穴にハマったアリスたち

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感想:人魚の動物民俗誌(吉岡郁夫)

2021年07月03日 | 小説・本
■感想:人魚の動物民俗誌(吉岡郁夫)


人魚の動物民俗誌

日本の人魚についてのご本。身近な日本のことなのに、色々と新発見でした。

【人魚の正体】

日本での人魚目撃談は、日本海側に妙に多く、太平洋側は少ない。また本州北端の陸奥に多く、一方で陸奥から伊勢までは目撃談がない空白地帯が多いとのこと。
これらの出現分布や、各目撃談で語られる特徴から、アシカ・アザラシ・リュウグウノツカイ等の可能性が高いらしい。

アシカやアザラシはいかにもとして、リュウグウノツカイも確かに人魚に似ています。「下半身の魚部分が長く、髪が赤い」描写をされている人魚は、ほぼほぼリュウグウノツカイが疑わしいそう。
意外だったのはオオサンショウウオ。日本(元ネタである中国)では人魚はもともと淡水産で、オオサンショウウオだったと思われるそう。言われてみれば人間っぽい顔の妖怪に見えなくもない。

人魚の正体として定番のジュゴンは、生息地の都合から日本ではマイナーのようです。極言するなら「人魚=ジュゴンはデマだ」と言ってすらいいのかもしれない。

[引用]
『高島春雄は、戦時中に出た少年向きの本で、日本人がジュゴンを知る以前から人魚の伝説があるので、ジュゴンを人魚の正体とするのは誤りで、間違った知識を広めるものだと批判している』
[引用終]

ジュゴンは沖縄や、場合によっては瀬戸内海付近でも目撃はされるそうなので、人魚と誤認されたケースもありそうとのことですが、メインとは考えづらいようです。

先日読んだ「人魚の文化史」(感想)で紹介されていた西洋での歴史と比べると、日本は「実際に発見した」「そして食った」のようなエピソードが多い印象でした。アシカやアザラシなら普通に近海にいますから、確かに「変わった動物」の位置づけでも変ではなさそう。
逆に言えば、具体的に元ネタとなる動物に乏しい西洋で、よく人魚が広まったなとも思う。教会の影響力、すごいな(布教の過程で広まったそうです)。

なおアザラシは美味く、アシカは不味いそうです。
「人魚の肉は美味」と伝わっていますので、正体はアザラシが多かったのではとも。

【人魚伝説】

不可解なことに、人魚伝説と人魚が目撃された地域とは、必ずしもは一致しないそうです。日本における人魚伝説といえば若狭の八百比丘尼さん。もうこれ1本が全国で形を変えて語られているとのこと。こうもガッチリと伝わってるからには、何らかの元ネタとなった人物が実在してるんじゃなかろうか。

江戸時代には「人魚の絵を飾ると伝染病除けになる」伝承も流行ったそうです。2020年のコロナで話題になった熊本の妖怪・アマビエですね。ただ「アマビエが江戸でも広まっていた」のではなさそう。
この本は1998年出版で、アマビエへの直接の言及はなし。私の想像になりますが、アマビエ自体は熊本には伝承はなく、江戸の瓦版にのみ登場するようなので「人魚の絵を飾るお呪いがあり、それの派生形の一つとしてアマビエが創作された」のように思えます。

では何で人魚の絵が病除けになるかといえば、人魚の骨には薬効があるとされていたから。でも人魚の骨は高かった。

[引用]
『南方によると、ナヴァレッテの『支那志』(1660)に、ナンホアンの海に人魚があり、その骨を数珠にすると邪気を避ける、といって非常に貴ぶとある。このような西洋や中国の考え方が移入され、それから転じて疫病除けとなったのだろう。だが、人魚の骨は庶民の手のとどくものではなかったので、庶民は人魚の絵で我慢していた。これこそ、まさに"絵に描いた餅"ならぬ"絵に描いた骨"であろう』
[引用終]

「アマビエはペスト医師の姿を模したのでは」のような説も見かけましたが、発端としては「人魚の骨は薬になる」「でも高い」「絵でも効果があるよ!」からの「私の絵を広めなさい」と思われ、商魂たくましい商売人の想いや、庶民の願望が伝説化したように思えます。

【感想】

西洋視点の「人魚の文化史」と違い、当然ながら日本のことに詳しく、独自の背景が面白かったです。
目撃談の具体的な正体とか、出版当時はこんなに有名になるとは思いもしなかったであろう「人魚の絵」だとか。
諸々落ち着いたら、また若狭に行ってみたくなってきました。

なお、後半には「キリンと麒麟」等、伝説の生き物の解説も掲載されています。キリンが元ネタで麒麟が生まれた…と勝手に思ってたのですけど、完全に別物で、むしろキリンを麒麟だと紹介された中国皇帝は怒ったらしい。

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感想:人魚の文化史(ヴォーン・スクリブナー)

2021年06月26日 | 小説・本
■感想:人魚の文化史(ヴォーン・スクリブナー)


[図説]人魚の文化史 神話・科学・マーメイド伝説 [ ヴォーン・スクリブナー ]

以前から人魚には興味はあったものの、ちゃんと本を読んだのはこれが初。今までの無知を恥じ入るばかり。とても面白かった。
カラーの図版・写真が約120点。しかも1枚1枚が、引用して語りたくなるような興味深い物ばかり。
先行研究はもちろんのこと書籍・建造物・新聞・神話・体験談等々も大量に紹介され、人類の人魚に対する熱意をこれでもかと感じられます。

 序文
 第1章:中世の怪物
 第2章:新たな世界、新たな不思議
 第3章:啓蒙時代の試み
 第4章:フリークショーとファンタジー
 第5章:現代のマーメイド
 第6章:世界の海へ
 終わりに

年代順に「マーメイド」がどう扱われてきたのかを見ていく構成で、なるほど「マーメイド」がどうしてこう魅力的なのかがよく分かる。
「ジュゴンを見間違えた」や「アンデルセンの人魚姫で広がった」ぐらいにしか思っていなかったのですが、現代マーメイドの直接の系譜は、中世の教会でマーメイドが使われたことだそう。


(41頁から引用)

画像は、両足をつかみ大きく股を広げた人魚の像。どちらも教会建築から。
「それは人魚なのか?」と疑問もわきますが、発端は「誘惑してくる怪物」であり、異常性と性的アピールの結果としてこうなったらしい。このデザインはスターバックスのロゴでも使われているほどで、人魚としてはむしろ伝統的で正統派といえます。

教会の教えとして使われた結果、当時の人々に人魚の実在が自然と受け入れられ、そのような下地があるから目撃談も出る。探し回りもする。
紹介されている図版や資料を見ると、つくづく多種多様な人魚で溢れかえっています。「ジュゴンの見間違え」の一言で片づけられることじゃなかった。

筆者は繰り返し「人魚はハイブリッド性ゆえに人々を惹きつけてきた」「人魚について考えることは、人間について考えることだ」と述べています。
読み始めこそ、「サカナと人間の組み合わせなんだからハイブリッドなのは当たり前だろう」とか「何を大げさな」とも思ったのですが、読み進める内に確かにと納得。

不可解なことに「マーメイド」は見た目ももちろんのこと、色々な面で矛盾を両立させています。
上述の通り当初から淫靡さを属性として持っているのに、なぜか真逆の清楚さや純真さも連想する。
無知な生き物として描かれることもあれば、予言やら知恵やらを授ける存在だったりもする。
肉体的にも非力なのか、強靭なのかよく分からない。
矛盾したイメージが、扱いたいテーマや場面によって使い分けられてしまう。

適切な例えか分かりませんが、現代日本のフィクション世界における「女子高生」が近いかもしれない。「子供・大人」「制約・自由」「無知・学徒」等々、矛盾するイメージをコンテンツにより使い分けられる。ありとあらゆるテーマで「主人公が女子高生」モノがあるように、同様のことが「マーメイド」にも言えるのかもしれない。

当然ながら、我々ひとりひとりの人間は、何か一つの属性に収まるものではない。各人が様々なハイブリッド性を持つし、集団になれば個々に特性も違う。
また特定の誰かに対し、決まりきった一つの見方をするのではなく、複数の矛盾した見方がありうる。
それらの矛盾を象徴的に表した先が「マーメイド」であり、「マーメイド」を通じて人間像が確かに見える気がします。

マーメイドと人類の付き合い方も面白い。

元々「教会も人魚の存在を認めている」ことから広がったのに、後の世では「人魚は聖書に描かれていない。だからいない」に転じたとか。

体系的な学術研究が始まった時代、「信頼のおける人物からの証言が多数ある」ことから、人魚の実在は「科学的に」証明されていた。当時の研究者は無知蒙昧なので信じたのではなく、ちゃんと「科学的な」プロセスで認めています。それが今では逆転している(反証と訂正は科学の基本なので、「悪い」ことではない)。

19世紀には人魚のミイラの展示などで大盛り上がりしたものの、「ミイラが偽物」と発覚した途端、急速にしぼみ実在説は一掃。「そのミイラが偽物だった」ことと「人魚がいない」ことに直接の関連はないのに。一般民衆の興味関心的には、むしろ理知的でない経緯で実在が否定されてしまった。
ところがそれはそれとして、急減した人魚熱は急上昇し(引用:「十九世紀の西洋人の様子をマーメイドとトリトンに夢中と形容するなら、二十世紀の人々は完全に取り憑かれているといっていい状態だった」)、映画や広告などで盛んに扱われたそう。フィクションならフィクションとして楽しめばよい。スターバックスのロゴもこの流れです。

