穴にハマったアリスたち
生きてれば楽しい事がいっぱいある!の証明の為のページ。ぴちぴちピッチを大応援。第三期をぜひ! →新章開始!ありがとう!




■マーメイドメロディーぴちぴちピッチ aqua「episode1:運命の恋、ふたたび」感想


なかよし 2021年9月号

17年以上の時を経て、ついに「ぴっち」の第3部が始まりました。おめでたい。ただひたすらにおめでたい。原作者様、関係者の皆々様に感謝しかありません。

感激を語ってるだけで数千字は軽く使ってしまいそうなので、何はともあれ感想を書いてみる。

新主人公は「るきあ」さんです。
まずいきなり誤字なのかと首を傾げました。
「るちあ」ではない。「るきあ」。
アルファベットで書くとどちらも「Lucia(またはLukia)」。lux(光)が由来の読み違い。
おまけに平仮名表記の字面まで似ています。誤字誤読が恐ろしい…。

物語の舞台は不明。とりあえずどこかの陸です。たぶん前作の街だと思いますが、「パパとママが出会った海」は別の場所だった気もする。
そういえば「ぴっち」の舞台となった街の名前って、なんだっけか…?

第2部から何年後かも不明。るちあさんと海斗くんはご結婚なされたらしい。
るちあさんは主婦を、海斗くんはサーファーをやってるそうです。この人魚さんはマメプリの自覚とかないんでしょうか。

そもそも「娘」とは何なのか。パンタラッサとマーメイドの間で子を成せるんだろうか。
それ以前に人魚さんは我らホモサピエンス的な生殖活動を行ってるんだろうか。前作で「マーメイドは女性ばかり」と説明されているし、るちあさんの両親の話題は不自然なまでに出てこないし、聖羅の事例もあるしで、疑わしいことこの上なし。
一応「マーメイドとヒトの子孫」を『自称』する人物はいたので可能性は否定できませんが、正直なところ何がどうなってるのか分かりません。

ここまでで開始3ページ。初っ端の基本設定だけで悶絶してばかり。無駄に邪推するなら「実は実子ではない」はあってもおかしくない気がする。

るきあさんは17歳。るちあさんは14歳でしたから年上です。なんで14歳に設定しなかったのかは謎。とりあえず知的レベルは、第1部第2部のるちあさんよりお高いらしい。
(追記:前作の終了から17年経ってるから17歳なのかしら)

なのだけれど、るちあさんと同様に、浜辺で闊歩中にサーファーを発見、即座に恋に落ちました。
そして溺れかけたのをいいことに速攻で押し倒し、接吻にまで漕ぎつけました。早い。さすが高校生様。

その後学校に出向いたところ、件の彼・黒砂くんは学内でも有名な王子様と判明。
極めて高いスペックと性格の彼は、どういうわけか人魚がお好きなようで、図書室で人魚の本を読んでいらっしゃった。
なお人魚の本を見かけた、るきあさんの第一声は「エッチな本?」。下半身サカナのイラストを見て、最初に思い浮かぶのがその連想。

人魚について語る黒砂くんを見て、るきあさんは逆切れに等しき嫉妬を炸裂。「人魚なんているわけないでしょ?」。当然ながら激怒されました。
母・るちあさんが数話かけて行ったことを、僅か1話で踏破なされた。早い。さすが高校生様。

激怒した彼は、伝統に則り接吻で黙らせてくるかと思いましたが、さすがにそこは人類。踏みとどまりました。というか、ほぼほぼ初対面でそこまで踏み切ったら、さすがに怖い。こればっかりは、1話で駆け抜けたことが裏目(?)に出た。いや第1話にして「正体は人魚じゃないか?」と見抜きかけた海斗くんなら、1話でも突き抜けたかもしれないですが…。

何だか釈然としないまま帰宅したるきあさん、お誕生会を開いてもらいました。参加者は母の友達の波音さん、リナさん。さらっと出てきたのが逆にすごい。第2部ではなかなかシリアスに地上と海の世界とで悩んでいただけに、ここに至るまでに何があったんだろう…?リナさんのカットの後ろにいる人物も謎です。素直に考えるならお子様でしょうか。それ、さらっと流してよいことか。

さてその3人に連れられて、るきあさんは波打ち際へ。そして海中にドボン。母が、いきなり夜の海に身を投げた…。

唖然とする中、るちあさんらの尾びれがぴちぴちと跳ねる。一緒に海に入った、るきあさんの尾びれもぴちぴち跳ねる。本当に書き文字が「ぴちっ」と踊るぐらいに、ぴちぴちと。

何の事情があったのか分かりませんが、るきあさんは今の今までマーメイドだとは知らされていなかったそうです。どうやって生活してたんだろう…。「濡れたら人魚になる」と思ってたんですが「海水限定」だったんだろうか。それとも、るきあさんが何か特殊な事情があるんだろうか。

るちあさん:
 「るきあ、あなたのその瞳…」
 「…髪…」
 「足先まですべて…」
 「マーメイドの血を受け継いでるのよ」

何気に怖いこと言っています。「ぴちぴちピッチ」は種族や遺伝の問題が物語の根幹に流れているので、こう強調して言及されると気になります。
あと、パンタラッサのことはいいんだろうか…。マーメイドの遺伝子の自己主張の強さ。。

更には続けて「るきあには許嫁がいる」とまで明かされました。14歳のるちあさんだったら猛反発しそうなことですが、何があってそうなったのやら。

興奮しまくってる内に、第1話は終了。アイドル態への「変身」はなさいませんでした。「描かなかっただけ」なのか「変身できない」のか。
「マーメイドプリンセス」と明言されていないのも気になります。「人魚姫(ルビでマーメイド)」としか語られていない。実はマメプリは本筋と関係なく、「変身とかはしない」お話だったりするんだろうか。分からん。

もはや全てのページが何か楽しいです。ぴちぴちしまくってる。これを毎月読めるとか、何たる幸せ。本当に本当に、新章ありがとうございます。


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■(第22話)トロピカル~ジュ!プリキュア「ヒミツの大冒険!人魚の宝を探せ!」感想


(「トロピカル~ジュ!プリキュア」第22話より)

満月をバックに跳ねる人魚。素晴らしき様式美。
とある夏の夜に起きた、南乃島の奇跡の出来事です。目撃した語り部の御婆や子供たちは、きっとこの感動を長く語り継いでいくのでしょう…。

…実態は、入場料を払って観光してた人魚が、転んで溺れかけて慌ててサカナになって跳ねただけとは知らぬままに。ひとり迷子だ!

