穴にハマったアリスたち

生きてれば楽しい事がいっぱいある!の証明の為のページ。ぴちぴちピッチを大応援。第三期をぜひ!
→新章開始!ありがとう!

(第12話・最終回)キボウノチカラ〜オトナプリキュア’23〜「キボウノチカラ」感想

2023年12月24日 | オトナプリキュア
■(第12話・最終回)キボウノチカラ〜オトナプリキュア’23〜「キボウノチカラ」感想

最後の集まりのシーン。日向さんは留学に旅立ったので、プリ5+美翔さんで集まっていらっしゃる。
「他チームに、一人だけ別チームの子が混ざる」こと自体がレアなのに、ましてやそれがあの美翔さんです。
彼女の成長を感じるというか、何気に「オトナプリキュア」最大の衝撃かもしれない。
更なる続編が作られた場合、七瀬さん的立場でプリ5チームに帯同する美翔さんが見られる…のかもしれない(見たい)。


(「オトナプリキュア」第12話より)

ベルが突き付けた破綻の未来は、回避する確実な回答はない。
「プリキュア」では「未来は変えられない(正確に言うなら、過去に起きた不幸をなかったことにはできない)」ので、おそらく未来の事象そのものは変えられず、この街は滅ぶと思われます。
故にラストシーンのポイ捨ても必然。未来は変えられない。

ただ、事象は変えられなくても心持は変えられます。
いざ破綻した時に「仕方がなかった」「どうしてこうなった」と嘆くだけなのと、新天地を目指して希望を抱いたり、街の復興を夢見て頑張れるかは大きく違う。
ベルが愛したのも「物理的な街」ではなく「そこに住む人々」だったはずで、その意味では確かに明るい方に向かってはいる。

表現が「環境破壊」「SDGs」などなのでつい身構えてはしまいますが、描いていることは「絶望は決して消せない」「ネガティブになったので時間が止まった」等と同じです。
これまでのシリーズと同様に、完全なる解決は提示できない。だけど一人一人が立ち上がっていけば、何かは変わる。

ブンビーさんが語った「『頑張れ』と応援するのではなく、自分たちで」。
これは「NS1」の頃から大きな課題になったテーマです。

NS1の冒頭の観覧車のシーン。
化け物が現れた。格好よく伝説の戦士が現れた。皆でそれを応援する。
プリキュアの縮図とも言える「熱い」シーンではあるのですが、すぐにふと気づいてしまう。
私たちは、彼女らの顔もはっきりと見えないほどの遠くから、ただ応援しているだけだ。

あのシーンは本当に辛く、映画館でいきなり涙したのを覚えています。
そこからの「女の子なら誰でもプリキュアになれる」の台詞や、主題歌の「みんなもプリキュア」とエールを送られ、当たり前にプリキュアがいる10周年のハピネスチャージや、全人類プリキュア化のハグプリに繋がった。

なので今回は「大人」向けだからこうなったというより、15周年までのプリキュアの最大の共通課題とも言えるものを、しっかりと引っ張ってきたという印象です。
ただの思い付きではなく、きちんとこれまでの本編やシリーズ全体の流れを踏襲してくれていて、とても嬉しい。

「プリキュア5」の文脈としても綺麗です。
「夢に向かう時、人はひとり。でも同じように夢に向かう誰かがいることが励みになる」。
GoGo最終決戦で手紙が届いたのとも同じ流れで、綺麗にまとまってる。

この流れだとSS組が後ろに回るのは当然で、SS推しの私としても納得できる。
仮にSSの文脈で解決するなら「滅びもまた生命の営み」の方向だったと思う。
「プリ5」の思想と矛盾はしないけど、表現が変わっていたはず。

「タイムフラワーが種を残してまた芽吹く」のは、予想できたはずなのに全く頭になく、ちょっと悔しいと同時に膝を打ちました。
プリキュアさんは絶対不変の金属の永遠ではなく、枯れても種を残し次に繋げていく植物の永遠を謳っています。
それに沿った見事なオチだったと思う。

何故子供の姿になるのか等については、明確な回答はなし。
私の解釈としては、「子供時代のあのイノセントな想いは嘘ではなかったはずだ」(10周年のテーマ)かなと思ってる。

大人になった今では、子供の頃に語った思いは綺麗事にすぎず、現実と乖離していたのは分かる。
いざ直面したのは、あの時夢見ていたような未来ではなかった。現実の問題をプリキュアは解決できない。
でも、子供の時のあの必死さや戦いは嘘ではなく、確かにあったんだ。それらは無力かもしれないけれど、確かに存在して今の私を形作っている。

だから子供の姿になって戦う。大人の姿で戦うとこの文脈が成立しなくなってしまう。
そしてその姿に影響を受けた他の人たちが立ち上がり、未来を変えていく(15周年のテーマ)。

夢原さんが真っ先に倒れたのは、「破綻を知った人々が希望を失う(真の破綻)」が起きるからで、夢の象徴たるプリキュアは存在できなくなる。特に「夢」を冠するキュアドリームは。
しかし人々が夢や希望を繋いだので、タイムフラワーの種という形にも表れ、目を覚ますことができた。
おそらくはこの「繋ぐ」は20周年のテーマと思われます。あとは「考え続ける」とかか。

「壁を越えて会いに行く」の5周年と合わせて、10周年・15周年・20周年の集大成とも言えそうで、つくづく綺麗に本編を踏襲してくれたと思います。
EDの「雫のプリキュア」も綺麗です。一人一人の希望は小さくても、それらが集まった象徴的なものが「プリキュア」。

それらを踏まえてのラストのポイ捨て。
綺麗にまとめたところで、「プリキュアは問題を解決していない」のは変わらない。
「後味」を良くしてしまうと、「プリキュアの活躍で世界は救われた。良かった良かった」「ありがとうプリキュア!感動した!大団円!」となりかねません。実際、本編はその傾向がある。問題は解決しておらず、現実の我々にも当てはまることなのに、「終わった」気がしてしまう。
そこを「大人向けだから」と信頼して、釘を刺してきたのかなと。

ですので、続編の布石といったことではなく、これで完結だと思ってます。
今までのシリーズも完全解決はしておらず、殊更に未解決エンドというわけでもない。
まぁテーマがどうのこうのはさておいて、続編は見たいですけど。オトナプリキュア2028とか、継続してやってくれないかしら。

