■(第50話・最終回)ひろがるスカイ!プリキュア「無限にひろがる!わたしたちの世界!」感想
かつて自分が救われたあのシチュエーションで、小さな子供を救う。
当時おそらくは自分を責めて、「ヒーローになる」の一種の呪縛となったと思われますが、それを昇華した素敵なラストでした。
(「ひろがるスカイ!プリキュア」第50話より)
ここ最近は1週間考えてから感想記事にしていましたが、今回は勢いで書くのが正解な気がするので、そのまま書いてみる。
【ヒーローは間違える】
ソラさんは語った。「ヒーローは正しいことを考えながら進んでいく」。
ここでいう「ヒーロー」は「プリキュア」に置き換えられるし、そこから「プリキュアコンテンツは正しさを考えながら進んでいく」と読み替えても、それほど変ではないと思う。
特にこの1年で顕著だった様々な試行錯誤。迷い、挑戦して進んでいく「プリキュアコンテンツ」を現した言葉とも受け取れます。
それならばそこから続く「ヒーローも間違えることがある」は、「プリキュアコンテンツも間違えることがある」と理解できる。
そして「友達を信じる」。友達とは視聴者のことでしょう。
したがって「プリキュアコンテンツは試行錯誤しながら進む。時には間違うこともあるが、視聴者を信じる」を推測できる。
これを踏まえると、「ひろプリは間違いを描いていたのではないか?」との仮説が立ちます。
この1年はいわばアンダーグエナジーを取り込んだダークスカイ状態であり、間違っていた。それを視聴者が引き戻す。
但し(これはとても大事な点なので強調しますが)、「間違い」=「駄作、投げやり、放棄した」等々ではない。
アンダーグエナジーに染まったダークスカイは、とても格好良くて可愛くて大人気でした。
それと同様に、「間違った」プリキュアコンテンツも「駄作」ではない。ただ「プリキュア」としては「間違っている」だけ。
そしてそれがあるからこそ、魅力も高まる。
【アンダーグエナジー】
劇中では最後まで何なのか明言されなかったアンダーグエナジー。
「価値観を他者に強要し、相手の性質を強引に変えるもの」、平たく言えばポリコレに代表される物と考えれば、私としてはすっきり納得できた。
「F」のシュプリームも同様で、「外の世界からやってきて、強大な力で一方的にこちらの世界を改変し、飽きたら去っていく」のは、(悪い意味での)ポリコレを想起します。
ポリコレは悪ではない。ですが、価値観を強要する観点では悪だ。
アンダーグエナジーの善とも悪ともつかない奇妙な「ブレ」は、社会的に正しいポリコレをイメージすると腑に落ちるように思います。
「力こそ最強」という重複表現じみたフレーズは、「ポリコレこそ正しい」に読み替えると分かりやすい。
ポリコレ的コンテンツから生まれたカイゼリンにとっては、ポリコレが無論正しい。下賤な「プリキュア」コンテンツは害になる。
でもいざ歩み寄りさえすれば、「プリキュア」コンテンツの魅力も分かるはず。
逆に「プリキュア」コンテンツも歩み寄ることはできる。ダークスカイがまさにそうだったように、格好いいし可愛いし、必ずしも悪いことではない。
だけど、それは「プリキュア」ではない。だからバリアに象徴されるように、きっちりと拒絶する。
培ってきた価値観を無視して、勝手にプリキュアコンテンツを容れ物にするのは許容できない。
夢はどんどん変わってよいし、目指したい姿も変わってくる。たまには「ダークスカイ」も良い。
でも、よそ様の価値観の容れ物にされて、外部から変えられるのは違う。そういったことかなと。
【ひろがる世界】
ひろプリさんのキャッチコピー「ひろがる世界へ! ホップ! ステップ! ジャンプ!」。
他にも「ふたつの世界を飛びまわれ!」等、タイトルの通り「ひろがる」が強調されてきました。
が、実際の描写はいまいち世界を飛び回っているようにも、広げているようにも見えない。
ですが上記を踏まえると、「ふたつの世界」とは「現実世界とプリキュア世界」を指しているように思えてきます。
そう思えば実際、今年度はリアルイベントが非常に充実していました。
現実世界とプリキュア世界を飛び回っている。
最終話のソラシド市での最終決戦はかなり唐突ではありましたが、「ソラシド市=現実世界の代理」と思えば違和感は軽減されるように思います。
