穴にハマったアリスたち

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(第50話・最終回)ひろがるスカイ!プリキュア「無限にひろがる!わたしたちの世界!」感想

2024年01月29日 | ひろがるスカイ!プリキュア
■(第50話・最終回)ひろがるスカイ!プリキュア「無限にひろがる!わたしたちの世界!」感想

かつて自分が救われたあのシチュエーションで、小さな子供を救う。
当時おそらくは自分を責めて、「ヒーローになる」の一種の呪縛となったと思われますが、それを昇華した素敵なラストでした。


(「ひろがるスカイ!プリキュア」第50話より)

ここ最近は1週間考えてから感想記事にしていましたが、今回は勢いで書くのが正解な気がするので、そのまま書いてみる。

【ヒーローは間違える】
ソラさんは語った。「ヒーローは正しいことを考えながら進んでいく」。
ここでいう「ヒーロー」は「プリキュア」に置き換えられるし、そこから「プリキュアコンテンツは正しさを考えながら進んでいく」と読み替えても、それほど変ではないと思う。
特にこの1年で顕著だった様々な試行錯誤。迷い、挑戦して進んでいく「プリキュアコンテンツ」を現した言葉とも受け取れます。

それならばそこから続く「ヒーローも間違えることがある」は、「プリキュアコンテンツも間違えることがある」と理解できる。
そして「友達を信じる」。友達とは視聴者のことでしょう。

したがって「プリキュアコンテンツは試行錯誤しながら進む。時には間違うこともあるが、視聴者を信じる」を推測できる。

これを踏まえると、「ひろプリは間違いを描いていたのではないか?」との仮説が立ちます。
この1年はいわばアンダーグエナジーを取り込んだダークスカイ状態であり、間違っていた。それを視聴者が引き戻す。

但し(これはとても大事な点なので強調しますが)、「間違い」=「駄作、投げやり、放棄した」等々ではない。
アンダーグエナジーに染まったダークスカイは、とても格好良くて可愛くて大人気でした。
それと同様に、「間違った」プリキュアコンテンツも「駄作」ではない。ただ「プリキュア」としては「間違っている」だけ。
そしてそれがあるからこそ、魅力も高まる。

【アンダーグエナジー】
劇中では最後まで何なのか明言されなかったアンダーグエナジー。
「価値観を他者に強要し、相手の性質を強引に変えるもの」、平たく言えばポリコレに代表される物と考えれば、私としてはすっきり納得できた。

「F」のシュプリームも同様で、「外の世界からやってきて、強大な力で一方的にこちらの世界を改変し、飽きたら去っていく」のは、(悪い意味での)ポリコレを想起します。

ポリコレは悪ではない。ですが、価値観を強要する観点では悪だ。
アンダーグエナジーの善とも悪ともつかない奇妙な「ブレ」は、社会的に正しいポリコレをイメージすると腑に落ちるように思います。
「力こそ最強」という重複表現じみたフレーズは、「ポリコレこそ正しい」に読み替えると分かりやすい。

ポリコレ的コンテンツから生まれたカイゼリンにとっては、ポリコレが無論正しい。下賤な「プリキュア」コンテンツは害になる。
でもいざ歩み寄りさえすれば、「プリキュア」コンテンツの魅力も分かるはず。

逆に「プリキュア」コンテンツも歩み寄ることはできる。ダークスカイがまさにそうだったように、格好いいし可愛いし、必ずしも悪いことではない。
だけど、それは「プリキュア」ではない。だからバリアに象徴されるように、きっちりと拒絶する。
培ってきた価値観を無視して、勝手にプリキュアコンテンツを容れ物にするのは許容できない。

夢はどんどん変わってよいし、目指したい姿も変わってくる。たまには「ダークスカイ」も良い。
でも、よそ様の価値観の容れ物にされて、外部から変えられるのは違う。そういったことかなと。

