「スタプリ」本編は全然感想を書けなかったので、今さらながら書いてみる。
今年のテーマとしては「多様性」。至った答えは「分からないから知りたい」。
後期EDで切なく訴えているように「分からない」を認め、だから「知りたい」。
「分からない」からこそ想像する。とても儚くて確信のない行為だけど、ただの星と星との集まりだって星座を作れる。だから人と人との間にだって繋がりがあるはず。
星座は個人のイマジネーションの中にしか存在せず、現実には「星をつなぐ線」なんてない。それでもそれは確かに見える。
だから未知なる他者に自分を公開し、イマジネーションをもって問いかけよう。そうすれば星座のように、人と人も繋がれる。
だと思っていたのだけど。
最終決戦でどんでん返しがあった。
元々上記の「テーマ」だと、それに明確に反している(ようにしか見えない)娘さんがいらっしゃった。キュアセレーネこと香久矢まどかさんです。
香久矢さんは個人回の総決算たる41話で留学を保留になされた。
その際、テーマにしたがうのなら、あの娘の展開は「父親に事情を打ち明け、父親の事情を知り、落としどころを見つける」だったはず。
ところがあろうことか彼女は、自分からは一切自白せず、父親を切り捨てる方向に動きました。この理由が当時さっぱり分からなかった。
香久矢さんは「私にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩」とおっしゃった。
月属性に引っ掛けた、アームストロング船長の逸話からの引用なのはわかりますが、ストーリー的にはおかしい。
留学を保留にする(父に逆らう)ことは「人類にとっては小さな一歩だが、私にとっては偉大な一歩」のはず。
彼女にとっては大きな決断だったはずなのに、それを「小さな一歩」と表現し、それがどうして「人類にとって偉大な一歩」なのか分かりません。
正直なところ、彼女の不可解な言動は「キャラクターが暴走した」結果であり、「配置をミスった」のが実情だったんじゃないかとすら思えた。
要は「多様性」のステレオタイプとして「親の価値観に束縛されている子」を用意したものの、プリキュアの性質上、極端な毒親を描くわけにはいかず、留学を全否定するのも奇妙な話。だけどそのまま留学しても何か変だし、予定調和的に放置したので整合性が取れなくなっちゃんじゃないかと。
実際、秋映画では天宮先輩と共にほぼストーリーから退場しており、ぶっちゃけ「機能しなかった」だけに見えた。
ですが最終決戦で謎が氷解しました。
冒頭に書いた「ただの星と星との集まりだって星座を作れる」が不十分な解釈で、おそらくはこうだったんだ。
「ただの星の集まりに星座を見出すように、人は昔からの固定観念に縛られてしまう」
「親や社会からの無意識下の影響に縛られず、もっと自由に想像して、自由に星座を描こう」
「個人のイマジネーションは無限だ。無限の星座を思い描けるように、人と人との関係も無限にある」
絆や想像力の象徴に見えた「星座」が、実は「呪い」「先入観」というのは盲点だった。確かに、なんで決まりきった形で星座を意識しなきゃいけないのか。私らの想像力は何千年だか前から止まってるのか。
人同士の関係も同様で、「敵対」はもちろん安易に「仲良く」すべきとも決められてはいない。固定観念に基づく星座のように、「とにかく仲良くするものだ」みたい決めつけも、やっぱり違うんだろう。結果として仲良くするのはともかく、「人と人とは仲良くするものだから」みたいな思考停止は、やっぱり違う気がする。
そもそも「仲良くする」とは具体的に何を意味するのかも人によって異なる。サボローさんにとっては「花を贈る」がスプラッタだったように、テンジョウさんにとっては「笑顔」が侮蔑表現だったように、「とにかく仲良く!そのために花!笑顔!」みたいなのは、むしろコミュニケーションの放棄なんだろう。
香久矢さんでいえば、12の星座が、造物主たるプリンセスの痕跡だったように、留学は親の痕跡。
「親に反抗して留学保留」は、「12星座のプリンセスの影響からの卒業」につながる話だったんだ。
それならば確かに「私にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩」だ。
香久矢さん個人にとっては「留学」という小さな話だが、「造物主からの卒業」に通じる偉大な一歩。