「トロプリ」さんは真面目に練りこんだ演出なのか、勢い任せのジョークが愉快に炸裂してるのかよく分からないことが多いのですが、今回もそんな感じ。

探検するつもり満々で挑んだ洞窟は、実際には観光地化されており、照明等もばっちり。でも現に実在した「人魚の宝」は未発見のまま。それがあったのは『危険』の注意書きの先。感覚に従って漠然と進み、事故で乗り越えてしまった結果、見つかりました。


(「トロピカル~ジュ!プリキュア」第22話より)

転落するローラの両手が伝統芸。

それはともかく、堅苦しく考えるなら「人生は未知の冒険のようではあるが、実際にはある程度の整備がちゃんとなされている。ただ「お宝」は未踏の危険な脇道の先にある」かのような。トロピカる部の方針的にも「事前にがっちり準備するのではなく、その場で臨機応変に対応せよ」ともあります。
まぁ「本気で大冒険させると、真似して事故にあう子供が出かねない」に配慮したのかなとも思いますが、わざわざ観光地だと明言するのは何か深読みはしたくなります。

地味にトロピカる部の顧問の先生も思い出します。今までの部活イベントの大半は、あの顧問が手配してくれていました。夏海さんが無軌道にはしゃいでいるようでいて、何気に道筋を大人が示してくれています。今回の洞窟と同じく、大冒険のようでいて、基本の道筋はちゃんと整備されているんです。
改めて思い返せば、これまでの「プリキュア」シリーズでは「顧問」の存在感はかなり薄かった。一般社会の人間に限定すると、ストーリーに関与しているケースはほとんどなく、「トロプリ」さんの特色なのかもしれない。

一方で、「脇道で見つけたお宝」は実のところ半分です。
愚かしくもローラは、追加玩具にばかり気を取られ、やる気パワーが充填されているらしき壺を見落としています。ヌメリーも同様で、何を探してこなければいけなかったのか把握していなかった。
これに関しては「事前に準備をすべき」だった。伝説の宝が何なのか知ってさえいれば、このミスは防げたのに。
だとすると今回のは失敗エピソードなんだろうか。たぶん「失敗とか成功とか、その一部分だけを切り取っても分からないし、そこに拘るのはナンセンスだ」な気がする。

「人魚であるローラが溺れかける」シーンも気になります。
「人魚がいる雰囲気ではない」とわざわざ言及され、ヌメリーさんもズリズリと下半身を引きずって苦労して移動しています。この洞窟は、人魚に全く向いていない。
だけど水が雪崩れ込んできたあの局面は、人魚であったことが活きた。水陸両用の面目躍如。何が起きるか事前には分からないからこそ、色んな側面の「自分」を持ってるのは大事だ。

そして冒頭に記載の「満月をバックに跳ねる人魚」の図。
おばあさんたちの感動と、実態のずれがなかなかに愉快です。ただ、だからといってそれが何か悪さをしてるのでもない。
「ハートキャッチ」の「他人の事情は分からないが、お手伝いならできる」の逆パターンです。ローラ達は全く意図していなかったのに、事情を知らない御婆たちは感動してくれた。

構図としては、6話の卒業生と同じです。
像を探していた卒業生のお姉さま方には、そんな意図は全くなかったのだけど、夏海さんは勝手にインスパイアされ、トロピカる部の活動方針を捻りだしました。
冬にハトプリと組むという先入観もあってか、これもテーマ的に意図してやってるように思えます。

満月といえば、第2話でもローラは月を背景に跳ねています。あの時は女王様になる夢を語っていました。
今回のこのお宝事件、はっきりとはしませんがおそらくは先代だか先々代だかの女王様絡みと思われますから、奇妙な縁です。
尤も当事者のローラはそんなことは露ほども考えず、溺れかけたので跳ねただけですけど。

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ソシャゲを見直す機会があったので、ちょっと記録してみる。

2014年の末ごろからスクウェアエニックスさんの「スクールガールズストライカーズ(スクスト)」をやっています。(公式サイト
かれこれ6~7年も細々と続けているのですが、たまたま下記の記事を見かけました。

「スクールガールストライカーズ」に関する所見

全体に納得のいく綺麗なまとめの中、下記の記述が気になった。
(以下、反論や批判の意図はありません。同時期にプレイを始めた遠い戦友として、とても貴重な情報だと思い、引用させていただきます)

[引用]
現在、私の選抜チームの攻撃力は、「1,877,134」これが、実質無課金勢の(最後に課金したのは5年前くらい、伊緒のURの「破軍のセレナーデ」が欲しくて5000円課金した。最近になって、レアガチャで当てた。)6年の成果である。
[引用終]

書かれたのは2021年3月で、本日現在21年7月と大きな違いはなし。
課金状況も私と概ね同じです。
それなのに私の攻撃力とかなり差がある。



私の火力は合計ATK3,693,941。約2倍も異なります。
同じ期間、同じ課金状況で、ここまで違うのはかなり意外でした。原因は何だろう?

まず単純なガチャの引き運は考えづらいように思えます。6年以上もやっていれば、さすがに運は平準化されそう。
何より私の選抜メンバーは「たまたま突出して強い引きをしたキャラを選抜している」のではないです。
スクストやってる人が見れば一目瞭然な、露骨に偏ったお気に入りの娘さんでガチガチに1軍を固めています。2軍も同様で、1軍メンバーの次にお気に入りの娘さんらを集めてる。これだけ選り好みした編成なんだから、引き運だとするとあまりに強運すぎます。

参照先でも言及されているように、スクストは「ゲーム性がない」ことで有名で、操作テクニックやフォーメーションや敵との相性やシナジーのような要素はなし。
それでも差がついたのは、おそらくは下記のようなことだと思う。

(1) 各イベントで、効率が良いラインの報酬をギリギリ確保し続けているから。

協力戦イベントでいえば、12500位以内。EXR補助券が1枚貰えます。
補助券は14枚集めれば任意のEXRと交換可能なので、戦力増強の基本がこれになります。

別途スコア報酬でも1枚+シートめくりのオマケで約1枚入手できるので、毎回確実に12500位に入り続ければ毎月3枚。年2枚強のEXRが手に入る。
12500位以内に入れず毎月2枚入手だと年1枚強。おおむね1枚の差がついてしまう。

これが6年間続けば(当初はURしかありませんが大意は同じ)6年で6枚。
現実には「ほんのちょっと順位を上げる」ことで2枚目3枚目の補助券が手に入るため、EXR8枚分くらいは変わってくるように思えます。

12500位以内を継続して確保するのはそれほど苦はないです。事実ここ1年2年は、一日2回ログインするかどうかぐらいのレベルでも、課金することなくこの順位を維持できています。
ただこれは「最初からずっとキープし続けていたから」な気がする。同ランクの他プレイヤーは同じ速度で成長しますから、最初にこの位置に踏みとどまったかどうかを境に、猛烈に差が開いていってるんじゃなかろうか。

(2) 無料報酬の類を固め打ったから。

2年ほどエリクサーやガチャ券を全く使わずに貯めこんでいました。目的は、推しキャラのEXRを無課金(もしくは低課金)で入手するため。その甲斐あってEXR3種は無料で手に入れました。(先日実装された4種目はまだ入手できず)