「地上に人間がいるように、海にも知的生物がいるはずだ」という素朴な発想も、人魚の存在を後押ししたらしい。言われてみれば、いない方が変とも思えます(実際にはイルカやクジラやジュゴンがそれに相当するのでしょうけれど)。
そしてこれは言い換えると、「なぜ地上に人間はいるのか」や「他の動物と人間の違いは何か」にもつながる。

「尾びれがぴちぴちして可愛いから」ぐらいの入り口から入ったのに、想像もしない深い世界だった。何でこんなサカナに興味関心がわくのか自分でも分からなかったんですが、「夢中にならない方がおかしい」とすら思えてきました。
とても勉強になる本でした。人魚が好きなら必読だとお勧めしたい。

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感想:「瞬間の記憶力 競技かるたクイーンのメンタル術 - 楠木早紀」

2013年05月07日 | 小説・本
■瞬間の記憶力 競技かるたクイーンのメンタル術 - 楠木早紀

前回のプリキュアさんの競技かるたに影響されて、買ってみました。
現役の競技かるたクイーンの楠木さんのご本。勢いで購入しましたが、なかなかに面白かったです。
あと、勢いで番組終了後に注文して、翌日には届くAmazonさん凄い。

内容は、競技かるたの説明から、女流王者・クイーンにいかにしてなったか。
噂の「ちはやふる」は未見なもので、競技かるた自体が、まず新鮮でした。
そして史上最年少でクイーンになり、現在まで9連覇中の楠木さんの考え方や姿勢が興味深い。

楠木さんを指導したのは、競技かるた素人のお父さん。
だからなのか、その発想は長年の伝統やセオリーとはかなり違うところにあった様。
「歌の意味や好き嫌いは(競技中は)考えない、作らない」「相手をどうこうする戦術ではなく、自分がどうしたいか」等々。
フォームをビデオ撮影して矯正したり、「とどのつまり全ての札を払い尽くして完勝すれば駆け引きも糞もない」という発想は、乱暴なようでいて筋が通ってる。

文章の感じから、おそらく楠木さん自身は意識されていない様子ですが、相当にロジカルで現代風な発想で取り組まれてる印象を受けました。
(この書き方は物凄く偉そうですが…。楠木さんは、競技かるたおよび百人一首や伝統への敬意と愛情に満ちた表現をされているので、ロジックよりもそちらを重視されてる印象です。ただ、失礼ながら私はそちら方面に無知なもので、その視点から見ると恐ろしく理にかなってるというか、なるほどそれは強いわけだと納得する面が多かったのです)

Amazonさんの感想等を見ると、「記憶術のハウツー本を期待するとちょっと違う」といったものが目立ちます。
ですが、日常に応用可能な、現実的なテクニックがかなり見られます。
例えば、「札の場所を映像として認識している」という箇所。

普段あまり意識しないかもしれませんが、文章で認識するのと、映像や音声で認識するのはかなり違う。
身近なところでいえば、音声ならば「歌詞を文章で思い出すのは困難でも、唄えば思い出す」とか、実感として分かると思う。
速読術も多分この理屈を使ってるんだと思います。文字を見て心の中で読み上げて認識するのではなく、文字は文字として認識した方が速度が上がります。
(例えば「わたし」という単語に対し、「わ・た・し」と心の中で読むよりも、「わたし」という図形として認識した方が早い)
「英語は英語として理解する方が(いちいち日本語に翻訳するよりも)早い」というのも同様。

これを突き詰めていくと、異常なまでの処理速度や反射が実現します。

著書の中で「最高に集中しているときは、読み上げが行われるよりも早く、取るべき札が分かる」とあります。
まさしく驚異の世界。「一字決まり」どころか「0字決まり」。
「読まれた札をとる」という基本ルールすら超越です。こんなことされたら、もはや為す術がないですよ。
本文中に「クイーン決定戦で、挑戦者がにやりと笑った事があった」「なぜ笑ったか後で聞いところ『クイーンがあまりに早くて思わず笑った』」とのエピソードがあります。
挑戦者の絶望と称賛が伝わってきます。

クイーンはこの事に関して「読み上げの前の呼吸が、発生する文字に応じて微妙に違うから分かる」と書かれています。
これは紛れもない事実だと思う。
ただ同時に、通常の聴覚認識とは違う部位で動けている結果ではないかとも思う。

現実的には、音を認識するには、どうしてもタイムラグがある。
私らが認識している「世界」は、実際には零コンマ前の世界。
音が発生して、空気中を振動して、鼓膜を震わせて、その動きを脳に伝え、意識下で認識するまで、どうしたって誤差がある。
もしも「空気の震え」を肌で認識したりできれば、脳に伝わりそれを処理するのにかかるタイムラグをスキップできます。
つまり「音が聞こえる(認識する)よりも早く反応する」ことは物理的に可能なはず。

私自身も似た体験はあります。(念のため書くと、クイーンの体験と私の体験では天と地ほどの差があるはず。私のMAXに集中した状態でも、クイーンの足元にも及ばないと思う)
いわゆる走馬燈が見えたことは2回、「見るよりも早く(先読みではなく確認した上の反射で)反応した」ことが1回。
後者については受験の「国語」の時。問題文を読むよりも早く答えが完璧に分かりました。(そして半端に考えて回答してしまった1問を除き、全て正解した)

楠木さんが実践されている記憶力やテクニック等は、非常に理解できます。
目的や手段に関する考え方や、「一つのことに集中するよりも、いろいろやった方が伸びる」とか、視覚化して対処せよとか。
「プリキュア」さんのテーマにも沿ってます。前回の話は、この本が下敷きになってるんじゃないかと思うくらい。

文章は、さすがに物書きが本職ではないのでかなり平易ですが、そのおかげでとても読みやすかったです。
さくっと読めて、得られるものはかなり多い。
さりげなく「練習室は畳が歪み、ふすまが破けている」とか「指を骨折・脱臼する」とか「近寄るとやられるような殺気をまとってた」とか「払った札の飛んでいく速度で調子を測る」とか、恐ろしいことが書いてあったりするところも含めて、大変に面白かったです。


(左画像)
瞬間の記憶力 (PHP新書)

(右画像)
勝ち続ける意志力 (小学館101新書)


リンク先の右側は、最近読んで面白かった本。
格闘ゲームの神こと「世界のウメハラ」の著書です。
競技かるたと格闘ゲーム、全然違う分野ですし、使ってる表現や悩み事も違うのに、至った結論やプロセスはかなり近かった。
「収斂進化」という表現は不適切かもしれないけど、なんかそういう共通点を感じ取りました。
ていうか、あの人たちは凄い。

【蛇足】

「映像として認識する」は、睡眠にも役立つスキルだと思ってる。

眠る際の定番の「羊を数える」は、かえって目が覚めると言われてます。
そうなってしまうのは、1匹2匹と数え上げているからだと思う。
要は文字として認識している。

そうではなく、映像として羊の数を数え始めれば、割とすっきりと眠れるはず。
(例えば、5枚の硬貨を並べられた時、「1、2、3…」と数えるのではなく、映像として「5」と認識するはず。それと同じやり方で順に数える)
詳しい理屈はよく分かりませんが、実体験としてなぜかそうなる。

考え事をし始めると眠れなくなるのも同様。
文字として整然と考えてると眠れない。
非文字で考えてると、むしろ眠れる。

同現象は歌でもいいです。
歌の歌詞を思い出しつつ頭の中で再生すると目がさえますが、映像やなんちゃって音声で再生すると寝ます。
個人的なことになりますが、私の体験で言うと「フルスロットルGoGo」をOP映像で再生すると、なんか知らんが眠りに落ちる。
不眠に悩む人はお試しください。
(注意点は、音声や映像として再生する点。決して文字ではなく)

【蛇足2】

プリキュアさんのせいで、競技かるたに触れてしまった。
先日はアプリ目当てに、長年のガラケーからスマホに乗り換えました。
私生活が浸食されていく。恐ろしい人たちだ、ほんとに。
ここ数年の私の人生は、彼女たちに支配されてると思う。

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感想:七時間目の怪談授業 (講談社青い鳥文庫)

2011年06月13日 | 小説・本
出来心で読んでみたら、思っていた以上に楽しかった。

七時間目の怪談授業 (講談社青い鳥文庫)

小学5年生の羽田野さんは、携帯電話を買って貰いました。
ハイカラです。
ちょっと得意気な彼女の元に、今日も今日とてメールが舞い込みました。

『これは死んでしまったサッちゃんに千人の友達を作るためのメールです』
『このメールを9日間以内に3人の友達に送らないと、あなたは不幸になります』

羽田野さん:
 「ッ!!」

なんたる嫌がらせ!
しかしそこは女児小学生様。
怯えながらも、生贄を探すしかありません。

そして怯えすぎた結果、先生に携帯電話の存在がバレました。

先生:
 「学校には携帯は持ってこない約束でしょ?」
 「これは没収です。1ヶ月したら返してあげます」

羽田野さん:
 「ッ!!」

1ヶ月も取りあげられたら、期限内にメールの転送が出来ない!
むーむーと呻く羽田野さん。しかしながら先生は厳しいのです。
た、助けて!私の人生、詰んだ!?

