穴にハマったアリスたち
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前回からの続き。

えみるが苦しんでいたのは、特定の誰かからの分かりやすい抑圧ではなく、もっと漠然とした回避しようのない制約だったように思います。

他の劇中人物とも比較してみよう。
未来社会で時間が止まったのは、(ジョージの弁を信じるなら)特定の悪者がいたからではなく、各自がそれぞれ避け得ない挫折に直面したから。
ジュロスの悩み「加齢」は解決不可能(偏見は改善できますが、加齢そのものは無理)、チャラリートの悩みも本人が頑張るしかない。パップルは多少は他者が関わっていますが、「悪」がいたのではない。
ビシンやリストルは故郷を襲った何らかの危機(誰かを憎んではいないことから、イメージ的には環境変化?)が原因で、これも他者からの偏見による抑圧ではない。
トラウムの娘やジョージの「最愛の人」の死も、分かりやすい特定の「悪」が原因ではなさそうです。(ジョージの件は偏見やら抑圧やらも絡んでいそうですが、「社会を憎む」方には振れていません)

ミデンの苦しみも、クローバーの苦悩も、避けられない不運であって、他者の理解不足や古い価値観のせいではない。

これらを見ると、解決可能な偏見や抑圧ではなく、解決不可能な制約への悩みに思えます。

たとえばアンリくんの悩み。
整理すると3点ある。

(1)成長による体の変化。声変わりなど
(2)足の故障
(3)交通事故による足の麻痺

選手を諦めた直接の原因は(3)ですが、元々は「(1)により時間の猶予がなくなったこと」で、「そのせいで休養期間をおけず、(2)なのに無理して最後の大会に出ようとした」。

(1)は性同一性障害とかそういった話ではないでしょう。声変わりに言及したシーンでは「何でもできると思っていた」と振り返っています。なんでもできると思っていたのに、現実には「成長」という避けられない制約が存在した。そのことへの悩みと思われます。「嫌でも大人にならざるを得ない」とか「ある仕事についたら、別の仕事につく未来は消える」とかと同一の悩みです。
これは偏見や抑圧の問題ではなく、解消は不可能。だからプリキュア化して叶った夢は「足が治る」ではなく、「せめて最後をちゃんと終わりたい」という儚くも素敵な夢だった。

(強いていえば(1)は彼自身が作り出した制約です。声変わりしたり骨格が変わってもスケートはできる。「それは若宮アンリではない」と決めつけたのは彼ですから、もし(3)がなければ「制約を受け入れて、演技の方向性を大きく変えた」未来があったのかもしれない)

(アンリくんは「みんなの求めている若宮アンリにはなれない」と拒絶していましたが、最後には「みんなが望む若宮アンリ」を見せています。「スケートが好きだったのは、みんなの笑顔が見たかったから」とも。あえて極言すると、アンリくんは抑圧に抵抗するというより、大衆に迎合する決着をしています。もちろん「自分の夢と周囲の夢が幸せな一致をした」からの結果ですから、「迎合」という表現はおかしいですが)

えみるも同様で、避けられない制約が問題に思えます。「抑圧された(「女の子がギターなんて」)からシャウトしたかった」のではなく「シャウトしようとしたら抑圧された」のですから、まず何か「シャウト」したかったきっかけがある。

彼女はどちらかといえば、自由過ぎて何をしてよいのか分からなくなっていたのではなかろうか。
ここでいう「自由」とは、「多様性の尊重」とかも含みます。良いか悪いかは別として、「勝ち組」「負け組」がはっきりしていた方が、やるべきことは明白です。
「なんでもなれる」と言われてしまうと、「なんになればいいんだ?」と迷ってしまう。判断基準は全くなし。

理想を言えば「自分がやりたいことをやればよい」のですが、自分がやりたいことを具体化できる人の方が少数派でしょう。小学生なら尚更です。
純朴な思い付きで「〇〇屋さんになりたい」と口にできる年齢を過ぎ、かといって具体的な進路を考えられるほどの材料もない。
身近な年長者はことごとく特徴的で参考にもならず。多様性を尊重すると、分かりやすいアドバイスも受けられない。
これは現実の視聴者の姿も反映しているように思えます(現役幼児から見た少しお姉さんの立ち位置でも、20歳(初代を5歳ごろに見ていた人が20歳)の手前くらいの人の立ち位置でも)。