スクリーンから飛び出したエクストラバトル。直接の交流が少なかったはずなのにプリキュアに詳しい市民や、彼らはアンダーグエナジーに染まらないと確信しているソラ等々、「ソラシド市は現実世界の比喩」と思えば納得できる。
妙に少ない学校描写、ヨヨ邸以外との交流の少なさ等も、「現実世界とプリキュア世界」の関係で考えればわかるように思えます。
この視点だと、ソラさんが初の異世界人主人公である意味も強烈に出てくる。
ソラ(プリキュアコンテンツ)がましろ(視聴者)と出会い、真にプリキュアコンテンツとして成長していく物語。それが「ひろプリ」だったのかもしれない。
ラストの「絵本に描く」はまさしくそのまんま。
トンネルを使えばまた会える等も、現実とプリキュアとの関係性を物語っているように感じます。
【数多の謎の解決】
上記を念頭に置くと、ひろプリさんで描かれた奇妙な描写を納得できます。
例えば「わざとやってるのか?」と何度も首を傾げた不可解な育児ミスや、(主にツバサ君の)言動への自己否定等。
これらは「ひろプリは間違っている」「ダークスカイ状態である」との表現であったのなら、意図的に分かりやすく「間違い」を描写したと解釈できる。
男子プリキュア等のアンダーグエナジー的な物(価値観の強要)を取り込んだ「間違った」プリキュアである「ひろプリ」。それを1年かけてやってきた。
※改めて強く補足しますが「間違い」=「駄作」「失敗」ではない。
「間違ったプリキュア」であるダークスカイが魅力的だったように、「ひろプリ」もまた魅力的です。
※劇中で「間違った」と表現されているのでそれを踏襲していますが、「新しい可能性に挑戦した」等に言い換えても良いと思う。
例えば良くも悪くも本作で最も注目されたとも言えるツバサくんは、ラストで賢者もナイトも辞めて旅に出ると語っています。
「賢者」はかなり唐突でしたから、この「辞める」を明確に表現するためにわざわざ「賢者」を用意したとすら思えます(プリキュアを辞めるとは、さすがに描写できないので)。
「なぜ男子であることを活かさないのか」等も、「現にこの通りおかしなことになる。間違っている」を表現するためだったなら理解できます。
「夢は変わっても良い」かのように描写しているのに、実際に変わったのはツバサくん一人のみ。しかも最後にはその夢を一旦白紙にしています。
素直に受け止めるなら「夢を諦めても良い」「他者から授与されるものではない」や「この1年、楽しい夢を見た。さあ現実に戻ろう」ともとれる。
20周年の節目の年に、あえて「おかしな」ことをすることで、自分たちのコンテンツを見直した。
ダークプリキュアの存在が本来のプリキュアの理解を深めるように、「ひろプリ」によりプリキュアの理解が深まる。
(繰り返しますが、ダークプリキュアは「おかしな」プリキュアではありますが大人気です。「ひろプリ」も同様で、上記一連の解釈は「ひろプリ」を否定するものではありません)
思えば鷲尾さんも「創造と破壊」とおっしゃっていた。一般的には「破壊と創造」です。今あるものを壊して新しいものを作るんだから「破壊と創造」が自然。
でも鷲尾さんは「創造と破壊」と繰り返していた。壊すことが前提のコンテンツを、この1年作っていたのではないか?そう思えば、色々と腑に落ちます。
15周年や10周年の時にも、視聴者を巻き込んだテーマが描かれていました。
今回も同じく、視聴者を組み込んだ構成だとしたら非常に納得がいく。
まだまだ掘り下げる余地があるようにも思いますが、まずはこの理解で私としては納得しました。
今まで疑問に感じた個所を綺麗に説明でき、「F」やインタビューの内容とも齟齬がない。
ついでに新社会人(最初期視聴者の現年齢)が直面する問題とも整合がとれる。
この理解で改めて「ひろプリ」を見返せば、大きく印象が変わるようにも思います。これもまた「世界がひろがる」なのかもしれない。
【終わりに】
特にソラさんが好きで、OPの「お洒落を楽しんでいるソラ」には一目ぼれしました。生き生きしていてとても魅力的。
当初のイメージとかなり違う構成だったので首を傾げることも多々あったのですが、終わってみれば例年と同じく面白さと意欲が融合した素晴らしい作品だったと思います。
本当に色々なことがあった1年でした。間違いなく、2022年以前と2023年以後とでは別時代。
非常に大きな節目となり、良くも悪くももう前には戻れない。
