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Yahoo!ニュース「遺伝子組換えで「美味しんぼ」に訂正要求 食品安全の啓発団体とバトル」

2010年07月08日 | 王様の耳はロバの耳
実物を読んでいないし、読んでも背景知識がないのでどうとも言えないので、表面的なところだけなのですが。

遺伝子組換えで「美味しんぼ」に訂正要求 食品安全の啓発団体とバトル
[引用]
 人気漫画「美味しんぼ」が遺伝子組換え作物などの不安をあおったとして、食品安全の啓発団体から訂正を求められる騒ぎがあった。「美味しんぼ」側は、科学的根拠があり、訂正しないとしており、議論は、平行線のままになっている。
[引用終]

ちょっと引っかかったのが、「美味しんぼ」側は「事実を捏造」したのではなく、「事実を曲解」しているくさい。
食品団体側の主張は「確かにそういう結果は得られたが、元々想定された結果であったり、追跡調査で関係なしと判明済み」に見えます。
それに対し、論点をはぐらかしてるように見える。

気になったので件の食品安全情報ネットワークを見てみた。
記事通り、反論が掲載されてます。
長いですが、科学に関する根底のような内容でしたので、引用させていただきます。

[引用]
 まずP307で、ヒトに対する安全性の例として、イギリスのロウェット研究所のラットでの実験結果を紹介し、GM(遺伝子組み換え)ジャガイモで「臓器への影響や免疫力が低下し病気にかかりやすくなったという結果が発表された」「ラットに害が出るという事は、人間にも出るということですね」と紹介しています。しかし、このジャガイモは免疫細胞に毒性を有するレクチンという成分を遺伝子組み換えにより意図的に組み込んだ実験用作物であり、そもそも消化不良を起こすことが想定されたものです。したがって、この研究結果から「遺伝子組み換えすることによってジャガイモがラットの免疫力低下を引き起こすようになる」という一般的な結論にはなりません。遺伝子組み換え技術と実験ラットへの影響の間の因果関係は、英国食品基準局(FSA)をはじめ、各方面でその後明確に否定されています。また念のため、現在、商品化されている遺伝子組み換え作物にレクチンを含むジャガイモは存在しません

 また同じくヒトに対する安全性に関連し、P308でスターリンクトウモロコシが「呼吸困難、血圧低下、最悪の場合命にかかわるアナフィラキシー・ショックと言われるアレルギー症状を引き起こした」とあります。たしかにスターリンクトウモロコシが食品に間違って混入したことがが発表された直後に、そのような症状を訴えた人が50人ほどいました。しかし、それらの人に対し、その後、FDA(米食品医薬品局)およびCDC(米疾病対策予防センター)が追跡調査を実施し、これらの症状の原因が「スターリンクトウモロコシが発現するタンパク質(Cry9C)ではなかった」と結論付けています。まだ現在までスターリンクトウモロコシによるアレルギーは見つかっていません。ちなみに、このような混乱は日本でもありました。高濃度の農薬を混入した冷凍餃子で食中毒患者が発生したことが大きく報道された直後に、全国で数千人の人が冷凍食品による中毒症状を訴えましたが、厚生労働省の調査により、それらはすべて冷凍食品が原因ではないことが確認されています。前述のアレルギーは、これと同様のことが起こったものと考えられます。

 上記はいずれも、科学的根拠が不明確なままセンセーショナルに取り扱われ、その後は否定されたケースを、意図的にその後の経過を隠して引用したものです。そして、「遺伝子組み換え作物は国際基準および国の法律に基づく審査によって安全性が認められたものだけが流通しており、10年以上にわたり日本でも広く利用されているが一度も健康被害は起きていない」という事実を無視し、遺伝子組み換え作物を摂取すると人体に害があるかのように読者の誤解させることを意図したものであり、大変問題であると考えます。