夢原さんとココの結婚を初め、着地すべきところに着地して、私としては大満足です。
冒頭に書いたように、美翔さんも新しい道を切り開かれた。
(ただこまちさんに関してだけは、どうにも釈然とはしませんが…。こまちさんの物語としては納得はするのだけど、望まれていたことがスルーされすぎてる感が)

※単体でのメイン回がなかったミルクさんに触れておくと、本編最終回でローズガーデンのガイドをしていたことや、「似ている」と称されたアナコンディさんの館長一筋の末路を見ていたことから、お世話役からは離れるのではないかと予想していました。今作での、秘書を経ての大統領への立候補は納得感しかない。
なお王制を廃止したのではなく、実務や権力の分散的なものだろうと思ってます(ココのプロポーズの言葉が茶番になりかねないのと、国王はココの主体的な夢であり「王様の責務から解放してあげる」ようなことではないので)。細かな定義を横に置くなら、イギリスや日本のようなイメージ。


この3カ月、非常に幸せでした。
とても良い試みだと思うので、今後も「オールスターズでも別シリーズへの客演でもない、完全なる続編」をどんどん展開していって欲しいです。
個人的には別シリーズ混合ものとかも見たい。留学している日向さんと、フランスやドイツに縁のある蒼乃さんやシエル、ハトプリ組や北条さんの混成チームとか。

書きたいことを書ききれた気がしないですけど、止まっていた物語が動き出した得難い経験をした、素晴らしい番組でした。
ありがとうございました。次回にも期待しています。

【追記:2024年1月26日】
本放送中に気が付けなかったことを追記。

映画「鏡の国」は、砕けたクリスタルをドリームが寂しげに見上げるシーンで終わります。
当時、私はこの二つで理解していた。

(1) シャドウやドリームに夢を託していたダークドリームの末路を、ココに夢を託す自分に重ね合わせた。
(2) 夢に向かって努力するとは、過去や今の自分を殺すことと同義。それが成長ではあるが、寂しさもまたある。

オトナプリキュアで変身できなくなっていたのは(2)が絡んでいるのかもしれない。
「1分前の自分とは違う」の流れで行くなら、夢原さん達は過去の「プリキュアだった子供時代」を捨てて先に進んでいく。
だからキュアモを失い、変身も出来なくなった。

だけどED「雫のプリキュア」でも歌われているとおり、「子供時代は誰にもある。ファンタジーも守りたい」「大きくなってもなりきれない心に子供の私がいる」。
夢に向かって成長するために、過去の自分を殺す。でもそうじゃない。誰の心にも、子供の私がいる。
辛く苦しい時に、成長して捨てたと思っていた子供時代の自分が、また力を与えてくれる。そういう流れだったのかなと。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(第11話)キボウノチカラ〜オトナプリキュア’23〜「ミライノオワリ」感想

2023年12月17日 | オトナプリキュア
■(第11話)キボウノチカラ〜オトナプリキュア’23〜「ミライノオワリ」感想

美翔さんの格好いい戦闘シーン!なのだけど、よく見たら避けてるだけなあたりが大変に可愛らしい。
あと2枚目は物凄く珍しい表情な気がするけど、物凄く美翔さんな気がして好き。


(「オトナプリキュア」第11話より)

愚かな人間のせいでこの街は滅びてしまう。だから愚かな人間をシャドウに変えて撲滅しよう。
そう考えたベルのもたらしたものは、今すぐの破滅でした。

良い人もいれば悪い人もいる。それ以前に、同じ人間の中にだって良い面も悪い面もある。
悪いところだけ抜き出して排除しようとしたら、破綻するのは当然のこと。

…というか「謎の怪物が現れて失神者が続出」なんて起きたら、自然災害を待つまでもなく人が流出して滅びると思う。

夢原さん達はベルの問いかけに解決策は答えられず。
これも当然で、「プリキュア」は完全なる平和や善を掲げてはいない。

特に15周年までのシリーズは「未来は破綻していて、それは絶対に回避できない」が基本理念に思えます。
故にこの街の破綻は、おそらくは確実に起きる。絶対に防げない。

ただ「街が滅びる」ことは変わらなくても、それを迎えた時の人々の気持ちが絶望とは限らない。
街を離れた人たちも、新天地に希望を抱いていたかもしれない。
いつかまたここに戻り再興するぞと、夢に燃えることもできるかもしれない。
戦争で焼け野原になった後、希望を捨てずに復興したように。

プリキュアさんにおける「未来を変える」と「未来は変わらない」の私の解釈は上記で、今回のような具体的な解決策がない状況だと特に当てはまるように思う。
起きる現象は変えられない。それに対する気持ちは変えられる。

「タイムフラワーは破綻のカウントダウンをしている」だけならば、タイムフラワーそのものには害はないのかもしれない。
破綻が訪れると希望を持てなくなる。希望が持てないと、その象徴たるプリキュアも力尽きる。だから(特に名前に「夢」を冠する)ドリームが倒れた。
タイムフラワーが枯れるとプリキュアが倒れるのではなく、破綻が訪れるとタイムフラワーが枯れたりプリキュアが倒れたりする、が正なのかな。

逆に言えば、破綻しても希望を捨てなければプリキュアは立ち上がれる。ラストは街の人々の願いを元に復活する…とかだったら綺麗に着地できそうな気がする。
雫のプリキュア(=一つ一つは小さな希望が、多くの人から集まって形になる)にも通じそう。

ベルの突き付けた課題は、プリ5的には「夢を叶えても(滅びるのだから)意味がない」。SS的には「生命の営みの果ての破滅」といった感じ。
どちらも回答は「それでも進む」が基本軸に思えます。「滅びそのものを、これこれの方法で完全回避して見せます」ではなく(言葉としては「未来を変える」でも、現象の阻止を具体的に確約する意図ではないとの解釈)。
無意味な無駄遣いは控えるとしても、いずれ必ず滅びるのだから、過剰に不安視するのはらしくないように思えます。

プリ5組が返した言葉は「頑張る」「辛いことも当然ある」。
夢に向かって努力をする。そんなの意味ないと嗤う他者に構っている暇はない。だって同じように夢を目指す仲間との約束があるんだから。
そんな共通する思いを持つ人たちが集まれば、きっと未来の絶望は変えられる。