【ひろがる世界】
ひろプリさんのキャッチコピー「ひろがる世界へ! ホップ! ステップ! ジャンプ!」。
他にも「ふたつの世界を飛びまわれ!」等、タイトルの通り「ひろがる」が強調されてきました。
が、実際の描写はいまいち世界を飛び回っているようにも、広げているようにも見えない。

ですが上記を踏まえると、「ふたつの世界」とは「現実世界とプリキュア世界」を指しているように思えてきます。

そう思えば実際、今年度はリアルイベントが非常に充実していました。
現実世界とプリキュア世界を飛び回っている。

最終話のソラシド市での最終決戦はかなり唐突ではありましたが、「ソラシド市=現実世界の代理」と思えば違和感は軽減されるように思います。
スクリーンから飛び出したエクストラバトル。直接の交流が少なかったはずなのにプリキュアに詳しい市民や、彼らはアンダーグエナジーに染まらないと確信しているソラ等々、「ソラシド市は現実世界の比喩」と思えば納得できる。

妙に少ない学校描写、ヨヨ邸以外との交流の少なさ等も、「現実世界とプリキュア世界」の関係で考えればわかるように思えます。

この視点だと、ソラさんが初の異世界人主人公である意味も強烈に出てくる。
ソラ(プリキュアコンテンツ)がましろ(視聴者)と出会い、真にプリキュアコンテンツとして成長していく物語。それが「ひろプリ」だったのかもしれない。

ラストの「絵本に描く」はまさしくそのまんま。
トンネルを使えばまた会える等も、現実とプリキュアとの関係性を物語っているように感じます。

【数多の謎の解決】
上記を念頭に置くと、ひろプリさんで描かれた奇妙な描写を納得できます。

例えば「わざとやってるのか?」と何度も首を傾げた不可解な育児ミスや、(主にツバサ君の)言動への自己否定等。
これらは「ひろプリは間違っている」「ダークスカイ状態である」との表現であったのなら、意図的に分かりやすく「間違い」を描写したと解釈できる。
男子プリキュア等のアンダーグエナジー的な物(価値観の強要)を取り込んだ「間違った」プリキュアである「ひろプリ」。それを1年かけてやってきた。

※改めて強く補足しますが「間違い」=「駄作」「失敗」ではない。
「間違ったプリキュア」であるダークスカイが魅力的だったように、「ひろプリ」もまた魅力的です。

※劇中で「間違った」と表現されているのでそれを踏襲していますが、「新しい可能性に挑戦した」等に言い換えても良いと思う。

例えば良くも悪くも本作で最も注目されたとも言えるツバサくんは、ラストで賢者もナイトも辞めて旅に出ると語っています。
「賢者」はかなり唐突でしたから、この「辞める」を明確に表現するためにわざわざ「賢者」を用意したとすら思えます(プリキュアを辞めるとは、さすがに描写できないので)。

「なぜ男子であることを活かさないのか」等も、「現にこの通りおかしなことになる。間違っている」を表現するためだったなら理解できます。
「夢は変わっても良い」かのように描写しているのに、実際に変わったのはツバサくん一人のみ。しかも最後にはその夢を一旦白紙にしています。
素直に受け止めるなら「夢を諦めても良い」「他者から授与されるものではない」や「この1年、楽しい夢を見た。さあ現実に戻ろう」ともとれる。

20周年の節目の年に、あえて「おかしな」ことをすることで、自分たちのコンテンツを見直した。
ダークプリキュアの存在が本来のプリキュアの理解を深めるように、「ひろプリ」によりプリキュアの理解が深まる。
(繰り返しますが、ダークプリキュアは「おかしな」プリキュアではありますが大人気です。「ひろプリ」も同様で、上記一連の解釈は「ひろプリ」を否定するものではありません)

思えば鷲尾さんも「創造と破壊」とおっしゃっていた。一般的には「破壊と創造」です。今あるものを壊して新しいものを作るんだから「破壊と創造」が自然。
でも鷲尾さんは「創造と破壊」と繰り返していた。壊すことが前提のコンテンツを、この1年作っていたのではないか?そう思えば、色々と腑に落ちます。

