Casa de lápiz:鉛筆庵

鉛筆庵に住む鍵盤奏者が日々の生活の徒然・音楽などを綴ります。

アフタースクール

2008-05-31 00:01:52 | 映画 あ行
              *公式サイト
2007年/日本/102分
監督・脚本:内田けんじ
出演:大泉洋、佐々木蔵之介、堺雅人、田畑智子、常盤貴子、北見敏之、山本圭 、伊武雅刀

あらすじ:母校の中学で働く教師、神野(大泉洋)のもとに、かつての同級生だと名乗る探偵(佐々木蔵之介)が訪ねてくる。探偵は、神野の幼なじみで今は一流企業に勤める木村(堺雅人)の行方を追っていた。(シネマトゥデイ)

予告編も観たことがなく、何の予備知識も情報もなく・・・だから選んだ久しぶりの邦画。仕事帰りのレディース・デーに近くのシネコンで観た。
観終わって・・とにかく、爽快!面白かった~!!

何がって、冒頭から隙間なく張りめぐらされていた伏線の巧みさ、そして真実が解き明かされるテンポと爽快感が実に気持ちよかったのだ!
綿密にそして緻密に練り上げられた話に、すっかり乗せられて見ていると・・・ある一瞬から見方がまるっきり変わってしまう快感!そして「思い込み」の怖さ。人にしろ、物にしろ、対峙する時に何らかの思い込みを持たずにその前に立っているだろうかと、つい翻って我が身のことを考えてしまっていた。「思い込み」って自分に都合がいいようにしか解釈してないものなのだと。
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これは・・・?

2008-05-30 00:22:49 | 日々の雑感・近況
¿Qué es esto?             
              
最初に見せられた時は、何だかわからなかった
計算尺(Wikipediaより)とわかり吃驚。調べてみると、これはその中でも円形計算尺だということがわかった。⇒「CONCISE
最近では全くお目にかかることがなくなった計算尺だが、私が子どもの頃、父の机の上には計算尺が置いてあり、いつも使われていたっけ。
私自身は中学だったか高校の授業だったかでその使い方を学習した記憶がうっすらと・・・。当然、きれいさっぱり使い方は忘れている
周りがくるくる回るようになっていて・・・回して喜ぶ(!?)のみ
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旅するたんぽぽ

2008-05-27 00:04:56 | 自然
たんぽぽの黄色い花がいつの間にかすっかりふわふわの綿毛に変わり、そして風に乗ってくるくる種がそれぞれ旅に出る季節。そんなたんぽぽの綿毛が一つぽつりと植木鉢の月桂樹の葉の間で一休みしているのを見つけた。
でも、何故空中に浮いたまま?
            
・・・とよくよく見てみると、葉の間に薄く張られた蜘蛛の巣にふんわり羽を広げて寄りかかっている。
きっと、強い風が吹いたらまた旅に出て行くつもりなんだね~。
       
たんぽぽというと反射的に連想するレイ・ブラッドベリの『たんぽぽのお酒』・・・日なたの匂い、輝くたんぽぽの花の黄色、きっとその色を写しとったような色してるんじゃないかと密かに想像しているたんぽぽのお酒・・・随分読んでないな~。
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今日の新日曜美術館

2008-05-26 00:20:50 | 展覧会・建築・器
25日のNHK教育の『新日曜美術館』は「この人が語る 私の愛する写真家 辺見庸 私とマリオ・ジャコメッリ」だった。
               
最近になく充実した番組で(この番組、いつも司会者の二人の話というかその多弁に辟易させられることが多くって)朝の本放送と夜の再放送と2回見てしまった。
辺見庸さん、さすがだなあ、凄いなあとその視点の鋭さに感じ入って、食い入るように見ていた。
実はこのマリオ・ジャコメッリ展にはかなり参っていて、展覧会を見終わった後、あんまりぼやんとしてしまってカタログを買い忘れてしまった。日を追うごとにその時に感じた思いが忘れられなくなって、どうしてもカタログが欲しいなあ、と思っていたのだ。しかし写真美術館のHPをみたら「SOLD OUT」となっていてがっくりしたのだが、どうしても諦めきれずミュージアム・ショップに電話して20日に再発売されることを知り予約して首尾よく手に入れていたのだ。
展覧会を思い出しつつ、カタログを繰りながら、辺見さんの話を聞いていた。自分の中で反芻することで、またより深くなった気がした。
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初めての国立新美術館

