!プリキュア」第15話より)

ひろプリ特有さが出た非常に面白い回でした。

【ヒーローかプリキュアか】
ランボーグが襲来することおよそ10回。その全てを青の護衛隊は撃破しました。プリキュアが、ではない。青の護衛隊が撃破した。

スカイさんが参加はしていますが、扱いは隊長の剣やベリィベリーの手袋と同じ。ただのパワードスーツです。
彼女が主力というわけでもなく、護衛隊が主体です。おぉプリキュアさんが珍しく、国防兵器として普通に運用されている…。いつもは大体、国が滅びてるものな。

しかしながら後日。倒しただけでは実はダメで、浄化する必要があったと判明。浄化できるのはプリキュアだけ。

今の今まで「ヒーロー」は「プリキュア」の上位概念だと思っていたのですが、実はそうではなかったらしい。
青の護衛隊は「ヒーロー」。しかしランボーグを倒せても浄化はできない。
浄化できるのは「ヒーロー」である青の護衛隊にも所属する「プリキュア」だけ。

「プリキュア」になっただけでは「ヒーロー」ではない、は分かりやすい。
「ヒーロー」になっただけでは足りない…とはどういうことだろう?
今作の着地点にも関わってきそう。

【故郷はいずこ】
ソラさんの両親が回想に登場しました。台詞つき。

とはいえあまりにも淡白な登場です。ツバサくんが両親と再会するシーンがあるだけに際立ちます。
今までも、ツバサくんは定期的に連絡を取ってると説明が入ったのに、ソラさんは露骨に伏せるばかり。

ご両親を直接登場させると尺を取りすぎるので、構成として厳しいのは分かる。
ただそれならそれで、やりようはあります。

・「憧れの護衛隊に入れました」と手紙を書くシーン(ソラさんの心境説明も兼ねられる)
・回想の後に「そういえばご両親に連絡は?」「まだです。忙しくて…」「そうか。気持ちはわかるが、伝えられるときに伝えないと後悔するぞ」のようなやり取りを入れる(隊長との別れにも掛けられる)

そんな尺すらないのなら、いっそ回想シーンにご両親を映さなければいい。
それなのにご両親は台詞まであります。しかも台詞そのものは、さして重要にも特殊にも見えない。

「ここまで不自然に両親の話題を避けるのは、今後の展開やテーマに関連している」のか。
それとも全く逆で「深い理由はないが話の展開上ソラの両親はあまり出てこない。でも毒親だからとかではないから、勘ぐりは無用だ」を示したかったのか。

現段階ではなんとも言えないので、ドキドキしながら待ちたい。

【私が守る】
戦闘の末、隊長は生死不明の行方知れずとなりました。ソラさん大ショック。
そしてソラシド市への帰還を決意しました。

…なんで?

青の護衛隊は戦えるんですから、倒すのは護衛隊、浄化はソラさんで分担すればいい。
プリズムさんが必要な展開はあるかもしれませんが、それを言うなら護衛隊の戦力が必要なこともあるでしょう。今回の10匹もの敵の波状攻撃は、ソラシド市でだったら凌げなかったのでは。

お祖母ちゃんがスカイランドに来ても構いません。病状を直で確認する方が解決も早いはず。
ソラシド市にトンネルの操作者を残さねばならないなら、スカイランドから誰かを派遣すればいいです。

何ならましろさんがスカイランドに留学したっていいはず。ソラさんが入学できたんだから、ましろさんだって可能でしょう。
「いやラクロスの試合があるし!」のような超個人的事情もありません。

そして何より、この決断は「ましろさんを喪うのが怖い。一人で戦う」の発想に思えます。隊員や国を巻き込みたくない…。
隊長の遺言と違い、むしろ後ろに下がってしまったような?

【1ミリでも近づいたら…】
隊長を失い、心身ともに壮絶なことになってるスカイさんが、バッタモンダーに迫る。
1ミリでもエルちゃんに近づいてみろ。絶対に許さぬ。

この時のスカイさんの表情は映されていません。だけど前後の状況、特にバッタモンダーの反応から推察するに、スカイさんが放った言葉の意図は「動いたら殺す」でしょう。「倒す」ではない。殺意に目覚めておられる。

これは言うまでもなくプリキュア的にはマイナスです。すぐに思いつくところだと、ハトプリ最終決戦の例もある。殺意で戦ってはならぬ。それではあまりにも悲しすぎる。
今までにも爆砕しているケースは多々あれど、殺意をむき出しにして復讐や恨みを全面に出してのものはなかったはず。まぁ夢原さんの「絶対に許さない!」とか、美墨さんの「ほのかを返せ!」とかも似たようなものな気もしますけど、演出的にそれとこれとはやっぱり違うように思えます。

先ほどの「ソラシド市に戻る」といい、ソラさんが一回り強くなったというより、闇に落ちかけているように見えます。次回バッタモンダーに会ったとき、彼女はどう立ち向かうのか。

【普通の女の子】
ましろさんは、そのまんますぐに帰るおつもりだったようです。
間違ってない。むしろそれが普通の反応です。だって青の護衛隊がいれば戦力は十分。プリズムさんは実質的にアップドラフトシャイニング用のブースターアイテムです。

とはいえ今までずっと、オーディションをすっぽかすとか、留学を諦めるとかばっかり見てきた身としては、離脱を決意するのは物凄く新鮮です。え、それアリなんだ…。
これも何か深読みしたくなってくる。

【昔々あるところに】
次回は「桃太郎」。お供を集めて鬼を倒すお話。大げさに言うなら神話の英雄譚の一種です。

桃太郎は一人で鬼に挑むのではない。仲間を集めている。だけど村人総出で鬼を袋叩きにしたのではない。
もしかしたら「ひろプリ」の比喩みたいな展開になるのかしら。
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(第14話)ひろがるスカイ!プリキュア「スカイランドへ!憧れのあの人との再会」感想

2023年05月08日 | ひろがるスカイ!プリキュア
■(第14話)ひろがるスカイ!プリキュア「スカイランドへ!憧れのあの人との再会」感想


(「ひろがるスカイ!プリキュア」第14話より)

前回から特に波乱もなく、無事にエルちゃんを送り届けることができました。
そしてソラさんは、恩賞として王国の誇る「青の護衛団」に入団が決まりました。驚愕。

いや本当に、この展開は予想してなかった。
てっきりソラさんの言う「ヒーロー」とは市政のお助けマンだと思ってました。まさか王国の騎士団的なのに憧れていたとは。いや、憧れの人がそうなんだから、そこを目指すのが当たり前ではあるのだけど。

しかも今回のエルちゃんの一件でできたコネと実績を躊躇なく使っています。
そもそも城下町に来たのも、どうにか護衛団に入りたかったからだそうで。
ではこれまでのエルちゃんの救護は、この展開を見越しての打算もあったのか。

もちろん打算があろうが、ソラさんの行動は何ら問題ない。
彼女の根底にある「ヒーロー」像は全く間違っておらず、正しい。
命がけで戦ってきたのも紛れもない事実であり、何一つおかしくない。

のだけど、何だろう。ソラさんの人物像がだいぶ変わる。
彼女は脳筋な正義一直線ではないのです。

思えば事の発端は幼少時に「行くな」の禁忌を破ったこと。
もしや城下街に来たのも、家出や逃走のような暗い背景があったりするんでしょうか。
その上で重ねられる「正しいとは何か」であれば、色々と厄介そうです。

意外と言えば、ましろさんの反応も想像外でした。
異世界ですよ。騎士とか不思議生物がいるんですよ。それなのにあの淡白な反応…!

普通なら「未知の世界スカイランドに目を白黒させるましろさんと、得意気に案内するソラさん」みたいなので丸々1話使うところを、さくっとエルちゃんを帰して護衛団&帰宅の準備です。

新しい敵バッタモンダーは、今回の言動からは「固定観念による押しつけの庇護」が特徴のように見えます。可哀そう可哀そう、だから救ってあげるね。
これはちょっとスタプリを想起します。イマジネーションを以て創造主を超えていくことの是非。与えられた枠内で生きるのが幸せではないのか。
視点により変わる「正しさ」もこの流れか。

そのスタプリからの連想でいえば、ましろさんの反応はやはり変です。キラやばの感度が低すぎる。
第1クールと比較してみると、ソラシド市に興味を持たず、鍛錬やお手伝いに励んでいたソラさんのようなものでしょうか。

その視点でいえば、ましろさんが「学校」というソラのいない世界を持っていたように、ソラが「護衛団」というましろさんのいない世界に入り浸り始めた。
今まで当たり前だった「ソラ・ましろ」の世界が崩れてしまい、ましろさんがジェラシーだかを起こして変化があるのかも。

…ただソラさんが護衛団中心になるのは、別に悪いことではないんですよね。カップリング的な話を別にすれば。
ここで突然ましろさんも護衛団に入りたがる方が、よっぽど変です。来週はましろさんが、ベリィベリーと殴り合うんだ。

エルちゃんの件がなければ、ソラさんはおそらく入団試験に落ちている。そして落ちるたびに力を求める方向に傾倒し、歪んでいったと思われます。
「何度も入団試験に落ちた」ベリィベリーさんは、あり得たかもしれないもう一人のソラ。
そもそもそれ以前の問題で、入団試験的なものを受ける算段もなかったみたいですから、トボトボと城下街を彷徨い、裏路地で残飯を探しながら澱んでいく生活に陥ってもおかしくなかったのかも。

それを思うと、「偶然」の成り行きで今ここにいるありがたさが身に染みます。
同様にましろさんも、ここからの「偶然」で動きがあるのかもしれない。
彼女は「夢がない」的なことを悩んでおり、その根底が今回の反応の薄さ(=好奇心のなさ?)ならば、スカイランド探訪で成長しそうです。

とはいえ、現状だと「次回はそのまま帰宅」で終わってしまうのですけど。どうなるんだろう?
わざわざ描写された「バケツで売られるスカイジュエル」とかも気になります。

次回からは何気に「民間人もプリキュアの正体を知っている」レアな設定で話が進みます。
そこかしこでスタプリを連想するのですけど、クールごとに直近4シリーズを意識してるとかだったりするのかな。第1クールがトロプリ編で、第2クールがスタプリ編とか?
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「ぼくプリ」から思うプリキュアの原点:玩具を売ろう

2023年05月02日 | Dancing☆Starプリキュア(ぼくプリ)
「Dancing☆Starプリキュア(ぼくプリ)」等々の絡みで、「プリキュアとは何か」を自分なりに整理してみたところ、私としては「玩具がある」がかなり大きな要素を占めていたと気づきました。
「玩具が大事」というと幼稚な原理主義者のようにも聞こえそうですが、一度フラットに見つめなおしてみたい。

【ご覧のスポンサーの提供で】
常に言われる「プリキュアは子供向け」。では「子供向け」とは何なのかといえば、一つには「玩具を扱っている」ことでしょう。なりきり遊びが原点です。

プリキュアに憧れる。プリキュアになりたい。だから玩具を買って貰い、一時の空想と共に楽しく遊ぶ。だから「子供向け」と言われる。


(「トロピカル~ジュ!プリキュア」第1話より)

この前提があるからこそ、各種バンクでは燦然と玩具が煌めきます。
販促のために「仕方なく」登場しているとも言えますが、繰り返されることで様式美に昇華されています。
玩具がドンと出てくる。だから盛り上がる。

例えば「プリキュア5」のココが、キュアモを掲げて「プリキュア!メタモルフォーゼ!」と叫んで変身したなら、割と違和感なく「プリキュアだ」と思えるんじゃないでしょうか。
仮にキュアモが存在せず、変身アイテムなしがデフォルトだったなら、夢原さん達がキュアドリームに変身してもプリキュア感が著しく減りそうです。
玩具が全く存在しない「プリキュア」は、もはや「プリキュア」と認識できないのでは。

※2023年秋予定の「オトナプリキュア」は続編ですから、玩具が出てこなくても受け入れられると思う。

必ず玩具をクローズアップせねばならないのは、本来は物語作りにおいてかなりきつい制約ですが、制約があるが故に感動にも昇華されています。
好例は15周年映画「オールスターズメモリーズ」の「リワインドメモリー」のシーン。


(「映画HUGっと!プリキュア ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」より)

今まで頑張ってきたことが、理不尽に踏みにじられたその時。立ち上がる勇気をくれたのは、子供時代に大切にしていた「玩具」。
客観的にはガラクタに過ぎず、現実の不幸の前には無力です。それでも思い出せる。子供の頃のあのキラキラした想いを。
ガラクタを必死に握りしめ、思い出を振り返り、これまで歩んできた道のりの矜持にかけて立ち上がる。
この感動は、「玩具」があってこそです。


(「スター☆トゥインクルプリキュア」第19話より)

何かを集める系はストーリー導入の定番で、もちろん玩具にも反映されている。
私的には特に「スタプリ」のスターカラーペンが印象に残っています。劇中で宇宙を巡って探し回ったように、子供と一緒にお店を回って入手しました。
ビジネス戦略と合致してる一体感は、まさしく本領発揮と言ったところ。

「プリキュア5」のトラウマ回として有名な23話も、発端はビーズです。窮地に陥る中、交渉に使ったのもドリームコレット。
映画「鏡の国」での起死回生の一打は、ピンキーキャッチュの仕様のおかげです。


(「Yes!プリキュア5」第23話より)

玩具が最優先だからこそ、玩具が無力化される展開は殊更に胸を締め付けられます。
プリキュア(玩具)の限界を描いたハピネスチャージ、コスチュームが崩れ行く「DX2」等、これらのシーンは深刻さがまざまざと伝わってくる。


(「ハピネスチャージプリキュア!」第41話より)

逆に、そんな玩具が粗雑に扱われたら、それはそれで盛り上がります。キュアベリーの「ベリーソードは囮よ!」が語り草なのは正にこれ。支給された玩具を投げ捨てるなんて…!


(「HUGっと!プリキュア」第37話より)

このようにプリキュアは玩具と不可分であり、玩具のないプリキュアはプリキュアだと認識し難い。

では「ぼくプリ」はといえば、5月2日現在で公開されている一枚絵を見る限りでは、玩具らしきものが映っていません。
通例であれば、腰あたりにぶら下がっている不自然にデカいアイテムが見当たらない。
だから反射的に「プリキュアっぽくない」と感じたんだと思う。


(「ハートキャッチプリキュア!」第17話より)

※まほプリの2人はモフルンが変身アイテムなので未装着。フェリーチェも着用はしていない。なお、東映アニメの公式ページのトップ絵ではプレシャスブレスを強調している。
※スカイたちは通常戦闘時はアイテムをどこかに収納していますが、公式ページのトップ絵などではしっかり握りしめている。
※キュアエコーも一応はキュアデコルを使っており、映画の入場特典にもなっている。
※他、非レギュラーキュアの皆様を初め例外はあります。

上記のように例外はあるので、ぼくプリの5人も実は何か玩具要素を身に着けているのかもしれません。例えば靴が変身アイテムとか。ダンスがテーマならあってもおかしくはない気がする。
ただ5人で共通したデザインのものが見当たらず、現時点では「それらしきものがない」が、公平な感想だと思う。

改めてハグプリのアンリくんを思い出してみよう。
彼は変身アイテムを使わずにキュアアンフィニになりましたが、もし変身アイテムがあったなら?
「ハート!キラッと!」から始まって変身していたら、プリキュアらしさが劇的に上がりませんか?
キュアウィングが、いざ始まってみたら意外に違和感がなかったのも、これが一因に思えます。

故に「ぼくプリ」が受け入れられるかどうかは、かなり真面目に「玩具の有無」が重要になると思います。
適当な思い付きで言いますと、特製パスケースとかペンライトで変身するならグッズとして展開もしやすいのでは。

あるいは、なぜかビーズメーカーやドレッサーを使いだし、かつそれを物販においてくれたら、一気にプリキュアらしさが出ると思う。
場面転換の暗転時にCMが流れるとか、OP映像(があるかもわかりませんが)の最後に提供スポンサーが出るのでも良いかも。
とにかく何かこういった、「我々は玩具を売るんだ」という想いをぶつけられたら、「なるほど、プリキュアだ」と認識しやすくなるはず。

もちろん玩具を売ってる番組は他にも数多ありますから、これが唯一絶対の条件ではないです。
それは分かった上で、それでも私としては「性別が男か女か」よりもデカいファクターではないかとすら思えます。

正直に言って「ぼくプリ」には懐疑的な立場です。とはいえ「プリキュア」に失敗作はあって欲しくない。「なんだこりゃ。やっぱプリキュアじゃないよ」で終わるより、「いざ見たら、なるほどこれはプリキュアだ」と称賛できる方がいい。
なので玩具については力説して期待したい。
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