15周年や10周年の時にも、視聴者を巻き込んだテーマが描かれていました。
今回も同じく、視聴者を組み込んだ構成だとしたら非常に納得がいく。

まだまだ掘り下げる余地があるようにも思いますが、まずはこの理解で私としては納得しました。
今まで疑問に感じた個所を綺麗に説明でき、「F」やインタビューの内容とも齟齬がない。
ついでに新社会人(最初期視聴者の現年齢)が直面する問題とも整合がとれる。

この理解で改めて「ひろプリ」を見返せば、大きく印象が変わるようにも思います。これもまた「世界がひろがる」なのかもしれない。

【終わりに】
特にソラさんが好きで、OPの「お洒落を楽しんでいるソラ」には一目ぼれしました。生き生きしていてとても魅力的。
当初のイメージとかなり違う構成だったので首を傾げることも多々あったのですが、終わってみれば例年と同じく面白さと意欲が融合した素晴らしい作品だったと思います。

本当に色々なことがあった1年でした。間違いなく、2022年以前と2023年以後とでは別時代。
非常に大きな節目となり、良くも悪くももう前には戻れない。
そんな重要なターニングポイントを、精一杯楽しめたことに感謝します。ありがとうございました。
コメント (1)
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(第49話)ひろがるスカイ!プリキュア「キュアスカイと最強の力」感想

2024年01月26日 | ひろがるスカイ!プリキュア
■(第49話)ひろがるスカイ!プリキュア「キュアスカイと最強の力」感想

ダークスカイかっこいい!可愛い!!
もうずっとこれでいいんじゃないかな。


(「ひろがるスカイ!プリキュア」第49話より)

なんかもうダークスカイで全てが満足してしまい、ここで考えるのをやめたほうが幸せになれる気もするのですが、一応続けてみる。

例によって、何をどうしたいのか不可解な回でした。

【1】
ソラさん曰く、「間違えることもある。だから友達を信じればよい」。
言葉そのものには大きな異論はありませんが、状況に全くあっていない。

・カイゼリンは「間違った」のか甚だ疑問。彼女は記憶をいじられています。「騙された」としかいえない。

・カイゼリン視点では「スカイランドと仲良くするという間違いをした。だからスキアヘッドを信じてここまで来た」。ソラさんの言葉通りに行動してきています。

・ダークスカイは「間違った」選択なのかこれまた疑問。あの状況下では最善手にも見え、「友達を信じて危険な選択もする」の方が自然な解釈に思えます。
例えば序盤の山登り回で、ツバサ君を信じてロープウェイから落ちたあげはさんも、危険だけど信じて行動しています。

【2】
制作者様のインタビューによれば、「言葉よりも行動で示すことを重視している」とのことなのに、実際に描かれたのは逆に見えます。

カイゼリン視点では、エルレインは明らかに裏切っています。言葉ではなく、行動を信じている。
例えば「カイザー暗殺の現場には立ち会っていない。戻ってきたスキアヘッドの言葉だけを信じた」だったなら、「それは間違いだよ」の表現にもなるのですが…。

スキアヘッドも行動で愛を示しています。
確かに「愛している」と言葉も発してはいますが、基本的に彼は寡黙なタイプで、カイゼリンのために我が身を危険に晒しているように見えます。
現に視聴者も「説明しないハゲ」「忠臣」など、無口なことへの罵声と、献身的な行動への称賛が飛び交っていた。

もし「言葉よりも行動」を本気で描きたかったのなら、スキアヘッドは「カイゼリン様のためです」を連呼して、嫌がるカイゼリンにアンダーグエナジーを注いだり、自分は安全地帯で高みの見物をしながら無理やり前線にカイゼリンを出したり…といった展開の方が良かったのでは。
これなら「口先だけ」「言葉ではなく行動を見よ」に説得力が出る。

挙句に今回のソラさんも、言葉で解説してしまってる。
分かりやすさのために解説が必要だったなら、カイゼリンに「つまりこういうことだな?」と言わせればよい。

マジェスティの「ノーブルは仲間が欲しかった」も、言葉として聞く分にはよくても、これまでの行動を見ると首を傾げたくなる。
ソラさんたちは赤ちゃんを助けるために自発的に頑張ったのに、ノーブルの仲間集めだったのか…?
覚醒前のボディーガードを作ってた、で済ませた方がすっきりするのでは。

【3】
アンダーグエナジーって何なんだろう?

