老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

カーリング女子と裁量労働制法案!

2018-03-04 14:14:06 | 社会問題
【カーリングと民主主義】

カーリング娘たちの「そだね!」という北見弁に心を和ませた方も多いと思う。わたしもカーリング娘が大好きで、彼女たちの試合は、平昌オリンピックの一年前の世界カーリング選手権当時から欠かさず見ている。

カーリングという競技は、スコットランドが発祥の地とされているが、実は北欧の氷の上の石投げに起源があるという説もある。現在のようなカーリング競技のルールになったのは、カナダだという話である。まあ、それだけ国際的なスポーツだと言う事であろう。

歴史話はその程度にしておいて、わたしがカーリングという競技に魅せられているのは、「氷上のチェス」と呼ばれるように、きわめて繊細で知的なゲームである、という側面と、刻々と変化する氷の表情を読み、情報を共有して戦略的に戦うために選手間の【話し合い】がきわめて重要なスポーツだという点にある。

ヨーロッパ(特に北欧)やカナダで盛んなスポーツだが、わたしは、この【話し合い】のありようが、欧州などのPUBLICという精神文化を象徴していると考えている。(※PUBLIC 日本語では公共と訳されているようだが、日本でいう公共とは多少ニュアンスが違う)

カーリングの氷上の【話し合い】は、常に事実を基に行われる。常にストーンの滑り方をストップウォッチで正確にはかり、その変化を読んで氷の状況を把握する。次に、ハウス(真ん中の円)の中の状況を読む。相手のストーンの位置。味方のストーンの位置。ストーン同士の角度。

それらの事実に基づいて、どのような位置に、どのような角度で、どのようなスピードで、ストーンを投げるかを決定する。試合の勝敗がかかっているのだからきわめて真剣な話し合いを行うが、実に、科学的で、合理的な話し合いが行われている。そして、話し合いの結果で決まったことは、成員全てが守り実行する。

さらに、ストーンを正しい場所に導くために、スウィープ(氷を掃く)という作業が大変重要になる。知的スポーツであるが、このスウィープという作業は大変体力を使う。こういう縁の下の力持ち的作業も併せ持った競技である。

わたしから言わせると、この話し合いの【決定事項】が西欧流のPUBLIC(公共)なのであり、決定したら、スウィープのような一種の汚れ役も積極的に行う、これぞ、民主主義だという見本である。

話し合いでは、決して相手のミスを期待せず、自力で勝利する手段を最後まで模索する。運よく相手のミスで勝利した時(日本チームが英国チームに勝利した最後の場面)には、決して大喜びはしない。ミスをした相手の気持ちをおもんばかるのである。※以前に書いた事があるが、これぞGentleman Idealである。

民主主義という制度は、【話し合い】がなければ決して成立しない。しかし、一口に話し合いと言っても、様々な話し合いがある。この【話し合い】のありようが、それぞれの国の民主主義の練度や深化を決定すると言って過言ではない。

【PUBLICとは】

例えば、今回の裁量労働制の決定過程を見てみよう。

労働組合や労働者と会社側の真剣な話し合いの結果を国(厚生労働省)が受けて、法制化に乗り出したという話ではない。そうではなくて、企業側の要請を受けて、厚生労働省が都合の良いデータを収集。それを基に御用学者や評論家などを集めた会議で決定し権威付けをする。これが典型的な日本的【話し合い】の決定過程である。つまり、【公】が決定して【私】に降ろす形である。

ところが、西欧や北欧(特にオランダ)では、話し合いを通じたPUBLICという精神が根付いており、私、公共、公という三元論で思考する考え方が定着している。

では、オランダ風のPUBLICという概念は、どのようなものか。これはオランダの歴史と深く関わっている。それこそ、オランダ人の血肉と化した【文化】そのものだと言って良い。

オランダは、ヨーロッパを流れる三本の大河の出口に当たる。そのため、土地の多くが0メートル地帯で、古来より洪水に悩まされてきた。洪水は毎年同じような時期に起きる。人々は、それまでに洪水の備えをどうするかを決めなければならない。一人一人の命と生活に関わる話し合いなので、猛烈な激論が戦わされる。しかし、洪水の時期は待ってはくれない。それまでには、決定しなければならない。皆の話し合いで決定したことは、守らなければ、洪水の備えはできない。

PUBLICという概念は、この話し合いの決定事項から生まれている。日本の【公共】という概念とは、明らかにニュアンスが違う。

このような話し合いの決定事項=PUBLICを基に【法律】を制定するのが、国家=【公】という存在になる。日本とは違い、下から上への流れになる。ここで初めて、【裁量労働制】をはじめとする【働き方改革】との接点が生まれる。