つまり香久矢さんは、どんでん返しを予告するという、なかなかにエグい役回りをされていたのか。
「製作者様の配置ミス」なんて、安易に考えたのが大層恥ずかしい。真摯に考えれていれば、ラストの展開も予想できた…のだろうか。無理な気もするけど。
香久矢さんには小悪魔的な危険な香りをずっと感じていたのだけど、まさしくどでかい一撃を喰らった気分。怖い子だ。
今にして思えば、天宮先輩も「親からの痕跡=花や笑顔」が通じないことがストーリー上かなり表現されていたし、「親の影響が間違っていたのか」を悩んでいた。「12星座の呪縛」の構図はちゃんと描かれてたんだな。結末として「その花や笑顔が届いた」ので、すんなりスルーしてしまった。
たぶん「12星座(や花や笑顔)は受け継いだ「固定観念」ではあるが、だからといって悪ではない」の側面を担当されたんだろう。どんでん返しのフォロー役。
そうするとテーマ的に違和感があるのは、ララさんのサマーンの描写なのかも。
最終回で「ララスタイルが流行ってる」「マザーがよく言ってる「キラやば」」は、以前の呪縛からは逃れたものの、今度は「プリキュア」に縛られてる。
実際ララさんも呆れていましたが、サマーン星人の皆様には「ララスタイルにインスピレーションを受けて、こんな発明をしてみた」とか「キラやばの派生語が流行る」とか、そういうのを頑張ってほしかった気がする。
いやこれも私の考え不足なだけで、しっかり考えれば何かがあるのかしら。
キーワードのひとつ「星座」の捉え方が大きく変わってるので、改めて最初から見返してみたら、見え方が全然変わってくると思う。更にいえば「この見え方が変わる」こともテーマに即してる。
さすがは新しい15年の最初の1シリーズ目というか、能天気な話のようでいてかなり細かく仕込まれてるというか。
「星座の呪縛」は、「プリキュアとはこういうもの」という先代からの呪縛にも通じる話だし、「プリキュア=前に戻す存在」(およびその否定)もその辺を意識されてそうだし、新しい15年の一発目にこれをやれたのは素晴らしいと思う。
15周年のお祭り騒ぎの後なだけに、星奈さんのプレッシャーたるや凄いものだったと思いますが、見事に大役を果たされた。ありがとう、星奈さん。
今年のテーマとしては「多様性」。至った答えは「分からないから知りたい」。
後期EDで切なく訴えているように「分からない」を認め、だから「知りたい」。
「分からない」からこそ想像する。とても儚くて確信のない行為だけど、ただの星と星との集まりだって星座を作れる。だから人と人との間にだって繋がりがあるはず。
星座は個人のイマジネーションの中にしか存在せず、現実には「星をつなぐ線」なんてない。それでもそれは確かに見える。
だから未知なる他者に自分を公開し、イマジネーションをもって問いかけよう。そうすれば星座のように、人と人も繋がれる。
だと思っていたのだけど。
最終決戦でどんでん返しがあった。
元々上記の「テーマ」だと、それに明確に反している(ようにしか見えない)娘さんがいらっしゃった。キュアセレーネこと香久矢まどかさんです。
香久矢さんは個人回の総決算たる41話で留学を保留になされた。
その際、テーマにしたがうのなら、あの娘の展開は「父親に事情を打ち明け、父親の事情を知り、落としどころを見つける」だったはず。
ところがあろうことか彼女は、自分からは一切自白せず、父親を切り捨てる方向に動きました。この理由が当時さっぱり分からなかった。
香久矢さんは「私にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩」とおっしゃった。
月属性に引っ掛けた、アームストロング船長の逸話からの引用なのはわかりますが、ストーリー的にはおかしい。
留学を保留にする(父に逆らう)ことは「人類にとっては小さな一歩だが、私にとっては偉大な一歩」のはず。
彼女にとっては大きな決断だったはずなのに、それを「小さな一歩」と表現し、それがどうして「人類にとって偉大な一歩」なのか分かりません。
正直なところ、彼女の不可解な言動は「キャラクターが暴走した」結果であり、「配置をミスった」のが実情だったんじゃないかとすら思えた。
要は「多様性」のステレオタイプとして「親の価値観に束縛されている子」を用意したものの、プリキュアの性質上、極端な毒親を描くわけにはいかず、留学を全否定するのも奇妙な話。だけどそのまま留学しても何か変だし、予定調和的に放置したので整合性が取れなくなっちゃんじゃないかと。