 さらに、P310からP311にかけての除草剤に関する記述について申し述べます。まず「除草剤」の残留とありますが、グリホサートとグルホシネートとは全く異なる除草剤であり、それぞれ別個に使用、残留に関する安全性の審査が行われています。また、藤井先生の成績から、グルホシネートが脳に影響がある可能性を指摘していますが、この実験は非常に多量を用いたものであり、実際に残留している濃度でそのような影響は起こり得ません。国の食品のリスク評価機関である内閣府食品安全委員会では、藤井先生の実験と同様の試験だけでなく、さらに詳しい試験の成績をもとにしてグルホシネートによる悪影響が出ない量(閾値)を残留許容範囲として設定し、それに百分の一という安全係数をかけたうえで安全基準が作られています。安全基準以下の量であれば、一生の間、毎日食べ続けても影響はないと考えられています。一方、動物が大量に化学物質を摂取した時に何らかの障害が起こるということはグルホシネートに特有の性質ではなく、多くの化学物質に共通する性質です。例えば食塩でさえ200グラムを一度に摂取すれば人間も死亡するといわれています。除草剤の残留濃度が摂取しても影響がない低濃度であるという事実を故意に無視した内容は、食品の安全性に関して読者の誤解を招くものであり問題です。
[引用終]

 『科学的根拠が不明確なままセンセーショナルに取り扱われ、その後は否定されたケースを、意図的にその後の経過を隠して引用したもの』

この一文に全てが集約されている。
既に決着がついていることを「いまだ結論は出ていない」として、あたかも双方の議論が等価であるように見せかける。
これは疑似科学や誤った信仰に共通する特徴ですね。(実際、「美味しんぼ」側を疑似科学と批判しています)

「両論併記」「異なる意見も平等に取り上げるべし」といった良く聞く言葉の、安易な誤りも指摘されてる。

[引用]
 最後に、漫画の構成は一見「両論併記」の形をとっていますが、それは社会通念上認められるものではありません。両論併記とは、例えば目的にたどり着く合理的な道筋が2つあるようなときに両者を紹介する方法であり、今回のように明確に科学的な決着がついている問題について、正しい科学と偽科学を並べて両論併記と主張することはあり得ません。このような取り扱いは、両者がともに科学的根拠を持つものという大きな誤解を読者に与えるだけです。そのような誤解を広げることが貴編集部の真意であるならば、それは別の大きな問題を提起します。
[引用終]

こういった「既に決着が出ていること」を誤魔化す姿勢こそが「非科学的」なのですが、どうも「実験結果を述べれば科学的だ」「異なる意見も無条件で同等に扱うべきだ」と勘違いしてるような気がする。
その実験結果に対して反論が行われ、反論に対し反論できていないのなら、既にその実験結果には価値がない。(強いて言えば、「役に立たない実験と分かった」くらいの価値はある)
その辺を履き違えて「いいや科学的だ!だって実験したんだから!」と言ってるんじゃなかろうか。
あるいは「絶対に可能性が無いとは言い切れない」に異常に固執し過ぎてるとか。
残念ながら、それだけでは何の根拠にもなりはしない。

現実問題として、科学は間違う。だから「絶対に可能性が無いとは言い切れない」は正しい。
でも「間違いを間違いと認め、論を訂正する」という姿勢こそが科学的です。
「かつて科学は間違った」というのは、「科学が真実に向かっている」ことの強力な証拠であり、突き詰めれば全ての「科学」とは「強力な仮説」でしかなく「真実」である必要はないのですが、それに精神的に耐えられない人は結構いるらしい。

よく疑似科学では「学者は頭が固くて事実を認めようとしない」と批判されがち。でも実際は逆。
大体、学者なんて好奇心で飯を食ってるような職業なんだから、むしろ珍説新説は大好きなんですよ。それが科学的であるならば。
相手にされないのは、既に否定されまくってるしょうもない根拠を持ち出してるからなだけであって。

こういった「反論に対し、論を修正する」ということをせずに、最初の持論に拘り続けるのは疑似科学の特徴の一つ。
都合の悪い事実からは目をそらし、結論ありきで根拠を探すとか。(時にはそれを「首尾一貫している」と正当化すらする)
破綻している根拠に何ら新しい事実を示さず執着したり、相手側の主張には「言論封殺だ」と反発するくせに、自分らの主張は無条件に認めて「反論するな」とか。
真剣に取り組んでるプロの方に、ど素人が薄っぺらい理屈で絡んでいる構図も、まさに疑似科学。
意見を主張する権利自体は等しくても、主張する内容そのものにまで同様の敬意を払う理由はないのに、「主張の自由」を履き違えちゃってる。