安倍内閣が提出している「働き方改革」なるものは、「オランダの奇跡」と呼ばれたオランダ人の「ワークライフ・バランス」の都合の良いところだけをつまみ食いした法案である。

ところが、オランダ流【ワークライフ バランス】なる働き方は、上に書いたオランダ人の血肉と化した三元論的思考法=【公・公共・私】の発露であり、これをそのまま日本に当てはまめる事にそもそも無理がある。

【オランダ流「ワークライフバランス」とはどのようなものか。】

戦後世界をリードしたシステムは、いわゆる「アメリカニズム」。アメリカニズムとは、工業化と経済成長を通じた【自由】と【平等】の達成。そして現在は、このアメリカニズムが世界中に波及している状況。これを【グローバリゼーション】と呼ぶ。特に現在の日本は、この「グローバリゼーション」の先兵と言ってもよい。そして、現在の日本や日本人の違和感や住みにくさは、この【グローバリゼーション】にうまく適応できないことに淵源がある。

実は、オランダ流【ワークライフバランス】は、この「グローバリゼーション」のアンチとして生まれたものである。その最も分かりやすい例として語られるのが、【シェアリングエコノミー】という考え方である。

(1) アメリカ型シェアリングエコノミー⇒基本的にはインターネットというITツールを使っていかに新しい隙間ビジネスを開発するかという発想⇒UberとかAirbnb⇒インターネットを使い隙間産業を生み出すのが基本だが、これがシェアリングエコノミーといえるかどうか疑問

(2) オランダ型シェアリングエコノミー⇒基本は【愛】⇒シェアすることで社会課題を解決しようという発想。⇒(一例)「ビュートゾルフ」という在宅ケアモデル⇒ケアの問題をシェアリングエコノミーでどう解決していくかということ。まずは近隣の人たち同士でネットワークをつくって、体が不調をきたした時にそのネットワークを頼ると、サッと助けにきてもらえる体制を整える。シェアリングによる相互扶助の地域システムの構築です。さらにそれを広げ、医師や看護師が中心となって、専門的な包括地域ケアの仕組みをつくっていく・・
https://www.mizuho-ir.co.jp/publication/contribution/2016/kokushinkyo1611-care_01.html

シェアリングエコノミーは、もっと公共性が高いものなのである。

【EUの補完性の原理】

このようにオランダでは、常にPUBLICという理念が、新たな経済の在り方を考える時に導入されている。これは、EUでも同じである。EUは「補完性の原理」という哲学に基づいている。EU委員会が決めたことに無批判に従うのでなく、各国のコミュニティでやっていることを中心にして、足りないところがあればEUが決めたことで補完してください、という考え方。いわゆる【公共哲学】の考え方である。

※オランダに関する部分は、以下の対談に大きく依拠しています。
≪「パブリック」には適切な定義も和訳もない?日本は「公私二元論」の国≫
【長坂寿久氏×武田隆氏対談1】(ダイヤモンドオンライン)http://diamond.jp/

【日本の公私二元論的思考】

この掲示板で厚顔さんが追い続けている公共放送としてのNHK問題の根源は、三元論と二元論の思考法の違いにある。厚顔さんは、【公・公共・私】の三元論で論じているが、NHKは【公・私】の二元論で考えている。NHKの経営者連中の頭には、「公共」=PUBLICという概念がない。あるのは、【公共】≒【公】という概念のみ。この日本的思考風土は、平成の世になって強くなっていると思える。

明治維新150年。この問題は、安倍首相が喧伝する明治維新の歴史評価が正しいのだろうか、という問題にも通じる。

結論から言うと、徳川幕藩体制を倒した明治維新政府は、【公共】という概念を根こそぎ簒奪し、【公】という概念に限りなく包摂したのである。

「文明開化」「殖産興業」「富国強兵」のスローガンは、西欧先進国に追いつけ追い越せの精神に満ちていた。「西欧=進んだ国」 「日本=遅れた国」という図式は、明治の指導者連中の脳裏に刷り込まれており、全ての改革が、西欧列強に追いつき追い抜くための手段だった。

当然ながら、無知蒙昧な庶民には、意識もなければ見識もない。彼らは教化しなければならない存在だ、というわけである。だから、明治維新政府の改革は全て上から下へと降りてきた。これが、日本に【公共】という概念が育たなかった理由である。