その時の遺産で、今でもエリクサーはそこそこ余っています。
緑555個、赤1300個、青370個。
1個100円換算すると課金22万円ぐらいの価値です。

「最初にため込んで、それから適宜固め打つ」のがどう有利に働くのか、具体的にしづらいのですが、(1)の「ギリギリのラインを常にキープするために、ちょっとエリクサーを使う」「たまたま調子が良かった時に、もうちょっと欲張って追加報酬を狙う」等はしやすくなるように思います。

逆の視点でいえば、半端に小出しにして12500位以内をとれないのは勿体ない。これが続けばそれなりの差になりそう。

(3) 他、細かな操作

協力戦でいえば「エリクサー回収のために上級~超弩級の踏破を優先する」「レアレイドの遭遇率をあげるために、協力戦ポイントがゼロの時もとりあえずエンカウントはする」「殴るのは救援の高レベル敵を優先。自前で遭遇した敵は、放置して逃がすのが基本」あたり。エリクサーと順位の効率につながりはすると思うので、多少の影響はあるとは思う。入手するエリクサーが1か月あたり10個変わると、6年で700個以上。そこそこゴツい。

上記(1)(2)(3)が正解かは分かりませんが、現実に2倍もの差ができる以上は、『課金以外の』何らかの要因はあったはずです。
そう思うと「ゲーム性がない」は間違いなのかもしれません。年単位のプレイ方針で差がつく、気の長い「ゲーム性」は確かにあるのかも。

【課金で勝てるのか】

スクストに限らず「課金しないと勝てない」はよく言われます。では「課金したら勝てるのか」。
先ほどのサイト様から引用させてもらいます。

[引用]
さて、ここからが、課金が必要になるのかという本題に入る。先述した、私のチームの攻撃力で叩き出せるスコアは大体5000~10000。イベント上位に食い込むには、大体10億以上のポイントを取る必要がある。つまり、途方もない量のエリクサーを消費する必要があり、そのエリクサーを課金して買う必要がある。
[引用終]

「10億ポイントが必要」+「スコアは10,000」であれば、10万回の攻撃がいります。
1回の攻撃操作に10秒かかるとすると約280時間が必要です。

イベント期間は7日間(より正確には6日と半日強)なので、約160時間強しかない。寝ずにフルタイムでプレイし続けても時間が全く足りません。
「課金しないと勝てない」のではなく「課金しても勝てない」が真実に近いかと思います。足りないのは金ではなく時間です。

※「最大30,000スコア」との記述もあるので、そちらを基準にすると34,000回。約90時間。一応は7日間(160時間)の枠には収まりますが、生活が破綻します。

※撃破ボーナスやフレンドの支援があるのでもう少し効率は上がります。

※アビリティや対戦ボーナスによるダメージアップにより、見た目の合計ATK以外でもダメージ効率には差が出るはず。実際、私のATK370万で約8万スコアです。ATK2倍に対して、スコアは3倍弱。12,500回(約34時間)でいける計算になる。

特攻込みなら、私の最大火力は約500万ATKでした。ここまではほぼ無課金でもいけます(特攻も無課金で揃えた)。
その時のスコアを記録していないのですけど、比例で考えるなら11万スコア。9,000回の攻撃と25時間のプレイ。課金合計90万+毎日4時間弱のプレイで届きます。
90万円!は気軽に出せる金額ではないですね…。先ほどの※で書いた効率アップに期待しまくったとして、なんとか40万円ぐらいでしょうか。その内の15万分ぐらいは無料報酬で賄えるとして25万円。1週間旅行に行ったと思えば、どうにか…と苦し紛れに言えなくはないぐらいにはなるかも。
ただ少なくとも課金1,000万+毎日40時間プレイ(もしくは課金340万+毎日13時間プレイ)と比べれば、現実味はかなり違います。

ついでに強者の皆様とも比較してみる。
うちのエースが平時100万、特攻時200万ATK。これを5人揃えるとして理論値は700万ATKぐらいでしょうか。
同様の試算でいくなら、課金を合計70万~80万+毎日3時間強ほどのプレイがボーダーとなります。500万ATKと比べて、そこまでの劇的な改善はなし。言い変えると「課金しまくって戦力を増強しても、あまり変わらない」と言えそう。
ゴテゴテのフルスペック重課金より、ほぼ無課金同士のインパクトの方が大きいのは、ちょっと意外です。

以上から、

「課金しないと勝てないのも事実ではあるが、それよりも時間がネック。そのため戦力強化が重要で、どういうわけか同程度のほぼ無課金でも、上位に食い込めるかどうかに直結するほどの要素がある」

と言えそうです。
「スクストはゲーム性がない」は思い込みに過ぎなかったのかもしれません。
貴重な数字データを公開していただけたおかげで、このゲームの見方が変わったように思います。

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■(第21話)トロピカル~ジュ!プリキュア「夏休み!トロピカる部の合宿計画!」感想


(「トロピカル~ジュ!プリキュア」第21話より)

夏休みです。登校できるようになったばかりなのに、いきなり長期休暇のローラはぶんむくれ。
でも夏休みだからこそできることはあるんです。毎日筋トレとか、毎日読書とか。ローラはますますぶんむくれ。
そこで夏海さんの実家の南乃島で合宿することになりました。島の目玉は?海!ローラはひたすらぶんむくれ。

「人魚がいるが故に、海イベントが減る」。ちょっとした盲点です。
ローラの性格的に、海の中を紹介しようとかホームで上機嫌になろうとかにはならず、地上を探索する方向に振れるため、いかにもありそうな海中探検とかが起きません。

島に行ったら何をするか。夏海さんが途切れなく語る魅惑スポットを、次々と計画に盛り込んでみる。
なんか途中で涼村さんが変な間で割って入っていましたが、たぶん夏海さんを一旦止めるためだと思う。なかなかに地味で大事なポジションを確立なされたな…。

紙に書き連ねた過密スケジュールは、残念ながら非現実的。最終的に、どうしても外せないものだけに絞り込まれ、あとはその場に任せることになりました。
トロピカる部成立の時と同じ流れだ。今一番大事なことをやる。完璧なる計画でも、何も持たずに行き当たりばったりでもなく、備えはしつつ臨機応変に構える。

その流れを考えると、後の展開は色々と悩みます。

涼村さんやみのりん先輩は重装備で現れた。彼女らが持参した物は、島とは直接の関係がない。冷たく言うなら所持品として失敗だと思う。
あすか先輩の弁当も、リアルに考えると外しています。何せ割とすぐに島についていますから、あの弁当を食べる機会はなかったのでは?おそらく島では歓待の準備をしていたでしょうし。

夏海さん自身はお土産や遊ぶための道具に全力集中していました。
彼女の場合、実家への帰省ですから着替え等々は不要だったと思われます。ゼンゼンヤラネーダにより、街中に下着をぶちまけられる騒動にならなくて、本当に良かった…。

