■(第18話)トロピカル~ジュ!プリキュア「歩くよ!泳ぐよ!ローラの初登校!」感想
(「トロピカル~ジュ!プリキュア」第18話より)
歩くよ!泳ぐよ!
喜びと可能性が満ち満ちたタイトルと、冒頭からの堂々たる尾びれの見せつけ。
「人魚に戻れるのか?」の不安もなんのそので、水陸両用のパーフェクト生物に進化なされていました。もはや怖いものはない。
しかしながら。意気揚々と初登校したものの、授業は困難を極めた。
地上の地理など基礎教育の範疇を超えています。地上の一地方の昔の言葉や文化とか、知ってるはずがない。
言うまでもなく、これらはローラが「ポンコツ」だからではなく、生息地による差異です。
逆に、プリキュア界で最も優秀な子たちをグランオーシャンに送り込んだら、同様に「ポンコツ」になるはず。運動方程式に水圧や浮力が登場し、塩化ナトリウムが塩として存在できない世界…。
これまで「足がない」のが最大の壁かのようにミスリードされてきましたが、実際のところ身体的差異より文化や地域の背景の方が大きい。
「足がなくても楽しめる」の別アプローチで、「足があっても解決しない」。水陸両用のパーフェクト生物なんて幻想でした。
泳ぎについても、ローラは「足」のせいにしていましたが、おそらくは「呼吸」と「泳法」の問題です。
ホモサピエンスもサカナも、肺(鰓)に空気(ガス)を取り込み、酸素の確保とともに浮力を調整して泳ぎます。この基本の入り口がいきなり違うのだから、溺れるのも無理がない。テクニックの問題なので、たぶん「息を思いっきり吸った後、ゆっくり吐きながらドルフィンキックだけする」なら驚異的なタイムを叩き出したんじゃないかな。
定番の「転入初日のドタバタ騒動」は、これまでもちょっと危ういところがあった。
昨年のアスミさんの「箸をうまく使えない」は、箸文化のない他国の人に箸を渡して笑うかのような危険がある。初代「ポンコツ」のまこぴーやトワ様も、彼女らの生い立ちを考えればできないのは無理がない。
その懸念を「足の有無は問題の根本ではない」にひっかけて昇華させ、お話としても愉快な形に仕上げられてるのが素晴らしい。
ローラが優秀さを発揮できたのが「生物」の分野なのも面白いです。確かにこの分野は、そこまで大きな違いはなさそう。
深読みするなら「身体差異は壁としては低い方だ」ということなのかもしれない。
もしもローラが「足を生やす」ことを目的にしていたら、今回の話は悲劇になっていました。アンデルセンの「人魚姫」と同じく、「人間になったとしても、問題はそこじゃない」現実。「足が生えたのは結果論であって、目的でも手段でもない」経緯の差が、いきなり出た。「足が生えた!」の次の回でこの話なのは、テーマ的にも愉快さ的にも美しいな。
【蛇足】
「ローラは歩けないままの方が、身障者のメタファーとして良かった」との意見を見かけたので、ちょっと触れます。
個人的には尾びれが好きなので、サカナならサカナのままで居て欲しいのですけど、テーマ的には歩けるようになるのが順当だと思う。というのも「歩けないことが個性なのだから、歩けないままで」は、「身障者は身障者らしくせよ」に繋がってしまいます。「歩けないのは不幸」は間違いだし、「歩けなくてもよい」のですが、「歩くべきでない」は違う。
足がない人が義足をつけて100メートルを10秒で走ったら、アイデンティティが失われたのか?
車いすのままで疾走する方が「真っ当」なのか。それとも車いすでそんなことをするのは「不謹慎」なのか?
当然そんなわけはなく、やりたいのならばやってよいし、できないからといってダメなのでもない。
これは「プリキュアになる」にも通じると思う。
生まれながらの身体的不利のある人類が、プリキュアになることで戦闘できるようになる。
足がない人が義足をつけて走るのと構造は同じです。「プリキュア」は差異を埋める補助器具。
人類は戦闘に向かないから戦わなくてよいはおかしいし、戦えないままだったとしても劣っているのでもない。
考えてみればこれまでも「謎生物にとっては、プリキュアに変身するようなもの」はありました。ココナツの人化とか。
彼らの変身も当時は話題になりましたが、今回の人魚の時ほどアイデンティティだの何だのは注目されなかった。「人魚」の持つ強力なメッセージ性を改めて感じます。
(「トロピカル~ジュ!プリキュア」第18話より)
歩くよ!泳ぐよ!