2008-05-25 00:04:24 | 展覧会・建築・器
伴奏に伺っている合唱団の団員、声楽を勉強されている方々って多才だなぁ~!といつも思っているのですが、そのうちのお一人に「第60回記念:三軌展」の案内をいただきました。伺えば陶芸を始めて20年以上とのこと、楽しみに初めての国立新美術館に出かけました。記念展という事で出品数はたいそう多く、多種多様で興味深く、楽しめました。会場内は無論撮影禁止だったので画像はないのですが、この美術館自体が物珍しくてパチパチ撮ってきました。
           
来館者は予想通り、多いです。公募展が2つと「モディリアーニ展」とで現在3つの展覧会が開催中。入口と、その中に入って上を見上げたところ。

緩やかなカーブを描くガラスの外壁を中から見る。光がそのガラスを通して一杯に入ってきてます。館内の写真を撮っている人、日本人、外国人ともに多かったです。ここは、一大観光スポットなのね!建物の中に入るのは無料で、中にあるレストラン&カフェ、ミュージアム・ショップ、そしてアートライブラリーの利用ができます。
           
そこここに、椅子が置かれているのも嬉しい。何だか、空港のよう~

3Fの窓の外では植えられた竹が折からの風に揺れてました。右は2Fの廊下、ここにも椅子が置かれてます。

各階にカフェ或いはレストランがあって、エスカレーターから見るとそれが空中に浮かんでいるように見えます。
            
美術館を後にして「六本木駅」に向かう途中、東京ミッドタウン・・・初めて見た!!とパチリ(建物、高過ぎて全部は入りません)ついでに富士フィルムフォトサロンにぶらっと入って開催中の林忠彦写真展「カストリ時代」見てきました。入ったところに坂口安吾の仕事場の風景があり、その裏には太宰治の写真(葉書の左)。昭和20年代の東京の街とそこに生きる人々の写真、そして文人・俳優の写真などが並び物珍しく面白かったです。
  
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モンテーニュ通りのカフェ

2008-05-24 00:30:27 | 映画 ま行
              *公式サイト
               人生に恋をした
                 パリ、8区。
                 夢が座る時間に、
                 カフェも開く
2006年/フランス/106分
原題:FAUTEUILS D'ORCHESTRE
監督:ダニエル・トンプソン
出演:セシル・ドゥ・フランス、ヴァレリー・ルメルシェ、アルベール・デュポンテル、クロード・ブラッスール、クリストファー・トンプソン、シュザンヌ・フロン

驚いたのは、エンドロールが終わって場内が明るくなり始めた時に、何人かの観客から「ぱちぱちぱちぱち・・・」と拍手がスクリーンに向かって起こったこと~こ、こんなこと初めてだったよ~!!

フランス・パリ、モンテーニュ通りにある”カフェ・ド・テアトル”で交差する様々な人間模様にしみじみとして、くすりと笑えてついでに大笑いの場面もあって・・・気持ちは大いに和んだのだけれど、でもねえ、それ以上に胸が一杯になりました。
交わされるそれぞれのさりげない台詞、そしてそれが重ねられることで見えてくる新たな風景がとても新鮮で温かく、なにより優しい。
美術収集家の親と断絶している息子、自分の歩んでいる道に疑問を抱くピアニストとその妻、人気者なのに不満を抱く女優、定年を迎えようとする劇場管理人、新たな映画のキャストを探している映画監督、そしてカフェ・ド・テアトルで「ギャルソン」として働き始めたジェシカがいかにも軽快で可愛らしくて・・・。
作品の中で使われているすべての音楽、美術、演劇もそれぞれに交錯し、それが素敵にコラージュされて幸福感を増幅してくれたようだった。
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海を飛ぶ夢

2008-05-22 00:04:14 | 映画 あ行
           
2004年/スペイン/125分
原題:Mar adentro
監督:アレハンドロ・アメナーバル
出演:ハビエル・バルデム、べレン・ルエダ、ロラ・ドゥエニャス、マベル・リベラ、セルソ・ブガーリョ、クララ・セグラ、タマル・ノバス、フランシス・ガリード

スペイン、ラ・コルーニャの海で育ったラモン・サンペドロは25歳の時、岩場から引き潮の海へダイブした際に海底で頭部を強打、首から下が完全に麻痺してしまう。以来、家族に支えられながらも、ベッドの上で余生を過ごさなければならなくなったラモン。彼にできるのは、部屋の窓から外を眺め、想像の世界で自由に空を飛ぶことと、詩をしたためることだけ。やがて事故から20数年が経ち、彼はついに重大な決断を下す。それは、自ら人生に終止符を打つことで、本当の生と自由を獲得するというものだった…。(allcinemaより)