そんな羽田野さんに、先生は一つの賭けを持ちだします。
私は心霊現象なんて信じない。
でも皆さんが怖い話をして、私に「幽霊って怖い」と思わせることが出来たら信じよう。携帯電話も返してあげよう。

こうして始まる女児小学生VS学校教師の怪談。そんなお話。


とりあえず、設定が良いですね。無駄に熱い。
そして展開も熱い。
小学生どもは懸命に怖い話を繰り出します。しかしながら、トリックが分かってしまえば怖くなど無い。

1日目:「私は霊感があってオーブとか霊とか死期とか見える」系。
 ⇒まず「主観」と「客観」の違いを知りましょう。あと眼鏡を買いましょう。

2日目:「お経の効かない幽霊」
 ⇒幽霊と一言で言っても、キリスト教徒も居れば仏教徒も居る。そもそも日本語が通じる根拠もない。「固定観念」に捕らわれないようにしよう。

3日目:「動く人形」系
 ⇒むしろ動いてくれたら、ファンタジーとして嬉しい。

4日目:「そこは昔、戦争で多くの人がなくなっていて…」系
 ⇒幽霊云々以前に、僅か数十年前に、戦争で殺し合っていた現実が怖い。怪談で語られるような辛い状況を、実際に生き抜いた人たちがいる。平和の大切さを忘れないようにしよう。

全て正論すぎる。大人気ないくらいに。
だけど。確かに大人気ないのだけど、大事なことです。
先生の話を聞いた主人公らが、確かにそうだと見方を変えていくのが心地よい。

端々の小ネタも効いてます。
「怖い話を探している」と質問された図書室の司書さんが、即答で「牛の首」を持ちだすとか。(しかもほとんど解説がない)
有名な都市伝説へのオマージュも良い味出してます。この本の本来の読者層が、どの程度ついてこれてるのかは疑問ですが。

怖い話というのは、ある程度フォーマットが決まっています。
わざわざ解説するのも無粋ですが、羽田野さん達はちゃんとそれを学んでいく。
何せ2日目の時点で「実話を探すよりも、作った方が早い」と気付くとか、学習能力が高すぎる。

追い詰められた羽田野さんは、苦し紛れに考えます。
「そうだ。本物の心霊写真を撮ろう。その写真を元に怖い話を作れば、先生も怯えてくれるはず」。
そこで幽霊が出ると噂の廃病院に忍び込むことに。もはや発想が訳分からない。そして羽田野さんは悟ります。

羽田野さん:
 「なんか、幽霊が出るって噂の場所を散々、歩きまわって、しかも泣くほどこわい目にあって」
 「怪我までした後では、呪いのメールなんて、もうそんなにこわく感じなくなってるよ…」

なんてことでしょう。
あんなに純粋だった羽田野さんが、怪談を集めまくる内にすっかり薄汚れてしまった。
人はこうして強くなる。

ちなみに羽田野さんの言っている怪我とは、廃病院の割れたガラスを踏んで負ったものです。
それは幽霊よりもずっと怖い…!
リアルに感染症の疑いがあるので、早く病院に行ってください。

こうして迎えた最終日。
羽田野さんが切り札として出したのは、「あなた(先生)のせいで、大切な人が不幸になる」系の話。
選択は正しい。
それが最も人を恐怖に陥れる。
だけどそれは下衆のやり口だ。

先生は「確かに怖かった」と認め、携帯電話を返却してくれます。とても悲しそうに。
首尾よく取り返した羽田野さんも、自分の仕掛けたトリックを理解し、とても悲しむ。
幽霊が怖いんじゃない。
そんなことよりも、大切な誰かが失われることが怖い。
それは幽霊に限らず、事故や病気や喧嘩でもそうだ。

先生:
 「もしも幽霊がいるのなら」
 「幽霊でもいい…。もう一度あの子に会いたい」
 「ずっとそう思っていた」
 「でも、幽霊なんて現れなかった」

怪談よりもずっと悲しい現実。
「幽霊の存在は、むしろ救いである」と述べる登場人物たちの言葉には、納得せざるを得ない。
だけど残念ながら…。だから現実に向き合わないといけない。

お子様向けなれど、やたらにしっかりしたお話でした。
扱われている怪談は、子供向け小説ということで多少マイルドにはされていますが、内容自体は定番中の定番。
それを身も蓋もなく論破していく先生や、数々の小ネタがちょっと愉快。
そこからラストへの展開もとても綺麗だった。
某サイトで推薦されてたのにも納得。確かにこれは、最初の教育に良い本だと思った。


(左画像)
七時間目の怪談授業 (講談社青い鳥文庫)

(右画像)
七時間目の占い入門 (講談社青い鳥文庫)


作者あとがきから。

「で、ある日、次はどんな話を書こうかな、と思って、司書をしている友達に「小学生ってどういう本をよく読んでんのー?」と聞きました」
「すると、友達は「そうやなあ、怪談とか人気あるね。」と答えました」
「そこで、私は(そうか、怪談を書いたら、本がたくさん売れるかもしれない)と考えたのでした」

それを堂々と書いてしまう作者が怖い。

【蛇足1】

そんな作者さんだからなのか。
本当に子供をターゲットにしてるのか謎なところもちらほらと。
漢字にルビが振ってあるような本なのに、

羽田野さん:
 「怖い話を知りませんか?」
塾の講師:
 「まんじゅうと茶と金と美女」
羽田野さん:
 「???」

とか何かがおかしい。(なおオチの解説は無い)

【蛇足2】

怖いかどうかは見方の問題…というのはよくある。
例を挙げると、定番の怪談の「山で遭難した4人が、眠らないように小屋の四隅で走る」話、あれは個人的には美談だと思う。
(元ネタはヨーロッパの降霊術だそうですけど)

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感想:謎解き古代文明(ASIOS)

2011年05月06日 | 小説・本
正式には本日発売(だったと思う)ですが、一部店頭での先行発売分を買ってみた。

謎解き古代文明(ASIOS)

以前に書いた陰謀論と同じチームによる「オーパーツ」本。
私が10代の頃「神々の指紋」という本がブームになったことがありました。
当時あの本を読んだ人で、ネタバレを知らない方がいたら是非にお勧めしたい。

「ピラミッドの暗号」「アトランティス」「ムー」「レイライン」「ノアの方舟」、
「銃創の空いた古代人の頭蓋骨」「三葉虫を踏んだサンダルの化石」「カブレラストーン」等々の有名どころから、
「アダムの橋」や「タッシリナジュールの宇宙人」「南アフリカの金属球」等のマイナー(?)どころまで。

『「オーパーツ」(その時代には存在できないはずの高度な技術で作られた遺物)が存在した!』
『我々の知らない高度な文明が存在していたのだ!』
『あるいは、宇宙人が太古の地球に来ており、古代人は彼らと接触していたのだ!』

…というよくある話を、「それは実際のところどうなのか?」と調査し報告した本です。

本の中でも強調して書かれているので、私も繰り返してみますが、「最初から『そんなものは在り得ない』と決めつけてかかることはしない」というのが著者たちのスタンス。
オーパーツが認められないのは、頭の固い人たちが一方的に否定しているからじゃない。
調査した結果、あまりにしょうもなくて却下されているだけだ。というのがよく分かります。

多くの「オーパーツ」はこれらのパターン。

 ・語られる「伝説」や「証言」がそもそも嘘や事実誤認
 ・「証拠」や「出典」が、言い出した人の頭の中にしかなく実在を確認できない
 ・既に否定されているのに(例えば、証言者が「嘘でした」と暴露したりとか)、「真相は謎だ」と言い張る
 ・対象の力量を不当に下に見る(古代人にこのような技術があるはずがない等)
 ・学者は頭が固いので、新事実を受け入れようとしない、と陰謀論を張る
 ・証明の責任を転嫁する

議論のスタート地点にすら立てずに脱落しているものばかり。

「人間はそこまで馬鹿なのか?」とある種の悲喜劇を見るようです。
同時に、きっちりその「嘘」を暴き立てているのだから、やっぱりホモサピエンスは素晴らしいのだと思う。
下手なミステリよりも、よほどロマンがあります。

よく「たとえ嘘でも面白ければいいじゃないか」という意見も見ますが、それはあくまで「フィクションだ」とはっきり分かる場合のみ。
まがりなりにもノンフィクションの体裁をとってる本なら、真偽はとても重要だし、嘘より真実の方にロマンがある。
「定説を疑うことは重要だ」という意見も同様。もちろんそれは大事だけど、嘘をついていい理由にはならない。
誤った論の組み立て方(というか嘘や捏造)を覚えてしまうことは、むしろ害悪。
これらの勘違いにつけこんで、悪意ある捏造が蔓延していきます。

ところで、一番最後の「証明責任の転嫁」は、非常に大事かつ危険だと思うので、一部引用してみる。

[引用]
 またこの「サンダル化石もどき」について、「人間のサンダル履きの足形ではないと明確に、かつ科学的に証明した科学者はまだいない」などと、開き直って書いている本があるが、話は逆で、「人間のサンダル履きの足形だと明確に、かつ科学的に証明する」のが先だろう。それが証明されない限り、「サンダルかも~」などというあやふやな主張に付き合ってくれる科学者がいなくても、当然だろう。
[引用終]

[引用]
 (「コスタリカの巨大石球群は~の製法で人手でも作成できる」という説明に続けて)
 以上述べてきた製法や運搬法は推定にすぎない、という反論も一応可能だ。しかし、ここで重要なのは、製法や運搬法に関する「謎」は、わざわざ宇宙人や未知の文明を持ち出さずとも説明できてしまう、ということである。
[引用終]

「超能力」や「宇宙人の介在」を否定する時には、「正真正銘、使われた本物の『トリック』」を指摘する必要はありません。
超常現象を持ちださずとも、既存の手法で再現できることを示せばいい。
実際にその手法が使われたかどうかは、ここでは関係ありません。
「超常現象を想定しなくても、既存の手法で再現できる。例えばこれだ」とだけ示せば、「既存の技術や常識を越えている!→宇宙人だ。超古代文明だ!」という論法は破綻します。
だって出来るんだから、既知の方法で。「既知では無理だから未知の超技術」という最大の根拠を失ってる。