喜びと可能性が満ち満ちたタイトルと、冒頭からの堂々たる尾びれの見せつけ。
「人魚に戻れるのか?」の不安もなんのそので、水陸両用のパーフェクト生物に進化なされていました。もはや怖いものはない。
しかしながら。意気揚々と初登校したものの、授業は困難を極めた。
地上の地理など基礎教育の範疇を超えています。地上の一地方の昔の言葉や文化とか、知ってるはずがない。
言うまでもなく、これらはローラが「ポンコツ」だからではなく、生息地による差異です。
逆に、プリキュア界で最も優秀な子たちをグランオーシャンに送り込んだら、同様に「ポンコツ」になるはず。運動方程式に水圧や浮力が登場し、塩化ナトリウムが塩として存在できない世界…。
これまで「足がない」のが最大の壁かのようにミスリードされてきましたが、実際のところ身体的差異より文化や地域の背景の方が大きい。
「足がなくても楽しめる」の別アプローチで、「足があっても解決しない」。水陸両用のパーフェクト生物なんて幻想でした。
泳ぎについても、ローラは「足」のせいにしていましたが、おそらくは「呼吸」と「泳法」の問題です。
ホモサピエンスもサカナも、肺(鰓)に空気(ガス)を取り込み、酸素の確保とともに浮力を調整して泳ぎます。この基本の入り口がいきなり違うのだから、溺れるのも無理がない。テクニックの問題なので、たぶん「息を思いっきり吸った後、ゆっくり吐きながらドルフィンキックだけする」なら驚異的なタイムを叩き出したんじゃないかな。
定番の「転入初日のドタバタ騒動」は、これまでもちょっと危ういところがあった。
昨年のアスミさんの「箸をうまく使えない」は、箸文化のない他国の人に箸を渡して笑うかのような危険がある。初代「ポンコツ」のまこぴーやトワ様も、彼女らの生い立ちを考えればできないのは無理がない。
その懸念を「足の有無は問題の根本ではない」にひっかけて昇華させ、お話としても愉快な形に仕上げられてるのが素晴らしい。
ローラが優秀さを発揮できたのが「生物」の分野なのも面白いです。確かにこの分野は、そこまで大きな違いはなさそう。
深読みするなら「身体差異は壁としては低い方だ」ということなのかもしれない。
もしもローラが「足を生やす」ことを目的にしていたら、今回の話は悲劇になっていました。アンデルセンの「人魚姫」と同じく、「人間になったとしても、問題はそこじゃない」現実。「足が生えたのは結果論であって、目的でも手段でもない」経緯の差が、いきなり出た。「足が生えた!」の次の回でこの話なのは、テーマ的にも愉快さ的にも美しいな。
【蛇足】
「ローラは歩けないままの方が、身障者のメタファーとして良かった」との意見を見かけたので、ちょっと触れます。
個人的には尾びれが好きなので、サカナならサカナのままで居て欲しいのですけど、テーマ的には歩けるようになるのが順当だと思う。というのも「歩けないことが個性なのだから、歩けないままで」は、「身障者は身障者らしくせよ」に繋がってしまいます。「歩けないのは不幸」は間違いだし、「歩けなくてもよい」のですが、「歩くべきでない」は違う。
足がない人が義足をつけて100メートルを10秒で走ったら、アイデンティティが失われたのか?
車いすのままで疾走する方が「真っ当」なのか。それとも車いすでそんなことをするのは「不謹慎」なのか?
当然そんなわけはなく、やりたいのならばやってよいし、できないからといってダメなのでもない。
これは「プリキュアになる」にも通じると思う。
生まれながらの身体的不利のある人類が、プリキュアになることで戦闘できるようになる。
足がない人が義足をつけて走るのと構造は同じです。「プリキュア」は差異を埋める補助器具。
人類は戦闘に向かないから戦わなくてよいはおかしいし、戦えないままだったとしても劣っているのでもない。
考えてみればこれまでも「謎生物にとっては、プリキュアに変身するようなもの」はありました。ココナツの人化とか。
彼らの変身も当時は話題になりましたが、今回の人魚の時ほどアイデンティティだの何だのは注目されなかった。「人魚」の持つ強力なメッセージ性を改めて感じます。