尊厳死を望んだ実在の人物ラモン・サンペドロの手記を基にアレハンドロ・アメナーバル監督が映画化した作品。観終わって深く静かに呼吸し、生きることについて考えていた。よく生きることは、よく死ぬこと、だという千葉敦子さんの言葉がふと頭をよぎる。
主人公のラモン・サンペドロを巡る女性たちのそれぞれのラモンに対する愛のありようが興味深い。それは自分のためにであり、自分の投影としてであり、すべてを受け入れすべてを捧げてである。ある時はロサであり、また別の時はフリアであり、ジェネであるときもあれば、マヌエラでもある。ばらばらなようでいて、すべてが「女性」なのだと思える。
そして、甥っ子のハビがこの作品の中に存在していたことで、どれだけ救われたことだろう。彼は何時如何なる時も、ラモンがどういう状況になっても彼の甥っ子のハビであり続け、その姿勢が変わることはない。そこに、大いなる救いを感じるのだ。また、ラモンが空想の中で飛んでいる映像のため息の出る美しさ、そしてそれが決して実現しない夢でしかないことに観ている側は悲しみを覚えるのだ。
また劇中とエンドクレジットで流れる音楽が、ガリシア地方ということで思い出すケルト・ミュージックの影響をそこに感じて耳に残る。監督自身が音楽担当しているというのも、凄いなあ~。
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風薫る五月コンサート、終了いたしました~♪

2008-05-20 23:27:59 | 音楽
 
雨粒を光らせたエゴノキが満開の白い花をびっしりつけて、爽やかな香りを振りまきながら咲いています。
まさに風薫る五月、日暮里サニーホール・コンサートサロンで開催されました「ヨスカーナ・ルーチェ コンサートVOL.8風薫る五月コンサート」終了いたしました。
お忙しい中、またお遠いところお運びくださり、ありがとうございました。
歌曲、オペラ・アリアともにプログラムに歌い手の熱い思いを乗せて、響きのよいサニーホールにその歌声は響き、その演奏に温かく、また熱心に耳を傾けてくださるお客様の気持ちとが一緒になって会場内に満ちた素敵な一夜となりました。その中に足を一歩踏み入れただけで、温かいものが感じられる・・・幸せな演奏会でした。ありがとうございました。
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アッコルドーネ『歌と魔法』

2008-05-18 00:00:17 | 音楽
              
                 アッコルドーネ
          「歌と魔法」~口承された古い歌の記憶~

出演:マルコ・ビーズリー(テノール)グイード・モリーニ(音楽監督/オルガン、チェンバロ)エンリーコ・ガッティ (ヴァイオリン)ロッセラ・クローセ(ヴァイオリン)ステーファノ・ロッコ(ギター)フランコ・パヴァン(テオルボ)ファービオ・アックルソ(リュート・ア・プレットロ)

プログラム:「歌と魔法」~口承された古い歌の記憶~
ブサッティ(?-1644):あなたは天使/サンチェス (ca1600-79):パッサカリアに基づくカンタータ/モンテヴェルディ(1567-1643):苦しみはかくも甘美/フォンタ-ナ(1630-?):2つのヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ 第8番/ステーファニ(17世紀後半):幸せな恋人/ビーズリー(1957~):タランテッラⅠ・Ⅱ・Ⅲ/作者不詳:カラブリアのタランテッラ/作者不詳:ソーラ・カルマニョーラ/作者不詳:高らかに打ち鳴らせ etc.

素晴らしい一夜に感謝~
初めて「アッコルドーネ」を王子ホールで聴くことができた。席はC列・・前から3列目のほぼ中央、あ~、この席であったのも何たる幸運!!(って、自分で選んだんでした)だって、まるでマルコ・ビーズリーが直接歌いかけてくれてるような錯覚に陥るんですもの・・・夢心地~。そうそう、そして「r」の発音、めちゃくちゃ美しかったなぁ~、うっとり。
舞台にメンバーが登場した時から、いよいよ始まるのだと胸は高鳴る。先回の来日時に聞き逃していた彼らの音楽にやっとここで出会うのだ、と。音楽が会場に満ちマルコ・ビーズリーの声が響き渡った時には感激で一杯になる。
とにかく音楽と言葉がともに肌に迫ってくる、とでも言ったらいいのだろうか。わからない筈のイタリア語がこんなに真直ぐ心に届くことに驚いた。これって、何なんでしょ!!思わず知らず涙がだらだら流れる。
チェンバロは楽器を支える足の上に本体が乗っているのだけれど、この舞台ではそのイタリアン・チェンバロの本体がポジティフオルガンの上にぽんと乗っかっていた。それを鍵盤奏者のグイード・モリーニは楽器の前に座り、ごく普通の様子でオルガンとチェンバロを手を上下させることで弾き分けていた。この日の調律法はたまたま読んだ「チェンバロ漫遊日記」の記事で『変形ミーントーン』だったと知る。フレスコバルディの100のパルティータでのある緊張と時折混じるざらっとした感じが不思議でまた新鮮だったのはそれでだったのか。
アンコールは4曲あって、英語の説明付き(それがまた面白く興味深いの)。お芝居仕立てのもの、カッチーニ、オ・ソレ・ミオ、そして今一度ステーファニ「幸せな恋人」だったのだが、中でも「オ・ソレ・ミオ」はかつて聴いたことのないものだった。言葉がこんなにも美しく、そして目の前にありありと情景が浮かんでくるなんて思いもよらなかった。
最後の一曲を歌い終わったマルコ・ビーズリーが「Arrivederci!」と言って舞台袖に引っ込んだのが、なんだかとてもお茶目で、温かい思いが胸に残った。
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てっせん・・その②

