穴にハマったアリスたち

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感想:HUGっとプリキュア! 第49話(最終回)「輝く未来を抱きしめて」

2019年01月27日 | HUGっと!プリキュア
■HUGっとプリキュア! 第49話(最終回)「輝く未来を抱きしめて」

プリキュア15周年シリーズ、遂に最終回。
ということで、15年の感想とかプリキュアライブのこととかも交えて何か書こうと思ってたけど、最後の最後で厄介な時間ネタを出されてしまった。
本質的でない設定遊びなのかもしれないけど、爆弾な気もするのでちゃんと考えたい。

「未来から来た」系の話で問題になるのが、「未来は変えられるのか?」

(1) 未来は変えられる。変えるたびに複数の世界が生まれる。
(2) 未来は変えられる。しかし世界はあくまで一つ。(タイムパラドックスを孕む)
(3) 未来は変えられない。世界も一つ。

「(4) 未来は変えられないが、複数の平行世界がある」は考慮する意味がなさそうなので除外して、この三つで考えてみる。
ハグプリさんはどのパターンなのか。

【野乃はなが産んだのは誰なのか?】

彼女は明らかに「はぐたん」を意識して名前をつけているし、「また会えた」の感覚で接している。
そうすると(1)と(2)は否定せざるを得ない。この「はぐたん」とあの「はぐたん」が別人だとまずいから。

(1)はもちろんのこと、(2)も「未来が変わっていない」確証を得る方法はないのだから、「野乃はなの第一子」という点以外は別人です。
それなのに同じ名をつけて、同一人物かのように振る舞ったのだとしたら、かなりグロテスクな話になってしまう。
心理的には「死んだ長女の名前を次女につけて、また会えたと言う」ようなものです。それは野乃さんじゃないだろう。

実際、劇中でトラウムさんがルールーに娘(孫?)を重ね合わせてしまい、自己嫌悪するエピソードがある。
詳細な状況は違いますが、似たことを野乃さんが肯定的にするのはおかしい。

まぁ野乃さんが無神経にやっちゃっただけな可能性もあるんですが、彼女は「子育てに無神経」なキャラとして当初描かれている(育児で徹夜明けのハリーに、寝るなと叫ぶ等)ので、それがそのまんま最終回まで至ってしまったのでは悲しいものがあります。
したがって(3)であって欲しい。この1点があるだけでも、個人的には強硬に(3)を支持したい。

(なお必然的に野乃さんの相手がジョージである可能性が高まる。(3)だとしても、彼女が「自分の子が、はぐたんだ」と確信するに至る何かが必要だから)

【アンドロイドは再会できたのか?】

ルールーは「未来で待っている」と言い残して未来に帰った。
仮に(1)だと、ルールーの帰る未来は、えみるのいるこの世界の未来ではないので、待つことはできない。
元々の未来にも「愛崎えみる」に相当する人物はいるのかもしれないが、それはこちらの「愛崎えみる」とは別人です。
「再会不可能」だと知ってて嘘をつくとは思い難い。

(2)だとタイムパラドクスの影響を諸に受ける。
何らかの奇跡で世界はアスパワワに満ち溢れ、クライアス社が誕生しなければ、ルールーたちは過去にやってこない。
パラドクスが起きたらどうなるかなんて、パラドクスなんだから分かるわけがないですが、自身の消滅や自我の変化も十分に予想されるのだから、やっぱり待つのは無理。
「未来が変わらない」なら会える可能性があるとはいえ、それはつまりクライアス社がそのまま誕生するのを祈るわけで、やっぱりおかしい。

よって(3)。ルールーは会えることを知っていたと思いたい。

【ジョージは何に絶望していたのか?】

平行世界が無限にあるとすれば、アスパワワに満ちた世界もあるはず。ジョージの葛藤が薄れます。
あるいは観測可能な平行世界はたかだか有限個しかなく、その範囲ではアスパワワは常に劣勢だったのか。それなら絶望の深さは理解できます。
ですが、それの解決策が時間停止なのは解せません。一つの世界の時間を止めても、他の世界が動いていたら意味がないのでは?
それとも一つ一つ止めて回るつもりだったのかしら。