一種のカルトだと言って良い「国家神道」理念が国内を席捲するにつれ、「公共」という概念は育たなくなった。それでも、戦前の日本の農村には、「農村共同体」が色濃く残っており、村内部でのしきたりや話し合い、結などの相互扶助の精神は残っていた。

この土台の上に、敗戦後、民主主義の理念が導入されたのである。「話し合い」を土台とした西欧流「PUBLIC」=公共精神が、ようやく人々のものになりはじめた。わたしたちの世代でいえば、学校の「自治会」などは【公共】精神の教育の場だった。

ところが、高度経済成長期になり、全国的に地方(田舎)の人々が都会へ流入する広範な人口移動が起こった。農村人口の都市部への大移動により、農村共同体は実質的に消失した。吉本隆明流にいうならば、農村の「上げ底」化が進行したのである。この傾向は、今なお続き、今や全国各地で集落や町、中には市の消滅すら叫ばれている。明治以降、中央政府が邁進してきた中央集権化の完成だと言ってよい。

中央集権化の進展により、地方(田舎)は実質上消失。日本人の思考の原点にある農村共同体的思考(祭りなどに象徴される共同体の了解事項)が崩壊してしまった。地縁・血縁もかってのようなつながりはなくなり、農村共同体の消滅の代替えとして、各企業に根付いていた【社縁】(同僚と運動会とか旅行などを行う)といった日本的コミュニテイがほとんど崩壊してしまった。つまり、【公共】の精神を育成する土台(基礎)がほとんど崩壊しつつある。

この代表的事例が、学校などの公の組織や店などに対して激しく抗議するクレーマーの増加である。彼らには、自らの行為を制御するPUBLIC=(公共)な空間がない。自らが、PUBLICな空間に生きているという自覚もない。そのため、自らが優位に立てるという理由さえ見つかれば、際限なくクレームを続けるのである。彼らの思考には、【公共】という概念はない。あるのは、【公】とそれに対峙する【私】という視点だけである。

さらに、21世紀に入り、新自由主義的思考が主流になりはじめ、グローバルスタンダード(※アメリカンスタンダードに過ぎない)などという概念が喧伝されるにつれ、【公共】の視点より、国家が何をなすかという【公】の視点が強調されている。(※経済から考えると、いまや国家障壁などないに等しいのに、国家の役割が強調されるというアイロニー)

このように、日本では、PUBLIC=【公共】の精神の涵養など、それこそ【非生産性】の極致だという認識が席捲している。

このような認識で出されたのが、【裁量労働制】や【高度プロフェッショナル法案】などの一連の「働き方改革」法案である。公共の精神の欠落した認識の下で出された法案なのだから、実質【働かせ方法案】になるのも無理はない。

植草一秀氏に言わせれば、以下のようになる。
「知られざる真実」http://uekusak.cocolog-nifty.com/

1、 長時間残業の合法化
2、 正規労働者と非正規労働者の処遇格差の維持
3、 残業代ゼロ制度の導入
4、 裁量労働制の適用範囲拡大

【結語】

現在繰り広げられている「働き方改革」の議論も、国民は、常に権力側(上)から与えられた議論を強いられている。「働き方」といえば、如何にも個人個人の意思(裁量)ができる改革のように聞こえるが、自分の業務内容を【裁量】できない。業務内容を裁量するのは会社。つまり企業による【働かせ方】改悪法案。このように、上からの改革に馴らされている国民は、言葉まで権力に簒奪されているのが現状。

安倍内閣は、特にこの傾向が強く、誰がどう見ても「戦争法案」に過ぎない安保法制を「平和法案」などと口当たりの良い言葉に変えて国民を誤魔化すのが習い性になっている政権である。「高度プロフェショナル法案」などと人々のプライドをくすぐるような言葉を使っているが、【残業代ゼロ】法案に過ぎない。

しかし、裁量労働制法案の基礎的データすら改竄の疑いが濃いインチキ政権。いつまでもこのようなでたらめが続くわけがない。そう思っていたら、朝日新聞の森友学園における財務省の決裁文書の改ざん疑惑が浮上。東京新聞では、オバマ政権時、核兵器縮小に反対した外務官僚の発言スクープが掲載された。

【カーリング】娘たちの【話し合い】で指摘した事実に基づく真摯な話し合いが、状況を打破する唯一の方法であるし、それこそが【民主主義】の基本であるという認識が全く欠落しているのが、現在の安倍政権であるし、現在の官僚組織である。これを打倒しない限り、日本の明日はない。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水

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