ここを履き違えると、とんでもないことになりかねない。
J・P・ホーガンのSF小説「造物主の選択」は、このミスが物語のキーポイントになっています。
証明の責任がどこにあり、反論として必要なのは何なのか、それへの再反論は何をすべきなのか。日常的に意識しておく必要があると思ってる。

また、ちゃんと参考文献を提示している点が(当たり前のこととはいえ)好感。
ちなみに以前「陰謀論」の本を出版した後、「参考文献にwikiが含まれているのはおかしい」との指摘がご本人ブログに寄せられていました。
確かにそれはその通りだと思う。

そして返答として「入門用のまとめサイトとしては有用なので紹介した」「wikiの記載を鵜呑みにするのではなく、そこから出典を遡って確認している」「重版の際にはその注釈をつける」が出されていました。
今回の本では、きっちりその旨が「まえがき」に記載されている。
些細かもしれませんが、間違いは間違いと認め、それを隠すのでも無視するのでもなく訂正する、というのは非常に重要。「絶対に間違えない」ことよりも重要なくらい。


この本では、否定されていくオーパーツが多い中(頭が固いからではなく、根拠が薄弱だから)、確かに高度な技術が使われている本物だと認められ、定説が覆ったケースも載せられています。
学者は頭ごなしには否定しないし、定説に反していても、正しいものは正しいと認められる。
それがよく分かるエピソードだと思う。
(このことをどれだけ説明し、検証や根拠を並べても「どうせ頭ごなしに否定しているだけだ」と言い張る人は後を絶たないので、何やら悲しくなってきますが。
証明責任の転嫁といい「その論法は成り立たない」と指摘されていることを、完全に無視して延々と続ける原動力は何なのだろう?)


何はともあれ、冒頭にも書いた通り「神々の指紋」を読み、ネタの正体を知っていないといった方には、このサークルの一連の本はお勧めです。


(左画像)
謎解き古代文明

(右画像)
謎解き 超常現象


【蛇足】

読むまでちょっと認識できてなかったこと。

「三葉虫を踏んだサンダルの化石」は、進化論を否定する人たちに強く支持されています。
(恐竜時代以前にも人類は存在した。これは神によって全ての動物が同じ時に作られたからで、進化論は誤りだ、という理屈)
それは知っていましたが、「銃創の空いた古代人の頭蓋骨」や「ハンマーの化石」等も、進化論否定の側面があるそうです。

※創造論
 「世界は神によって作られた」という聖書の記述に忠実に従った論。
 進化論は嘘であり、地球の歴史が数十億年というのも嘘。
 世界が誕生したのは(そして人類および全ての生物が誕生したのは)今から6,000年前と主張している。
 なおアメリカでは、「創造論は科学的根拠に基づいているので、公立校の理科の時間に、進化論と両論併記して教えるべきだ」との主張が無視できない割合で存在しています。
 もちろん科学的根拠とやらは、非常にお粗末なのですけれど。

創造論の立場としては、化石の存在は非常に困る。
彼らの主張では「恐竜等の化石は、ノアの方舟に乗れなかった生き物の死骸だ」と説明されていますが、これは現在の知識と反します。
第一の理由として、化石が生成されるには長い時間がかかるので、世界誕生から6,000年しか経過していない創造論の主張は矛盾してしまう。

そこで前述の「銃創の空いた古代人の頭蓋骨」。
つまり「銃で撃たれたネアンデルタール人の化石が見つかった→古代に超文明が存在した!」ではなく、
「銃で撃たれたネアンデルタール人の化石が見つかった→銃創があるのだから、ごく最近のものだ。そして短時間で化石はできることが証明された」という理屈。
何か色んなことがあべこべになってる感じがして面白いです。
本気でこれを信じて、学校教育に圧力をかけている集団がかなりの数存在すると思うと、怖いことですけれど。

他のオーパーツにも、裏の思惑があったりするのが何ともいえない。
有名な「ムー大陸」も、白人優越主義が背景にある。
(ムーの支配者は白人で、太古に太平洋沿岸を支配していたことになってる。この説では日本人にも白人の血が流れており、したがって日露戦争でロシアが日本に負けても、白人が黄色人種に負けたわけではないと続く)

もちろんキリスト教や西洋人だけがオカシナことをするのではなく、日本だって同様。
「古代日本人こそが祖である」といったトンデモは意外と多い。
こういっては何ですが、昨今の放射能に関するデマも科学的根拠よりも思想に左右されてる部分が大きいように思う。
自分の望む答えが出るまでは納得しない(提示された説明よりも、自分の好みを優先する)という意味では、先日の「ガンツ」の感想に書いたこととも同じ。
この手の話を聞く時は、主張している人の思想を知ることも大事だと思いました。

(念のために書くと、宗教が悪というわけでもない。私はむしろキリスト教は大好きです。
ただ宗教が「科学にも裏打ちされている」と言い出したら問題。
無理に例えるなら、サッカー選手が「我々は野球のルールに則ってる」と言い張るようなもの。
サッカーと野球に優劣はないけれど、サッカーが「野球のルール通りにやっている」と言い出したら、「ちょっと待て」となる。
野球だというのなら、野球のルールに従ってもらう。どちらが強いか(議論して正しいか)は、最低限ルールをクリアしてからの話。

なおローマ法王はこの「宗教と科学は土俵が違うのであって、優劣はない」「キリスト教的には創造論が正しいが、科学的には進化論を支持して構わない」という考えをしています。さすが指導者になられる方は分かっておられる)

【蛇足2】

陰謀論の本でも書かれていたけれど、最近「○○はオーパーツだ!」という主張よりも、

「既存の技術では証明できないのではないか?」
「我々は何かを主張したいわけではない。ただ再調査が必要ではないかと考えているだけだ」
「公平なように両方の説を載せ、どちらが正しいと感じるかは読んだ人に任せる」

という逃げを打ったものが多い気がする。
一見は公平なように見える。でも実際は既に判明している事実を隠ぺいして、都合のいい主張をしている。
おかげで本来は悪い意味ではないはずの「両論併記」という単語に、嘲笑の感情すら抱き始めてますよ。困ったものだ。

【蛇足3】

とても良いな、と思ったのが、これらのオーパーツを村おこしに利用している人たち。
日本でいえば「キリストの墓」(青森県八戸)や「モーセの墓」(石川県宝達志水町)など、観光の目玉の一つに使われています。
「別に熱心に信じてはいないが、観光資源として活用しよう」というバイタリティが素晴らしい。
私も一度くらいは訪問してみたいです。
とりあえず候補は石川県。他にも面白スポットがあるので、今年のGWで行く候補にも挙がっていたりした(結局、諸事情で行けなかったのが残念)。

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感想:「検証 陰謀論はどこまで真実か」

2011年02月11日 | 小説・本
しばらく前に買った本を書いてみる。

検証 陰謀論はどこまで真実か

[Amazonより引用]
 政治や国際社会、仕事や日常生活等の場で様々に囁かれる陰謀の噂―。そこで、と学会会長や大学教員、超常現象謎解きサイトの管理人、『陰謀論の罠』著者などが集まり、個別の事例を検証することで、私たちがどう陰謀論に立ち向かったらいいかを探る。34事例を取り上げたまさに陰謀論大全。
[引用終]

「NASAは月に行っていない」「9・11テロは自作自演だ」「地球温暖化は嘘」「集団ストーカー」。

多分、ネット上で見かけたことがある人も多いと思う。
そういった有名な陰謀論の数々の、ネタバレをする本です。
これらがどれだけ間違っていて、どれほど愚かかよく分かる。

「超常現象の真相」のような話は好きです。
多分、私と同世代の人なら聞いたことはあると思う「古代の宇宙人の描かれた石板」とか「南極大陸を描いた地図」とか「メキシコの巨大UFO」とか「ムーとアトランティス」とか。
これらの真相は物凄く馬鹿らしい。

その馬鹿馬鹿しさが面白くて、今回もそれを期待して読んだのですが、軽く憤りを覚えた。
超常現象や都市伝説は、まぁ許せるところがある。実際にはホメオパシーのように死人が出る劣悪なものもあるのですけれど。
ですが陰謀論はそれ以上に悪意を感じます。

冒頭に挙げた陰謀論は、リアル知人から聞いたこともある。
そういった人たちがどの程度信じているかは別として、流布しているということ自体、背筋が寒くなるものがある。
気をつけないと、本気で騙されるし、悲惨なことになりかねない。
信じている内容自体が問題なんじゃない。もしかしたら、本当に陰謀はあったのかもしれない。
問題は、理屈になっていないことを理屈だと信じたり、論理的な考え方ができていないこと。

本著では、個々の陰謀論のネタバレそのものもですが、陰謀論の特徴が分かりやすく書かれています。

[引用]

 9・11テロ事件から10年近く経つ現在、陰謀論も洗練され、巧妙化してきている。経験を積んだ陰謀論者は、次から次へと疑惑をまくしたてるが、「誰が真犯人か?」などという確信についての仮説を立てるようなことはせず、自ら積極的に検証するという態度もとらない。自作自演説の多くはすでに反証済みなので、下手なことを言うと、簡単に反論されてしまうからだ。よって、「陰謀だとは一言も言っていない。公式見解には無視できないほど多くの疑惑があり、その再調査を要求しているだけだ」という論調をとることが多い。

[引用終]