SS組は「人を幸せにする」。そして自分も楽しむ。

美翔さん:
「私は描きたいな」
「人も自然も生き生きとした、未来のこの街を!」

SS本編の最終決戦前の台詞からの流れ。
ソロソングで「どんなに上手い絵を描いても、息づいている命には敵わない」と歌っていた美翔さんが、息づいている命を描きたいと大人の今おっしゃった。
色々と苦しい現実も経験した上でのこの言葉。自分の楽しさと他者の幸せが合致した…との書き方は野暮な気もしますが、生命賛歌と自身の趣味を自然に共存させていて、あの時からの「続き」を感じます。

映画「NS3」で見せられた未来の姿は、「自然の中で一人で絵を描く」もの。
「自分の夢は、自分で描きたい」の言葉と共に悪夢を破っていましたが、当時から既に「一人」ではなく「他者」を意識していたのかもしれない。
誰もいない綺麗な自然ではなく、人も自然も生き生きとした様子を描きたい。

(ちなみに日向さんは「完璧なパンが焼きあがり続ける」夢を見て、「失敗しないのはおかしい」と目を覚ました。彼女はパンに対しては結構ストイックで、今作のパン作りに悩む姿は前々から示唆されてた)

次週でいよいよ最終回…なのですが、ここに来て黒白先輩が参戦なされました。
正直なところ、このタイミングでその登場のさせ方は違うんじゃなかろうか…の違和感が強いのですが、来週の描写をまずは見たい。
この3カ月、夢のようでした。最後まで期待しています。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(第10話)キボウノチカラ〜オトナプリキュア’23〜「サイゴノヤクソク」感想

2023年12月10日 | オトナプリキュア
■(第10話)キボウノチカラ〜オトナプリキュア’23〜「サイゴノヤクソク」感想

意外にレアな「夜間に街中に外出している」シーン。
ないわけではないけど、本編では中学生なので夜間外出はあんまりなく、あったとしても主にはキャンプや星空観察。街中でとなるとGoGoのOP等々、かなり限られる気がする。
特にSSの、しかも自然に美を見出した元滅びの戦士が、人工の明かりの中で車を見下ろすのはとても印象的。良い物を見た。


(「オトナプリキュア」第10話より)

夢原さんが繰り返し倒れた。タイムフラワーの影響…なのかはよく分からない。

ナッツの調べによるとタイムフラワーは国や生物の滅亡を予知するかの如くに現れ、時針が進んで枯れるその時に滅びが訪れるらしい。
その説明通りなら、タイムフラワーは予知して同期しているだけで、タイムフラワーそのものは滅びをもたらしてはいません。
原理不明なれど若返りはタイムフラワーの副作用とのことですが、「(タイムフラワーが現れて)プリキュアになるから破滅する」のではなく「破滅するから(タイムフラワーが現れて)プリキュアになれる」です。話がちょっと複雑になってきた。

それとも「プリキュアになるためにタイムフラワーを咲かせたので破滅する」のだろうか。言葉の組み合わせで意味合いが大きく変わってくるので、ちょっと慎重になった方がよさそう…。

とりあえず体に悪影響が来てるのは確かなので、変身は控えようと決議。そしてすぐに覆して、皆様、変身なされた。
これも絶妙なバランスというか、プリキュアが呪いと化さないように上手い運びだったと思います。
プリキュアにならない選択肢もあった。だけど自ら決断してプリキュアになった。その先に問題が待っていても選択肢があるのは素晴らしいことで、その選択を決めるのは自分。

ココの台詞「のぞみはプリキュアだから」もとても良かった。
第一義は「夢原のぞみはプリキュアだから」という事実そのままのこととして、「望み(希望)はプリキュアだから」の意味にもとれる。
「プリキュアとは希望だ」ではなく「希望とはプリキュアだ」。漠然とした「希望」という概念を具体化すると「プリキュア」になる。
希望にはもちろんリスクもあるのだけど、選択肢があるのは良いことで、プリキュアはその具体的な手段としてある。

ベルがいうには、この街は遠くない未来で滅びるらしい。
プリキュアの世界観としては「未来は不変」だと認識しています。「可能性がいくつもある」とは、自分の意志で選べる(そして自分の意志は重要なので何度繰り返しても同じ選択をする)とか、同じ現象でも心持ち次第で受け止め方が変わるといった意味で捉えている。

したがってベルが予知ではなく正真正銘タイムトラベラーで見知っていたなら、この街は実際に滅びることは確定していると思う。その上で、どう未来を生きるか。
「変身したら死ぬがそれでも希望を抱く」と似た話にも思えます。
あと残り2話。どういう決着をつけるんだろうか。

意味深に登場された黒白先輩は、変身したりなさるんだろうか?美墨先輩、だいぶ若い格好なさってる。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(第9話)キボウノチカラ〜オトナプリキュア’23〜「フタリノキズナ」感想

2023年12月05日 | オトナプリキュア
■(第9話)キボウノチカラ〜オトナプリキュア’23〜「フタリノキズナ」感想

美翔さんが変身なされた。
そしてレアな背面アングルからの「聖なる泉を汚すものよ!」を炸裂なされた。


(「オトナプリキュア」第9話より)

この指差しポーズ、意外との下向きに指してるんですね。普段(12年前)は巨大な相手と戦うことが多かったので、その時の癖で上を見上げてからいやいやもっと下だ、となって下げすぎたとかかしら。あと多分「泉は今回、関係ない」と途中で気づいて、でも引っ込みがつかなくて慌てたんだと思う。ベルも混乱したはず。「泉…?何の話だ…?」。

微妙に格好がつかない再変身でしたが、お得意の踵落としもばっちり決めてくれました。スタッフ様、分かっていらっしゃる。鳥キュアといえば、踵落とし。
変身前にやらかした「うつ伏せに倒れる」も美翔さんのお家芸。どうしてこうも細かいところで、美翔舞の解像度が高いんだ。

※この「大空の樹の前での指差し&後ろから映す」のは本編にもあった気がするのだけど、何話だったのか思い出せない。そもそもなかったかもしれない。
※霧生さんとの再会がここなのは、復活幹部戦を思い出してとても懐かしい。