明らかに夏海さんが最も重装備なのに、みのりん先輩らを「大荷物」と評していたのもちょっと気になります。誰もツッコまない謎のボケ。
無粋に深読みするなら「島に行く」目的に沿った準備をしていた夏海さんは「大荷物」ではない、微妙に外していた他3人は「大荷物」とか。
ただ夏海さんも宿題を持参し忘れてるから、無条件に「良い」でもなさそう。

あとまわしの方々は夏休みを欲して、我先にと出撃を志願なされた。
いつもの「あとまわし」とはだいぶ様子が違います。彼らの主義主張としては、とにかく「あとまわし」にしてしまえば休みも何も関係ないのでは?
目的のために率先して頑張るのは、良い行動に思えますが、これは「彼らも根っこは同じである」演出なのか「何かが違う(休む=あとまわしにするために頑張るのは間違っている?)」演出なのか。いやまぁ「特には意味はない」可能性も普通にありますが。

「今一番大事なこと」「あとまわし」やそれから生まれる計画等々の結果が、夏休みや合宿の終了時に分かるはず。最終回の展開の前哨戦とも言えそう。楽しみです。

【通りすがりのプリキュア】

秋映画は「ハートキャッチ」さんとのコラボだそうです。
正直、売上や人気面はともかくテーマ的には全く予想してなかった。何というか最大戦力を惜しげもなく連打してくる感がパワフルだ。

「ハートキャッチ」のテーマは「他人の事情は分からない。だから本質的な問題解決はできない。だけどお手伝いだけでも大きな助けになる」だと思ってます。
服を変えても内面が変わらないと意味がない。でも服を変えれば引きずられて気持ちも変わる。本質的な解決ではないけれど、それでいいと思うんだよね。とは来海さんの弁。

前回のヒープリ&GoGoが、お互いのテーマを補完しあう形でしたから、今回もそうなんじゃないかと期待しています。
それを念頭に先走った読みをしてみる。

第5-6話にて、卒業生が大事にしていたモニュメントを、トロピカる部は勝手に処分してしまいました。
一切悪気はない。それどころか5話では、皆で協力したポジティブなこととして描かれていた。

だけど卒業生の方々にとっては大きなマイナスで、それを挽回するためにトロピカる部は駆けずり回ることに。幸いにしてモニュメントは回収でき、これを通じて夏海さんは「今一番大事なこと」に気づきました。

このエピソードからいくつか想像すると…

(1) 花咲理論の弱点「他人の事情が分からない故に、裏目を引くことがある」の話です。
夏海さんはこれを挽回し、そこから良い結果にもたどり着いた。
なお今にして思えば、花咲さんの天然サークルクラッシャーぶりは、この要素を反映していた…のかもしれない。たぶん違う。

(2) 花咲理論の弱点「通りすがりには手伝う動機がない」の回答になる。
先輩方は、夏海さんを「手伝う」意識すらなかったのに、夏海さんは助かっています。

(3) 花咲理論の弱点「他者が手伝ってくれないと救われない」の回答になる。
「今一番大事なこと」に気づけたのは、夏海さん自身の行動によります。

(4) 花咲理論の弱点「解決策がまったく不明だと手伝えない」の回答になる。
部の方針をどうするかとモニュメント捜索には直接の関係はない。だけど問題解決につながった。

トロプリの他のお話も踏まえると「今一番大事なことをやることで、思わぬ別の物事の助けにもなる」といった方向でしょうか。ローラでいえば、地上を満喫することが女王候補としてもいつか役立つとかの流れです。そういえば「ローラが女王様になるために、何かのアイテムを集める」のようなストーリーでもないです。「直接的な解決方法にチャレンジする」ではなく、「別の行動が思わぬ助けになる」がテーマだったならしっくりくる。

回りくどく書いていますが、「今の自分にとって大事なことをやったら、思わぬ形で未来の自分の役に立つ」は納得がいきます。スタプリ以降の共通テーマに思える「今を生きて、未来につなげる」にも沿っています。

逆にトロプリ理論(色々と不明ですが)の弱点は「自己完結的な局所最適に陥ること」と言えそう。
今一番大事なことをやり、他者の助けなしに、一種のひらめきで自分で答えを見出していくと、どうしても視野に限界が来る。水陸両用のローラが、もはやニンゲンは不要とばかりに自分だけで戦ったなら、やっぱり行き詰ってしまう。
事情を全く知らない通りすがりの第三者からの手助けで、新しい知見やリソースが提供されるのは大事です。

表面的なストーリー予想をするなら、
「気ままに今一番大事なことをやっていたトロプリがピンチ」
→「通りすがりのハトプリが手助けしてくれる」
→「しかしながら事情を知らないこともあり、再度ピンチに」
→「序盤でやっていた、今一番大事なことが、期せずして役に立ち逆転」
→「事情を把握せぬままハトプリが協力して解決」
のような感じかしら。

というかごちゃごちゃ書きましたが、花咲さんを再度銀幕で拝めるのはとても嬉しいです。
ちなみに花咲さんは「人魚姫」をやったことがある。これも何かの縁なのかもしれない。


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■(第20話)トロピカル~ジュ!プリキュア「名探偵みのりん!消えたメロンパン事件!」感想


(「トロピカル~ジュ!プリキュア」第20話より)

メロンパンが消えました。部室から忽然と。誰かが食べたのです。
現場は状況的に密室。容疑者はトロピカる部の面々。
ずっと現場で寝ていた、普通なら最も疑われる立場のくるるんは、「食性が違う」からとすぐに容疑から外れました。食べないにしても、いたずらしてどっかにやったとか考えられると思うのですが、皆のくるるんへの信頼が厚いです。

みのりん先輩の指揮のもと調査を始めたものの、全員に犯行の機会がある。
くるるんに聞けば何か確証が得られそうなものですが、誰もそれは試みません。くるるんに聞いても無駄だ。皆の信頼が厚いです。それが失敗だったのですが…。

真相としては、犯人はローラでした。むしゃむしゃ食べた。飢えに耐え切られず、こっそり食ったのです。
ただまぁ無理もない。常人が侵入できない、アクアパットの中の彼女の冷蔵庫にあったのだから、疑いもせずに食いはする。

尤も、ローラ自身に覚えのないメロンパンなんですから、持ち込んだのはくるるんのはずです。事実、くるるんが入れたものだった。
ということは、ローラは「くるるんの」メロンパンだと認識しながら食ったことになる。

くるるんはメロンパンを食べない(確信)ので、冷蔵庫に入れたのはローラのため、と考えても不思議はない。
察するに日常的にこの状況は起きているんだろうか。ローラはくるるんを飼っているつもりですが、くるるんに餌付けされているのはローラの方なのかもしれない…。

