「Dancing☆Starプリキュア(ぼくプリ)」を受けて整理した「私は何をもって『プリキュア』と認識しているのか」の第2弾。
※第1弾「玩具を売ろう」はこちら
前回は「玩具を売るのが至上命題な点が、他の番組と異なる」と書きました。
ですが大先輩にあたる「セーラームーン」を初め、他にも玩具を売る番組は数多あります。
では「プリキュア」は何が違うのかといえば、ひとつには「世代交代」です。
(特徴の話であって、優劣の話ではないです。他の番組を貶すつもりはなく、優位性を主張する意図もありません)
「プリキュア」最大の転機の一つは、美墨なぎさ・雪城ほのかを降板し、新たに「SplashStar」を始めたことだと思います。
当時の評価としては散々で売り上げは激減、嘘か本当かシリーズ終了の噂まで出たほどです。
実際、その次の「プリキュア5」は2年続投です。新しいシリーズに切り替えるのには勇気がいった。
それでもそこを乗り越えて、今では当たり前のように1年で交代し、昨今では「次はないかもしれない」の声はあまり聞かなくなりました。
今や「プリキュア」は普通名詞であり、美墨なぎさ・雪城ほのかを指す固有名詞ではなくなっています。
この構成は番組のコンセプトにも反映されていると(私は勝手に)思っています。
特に15周年以前までに顕著だった「未来は破綻している」「必ず終わりが来る」の思想は、1年で終了する彼女たちの状況とマッチしていて納得感を高めていました。
プリキュアさんが謳う「永遠」も、金属的な絶対不変の永遠ではなく、種を生んでまた育っていく植物の永遠。
ちょうど今公開されている「GoGo」は正に好例で、永久保存のエターナルに対し、ローズガーデンは命の継承を重視しています。
これらは「1年で終わって、次に託す」番組構成と非常に嚙み合っている。
10周年のハピネスチャージや15周年のハグプリ等々は、代替わりするシリーズでなければ成立していません。
オールスターズのような直接的な連携はもちろんのこと、テーマの面でも脈々と連なる「プリキュア」としての連続感がある。
だから「プリキュア」だと感じる。
では「ぼくプリ」はというと、現時点では何も見えません。
発表があった当初、「まぁミュージカルだし、完全パラレルであって欲しい」と思いました。
巷の感想を見ても「パラレル扱いにして、抵抗のあるファンにも配慮されている」のような声をちらほら見ます。
ただ改めて考えてみると、むしろ逆に「パラレルではない」方が受け入れられるように思えてきました。
例えばを挙げると、
・子供の頃にテレビで見たキュアドリームの活躍に憧れていた少年が、妖精を守るために変身(歴代「プリキュア」はフィクション扱い。私らと同じ目線)
・ニュースでキュアラブリーの活躍を聞き、自分もこの街を守るぞと奮起(プリキュアと同世界設定)
・大ピンチ時に、回想シーン的に歴代プリキュアの雄姿が流れ「俺たちはひとりじゃない…!」と立ち上がる(デパプリ的演出)
(「デリシャスパーティ♡プリキュア」第29話より)
こんな感じで、何らかの形でプリキュアと関わって欲しい。
もちろんここまで直接的でなく、テーマの根底が通じ合ってるとかでも良い。とにかく「プリキュアの血脈だ」「これは第21シリーズだ」と思えるような演出をされた方が、受け入れやすいです。私としては。
これを書いている6月3日時点では、二次元と三次元の1枚絵ぐらいしか情報がなく、特段に繋がりを云々するだけのものが公開されていません。
「パラレルであってくれ」の声も大きいし、理解もできるのですけれど、私としてはしっかりと地続きであって欲しいなと思います。
まぁそうはいっても、「歴代プリキュアと共闘」とか「アニメ本編に客演」とかはちょっと勘弁してほしいなとも思うので、色々と複雑ですけれど。
最後に、個人的に見たいのはこういうの。
『プリキュアに憧れているダンス部員たちが、ふとした偶然で妖精を保護した。
よし、俺たちで守るぞ!あの憧れのプリキュアたちのように!