そんな重要なターニングポイントを、精一杯楽しめたことに感謝します。ありがとうございました。
かつて自分が救われたあのシチュエーションで、小さな子供を救う。
当時おそらくは自分を責めて、「ヒーローになる」の一種の呪縛となったと思われますが、それを昇華した素敵なラストでした。
(「ひろがるスカイ!プリキュア」第50話より)
ここ最近は1週間考えてから感想記事にしていましたが、今回は勢いで書くのが正解な気がするので、そのまま書いてみる。
【ヒーローは間違える】
ソラさんは語った。「ヒーローは正しいことを考えながら進んでいく」。
ここでいう「ヒーロー」は「プリキュア」に置き換えられるし、そこから「プリキュアコンテンツは正しさを考えながら進んでいく」と読み替えても、それほど変ではないと思う。
特にこの1年で顕著だった様々な試行錯誤。迷い、挑戦して進んでいく「プリキュアコンテンツ」を現した言葉とも受け取れます。
それならばそこから続く「ヒーローも間違えることがある」は、「プリキュアコンテンツも間違えることがある」と理解できる。
そして「友達を信じる」。友達とは視聴者のことでしょう。
したがって「プリキュアコンテンツは試行錯誤しながら進む。時には間違うこともあるが、視聴者を信じる」を推測できる。
これを踏まえると、「ひろプリは間違いを描いていたのではないか?」との仮説が立ちます。
この1年はいわばアンダーグエナジーを取り込んだダークスカイ状態であり、間違っていた。それを視聴者が引き戻す。
但し(これはとても大事な点なので強調しますが)、「間違い」=「駄作、投げやり、放棄した」等々ではない。
アンダーグエナジーに染まったダークスカイは、とても格好良くて可愛くて大人気でした。
それと同様に、「間違った」プリキュアコンテンツも「駄作」ではない。ただ「プリキュア」としては「間違っている」だけ。
そしてそれがあるからこそ、魅力も高まる。
【アンダーグエナジー】
劇中では最後まで何なのか明言されなかったアンダーグエナジー。
「価値観を他者に強要し、相手の性質を強引に変えるもの」、平たく言えばポリコレに代表される物と考えれば、私としてはすっきり納得できた。
「F」のシュプリームも同様で、「外の世界からやってきて、強大な力で一方的にこちらの世界を改変し、飽きたら去っていく」のは、(悪い意味での)ポリコレを想起します。
ポリコレは悪ではない。ですが、価値観を強要する観点では悪だ。
アンダーグエナジーの善とも悪ともつかない奇妙な「ブレ」は、社会的に正しいポリコレをイメージすると腑に落ちるように思います。
「力こそ最強」という重複表現じみたフレーズは、「ポリコレこそ正しい」に読み替えると分かりやすい。
ポリコレ的コンテンツから生まれたカイゼリンにとっては、ポリコレが無論正しい。下賤な「プリキュア」コンテンツは害になる。
でもいざ歩み寄りさえすれば、「プリキュア」コンテンツの魅力も分かるはず。
逆に「プリキュア」コンテンツも歩み寄ることはできる。ダークスカイがまさにそうだったように、格好いいし可愛いし、必ずしも悪いことではない。
だけど、それは「プリキュア」ではない。だからバリアに象徴されるように、きっちりと拒絶する。
培ってきた価値観を無視して、勝手にプリキュアコンテンツを容れ物にするのは許容できない。
夢はどんどん変わってよいし、目指したい姿も変わってくる。たまには「ダークスカイ」も良い。
でも、よそ様の価値観の容れ物にされて、外部から変えられるのは違う。そういったことかなと。
【ひろがる世界】
ひろプリさんのキャッチコピー「ひろがる世界へ! ホップ! ステップ! ジャンプ!」。
他にも「ふたつの世界を飛びまわれ!」等、タイトルの通り「ひろがる」が強調されてきました。
が、実際の描写はいまいち世界を飛び回っているようにも、広げているようにも見えない。
ですが上記を踏まえると、「ふたつの世界」とは「現実世界とプリキュア世界」を指しているように思えてきます。
そう思えば実際、今年度はリアルイベントが非常に充実していました。
現実世界とプリキュア世界を飛び回っている。
最終話のソラシド市での最終決戦はかなり唐突ではありましたが、「ソラシド市=現実世界の代理」と思えば違和感は軽減されるように思います。
スクリーンから飛び出したエクストラバトル。直接の交流が少なかったはずなのにプリキュアに詳しい市民や、彼らはアンダーグエナジーに染まらないと確信しているソラ等々、「ソラシド市は現実世界の比喩」と思えば納得できる。