そういえば終盤にくるるんが「ぬいぐるみのふり」をしていましたが、全くごまかせずに「変わったアザラシ」として認知されている気がします。
餌とかもらってそうなので、そのままローラに融通してるんだ。それをむしゃむしゃ食ってるローラ…。

なおローラは言及しませんでしたが、水没していたメロンパンは不味かったんじゃなかろうか。それもあって、話題のメロンパンと結びつかなかったのかもしれない。
「メロンパンを冷蔵庫に入れる」自体が若干謎の行動だし、くるるんが優秀なのかどうなのか、すごく絶妙だと思う。

【あとまわしの世界】

犯人が誰か分からずに揉めたトロピカる部。
犯人が誰か明白なので揉めたあとまわしの人たち。

奪う意図がなくても謝ったトロピカる部。
奪う意図があった上で悪びれない あとまわしの人たち。

色々と深読みできそうなので、あとで思い返してみよう。

【尾びれのある世界】

今回のお話、地味に人魚なことを活かしています。
「ローラが現場にいることはいるが、確認もできず、存在を意識できない状況である」「冷蔵庫にアクセスできる存在が限られている」を満たしつつ、「ローラを人魚姿にする」合法的な理由も作れます。
メロンパン事件のギミックとしてアクアパットがあるのではなく、アクアパットおよび尾びれを活かすためにメロンパン事件を考案したんじゃないかの勢い。素晴らしい。今後も尾びれを大切にして欲しい。

※物凄くどうでもよいことですが、トロプリでは「尾ひれ」で統一されています。「尾びれ」ではない。
「尾ひれ」とは「尾やひれ」のことであり、末端部のひれ以外の背びれ等も含むらしい。
ローラがサカナであることを強調するのであれば、腹びれなどの存在も示唆する「尾ひれ」の方が適切だと思うのですが、個人的には胸びれ等には興味がないので「尾びれ」と名指しで書きたい。

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■(第19話)トロピカル~ジュ!プリキュア「まなつパニック!学校の七不思議!」感想


(「トロピカル~ジュ!プリキュア」第19話より)

学校の七不思議を調べることになりました。ローラの人魚騒動をごまかすために。そして廃屋の人形に夏海さんが取りつかれました。哀れ、毎日お供えものをする下僕に。
しかしながら日々お供えを続ける内に、人形との交流が深まりました。メロンパンと卵焼きが好きだそうです。
お友達が帰ってくるのを、おなかをすかせながらこの寂しい廃屋で待っているらしい。健気さに、夏海さんも涙。

一方の後回しサイド。プリキュアに迎撃されたエルダは帰還手段を失い、敵地に孤立。辛うじて風雨はしのげるものの、食料調達もおぼつかない。床に残るナメクジ痕が痛々しいです。プリキュアの追撃に怯えながら、必死に逃げ込んだんでしょう…。
我々でいえば、敵だらけの深海で立ち往生し、食べるものもない状況です。呼吸の心配はないとはいえ、これはかなり厳しい。しかも同僚の信条は「あとまわし」です。終わった。

ところが意外にも、後回しの方々は後回しにすることなく、救援に来てくれました。数日かかったのは気がかりですが、通信手段もなかったようなので無理はないかもしれない。
そして助けにきた彼らが見たものは、包囲を縮めるプリキュアどもの姿。恐怖、激高。迷うことなくゼンゼンヤラネーダを起動。やる気を奪う相手もいないので業務上のメリットはないのですが躊躇なし。仲間を守らねば…!

プリキュアと魔女陣営。お互いにお互いを認識していなかったが故に生まれた奇妙な交流。ローラと真夏さんとの間でできたことが、再現された。
あとまわしの魔女様が何をやりたいのか、幹部の皆様はなんで慕ってるのか等々が謎なだけに、今後どう動くんだろう?

【私にも聞こえる】

10周年ということで「スイートプリキュア」とコラボされるそうです。

プリキュア プリティストア

【10周年】7月15日(木)に発売する10周年記念イラストを大公開!プリキュア プリティストアがオープンした時に放送していたスイートプリキュ...

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単発なのか、映画共演のような全体に関わることなのかは分からないですけど、「コラボ相手がスイート」なのはとても納得しました。
これまで「フレッシュ」や「スマイル」等々を考えたものの、今の流れを見ると確かに「スイート」です。

悲しみと幸せは表裏一体。音符の並び一つで変わるもの。
対立するように思えた私たちも、共に過ごし、体験を共有することで分かりあえる。
悲しい=悪ではない。悲しい気持ちは私にもある。「悲しい」は私にも分かる。

最終決戦でのメロディさんの嘆き「ノイズ、あなたは何者なの…?音のない世界にしたいなんて理解できない」からの「ノイズの正体は悲しみだった。「無音」は理解できないが、「悲しい」は分かる。それは私も経験したことだ」は、プリキュア史に残る大どんでん返しだと思う。

トロプリでいうなら、「陸と海」「今やることと後回し」。これらは表裏一体で、善悪で区分けするものではない。そんな方向なのかしら。
今回の話も、敵味方の先入観なく、共に過ごしたら分かりあえています。
魔女様は何を後回しにしたいのか、「後回し」は手段なのか目的なのか等々で、今後のトロプリはもちろん、スイートの解釈にも影響しそう。楽しみすぎる。

「5」「GoGo」が「ヒープリ」のおかげで補強されたように、「スイート」もそうだとしたら「悲しみも大事だ」とかだろうか。
テレビ本編では「悲しみも悪ではない」どまりで、積極的に悲しみを活かそうとまではいかなかったように思う。なのでそこからの発展はありえるのではというか、正式続編の小説版がまさにそんなお話です(感想)。悲しみを力に変えるキュアメロディ。

「トロプリ」は例年と比べて顕著に、日々の会話に「平和を守る」「故郷を取り戻す」的な話題が出てきません。よくある「敵の暴虐に逃げ惑う異世界の民」的な回想とかもない。敵の事情も味方の事情もよく分からない。「目的や状況は分かるのに真相が分からない」だった「スイート」とは真逆のアプローチだけど、「真相が分からない」という面では共通しているのか…。
「トロプリ」の方も何か仕掛けがあるだろうし、ローラに足が生えて物語としては一段落がついただけに、次の展開は気になります。

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■感想:人魚の動物民俗誌(吉岡郁夫)


人魚の動物民俗誌

日本の人魚についてのご本。身近な日本のことなのに、色々と新発見でした。

【人魚の正体】

日本での人魚目撃談は、日本海側に妙に多く、太平洋側は少ない。また本州北端の陸奥に多く、一方で陸奥から伊勢までは目撃談がない空白地帯が多いとのこと。
これらの出現分布や、各目撃談で語られる特徴から、アシカ・アザラシ・リュウグウノツカイ等の可能性が高いらしい。