そしてステージ衣装を改造し、キュア●●を自称しながら、追手を敵に回して大立ち回り。
生身なれど奮闘し、遂には妖精を守り切った…のだが、最後の最後にハプニングで絶体絶命に。
それでも諦めない!と奮戦していたところに、「よく頑張ったね」と声が。
憧れのプリキュアが影からそっと最後の一押しをしてくれ、窮地を脱し、めでたしめでたし。
やっぱりプリキュアは凄いな!俺たちも負けないぞ!で幕』
2時間枠(?)でやるオリジナル劇としては一つの着地点だと思うのだけど、どうだろう。
長々と書きましたけど、要はリスペクトが欲しいのかも。
「今までのプリキュアは多様性がなくて古い。これが新時代のプリキュア!」のように扱われては欲しくない。
これまでを継承している姿勢が大事かなと思う。
※第1弾「玩具を売ろう」はこちら
前回は「玩具を売るのが至上命題な点が、他の番組と異なる」と書きました。
ですが大先輩にあたる「セーラームーン」を初め、他にも玩具を売る番組は数多あります。
では「プリキュア」は何が違うのかといえば、ひとつには「世代交代」です。
(特徴の話であって、優劣の話ではないです。他の番組を貶すつもりはなく、優位性を主張する意図もありません)
「プリキュア」最大の転機の一つは、美墨なぎさ・雪城ほのかを降板し、新たに「SplashStar」を始めたことだと思います。
当時の評価としては散々で売り上げは激減、嘘か本当かシリーズ終了の噂まで出たほどです。
実際、その次の「プリキュア5」は2年続投です。新しいシリーズに切り替えるのには勇気がいった。
それでもそこを乗り越えて、今では当たり前のように1年で交代し、昨今では「次はないかもしれない」の声はあまり聞かなくなりました。
今や「プリキュア」は普通名詞であり、美墨なぎさ・雪城ほのかを指す固有名詞ではなくなっています。
この構成は番組のコンセプトにも反映されていると(私は勝手に)思っています。
特に15周年以前までに顕著だった「未来は破綻している」「必ず終わりが来る」の思想は、1年で終了する彼女たちの状況とマッチしていて納得感を高めていました。
プリキュアさんが謳う「永遠」も、金属的な絶対不変の永遠ではなく、種を生んでまた育っていく植物の永遠。
ちょうど今公開されている「GoGo」は正に好例で、永久保存のエターナルに対し、ローズガーデンは命の継承を重視しています。
これらは「1年で終わって、次に託す」番組構成と非常に嚙み合っている。
10周年のハピネスチャージや15周年のハグプリ等々は、代替わりするシリーズでなければ成立していません。
オールスターズのような直接的な連携はもちろんのこと、テーマの面でも脈々と連なる「プリキュア」としての連続感がある。
だから「プリキュア」だと感じる。
では「ぼくプリ」はというと、現時点では何も見えません。
発表があった当初、「まぁミュージカルだし、完全パラレルであって欲しい」と思いました。
巷の感想を見ても「パラレル扱いにして、抵抗のあるファンにも配慮されている」のような声をちらほら見ます。
ただ改めて考えてみると、むしろ逆に「パラレルではない」方が受け入れられるように思えてきました。
例えばを挙げると、
・子供の頃にテレビで見たキュアドリームの活躍に憧れていた少年が、妖精を守るために変身(歴代「プリキュア」はフィクション扱い。私らと同じ目線)
・ニュースでキュアラブリーの活躍を聞き、自分もこの街を守るぞと奮起(プリキュアと同世界設定)
・大ピンチ時に、回想シーン的に歴代プリキュアの雄姿が流れ「俺たちはひとりじゃない…!」と立ち上がる(デパプリ的演出)
(「デリシャスパーティ♡プリキュア」第29話より)
こんな感じで、何らかの形でプリキュアと関わって欲しい。
もちろんここまで直接的でなく、テーマの根底が通じ合ってるとかでも良い。とにかく「プリキュアの血脈だ」「これは第21シリーズだ」と思えるような演出をされた方が、受け入れやすいです。私としては。
これを書いている6月3日時点では、二次元と三次元の1枚絵ぐらいしか情報がなく、特段に繋がりを云々するだけのものが公開されていません。
「パラレルであってくれ」の声も大きいし、理解もできるのですけれど、私としてはしっかりと地続きであって欲しいなと思います。
まぁそうはいっても、「歴代プリキュアと共闘」とか「アニメ本編に客演」とかはちょっと勘弁してほしいなとも思うので、色々と複雑ですけれど。
最後に、個人的に見たいのはこういうの。
『プリキュアに憧れているダンス部員たちが、ふとした偶然で妖精を保護した。
よし、俺たちで守るぞ!あの憧れのプリキュアたちのように!
そしてステージ衣装を改造し、キュア●●を自称しながら、追手を敵に回して大立ち回り。
生身なれど奮闘し、遂には妖精を守り切った…のだが、最後の最後にハプニングで絶体絶命に。
それでも諦めない!と奮戦していたところに、「よく頑張ったね」と声が。
憧れのプリキュアが影からそっと最後の一押しをしてくれ、窮地を脱し、めでたしめでたし。
やっぱりプリキュアは凄いな!俺たちも負けないぞ!で幕』
2時間枠(?)でやるオリジナル劇としては一つの着地点だと思うのだけど、どうだろう。
長々と書きましたけど、要はリスペクトが欲しいのかも。
「今までのプリキュアは多様性がなくて古い。これが新時代のプリキュア!」のように扱われては欲しくない。
これまでを継承している姿勢が大事かなと思う。