(1) 善悪はない。ただ力の方向性が異なるだけ。
(2) いわゆる邪悪な力。絶対悪。

どちらなのかで大きく変わるのに、描写がブレているように見える。

(1) の根拠:
・カイゼリンは「アンダーグエナジーから生まれた」と何度も繰り返している。彼女が本質的に邪悪とは思えない
・激高して間違った行動をしたノーブルから受けた傷を、アンダーグエナジーは癒した

(2) の根拠:
・ダークスカイは(スキアヘッドが操らなかったとしても)邪悪の戦士として描かれているように見える

「F」のシュプリームとプーカは(1)(2)を両立させてはいるので、どっちつかずに見えても必ずしもブレとはいえない。
ただ下手な描写をすると致命的なことになりかねず、現状のひろプリはやらかしてしまいそうな気がする。
来週の最終決戦で、アンダーグエナジーを使いこなすスカイが獅子奮迅の大活躍!の可能性があるので、とりあえずは待とう。

【4】
上記に比べれば些細といえば些細なのですが、突入後の流れが不自然。

バタフライ&ウィングが足止めに残ってくれましたけど、進んだ先には通路を塞ぐほどでかいランボーグが現れますから、後続をたつ意味はほぼゼロです。どうせ通路は、あの巨大ランボーグの体で塞がってる。

(バタフライ等は敵地の構造を知らないので、彼女たちが馬鹿だったわけではない。が、制作サイドは自由に敵地の構造を設定できるんだから、せっかくの格好良い見せ場に水を差す描写にする意味がわからない)

また、普通に考えるなら先行させるのはマジェスティです。

いまだにエルちゃんが何者なのか不明ですが、劇中人物の視点で見るなら、エルレインの正統後継者です。
カイゼリンとの確執を解く意味でも、伝説のプリキュアの切り札的意味でも、突入させるならマジェスティのはず。
お優しく聡明なエルレインさんですから、「お友達の家に遊びに行くために、アンダーグエナジーを中和する術を開発」「ついぞ使う機会がなかったけど、お友達を救うために今こそ使う時」と気合い入れてたなら、何ともお可哀そうに…。

【5】
付け加え的な話ですが、ダークスカイは色が黒だけど、これを「キュアブラックのオマージュ」とは受け取りたくない。

キュアブラックは色が黒なだけで、「闇の力を操る獰猛な戦士」といった設定はなく、「女の子が黒が好きでも良い」といった「女の子だって暴れたい」の文脈に沿ったキャラクターです(私の記憶違いでなければ)。
今回のダークスカイを「ブラックのオマージュ」と扱ってしまったら、プリキュアシリーズの根幹に関わるとすら思う。

なおシュプリームとプーカも黒白です(偶然だそうですが)。
この二人はどちらも破壊の力(とそこからの創造)なので、上記の問題は発生しない。
正義のプーカと邪悪のシュプリーム、ではないので。

全体的に「F」との共通点も多く感じるので、ひろプリさんが殊更に変な方向に向かっているのではないと思うのですが、最終回ひとつ前だというのに落ち着かない。
ここからどうにかできるんだろうか…?