アシカやアザラシはいかにもとして、リュウグウノツカイも確かに人魚に似ています。「下半身の魚部分が長く、髪が赤い」描写をされている人魚は、ほぼほぼリュウグウノツカイが疑わしいそう。
意外だったのはオオサンショウウオ。日本(元ネタである中国)では人魚はもともと淡水産で、オオサンショウウオだったと思われるそう。言われてみれば人間っぽい顔の妖怪に見えなくもない。

人魚の正体として定番のジュゴンは、生息地の都合から日本ではマイナーのようです。極言するなら「人魚=ジュゴンはデマだ」と言ってすらいいのかもしれない。

[引用]
『高島春雄は、戦時中に出た少年向きの本で、日本人がジュゴンを知る以前から人魚の伝説があるので、ジュゴンを人魚の正体とするのは誤りで、間違った知識を広めるものだと批判している』
[引用終]

ジュゴンは沖縄や、場合によっては瀬戸内海付近でも目撃はされるそうなので、人魚と誤認されたケースもありそうとのことですが、メインとは考えづらいようです。

先日読んだ「人魚の文化史」(感想)で紹介されていた西洋での歴史と比べると、日本は「実際に発見した」「そして食った」のようなエピソードが多い印象でした。アシカやアザラシなら普通に近海にいますから、確かに「変わった動物」の位置づけでも変ではなさそう。
逆に言えば、具体的に元ネタとなる動物に乏しい西洋で、よく人魚が広まったなとも思う。教会の影響力、すごいな(布教の過程で広まったそうです)。

なおアザラシは美味く、アシカは不味いそうです。
「人魚の肉は美味」と伝わっていますので、正体はアザラシが多かったのではとも。

【人魚伝説】

不可解なことに、人魚伝説と人魚が目撃された地域とは、必ずしもは一致しないそうです。日本における人魚伝説といえば若狭の八百比丘尼さん。もうこれ1本が全国で形を変えて語られているとのこと。こうもガッチリと伝わってるからには、何らかの元ネタとなった人物が実在してるんじゃなかろうか。

江戸時代には「人魚の絵を飾ると伝染病除けになる」伝承も流行ったそうです。2020年のコロナで話題になった熊本の妖怪・アマビエですね。ただ「アマビエが江戸でも広まっていた」のではなさそう。
この本は1998年出版で、アマビエへの直接の言及はなし。私の想像になりますが、アマビエ自体は熊本には伝承はなく、江戸の瓦版にのみ登場するようなので「人魚の絵を飾るお呪いがあり、それの派生形の一つとしてアマビエが創作された」のように思えます。

では何で人魚の絵が病除けになるかといえば、人魚の骨には薬効があるとされていたから。でも人魚の骨は高かった。

[引用]
『南方によると、ナヴァレッテの『支那志』(1660)に、ナンホアンの海に人魚があり、その骨を数珠にすると邪気を避ける、といって非常に貴ぶとある。このような西洋や中国の考え方が移入され、それから転じて疫病除けとなったのだろう。だが、人魚の骨は庶民の手のとどくものではなかったので、庶民は人魚の絵で我慢していた。これこそ、まさに"絵に描いた餅"ならぬ"絵に描いた骨"であろう』
[引用終]

「アマビエはペスト医師の姿を模したのでは」のような説も見かけましたが、発端としては「人魚の骨は薬になる」「でも高い」「絵でも効果があるよ!」からの「私の絵を広めなさい」と思われ、商魂たくましい商売人の想いや、庶民の願望が伝説化したように思えます。

【感想】

西洋視点の「人魚の文化史」と違い、当然ながら日本のことに詳しく、独自の背景が面白かったです。
目撃談の具体的な正体とか、出版当時はこんなに有名になるとは思いもしなかったであろう「人魚の絵」だとか。
諸々落ち着いたら、また若狭に行ってみたくなってきました。

なお、後半には「キリンと麒麟」等、伝説の生き物の解説も掲載されています。キリンが元ネタで麒麟が生まれた…と勝手に思ってたのですけど、完全に別物で、むしろキリンを麒麟だと紹介された中国皇帝は怒ったらしい。

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■(第18話)トロピカル~ジュ!プリキュア「歩くよ!泳ぐよ!ローラの初登校!」感想


(「トロピカル~ジュ!プリキュア」第18話より)

歩くよ!泳ぐよ!
喜びと可能性が満ち満ちたタイトルと、冒頭からの堂々たる尾びれの見せつけ。
「人魚に戻れるのか?」の不安もなんのそので、水陸両用のパーフェクト生物に進化なされていました。もはや怖いものはない。

しかしながら。意気揚々と初登校したものの、授業は困難を極めた。
地上の地理など基礎教育の範疇を超えています。地上の一地方の昔の言葉や文化とか、知ってるはずがない。

言うまでもなく、これらはローラが「ポンコツ」だからではなく、生息地による差異です。
逆に、プリキュア界で最も優秀な子たちをグランオーシャンに送り込んだら、同様に「ポンコツ」になるはず。運動方程式に水圧や浮力が登場し、塩化ナトリウムが塩として存在できない世界…。

これまで「足がない」のが最大の壁かのようにミスリードされてきましたが、実際のところ身体的差異より文化や地域の背景の方が大きい。
「足がなくても楽しめる」の別アプローチで、「足があっても解決しない」。水陸両用のパーフェクト生物なんて幻想でした。

泳ぎについても、ローラは「足」のせいにしていましたが、おそらくは「呼吸」と「泳法」の問題です。
ホモサピエンスもサカナも、肺(鰓)に空気(ガス)を取り込み、酸素の確保とともに浮力を調整して泳ぎます。この基本の入り口がいきなり違うのだから、溺れるのも無理がない。テクニックの問題なので、たぶん「息を思いっきり吸った後、ゆっくり吐きながらドルフィンキックだけする」なら驚異的なタイムを叩き出したんじゃないかな。

定番の「転入初日のドタバタ騒動」は、これまでもちょっと危ういところがあった。
昨年のアスミさんの「箸をうまく使えない」は、箸文化のない他国の人に箸を渡して笑うかのような危険がある。初代「ポンコツ」のまこぴーやトワ様も、彼女らの生い立ちを考えればできないのは無理がない。
その懸念を「足の有無は問題の根本ではない」にひっかけて昇華させ、お話としても愉快な形に仕上げられてるのが素晴らしい。

ローラが優秀さを発揮できたのが「生物」の分野なのも面白いです。確かにこの分野は、そこまで大きな違いはなさそう。
深読みするなら「身体差異は壁としては低い方だ」ということなのかもしれない。

もしもローラが「足を生やす」ことを目的にしていたら、今回の話は悲劇になっていました。アンデルセンの「人魚姫」と同じく、「人間になったとしても、問題はそこじゃない」現実。「足が生えたのは結果論であって、目的でも手段でもない」経緯の差が、いきなり出た。「足が生えた!」の次の回でこの話なのは、テーマ的にも愉快さ的にも美しいな。

