今週末の「Dancing☆Starプリキュア」(ぼくプリ)に備えて、今の内に私の現時点の考えをまとめておきます。
[追記]
観劇したので一部追記します
【プリキュアらしさ】
私は下記の3点が「プリキュア」を構成する大事な要素だと思ってる。
今のところ「オールスターズF」「オトナプリキュア」とも整合しており、それなりには確からしいはず。
(1) 玩具(詳細)
コレクターマニア的な観点ではなく、「子供時代の象徴」「メーカーからの信任」などなどを反映してる点で重要だと思う。
(2) 世代交代(詳細)
「F」の言葉でいえば「繋ぐ」。プリキュアは登場人物を総入れ替えしながらシリーズを継続していくのが特徴で、番組内でも次世代や周囲に「繋ぐ」のを重視している。
(3) 変身願望(詳細)
仮面ライダー等と違い、素の自分が成長したかのような姿をとり、ままならない現実を打破するきっかけや大人への憧れを反映しています。
前情報を見る範囲では「ぼくプリ」にはこれらがない。故に「プリキュアではない」が今の気持ちです。
※「プリキュアではない」と「面白くない」は無関係。あくまで「プリキュアなのか」の観点のみの印象で、舞台としては面白そうだと思っています。
【男子プリキュア】
私の考えでは、初代のキャッチフレーズ「女の子だって暴れたい」とセットなのは「男の子だって大人しくいたい」。
ままごとや絵本が好きな男の子だって認められるべきで、決して軟弱ではない。
ただこれはコンテンツとして見た場合、かなり難しい。
好みは当然あるので、「守られている男よりも、守る男が好きだ」も否定されることではなく、傾向としてはそちらが多数派と思われます。
実際にキュアウィングはこの問題に直面しています。
本編では比較的大人しめで、それを否定的に見る人も一定数いる。それだけなら好みの問題ですが、「F」では果敢に「男気」を見せて絶賛されてしまっています。
キャラクターとしてブレてしまっている。
これが歪なのは、他の例に置き換えると分かると思う。
スカイが泣き出し、完全に戦意を喪失したのを見て「やっぱり女の子は守られてるのが似合うね。可愛い」と絶賛されたら、「変だ」と感じるんじゃなかろうか(弱い側面も見れて人間描写が深まったといった観点ではなく、「女子は泣くのが似合ってる」の観点)。
あるいはルミナスが床を殴り壊して黒白キュアを逃がしたら、キャラ崩壊と言われるのでは。過去にあったかもしれませんが。
そもそもでいえば「大人しい」と「プリキュア」が両立する概念なのかも疑問です。
(ルミナスやエコーのような例もあるとはいえ、かなり特殊な立ち位置なので参考にしづらい)
一方で「ぼくプリ」は練習動画などを見るに、とてもパワフルで見ごたえがあります。
とても良いことで好感度も高いのですが、上記の面倒くさいことを思うと、とにかくひたすらに面倒なことになる。
「パワフルだからプリキュアらしい」のであれば、「男の方がプリキュアに適している」という歪な結論に至ってしまう。
現実の問題として、生身で演じるとなると男性の方が「プリキュア」的には有利だろうとは思います。筋肉や体格の差はどうしてもある。
また、女性演者がフリフリのスカートで格闘をすると、そんな意図はなくても性的な要素がでかねない(男性演者でも性的な要素は出ますが、本題ではないので割愛)。
では「プリキュア」は「男子」がやるべきなのか?となると、もはやコンセプトの自己否定でコンテンツの死です。
・大人しい男子だと魅力を感じない
・パワフルな男子だとプリキュアとして認めがたい
これでは詰んでしまう。
「ぼくプリ」は舞台としては面白そうなので、何か突破口となるアイデアがあると願いたいのですが、私には思いつきません。
「ぼくプリ」さんもそうであって欲しい。
個人の主観の好き嫌いはさておき、公式に「プリキュア」を冠している以上は、「プリキュア」ファンとしては成功して欲しいと思います。
今までにも、比較して「好きではない」プリキュアも「好みではない」シリーズも勿論ある。80人弱もいて20年もやっていれば、好き嫌いの濃淡はある。
でもその子やシリーズを嫌悪して、「プリキュアではない。黒歴史として無視しよう」とは思わないように、「ぼくプリ」もプリキュアの一員として認識されるものであって欲しいです。
この種の全プリキュア本でも扱うべきだろうし、反発を予期して避けるのであれば、準備が整うまで「ぼくプリ」を企画すべきじゃなかったと思う。