(2)だと未来を変えるために何度でもチャレンジすればよいだけ。
トラウムが彼を評した「何もしない男」は、「観測者は事象に干渉してはならない」的な制約ではなさそうなので、それぐらいはやると信じたい。
それにエールさんからの回答が「未来は変えられる。だから変える」というだけのものなら、何かジョージを説得するのに薄すぎる気がする。

(3)ならシンプルです。未来は変えられない。だから止めた方がいい。
「時間停止」そのものが「未来改変」とも言えそうですが、「止まってるだけで変えてはいない。動き出したら(時間が止まっているので再開させられる人はいないのだけど)結局は同じ未来に進む」と解釈すれば、すり抜けられそうです。

【なんでもなれる】

以上から(3)だと決めつけたいのだけど、野乃さんが毎回おっしゃってる「なんでもなれる!」に反してしまいます。
が、この「なんでもなれる」は事象ではなく、心理面のことでしょう。
「なんでもなれる」からといって、「アンリ君はここから復活して一流選手になれる」とか「さあやも医者と女優の両立ができる」とか「アタックの仕方次第では、ハリーを落とせた」とか、そういうのはテーマと違うはず。
現実的にできないこともある。しかしだからといって終わりじゃない。一つの夢が無理でも、なんでもなれる。だから前に進もう、という意味での「なんでもなれる」。
それならむしろ(3)の方が納得できます。

といったわけで「世界は一つで、未来は変えられない」の立ち位置を取りたい。
で、そうすると、各シーンの意味あいがかなり変わって見えてくる。

【ルールーは何にお別れをしたのか?】

えみる および 視聴者視点では、未来に帰るルールーとは長いお別れです。
一方でルールーにとっては、カエルから降りたらいきなり未来なので、成長したえみるが出迎えに来てる可能性だってある。
劇中時間を2019年、はぐたん誕生を2030年、トゥモローさんを伝統に従って14歳とするなら2044年から来たとして、僅か25年後。
一般には、えみるも野乃さんらも普通に生きてるので、あっさりと再会出来ます。
ルールー視点では、涙が乾く間もない、気持ちの切り替えにすら困る一瞬の間です。
ですが未来に帰るルールーは、どう見てもそんな軽いノリじゃない。

そして厄介なことに、えみるは11年後の2030年にルールーと再会してしまってる。
(3)未来は変えられないに立つなら、11年後ルールーと25年後ルールーは同一人物であり、別れの時点でルールーは(彼女視点では14年前)に再会していたのを知っていたことになる。
(トラウムが記憶を消去している描写があるので、登場時点のルールーが11年後のことを忘れていても矛盾はない)
(また今更ながら「オールスターズメモリーズ」で、ちゃんと子供verが存在した理由付けがされてる。ただ一人冷静だったのも「成長したえみるから聞かされていたから」の可能性が生まれる)

しかしそうだとすると、ルールーは「11年後以降に」えみるに何が起きたかを知っているはずです。
また、ルールーはその後「成長した姿で」起動する描写があるので、何らかの形で一旦凍結されています。じゃあその時、2030年のえみるは何やってた?
想像だけで書くなら、あの後えみるに何かがあり(平たく言えば死亡)、ルールーも凍結。トラウムの娘(孫?)事件で再起動され、ハグプリ本編につながると。
ルールーがえみるに親しみを感じたのも、11年後の「過去」に親友同士だったからなら、非常にすっきりする。

それならば、ルールーの言った「未来で待っている」はかなり切ないです。
ルールーにとっては過去である11年後の再会のことであり、25年後の未来にはえみるはいない。
「待っている」のは嘘ではなく、「会える」のも事実。しかし自分はもう会えない。

えみるの方も、11年後にはその事実に気づいたんじゃなかろうか。
間違いなくルールーその人に再会したと同時に、あのルールーにとっては今生の別れだった。

【野乃はなに何があったのか?】

未来で野乃さんに何が起きたのか、よく分からない。
何となく「死んだ」と思い込んでいたけど、断言はされてなかったはず。

まず「未来は変えられない」の立ち位置でいくなら、素直に考えれば野乃さんの夫はジョージでしょう。
11年前に死闘を繰り広げた相手を愛せるのかは課題ですが、野乃さんは素敵な女の子なので、そういうのは気にしないんだ。
あるいは、それがあったからこそ惹かれたのかもしれない。