2008-05-17 00:03:49 | 自然
一重のてっせんのきりりとした清々しい美しさとはまた違う八重のてっせん。散歩の途中で出会いました。
とにかく、豪華で華やか。壁に絡みつき一斉に咲いている様子はまるで惜しみなく流れ落ちる花の滝!
         
近くによって撮ってみました。うぅぅ~むぅ!!一重のてっせんに、別の花が合体しているような・・・。
    
そして、もう一種類咲いていたのは真っ白で、でも一番外側の花弁がちょっとピンクだったり、ちょっとだけ黄緑の筋がうっすらついているもの。
      
とても大事に育てられているんでしょうね、それぞれ愉快にとってものびやかに咲いてますもの。
  
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てっせん

2008-05-15 00:04:16 | 自然
寒いです。でもこの寒さの中、この時期には色々なところで、様々な種類の「てっせん」が目に鮮やかです。

その花びらの幾つかからは、どこか浴衣を連想したりもして・・。

ここにアップしたのはどれも皆、すっきりした一重の花だけれど、八重のゴージャスなのも見かけたことがあったなあ~。
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祝!『グーグーだって猫である』

2008-05-13 00:10:49 | 
5月10日付けの朝日新聞朝刊に「第12回手塚治虫文化賞」の受賞作が発表されていました。*記事⇒asahi.com

マンガ大賞=「もやしもん」(講談社)石川雅之氏
新生賞=島田虎之介氏
短編賞=「グーグーだって猫である」(角川書店)大島弓子氏
特別賞=大阪府立国際児童文学館

最近の漫画事情がどうなのか、よっぽどでないと漫画を読まなくなっているのでこの手塚治虫賞もいつもなら、すっと読み飛ばしてしまう記事だったのだけれど・・・という割には、さすが「朝日新聞社主催」1ページ丸ごと使ってます!!その受賞者の中に「大島弓子氏」の名前を見かけたら全然話が別。じっくり読みました。

今回、大島弓子さんは『グーグーだって猫である』で短編賞受賞!!
            
学生時代から折に触れ、読み継いできた彼女の作品群、猫が主人公になったのは「綿の国星」からでしょうか。私はその後の「サバ」のシリーズからの猫の作品を読むと、しみじみとした慈しみとユーモアとで気持ちが満たされ、読み返すたびに新鮮な気分になるのです。
そのサバの死から描き始められたこの「グーグーだって猫である」は、猫は猫の形で登場する、漫画という形態をとった随筆といった趣のある作品。1巻は平成12年、2巻は平成14年、そして3巻は平成19年発行と・・・なんともゆったりしたその発行間隔が、またこの内容とぴったり一致しているよう~ああ~、素敵だぁ!!
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胡桃・・またまた

2008-05-11 15:36:31 | 自然
胡桃・・・その後」で紹介したあの胡桃は、さてどうなったでしょう~!!

去年、首尾よく手に入れた川岸に生えていた胡桃の実を1ヶ月半ほど干しておいたら、こんな風に乾いて種が見えてきたんでした。
          
その後、小さい鉢にその中の一個だけ植えておいたんですが・・・
冬の間は鉢に何の変化もなく、あまつさえあんまり構わないでいたら土の中からごろんとその実が剥き出しになってしまってました。あわてて土を上からかけたのだけれど、その時に見た実にはなんの変化もなかったので期待は淡くも消え・・・だったのです。

ところが、気付くとこの鉢の中から、一本の小さな芽が出てるじゃないですか!!
           