「水からの伝言」(※1)やホメオパシー(※2)のようなオカルト、進化論に対する創造論(※3)や、UFOや陰謀論の類と一緒で、非常に気持ちが悪い。
ああいったのは、わざと論理構造を理解しようとしないのか、本気で理解できていないのかが謎です。
後者だとしたら、人と人との間の溝は、思っている以上に深いのかもしれない。


※1「水からの伝言」
「水に対して『ありがとう』等の綺麗な言葉をかけると、凍結させたときに「綺麗な」結晶ができる。一方、罵倒した場合には綺麗な結晶は出来ない。水は人の言葉を理解しており、また、人の言葉は非生物にすら影響を与える」という理論。
当然といえば当然ですが、科学的な根拠はない。(追試の結果、ことごとく破綻した)
しかし恐ろしいことに、これは日本の学校教育でも、あたかも科学的根拠があるように採用されました。(それも割と最近のことです。ちなみに私自身、ほんの2年前に、会社の新人教育で雇った講師が「水からの伝言」を事実のように演説している現場を見て、困惑した経験があります)

似た感じの理屈に「植物に褒め言葉を与えると成長が良くなる」「部下は褒めた方が伸びる」がありますが、これらは結果的には正しい。ただ根拠が異なる。
基本的に「褒める」ためには相手を観察せねばならず、観察すると問題点にすぐに気がついて世話をするので、結果的に良い方向に伸びます。
(放置しきってる植物と、毎日「褒める」ために植物を観察してる場合とでは、明らかに後者の方が面倒見が良くなる)

「水からの伝言」の場合においても、「褒めてれば自己暗示にかかって『綺麗』に見える」という効果はありますが、それ以上のものは観測されていません。

※2「ホメオパシー」
「病気と同じ症状を起こす物質を希釈して与えれば、病気に対する抵抗力を得ることができる」という理屈に基づく治療法。
感覚的には、ワクチンの接種と同じです。
そのため、一見、科学的であるように見えてしまう。

現実には何ら科学的な根拠はなし。
「希釈して与える」物質としては、ぶっちゃけ「病気と似た症状を起こす物質」なら何でも良く、ただの泥水や赤ん坊の涙といった物までホメオパシーの薬の材料として挙げられていました。
しかもそれらを「希釈」する。「希釈すればするほど良い」という謎の根拠も伴っているため、徹底的に薄めた結果、単なる水以外の何物でもないものが薬としてありがたがられている。

これまた恐ろしいことに、ほんの一年前には、日本でも保険対象として検討されていました。
現実に、こういった馬鹿げた理論は私らの生活のすぐそばにある。
もちろん思い込みによるプラシーボ効果はある。
でもそれ以上のものはないし、もっと有効な手段があるのにわざわざ精神療法に頼るのは馬鹿げている。
(これによる死亡事故も起きている)
個人的には、岩盤浴やカイロプラクティック、鍼や漢方薬も似たようなもんだと思ってる。

※3「創造論」
「生物は神が作った」とする理論。主にキリスト教のものが有名。

実はこれは厳密には反証不能で、明確に否定することはできない。
というのも化石や地層をはじめとした「明らかに生物は時代とともに変化している」という科学的根拠は、「神がそのように作ったからだ」の一言で粉砕されてしまうから。
そのため「あくまで科学の観点においては進化論が正しいが、宗教上の理由で創造論を支持することにまでは踏み込まない」というのが科学的な立場。(ちなみにカトリック教会自体もその立場を取っている。極めて科学的に中立であると思うし、だから私はカトリックが好き)

問題は、「創造論は科学的である」と主張し、「進化論と両論併記すべきだ」と主張するケース。
宗教が宗教にとどまってる分には問題ないですが、それを科学と偽ると大問題。
恐ろしいことに、21世紀の現代においても、創造論は「両論併記」の御旗の元に、例えば米国の多くの州で科学として義務教育のカリキュラムに組み込まれています。

「他の可能性が絶対にないとは言い切れないが、分かっている証拠からより単純な仮説を採用するとこうなる」というのが科学の基本的な考え。
結果、進化論が採用され、わざわざ「良く分からない超生命体によって、生物が『あたかも進化したかのように』作られた」とする創造論は否定されてる。
(なお、「生物が進化したのは、そもそも神がそのように設計し、進化の道筋を指導したからだ」とする論もある。これも反証は不可能。要は、進化論と神の存在は矛盾しない)
コメント (3)
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