25歳ぐらいの彼女が大企業の社長やってるのも、ジョージの力ならまぁ分かります。
彼は「何もしない男」なので、既に存在していた会社を野乃さんに譲ったんでしょう。

そしてその流れだと、あの会社が後のクライアス社と考えるのがシンプルです。
しかしそうすると、後のクライアス社を生み出したのは、野乃はな当人と考えるのが一番単純です。
将来彼女に何かがあり、トゲパワワに屈し、未来の崩壊が起きた。
ジョージの凄まじい絶望も納得できます。死ぬより酷い結末だ。
見るからに優秀そうなトゥモローさんチームが敗北したのも必然ですよ。ミラージュ様パターンです。プリキュアの倒し方は、プリキュアが一番よく知っている。

更に言えば、ルールーたちが未来に帰るのにこだわる理由も分かります。
25年後の野乃さんを救いたいんだ。
彼女たちはこれから、第2期(彼女たちの視点ではそちらが本編)が始まるんだ。
だとしたら物凄く見てみたいです。今から25年後のプリキュア40周年シリーズ。トゥモローさんが主役のお話。
25年前のシリーズで登場した悪役と戦う前半パート、夏ごろに壊滅して絶体絶命になるけれど、何故かその悪役たちがプリキュア側になって助けに来てくれる。
25年の時を経て、再度「追加戦士枠」で加わるキュアアムールとか、25年前の主役キュアがラスボスとか、ぞわぞわします。

…まぁ妄想だけなら無料なので。

【明日が明るいのか、昨日が明るいのか】

他、ダイガンさんと薬師寺さんのやり取りも深読みできます。
視聴者視点でいえば「2030年にダイガンと再会して仲良くやってる」ですが、ダイガン視点でいえば2030年は過去。
彼が薬師寺さんに感謝の気持ちを強く持ったのは、「この人、14年前に世話になったあの薬師寺さんじゃないか」と気づいたからかもしれない。


(左画像)映画HUGっと!プリキュア ふたりはプリキュア〜オールスターズメモリーズ〜【Blu-ray】 [ 引坂理絵 ]

(右画像)HUGっと!プリキュア・ベストアルバム Cheerful Songs Best [ (V.A.) ]

Twitterアカウント:http://twitter.com/RubyGillis


といった感じで、最終回なんだからもっとまとめ的なことを書こうと思ったのに、ぶち込まれたネタが強すぎて、すっかり飛んだ。
「2030年」「トゥモローが娘」ってだけで、妄想が迸って止まらない。
最終回を見て、今この瞬間に「ハグプリ」は始まったような気すらした。時間ネタの強みですね。
「未来の自分の子供を、もう一度育てる」の構造自体、色々と解釈できそうだし、20周年・30周年の未来がきたときに、「なるほどそうか」と分かることも多そう。
単なる15周年の懐古企画なんかじゃない、きっちり未来を指し示した素晴らしいシリーズだったと思う。
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感想:池田 彩 10th anniversary ONE-MAN LIVE 第三弾「episode Re:2」

2019年01月27日 | ライブ・イベントレポート(アニメ系)
■池田 彩 10th anniversary ONE-MAN LIVE 第三弾「episode Re:2」

 日時:2019年01月26日(土)開場18時30分/開演19時00分
 場所:表参道GROUND
 出演:池田彩
 ゲスト:五條真由美、工藤真由

(本記事は私の記憶・主観に基づいたものであり、実際の演者の意図・言動とは異なる場合があることをご了承ください)

【会場】

プリキュアライブの興奮冷めやらぬまま1週間後、池田彩さんのライブに参加しました。
興奮冷めないままというか、あの後、興奮の反動なのか単なる人ごみ感染か見事に風邪をひき、何か気が付いたら当日になっていた感じ。
そして会場の表参道は激烈に寒かったです。何かプリキュアライブを経て、世界が一変した感があるな…。

スタンディングのライブに参加するのは、何気に1年ぶりぐらいです。自分でも驚いた。
参加した理由は、池田さんには非常に失礼になってしまうけど、くどまゆです。「ゲスト:くどまゆ」!この一文が、どれほど今日までを生きる励みになったことか。
彩さんの歌も好きだし、この書き方は内心面白くないとは思うのだけど、それでも正直な気持ちを書かせてもらうと、くどまゆさんを呼んでくださって本当にありがとうございます。