【蛇足】

「ローラは歩けないままの方が、身障者のメタファーとして良かった」との意見を見かけたので、ちょっと触れます。

個人的には尾びれが好きなので、サカナならサカナのままで居て欲しいのですけど、テーマ的には歩けるようになるのが順当だと思う。というのも「歩けないことが個性なのだから、歩けないままで」は、「身障者は身障者らしくせよ」に繋がってしまいます。「歩けないのは不幸」は間違いだし、「歩けなくてもよい」のですが、「歩くべきでない」は違う。

足がない人が義足をつけて100メートルを10秒で走ったら、アイデンティティが失われたのか?
車いすのままで疾走する方が「真っ当」なのか。それとも車いすでそんなことをするのは「不謹慎」なのか?
当然そんなわけはなく、やりたいのならばやってよいし、できないからといってダメなのでもない。

これは「プリキュアになる」にも通じると思う。
生まれながらの身体的不利のある人類が、プリキュアになることで戦闘できるようになる。
足がない人が義足をつけて走るのと構造は同じです。「プリキュア」は差異を埋める補助器具。
人類は戦闘に向かないから戦わなくてよいはおかしいし、戦えないままだったとしても劣っているのでもない。

考えてみればこれまでも「謎生物にとっては、プリキュアに変身するようなもの」はありました。ココナツの人化とか。
彼らの変身も当時は話題になりましたが、今回の人魚の時ほどアイデンティティだの何だのは注目されなかった。「人魚」の持つ強力なメッセージ性を改めて感じます。

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■感想:人魚の文化史(ヴォーン・スクリブナー)


[図説]人魚の文化史 神話・科学・マーメイド伝説 [ ヴォーン・スクリブナー ]

以前から人魚には興味はあったものの、ちゃんと本を読んだのはこれが初。今までの無知を恥じ入るばかり。とても面白かった。
カラーの図版・写真が約120点。しかも1枚1枚が、引用して語りたくなるような興味深い物ばかり。
先行研究はもちろんのこと書籍・建造物・新聞・神話・体験談等々も大量に紹介され、人類の人魚に対する熱意をこれでもかと感じられます。

 序文
 第1章:中世の怪物
 第2章:新たな世界、新たな不思議
 第3章:啓蒙時代の試み
 第4章:フリークショーとファンタジー
 第5章:現代のマーメイド
 第6章:世界の海へ
 終わりに

年代順に「マーメイド」がどう扱われてきたのかを見ていく構成で、なるほど「マーメイド」がどうしてこう魅力的なのかがよく分かる。
「ジュゴンを見間違えた」や「アンデルセンの人魚姫で広がった」ぐらいにしか思っていなかったのですが、現代マーメイドの直接の系譜は、中世の教会でマーメイドが使われたことだそう。


(41頁から引用)

画像は、両足をつかみ大きく股を広げた人魚の像。どちらも教会建築から。
「それは人魚なのか?」と疑問もわきますが、発端は「誘惑してくる怪物」であり、異常性と性的アピールの結果としてこうなったらしい。このデザインはスターバックスのロゴでも使われているほどで、人魚としてはむしろ伝統的で正統派といえます。

教会の教えとして使われた結果、当時の人々に人魚の実在が自然と受け入れられ、そのような下地があるから目撃談も出る。探し回りもする。
紹介されている図版や資料を見ると、つくづく多種多様な人魚で溢れかえっています。「ジュゴンの見間違え」の一言で片づけられることじゃなかった。

筆者は繰り返し「人魚はハイブリッド性ゆえに人々を惹きつけてきた」「人魚について考えることは、人間について考えることだ」と述べています。
読み始めこそ、「サカナと人間の組み合わせなんだからハイブリッドなのは当たり前だろう」とか「何を大げさな」とも思ったのですが、読み進める内に確かにと納得。

不可解なことに「マーメイド」は見た目ももちろんのこと、色々な面で矛盾を両立させています。
上述の通り当初から淫靡さを属性として持っているのに、なぜか真逆の清楚さや純真さも連想する。
無知な生き物として描かれることもあれば、予言やら知恵やらを授ける存在だったりもする。
肉体的にも非力なのか、強靭なのかよく分からない。
矛盾したイメージが、扱いたいテーマや場面によって使い分けられてしまう。

適切な例えか分かりませんが、現代日本のフィクション世界における「女子高生」が近いかもしれない。「子供・大人」「制約・自由」「無知・学徒」等々、矛盾するイメージをコンテンツにより使い分けられる。ありとあらゆるテーマで「主人公が女子高生」モノがあるように、同様のことが「マーメイド」にも言えるのかもしれない。

当然ながら、我々ひとりひとりの人間は、何か一つの属性に収まるものではない。各人が様々なハイブリッド性を持つし、集団になれば個々に特性も違う。
また特定の誰かに対し、決まりきった一つの見方をするのではなく、複数の矛盾した見方がありうる。
それらの矛盾を象徴的に表した先が「マーメイド」であり、「マーメイド」を通じて人間像が確かに見える気がします。

マーメイドと人類の付き合い方も面白い。

元々「教会も人魚の存在を認めている」ことから広がったのに、後の世では「人魚は聖書に描かれていない。だからいない」に転じたとか。

体系的な学術研究が始まった時代、「信頼のおける人物からの証言が多数ある」ことから、人魚の実在は「科学的に」証明されていた。当時の研究者は無知蒙昧なので信じたのではなく、ちゃんと「科学的な」プロセスで認めています。それが今では逆転している(反証と訂正は科学の基本なので、「悪い」ことではない)。

19世紀には人魚のミイラの展示などで大盛り上がりしたものの、「ミイラが偽物」と発覚した途端、急速にしぼみ実在説は一掃。「そのミイラが偽物だった」ことと「人魚がいない」ことに直接の関連はないのに。一般民衆の興味関心的には、むしろ理知的でない経緯で実在が否定されてしまった。
ところがそれはそれとして、急減した人魚熱は急上昇し(引用:「十九世紀の西洋人の様子をマーメイドとトリトンに夢中と形容するなら、二十世紀の人々は完全に取り憑かれているといっていい状態だった」)、映画や広告などで盛んに扱われたそう。フィクションならフィクションとして楽しめばよい。スターバックスのロゴもこの流れです。

「地上に人間がいるように、海にも知的生物がいるはずだ」という素朴な発想も、人魚の存在を後押ししたらしい。言われてみれば、いない方が変とも思えます(実際にはイルカやクジラやジュゴンがそれに相当するのでしょうけれど)。
そしてこれは言い換えると、「なぜ地上に人間はいるのか」や「他の動物と人間の違いは何か」にもつながる。

「尾びれがぴちぴちして可愛いから」ぐらいの入り口から入ったのに、想像もしない深い世界だった。何でこんなサカナに興味関心がわくのか自分でも分からなかったんですが、「夢中にならない方がおかしい」とすら思えてきました。
とても勉強になる本でした。人魚が好きなら必読だとお勧めしたい。

