穴にハマったアリスたち

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「動物はあなたのごはんじゃない」←「植物なら食べていいのか?」…に対する反論を試みる

2014年02月05日 | 王様の耳はロバの耳
詰将棋的にやってみる。

「家畜否定」に批判の声多数(webR25)
[引用]
 同法人の公式サイトをみると、当団体はそもそも動物を家畜として育て、食べることに反対の姿勢を示している模様。そして、サイト上には家畜のイラストの上に「動物はあなたのごはんじゃない」という印象的なフレーズが掲げられている。

 このことからツイッターや2ちゃんねるでは“自分たちは何を食べているのか”“植物も生き物”という趣旨の批判が多数あがっており、1月29日22時ごろには、「植物はあなたのごはんじゃない 霞でも食ってろ」というコメント付きの、同団体の主張を皮肉ったパロディ画像をツイッターで投稿する人も登場。1月31日13時時点で1万件以上リツイートされるなど、話題になっている。
[引用終]


この手の話題の時にはよくこう言われる。

 「動物を食べるのは残酷?」
 「じゃあどうして植物は食っていいんだ」

一見すると上手く相手の言い分を逆手にとってるようにも見えるけど、何か落ち着かない。
というわけで、「動物を食べるのはダメだが、植物なら食べてよい」理由を考えてみる。

私自身は動物も植物も食べて良い派ですし、件の団体は「他人に思想を強要している」点で、個人的には賛同できない。
ただ、思考実験としてやってみる価値はあるんじゃないかな。

なお前提として「自身が生き延びることは正である」とし、「生き物を殺したくないから自殺する」は、議論の余地なく誤りであるとします。
(単純に面倒なので)

【反論1:命には上下があるよ論】

命には格付けがある。
最上位は人間であるとして(前提の「自殺不可」に則る)、食物連鎖で上下を決めるのが分かりやすい。
そうすると植物はかなり下層になるので、食べても良い。

【反論2:命は全て無限の価値があるよ論】

反論1とは逆に、全ての命は等しく無限に価値があるとします。
1つ1つの命の価値が無限大ということは、何匹か息絶えたところで、全体の価値は変わらず無限大です。
無限大は2倍しようと半分にしようと、やっぱり無限大ですので。

例外として、最後の1匹がいなくなってしまったら、全体の価値はゼロになってしまいます。
つまり「何匹食べようが命の全体の価値は変わらないが、絶滅は不可」となる。
よって「食べるのなら数の多い生き物を食べるべし」となる。

ちゃんとした統計は知りませんが、多分、植物は動物よりも数が多いので食べて良い。

【反論3:中間コストを省略しよう論】

肉食動物を食べるためには、彼らを育てねばならず、必然的に餌の草食動物の命が奪われます。
草食動物を食べるためには、彼らを育てねばならず、必然的に餌の植物の命が奪われます。
だったら最初から植物を食べよう。そうすれば失われる命が少なくて済みます。(自殺不可なので、「食わない」の選択肢はない)

【反論4:植物は食べられることを望んでいる論】

例えば果実などは、食べられることで生息地を広げようとします。
こういうのは食べない方が失礼ですね。
だから積極的に食べて良い。

【反論5:殺さなければ食べて良い論】

どうして食べてはいけないのか。それは命を奪うから。

だったら初めから息絶えていれば、食べて良いことになります。
まぁ道端で行き倒れてる豚とか、病死して野で朽ちてる鶏とか、食べたくはないですが。
植物だと「枯れている」状態を回収するケースは普通にあります。よって食って良い。

【反論6:残酷じゃないからいいよ論】

何をもって「残酷」と考えるか。
基準はいろいろあるでしょうけれど、対象者が苦痛を感じるかどうかは目安になるかと思います。
そして植物には痛覚がありません。
もしかしたらあるのかもしれませんが、「痛覚がある」という肯定根拠が特になく、「痛覚は回避行動のための感覚なんだから、回避できない植物が持ってても無意味だろう」という否定根拠はあるので、「ない」と言ってもよいはず。
痛みを感じないのなら「残酷」ではないので、食って良い。

【反論7:多数決論】

例えばライオンとシマウマとヒトで食物会議をしたとします。
ここでヒトが、「ライオンもシマウマも食って良い」と発言したらどうなるか。
ライオンとシマウマの両方を敵に回しますね。

しかし「ライオンは食べてはいけない。シマウマは食って良い」と発言したらどうなるか。
おそらくライオンさんは味方になってくれるでしょう。これで多数決に勝てます。
シマウマさんからは憎悪の視線を向けられるでしょうけれど。