【くどまゆ】

くどまゆはくどまゆでした。

思えば2年。暗黒時代を過ごしたわけですが、いざ戻ってきた姿を見たら、「ああ、くどまゆだ」としか言いようがなかった。
もっと涙が湧くとか何とかあるかと思ったのに、くどまゆはくどまゆです。そうだよな、あの方は神として崇めるというより、くどまゆとして崇める方だものな。
何を言ってるのか自分でも良く分からないんですけど、くどまゆはくどまゆなんです。必須栄養素を久々に摂取したら生き返った的な、「うん、それはそうだろう」なんです。

プリキュアライブでもお見掛けしているわけですが、思えば「復活」感は今回改めて思いました。
くどまゆさん自身も「この感覚、久しぶり」とおっしゃってた。
今にして思えば、何だかんだでお澄まししてたんですね、あれ。

あと本日の衣装は、やたらと清楚な感じでした。
プリキュアライブが正に現役時代のそのままだったのとは対照的に。
胸元は開いていらっしゃったけど。

【くどまゆ2】

お歌は3曲。
「My Best Partner」「HEART GOES ON」「キラキラkawaii! プリキュア大集合♪」。

1曲目。直前に存在を思い出しました。同時に、これだけの曲を忘却しかけてた自分にぞっとした。
個人的に色々と切羽詰まっていたし、その直後のくどまゆさん卒業が厳しかったんだよなぁ…。

2曲目。「これが聞きたいだろうと思って」とは池田さんの弁。
お二人の曲は数あれど、やっぱり代表曲はこれだと思う。
個人的に「HEART GOES ON」には苦手意識があるというか、歌の意味を受け止め切れていないのだけど、今日はただただ無心で聞きました。
くどまゆさんが歌っていらっしゃる。理屈は後で考えればいい、とにかく今は、くどまゆさんのお歌を吸収するんだ。

3曲目。もう一人のゲスト・五條さんも加わっての「キラキラkawaii」。
3人それぞれで歴代「DX」で主題歌やってますが、今回は五條さんの初期ver。ちなみにプリキュアライブでは、DX3のくどまゆverでした。正直、言われるまで気づかなかったけど。(ライブのブランクがひどすぎて、感度が下がってる…)

何度も書いてるように、池田さん(と五條さん)には本当に失礼なんですけど、くどまゆさんのお歌を聴けて、何かもう全てが幸せです。
冷静に考えれば茨城からやってきた主婦の歌を聴いただけなのに、なんで私はこんなに感動してるんでしょうか。米を食ったら元気が出たという話に、理屈を求める方がおかしいんだと思う、たぶん。

【くどまゆ3】

くどまゆ:
 「重大発表があります」

即座にふたつの可能性が浮かんだ。
聞きたくてしょうがない一言か、もしくは(それを分かった上での)ご懐妊報告か。
後者だった。というか、既にご出産なされてた。おめでたい。

くどまゆ:
 「2月のライブのあと、また少しお休みします」

『また少し休む』。これが言葉の綾でないことを願いたい。
『卒業』から大きな前進ですよ。少し休んだ後、気負わずに戻ってきてください。2年待ったんだ、また待てる…!

【五條さん】

書く順番が逆になりましたが、もう一人のゲストは五條さん。

10周年の池田さんに対して、20周年の五條さん。「どれみ」と同期生。
私が五條さんを知ったきっかけは、アニソンを集めるのが趣味だった友人から聞かされた「10秒かぞえて」でした。
あのお歌、すごく「プリキュア」的ですよね、いや順序としては逆なんだけど。大好き。

五條さんからは「DANZEN!ふたりはプリキュア(Ver.Max Heart) 」「リワインドメモリー」「キラキラkawaii」。

1曲目。今や「歌う前に曲名を言う」ことが非常に重要になってる「DANZEN」。
何せ(最初に五條さんが叫ぶかどうかで分かるとはいえ)判断材料がなさすぎる。今回は先に「verMaxHeartだ」と宣言してくれました。ありがたい。
曰く「自分でも訳がわからなくなる」。
「無印とMXで『まっくすはー』と叫ぶところしか変わらない」を本歌取りしたのか何なのか、「唯一無二」も「途中まで全く一緒」とか訳わかんないネタを何故に公式は仕掛けてくるのか…。