(ぼくプリ公開前なので、今回は載せないことに言い分は立つけれど)
一つ明るい要素を挙げるなら、「全員男子」は「男女混合」よりプリキュア的には有利だと思います。
男女混合だと、異性同士の関係が発生してしまう。意識すると「接触を避ける」など描写に制約が出る。無視すると「年頃の男女が同棲する」など違和感のある展開になる。
一般にはこの制約や違和感を物語に組みこむのですが、未就学児とその親が見るコンテンツであるプリキュアでは、どちらも避けたい空気がある。
(「ドラえもん」のようなお風呂ネタは(覗きはもちろん男女別行動の動機づけなどの使い方でも)「プリキュア」では好まれない)
「ぼくプリ」は男子だけ。言い換えると「同性のみ」のチームなので、物語の制約的には従来のプリキュアにむしろ近い。
男女混合よりも「プリキュアらしさ」のハードルは下がるんじゃないかと思ってます。
【プリキュアらしさ】
私は下記の3点が「プリキュア」を構成する大事な要素だと思ってる。
今のところ「オールスターズF」「オトナプリキュア」とも整合しており、それなりには確からしいはず。
(1) 玩具(詳細)
コレクターマニア的な観点ではなく、「子供時代の象徴」「メーカーからの信任」などなどを反映してる点で重要だと思う。
(2) 世代交代(詳細)
「F」の言葉でいえば「繋ぐ」。プリキュアは登場人物を総入れ替えしながらシリーズを継続していくのが特徴で、番組内でも次世代や周囲に「繋ぐ」のを重視している。
(3) 変身願望(詳細)
仮面ライダー等と違い、素の自分が成長したかのような姿をとり、ままならない現実を打破するきっかけや大人への憧れを反映しています。
前情報を見る範囲では「ぼくプリ」にはこれらがない。故に「プリキュアではない」が今の気持ちです。
※「プリキュアではない」と「面白くない」は無関係。あくまで「プリキュアなのか」の観点のみの印象で、舞台としては面白そうだと思っています。
「面白ければ良い」「小難しい定義に拘るのは本末転倒」もまた真実だとは思うのですが、鷲尾さんも「プリキュアとしての挑戦」と語っています。
自分にとっての「これはプリキュアなのか」は抱えた上で感想は持ちたい。
ひいてはそれが、既存のプリキュアの新たな魅力の発見にも繋がると思っています。
[追記]
実際に観た感想として、上記3点はやっぱり厳しかった。
特に「変身願望」が否定されてしまうのはかなりきつい。
【男子プリキュア】
私の考えでは、初代のキャッチフレーズ「女の子だって暴れたい」とセットなのは「男の子だって大人しくいたい」。
ままごとや絵本が好きな男の子だって認められるべきで、決して軟弱ではない。
ただこれはコンテンツとして見た場合、かなり難しい。
好みは当然あるので、「守られている男よりも、守る男が好きだ」も否定されることではなく、傾向としてはそちらが多数派と思われます。
実際にキュアウィングはこの問題に直面しています。
本編では比較的大人しめで、それを否定的に見る人も一定数いる。それだけなら好みの問題ですが、「F」では果敢に「男気」を見せて絶賛されてしまっています。
キャラクターとしてブレてしまっている。
これが歪なのは、他の例に置き換えると分かると思う。
スカイが泣き出し、完全に戦意を喪失したのを見て「やっぱり女の子は守られてるのが似合うね。可愛い」と絶賛されたら、「変だ」と感じるんじゃなかろうか(弱い側面も見れて人間描写が深まったといった観点ではなく、「女子は泣くのが似合ってる」の観点)。
あるいはルミナスが床を殴り壊して黒白キュアを逃がしたら、キャラ崩壊と言われるのでは。過去にあったかもしれませんが。
そもそもでいえば「大人しい」と「プリキュア」が両立する概念なのかも疑問です。
(ルミナスやエコーのような例もあるとはいえ、かなり特殊な立ち位置なので参考にしづらい)
一方で「ぼくプリ」は練習動画などを見るに、とてもパワフルで見ごたえがあります。
とても良いことで好感度も高いのですが、上記の面倒くさいことを思うと、とにかくひたすらに面倒なことになる。
「パワフルだからプリキュアらしい」のであれば、「男の方がプリキュアに適している」という歪な結論に至ってしまう。
現実の問題として、生身で演じるとなると男性の方が「プリキュア」的には有利だろうとは思います。筋肉や体格の差はどうしてもある。
また、女性演者がフリフリのスカートで格闘をすると、そんな意図はなくても性的な要素がでかねない(男性演者でも性的な要素は出ますが、本題ではないので割愛)。