妙に少ない学校描写、ヨヨ邸以外との交流の少なさ等も、「現実世界とプリキュア世界」の関係で考えればわかるように思えます。
この視点だと、ソラさんが初の異世界人主人公である意味も強烈に出てくる。
ソラ(プリキュアコンテンツ)がましろ(視聴者)と出会い、真にプリキュアコンテンツとして成長していく物語。それが「ひろプリ」だったのかもしれない。
ラストの「絵本に描く」はまさしくそのまんま。
トンネルを使えばまた会える等も、現実とプリキュアとの関係性を物語っているように感じます。
【数多の謎の解決】
上記を念頭に置くと、ひろプリさんで描かれた奇妙な描写を納得できます。
例えば「わざとやってるのか?」と何度も首を傾げた不可解な育児ミスや、(主にツバサ君の)言動への自己否定等。
これらは「ひろプリは間違っている」「ダークスカイ状態である」との表現であったのなら、意図的に分かりやすく「間違い」を描写したと解釈できる。
男子プリキュア等のアンダーグエナジー的な物(価値観の強要)を取り込んだ「間違った」プリキュアである「ひろプリ」。それを1年かけてやってきた。
※改めて強く補足しますが「間違い」=「駄作」「失敗」ではない。
「間違ったプリキュア」であるダークスカイが魅力的だったように、「ひろプリ」もまた魅力的です。
※劇中で「間違った」と表現されているのでそれを踏襲していますが、「新しい可能性に挑戦した」等に言い換えても良いと思う。
例えば良くも悪くも本作で最も注目されたとも言えるツバサくんは、ラストで賢者もナイトも辞めて旅に出ると語っています。
「賢者」はかなり唐突でしたから、この「辞める」を明確に表現するためにわざわざ「賢者」を用意したとすら思えます(プリキュアを辞めるとは、さすがに描写できないので)。
「なぜ男子であることを活かさないのか」等も、「現にこの通りおかしなことになる。間違っている」を表現するためだったなら理解できます。
「夢は変わっても良い」かのように描写しているのに、実際に変わったのはツバサくん一人のみ。しかも最後にはその夢を一旦白紙にしています。
素直に受け止めるなら「夢を諦めても良い」「他者から授与されるものではない」や「この1年、楽しい夢を見た。さあ現実に戻ろう」ともとれる。
20周年の節目の年に、あえて「おかしな」ことをすることで、自分たちのコンテンツを見直した。
ダークプリキュアの存在が本来のプリキュアの理解を深めるように、「ひろプリ」によりプリキュアの理解が深まる。
(繰り返しますが、ダークプリキュアは「おかしな」プリキュアではありますが大人気です。「ひろプリ」も同様で、上記一連の解釈は「ひろプリ」を否定するものではありません)
思えば鷲尾さんも「創造と破壊」とおっしゃっていた。一般的には「破壊と創造」です。今あるものを壊して新しいものを作るんだから「破壊と創造」が自然。
でも鷲尾さんは「創造と破壊」と繰り返していた。壊すことが前提のコンテンツを、この1年作っていたのではないか?そう思えば、色々と腑に落ちます。
15周年や10周年の時にも、視聴者を巻き込んだテーマが描かれていました。
今回も同じく、視聴者を組み込んだ構成だとしたら非常に納得がいく。
まだまだ掘り下げる余地があるようにも思いますが、まずはこの理解で私としては納得しました。
今まで疑問に感じた個所を綺麗に説明でき、「F」やインタビューの内容とも齟齬がない。
ついでに新社会人(最初期視聴者の現年齢)が直面する問題とも整合がとれる。
この理解で改めて「ひろプリ」を見返せば、大きく印象が変わるようにも思います。これもまた「世界がひろがる」なのかもしれない。
【終わりに】
特にソラさんが好きで、OPの「お洒落を楽しんでいるソラ」には一目ぼれしました。生き生きしていてとても魅力的。
当初のイメージとかなり違う構成だったので首を傾げることも多々あったのですが、終わってみれば例年と同じく面白さと意欲が融合した素晴らしい作品だったと思います。
本当に色々なことがあった1年でした。間違いなく、2022年以前と2023年以後とでは別時代。
非常に大きな節目となり、良くも悪くももう前には戻れない。
そんな重要なターニングポイントを、精一杯楽しめたことに感謝します。ありがとうございました。