え~!え~~!!もしや、もしや、これは胡桃~あの固い実からこのやわらかな緑の葉が出てきたかと思うと、どきどきしてきました(でも、まさか胡桃のふりした雑草じゃないよね。)
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アントネッロ 第一回定期公演

2008-05-10 00:39:44 | 音楽
色々な出来事って、自分では全く意識していなくても自然にお互いが呼応し合い、呼び合っているんじゃないかと思える。それは「偶然」という言葉で一括りされてしまうのかもしれないけれどね。でも最近のマりオ・ジャコメッリ展での出会いといい、国本武春さんとの出会いといい・・。
今日、仕事に行く時にふと張られていた一枚の能楽師の公演ポスターに思わず足を止めて眺めた。演奏楽器に笛そして「リコーダー」と書かれたそのポスターを見ながらある友人のことを思い描いていた。そしたら、仕事が終わった途端にメールが届いた!!
そしてまた今日、メールのやりとりをしていた相手は週末セミナーがあって今日からヴェネツィアに行くことになっているという。ん~、ヴェネツィアね~!とその地名が記憶の中に引っかかり、そして須賀敦子さんの「ヴェネッイアの宿」を思い出したりしていたのだ。

そんな私が今夜、東京文化会館小ホールで聴いた「アントネッロ 第一回定期公演」は『ヴェネツィアの霊感 』!!
この時、久しぶりに出会った友人と話したのはヴェネツィアで行われているというヴィヴァルディの手稿を持っている方によるセミナーの話。う~む!!
そんな訳でこの一日は、どっぷりとヴェネツィアに心も話も音楽も浸っていた。

そしてこの日「17世紀イタリア・ヴェネツィアの即興的器楽音楽」によって描かれたアントネッロによるヴェネツィアは・・・
そこで聴こえてくるのはアントネッロの色に染め上げられまた彩られた、その形は時々刻々変幻自在に変化し、自由闊達で耳を澄ますと色々な声が響き呼応しあう17世紀イタリア・ヴェネツィアの音楽を素材にした現代の全く新しい音楽だった。音楽はその一瞬一瞬、命を吹き込まれ生きて飛び立つのだ!!
          
              アントネッロ 第一回定期公演
               『ヴェネツィアの霊感 』
           ~17世紀イタリア・ヴェネツィアの即興的器楽音楽~
          演奏:アントネッロ 濱田芳通、石川かおり、西山まりえ
          曲目:カステッロソナタ:ソナタ1、2番
             フォンタナ:ソナタ第2番「主よ、哀れみたまえ」他
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マりオ・ジャコメッリ展@東京都写真美術館

2008-05-08 00:12:32 | 展覧会・建築・器
東京都写真美術館ではこの時、マりオ・ジャコメッリ展、シュルレアリスムと写真/痙攣する美、そして紫禁城展が開催中。とても3つは見られないけれど、6日に会期が終わってしまう前者の2つの展覧会、特にマりオ・ジャコメッリ展は見ておきたかった。見上げると長~い3本の垂れ幕がガラスの壁面に下がっている。
              
初めて見たマりオ・ジャコメッリの白と黒の世界に魅入られた。写真なのだけれど、絵画的でありそして詩的である、素晴らしい作品だった
その白と黒のくっきりとした画面にはそれぞれの作品固有のリズムが漂い、作品を覗き込むとその内包する力に否応なく引きずりこまれる。静かな力のようでいて、絶対に引かない力、満ちている力。
このチラシの写真が「若い司祭たち」シリーズの一枚であることを知る。何という不思議なリズムと明朗さ、透明な快活さ、それはどこか悲しみにも通じているようで・・・。など思いながらこのシリーズを見ていて、はっとした。
              
私・・・この写真読んだことがある!!と。
初めはまさか!と思っていたのだが、次第にそれは確信に変わって、絶対これを読んでいるっ!!とよろこびが湧き上がってきた。こんなことって、起きるんだ!と。
        
帰宅して確かめた。
多分これだった、と須賀敦子さんの『コルシア書店の仲間たち』をドキドキしながら開けページをくってみる。
あった!それは「銀の森」の中に書かれていた。そして、そこで彼女が見つけた絵葉書の写真こそ、まさにこれだったのだ。こんなことが、あるんだ!!
彼女はかなり細かくこの写真を描写し、この中に写されているこちら向きの人物がダヴィデ・マリア・トゥロルドであり、横を向いた眼鏡の男の名前が彼の親友カミッロ・デ・ピアツに違いないと書いている。そして作品に添えられた詩がダヴィデの処女詩集の冒頭であると記している。
今までは空想で描いていたこの写真が現実のものとして眼前に立ち現れたこの偶然に、深く感動していた。              
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