では「プリキュア」は「男子」がやるべきなのか?となると、もはやコンセプトの自己否定でコンテンツの死です。
・大人しい男子だと魅力を感じない
・パワフルな男子だとプリキュアとして認めがたい
これでは詰んでしまう。
「ぼくプリ」は舞台としては面白そうなので、何か突破口となるアイデアがあると願いたいのですが、私には思いつきません。
[追記]
腕力で勝てない敵幹部に、ダンスで挑むのは男子プリキュアとして納得できました。
失礼な言い方になってしまうかもしれませんが、舞台ではそこまでパワフルさオンリーではなく、しなやかさ(可愛さ)もあったので上記の懸念はあまり当てはまらなかった。
【プリキュアではないもの】
プリキュアとは何かを描いた「F」で、紛い物のプリキュアが出てきます。
・変身シーンはあるが、プリキュアではない
・強いがプリキュアではない
・弱い民衆を守り、邪悪な敵と戦うがプリキュアではない
・破壊と創造だけでは、プリキュアではない
この4つだけではプリキュアらしさに繋がらない。
(上述の「パワフルさ」もこの文脈で既に否定されています)
「ぼくプリ」さんからすれば雁字搦めで、「プリキュア」として認識され得る要素がないように思う。
【プリキュアではないもの】
プリキュアとは何かを描いた「F」で、紛い物のプリキュアが出てきます。
・変身シーンはあるが、プリキュアではない
・強いがプリキュアではない
・弱い民衆を守り、邪悪な敵と戦うがプリキュアではない
・破壊と創造だけでは、プリキュアではない
この4つだけではプリキュアらしさに繋がらない。
(上述の「パワフルさ」もこの文脈で既に否定されています)
「ぼくプリ」さんからすれば雁字搦めで、「プリキュア」として認識され得る要素がないように思う。
[追記]
最も感動したのはこの変身シーンでした。
脈絡なく現れたダンサーと一緒に変身するんですが、着替えの手伝いをすると共に、傘を開いたり舞ったりで華やかに盛り上げ、かつ「1人ではない」が伝わってきました。
この「1人ではない」で、シュプリームの偽変身シーンとはきっちり区別できた。
リアルでは不思議パワーが使えないのを逆手に取り、本来なら足枷になる「黒子」を見事に昇華していました。この解決策は全く思いつかなかった。素晴らしい。
【現時点の私の気持ち】
「男子だからダメ」といった単純な話ではなく、プリキュアファンとしては「やっぱりこれは厳しいな」と思う。
おそらく感想は「舞台としては面白かったが、これはプリキュアではない」か「プリキュアだと感じた。理由はパワフルさだ。これはコンテンツの死だ」のどちらかになりそうな気がしています。どっちも好ましくない。
20周年の「挑戦」である「F」や「オトナプリキュア」は、今までにない要素があるにも関わらずちゃんと「プリキュア」だと感じました。最初に3つの要素をあげたように、なぜプリキュアだと感じたのかの言語化もできる。
「男子だからダメ」といった単純な話ではなく、プリキュアファンとしては「やっぱりこれは厳しいな」と思う。
おそらく感想は「舞台としては面白かったが、これはプリキュアではない」か「プリキュアだと感じた。理由はパワフルさだ。これはコンテンツの死だ」のどちらかになりそうな気がしています。どっちも好ましくない。
20周年の「挑戦」である「F」や「オトナプリキュア」は、今までにない要素があるにも関わらずちゃんと「プリキュア」だと感じました。最初に3つの要素をあげたように、なぜプリキュアだと感じたのかの言語化もできる。
「ぼくプリ」さんもそうであって欲しい。
個人の主観の好き嫌いはさておき、公式に「プリキュア」を冠している以上は、「プリキュア」ファンとしては成功して欲しいと思います。
今までにも、比較して「好きではない」プリキュアも「好みではない」シリーズも勿論ある。80人弱もいて20年もやっていれば、好き嫌いの濃淡はある。
でもその子やシリーズを嫌悪して、「プリキュアではない。黒歴史として無視しよう」とは思わないように、「ぼくプリ」もプリキュアの一員として認識されるものであって欲しいです。
この種の全プリキュア本でも扱うべきだろうし、反発を予期して避けるのであれば、準備が整うまで「ぼくプリ」を企画すべきじゃなかったと思う。
(ぼくプリ公開前なので、今回は載せないことに言い分は立つけれど)