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(第17話)トロピカル~ジュ!プリキュア「人魚の奇跡!変身!キュアラメール!」感想


(「トロピカル~ジュ!プリキュア」第17話より)

ローラがプリキュアになりあそばされました。足が生えた。
「人魚に足が生える」。これだけを見るなら人魚ものの定番ですが、そこに至るまでの経緯が素晴らしかった。

(1) 自ら解決策に向かうローラ

攫われたローラは、プリキュアのために目印を残しました。それだけでも十分なのに、彼女はプリキュアの救援に依存せず自力での脱出を試みた。
くるるんに鍵を取りに行かせた後も、バレることを見越して罠をしかけた。
結果的にプリキュアは助けにくることができず、くるるんも失敗していますから、二段構え三段構えのローラの優秀さが光っています。
アクアポットを取り返しに行く際にも、くるるんは先に脱出させている。「くるるんの安全を優先するため」が主目的かもしれませんが、このおかげでピンチを切り抜けられた。

魔女様からの取引に、「自分で叶える」と啖呵を切ったそのとおり。説得力がありすぎます。
プリキュアが助けに来てくれるのを、ただ待つだけじゃない。むしろ逆で、「自分がいないとプリキュアは駄目だから」とアグレッシブに助けに行っている。
「足を生やして仲間に入れてもらう」のでも、「無力な人魚なので助けてもらう」のでもない。「私が」助けに行くし、そのための手段としての変身(および足)なんです。

(2) 足がなくても楽しめる

撃墜されたローラは夢を見る。トロピカる部でお歌をやる夢を。
歌は足がなくても楽しめる。皆でできる。そう「足がなくても」不幸ではないんです。

「足が生えて良かったね」だと、身体的差異や文化的マイノリティは不幸なのか?それらは矯正して修正すべきことなのか?の問題にぶつかってしまいます。
足はなくてもよい。そこは主目的ではない。

実際ローラの初戦場は「海中」でした。足はなくても構わない。あえて深読みするなら、ローラが戦いの場を即座に船上に移したのは「海中では不利だ」と悟ったからかもしれません。まぁ「まなつが溺死する」のもあるでしょうけど。ニンゲンって不便。
(蛇足ながら、ローラが蹴り技主体で戦っているのも「足が生えて嬉しかったから」というか、「人魚の喧嘩の基本は尾びれの一撃だから」だと思い込みたい。事実クジラは尾びれでシャチを撃退したりするそうです)


(1)(2)ともに、「人魚」モノとして凄く大事です。
厄介な話をすると、古典的な「人魚姫」は「多数派(よく言われるのが非障がい者や、男性社会)に受け入れてもらうには、心身を刻むほどの代償がいる」というネガティブな側面を抱えています。ディズニーの「リトル・マーメイド」も炎上騒ぎを起こしてる。しかも物凄く面倒なことに「王子のために自分らしさを犠牲にするのは女性差別だ」という批判と、「過激な服装をして父親に反発する娘なんてけしからん」という逆方向の批判を受けている。

ローラの変身は、これらの問題を(服装が過激かはともかくとして)昇華しているように思う。
彼女は譲歩したり代償を払ったりはしていない。海の世界を捨てたり否定もしていない。
友を助ける手段としてプリキュアに変身したら、結果として足が生えただけです。生えたんだから活用しよう。前向きだ。人間化は目的ではなく、手段ですらなく、結果論。

上記はシンプルにストーリーだけを考えるなら、やらない方が良い。
「捕まったローラを助けにプリキュアが来てくれた。でも魔女様相手に大ピンチ。その時ローラが変身して…」の方が素直です。今回の流れだと「サマーたち、役に立ってないな」ともなりかねない。
「足がなくても楽しめる」の夢のシーンも不要です。「え、足がなくてもいいとか言ってたのに、結局は足が生えるの?矛盾してる」と誤解されかねない。
でもこれらの描写があったかどうかで、「人魚に足が生える」の説得力が段違い。「プリキュア」シリーズであると同時に、「マーメイド」ものとしても成立しています。

そしてこんな手間がいる「マーメイド」を演出に採用したということは、これが全体テーマにも関わっていると思われます。
みのりん先輩の無表情とかも、「無表情=悪いこと」ではなく、やる気がないわけでもないと繰り返し描写されています。かといって変身後の陽気さを否定してもいない。
涼村さんでいえば「紫が好きなのに別の色を選んだ」、あすか先輩の「会長と何かある?(察するに風紀とか勉強系?)」とかも、その観点で再解釈されるのかも。

それらに「プリキュア」エッセンスをどう組み合わせるのかも気になります。
相羽さんの記事(「トロピカル~ジュ!プリキュア/感想/第16話「魔女の罠!囚われたローラ!」(ネタバレ注意)」)にとても共感したので引用しますと

[引用]
『世界に押し付けられる「条件づけ」を無効化して、本来の自分のまま(精神的にも物理的にも)自由に「境界」を移動できる存在=プリキュア』
[引用終]

今回のローラの変身そのものは、割とあっさり描かれてるんですよね。打ちのめされて溜めて溜めてからの「プリキュアになりたい…!!(ぴかー)」ではない。「この精神性・行動力のローラが、プリキュアになるのは当然だ」ぐらいの勢いです。
秋映画の舞台が「冬山」(夏海さんにとってもローラにとってもアウェイの第3の世界)なのも「境界」の移動に関連してるのかも。

「プリキュアでマーメイドものをやるとこうなる」もしくは「マーメイドもので、プリキュアをやるとこうなる」のようなジャンルの横断的な興奮があります。今年はいつにも増して、いつもとは違う方向からも楽しいな。
しかも来週は「人間化したマーメイドを、即座にプールに放り込む」ですよ!「濡れたらサカナに戻る」のか「思うように泳げず溺れる」のか「息ができない!?足とか以前に呼吸器の差が!」なのか「凄まじく美麗に泳いで見せつける」のか、何かもうどのパターンでも愉快です。愉快で、それぞれ色々と考察も捗る。制作者様のマーメイドの扱いが適切すぎて、感嘆と称賛が止まらないです。

【蛇足】

改めて考えてみれば、今回の「マーメイド」もの+「プリキュア」のように、ジャンル横断的な試みはこれまでもされてたのかしら。
「ハグプリ」は時間SFとしてかなり高度で、「歴史改変」と「未来不変」を矛盾なく成立させつつ、そのギミックに「プリキュア」を使う…という驚異的なことをされている、と思う(参考:「タイムパラドックスの真相」)。

私が未熟で気づかなかっただけで、「魔法つかい」や「Goプリ」でも、「魔法学校ものの定番のネタ」「プリンセスものの伝統的なギミック」とか仕込まれてたんじゃなかろうか。

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