2曲目。「リワインドメモリー」。
この曲は本当に反則だ。プリキュアライブの時も思ったけど、本当に反則。
これまで歩んできた幾年。結果を見れば失敗したこともあった。むしろ失敗ばかりだった。
それでも、歩んできたんだ、この幾年。いわば逆切れともいえる矜持。落ち込むこと、それ自体に対する怒り。
ともすればネガティブな意味をもつ「思い出」を腕力に変えて、諸々の悩みをぶん殴るそんなお歌。

五條さんと池田さんのお歌としては、ご存知「featuring X」のお歌があるわけですが、池田さんからあえてのリクエストで「リワインド」になったそうで。
実際、「10周年」という節目を思うと、確かにこの歌だなぁと思う。
あと作詞が池田さんの同期生だそうです。この名曲に感謝。

【池田さん】

本ライブの主役、池田彩さん。
彩さんは重いことも軽い口調で話されますが、信念が硬いというか強い方のイメージです。
今回も「アンコールは無し」を明言された。確か以前にも「アンコール前提はおかしい」と仰ってた気がする(違ったら申し訳ない。あとこれに関しては(私には言う資格はないんだが)生え抜きのファンの方々は(予定調和のアンコールしか客から要求されていないと思われているかもしれないことに)何か思うことがないのだろうか)。

何度も書いたように、正直なところ、くどまゆ目当てでの参加だったんですけど、開始1曲目で「そうだ、池田彩さんだ」と思い知りました。
以前に参加したライブもそうで、なんというか、「わぁ、ライブ楽しかった、盛り上がったー」という感じだけじゃないんです。心や体にずしりとくる。
そりゃまぁ米国やインドまで行って路上ライブしてる人のお歌が、「わぁ楽しい」で終わるわきゃないんですよ。どう表現すればいいんでしょうね、これ。

ラストの「Road」は、あの池田さんが涙ぐんでいらっしゃった。ご本人様は一切そのことに触れなかったけれど。
10周年記念ライブだものな、軽い口調で話されていても、軽いわけがない。

変な表現ですが、プリキュアライブで15人(ではないのだけどイメージ的に)の歌手様大集合を見て感動したのは、その一人一人に凄まじい背景があるから。
一人でも凄まじい人が15人も揃ってる。だから凄い。あの一瞬で、その一瞬に込められた熱量を感じ取った。だから凄い。
言い換えれば、その一人である池田彩さんのワンマンライブなんです。凄いに決まってる。

恥ずかしながらそのことに、いざライブが始まるまで気づいてなかった。そうだよな、池田彩さんだもんな。凄くないはずがないだろ。
以前に大阪まで遠征に行った時のこととか、リアルに思い出しました。プリキュアライブのあの一翼を担う池田彩さんですよ。
というか、そもそも「プリキュアライブの」とかがまず失礼な話で、池田彩オリジナルがあった上での「プリキュア」ですよ。
良くも悪くもプリキュアライブで錯誤していた部分を、がつんとやられた感じ。「プリキュア歌手が揃った」から凄いんじゃなくて、「凄い歌手がプリキュアソングをやってて、その人たちが揃ったから」凄いんだろう。
凄い凄いばかりで語彙力があれですが。

今回、何度か「お客さんあっての歌手だ」と仰ってた。
それは私らの側にも言える。「歌手様がライブをやってくれるからこそ、私らは観客になれる」。
ライブやってくれなきゃ、CDの前でぼそぼそコールしてる変質者ですよ。しかもこっちには能動的に機会を作る力がない。
私らは従。あなた方は神。感謝の気持ちを伝えたい。

【終演後】

2月の大阪の公演にも行こう。
とりあえず、チケットやら宿やら家族の調整やらはできてる。

それとはまた別に(返す返す池田さんには失礼かもしれないけど)他のプリキュア歌手様のライブも、回ってみようと思った。
プリキュアライブの「3Dシアター」や「イマココカラ~笑顔になぁれ」や「リワインドメモリー」に感動したのは、「あの池田彩さんが」だったんだ。それなら他の歌手様も同様だ。自分の中の原点を、改めて見つめなおしてみたいと思う。
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