【全ての大人に子供は宿る】
日向さんはフランスにパン留学に行きたかったらしい。だけどいけない。婚約したし実家を継がないと…。

と、悩んでいらっしゃいましたが、美翔さんに後押しされて会話してみたら、さっくり解決しました。
それはそうだ。
日向さんは「大人の責任」を意識してフリーズしていたようですが、「みんなを気にして留学を断念」はむしろ子供の発想です。
現に、プリキュアさんは頻繁に留学やらオーディションやらをキャンセルなさってきた。

大人にとっては数年の別離は大騒ぎすることでもない。現実にも単身赴任も海外赴任も普通にある。

日向さんはまだ20代。しかも勤め先は実家ですから、店長になるのを急ぐ理由が全くない。
ご両親は健在なので、下手に店長になってもリソースが余ってしまいデメリットにすらなりかねない。
実際、お父さんは浮いた時間で新たな挑戦をし、次に活かそうとしています。さすが長年、店を盛り立ててきただけありアグレッシブ。

婚約者さんもまだ店を開いてはいないようですから、一緒に留学する道がある。おそらく探しているはず。

美翔さんはおっしゃった。「大人も子供も違わない」。
ある日を境に、別の生き物になるわけでもなく。結局のところ、子供時代の自分も今の大人の自分の中にある。
変わってしまったと決めつけて、動きを止める理由はない。

この辺の思考はSSのキーフレーズ「全ての物に命は宿る」を想起します。
息絶えたかに見える不毛の大地にも、命は宿る。
比喩ではなく、事実として遥か昔に恒星が爆発した際にまき散らされたものが、巡り合って今の私達の体を構成しています。
天文学的な大災厄や無機物の漂流の果てにも、命は宿る。だから私たちは今ここにいる。

同様に子供時代の自分も、姿かたちや表面の考え方などは変わっても、自分自身を構成している。
全ての物に命が宿るように、いつどんな私にも子供時代の私は宿っている。

以前の美翔さん回で、プリキュア姿の自分を思い浮かべていたのはマイナス描写なのか否かを悩みましたが、この描写なら明らかに前向きです。
昔を振り返って逃避するのではなく、今を切り抜けるために自分自身を総動員した結果として、子供時代の力を使っている。

5組と違い、「フラチョピが居ない」という変身できないことが明白な状況で、それでも迷いもせずに変身したのは素直に格好良いです。強い美翔さんが見られて大変に素晴らしい。
あえて気持ちの悪い妄想をすると、おそらく美翔さん達は単独変身できるんじゃないかな。全ての物に命は宿るの発想で行くなら、周囲の大気とかにも「日向咲なる概念」は存在し、変身の力になってくれそうな気がする。これが発動するのは、日向さんが戦死したような時でしょうから、見たくはありませんが。

元・滅びの戦士たる霧生さん達もついに表に出てきてくれました。
ダークフォール(除くゴーヤーン)の思想は「命を謳歌した末の滅び」ですから、仮にモエルンバ達が健在だったら彼らもベルと対立したように思う。
環境破壊を止める?エントロピーは増大するものだ。その過程を無意味に早める必要はなく、途中の美しさを楽しむのが大事なだけで。
霧生さん達は「ダークフォールの生き残り」としての応戦でも筋が通っているのが、無性に熱いです。SSの敵味方混合軍vsベル。プリ5組とはまた違った戦いがある。

そんな熱い展開の裏で、夢原さんはまたぶっ倒れていました。タイムフラワーの副作用らしい。
「子供時代を捨てる」展開になるとは思えず、かといって何がどう不吉なのかも分からない。
あと3話。楽しみです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(第8話)キボウノチカラ〜オトナプリキュア’23〜「ワタシノマチ」感想

2023年11月26日 | オトナプリキュア
■(第8話)キボウノチカラ〜オトナプリキュア’23〜「ワタシノマチ」感想

花壇の手入れをしている描写が多いこまちさん。
カラーが緑で、キュア『ミント』ではあるものの、特にはお花属性はなかったと思う。そういうのは夏木さんが専門で。
この辺も、居場所に納得いっていない感を物語ってる気がする。


(「オトナプリキュア」第8話より)

トラウマ回として名高い「こまちちゃん人形」や、ダークミントとの戦闘で描かれたように、こまちさんは「割に合わない損な役回り」に悩んでいらっしゃった。
おそらくは姉の影響。家業を継ぐのかどうかはっきりしないまま、自由奔放に生きる姉のおかげで、こまちさんとしては「姉の予備」かのような想いがあったと推察されます。
戦闘においても防御担当。自身の攻撃手段は乏しいのに、身を挺して敵の攻撃の前に立たねばならない。

これらは必要なことであり、誰かを憎むことでもない。ただ、損な役回り。
ダークミントを抱きしめながら、彼女はおっしゃった。「あなたも救いたかった」。
物理的にダークミントの命を救いたかった他に、「損な役回りだと感じる自分自身の気持ちも大事にしたかった」のではなかろうか。

当時も解決はしたものの、こまちさんとしてはまだ燻るものがあったのかもしれない。
家業の手伝い。町の手伝い。
友人たちが夢を叶えて邁進する中、自分だけが手伝い手伝い手伝いで止まっている。それがなければ小説が進むわけではないにせよ、「何をやってるんだ私は」のモヤモヤが浮かんでも無理はない。

その解決として「私もまたこの町の登場人物だ」というのは、非常に納得がいく。
手伝いではない。当事者としての行動です。
当事者であれば「やらされている」「誰かの尻ぬぐい」の意識は薄れるし、もっと積極的に自分から改善に動くこともできる。

(本来であればSDGsもそういうことのはず。誰かに言われて、誰かのために負担を背負わされるのではなく、自分が楽をするためにやる)

小説についても同様で、人物や描写を他人事のように感じ、「書かされている」感覚だったのかもしれない。
書いている自分もまた主体的な当事者であり、自ら物語を動かす。そういう意識であれば、小説も進められそうに思えます。

かれんさんやナッツが登場すらしなかったのは、この悩みは自分で納得する必要があったからじゃないかな。
「こまちは花壇を頑張ってるじゃないか」と他者から言われても、「それは私がやりたいことではない」の想いは消えないと思う。
自分の居場所は、自分で納得するしかない。