実際、秋映画では天宮先輩と共にほぼストーリーから退場しており、ぶっちゃけ「機能しなかった」だけに見えた。
ですが最終決戦で謎が氷解しました。
冒頭に書いた「ただの星と星との集まりだって星座を作れる」が不十分な解釈で、おそらくはこうだったんだ。
「ただの星の集まりに星座を見出すように、人は昔からの固定観念に縛られてしまう」
「親や社会からの無意識下の影響に縛られず、もっと自由に想像して、自由に星座を描こう」
「個人のイマジネーションは無限だ。無限の星座を思い描けるように、人と人との関係も無限にある」
絆や想像力の象徴に見えた「星座」が、実は「呪い」「先入観」というのは盲点だった。確かに、なんで決まりきった形で星座を意識しなきゃいけないのか。私らの想像力は何千年だか前から止まってるのか。
人同士の関係も同様で、「敵対」はもちろん安易に「仲良く」すべきとも決められてはいない。固定観念に基づく星座のように、「とにかく仲良くするものだ」みたい決めつけも、やっぱり違うんだろう。結果として仲良くするのはともかく、「人と人とは仲良くするものだから」みたいな思考停止は、やっぱり違う気がする。
そもそも「仲良くする」とは具体的に何を意味するのかも人によって異なる。サボローさんにとっては「花を贈る」がスプラッタだったように、テンジョウさんにとっては「笑顔」が侮蔑表現だったように、「とにかく仲良く!そのために花!笑顔!」みたいなのは、むしろコミュニケーションの放棄なんだろう。
香久矢さんでいえば、12の星座が、造物主たるプリンセスの痕跡だったように、留学は親の痕跡。
「親に反抗して留学保留」は、「12星座のプリンセスの影響からの卒業」につながる話だったんだ。
それならば確かに「私にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩」だ。
香久矢さん個人にとっては「留学」という小さな話だが、「造物主からの卒業」に通じる偉大な一歩。
つまり香久矢さんは、どんでん返しを予告するという、なかなかにエグい役回りをされていたのか。
「製作者様の配置ミス」なんて、安易に考えたのが大層恥ずかしい。真摯に考えれていれば、ラストの展開も予想できた…のだろうか。無理な気もするけど。
香久矢さんには小悪魔的な危険な香りをずっと感じていたのだけど、まさしくどでかい一撃を喰らった気分。怖い子だ。
今にして思えば、天宮先輩も「親からの痕跡=花や笑顔」が通じないことがストーリー上かなり表現されていたし、「親の影響が間違っていたのか」を悩んでいた。「12星座の呪縛」の構図はちゃんと描かれてたんだな。結末として「その花や笑顔が届いた」ので、すんなりスルーしてしまった。
たぶん「12星座(や花や笑顔)は受け継いだ「固定観念」ではあるが、だからといって悪ではない」の側面を担当されたんだろう。どんでん返しのフォロー役。
そうするとテーマ的に違和感があるのは、ララさんのサマーンの描写なのかも。
最終回で「ララスタイルが流行ってる」「マザーがよく言ってる「キラやば」」は、以前の呪縛からは逃れたものの、今度は「プリキュア」に縛られてる。
実際ララさんも呆れていましたが、サマーン星人の皆様には「ララスタイルにインスピレーションを受けて、こんな発明をしてみた」とか「キラやばの派生語が流行る」とか、そういうのを頑張ってほしかった気がする。
いやこれも私の考え不足なだけで、しっかり考えれば何かがあるのかしら。
キーワードのひとつ「星座」の捉え方が大きく変わってるので、改めて最初から見返してみたら、見え方が全然変わってくると思う。更にいえば「この見え方が変わる」こともテーマに即してる。
さすがは新しい15年の最初の1シリーズ目というか、能天気な話のようでいてかなり細かく仕込まれてるというか。
「星座の呪縛」は、「プリキュアとはこういうもの」という先代からの呪縛にも通じる話だし、「プリキュア=前に戻す存在」(およびその否定)もその辺を意識されてそうだし、新しい15年の一発目にこれをやれたのは素晴らしいと思う。
15周年のお祭り騒ぎの後なだけに、星奈さんのプレッシャーたるや凄いものだったと思いますが、見事に大役を果たされた。ありがとう、星奈さん。