めちゃくちゃな喩えを使うなら、野原に連れていかれて「さあ好きなことをしなさい」と言われても途方に暮れる感じ。
「虫が好き」「花が好き」とか具体的に趣味があればそれをやればよいけれど、まっさらな状態では困ってしまう。
そしてそんなときの「正解」の一つは、「とりあえず、がむしゃらにその辺を走り回る」じゃなかろうか。目的は後から見つければいい。まずは走る。そうすればその内、何かは見つかるはず。「走るのは自分の好みじゃないな」とかそういうのも含めて。

えみるの言う「ギターは自由なのです」「ギュイーンとソウルがシャウトするのです!」は正にこの状態に思えます。何をしたいのかよく分からないが、とりあえずシャウトするんだ。そしてシャウトすることそのものが好きになり、目的を見出したのでは。

そう思うと、ツインラブへの評価「アイドルなのかロックなのか中途半端」(33話)も分かります。
えみるがやっていたのはロックではなく、迸る彼女の「自由」な疾走です。故に特定のジャンル名は付かない。
分類しようとしたら中途半端になるのは必然だ。そして中途半端を恐れずに、自分と未来を信じる。

彼女たちの代表曲「LOVE&LOVE」からもうかがえます。
「抑圧への抵抗」という観点でもおかしくはないのだけど、力点は「自由に走る」ことにある。
誰かのせいにしてそれと戦うのではない。自分の大好きや夢を叫ぶ。

ルールーと惹かれあったのも分かる気がします。
友情に理屈を持ち込むのも野暮ですが、ルールーもまた「何をやりたいのか分からない」娘ですから、二人は似たもの同士です。
それもあったからこそ、ルールーが「やりたいことを見つけたから」と未来に帰る決意をしたとき、悲しみながらも受け止めたのでは。

【輝ける未来】

以上を念頭に2043年の戦いを考えてみる。

それぞれの理由で悩み、時間停止に陥っている人々を、トゥモローさんは救おうと奮闘なされた。
描写がないのでどうやって救おうとしたのか分かりませんが、「明日には意味がある」「目標を持とう」のような方向で試みたように思えます。野乃さんからの継承とか、40周年の肩書とか、色々と大義を抱えている子なので。
ですがそれでは何をやっていいのか分からない人たちは救えない。多様性を重んじていると、意味や目標も見出しづらい。「全部正しい」と言われたら、何をやって良いのか分からない。
私は勝手に2043年のテーマを「親離れ・子離れ」と予想しているのですけど、その観点でいえば「子育てという強い目標が一旦終わり、目標を見失った」ような状況です。

ここを突かれて中盤以降に敗北。そしてそれを我らがえみるが救援するような展開とかどうかしら。

[イメージ]
「明日には意味がある」と訴えるトゥモローさん。それを嘲笑う敵幹部。どんなに叫んだところで、みんな目的なんて見つけられないんだ。
そんなことないと否定するも、振り返れば倒れこんでいる人々ばかり。廃墟と化した街中で、「今」に意味を見いだせずフリーズしていく。
何をやればいいのか。何が正しいのか。「全てが正しい」多様性の中では、それを具体的に指し示すのは困難だ。なんでもできるが故に、なにもできなくなっていく。

そこに突如差し込むスポットライト。そして響き渡る歌声。
仰ぎ見れば、25年ぶりに再会した えみる(37歳)とルールーの歌う姿が。

その歌に何の意義があるのかはさっぱり分からない。
分からないが、倒れこんでいた人たちの胸に何かが宿る。
遠い昔に聴いたあの歌。ああそういえば、昔ここでナイトプールとかやったんだっけ。

「…楽しかったよな」
「ああ。またやりたいな」

あの町内イベントに、ご立派な意義なんてなかった。でも楽しかったじゃないか。
目的なんて後からこじつければいい。
かつて時間停止を破ったあの歌声に導かれ、人々がまた立ち上がる。
[イメージ終]


(「HUGっと!プリキュア」24話より)

「2018年当時、御大層な意味のなかったナイトプールが、時を経て大きな意味を持つ」というのは、「HUG」のテーマとも、(勝手に予想している)2043年シリーズのテーマとも噛み合うんじゃなかろうか。
極めて漠然とした、なんだかよく分からないけどとりあえず楽しいことを、とりあえずやってみる。そうすれば目指したい方向や、やりたいこと、何らかの目的も見えてくる。見えてくれば、更にそれを元に楽しいことができるはず。
「目標を定めてそこを目指す」と「とりあえずやってみてから目標を探す」の両輪は大事です。
私としては、えみるさんがギュイーンとシャウトしたソウルを、そのように受け止めてみます。

●他、参考:えみルー考察記事一覧

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