派手さはないものの、15年前から一歩前に進んだ気がする。完全解決はしていない(そういう性質の悩みではない)ので、いずれまた同じ壁にぶつかるのかもしれませんが、主体的な登場人物としての意識を持つことができれば「誰かの手伝い」からは抜け出せると思う。

【その他1】
雪城さんの祖母が登場なされました。地理がどうなってるのか分かりませんが、サンクルミエールとベローネはそれなりに近いところにある…のかしら。

・雪城祖母は「あなた方の町」と語っており、現住所とは離れていると伺える
・こまちさんは車で訪問している
・雪城さんは電車通学(うろ覚え)だった

これらを踏まえると、サンクルミエールとベローネ間は、車で1時間以上は離れていてもおかしくない。
隣近所と言えるほどの距離ではなく、車を持たない中学生にとっては(特に直通の公共交通機関がないなら)意識の外の町でも変ではなさそう。
MH組とGoGo組が交わることなく活動していたとしても不自然ではないはず。

【その他2】
夢原さんが倒れた。

タイムフラワーには副作用的な何かがありそうですが、現状では皆目不明。

素直に考えるなら、過ぎ去った過去の力を使うのは「悪い」ことでその反動…といった感じかと思いますが、「プリキュア」でそれをやるのかは疑問。
EDでも「ファンタジーも守りたい」と歌われており、「プリキュアに頼るのは止めよう」的な展開はちょっと想像しづらい。

あと4話しかない(!)ので、あまり深読みせずに素直に待ちたい。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(第7話)キボウノチカラ〜オトナプリキュア’23〜「ウレイノカジツ」感想

2023年11月19日 | オトナプリキュア
■(第7話)キボウノチカラ〜オトナプリキュア’23〜「ウレイノカジツ」感想

各所に自然に織り込まれた、かつてのレモネ回のオマージュが心地よかった。
公園、台詞、その他もろもろ。若返った瞬間、以前の声音に戻るのも好き。

ラストのこのシーンも、どこかで見た覚えがある。
本放送当時、公式のキャラ紹介で「辛くても営業スマイルができる」と記載されてて、「スマイル」には色々と曰く付きの娘さんなれど、だからこそスマイルが印象に残ってる。


(「オトナプリキュア」第7話より)

春日野さんはプリ5の時代から女優志望。だけど事務所はなぜかアイドル売りを選択。
色々と思うところを抱えたまま、鳴かず飛ばずの売れない新人アイドル様をしていらっしゃった。

「友達がいない」に代表されるように、彼女は良くも悪くもストイックで、一人でのめり込む傾向がある。
お歌を通じて「私一人ではない」に気づきはしたものの、あの後やっぱり孤高の道を進まれたようで…。
夢を大切に思えば思うほど、夢から遠ざかってしまうジレンマ。

そんな行き詰まりを打開してくれたのは、かつて「無駄な寄り道」として切り捨てたお歌だった。
言及されていませんが、おそらくはデビュー曲のあのお歌は、今の彼女からすれば聴くのが辛い出来栄えだったと思う。
久々に歌ったお唄も、シロップは絶賛したものの客観的な技量としては素人に毛が生えたレベルだったんじゃなかろうか。
だって練習してないんだから。

でもそんなこととは関係なく、お唄は胸に響いてくる。
ローズガーデンでシロップが心の支えにしたのも、美しい花を咲かせたのも、今回の配信で誰かの胸を打ったのも事実で、技量等とは別の何かがある。
これを「才能」と呼んでしまうのは、努力の人である春日野さんに失礼な気がする。もう「はじける」何かとしか言いようがない何かなんだろうと思う。

「プリキュア」が子供時代の象徴なように、「お歌」もまた春日野さんにとってはそうだったのかもしれない。
無邪気に憧れていた何か。おそらくは実社会では通じないのだろうけど、それでも大好きで人に勇気を与えてくれる何か。

アンチコメントのようにそれが通じない人もいるのだけど、春日野さん自身はそれに悩んだりはしていないんですよね。
「鏡の国」で闇レモネに毅然として言い放った、あの強いレモネを見るようだ。「私、もう行きますね。ドリームが呼んでいるので」。
夢に向かう私には、無理解な異質な人々にかかずらっている暇はない。
闇雲に全てを切り捨てるのでもなく、かといって何でもかんでも抱え込むのでもない、前向きな求道の精神。

次回予告で「シロップが来る」と流れた時には、「デートして恋愛感情に気づいて演技が変わる…とかのよくある展開はレモネっぽくないなぁ」と思っていたのですが、完全に杞憂でした。
しかもまさか新曲まで繰り出されるとは。子供時代のあの楽しかった戯れは、今の自分を救うと共に、新しい命を生み出した。

現実社会に置き換えてもとてもよく分かる。仕事に行き詰ったそんな時、何の意味があるかはさておいて、子供の頃に好きだった何かを楽しむ。力を与えてくれるし、不思議と問題が解決したりする。

「夢に向かう時、人は一人。でも同じように夢に向かう誰かがいれば、たとえ離れていても力になる」。本編のレモネ回でも顕著だったプリ5のこのテーマが、今回の話でもとても活きていた。彼女の配信を聴いた人たちは、直接会ったわけではない。シロップのローズガーデンでの出来事も、直接歌ったのではない。逆も然りで、春日野さんは自分にイイネした人に会ってはいない。それでも確かに力になった。
そしてシロップがそうだったように、春日野さんの知らないところで誰かに思わぬ影響を与え、10年後20年後に彼女の元に帰ってくるのかもしれない。ある意味「種を蒔いた」とも言えるのかも。だから「花が育つ」にかかったのか。

以前のレモネ回を継承し、新しい時代を進む素晴らしい回だった。これがあと5話で終わってしまうのか…。
次回のこまちさんは、サブタイトルから予想するに「この街を守る」がモチベーションで変身なさるんだろうか。
「町内のお手伝い。私には何もない」は、以前の「損な役回り」にも通じる。「仲間を守る」が「街を守る」に拡張される流れだとしたら、これまた綺麗な展開すぎる。

【霧生さん】
何気に皆勤賞。ついにご本人様が登場された。

春日野さんは霧生さん達を知らないっぽい。DX2等で出会っていても不思議はないのだけど、やっぱりこの子らは積極的な交流はしていないらしい。
逆に霧生さんは春日野さんを知ってるんだろうか。