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(第48話)ひろがるスカイ!プリキュア「守れヒーロー!みんなの街!」感想

2024年01月18日 | ひろがるスカイ!プリキュア
■(第48話)ひろがるスカイ!プリキュア「守れヒーロー!みんなの街!」感想

残り2話。
皆で力を合わせて戦って、カイゼリンさんも抑え込んで浄化し、ようやく会話ができるように。
ソラさんも嬉しそう。


(「ひろがるスカイ!プリキュア」第48話より)

とはいえ、画面のこちら側にいる視聴者的には大きな謎が二つ残ってる。

(1) ソラの言葉の真意が分からない

ソラさんは「やっとお話ができる」とおっしゃっている。何をお話して、それで何がどう解決するおつもりなんだろう?

カイゼリン視点では、エルレインが裏切って父親を殺したのは事実です。
お互いに持っている情報は全て出していますから、会話をしても疑いは晴れません。
ご丁寧なことに一番星さんは成仏なさっているので、エルレインに問いただすこともできない。

せめて悩みを吐き出せば楽になる…といった類のことでもないでしょう。
そもそもソラさん達は部外者です。エルちゃんはまだしも。

しかもこれまでの展開が、会話を重要視しているようには見えません。
むしろ会話の無意味さを描いているように思える。

例えば今回にしても、

・深く会話を交わしたわけでもないカバトンらが、自発的に助けに来てくれた
・バタフライは語らずに困難を引き受け、ウィングも言葉を交わさずにそれを察して自分の役目に注力した
・カイゼリンの心を折ったのは、スカイの言葉ではなく、バリア修復という現実
・会話しようとした隙を突かれて、カイゼリンが倒れた

等々、会話よりも行動などを重視している。
それにも関わらず、ソラさんは会話に拘っている。ここの説明がつかない。

次回語られる「最強の力」は、「F」やこれまでの描写を見るに「繋ぐ」(一人一人は弱くても、様々な個性を持つものがお互いに影響しあって自発的に立ち上がり、後に続くこと)かなと思うのですが、これも「会話」とは縁遠い。どう着地するんだろう?

(2) ツバサの役割が分からない

ソラ以上の主人公として位置づけられていた(20周年アニバーサリーブックでの対談インタビュー等より)彼ですが、行動と描写が不可解です。
今回だけを見ても、

・青の護衛隊に付与したキラキラエナジーは、ミノトン曰く鍛えれば得られるもの
・バリアが壊れたのでカバトンらは助けに来れた(バリアのせいで援軍が遅れた)

と、わざわざ言及させています。
どちらもテーマに関わる大きなポイントなので、重箱の隅をつつくような話ではないと思う。

前者は、ハグプリでいうところの全人類プリキュア化に通じます。
キラキラエナジー(≒プリキュア化)は、人から与えられるものではなく、自身の心意気でなるもの。

後者の「バリア」は比喩的には対話の拒絶ですから、ソラさんが拘る「会話しましょう」に反している。
実際、カイゼリンが対話すべきはスカイランド国王や国民であってソラたちではなく(マジェスティはまだしも)、バリアで断絶させるのは矛盾している。

元々怪しかったこれらに、しっかり言及して案の定ネガティブに扱っている。
この種の「わざわざネガティブに否定する」ことが、これまでにも何度もありました。

・飛べない竜族を道具を使って空を飛ばした後、(ツバサくんが果たせなかった)自力飛行をさせる
・エルちゃんのナイトを自称しているのに、扱いが雑(クルニクルン登場時の「そんなこと」発言や、成長した姿に納得しなかった等々)

どれもこれも避けようと思えば簡単にできます。
「バリアが壊れたから」ではなく、「様子を見てたらヤバそうだったから」などで何の問題もない。

更には今回の夢への語り。

ツバサくんが空を飛びたいと思ったのは、転落した自分を助けるために父鳥が決死で飛んだことです。
「飛ぶこと」そのものではなく、「子を助ける姿」に憧れたんだ…が私の理解。

この文脈なら「エルちゃんを守るナイト」「民衆を守る賢者」は、表面的な実現手段が違うだけで根底は一貫しています。
ソラさんが語った「ヒーローは泣いている子供を見捨てない」とも合致し、本作のモチーフ「ヒーロー」とも整合します。
子供番組である「プリキュア」的にも、「子供を守る」という動機は伏せる理由がない。