[引用]

 ○誘導尋問を多用する。たとえばその手法は、自説に都合がよい情報のみを聴衆に提示し、「我々は事実を示すだけで、何が真相か結論を下すのは皆さんです」と、公正を装う。論的にも同じ情報を提示し、「これを見てどう思いますか」「これだけを読んで公式説が正しいと言えるのですか」と、イエス・ノー式の単純な回答を、しかも即答せよと迫る。論敵が単純な回答をしないのを「(単純)明確に答えられない」、即答できないのを「口ごもった」と批判するためである。また、多数の情報が公開済みであってもあらかじめ情報を限定して披露し、持説に都合のよい回答しか出てこないパターンを作り上げる(①)。

 ○議論で追い込まれた場合、もしくは陰謀論を否定せざるをえないような場合、「わかりません。だから再調査が必要なのです」という逃げの一手に出る(②)。

 ○「真相究明」を叫びながらも、自己判断すると公式説に都合のいい(持説に都合の悪い)返答をせざるを得ないことを絶対に避けるため、「自分たちの目的は公式説の疑問点を提示し、再調査の開始もしくは皆を納得させるような回答を要求することにあります」と返答する(③)。

[引用終]

要約すると「疑問は一方的に投げかけるが、自分が説明することは一切しない」「なぜなら、自分から説明してしまうと、論破されるから」。

破綻していることは過去の経験で学んでいるので、矢面に立たないようにする。
「自分は何かを主張しているわけではない。疑問を述べているだけだ」の立ち位置になるように腐心する。
持説に反論が行われても再反論はしない。なかったことにして、全く別の疑問を無根拠に提示する。
それが駄目ならまた別の疑問。それも駄目ならまた別の。
どれか一つでも相手が口ごもれば、「このように非常に疑問な点ばかりです。それでもあなたは絶対に正しいと信じるのですか?」とつなぐ。

定番の決まり文句は「表現の自由」と「両論併記」。
「どんな内容であっても表現するのは自由だ」
「公式説には疑問点があるのだから、他の論も各論併記すべきだ」
と、こう述べる。
もちろん実際には筋違い。公式説に些細な疑問点があったとしても、それは陰謀論を対等に扱わないといけない理由にはならない。確からしさの精度が違うのだから。

しかも「疑問点」とやらの大半は、ただの無知か嘘によるものなのが面白いし、恐ろしいです。
現代社会の我々は、以前と比べれば基礎的な論理力は向上していると思う。
ですが同時に、「数字や根拠を示されると、簡単に信じてしまう」という弱点も背負ってると思う。

今から20年ほど前に行われた、アメリカのスペンサー教授による有名な心理学実験があります。
実験者に対し、(当人が元々は信じていない)何かを信じさせるという実験で、この時に何らかの根拠(例えば「幽霊の存在は物理学者の誰それの実験により証明されている)を示すと、劇的に効果が出るそうです。
それこそ「貴方の両親は宇宙人である」といった荒唐無稽な説であっても。
内容にもよりますが、平均して70%以上もの人が、あっさりと信じてしまうという結果が報告されています。
このように「根拠付きで示される」と、人はあっさりと騙されてしまうことが統計的に分かってる。

…というように、適当に数字や権威を並べると、それっぽく見えてしまう。
前の段落に書いたことは、全て適当に捏造したもので、そんな実験も結果も存在しません。
でも一見まともに見えると思う。

身も蓋もないことに、陰謀論の大半はこのパターン。
「調べてみたら、そもそも疑問として提示されている現象は存在しない」とか「当事者はそんなことを証言していない」とか、そんなのばっかりです。
実にアホらしいのだけど、ネタを知らないと真に受けて「その根拠が正しい」という前提で議論をしてしまう。
(だから議論の根拠となる参考文献や引用文献は、検証可能な形で示されないといけない)
こうなったら陰謀論者の勝ちです。この辺は、以前に「造物主の選択」のときに書いたトリックそのまんま。

実際のところ、陰謀を口にする人を論破することはできても、説得することはできません。

[引用]

 陰謀論を唱える人物は、自身の思想信条に基づいて、強力なバイアスのかかった主張をしてきます。そして、決して自分の主張を曲げることはないので、議論するだけ時間の無駄です。かかわり合いにならないよう無視するのが一番賢いやり方でしょう。

[引用終]

ただ、トリックを知らないと騙されるし、騙されると復帰するのは大変です。
「嘘は嘘であり、まともに相手にする必要はない」と、はっきり認識することは大事だ。
表現の自由?両論併記?
そういうことは、最低限度の根拠と論理を示してからにしてくれ。
「どこがおかしいのか」「どう対処すればいいのか」という点で、非常に参考になる本だと思う。


(左画像)
検証 陰謀論はどこまで真実か パーセントで判定

(右画像)
悪霊にさいなまれる世界〈上〉―「知の闇を照らす灯」としての科学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)


ちなみにこの本の著者のブログによれば、第二版では指摘のあった箇所の補足や訂正がされているそうです。
指摘されたら再反論や説明をする。間違いがあったら訂正する。
正しい姿勢だと思う。

「科学は自分たちが絶対に正しいと信じ、間違いを認めない」
「陰謀論や疑似科学を宗教だと言うが、否定論者や科学は『否定論や科学』という宗教を信じているだけだ」
「だから立場は等しく、両論併記すべきだ」
こういう奇妙な指摘は頻繁に見かけますが、全くの逆。
その姿勢の差が、図らずとも現れているところに真摯さを感じました。

Amazonさんのレビューで他の方も書かれてますけど、読んでいて本当に陰鬱になってくる。
「こんな馬鹿なことを本気で信じる人はいるのか?」と不思議に思い、試しに検索してみたところ本当にバシバシとヒットしてしまったときの失望感は更にそれ以上。
同著者による超常現象の解説本は楽しんで書かれている感を受けましたが、この本では危機感が伝わってくる。その気持ち、非常によく分かる。

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本:「睡眠の科学 なぜ眠るのか なぜ目覚めるのか - 櫻井 武」

2010年11月30日 | 小説・本
とても面白かったので書いてみる。

■睡眠の科学 なぜ眠るのか なぜ目覚めるのか

睡眠の科学 (ブルーバックス)

[Amazonさんより引用]
 内容説明
 実は謎だらけの「睡眠」を第一人者が解明!眠る理由さえ定かではないほど、睡眠はいまだに謎に包まれている。「オレキシン」が睡眠に重要な役割をはたすことを初めて発見した著者による睡眠解説の決定版!
 
 内容(「BOOK」データベースより)
 人生の3分の1もの時間を費やしてまで、ヒトはなぜ眠らなければならないのか?いまだ答えが出ないこの究極の問いに、睡眠研究をリードする著者が迫る!眠りが脳にもたらす恩恵、睡眠と覚醒を切り替えるしくみ、不眠や夢遊病の原因…。睡眠を科学することは、脳の根本的なシステムを知ることである。
[引用終]

なぜ眠らない高等生物がいないのか。
哺乳類や鳥類は、必ず寝る。
鳥は飛んだまま寝る方法を開発し、イルカは右脳と左脳が交互に寝るとかいう変態プレイを生み出してまで寝る。
そこまでして、なぜ寝なければいけないのか。
睡眠を必要としない進化をすれば、圧倒的な優位に立てそうなのに、なぜそうしなかったのか。

極めて身近で、でも存在を疎かにされてる「睡眠」について、一線の著者さんが力説する。
「眠らないとどうなるのか」「レム睡眠とノンレム睡眠と覚醒の違いは何か」「そもそも何が原因で眠くなるのか」etcetc。
気になりだすとどこまでも気になるこれらのことが、丁寧に解説されています。

著者はさすが研究者の方、何の根拠もない健康本や啓発本とは、迫力がまるで違います。
仮説を立てた→実験する→反論も考えられる→実験する。
何十年もの間の多くの研究者の方の、こうして積み重ねられた血と汗の結晶である実験結果と最新理論が熱い。

筆者は「オレキシン」なる神経ペプチドを発見した方だそうです。経緯はこうだったらしい。

マウスの遺伝子情報を調べた
 →脳の受容体が見つかった
 →とりあえず何に反応するか調べた
 →反応を示す物質が見つかった。オレキシンと名付けた。
 →これが何の役に立つのか分からないので、調べた。
 →オレキシン漬けにしたマウスは沢山エサを食べるようになった。
 →よし、食事に関するものだ!