・「女優うらら」は知っているが、キュアレモネードとは知らない
・「女優うらら」は知らないが、キュアレモネードだとは知っている
・どちらも知っている
・全く知らない

真相如何によっては、またレモネが「私ってオーラもないのか」と落ち込みかねない。
何せ街中にCDの販促ポスターが張られていたのに、後に友人のお店の宣伝をした際には誰も相手にしてくれない有様だったものな…。
「春日野うららは何故かオーラが希薄」という謎の裏設定が出来上がってしまってる。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(第6話)キボウノチカラ〜オトナプリキュア’23〜「ホノオノユラギ」感想

2023年11月11日 | オトナプリキュア
■(第6話)キボウノチカラ〜オトナプリキュア’23〜「ホノオノユラギ」感想

SSの始まりの地。DXで黒白先輩が戦った場所。Fではシュプリームとプリキュアの再会の舞台。
そんな由緒ある場所に、かれんさんと夏木さんも。


(「オトナプリキュア」第6話より)

「大空の樹を切る」という不穏なワードも飛び出しましたが、個人的にはあんまり衝撃はなかった。
「たとえ滅びたとしても、全ての物に命は宿る」のSSの思想的には、切り倒してもどこかで芽吹きそうですし、あの町の人々が「はい、切られました」となるとも思えず。会社的にも、地域住民の信仰の対象になっている大木を切って呪い的な噂が立つよりも、パワースポットとしてアピールした方が売りは良さそうなので。

【夏木さん】
念願かなってデザイン部に配属されたものの、ここ最近はコンペでの成績が振るわず。
営業部への転向を進められたりと、夏木さんはかなりの崖っぷち。

もともと彼女がアクセサリに目覚めたのは「ビーズメーカーの販促要員」という身も蓋もない理由だっただけに、営業の方が向いてるんじゃなかろうか?とは思うのですけど。向いてるかどうかと、本人のやりたいことは必ずしも一致はしないのが難しいところ。

ラストチャンスにも等しいコンペに臨んでは見たものの、やはり結果は芳しくなく。
「フェアトレード」「みんながハッピー」「見過ごさない」等々、綺麗な言葉は並べたものの全く響かず。

実際これらの言葉は完全に正しく、誰も否定はしない。でもモチベーションには繋がりません。
後の夏木さんの行動が見事にそれを物語ってる。

シャドウから目を背けた夏木さんが気にしたのは、「街に被害が出たかも」ではなく、「のぞみに顔向けできない」でした。
身勝手といえばそうですが、顔も名前も定かではなどこかの誰かへの想いより、長年の親友を想うのは人として当然です。

彼女が再変身の際に発した「私がやるしかない」は、かつてかれんさんが変身に失敗した時の言葉に酷似している。
あの時は失敗した。今は成功した。

子供時代は何でもできる、全部やれると思っていた。その無謀な責任感からの「私がやるしかない」はやっぱりネガティブだろうと思う。
今回のは違う。何でもはできない。むしろできないことばかりだった。それでもこれだけは、自分しか頼れる者がいない友にだけはせめて応えたい。故の「私がやるしかない」。

例えるなら、仕事でボロボロ、趣味も上手く行かずで疲弊しきっていても、幼子の前でだけは懸命に奮い立つようなものというか。
行き過ぎると呪縛ですが、最後の矜持としてそこだけは崩したくない一線は、やっぱり大事だと思う。

そしてこれも、夏木さんがコンペで語った「みんながハッピー」の薄っぺらさに繋がる。
結局のところ実社会としては「みんな」と漠然と言われても響かない。大事なのは目の前の特定の誰か。

SDGsの(表面的な)思想に疑義を唱える展開だったのは、なかなか小気味よかったです。
もちろん、フェアトレード等は大事なのは大前提なのですが、綺麗な言葉だけでは実態が伴っていかない。
そういえばプリキュアさんは本来、世界平和のために戦うのではなく、目の前の困っている人やチョコのために戦う存在だったものな。

【夢原さんと時の花】
ココはそれなりにこっちの世界に来ていたようです。
そして夢原さんを遠くから覗いて、帰って行った。

これに関しては色々と難しい。
感情的には「ココ、しっかりしろ!変な遠慮して待たせるな!」なのですが、ココが国王になるのは初めから分かっていたこと。
夢原さんの教師の夢はその後ですから、ココの立場としては待つしかない。
というかココの視点で見るなら、夢原さんが教職に進んだ時点で「振られた」と解釈してもおかしくはない。

おそらくはクレープ王女のような縁談話もあったでしょうし、それらを断ってもいたんじゃなかろうか。
夢原さんはそこら辺のこと、どう考えていたんだろう?夢見る乙女的には受け身で待っていたのかしら。

まぁ男性から告白やプロポーズをして責任を取れ…は明らかに差別としても、ココの方が先に大人になったわけですから、彼の方から何か動くべきだったんじゃないかとは思うのですが、この辺は第三者がどうこういう話ではなくなってきてる気もする。

また、タイムフラワーは不吉だと念押しされました。
すぐに思いつくところとしては「子供時代のプリキュアに頼るのは現実逃避だ」など。ですが、これまでの描写を見る限りでは「逃避」のようには感じません。
明らかに現実を前に進める原動力になっている。

これが「コンペに向かう途中でシャドウを発見。コンペに行くのが怖かったので、シャドウを口実にしてプリキュアになって戦い、コンペを欠席した」などであればまずいでしょうけど、実際には逆です。何より「プリキュアを悪としては描かないだろう」という最後の一線的な信頼もある。
既に半分が終わってしまいましたが、どういう決着をつけるんだろう?
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(第5話)キボウノチカラ〜オトナプリキュア’23〜「ノゾミノノゾミ」感想

2023年11月04日 | オトナプリキュア
■(第5話)キボウノチカラ〜オトナプリキュア’23〜「ノゾミノノゾミ」感想

隔離されてボスと配下(?)に囲まれてる状況なのに、全く不安が沸かないの強い。
かつて何度も見た。私たちの夢は、こんなことでは折れない。


(「オトナプリキュア」第5話より)

夢原さんといえば「あなたに会いに行く」がキーフレーズのお方。
フローラ様との約束然り。OPでも歌われ、DXシリーズやニンテンドーDSのゲームでも重要な位置を占めている。