しかしどういうわけか、「飛びたかったのは父の姿に憧れたから」「その想いは今も一貫している」といった説明は、本編中でしていません。
それどころか、「一貫している」ことより「夢が変わる」ことを強調して説明している。

もちろん「夢は変わっていいんだよ」もテーマとしてはありえるのですが、だったらもっと全然違う夢を設定した方が分かりやすい(ハグプリの薬師寺さんの、役者→医者のような)。
それに「変わる」を重視するなら、ナイトを捨ててないと半端に見える。その機会(結婚式回)も、動機(10代に成長するエルちゃんの世話を男子がするのは不穏)もあったのに、エルちゃんの傍を離れるでもない。

率直に言ってお手上げなんですが、それでも無理に解釈すると、今の私の理解ではこういうのしか出てこない。

仮説『ツバサは未熟な半端者として描かれている。但し、未熟ではあっても悪いことではなく、子供の成長を温かく見守ろうというメッセージ』

例えば幼稚園児が棒を振り回しながら「僕はヒーローだ!ママを守るんだ!」とはしゃいでいたとして。
「お前はヒーローの肩書に酔ってるだけ。馬鹿なガキだ」と責めはしないはずです。
いずれ「ヒーロー」が何か、求められている「助け」が何なのかを学ぶだろうと、微笑ましく見守ると思います。

ツバサくんにはこの役割が与えられている…のかもしれない。そういえばソラさんの弟も似た感じです。

この解釈なら、ツバサくんの行動が一々否定されることや、ナイトや賢者といった形式ばった肩書の説明もつきます。彼は舞い上がってゴッコ遊びに興じている。
あげはさんの「少年」呼びとも整合してしまう。

ついでに言うなら、男子プリキュアの意味も見いだせてくる。
「男子プリキュアの歴史は浅いので、女子プリキュアと違いまだまだ未熟者であることを表現した」とか「(ある意味コケにされる役割なので)男子に割り当てた方が無難」とか。

※「F」のシュプリームにも通じる。
「プリキュア」を名乗ってはいるものの、シュプリームは本質を理解せず、表面を真似ているだけ。
ウィングも同様で、今回の話で「世界を守る」に言及し、ようやくプリキュアになった。とか。
あるいは「キュアを冠してはいるが、シュプリームと同様にプリキュアではない」ともとれる。さすがにこれを大真面目に主張する気はないし、自分でも賛同はしませんが。

自分で書いておいてなんですが、この一連の解釈は個人的には不快なので外れてて欲しい。
もうちょっと言葉を選べば、「的外れの背伸びをする少年」と「間違いを知りつつも優しく見守るお姉さん」という王道といえば王道のフォーマットになりそうには思うものの、あんまり深入りはしたくない。
コメント (39)
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(第47話)ひろがるスカイ!プリキュア「さよなら一番星!プリンセスのめざめ!」感想

2024年01月11日 | ひろがるスカイ!プリキュア
■(第47話)ひろがるスカイ!プリキュア「さよなら一番星!プリンセスのめざめ!」感想

「あなたがきちんと話してくれさえすれば」
「こんな終わり方にはならなかったかもしれないのに!」

ソラさんの叫び。多分、ひろプリで最も説得力のある一文だったと思う。
だからさっさと事情を明らかにしてくれと、あれほど…。


(「ひろがるスカイ!プリキュア」第47話より)

と思ったのだけど、よくよく考えて見ると逆なのかもしれない。

仮に第1話で「我々はアンダーグ!300年前に裏切られ、父を殺された恨みを今こそ晴らしてくれる!!」と宣言して襲ってきたとして、ソラさん達の対応が何か変わったかといえば、ほぼ同じだったはずです。
「プリキュアがカイザーを討った」は伝説とも大きな齟齬はなく、「じゃあエルちゃんを差し出します」とも当然ならない。