一つ明るい要素を挙げるなら、「全員男子」は「男女混合」よりプリキュア的には有利だと思います。
男女混合だと、異性同士の関係が発生してしまう。意識すると「接触を避ける」など描写に制約が出る。無視すると「年頃の男女が同棲する」など違和感のある展開になる。
一般にはこの制約や違和感を物語に組みこむのですが、未就学児とその親が見るコンテンツであるプリキュアでは、どちらも避けたい空気がある。
(「ドラえもん」のようなお風呂ネタは(覗きはもちろん男女別行動の動機づけなどの使い方でも)「プリキュア」では好まれない)
「ぼくプリ」は男子だけ。言い換えると「同性のみ」のチームなので、物語の制約的には従来のプリキュアにむしろ近い。
男女混合よりも「プリキュアらしさ」のハードルは下がるんじゃないかと思ってます。
本当に、いざ始まったら「確かにプリキュアだ。こんな見せ方があったのか!」と絶賛し、この記事を書いたのが的外れで恥ずかしくなるような、そんな舞台を期待しています。皮肉ではなく、本心から。
[追記]
残念ながら、悪い意味で的外れの分析でした。
舞台はとても面白かったのですが、上記のごちゃごちゃした理屈以前の問題で、私はこれをプリキュアとは認識できなかった。
夢や希望やプリキュアを、悪に利用されたまま終わる。そんな次元の心配は完全に想定になかったです。
ぼくプリで玩具にあたるのは鑑賞チケット(売るべきもの)だと認識しています。
観客というのは舞台を成り立たせる要素そのもので、
演者だけじゃなくて制作スタッフや当日スタッフなどたくさんの人を「食わせねば」いけないので、どうしてもチケットを売りさばかないといけません。
玩具を欲しがってもらう≒舞台に来たがってもらう、です。
ただ「チケットそのものは舞台には出ない」「専用の形状や機能がない」ので、私の印象では玩具とは異なるかなと思います。
パスケースで変身するのかも?といった声もあるので、もしかしたら上手く昇華されるのかもしれませんね
期待が形を持った象徴としての玩具、ということですね。たいせんわかります。
振りモノ系の応援がOKなのと、
一部客席通路を使う演出もあるそうなので、
「ここに今いること」「生で1発でやっていること」を活かして
観客の我々をギミックとして使ってくること、は大いにありうると思っています。
よ楽しみです。
まずは素直に楽しみたいです
コメントありがとうございます。
差し支えなければ、どういった理由でプリキュアだと感じたのか教えていただけますか?
私としては、「魅力的な変身シーンや、夢や希望を語っていたのに、それらは全て黒幕の手の平の上で踊っていただけ。プリキュアは茶番に過ぎない」で終わったことに、全く納得できませんでした
戦うことが怖かったソラと対照的に迷いなく自分の命を捨ててエルちゃんを助けられてしまうようなキャラですし、映画の「男気」に関してキャラがブレてしまっているとはあまり思えませんでした。
コメントありがとうございます。
勇気については私も疑問には思っていないです。
気になったのは戦い方です。
普段の彼なら「エルちゃんを抱えて飛んで逃げる」かと思います(臆病で逃げるのではなく、攻撃をかいくぐりながら守り抜く)
あるいは「スカイたちを窓から突き飛ばして逃がす」などで、「パワーで床を破壊する」のはイメージと大分違います
「ウィングらしくはなくても、あの状況では最善手だった」とも言えますが、作り手側は状況設定を変えられるんですから、「普段のウィングらしい格好良いシーンが最善手」になる設定は作れます。
そうはせずに、あのような描写が魅力的だと判断したんですから、私としては「ブレ」と感じました
なるほど、確かに力強さという点ではスカイかマジェスティの方が印象強いですね ウィングも前で戦うスタイルではありますが
エルちゃんを抱えて逃げなかったのは(作劇上スカイプリズムエルを最後に残したいのもあるでしょうが)自分が犠牲になる精神の現れでしょうか
3人とプーカが落ちていく中「空を飛べるウィングだけが残り特攻を仕掛ける様子」を下から見る…という演出だったり、単純にそうするのが一番早いというのもあり この辺は正解が難しいところですね
映画制作と本編進行が同時に行われてるのもあり初期イメージで作った部分もあるのかもしれませんね(ソラの(エルちゃん、皆という言い方ではなく)街を守りたい、ツバサのフローラに対するプリンセス発言等も個人的には少し引っかかりました)
長文失礼しました。