この考え方で行けば、「動物はダメだが植物はOK」は肉食動物と草食動物の票を得られるので、正論と言えます。
キャベツやニンジンからは憎まれよう。

【反論8:他人だから食べよう論】

最も禁忌を感じるのは、ヒトを食べること。
この理由は様々でしょうけれど、一つには「生物の目的は種の存続である」「共食いをすると種が絶滅しやすくなる」があるでしょう。

この理屈で行くと、自分と近い遺伝子を持つものほど、守りたい(食べてはならない)という思想が働きます。
ヒトの次にはサル。その次には哺乳類。爬虫類に両生類、そして魚類と、遠ざかるにつれて「同種」の認識が薄れますので、「食って良い」となっていく。
したがって、かなり遠い植物は食べて良いとなる。

【反論9:肉だからダメ論】

生々しいですが、肉の切り身にしてしまえば、ヒトもウシもトリもさして変わりません。
肉は肉だ。
動物を食べることを嫌悪する人の中には、「可哀想だから」以外に、「肉そのものが人肉を連想して嫌だから」という人もいるかと思います。(反論8の「同種を守る」が過剰反応してるんでしょう)

この場合、肉であることが問題なのだから、肉ではない植物は食べて良いとなる。

【反論10:そもそも生きてないよ論】

そもそも「生きている」とはどんな状態か。
人間で考えると、「死」の定義は心肺機能の停止か、脳死です。
この基準を植物にもあてはめてみよう。
うむ、心肺も脳もない。
よって最初から生きていないので、食べても問題ない。


以上、ざっと挙げてみた。

それぞれ一応、それなりに筋は通ってるように思います。
厄介なことに、反論1から10まで、相互にはほぼ矛盾していませんので、論破しようとすると全てを相手にしないといけない。(それも矛盾なく)
多分、厳しいと思う。というか面倒くさい。

こうなってしまう理由は単純で、「動物を食べてはいけない」に対し、本来無関係の「植物を食べてるくせに」で反論しようとしているからだと思います。
一般に、ヒト>動物>植物で考える人が多いと思われますので、「動物を食べるな」に「植物を食べるのか」で返しても、かえって相手の論を補強してしまうんですね。

(この論法を使うのなら、「植物の方が動物よりも価値が高い」ことを、まず説明しないといけない。
 ですが、おそらくこれは無理でしょう。
 草食動物を食うためには、草を与えないといけませんので、植物>動物は矛盾してしまう)

話題の対象を、別の似通ったものに置き換えて反論するのは常套手段ですが、置き換えや例を間違うと、自爆してしまう好例なのかなと思った。
個人的には「肉も植物も食っていい」派なだけに、もしもリアルでこの議論をする羽目になった時は気を付けよう…。

【蛇足】

「動物を食べてはいけない」に対する反論として、「動物だって動物を食べてるじゃないか」もよく聞きます。
が、これも置き換えをミスってるように思う。
何せ「動物と人間は違う」ことを示されたら終わりですので。
すぐに思いつくところだと、「動物が人間を殺しても、殺人罪に問われない。動物と人間では、要求されるモラルが違うことは明白」とかでしょうか。

もちろん「いいや動物も人間も同じだ」と再反論することもできますが、それをやっちゃうと「そうだね。だから動物を食べちゃダメ。人間を食べちゃダメなのと同じ」と展開されてしまいます。ほぼ詰んでる。

【蛇足2】

色々と面倒くさいことになってしまうのは、あちらさんの主張の根拠を否定できていないからだと思う。
要は「残酷だから動物を食うな」という主張なんでしょうから、「いいや残酷ではない」または「残酷だが、それの何が問題なのか」で反論するのが、正攻法のはず。

手っ取り早いのは、「その通り。残酷だ。しかし肉を食わないと私はストレスで死んでしまう。自殺は不可だと最初の前提で合意しているのだから、私は自らの命を最優先し、肉を食う。貴い犠牲に感謝」かな。
私らが肉を食う実際の理由と、ズレもないでしょうし。

【追記】

お題が「毛皮製品は残酷だ」となるとちょっと展開が変わる。
この場合、「いいや木製品の方が残酷だから、木を使っているお前が言うな」は成立させられます。
根拠としては、例えば「寿命が長い生物を殺す方が残酷だ」とかですね。
「畜産動物を食べる」の場合、動物を育てるために植物を使わねばならないので「植物>動物」を主張しづらいですが、狩猟して加工する分には問題なく言えます。
細かいお題設定で、立ち回りを微妙に変えないといけないんだな…。
コメント
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