つまり「話してくれさえすれば」は、「話したところで何も変わらなかった」が真実に思える。
また、

●対話せずに殴り倒して放置したカバトンやバッタモンダーとは、結果的に分かり合えている
●対話を試みたスキアヘッドは自爆した
●絵本が退屈だった子供に合わせて、絵本を変えたりはしない
●ヒーローや飛行を嗤った周囲に、認めさせるような展開は強調されていない
●バッタモンダーやカバトンの価値を、スキアヘッドに認めさせてもいない
●隊長ランボーグのエピソードを初め、自分自身での解決を重視している

これらを踏まえると「対話」や「相互理解」を推奨しているようには見えません。
むしろ「相手に依存する対話よりも、まずは自分をしっかりと持つこと」、言い換えると「自立」を大事にしているように思えます。

例えば「エルレインによるカイザー殺害」の件。

「どうしてエルレインはそんなことを!?」「裏切られた、本当は悪い人だったのかも」と相手の事情を想像して悩んでも前に進めません。カイゼリン視点ではエルレインは殺人犯ですから、「何はともあれ、まずはエルレインと会話しようよ」はちょっと無理がある。
その前に「私が大好きなエルレインがそんなことをするはずがない」と自分の中ではっきりと立ち位置を持つのが大事で、そうすれば冷静に現場調査やアリバイの確認等々ができたはず。

ソラさんは何度もスキアヘッドに質問していましたが、「相手の事情を聞く」という受け身の姿勢では、口を閉ざされてしまったらそれまでです。実際、それで話が全く前に進まなかった。
「赤ちゃんを狙うのは悪いこと!まず殴り倒します!」の確固たる精神なら、自爆を防げた可能性が高い。

このように整理するなら、ひろプリにおける「ひろがる世界」とは内面世界のことを指していたように思えてくる。

おそらくは「あちこち出歩いて、色んな人に出会って、様々な価値観を知って成長しよう」がイメージされたと思いますが、これは悪し様にいうなら他力本願の他者依存です。「自分」がない。
そうではなく、今までに経験したことや価値観を整理し、自分の中ではっきりさせて世界に向き合おう。それが「ひろがる世界」だ。の方がしっくりくるように思います。「学校描写が薄い」「ヨヨ邸が中心で生活圏が狭い」等の特徴とも合致する。

乳児を抱える親や、新社会人(最初期の視聴者の現年齢)とも重ねられます。
いずれも物理的な移動範囲は狭くなりますが、今までにない得難い経験を積んでおり、内面的には「ひろがる世界」と言える。

映画「F」とも整合します。
シュプリームの事情を知っても、解決には何の役にも立ちません。
序盤のアドベンチャーパートでの交流も、シュプリームには全く刺さらず。
変えたのは殴り合いを通じて、自身が抱いた畏れがきっかけです。

シュプリームの価値観は「自分は他者より強い」で、他者を基準としています。
故にブレるし、比較する戦闘相手がいないアドベンチャーパートでは没個性的になる。
そう思うと、ゆかりさんの我の通し方等も「自分」の判断基準があったからで対比になっていたのかもしれない。

「F」は作られた狭い世界が舞台ですが、アドベンチャーパートはそうは見えず、生き生きとして新しい発見にも満ちています。これも「狭い世界」のヨヨ邸に当てはまりそう。
物理的にも経緯としても「狭い」のだけど、自己を深めることで「ひろがる世界」になっている。

更にはこれまでのプリキュアシリーズの基本方針にも沿っています。
相手の事情を慮って譲歩したりはしない。まずは自分を強く打ち出すことを重視してきています。
「女の子だって暴れたい」も正にそれ。

以上から、「対話が大切」と思わせたところに仕掛けた、「対話よりまずは自分」のどんでん返しだったのかもしれない。
そう考えれば、ひろプリさんのこれまでの不可解な描写も反転して、綺麗に収まります。
これが当たっているのかまだ分かりませんが、いい感じに火が入ってきた気がする。

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