そんな夢原さんのところに、ココが会いに来た。
今回の戦いはパルミエは無関係。視聴者的にはちょっと混乱しますが、今までと違いココナツは巻き込まれた側です。
かつて夢原さんが無関係のココナツを救うために飛び込んだように、今度はココが来てくれた。

ナッツの「この豆大福を守りたい」も、いかにも言いそうでよくある台詞回しにも見えますが、今度の危機にはパルミエは部外者であると思うと、恩義あるプリキュアを助けるための参戦が胸に染みる。
非常事態なので手放しで喜びはしないにせよ、ナッツとしては少しでも恩を返せることが嬉しかったんじゃないかな。

ココが何故長らく会いに来なかったかははっきりとはしない。
想像するに、今までプリキュアに頼りきり(ではないがココとしてはその想い)だったので、ドーナツ王国との問題等々は自分たちで解決したかったのかもしれない。
視聴者的にはシャドウのような明らかな敵役がいる方が一大事には見えますが、当事者としては、かつてのナイトメアと同等クラスに厄介な問題なんだろうと思う。

もし夢原さんに会って話したら、「私も行こうか?」となりかねない。
夢原さんにその気はなくても、国防兵器プリキュアを伴って赴いたらドーナツ王国は超警戒すると思う。ココ国王…そなたの真意はよーくわかったドナ…。
それ以前に、夢原さんらと交流があるというだけでもかなり凶悪な抑止力。プリキュアなだけでなく、キュアローズガーデンの継承者でもあるしな。
こういった「夢原のぞみの外交利用」を嫌って距離を置いたのかもしれない。

【今週の鳥】
美翔さんはココのことをあまりよく知らなかったらしい。さもありなん。
オールスターズで出会っているとはいえ、ただでさえ何十人もプリキュアが居るのに妖精まで全部把握できるか。

逆に、夢原さんたちはフラチョピのことを「変身に必要な妖精」ぐらいにしか認知していないのかしら。
仮にそうだとしたら、「変身アイテムがない」「タイムフラワーで戻ってきた?」等々を加味すると、ふたりに協力を仰ぐことに不穏な何かを感じ取りかねませんが。

今回「タイムフラワーは不吉だ」と明言されてしまいました。
SSのテーマを踏まえても、「美翔さんは変身しない(あるいは象徴的な変身のみ)」が濃厚になってきた気がする。

どうやらベルは、文明の発展に伴う環境破壊的なものを嫌っている様子。
SS的には「全ての物に命は宿る」からの「命の歩みは止められない」なので、環境が壊れていくのは肯定している。
ゴーヤーンが望んだかつての静寂には戻れない。

ダークフォールのフィフスエレメントも同様の思想です。
「火の滅び」の象徴たるモエルンバは、火に冷気をぶっかけて滅ぼすのではなく、勢いよく燃え盛り生命の輝きを謳歌した後にすべてを焼き尽くして消える滅びです。
エントロピーの増大を加速させる滅びであり、ベル(やゴーヤーン)の停止の滅びではない。

そういう意味では、元ダークフォールの霧生さんが対シャドウで暗躍してるのが物凄くハマっていて嬉しいです。
生命の営みで自然が壊れる?それの何が問題なの?
防げる汚物を垂れ流したり等の破壊は論外としても、いずれ必ずくる「滅び」については受け入れているように思う。

あと周囲は知らないとはいえ、つい昨日、彼氏と別れたばかりの状況でココは運命の人云々を聞くのはしんどいな…。
全くそんな素振りを見せなかったあたり、えらくタフというか、まぁだから彼氏も違和感あったのかなとか、まぁそんな感じ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(第4話)キボウノチカラ〜オトナプリキュア’23〜「マヨイノツバサ」感想

2023年10月29日 | オトナプリキュア
■(第4話)キボウノチカラ〜オトナプリキュア’23〜「マヨイノツバサ」感想

美翔さんがブラウン管に帰ってきた!そして壮絶に美翔さんだった!
微妙に猫背なところとか、盛大に転ぶところとか、とてもとても美翔さんです。


(「オトナプリキュア」第4話より)

このシーンも、微妙にお口あんぐりしてるところが微笑ましい。

と、小ネタを拾った上で本題。

【あの時見た未来】
往年のSSファンの議論の的「美翔舞は絵の道に進むのか?」。

美翔さんは個人回やキャラクターソングで、絵を否定的に描写している面があります。
「一人で絵を描いていればそれで良いと思っていた」とか「どんなに上手い絵を描いても、息づいている命にはかなわない」等々。
特技をネガティブに扱う、かなり奇異な描かれ方をしている。

なので私的には、「美翔さんは絵と関係はあるが、画家のような完全特化の道にはいかない」派でした。
「ロゴのサイズをどうするか」のような、(同僚からは「つまらない仕事」と認識される)作業を黙々とやってるのは、かなりイメージにあってる。
あくまで未来の一つとして描かれているだけとはいえ、今回の美翔さんはすごく納得できた。

【目をそらしたのか、直視したのか】
美翔さんは「熱中すると時間を忘れる」欠点を抱えています。
日向さんの「時間にルーズ」とセットで、なぜかSS組は時間に関わる短所がある。

大人になった美翔さんは、結婚や出産・キャリアアップがピンとこない。
別に50代や60代になってから結婚してもおかしくないし、その年代で転職や昇進しても変ではない。
ただそうはいっても一般的なルートはあるわけで、考えた上で見送るのは良いですが、目をそらすのは違う。

今回の描写では、美翔さんはこれらに実感を持てないまま、かつてのキュアイーグレットの姿を思い浮かべながら、未来につながる(可能性があった)彼氏との別れを選択しています。見ようによってはプリキュアに逃避している。

一方、美翔さんは元々人付き合いが好きな方には見えず、一人を苦にしていない子です。キャリアアップのような他者評価を気にせず、時間を忘れて絵に没頭する方が本来の「美翔舞」のようにも思えます。
それならばかつてのキュアイーグレットを見つめるのは、自分が本当に大事にしたいことを直視したとも言える。

どっちなのか現時点では全く分かりません。
プリキュアに変身する(のだとしたら)その過程では描かれそうなので、ドギマギしながら待ちたい。

【時間は戻らない】
SS本編の敵ゴーヤーンは、宇宙創成前の静寂に戻りたかった。
SS映画の敵サーロインは、時を止めて自分だけの世界にしたかった。
だけど息づく命の歩みは止められない。