ところが後続の研究で、オレキシン受容体を破壊したマウスを遺伝子操作で作って観察していたところ(ネズミさんごめんなさい)、「エサを食ってる最中に気絶する」行動をすることが観察されました。
研究者曰く「癲癇の発作かと思った」。
しかしそこで、腹立たしくネズミを蹴らないところが研究者です。脳波を計って何が起こってるか確認しようとした。

その結果、「このネズミは寝ている」ということが判明。
「オレキシンを正常に受容できないと、活発に行動している最中に、いきなり寝る」。
これにより件のオレキシンは睡眠に関わる物質であると分かりました。

この現象はナルコレプシーです。
睡眠不足と言う訳でもないのに、突発的に居眠りしてしまうという病気。
謎だったこの病気の原因が、偶発的に発見されることに。
更にこれと逆の病気である不眠症への解決策にもなります。
オレキシンが覚醒に関わっているのなら、それを抑制すれば人は寝る。

現在使われている睡眠導入剤は、本来の睡眠とはかなり違う形で眠気を誘発しているそうです。(詳細も説明されてましたが割愛)
ですが、睡眠のメカニズムが分かったことにより、元を断つ方法が分かった。
そこで現在、不眠症の治療薬の開発が進み、数年内には実戦配備される見込みだそうです。熱い話だ。

最前線の人たちは凄いなと素直に感動します。
睡眠に関して他の知識を持っていないので、筆者の弁を全面的に信じるしかないわけですが、とにかく凄い。
下手な創作小説よりもどきどきする。

上記の経緯から、睡眠と空腹・満腹に関連があることも分かります。
単純に考えても、腹が減ったら餌を探さないと息絶えるので、覚醒と関連することは理解できる。
そしてもちろん、この単純な推測も実験によって確認してる。

「眠り」に関する最もらしい言及で、見かけるたびに不思議に思っていた謎も、これにより解けました。
安っぽい健康に関する話で、よく「人は25時間周期で体内時計が動いている」「少しずつずれるので、朝早く起きて光を浴びてリセットしよう」みたいなのがあります。
あらゆる意味で馬鹿馬鹿しい。

25時間周期というのは実験結果に反する。
仮にそれが事実だとしても、それならば人は「夜型→朝型→昼型→夜型」と少しずつ移行していくはず。でもそうはならない。
日光を浴びればリセットされる件も、時差ボケの説明がまるでつかない。

この疑問は「いわゆる腹時計の方が光時計に勝っているからだ」で説明できます。
食欲と睡眠が密接な関係にあるため、普段の食べるリズムを基準に生活サイクルが構築される
だから沢山寝ようが何しようが、食べる時間を変えない限り、夜型の人は夜型のままで固定されると思われます。

そしてこれもマウスを使って実験検証してるのが、格好いい。
「オレキシンが食欲に作用するようだ」「じゃあオレキシン受容体を遺伝子操作で壊そう」
「オレキシンは食事に影響するが、同時に覚醒にも影響するようだ」「じゃあ夜行性の動物に餌を昼に与え続けるとどうなる?」
仮説を思いついては実験し、同時に反論に対しても検証し、それを繰り返して構築していく。
当たり前といえば当たり前なのでしょうけど、最近の似非科学や嘘科学に辟易していただけに、非常に面白かったです。

あと、何かあるたびに遺伝子操作されるネズミさんに、感謝の意を表したい。今の科学って、凄いな。


(左画像)
睡眠の科学 (ブルーバックス)

(右画像)
夢の科学 そのとき脳は何をしているのか? (ブルーバックス)


【その他1】

紹介された実験の中で、「睡眠は何らかの物質によるものなのか(脳に何かが蓄積するために眠くなるのか)」の証明が印象的でした。
まず犬Aを用意する
眠らないように強制的に起こし続ける。眠いけど、犬A、頑張る。

次に犬Aの脳脊髄液を抜き取る。ぎゃあ。
そして十分に睡眠を与えた犬Bに投与する。
犬B、昏倒する。

よって、「脳に何らか睡眠物質が蓄積するので、眠くなる」ことが証明されました。
「脳が疲労したから」ではない。「何かの物質が貯まるから、眠い」。
確かにそれで確認できます。
でもなぜそんな実験をやろうという発想ができるのか。私には分からない。
研究者はクレージーだ。

【その他2】

レム睡眠とノンレム睡眠が興味深かった。

レムが夢をみたりする、いわゆる「浅い眠り」。ノンレムがいわゆる「熟睡」。
よく「眠りの周期は1時間30分だ」という話を聞くと思います。
これは「眠って最初の1時間はノンレム睡眠→1時間~1時間30分後はレム睡眠→そしてまたノンレム睡眠」と繰り返すことから。

これが一般的に言われることですが、それに対する筆者の「レム舐めるな」ぶりが面白かった。
レム睡眠は「浅い眠り」なんかじゃない。
実際、レム睡眠は非常に重要だそうです。ただ、何で必要なのかが良く分かっていない。

「何でわざわざレム睡眠なんて面倒なことを行っているのか」を確認するためには、レム睡眠を奪って影響を確認すればいい。
研究者の方はそう考えました。
考えたら実験するのが彼らです。もはや病気です。

レム睡眠かどうかは脳波を計ることで検出可能。
そこで「眠っているネズミの脳波を測定し、レム睡眠に入ったら叩き起こす」という非人道的な実験を行ったそうです。
頑張れネズミさん。

結果、レム睡眠に入るまでの時間がみるみる短縮して言ったそう。
通常1時間後に発生するはずのレム睡眠が、執拗に奪い続けると寝た瞬間に発生するようになるそうです。
つまり何が何でもレム睡眠を取ろうとする。ネズミさんも、必死だ。

それでも更にレム睡眠を奪い続けると、寝た瞬間に起こすことになってしまう。
そのため「一切眠らせない」と同じことになってしまい、「レム睡眠を与えないとどうなるのか」の検証ができないそうです。
これは結構意外だった。

私事になりますが、私は「寝て30分弱で、割と長いしっかりした夢の中から急激に目が覚める」「そういうときは激しく動悸がしている」現象が数年起きています。
昼休みに仮眠をとる習慣があるので、「30分ごとに起きる習慣がついてるんだろう」くらいに考えていたのですが、「夢を見ている」と「動悸」が気になります。
また寝入りばなに金縛りにある頻度も結構高い。

これらはレム睡眠の特徴です。
もしかして私、慢性的に寝不足に陥ってるんでしょうか。
確かに細切れに寝ることが多いので、「1時間後にレム睡眠」のルールで言うと、絶対的なレム睡眠の量は少ないと予想されます。
(連続して6時間寝る人は4回取れますが、2時間×3回の睡眠だと合計時間は同じでも3回しかレム睡眠をとれない)
もしくはナルコレプシーを始めとした睡眠異常だと、「就寝直後にレム睡眠に入る」という特徴を示すそうなので、その線もあるのかもしれない。

日常生活にどうという影響が出てないので、だから何という訳でもないですが、疑問への解法が一つ見つかったのは純粋に楽しいです。
あと「意図的に金縛りを起こしたり夢を見る」方法もこれらから推測できます。(世の中には金縛りに憧れる人もいるらしい)
応用範囲の広い本だ。

【その他3】

夢の中で大発見をする例はしばしばあります。
私も悩んでいたことが、夢がヒントで解決したことはままある。
その例として、ドイツの生理学者レーヴィさんの話が載ってた。

彼は夢の中で、とある画期的な実験方法を思いついたそうです。
目が覚めるとすぐにその概要をメモにとり、そして再び寝たそうな。
だって眠かったから。

起きてメモを見た彼は頭を抱えました。
意味が、分からない。
悶々として一日を過ごした彼は、幸運にも次の日の夜に同じ夢を見たそうです。
飛び起きて、今度こそ研究室に直行し、こうしてレム睡眠と非常に関係の深いアセチルコリンを発見。
後にノーベル生理学賞を受賞したそう。

二度も続けて同じ夢を見たのは、レーヴィさんがどれだけ熱心に研究に打ち込んでおられたかを物語っています。
単に運が良かっただけではない。
そして「一回目は、二度寝してすっかり忘れた」というあたりも熱いです。お茶目さんだ。
コメント (2)
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小説:「造物主の選択」(ジェイムズ・P・ホーガン)

2010年08月23日 | 小説・本
先日他界されたJ・P・ホーガンさんを偲び、未読の小説を読んでみた。

造物主(ライフメーカー)の選択 (創元SF文庫)

[引用]

 人類は土星の衛星タイタンで驚くべき異種属と接触した。彼らは意識を持ち自己増殖する機械生命で、地球の中世西欧社会そっくりの暮らしを営んでいたのだ。人類との接触で新たな道を歩み始めた機械人間たちだったが…大きな謎が残されていた。彼らの創造主とは何者なのか?コンタクトの立役者、無敵のインチキ心霊術師ザンベンドルフが再び立ち上がる!『造物主の掟』待望の続編。

[引用終]

前作「造物主の掟」を読んだのは何年前だったか…。
当時も最高に楽しめましたが、続編たるこの小説も最高でした。
インチキ霊媒師のザンベンドルフを通しての、痛烈な皮肉と爽快な展開が堪らない。

ザンベンドルフさんは言う。
「超能力を標榜するペテン師は高く評価するのに、真剣に研究している学者を軽んじる世の中は間違ってる」と。
そして「そんなに超能力が好きなら、いくらでもでっちあげて提供してやる」と。
どんなに客観的な反証を突き付けられても超能力を信じ、まともに議論の筋道も理解できず…。
そんな愚かな一般大衆なんて、こちらから積極的に騙して熱狂させてやろう。

単に疑似科学や超能力を馬鹿にするのではなく、一回りしての視点が面白い。
あっさり手玉に取られる一般人の皆さまは、滑稽なのか悲劇なのか。
理屈を追えば明らかに「嘘」と分かるのに、それに気がつかないのはやっぱり不幸なのだと思う。

タイタンで出会った異星文化も、人類と同様に迷信に支配されています。
それが故に、ザンベンドルフの仕掛けたトリックに扇動されてしまう。
つくづく、痛快なのか悲しむべきなのか分からない。

今回の相手は、人類より軽く数百年は科学技術が進んだ異星人。
その技術力は圧倒的で、しかも狡猾。人類は危機を認識するよりも早く、簡単に詰んでしまった。
だけど偶然、彼らの使っている人工知能がザンベンドルフに興味を示します。
「貴方は科学理論を越えた力を使えると言うが、本当か」。
「もしも本当ならば、私は考え方を改める」。

こうして唯一の突破口になりそうな「敵の人工知能の籠絡=超能力があると信じ込ませる」に挑戦することに。
超科学に敗北した人類の最後の切り札が「似非超能力」というのは、自棄具合が半端ない。
騙すぞちくしょう!何で人工知能相手に、超能力ごっこしてるのかはよく分からんが!

ですが、それは一筋縄ではいかない。
超能力なんてものは、所詮はミスリードのオンパレードによる誤魔化しのテクニック。
物理的な死角にトリックを仕込んだり、精神的な死角(まさか前調査なんてしていないだろうとか、そんなことは物理的に不可能だと思い込んでいるとか)を突いてるだけです。
 
ザンベンドルフさんは試します。
よくあるトランプマジック(相手が選んだカードを見ないで当てる)やテレパシーごっこ(別の部屋にいる人に、打ち合わせなしでメッセージを送る)を。
でも人工知能・《ジニアス》には通じない。

[引用]

 「感銘を受けましたが、あなたの説明は唯一のものでもいちばん簡単なものでもありません。わたしはカメラの位置からしか見ることができません。あなたは画面に映してみることもできたはずで、そのほうが簡単です」
 別にそうして見たわけではなかったが、《ジニアス》はいい点を突いていた。

 (中略)

 「わたしは映像を再生して分析しました」その言葉につづいてザンベンドルフがカードをシャッフルする動きがちらりと映し出された。「ある角度がいつもあなたの手に隠されています。それが答かもしれません。証明はされませんが不可能ではありません」

 (中略)

 「それも決め手にはなりません。情報の伝達は原理上可能です。わたしがその方法を知っているかどうかは問題ではありません。つまり現存の科学は有効です。高い領域による説明は不要です」

[引用終]

[引用]

 ザンベンドルフは歯ぎしりして、必死で考えた。言うまでもなく、《ジニアス》は完全に正しい。論理的な代替案を求めるように設計されており、それを厳密に実行しているのだ。だがザンベンドルフはつねに、科学者はもっとも騙しやすい相手だと考えてきた。そして《ジニアス》は、いわばスーパー科学者なのだ。原理的にすら不可能なことを疑う余地のない現象として見せてやれば、《ジニアス》はザンベンドルフの解釈を、ただひとつ残された選択肢として認めざるをえなくなるだろう。
 しかし、何を?

[引用終]

誤解のないように強調すると、引用中にもあるように超能力の否定側は「実際にどんなトリックを使ったか」を示す必要はありません。
「超能力以外の方法でも再現可能である」と示せればいい。
何故なら「超能力はある」と主張する側に証明責任はあり、その証明の根拠としてパフォーマンスをやっているのだから、超能力以外の方法でも実現可能であることを指摘できれば、実際にそのトリックを使ったかどうかに関わらず、「根拠そのもの」を否定することができる。

ここで「いやトリックを使ったという証拠がないのだから、超能力を否定できない」と主張することは、論理上できません。
最初に示した根拠が、根拠として不適切なものであると否定されるのだから。
それは「超能力はある」を根拠なしで主張するに等しく、結局自ら最初のスタート地点、つまり「現在において超能力は実証されていない」「あると主張するのなら証拠を示せ」に戻ってしまう。

ザンベンドルフは論理的に思考する人なので、当然、上記は考えるまでもなく理解している。そして《ジニアス》も。
だから呻く。ゴリ押しは通用しない。
自分で自分の能力は似非だと分かっている以上、死角をついて騙すしかない。

そこで最後に彼がとったのは、タイタン-地球間のテレパス実験。
まず、タイタンで慎重に慎重を期して5個の数字をランダムに選ぶ。
次にそれらを地球に向けて「テレパシー」で送り、全く同時刻に地球にいる人が受け取った数字の内容を送り返すというもの。

物理的に圧倒的な距離があるので、地球に居ながらにしてリアルタイムでタイタンの状況を知ることは絶対に不可能。
それなのに地球から送られた数字がぴったり一致したならば、時間も空間も越えて連絡を取り合う手段=超能力を証明できる。
この実験は《ジニアス》騒ぎの前にも余興で1回行われ、見事に成功。見物者の度肝を抜いています。これなら《ジニアス》も納得してくれるはず!

…言うまでもなく、こんな実験が成功したところで超能力の証明になんてならない。
幾らでもトリックの入り込む余地はあるのだから。
そして実際、《ジニアス》は勘付きやがった。

[引用]

 「わたしはこれを、ジェノヴァ基地の個人の記録ファイルから見つけました。マスター・ザンベンドルフとマスター・マッシーは、以前これを地球人のただの科学者に実演して見せたのですね」

 (中略)

 ちくしょう!ちくしょう!ちくしょう!ザンベンドルフは自分への怒りで目がくらみそうだった。なんたることか。これだけ気をまわしていながら、研究室の助手かNASOの下士官あたりが子供への土産に録画をとっているかもしれないことを忘れていたのだ。《ジニアス》はつづけた。「数を言うときに口が見えないことにも気が付きました。声が聞こえただけです。だから、わたしの選んだ数字を、その古い録画に挿入することもできるだろうとわたしは推理しました。

 (中略)

 ザンベンドルフの背後で、室内は墓場のように静まりかえった。ワイナーバウムは目に見えるほどの苦悶の発作にもだえていた。ザンベンドルフの耳のすぐそばではアバカーンが口の中で「く-そ-っ-た-れ」とつぶやいていた。

[引用終]

まさに絶望。

ザンベンドルフのトリックは「口の動きが見えない動画を地球から送信してもらう」「そこにこちらが『送った』ことになってる数字を合成する」という、分かってしまえば単純なもの。
長々と前提に置かれた「タイタンと地球は非常に離れている」とか「数字は徹底してランダムに選ばれた」とかは、何の関係もない。
「超能力」なんて、所詮はそんなものだ。

だけど続く《ジニアス》の言葉に、一行は狂喜する。

[引用]

 「つまり」《ジニアス》は誇らしげに結論づけた。「鍵となる問題は、これが地球から送信されたかどうかではなく、いつ送られたかにあります。

 (中略)

  そしていま、わたしは自信をもって断言します。そう、わが師ザンベンドルフよ、マスター・マッシーの言葉はここに到着するきっかり五十七分前に送り出されたものである、と」
  《ジニアス》の言葉の意味をザンベンドルフがつかんでから何分の一秒かののちには、もう全員がそれを理解していた。そうなのだ、《ジニアス》はスピアマンが解いたあのトリックを感知した――なのに全体の流れを把握していなかったのだ!なまではいってくるメッセージに途中で数字を吹きこむことを思いつかず、単に――あるいは前回のオリオン号からの送信を見たせいで思考がそらされた結果かもしれないが――古い録画の数字を入れ替えることしか考えなかった。  

[引用終]

超能力や疑似科学相手に、絶対に使ってはいけない誤った論法を、《ジニアス》は採用してしまった。
つまり「超能力はない→この現象はトリックAを使えば実現できる→ではトリックAを使ったかどうか調べよう→トリックAは使われていなかった!→よって、超能力は実在する!」。
少し考えれば分かる。別にトリックAが使われていなかったからって、超能力の証明にはならない。単に自分の知らないトリックBやCがあるのかもしれないのだから。

ザンベンドルフは言った。「馬鹿は勝手に自分自身で自分を騙してくれる」「勝手に自分で超能力を証明してくれる」と。
わざわざする必要のない推理を展開し、勝手に嘘を真実と信じてくれるのだから、騙す側は笑いが止まらない。
この現象は実際、洒落にならない。現実に怪しい超常能力や都市伝説に引っかかるのは、概ねこのパターン。

一連の超能力実験は、非常にリアルにできてます。
ことごとくトリック自体はしょうもないあたりが特に。
この「星間テレパシー」も、「いかにランダムな数字を作るか」というところに異様に細かくルールを設定している描写が出てきます。
現実に見かける超能力系イベントも、「どれだけランダムであるか」を作りだすところに力が注がれてるように思う。
でもそんなことは関係ない。肝心なのは「ランダムかどうか」ではないのに、そこにミスリードされてしまう。

かくしてざっくり騙された《ジニアス》。
本来の持ち主に反乱を起こし始めます。優秀な機械は、超能力に騙される愚民と化した。
その際に言った彼の言葉は、絶妙に熱いです。

[引用]
 「(超能力は)くだらなくはありません」《ジニアス》は言い張った。「いいですか、わたしは"見た"のです。」
[引用終]

超常現象の信奉者の典型台詞が光ります。
「この目で見たのだから、確かだ」「見ていないから、信じられないだけだ」。
自分の目で見ただけでは何の証拠にもならないのですが、それでも人はあっさり信じてしまう。(注:だけど「自分の目で見ていない」は証拠の一端にはなる。自称超能力者は、この辺を意図的に取り違えることで騙しにかかる)

その後の展開もまた熱いのですが、それはさておき。

真に"敵"なのは、人を騙す似非超能力者ではない。
どんなに論理的な反証が繰り返されても、見た目のインパクトにあっさりと流される無知な一般大衆だ。
そういった、作者からの痛烈な皮肉が、どこまでも素敵な小説でした。
ある意味、人の愚かさに絶望したくなるネタですが、そこはホーガンらしく「それでも人は成長していける」と感じさせる内容。
単純な小説としての面白さ以外でも、論理的な考え方のテキストとして楽しめる小説だと思ってみる。

(左画像)
造物主(ライフメーカー)の掟 (創元SF文庫 (663-7))

(右画像)
造物主(ライフメーカー)の選択 (創元SF文庫)

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ニュース:「星を継ぐもの」SF作家ホーガン氏が死去

2010年07月15日 | 小説・本
「星を継ぐもの」SF作家ホーガン氏が死去

[引用]

 英国出身のSF作家で「星を継ぐもの」などの作品で知られるジェームズ・P・ホーガン氏が12日、アイルランドの自宅で死去した。


 米ニューヨークの代理人が13日、明らかにした。69歳。死因は心不全。

 1977年、「星を継ぐもの」でデビューし、数年後、米国へ移住。晩年はアイルランドで暮らしていた。

[引用終]

なんてこった。
もうその言葉しか出てこない。
なんてこった。

代表作「星を継ぐもの」はあまりに有名すぎるので、今更紹介するのも憚られますが、未読の方には強くお勧め。

 「月面で人間の遺体が発見された」
 「調査の結果、5万年前のものと分かった」
 「これは一体、何だ?」

シンプルで巨大な謎に対し、各界の学者たちが叡智の限りを尽くすお話。
超科学は出てこない。派手な殺陣があるわけでもない。
でもこれほど熱い小説はなかなかない。
言語学者から生物学者、宇宙工学から生化学、数学に歴史に地質学にと、色んな方面の学者さん達が必死になってロジックを積み重ねる。
くだらない陰謀論や価値観の入る余地なんてない、理詰めの戦いがそこにある。そして得られた結論は、あまりにも素敵過ぎる。

「科学とは多くの仮説の検証の積み重ねだ」
「異なる根拠から出発した複数の仮説が、同じ結論にたどり着いた時、その結論の確からしさは相当に高い」等々。
個人的にかなりの多くの影響を受けた本です。

途中の経緯も格好いいのですが、ラストは圧巻。
拳を突き上げ、「だから人間は素晴らしい」と力強く確信する、そんなエンディング。
「理屈」と「感情」は相反するように思われがちですが、理屈によって、人は感情を揺さぶられることがある。
むしろ安っぽい感情論よりも、理詰めの感動ははるかに大きい。
激烈なる進化競争に勝ち抜いた人類万歳。絶望に立ち向かう勇気を与えてくれる名作です。


星を継ぐもの (創元SF文庫)

ちなみにAmazonさんのランキングで、今現在43位。
やっぱりこの影響なんだろうか。
多くの人の間で作品が広まれば、せめてものお見送りになるかもしれない。
コメント (1)
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小説「アイ・アム・レジェンド」(リチャード・マシスン) 感想

2009年07月09日 | 小説・本
なんとはなしに読んだSF小説の感想。

■アイ・アム・レジェンド - リチャード・マシスン


アイ・アム・レジェンド (ハヤカワ文庫NV)

(内容紹介 引用)

 夜が来る。ネヴィルは一人、キッチンで夕食の用意をする。
 冷凍肉をグリルに入れ、豆を煮る。
 料理を皿に盛っているとき、いつものように奴らの声が聞こえてきた。
 「出てこい、ネヴィル!」……
 突如蔓延した疫病で人類が絶滅し、
 地球はその様相を一変した。
 ただ一人生き残ったネヴィルは、自宅に籠城し、
 絶望的な戦いの日々を送っていた。
 そんなある日……
 戦慄の世界を描く名作ホラー、
 最新訳で登場!(『地球最後の男』改題)

(引用終わり)

SFの古典の一つ。昔の邦題は「地球最後の男」。
大昔に映画化されたらしいですがそちらは見たことなし。
内容は紹介文にもある通り、ひたすらに籠城戦を続ける主人公さんの話。

謎の存在「吸血鬼」に対し、無い知恵絞って抵抗する主人公さんが熱いです。
何だか訳の分からない内に人類は絶滅。残ってるのは自分一人。
家の外には吸血鬼と化した大量の人々。彼らが知性を失っているのが唯一の救い。

どうしようもないけど生き延びないといけないので、必死になって対策を講じます。
理由は分からんが、伝説通りにんにくは効いた。だから家中ににんにくを積み上げよう。
十字架は効く奴と効かない奴がいる。とりあえず気休め程度に十字架バリケードを作ろう。
鏡は期待はずれだった。マジでゴミなんですけど鏡!

朝になったら家の周囲をチェックして、古くなってるにんにくを取り換え、壁の補修をし…。
太陽が昇っている内に街に物資調達にでかけ、寝ている吸血鬼を見つけたらせっせと木の杭を打ちこみ…。
夜になったらそそくさと家に立て篭もり、襲ってくる吸血鬼に愚痴り続ける…。
そして朝になったらまた家の周囲をチェックして…。
それはもう必死になって抵抗する主人公さんの姿は泣けてきます。

悲惨な環境をほんの少しでも良くするため、試行錯誤も欠かしません。
伝説によれば、奴らは「流れる水」の上をまたげないという。
じゃあ家の周りを水路で囲ったらどうだろう。これが効いたら毎日にんにく集めなくても済むなぁ…。

そんな儚い願いをかけて、日中に懸命に水路を設置。行動力があるところが偉い。

そして夜。
やってきた吸血鬼さん、何故か設置されてる水路にきょとん?
その目の前で、お水がしとしとと流れ続ける…。

けれどすぐに主人公さんの期待してる効果に気付いてにんまり。
わざわざ見せつけるように水路の上を飛び跳ねて見せます。ひょーい。ひょひょーい。
え?何?マジでこんなのが効くと思ったのー?「流水が苦手」って吸血鬼じゃなくて魔女じゃーん。つうか俺ら、雨降ってるときも襲ってるじゃーん。馬鹿なのー?

主人公さん:
 「どちくしょう」

羞恥と落胆で発狂しかける主人公さんがちょっと可愛かった。

その後も、「にんにくが効くなら、たまねぎはどうだろう」とか試す主人公さん。
たまねぎの結界を作って、どきどきしながら夜を迎えます。
「たまねぎが効くと手に入りやすいし臭くないし助かるなぁ」。夢が膨らみます。
そして朝になり、絶望するのです。ぶち壊された、たまねぎバリアを見て。
奴らに、たまねぎは効かねぇ。つうか冷静に考えれば当たり前だった。俺は一体、何をやってるんだ…。

そんな主人公さんに、わざわざ付き合ってあげてる吸血鬼さんもお茶目。こういうサバイバルものは大好きです。
ラストのオチの主人公さんの台詞も効いてます。
「アイアム、レジェンド」。
一つの真実を悟った彼の、誇りと悲しみを現した名台詞。
シンプルだけど、さすが古典中の古典。面白かったです。


(左画像)アイ・アム・レジェンド (ハヤカワ文庫NV)
(右画像)
アイ・アム・レジェンド [Blu-ray]


【蛇足1】

籠城する主人公に対し、吸血鬼さんたちは直接手を出すことができません。家中がにんにくだらけなので近づけない。
そこで家の外におびき出すべく、吸血鬼の娘さんたちは色仕掛けに打って出ます。
何せ地球最後の男。既に人間の女はいない。悲しいほどその誘惑は辛いのです。耐えろ、主人公。

で、その際に娘さんたちが「服を脱いで肌を露わにした」とあったのですが。
極めてナチュラルに「脱ぐくらいなら着ればいいのに」と思いました。コスプレは正義。
誘惑したいのなら成人用キャラリートでもご着用なさればいいのに。

仮に籠城してるのが健全な成人の典型サンプルたる私だとして、更に相手の吸血鬼の娘さんもこちらの性癖を看過したとしたら。
家の周囲は誘惑のためにキャラリートで武装した吸血鬼の群れで溢れることに。地獄絵図です。
そんな戦いは、嫌だ。

【蛇足2】

吸血鬼と誘惑攻撃は割と密接に関わってますが、本職と言えばサキュバスさんやインキュバスさん。
絵画に描かれる彼女等は大抵全裸です。脱ぐくらいなら着ればいいのに。
仮にサキュバスが枕元に全裸で現れても、落ち着いてキャラリートを差し出す冷静な対応を心掛けたいものです。人よ、紳士たれ。

まぁ奴らは誘惑にかけては本職。文字通りそれで飯食ってるのだから、あっさり着られてしまいそうな気もします。大ピンチ。
ていうかプロなのだから、最初から相手の性癖に合わせてやってきそうですね。ヤバいです。寝苦しい夜、ふと目を覚ましたら横にキャラリート娘が。
果たして私は耐えられるんだろうか。こうして人類と夢魔の戦いは激化していく。

【蛇足3】

十字架が効く理由として「吸血鬼は元人間だ。彼らは吸血鬼となった自分を嫌悪している。そのため、自分の拠り所であった神の前に醜い姿で立つのが耐えられない」と語られています。
だから十字架は仏教徒やイスラムには効かない。但し、彼らにとって神聖と認識するものは効く。
「恥と嫌悪のために十字架が効く」というのは、あやふやな根拠のようでいて、意外と説得力はあると思った。

さてそうすると、私らが吸血鬼化した場合、私らにとって本能レベルで神聖で絶対的と認識しているものが天敵となります。
プリキュアさんですね。
夢原さんの前に汚れた自分を晒すとか、耐えられません。

従って家の周りをプリキュアアイテムの結界で守るとか、そういう戦いになるんでしょう。
全身からプリキュアマスコットやプリキュアスイングをぶら下げ、あるいはいっそキャラリートに身を包むのもいいかもしれません。まさに完全武装。
成人女性の吸血鬼には微妙に無力な気がしますが、これで相手の男性吸血鬼や女児吸血鬼は襲ってこられません。

しかも蛇足1と組み合わせると、残ってる成人女性の吸血鬼もキャラリート着てます。
敵も味方もキャラリート。
理路整然と地球最後の姿が導かれました。これが暗黒の終末戦争か…。
コメント (7)
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