では今回の美翔さん達はどうなんだろう?
先に進む(結婚やキャリアップ)ことと違う方向に進むのなら、SSの位置づけが変わってくる可能性があります。

誤解のないように念のためですが、「結婚する=前に進む」ではない。
「結婚するかしないかを決める」のが「前に進む」。
「判断を先送り」ではなく「暫定的にでも考えた上での決定」は大事だと思う。

今後の展開が本当に楽しみです。どうなるんだこれ。

【恋愛事情】
描かれていないので想像ですが、美翔さんの恋愛は一般的なそれより希薄で、ラブラブというより「同じ空間にいればそれでよい」タイプな気がします。
一人で黙々絵をかいてるだけでも、同じ空間にいればデートが成立するとナチュラルに思ってるタイプ。

美翔さんはかなりの美人さんとして描かれている娘さんですが、本人がそっちの方向に磨きをかける感じではない。野山をごそごそして絵を描いたりするので、スカートではなく泥にまみれるズボンが普段着とか。おまけに「一人で熱中すると時間を忘れる」ので、仕事に没頭すると疎かにされそう。
彼氏側からすると、まぁ別れるルートに乗るのは妙に納得できる。

この謎の「彼氏」および美翔さんがどのような恋愛をしたかは、演じた榎本さんも色々と解釈されたそうです。
何が正解かは分からない。ちなみに相棒の樹元さんは榎本さんとは逆の解釈で、もうこれは個々人が思うように妄想して、新たな「謎の行方」として楽しむのが正解な気がする。

最後の別れのシーン。榎本さんによれば「想いを込めて泣きながら告げる」バージョンも収録したそうです。
ただそれだと未練があるようにも見えてしまったので、放送のバージョンになったらしい。

【オトナプリキュア】
他、日向さんの婚約や夢原さんがココと連絡を取っていたとか、ブンビーさんの再登場など大騒ぎだった第4話。
全12話で終わるとは思えないほどのパワーです。凄いな、これ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(第3話)キボウノチカラ〜オトナプリキュア’23〜「ココロノキオク」感想

2023年10月21日 | オトナプリキュア
■(第3話)キボウノチカラ〜オトナプリキュア’23〜「ココロノキオク」感想


(「オトナプリキュア」第3話より)

美翔さんがブラウン管に帰ってきた!
もう何度書いたかもわかりませんが、今こそ明らかに疑いようもなく帰ってきてくれました。
SS最終回の「またどこかで会おうね」から20年近く。こんな形で続編を見られるとは夢にも思わず。

現時点では美翔さん達の詳細な近況は分からず。変身可能かも不明。
夢原さんらと違い、SS組はフラチョピが不可欠なので「当然、変身はできない」が彼女たちの認識のはず。
「気が付けばアイテムが消えていて、いつの間にか変身できなくなっていた」的な感傷はなさそうです。

逆に言えば、フラチョピがいさえすれば「当然、変身できる」と思っていてもおかしくない。
夢原さんが何故、若返って中学生姿で変身したのかは不明ですが、今回わざわざ言及していましたから物語的に意味があるのかもしれない。
だとしたら、SS組は若返らずにそのまま変身とかも変化としてありえるのかも。

夢原さんが変身できたのは、建付けとしては「タイムフラワーが過去からバタフライを呼び寄せたから」かと思われます。
それならば過去からフラチョピがやってくる…?直感的には違和感はあります。バタフライと違って喋れるので、時間移動的な妙な話になりかねない。
ならフラチョピ抜きで変身する?もしもそうなら、タイムフラワーは時間を操作しているのではなく、幻影や幻覚の一種なのかもしれない。

てっきりGoGo組の再変身が終わってからかと思いきや、いきなり次回で美翔さんメイン回のようです。日向さん抜きで変身したら驚天動地。
素直に考えるなら次回はひたすらに美翔さんが鬱屈するのみで、再変身者は出ないとかかしら。
何か激務らしいですね、美翔さん。ぱっと見た感じでは絵の専門職というより、ITや事務系の仕事にも見えるのですけど、何やってるんだろう…。編集系の仕事とか?

【2人目と3人目】
再変身者2号と3号は、かれんさんとミルクさんでした。

患者の気持ちが前を向かないと、医者がどんなに頑張っても良い結果にはならない。
かつての「私一人が頑張れば」の別側面の壁です。あの時は自分が拒んでいた。でも現実には他者の方から拒まれることもある。

今にして思えばプリキュアバタフライに拒絶されて変身失敗したのも、義務感での変身がまずかっただけでなく、そういう文脈もあったのかもしれない。
かれんさん一人が空回りして頑張ろう頑張ろうでは、患者さん(プリキュアバタフライ)もうんざりするばかりで近づいてこない。

嫌われ役として登場している指導医さんもそうなのかも。
投げやりのように見える彼ですが、患者さんはあの人一人ではないわけで、過剰に入れ込んでいては他の患者にも迷惑をかけてしまう。医者の身だってもたない。
彼なりにかれんさんを気遣って、あえて気楽に振舞っていたとすら思えます。「難しい若手だ」と愚痴るのも仕方ないんじゃないかしら。
これも一種の「かれんさんの変身失敗」な気がする。「私がやる」と空回りして、距離を置かれてしまった。

前進のきっかけになったのは、そもそもの夢の始まりであるミルクさんの御世話の思い出。
まずはとにかく必死にできることをやろう。なまじ手段を得ていたせいで忘れていたこと。

再変身は存外あっさりだったようにも思えましたが、学生時代をなぞるかのような経緯を見れば、変身できて当然だなとも。

ミルクさんはもっとシンプルで、かれんさんの危機に即座に変身なされた。
というかパルミエのお世話役は、夢原さんらとは違う仕組みで変身していましたし、今も別に変身できなかったわけではない?
若返ってはいるもののタイムフラワーの描写も特にはなく、何かその辺を曖昧にごまかされた気もする。
ミルクさんが「オトナ」の何やかやで変身できなくなるのは、微妙に釈然としないものがあるものな…。

かれんさんが一人でシャドウを撃破してしまったら「私がやらなきゃ」のまんまですから、同時にミルクさんも変身したのは良い思い切りだったと思う。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする